会社の義務
〜人を雇っている会社がしなければならないこと〜

起業したばかりの会社、労務の専門家がいない小さな会社では、登記や税金上の手続きと比較し、労働関係、社会保険関係については、対応に抜けがある場合もありそうです。
労働者の権利という視点から以前「労働基準法で認められている労働者の権利を正しく知ろう」という記事を書きましたが、本稿では人を雇うに当たって会社がやらなければならない基本的なことについて書きます。専門家のいない会社の経営者だけでなく、そのような会社に使用されている人も、自分の会社はどうなのかということで、読んでいただきたいと思います。

なお、必要なことが抜けていないかについて注意を喚起することが目的ですので、具体的な手続きや手法については書きません。担当官公庁やコンサルタントにお問い合わせください。また、業種や会社の形態により必要な手続きも異なります。本稿は人を雇用する限り、必要となることを書きますが、これだけ対応していれば十分ということではありません。くれぐれも注意お願いします。

  1. なぜいろんな法令で縛られているのか〜会社の社会的責任
  2. 会社がしなければならないこと  
  3. おわりに〜もう一度確認

1.なぜいろんな法令で縛られているのか〜会社の社会的責任

自分の作った会社なのだから、税金さえ納めれば、犯罪でない限り好きなようにやらせてくれても良いではないか。会社が嫌な人間は辞めれば良いのだから。と考える人もいるかも分かりません。あるいは雇用はあくまでも私人と私人の問題なので民法に従えば十分なはず。何故、国にいろいろ制限されなければならないのか、と疑問を持つ人もいるかも分かりません。確かに小泉政権以来、そのような考え方の経済学者、経営者、そしてそれらの圧力を受けた政治家が、雇用に関わるいろんな制約を”岩盤規制”などと称して、壊そうとしているようです。

そこで、まず何故、会社経営上、雇用や労働に関しさまざまな制約があるのだろうかを考えていみたいと思います。これを解説するためには労働法や社会保障の歴史についての深い知識が必要でしょうが、私は残念ながら持ち合わせていません。今まで勉強したこと、見聞きしたことに影響を受けてはいますが、あくまでも、私個人の考察であり、皆様も一緒に考えていただきたいと思います。

日本が目指す国を成り立たせるため

この問題を考えるのに出発点になるのは日本国憲法です。特に次の2つの条文でしょう。

第二十五条  すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
第二十七条  すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
○2  賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。

25条(生存権)でどんな国民も健康で文化的な生活を営む権利があることを認めています。我が国の国づくりの基本原理の一つです。この実現のためには27条で勤労の権利を保障しているのですから、まず国民が労働し自分で生活を成り立たせることが基本です。

従って国は雇用の安定を図ること、また労働者が生活を営むことができるようにすることに対し責任があります。憲法27条第2項に基づく労働基準法の第一条第一項は次のようになっています。

第一条  労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。

我が国は生存権を実現するため、国の姿として、雇用の安定や良好な労働条件を追及することを選んでいると考えます。従って、雇用の安定という観点から解雇は最大限制限されます。かつての終身雇用や年功賃金という形も経済原理ではなく労働者に安定した生活を与えるべくできあがった制度でしょう。我が国で会社を経営するということは、そのような国を作り上げる責任を分担するということです。

資本主義ですから、会社は当然利潤を追求します。その結果、良好な労働条件や雇用の安定に反することをする会社も出てきます。このため国は最低の労働条件その他の規則を定め、違反した会社には罰則等により対することになります。

使用者と労働者の対等原則

国が雇用関係に口を出す理由はもう一つあります。脅迫、暴力その他強迫的な方法で雇用関係を作ることは許されないのでそれを禁止するのは勿論です。しかしそればかりではなく一見平和的に決められたように見える雇用関係においても、ほとんどの場合使用者側に比べて労働者側が弱い立場にあります。労働者にとって意に沿わない労働条件であっても職を得るため止むを得ず呑むという場合も考えられます。引く手あまたの技術や高い実力を持っている人の中にはそれを否定する人もいるかも知れません。それは技術が無い労働者が悪い。資本主義社会では売るものが無い人間は低い条件に甘んじて当たり前だ。という具合です。それはほんの一握りの人の驕りですし、そのような人もいつ弱い立場の労働者になるか分かりません。使用者と労働者を対等な立場に置くことが必要であり、そのためには労働者側に保護が必要であるという考え方が我が国では基本となっています。具体的には、労働基準法等例え同意があっても反することが許されない強行法規の制定と、私法上は労働契約法等により民法を労働者に有利なように上書きすることで実現されています。

労働基準法
第二条  労働条件は、労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきものである。
労働契約法
第三条  労働契約は、労働者及び使用者が対等の立場における合意に基づいて締結し、又は変更すべきものとする。

2.会社がしなければならないこと

本論に入ります。前節の内容に賛成するかどうかとは無関係に、日本で会社を経営するうえでしなければならないことを違反した場合の罰則と共に列記します。繰り返しますがこれで総てとは限りません。
以降で法令名について次の略語を用います。

労基法:労働基準法
労基則:労働基準法施行規則
安衛法:労働者安全衛生法
安衛則:労働者安全衛生規則
徴収法:労働保険の保険料の徴収等に関する法律
雇保則:雇用保険施行規則
労災法:労働者災害補償保険法
健保法:健康保険法
厚年法:厚生年金保険法

また、事務所、商店や工場等の一般的な小規模事業所を考えます。小規模な農林水産業等は例外にされる場合もあります。また役員、親族、学生等の取り扱いは注意が必要な場合がありますが本稿では記述しません。

(1)人を一人でも雇う場合に必要なこと

【1】適用事業所の届
人を一人でも雇うと、労働基準法の適用事業所となります。所轄の労働基準監督署に「適用事業報告」を提出しなければなりません(労基法104条の2、労基則57条)。怠ると30万円以下の罰金の対象です(労基法120条)。

【2】労働者災害補償保険、雇用保険の手続き
人を一人でも雇うと原則労災保険の適用事業所となります。パートであろうが、外国人であろうが関係ありません。
同様に人を一人でも雇うと雇用保険の適用事業所となります。ただし所定労働時間が週20時間未満等適用除外になる労働者があります。
両者を合わせて労働保険と言いますが、人を雇ってから、あるいは事業所設置から10日以内に届けると共に(徴収法4条の2、雇保則141条)、それに伴う手続き、労働保険料の支払いを行う必要があります。これを怠った場合罰則も定められていますが実際上適用されているのかは不明です。届出をしなくても保険関係は自動的に成立してしまっているので、判明した段階で遡って保険料が延滞金、追徴金と共に徴収され(徴収法21条、28条)、徴収に応じない場合は税金同様に差し押さえ等が行われます。さらに労災保険の場合は労災保険の給付に要した費用の最大100%が事業主から徴収されます(労災法31条)。誰かが会社を辞めてハローワークに行った場合、実際に労災が発生した場合等には未届が判明することになりますので隠し通すことはできません。

関連しますが、就業中や事業場内の事故等で死亡はもとより休業が発生した場合、労基署に届けが必要です。特に4日以上の休業の場合は遅滞なく提出しなければなりません(安衛法100条、安衛則97条)。これを怠った場合はいわゆる”労災かくし”と言われる場合であり、50万円以下の罰金刑の対象になります(安衛法120条)。

【3】労働者名簿、賃金台帳の調整
労働者名簿、賃金台帳を作成し、各労働者について記入しなければなりません(労基法107条、108条)。記入する内容は労基法、労基則により定められています(労基法107条、労基則53条、労基則54条)。違反した場合は30万円以下の罰金の対象です(労基法120条)。

【4】残業、休出をさせる可能性がある場合
法定労働時間(一日8時間、週40時間)以上、また法定休日(週一日)に労働させるためには労働者の過半数を代表する者と労使協定を結び労基署に届け出なければなりません(労基法36条)。これをせずに時間外労働、休日労働をさせた場合は6か月以下の懲役又は30万円以下の罰金となります(労基法119条)。
フレックスタイム制等の変形労働時間制(労基法32条の2〜32条の5)や裁量労働制等のみなし労働時間制(労基法38条の2〜4)は勝手にできるものではなく、それぞれ定められた要件、手続きが必要です。
これらの規定に反することを、労働者個人の同意をとったり労働組合と話し合って取り決めても、そのような取り決めは無効であることは言うまでもありません。

なお平成31年4月から施行された働き方改革関連法により、労働時間規制が複雑なものになりました。詳細は「働き方改革法の複雑な労働時間規制」にまとめました。

【5】労働時間の把握
労基法上明示的に使用者に対し労働時間の把握の義務を定めた条文はありません。しかし法定労働時間、法定休日を超えて労働させてはいけないこと、また労使協定(36協定)がある場合も時間外労働、休日労働、深夜労働に対し法定以上の割増賃金の支払い(労基法37条)が義務付けられていることから、”使用者は、労働時間を適正に把握するなど労働時間を適切に管理するする責務を有していることは明らかである”(厚労省「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準について」)とされています。また賃金台帳には時間外労働・休日労働・深夜労働の時間数を記入しなければならないことになっていることからも(労基法108条、労基則54条)労働時間の把握は必須です。
また労災において精神障害や脳血管疾患、虚血性心疾患の認定基準の一つに時間外労働時間が定められています(平成22年基発0507第3号、平成23年基発1226第1号)。健康確保の面からも”使用者において適正な労働時間管理を行う責務がある”(前出「・・基準について」)とされています。

厚労省のリーフレット

うちは残業手当込みで賃金を払っているので(いわゆる固定残業制)残業時間の管理は必要ないという理屈は通りません。定額賃金の中に時間外割増賃金を含めることができるのは法定割増賃金を上回っていることが明確な場合のみであり、そのためには賃金のうち通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分が明確に判別されていること、実労働時間が前提とされている残業時間を上回った場合その分について差額を支払うことが必要です。(平成24年3月8日テックジャパン事件最高裁判決その他判例)。従ってこのような固定残業手当の場合も時間の管理は必要となります。

難しいのは管理職等労働時間の適用が除外(労基法41条)されている労働者の場合です。この場合も、深夜割増手当は支払わなければいけないこと、また前述の健康管理の面から労働時間の管理は必要とされています(前出「・・・基準について」)。一方、出退勤時間や勤務時間が厳格に管理されると、管理監督者性を否定する要素となり時間外割増手当の支払いが必要となりかねません。管理職については目的を明確にし、間違っても遅刻、早退等の管理にならないように運用する必要があります。

【6】定期健康診断
常時使用する労働者に対しては1年以内ごとに1回、定期健康診断を行わなければなりません(安衛法66条、安衛則44条)。雇い入れ時や海外派遣時等も健康診断が必要です。違反すると50万円以下の罰金です(安衛法120条)。
その他、業務の内容、使用する装置、薬品、業務の状況等により労働者の健康確保のためのいろいろな義務が定められています。

(2)社会保険の加入義務はどうなるか

健康保険、厚生年金保険のいわゆる社会保険は、強制的に加入しなければならない場合と、強制ではないが希望して加入する場合とがあります。ここでは前者のみ説明します。強制適用事業所と言います。以下は強制適用事業所ですので社会保険に加入することは義務となります。

法定17業種は健保法3条3項、厚年法6条1項に記載がありますが事務所や工場を持つほとんどすべての業種が対象になると考えて良いです。除外されるのは、農林水産業、旅館、飲食店、映画館、理美容業、宗教業等のみです。
届出(健康保険・厚生年金保険新規適用届、被保険者資格取得届等)を怠ると6月以下の懲役又は50万円以下の罰金となります。また加入義務は要件が満たされた時点で発生していますので、原理的には遡って保険料を徴収されることもあり得ることになります。
社会保険の適用を逃れている会社は少なくないといわれています。健康保険、厚生年金の財政の問題もありますが、それよりも労働者が老後に厚生年金をもらえないということが大きな問題です。
平成27年2月22日付、23日付で一部マスコミが、厚労省が国税庁のデータから適用逃れをしている会社80万社 を割出し、今後指導強化を行い強制的に加入させる方針であることを伝えました。情報の出所が分からないので、正確な内容は分かりませんが、以前から強く問題視されており、また平成28年10月からは社会保険の適用範囲が拡大されることも考えると、今後厚労省の摘発・指導が強まることは間違いないものと思います。

(3)人が増えてきた場合にしなければならないこと

【1】就業規則の作成と届出
常時使用する労働者(パートやアルバイトも含む)が10人以上になった場合は、就業規則を作成し労働基準監督署に届け出ることが必要です(労基法89条)。この時には労働者の過半数代表者の意見を書面で添付する必要があります(労基法90条)。これに違反した場合は30万円以下の罰金です(労基法120条)
就業規則で定めなければならない最低限の事項は労基法89条で定められています。

人を雇うということは雇用契約(労働契約)を締結することです。労基法15条では労働契約の締結に当たっては労働条件を明示することが義務となっています(違反した場合30万円以下の罰金)。一方、労働契約法7条において”使用者が合理的な労働条件が定められている就業規則を労働者に周知させていた場合には、労働契約の内容は、その就業規則で定める労働条件によるものとする。”となっています。従って明示的な労働契約を結ばない場合は就業規則は労働契約の内容を定めるものとして重要な意味を持ちます。

【2】安全衛生上の体制
常時10人以上の労働者を使用する場合、安全衛生推進者又は衛生推進者を置かなければなりません。(安衛法12条の2)
50人以上になると衛生管理者と産業医および業務によっては安全管理者を選任し、労働基準監督署に届けることが必要です(安衛法11条・12条・13条、安衛則4条・7条・13条)。また衛生委員会等の設置が必要です(安衛法17条、18条)。
これらに違反した場合50万円以下の罰金の対象です(安衛法120条)
なお建築業や造船業のように請負関係がある事業については別の規則が定められています。

3.おわりに〜もう一度確認

起業したばかりの小さな会社を想定して書きました。繰り返しますが、本稿の目的は注意喚起であり、これだけ対応すれば十分というものを数え上げたわけではありません。また、業務の内容や状況により、また会社で定めるルールにより重要な規定がある場合もあります。例えば健康管理上特に注意すべき業務の場合、18歳未満の労働者を雇用する場合等々です。本稿では、どの会社にも当てはまる最大公約数的な手続きのうち、主要なもののみ書きました。

また、罰則を記載したのは法令上義務となっていることを明示するためです。実際には、法令に沿った運営をしなければ、行政官庁の指導や、社員からの損害賠償請求等もあることに留意が必要です。また法令に反しなければ何をしても良いというわけはありません。雇用契約を結んでいることから発生する民法等私法上の義務があります。従業員の健康や安全に対する配慮を行うこと、セクハラ・パワハラの防止等従業員が働きやすい環境を整えること等は当然の義務とされます。これらに反した場合は不法行為や債務不履行が問われることになります。

初稿2015/3/4
記述追加2015/3/12
法改正対応2022/11/24