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邦訳 | イェンス・ペーター・ヤコブセン『死と愛 ニイルス・リイネ』、山室静訳、新潮文庫、1951年 |
原著(デンマーク語) | Jens Peter Jacobsen : Niels Lyhne, 1880 |
作品概説 |
リルケがこよなく愛し、オマージュとして『マルテの手記』を執筆した作品。リルケつながりで、堀辰夫や三島由紀夫もヤコブセンに言及しているそうです。あと、最初に、主人公の現実派の父親と夢見がちな母親の話があるのですが、これなどは、トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』に影響を与えていそうです。実は、わたしが初めてドイツ語で読んだ北欧文学作品でもあります。留学中に課題がでたのですが、電車の中で読んでいると、お年を召したドイツ人男性が、生暖かい目で見守ってくれたことを思い出します。
『死と愛』という邦訳の題は、原タイトルにはないものですが、平凡ながら言いえて妙で、主人公ニイルス・リイネが愛した(この「愛」は、恋愛だけではなく、親子愛など、もう少し広いものも含みます)人々が、延々死んでいき、通底するテーマとして、ニイルスの無神論があります。わたしが普段読むものと毛色は違いますが、誰もが何かに強く憧れ、求めながら、それが決して満たされないまま終わっていくというのは、いかにも「北欧的」です。
一番印象に残った、ニイルスのおばエデーレの死の場面を引用してみたいと思います。ニイルスが幼少期に体験した死で、おばさんと言っても、エデーレは20代。コペンハーゲン社交界の花だったのが、胸を患って、ニイルスの暮らすレングボルグゴオルに療養に来ますが、本人は華やかなコペンハーゲンにあこがれ続けます。原文は旧漢字・旧仮名遣いですが、ここでは仮名遣いのみ旧にします。
窓の外では落日の光りの中で、白い花が薔薇のやうに真紅になつた。穹窿の上に穹窿が重なり、美しい花の群が、大きな薔薇の城、薔薇の大伽藍をなした。そのふわりとした円蓋を透して、たそがれて来た青い夕空が見える。そして金色の光り、紫金の焔が、この花の伽藍のすべての垂れた花環から流れでた。
エデーレは老人の手を取りながら、ひつそりと白く横たはつてゐた。静かに彼女は生命を吐きつくして行く。一息また一息、次第に彼女の胸のはづみは力弱くなり、彼女の眼蓋はいよいよ重たい。
「さやうなら――コペンハーゲン」それが彼女の最後のかすかなささやきであつた。
しかし、彼女の最後の挨拶は誰にも聞こえなかつた。それはただの吐息としてさへ彼女の唇を掠めはしなかつた―ひそかに彼女がそのすべての心を傾けて愛してゐたある巨匠への彼女の最後の「さやうなら」は。彼にとつて彼女は何物でもなかつた。崇拝者の群の中の、名だけは知つてゐても、あまり親しくない姿の一つにすぎなかつた。
光は青い夕闇に移りゆき、彼女の手は力なく離れ落ちた。蔭――夕暮れと死の蔭が、深まる。
叔父は寝台の上にかがみこんで、手を彼女の脈にあてた、静かに待ちながら。そして最後のかすかな血潮が波うつて、生の痕跡が消えた後、彼はその白い手を唇に押しあてた。
「かはいさうなエデーレ!」
著者のヤコブセンは、1847年ティステッド生まれ、1885年同地没。本業は植物学者で、ダーウィン『種の起源』を最初にデンマーク語訳した人でもあります。北欧文学史の中では、ストリンドベルイやイプセンと同じ、「80年代文学」に属します。本人も無神論者で、敬虔な恋人とは、結局結ばれないまま、沼に浸かっての植物学の調査で健康を損ない、38歳で亡くなっています。 |
その他の邦訳作品・関連書籍 |
・山室静訳『マリイ・グルッベ夫人』、新潮文庫、1952
・山室静訳『こヽに薔薇あらば―ほか八編』、角川文庫、1951
・矢崎源九郎訳『ここに薔薇ありせば―他五編』、岩波文庫、1953(前掲書とともに、有名な短編『モーゲンス』を収録)
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映像化 |
情報なし(何かご存知の方は、ご一報いただければ幸いです)
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リンク |
・Projekt Runeberg(北欧語原文サイト。ヤコブセンの原文がHTMLで読めます)
・Arkiv for Dansk Litteratur内ヤコブセン著作リスト(デンマーク語古典のファクシミリ版サイト。初版本がファクシミリ版で読めます)
・Projekt Gutenberg(ドイツ語古典のサイト。ヤコブセンのドイツ語訳が載っています) |