富士登山 その後


昭和初期の富士登山写真

Pi-子隊長:これ、るむさんのお婆さんが富士山へ行った時の写真(上)なんだ。いつぐらい?
るむ:昔のことだからおばあちゃんも正確な年は分からないみたいだよ。女学校時代に言ったと言いつつ、20歳は過ぎていたと言ってみたり。 でも、20歳は過ぎてて女学校の制服着てたらコスプレじゃん。
(笑)
Pi-子隊長:え〜、るむさん、お婆さんコスプレ好き?(笑)
明治時代にセーラー服は体操服(セーラー衿のついた上着と、膝丈のブルマー)としてスタートしたというので昭和初期もその影響があったのか
はたまた、富士山は信仰の対象となっているので頂上は正装で行かなきゃ!正装=女学校の制服、ということになったのか?
るむさんのおばあさんも覚えていないのに、私たちにそれが分かるワケもありません。
(「世界制服宣言」ではありませんので。悪しからず。m(_ _)m )

ピッキー:すごいね〜、この写真は貴重だよ!
Pi-子隊長:写真が残っていることもすごいけど、何がすごいって、服装もだけど、足!これワラジだよねぇ?昔はこれしかないとはいえ、ワラジで登って降りてくるってすごいよ!
るむ:もっとすごいのは、当然ながら1合目から登ってて、その後、鎌倉行ったって話だよ。タフだよね〜

そりゃ「スバルライン」なんてない頃の話だもんね。

Pi-子隊長:うちのお父さんも40年ぐらい前かな?富士山に登ってて、その時は下山専用のワラジがあったみたいだけど、それはあくまでも靴にとりつけるようなヤツ だったと思うよ。スバルライン完成して5合目からだったし。
るむ:おばあちゃんの時は下山はゴザで滑って降りたんだって。
ピッキー:ゴザで降りれれば最高だろうけど、昨今の富士登山ブームじゃ人が多すぎてムリだろうな。
Pi-子隊長:今年(2010年)の夏は富士登山者が25万人を越えたんだって。空前の富士山ブームだよ。おかげで山小屋がたいへんだった。
るむ:私が行った時(2〜3年前?)もすごかったけど、今年はもっとすごかったんだね。

Pi-子隊長:トイレの整備をしたのがよかったのかもね。女性が行きやすくなったのかも。1回入るのに200円はちょっと高かったけど、あれだけきれいならしょうがないって思うよ。
るむ:それに最近じゃ「山ガール」とか流行ってて、若い女の子がアウトドア志向なのかもしれない。
Pi-子隊長:それは言えてる。若いお嬢さん方は例外なくスカート&スパッツの山ガールだった。
るむ:お父さん&お母さん世代は山ブームだしね。うちらの下の世代と上の世代がすごいんじゃん。

Pi-子隊長:あと、外人さん。5合目は中国人がいっぱいだったけど、上まで登ってるのはわりと欧米系が多かったかな。

中国では大阪→富士山5合目→東京(もしくはその逆ルート)というパックツアーが人気みたいです。
るむ:そうかも。でも外人さんは信じられないぐらいの軽装備で登っている人がいるよね。人種が違うからか、情報がないのか分からないけど。
Pi-子隊長:うんうん、頂上で半そで+短パン+ビニールのスケスケレインコートで震えてる外人さんがいた。欧米系でガタイがいいだけに笑えた。 本人にしてみれば笑えないんだろうけど。

ピッキー:富士山ブームってのは何年かごとに繰り返されていて、江戸時代にも幕府が規制するぐらいのブームがあったんでしょ?

そうそう、それで江戸各地に作られたのが「富士塚」
富士山に模して造営されたミニチュア富士山のことで、そこに登れば富士登山と同じぐらいのご利益があると考えられてたんだとか。
今でも都内数箇所で富士塚は見られますし、登れます。("パワースポット巡り"
ご参照)

Pi-子隊長:あ、しずるから、メールだ。


送信者 しずる

件名 富士山

ちは!
富士登山、お疲れさまでした。m(_ _)m
本当、兎に角疲れたとも。

山頂ではまる子さんとピッキーが体力あってすごくて、それに比べたら私は子ウサギのように体力なしこのひ弱いわ〜と思った。
ああ 基準が下(こなつ、ねじき)すぎて 体力過信してたわと、苦しい息の下、反省してました。


Pi-子隊長:子ウサギ!?それは違う、激しく違う!!(怒)
るむ:まぁまぁ。 (^o^;


イメージとしてこんな感じでしょうか?(撮影:ピッキー)

(メール続き)

頂上は原宿のように混んでましたね。
きっと、静岡県、山梨県で一番混んでるはずです。

でも綺麗でした。
天気がよく峰の美しさは東山魁夷(ひがしやま かいい)の絵もかくや…な感じで眼福でした。


るむ:東山魁夷(ひがしやま かいい)って?
Pi-子隊長:さぁ?


東山 魁夷(ひがしやま かいい)とは昭和を代表する日本画家の一人といわれる。文化勲章受章者。千葉県市川市名誉市民。
画集のみならず文章家でもあり画文集など、著作は数多い。(wikipediaより抜粋)


御朱印帳(富士山頂限定)
奥宮御朱印

(メール続き)

浅間神社にお参りもでき念願の目的達成です。
木、一本まともに生えない日本一高い場所にある神社に桜の女神(このはなのさくやひめのみこと)を祭った日本人のご先祖様の意識に惚れます。尊敬します。日本人の子孫である事が嬉しくなります。
そう思うと日本人のイデオロギーも感じちゃったことになります。

しかし、下山は二時間、三時間降りて、まだ雲の上・・・には疲れました。
足元が悪くて装備の悪い外国人が転び、日本人も転び、Pi-子も転び、健気な1人参加の初老のおじさんも転んでました。
ああ、私は転びませんでしたよ。
砂ぼこりが舞い、全員不審人物のような装備ですごかったね。(^_^;

景色は唯一の慰めでした。
とはいえ、見ていた物といえば、足元、足元、連れ(不審者装備)、時々景色!という感じではありましたが。


浅間神社(せんげんじんじゃ)は富士山を神格化した浅間大神(あさまのおおかみ/火山の神で女神)と木花咲耶姫(このはなのさくやひめのみこと)を主祭神として、 木花咲耶姫命の父神である大山祇神(おおやまつみのみこと)や、夫神の邇邇芸命(ににぎのみこと)、姉神の磐長姫命(いわながひめのみこと)を配祀しています。
元々の祭神は「浅間大神」だったようですが、いつの頃からか、神話に登場する木花咲耶姫命と同一視されるようになり江戸時代に定着したのだそうです。
現在でも浅間大神と木花咲耶姫命は明確に区別されてはおらずほぼ習合した状態です。

浅間神社は日本各地に約1300社が鎮座していますが、静岡県富士宮市に鎮座する富士山本宮浅間大社が総本宮とされています。

頂上には奥宮、久須志神社の二社が鎮坐していていますが、共に浅間神社の奥宮で、八合目以上はその聖域にして境内になっているのです。
(2ページ戻ってもらうと、本八合目に"これより浅間大社境内"の石碑がありますよ。そこは聖域との境だったんですね。)
静岡県、山梨県のどちらの県にも属していませんが、山頂の地番は「静岡県富士山無番地」なんですって。
ちょっとトリビアでしょ?

るむ:そういえば、しずるさんが頂上の神社に行きたいってところから始まったんだよね、今回の富士登山計画。Pi-子さんも神社行ったの?
Pi-子隊長:いや、寝不足とエネルギー不足で行かなかった。神社と剣が峰にはちょっと行っておけばよかったかな〜と思うけど、その為にもう1回登る気にはならないかな。



(メール続き)

それにしても晴れて良かったよね。
Pi-子のHPで過去旅を先日見せてもらいましたが、ほぼ雨じゃん!
もし雨だったら、地獄絵図でしたよ。
Pi-子、眉間にしわのよった笑顔で当分みられたはずだよ。

今しみじみ 思い返すと自然の大きさを厳しく学ぶところだね。
老若男女、恐ろしいまでに全く公平平等です。
凄い存在感でそこにあり、圧倒させました。
そういうところだから、人は自分に責任をもって、助けあって、弱い人には気を使うのよね。
全く富士山、凄い山です。
「一度も登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」という言葉のがあるそうだけど、同感です。

富士山は苦しくも私にとっては30代のよき想いでとロマンです。


ピッキー:何言ってるんだよ、剣が峰こそ3776mの富士山最高峰、日本の最高地点!もう1回登っても行く価値があるんだよ。オレはもう1回登りたいな、富士山!
るむ:そうだよね。私も話聞いてたら登りたくなって来ちゃった。来年は海外の友だちが富士山、登りに来る予定だし、私も登ろうかな。

な・・・何なの?この話の流れは?('-';)

"二度登る馬鹿"になるか否か・・・それは来年に続く(んだろうか?)

(Pi-子)




(お役立ちリンク)
学生時代にお世話になった人も多いはず。トンボ学生服のサイト。「ミュージアム研究室→学ぶスタイルの変遷」で制服の遷り変わり、本文にちらっと書いた セーラー服体操服の記事があります。
市川市東山魁夷記念館
東山魁夷が生涯の大半を過ごした千葉県市川市に建てられた記念館。「収蔵作品」から数点の絵を鑑賞することができます。
「風景は心の鏡である」という東山芸術の世界を存分にお楽しみください。