高雄英雄伝説!


愛河の夜景

蓮池潭から高鉄・左営駅へはタクシーで戻る。
だって思ったより蓮池潭で時間使っちゃったんだもん。

左営から高雄市内へはMRTに乗って移動。
台北では地下鉄に乗らなかったから、台湾で地下鉄乗るのはこれが初めてだ。ちょっとだけ鉄子(女子の鉄道オタク)気分。

駅の自動券売機で切符ならぬプラスチック製のトークン(コイン)を購入
買い方はいたってシンプルで、タッチパネルで行き先と人数を選んだら、表示された金額を入れるだけ。

おもちゃみたいなトークンだけど、ICチップが埋め込まれおり、センサーにタッチすると入場ゲートが開き、改札の中に入れるのだ。
Pi-子隊長:切符よりこっちのがゴミがでなくてエコだね。
ピッキー:記念に持ってかえろうかな。
(もちろん乗る分とは別途購入)

地下鉄で市内をぶらぶらするなら一日乗車券や二日乗車券、チャージして何度でも使用可能なプリペイド式の乗車カードなどもあります。
なお、台北の地下鉄もトークン式ですが、高雄の地下鉄のトークンは使えませんよ。

券売機トークン(左上)と改札
るむ:どこで降りるんだっけ?
Pi-子隊長:「中央公園」駅。
るむ:中央公園?なんか日本みたい。

ちなみにこの電車の始発駅は「南岡山」です。

地下鉄を降りて、改札を抜けると「中央公園」という駅名の通り中央公園に出るので、そこをつっきって、ひたすら歩く。
ピッキー:今日のお宿は駅から遠いんだっけ?
Pi-子隊長:うん、歩いて10分ちょいぐらいかな?でも、なかなか楽しそうな宿だよ。
るむ:台北で泊まったみたいなゲストハウス?
Pi-子隊長:いや、ちゃんとしたホテル・・・だと思う。公共施設になるんだろうか?値段は昨日のゲストハウスとそんな変わらないのに、なんと デラックスルーム「豪華和室部屋」なのだよ。
ピッキー:へぇ〜、で、ホテルの名前は?
Pi-子隊長:ふっふっふっ。その名も「國軍英雄館」。どうやら台湾の軍の施設らしい。
るむ:え〜、そんな所に外国人が泊まってもいいの?
Pi-子隊長:うん。いろいろネットで見てたらここに泊まったっていう人(日本人)のブログもあったし、試しにと思って申し込んだら、 何の問題もなく予約できたんだよね。あ、見えてきた。たぶん、あの茶色の建物。


高雄市國軍英雄館豪華和室部屋(笑) 寝室は別にあります

るむ:たしかにデラックスルームだけど、どこが和室なの?
Pi-子隊長:日本の「和室」のイメージじゃないけど、寝室が「フローリング+ふとん」だからなのかな?

日本人からすると「和室=畳部屋」ですが、台湾の気候は畳に適しないからかフローリングの部屋を和室と称される(和室地板)ようです。
中国でもそうですが、台湾でもイス&ベッドの生活をしており、床に直接座ったり寝転んだりするのは基本的に「行儀が悪い」とされるのです。
しかしながら、台湾では半世紀の及ぶ日本統治時代のなごりからなのか、フローリングの部屋にふとんを敷いて寝室としている家もあるんだとか。

ピッキー:おおっ、向かいには女子高があるぞ!このホテル、ちょっと駅から遠いけど立地は最高だな。
なにをもって「最高」なのかさっぱりわかりませんが・・・(-_-;
下にはコンビニが入っているし、夜景スポットとして有名な愛河が近くにあるし、MRTから遠いとはいえ、歩ける程度なので確かに立地はいいと思います。

ちょっと一休みしたので、高雄の街に出てみましょう。

英雄館を出て、左に100mぐらい進むとバラカトリック教会堂(玫瑰天主教堂)がある。
1862年に完成した台湾で最も古いカトリックの教会です。
ゴシック様式の塔、ステンドグラス、バラ窓などの建築スタイルを用い、灰色と白のツートンの外観がシックで良いです。
(蓮池潭の龍虎塔を見てきたばかりなだけにつくづくそう思うのかもしれませんが)

ちょっと中に入ってみると中央に微笑みをたえたマリア像、その両側にはクリスマスツリーが飾られている。
Pi-子隊長:そっか、今日はクリスマスだもんね。
るむ:夜になったらクリスマスミサしてるんじゃない?
Pi-子隊長:クリスチャンじゃないけど、ちょっとのぞいてみたいね。




教会内部 夜のミサの様子
バラカトリック教会堂(玫瑰天主教堂)

バラカトリック教会堂を出て、これまた100mぐらい移動すると愛河に出る。
日本統治時代は高雄川と呼ばれていたのですが、戦後になって蒋介石が宋美齢夫人の誕生日を祝し"仁愛河"と改名。
正式には今も"仁愛河"という名前ですが、両岸には公園、遊歩道、サイクリングロードなどが整備され、おしゃれなカフェなんかもあるものだから、 格好のデートスポットで、いつも恋人たちでにぎわっていることから、"仁"がなくなって"愛河"という通称が定着してしまったのだとか。

Pi-子隊長:夜はカップルだらけになりそうじゃん。クリスマスだし。
るむ:あ、でも、台湾ではクリスマスって日本みたいにカップルの日じゃなくて、仲間とわいわいやる日なんだってさ。
Pi-子隊長:そうなんだ。


愛河沿いに歩いて行き、お次はほとりにある高雄市立歴史博物館へ。
その名の通り高雄の昔も今もわかるという博物館ですが、実は日本にも深く関係している建物なのです。


歴史博物館正面 「高」の字に見える?
愛河

Pi-子隊長:ここ、もともとは日本が市役所として建てたんだってよ。
日本統治時代の1938年に清水建設により建設開始。
1939年に完成してからは高雄市役所の庁舎として、1945年以後(戦後)は高雄市政府の庁舎として使われていたが、1992年に現在の場所(四維路)に移転してからは 高雄市の歴史資料を保存する為に再利用する事となり、1998年に高雄市立歴史博物館として正式に開館したのでした。
ピッキー:ふ〜ん、そうなんだ。
Pi-子隊長:正面から見ると高雄の"高"って字が見えるようになってるんだって。


るむ:日本って台湾でいろいろ建てたんだね。
Pi-子隊長:建物だけじゃなくて「高雄」っていう地名だって、日本人がつけたんだよ。

歴史博物館に来たついでに「高雄」の名前の由来をお勉強。
由来は諸説ありますが、その一つはこの土地にもともと住んでいた原住民平埔族がこの地を「Takau」と呼んでいたのを、中国大陸からきた漢人が 音を漢字にあてて「打狗(ダーゴウ)」としたのだが、その後に来た日本人が「打狗=犬を殴る」という意味では都市名としてふさわしくなかろう、 という理由で、日本の読み方でもとの「Takau」に近い「高雄(タカヲ)」という表記に変えた、とのこと。
ちなみに中国語で読むと「高雄」は「ガオション」となり「タカオ」とは似ても似つかないのですよ。

るむ:中、入るでしょ?
Pi-子隊長:そうだね、でも時間的に大丈夫かな?

現在4時半、閉館まであんまり時間がないけど、行くだけ行ってみますか。

Pi-子隊長:すみません、入場料はいくらですか?
受付のオバちゃん:無料よ。どうぞごゆっくりご覧ください・・・って言いたいとこだけど、あと30分で閉館だからあまり時間はないわよ。

全身から「早く帰りたいオーラ」を放出しているオバちゃん。
ええ、よく分かってますとも。正確には閉館時間=帰宅時間なんですよね。

Pi-子隊長:じゃあ、30分でささ〜っと見ちゃいますよ。
もともと外観が見たかったので、中はついでみたいなもんだったし

1Fは主に歴史関係の展示です。
高雄の地層など、自然科学的な説明から、古代→オランダ植民地時代→清朝の支配→鄭成功時代→日本統治時代→太平洋戦争→日本の植民地支配から解放→228事件、と台湾の歴史が学べます。

       展示してあった昔の龍虎塔(?)の写真
       当時は龍と虎の像がなかったんですね
    日本では昔、電話は黒でしたが、台湾では赤だったん
    でしょうか?

るむ:228事件って何?日本の「226事件」なら知ってるけど。
Pi-子隊長:う〜ん、日本の支配が終わった後、大陸からやってきた国民党政府&国民党軍(外省人)と前から台湾にいた人々(内省人)の間で起こった争い ・・・ってことしか知らない。


Pi-子もよく知らないので、ちょっとここで台湾の近代史と228事件について勉強してみましょう。

1683年に清朝が台湾を制圧した後、台湾は福建省の一部となっていたが、1895年、日清戦争の結果、下関条約により日本に割譲。
以後、第二次世界大戦後の1945年10月25日中華民国統治下に置かれるまでの約50年間は日本が統治していた。

中華民国が占領統治をすることになった当初、多くの台湾人が「祖国復帰」を喜び、大陸から来た国民党政府の官僚や軍人らを歓迎したが、当時の国民党は内戦に次ぐ内戦で行政能力と言うのは余り無かった。
官公庁の主要ポストは大陸から来た軍人・官僚者が占め、台湾人への強姦、略奪、強盗殺人などは日常的だったが、犯人が罰せらることは殆どなかったという。


 228事件発生時、建物から逃げるのに
 使われた扉
また、台湾の食料・資材などが官僚らの手によって接収・横領され、ほとんど大陸へ運び出された為、台湾の物価は高騰、インフレによって企業の倒産が相次ぎ、失業者、ひいては餓死者も出るようになった程だった。
当時の台湾人たちは「犬去りて、豚来たる」(犬(日本人)は番犬にもなるが、豚(国民党)はただ貪り食うのみ)と揶揄した。
それほど台湾人は国民党政府、軍に対して失望し、怒りは暴発寸前までになっていたのだ。

そして「228事件」が起こる・・・
1947年2月27日の夜、台北市でヤミタバコを販売していた女性を憲兵が摘発したことから始まる。
女性は許しを懇願したが、取締官は女性を銃剣の柄で殴打し、商品および所持金を没収したのである。
翌日の2月28日、抗議のデモ隊が市庁舎前へ大挙して押しかけた。
しかし、国民党政府側は強硬姿勢を崩さず、憲兵隊が市庁舎の屋上から機関銃を据えて、非武装のデモ隊へ向けて無差別に掃射を行った為、多くの市民が殺害され、傷を負った。
そして市民の怒りが遂に爆発。
2月28日から始まったこの事件をきっかけに、暴動は台北だけでなく、全国的規模に広がった。

事件は高雄にも飛び火し、3月3日には高雄市内で騒乱と官庁への攻撃が始まった。
市議員や地方有力者たちは事態の収束に当たろうと、3月6日市政府建物内(つまり、ここ)に集まっていたところ、軍に包囲・攻撃され、多くの台湾人(内省人)が殺害された。
(高雄市立歴史博物館の1F奥の扉には「228事件発生時、建物から逃げるのに使われた扉」と表示されてます。建物自体が博物館ですね。)

暴動そのものは大陸からの援軍を得てまもなく鎮圧したが、この事件を契機として、台湾人インテリを対象にした「虐殺」が始まった。
知識人というだけで捏造された罪で多くが殺害され、その正確な人数はわからないという。

事件の際に発令された戒厳令は40年後の1987年まで継続し、その間、多くの台湾人が投獄、処刑され、国家安全法によって言論の自由が制限されていた。
台湾の「民主化」が実現するのは、李登輝総統が1992年に刑法を改正し、言論の自由が認められてからのことである。

・・・けっこう最近のことなんですね。

アナウンス:まもなく閉館の時間になります・・・
ちょっと早いような気もしたけど、一通り見回ったからいいか。

こうしてほぼ強制的に博物館から追い出された我々。
Pi-子隊長:5時か・・・半端な時間だな〜。夕食は旗津へ行ってシーフード、と思ったけど、まだちょっと時間が早いよね。
るむ:そこにはどうやって行くの?
Pi-子隊長:島なのでフェリーで。フェリーターミナルはこの辺かな?
(地図を指差す)
ピッキー:地下鉄の駅、1駅半分ぐらいか・・・散歩がてら歩いて行ってもいいんじゃん。
Pi-子隊長:食事前だし、少し動いた方がいいかもね。



     フェリー乗り場までぶらぶらしている時に見かけた
     かなりレトロなバイク修理屋
バーバー「男光」 かっこいい!(?)

約30分ぐらい・・・途中休憩してたからもう少しかかったな。
鼓山輪渡站(フェリーターミナル)に着いた時には日が暮れて夜景がいい感じになっていた。

ピッキー:券売機とかないけど、どこで切符買うの?
Pi-子隊長:どこだろうね?行列もできてるし、とりあえず並んでみて、まわりの人の行動に合わせてみよう。

で、とりあえず並ぶ。

旗鼓から戻ってきたフェリーが接岸すると、乗客とバイク・自転車などがドッと降りて来る。
フェリーは小さいので車は×ですが、バイク・自転車はOKなのですね。

降りる人の流れが終わると乗船開始。
そういえばまだ切符買ってなかったっけ・・・と並んでいる人々を見ていると何やら募金箱のようなものに10元を入れている。
なんかごまかせそう・・・と思うが、日本円にして約30円だし、ズルいことしている人もいなさそうなのでちゃんと10元を入れて乗船。
(いや、ごまかしたりなんかしちゃいけませんよ)

2F建てになっているフェリーは1Fがバイク・自転車、2Fが人のための乗船スペースとなっています。

一番前の席をゲットするが・・・
Pi-子隊長:窓が汚い。
るむ:そうだね〜、私デッキに出てる。
ピッキー:オレも外で写真撮ってる。


・・・と、結局全員デッキに出ることに。
ほんの5分で着いちゃうしね。

かなり年季が入ったフェリー1Fはバイク乗ったまま

船上からの高雄の夜景旗津輪渡站(旗津フェリーターミナル)

あっという間に対岸の旗津へ到着。
着いたらバイクに気をつけながら(フェリーからバイクも人も同時に出てくるので本当に危ない)右へ進み、高雄市政府警察局の前を通ってまっすぐ行くと天后宮が見えてきた。
無数の提灯が吊り下げられているので分かりやすい。

旗津天后宮は高雄最古の寺廟。
1673年に中国福建の漁民が台風に襲われ、旗津に流れ着き、この地が漁業や生活に適しているのを見て、多くの親族を呼び寄せてここに定住したと言われています。
その際に資金を募って建てたのがこの媽祖廟。
「媽祖(マズ)」とは海の女神様で、航海や漁業の守護神として祀られています。

小さいけれど、かなりにぎわっています。
現在においても地元住民の篤い信仰の対象になっているのですね。

媽祖が祀られてる旗津天后宮赤い提灯が幻想的

天后宮を過ぎて真っ直ぐいくと海鮮レストランとお土産屋さんが両側にずら〜っと並んでいる。
「小姐、おいしい魚がいっぱいあるよ!」「先生、新鮮なシーフードはどうだい?」どこのお店も、店員さんが並んで熱心に客引きをするが、意外にも淡白な客引き。
これがインドならフェリーを出た瞬間、客引きがドッと押し寄せて、身動きできないぐらいのカオスな世界に堕とされるのだろうが・・・

Pi-子隊長:どこにしようかね?
ピッキー:どこも似たり寄ったりだな。

どこのお店も店頭に生簀、あるいは氷の上に魚介類がずらりと並べられ、その中から選ぶシステムになってるらしい。


新鮮な魚介類がずらり
所狭しと並んでいるのでいる飲食店

るむ:ここ、どうかな?店内にそこそこ人が入ってるし。
Pi-子隊長:そうだね、え〜と、オーダーは・・・
店員:はい、何にしますか?

躊躇するまでもなく店員の小姐(お姉さん)が話しかけてきた。

Pi-子隊長:え〜と、とりあえずこれとこれ・・・(魚の名前が分からないので全部「これ」)
店員:調理方法はこっちのはXXXで煮て、そっちのはXXXで焼くのでいい?
Pi-子隊長:いいよ〜。

魚介類の値段は基本的に「時価」で、1尾、1匹ではなく、1斤(約600g)あたりの値段が基準になっています。
調理方法は物によってだいたい決まっているようですが、自分の好みで交渉してみてもおもしろいでしょう。
また調理代金は食材費に含まれていることが一般的だそうですが、念のために先に確認しておいた方が安心してご飯が食べられるかもしれません。

一通りオーダーを終えると奥にある店に案内された。
るむ:味付けはどうしたの?
Pi-子隊長:いや、実は細かい味付けがよく分からなかったから・・・おまかせってことで。
 (^o^;)

店員:おまたせしました〜

たいへんおいしゅうございますこちらのお店でいただきました


調理されて出てきたものは、どれも「たいへんおいしゅうございます」でございました。
とんでもない味付けのものがなくてよかった。

るむ:お腹いっぱい〜
Pi-子隊長:食べたね〜。帰りは海沿いに歩いて帰ろうか〜
ピッキー:景色もよさそうだし賛成〜


少々食べ過ぎたので全員一致でフェリーで戻ってからお宿(英雄館)までは徒歩で戻ることに。
港から愛河沿いにぶらぶら。12月だってのに寒くないからいいね。

名前の通りロマンチックな愛河の夜景一昔前まではドブ川だったなんてねぇ

なんとも穏やかでロマンチックな夜景です。
この愛河、数年前までは工場排水や家庭用排水で汚染され、悪臭を放つ「ドブ川」だったのだそうです。
しかし1985年から水質汚染対策計画が策定され、下水道の整備や、緑地化整備により少しずつ美しい川に生き返ったのです。

Pi-子隊長:日本だったら、今日(クリスマス)なんてカップルだらけなんだろうけど、本当に台湾では見かけないね。
るむ:本当に仲間が集まる日なのかね。
周辺には数十人のサークルもどきが何かゲームをしていたり、女の子だけのグループ、男女混合グループもあったけど・・・なんか健全な感じなのよね。

愛河とその周辺の写真撮影を終えたら、ホテルに帰還。
あ〜、今日は1日よく歩いた。

(Pi-子)

本日のお宿 : 高雄市國軍英雄館
予約はこちらからしました →



(お役立ちリンク)
高雄捷運(高雄MRT)
2007年10月から開通した高雄MRTのサイト。路線情報、切符の紹介などが載っています(中国語、英語)
高雄市立歴史博物館
高雄市立歴史博物館の公式サイト。普通に特別展示・常時展示の案内などの他に、台湾の古い写真がネット上で見られます。
(最ININ服務→高雄老照片→記憶高雄) 228事件のことも詳しく載っていますが、残念ながら日本語はありません。(中国語、英語)