新宿

2010年、5月のとある晴れた日、午前10:00ちょい過ぎ、新宿の花園神社よりそれは始まった。

Pi-子隊長:おはよ〜、ごめん、ちょっと遅れた〜。
待ち合わせは10:00でした。
まる子:おはよう。大丈夫、私もさっき来て、境内をぶらぶらしてたところ。
Pi-子隊長:大将が昨夜からうちに来てて、出る直前まで「みんなでゴルフ」(ゲーム)やってたから遅れちゃった。
(申告は正直に)
ピッキー:おはようございます。お待たせしてすみません。
Pi-子隊長:いや〜、アツい戦いだったからね。大将もプレステ3買っちゃえばいいのに。
大将:う〜ん、買うほどじゃないかな。ところで今日は「パワースポット巡り」?そもそもパワースポットって何?


パワースポットとは「良い波動(エネルギー)を持っている場所」、風水的に言えば「龍脈が通っている所」ということらしいです。
ちなみに龍脈とは「大地の力が走る路」のことをいい、高く大きな山脈ほど、巨大な「龍」 が走っていると考えられています。

Pi-子隊長:分かりやすく言えば、大地からエネルギーがもらえる充電ポイントってところ?科学的な根拠はないみたいだけどね。
大将:で、「花園神社」ってパワースポットなのか?

そう思うのも無理はない。だって、場所的に日本で一番有名な歓楽街「歌舞伎町」がとなりにあるし、都会の真ん中だもんねぇ。
まる子:あ、それについてはこの間勉強した本に書いてあった。最近占いの勉強始めたんだ。


花園神社の大鳥居
花園神社は、徳川家康の江戸開府(1603)以前から新宿の総鎮守として重要な位置を占めるパワースポットです。
もとは今の伊勢丹デパートの付近にあったのですが、寛政年代に朝倉筑後守という旗本がこの周辺に下屋敷を拝領したため、現在の場所を拝領することになりました。
その場所は、徳川御三家(将軍家に次いで格の高い尾張藩・紀州藩・水戸藩)の尾張藩下屋敷の庭の一部で、たくさんの花が咲き乱れる美しい花園の跡に移転したので、 社名を「花園稲荷神社」としたとされています。
昭和40年に、現在の本殿(コンクリート製)に建て替えられる際に、それまで末社だった大鳥神社を本殿に合祀したことから「花園神社」が正式名称となりました。

ピッキー:へ〜。
まる子:また、江戸の昔から芝居や舞踊の興行に縁が深かったため、"芸能"の神社としても有名なんだって。

大鳥居から右手奥にはひっそりと「芸能浅間神社」が祀られています。
奉納者には多くの芸能人の名前が見られ、宇多田ヒカル・母、藤圭子さんの歌碑がお社の隣に建っています。
芸能浅間神社は御祭神は木花咲耶姫命(コノハナノサクヤヒメ)で、何やら富士山にもご縁がありそう。

まる子:絵馬を見ると芸能界絡みのお願いがあるよ。
ちょっと失礼して絵馬を見てみると・・・

「お仕事がいっぱい来ますように!目指せ売れっ子声優!!」

「今年中に人気のあるアニメかゲームの大役をつかみ、声優としてブレイクする!そのためにレギュラーを確実に決めて増やす!!」

「TVとラジオと雑誌の仕事が毎月5本づつ入りますように」

Pi-子隊長:漠然とした願い事から、細かいのまでいろいろあるね〜。声優志望者が多いのかな?
なかにはこんなお願いも・・・

「2人の幸せな時間と思い出がいっぱい残りますように。バレませんように!

Pi-子隊長:バレませんように・・・って不倫かな?
まる子:歌舞伎町近いしね〜。大人の事情がいろいろあるんじゃない?


もとの社名が「花園稲荷神社」だっただけに、境内にはお稲荷さんもあります。

願い事いろいろの絵馬 威徳稲荷神社


Pi-子隊長:じゃあ、そろそろ次の目的地へ・・・あ、るむさんからメールだ。
ピッキー:今どこだって?
Pi-子隊長:もうすぐ新宿だって。場所は分かるらしいから次の目的地「太宗寺」で待ち合わせにしよう。


花園神社を出ると、明治通りを越え、靖国通り沿いを歩き、新宿2丁目へ。
大将:この辺は昔ながらの新宿が残ってる感じだな。
ピッキー:古いバーとかクラブとかって昭和な感じがするよ。
まる子:この時間はひっそりしているけど、夜はすごいだろうね〜。


 新宿2丁目でお父さん犬(ソフ○バンク)
 発見!
新宿2丁目とはいわずと知れたゲイ・タウン。
そういった嗜好のバーやクラブが軒を連ねているところでありますデス。
最近ではホストクラブも増えているそうですが。

新宿2丁目って今も昔も色事(イロゴト)の街なんですねぇ。
話は江戸にさかのぼりまして、「新宿」という地名の由来から説明しましょう。

徳川家康の小姓として仕えていた内藤清成が、家康の入府に先立ち警備のため、鉄砲隊を率いて甲州街道(国府道)と鎌倉街道が交差していた現在の新宿二丁目付近に陣を敷き、 この功が認められ、付近一帯を拝領したのです。
内藤家が拝領した頃の新宿は、街道筋とはいえ宿場もなく、静かな一帯でした。

その当時日本橋を起点とし、甲府までの主要街道として整備された甲州街道でしたが、一番初めの宿場町は高井戸にあり(日本橋から約16km)旅人はたいそう難儀をしたといいます。
あまりに不便なため、その中間である現在の新宿に開設された新しい宿場町が「内藤新宿」です。
内藤家の領地に出来たので「内藤新宿」と呼ばれたそうですが、いつの間にか後半の「新宿」というのが地名として残ったのでしょう。

内藤新宿は宿場町として賑わうとともに、飯盛旅篭(飯盛女と呼ばれる遊女を置く旅篭)も多く、いわゆる「花街」としても知られるようになります。
「花街」は明治、大正、昭和になって受け継がれ、「新宿遊郭」と呼ばれ、いわゆる赤線地帯(公認の指定売春地域)として繁栄していたそうです。

昭和20年(1945年)戦災でほとんどが焼失、終戦後はGHQによる公娼廃止指令により公娼制度が廃止・・・するも、特殊飲食店(カフェー)として風俗営業法の許可を受け、売春業は存続。
「新宿遊郭」時代の範囲よりずいぶん狭くなったものの、現在の新宿二丁目北西部の約100メートル四方に約100軒のカフェーが営業していたのだそうです。
しかし、昭和33年(1958年)、売春防止法の施行されたことにより、「新宿遊郭」としての新宿二丁目は幕を閉じることとなり、遊郭の殆どはビジネスホテルにその姿を変えたのです。

その後、1960年代半ばから、空家となった元カフェーの店などを利用してゲイバーが営業を始め、徐々にその数を増やしていったとされますが、当時はゲイに対する 風当たりも強く、はっきりとした資料は存在しないのだそうです。


高さ2.67mの地蔵菩薩像
Pi-子隊長:あ、ここが「太宗寺」じゃない?
慶長元年(1596年)頃に太宗という名の僧侶が建てた草庵「太宗庵」がここにあったのが始まりとされています。
太宗は近隣住民の信仰をあつめ、内藤家の信望も得、寛文8年(1668年)六代内藤重頼より寺領をして寄進をうけたのが現在の太宗寺です。
以後、内藤家の歴代藩主が太宗寺に葬られるようになり、現在も墓所が営まれています。

それはバー、クラブなどのお店とマンションと思われる住宅地が入り乱れる中にあり、入り口にある高さ2.67mの地蔵菩薩像がお出迎えしてくれます。
こちらの地蔵菩薩像は江戸六地蔵のひとつだそうです。
ちなみに江戸六地蔵とは、約300年前の江戸前期に深川の地蔵坊正元が旅人の安全を願って、京都の六地蔵に倣って江戸市中の6か所に地蔵菩薩を造立したというもの。
また、地蔵坊正元が病を患い、地蔵菩薩に祈願したところ治癒したから・・・という説もありますが真偽不明。

地蔵菩薩像の横にあるのが、こちらのメイン閻主殿・・・
るむ:あ〜、いたいた。よかった。
Pi-子隊長:着いたばかりだよ。迷わなかった?
るむ:新宿駅からほとんど一直線だし、地図も持ってきたから大丈夫。


さて、るむさんと無事合流したところで、メインの閻主殿

まる子:何があるの?
Pi-子隊長:閻魔様と奪衣婆の像。これだ、スイッチオン!

毎年お盆の7/15、16以外は御開帳されないのですが、金網越しに閻魔像・奪衣婆像を見ることができます。
しかも、スイッチを押すと1分間電気が点灯してはっきり見えるのだ。

 閻魔像 木造で総高は550cm。なかなかの迫力です。
 この姿は拝観者を恐れさせ、子供のしつけのため
 参拝されたりしました。また、江戸時代には酔っ払いが
 像の目玉をとる、という事件が起こって評判になりました。
 奪衣婆 閻魔大王に仕え、三途の川を渡る亡者から
 衣服をはぎとるのだとか。奪衣婆像が衣をはぐ
 ことから、妓桜(いわゆる、男性にサービスをする女性)
 の商売神として信仰されていたそうです。


るむ:・・・怖いよ。
Pi-子隊長:なんせ「子供を食べた」という怖い伝説がある像だからね〜。

なんでも、その昔、境内で子守をしていた乳母が、子供が泣きやまないので「そんなに泣くと閻魔様に食べさせてしまうよ」と、閻魔の口の方に子供を持っていったところ、 子どもをひと呑みにしてしまったというのです。
乳母が気づくと、閻魔の口から子どものよだれかけの紐だけが下がっていた、ということから「つけひも閻魔」とも呼ばれています。
子どもを呑んだのは脱衣婆の像のほう、という話もありますが・・・どちらも納得の迫力です。

素行の悪い子のしつけの為、参拝されたともいわれ、さらに閻魔さまは昔からウソつきに厳しいので、ウソつき防止のご利益もあるそうです。
ウソばかりつく、彼氏(彼女)を連れてきてもいいのかもしれません。

境内には、新宿区の指定有形文化財である「三日月不動像(高尾山薬王院に奉納する途中、休息のため立ち寄った太宗寺境内に置いたところ盤石のごとく動かなくなったため、 不動堂を建立し安置したと説あり。(ただ単に運ぶのがめんどくさくなっただけでは?)」や、「塩かけ地蔵」があります。
塩かけ地蔵は、叶えたい願いがある時には塩を頂いて帰って、願いが叶ったときに倍にして返すそうです。
もとのお姿が分からなくなっているのでちょっとかわいそうな気もしますが・・・

    塩かけ地蔵 塩を頂いて帰って、
    願いが叶ったときに 倍にして返すそうです。 
    塩かけ地蔵の隣にお稲荷さん
    由来などはとくに分かりませんでした。


大将:ここって「パワースポット」なのか?
Pi-子隊長:「パワースポット」の本に載ってるし・・・ただ単に私が閻魔像と奪衣婆像を見たかっただけだけど。
(ホラー好き)

太宗寺よりも2丁目の方がいろんなパワーはありそうだったけど、それはさておき次の目的地へ。

Pi-子隊長:ここからはちょっと丸ノ内線に乗って新宿西口までワープ!
るむ:え〜、歩いて行こうよ〜。
Pi-子隊長:今日はスケジュールぎっしりだし、時間が貴重だからワープするよ。
るむ:分かった・・・
(しぶしぶ)

(つづく)



(お役立ちリンク)
花園神社
多くの花が咲き乱れていた花園の跡であることから「花園稲荷神社」と呼ばれるようになったと伝えられる花園神社のサイト。JR新宿駅より徒歩7分のところに こんなパワースポットがあります。