6月22日


都江堰(とこうえん)


6月22日(水)
さて最終日は成都観光。観光バスでゆっくり市内観光だから楽だね。
とはいえ・・・
こなつ:今日はもうバスの中で寝ていたい・・・
ねじき:確実に疲れが取れにくくなってきているよね・・・
最終日までぐだぐだです。

まずは町中から離れ山の中へ
ガイドさん:ハイ、ここから都江堰に降ります。階段が急だから気をつけて下さいね。
ねじき:え〜ここから川まで降りるんですか・・・
町歩きだと思って油断していた・・・ ガイドさん:ここは都江堰の資料歴史が展示されてます。だいたい2300年くらい前の李氷さんと息子の二郎さんの工事の様子です。

昔の工事の様子当時の土嚢?

ガイドさん:これから魚嘴に渡ります。
ねじき:うわぁ結構川の流れ早いですね。
こなつ:こんな川をあんな道具で工事したんですか・・・
ガイドさん:現代の水流流体力学からみても建設場所、大きさ、長さ、高さ、傾斜度と造る位置辺りの水流流速、流量などが全部精密に計算されているんですよ。
ねじき:へーすごいですね!

魚嘴魚嘴から二王廟へ

「魚嘴」は川の水を排水用と灌漑用など引水に二分する分水堤防で、形が魚の口に似ているので「魚嘴」と名づけられたのだそうです。
川の中ほどには流れを分ける長さ1kmもの金剛堤が横たわり、さらにその先には土砂を排出する施設「飛沙堰」と用水路への流れを自動制御する役割の「宝瓶口」が施されています。
現代の技術をもってしても、ダムなどに土砂が堆積する問題は起きているというのに重機もパソコンもない時代にこれだけのものを作るとは・・・ただ感服。

音を立てて流れる岷江の上をかかる、迫力満点な橋をわたって二王廟へ到着。 李氷父子の功績に感心しつつ・・・我々俗人の興味はその周りにあるお土産屋へ。

ねじき:あっ、孔明の羽団扇だ。
こなつ:団扇(うちわ)っつーか、扇・・・ま、でも本当に持ってたのかどうか知らないけど、映画でもマンガでも必ず孔明って扇持ってるよね。
ねじき:羽、抜けないのかね?
こなつ:高級品は抜けないんじゃないの?安いダウンジャケットと違って。
ねじき:それとも同じ団扇のスペアがいっぱいあったのかね?
こなつ:さぁ?

もちろん見ているだけ

二王廟お土産の定番・孔明団扇

プロマイド(?) ちとブレたこれは・・・お面?

さて、見学後の昼食は本場四川料理v
その名の通り、四川省の郷土料理だから「四川料理」なのですが、もともと四川省の一部であった重慶市の他、雲南省、貴州省などの周辺地域をも含めた郷土料理なのだそうですよ。
そして、なんと言っても唐辛子や花椒(山椒の同属異種)などの香辛料を効かせる激辛料理としてよ〜く知られています。

そして四川料理の中でも、もっとも代表的な料理が麻婆豆腐です。
餃子、炒飯、そして麻婆豆腐を知らないという日本人は数少ない・・・いや、ほぼいないと言ってもいいでしょう。

むかし、むかし、清の時代、成都の"陳おばさん"があり合わせの材料で来客向けに作ったのが最初とされています。
ひき肉と豆腐を豆板醤で味付けをしたその料理は美味しいので評判となり、成都の名物料理となったのだとか。
"麻婆 "とは「麻=アバタ、婆=奥さん(中国語で"婆"はおばあさんではありません)」という意味で、陳おばさんがアバタ面だったことから"麻婆豆腐"と名づけられた・・・ というのが有名ですが、麻婆豆腐に入っている黒い粒(花椒)が"アバタ"に似ていることから、この名前がついたという説もあります。

では、本場の麻婆豆腐をいただきましょう

真っ赤な麻婆豆腐汁無し担々麺も美味でした

う〜ん、日本の麻婆豆腐とはひと味もふた味も違う。
本場の麻婆豆腐は花椒(四川の山椒)、辣椒(唐辛子)、八角(はっかく:鋭い風味のスパイス)をふんだんに使っていて、旨みのあとに辛さがくるという口内時間差攻撃!

ねじき:辛〜!でも旨ぁv
こなつ:うう・・・辛くて食べられない・・・

四川省の湿度が高く、夏と冬の寒暖の差の大きい気候。
地元の人曰く「四川は盆地で、湿気が多く体に悪い。だから辛いものを食べて汗をかいて健康を保つ」のだそうですよ、こなつちゃん!!

お腹がいっぱいになった後は、知識をいっぱいにさせるため、三星堆博物館へ。 現在、四川省はパンダ、九寨溝に続き、三星堆遺跡を第3番目の世界級観光名所としようとしているそうです。

まずは「第一展館」から。
三星堆から出土した、石器や玉器、あとはそれらの説明書きが壁に貼られている。
世界級観光名所にしようとしている「珍しい文物」というよりはどこにでもあるような・・・

ま、でも後半には3mを越す御神木(世界樹)・・・1本の巨木より世界が作られていった、という言わば天地創造神話をモチーフにした彫刻なんかもあり、まずまず。


三星堆博物館
青銅で出来た御神木

続いて「第二展館」へ行くと・・・これは、また何とも奇妙な面がずらり。
つり上がった目をしたもの、ちょっと笑いをのぞかせる青銅の人頭像、そして黄金仮面も!

こなつ:なんつうか個性的な仮面だよね。
ねじき:被ったのかね?置物?
ガイドさん:王様とか神様とか説色々ありますが文字が発見されていないので、まだ研究途中なのです。

目の飛び出した、ギャグマンガの「びっくり〜!」な表情の仮面もありました。


金面人頭像(きんめんじんとうぞう)
もちろん仮面の下はイケメンキャラ
縦目獣面具(じゅうもくじゅうめんぐ)
あ〜、びっくりしたな、もう!(アテレコ)


その次は武候祠へ
ガイドさん:武候祠は三国志に登場する名軍師・諸葛亮(孔明)を祀る祠堂です。元来この地には蜀の主君であった劉備の墓と彼を祀る「昭烈廟」 があり、孔明を祀る武候祠は西にあったと言われていますが、14世紀の末になって武候祠は昭烈廟に合併し、この廟の正式な名前は「漢昭烈廟」となりました。
こなつ:要するに吸収合併を繰り返すどこかの国の銀行のような廟だということね。
ねじき:やたらと銀行名だけが長くなっていくような感じ?


「三国志」は3世紀頃にまとめられた正史に基づいた史伝。
2〜3世紀の中国は戦国時代で魏・呉・蜀の三国が鼎立しており、その歴史をつづったものです。
一方「三国志演義」というのは15世紀頃、史実をベースに娯楽小説としてまとめられたもので、言うなれば、実話と部分的にフィクションということです。

魏の主君は曹操、呉の主君は孫権、蜀の主君は劉備。
曹操と孫権はいいとこ出のお坊ちゃまで権力とお金をそれなりに持っていますが、劉備は血筋(皇族の末裔)はいいんだけど、貧乏でわらじを織って生活していた。

黄巾の乱に際して劉備は兄弟の契りを結んだ関羽・張飛らと義勇軍を結成し、鎮圧で功績を挙げるが、その後は放浪を余儀なくされる。
それでも人柄からか、行く先々で厚遇され、また劉備を慕い、従う武将らも増えていき「劉備組」を結成していくのだった。
しかし、なかなか領土には恵まれず、各地を転戦するも、孔明を参謀に迎えてから状況は好転。

孔明は劉備に「天下三分の計(天下を三分して均衡を保つ)」を説く。
魏(曹操)や呉(孫権)に戦いを挑んでも勝ち目はないので、西の地方で勢力を拡大することを画策。
計画はうまくいき、西方を治める劉表は国を劉備に託して死亡。
孔明の読みがよかったのか、劉備の人徳の成せる技なのか・・・

その頃、魏の曹操はますます勢力を拡大し、天下統一カウントダウン状態。
劉備も迫りくる曹操の猛攻に退却を余儀なくされる。
そこでを孔明を使者として派遣し、孫権と同盟を結ぶと「赤壁」にて曹操軍を見事に打ち破ることに成功。これが「赤壁の戦い(レッドクリフ)」

結果、魏・呉・蜀の勢力は互いに拮抗するようになり、三国時代に突入したのだった。

で、劉備の国である蜀の都が置かれたのが今の成都なのです。

武候祠は南北方向の中軸線上に正門、二の門、劉備殿、吹き抜け、諸葛亮殿の5つの建築物があります。

まずは正門、二の門をくぐって劉備殿へ。
劉備殿にはその建物名の通り、金箔成金仕様の劉備像を真ん中に、両側には関羽、張飛らの像の他に武官、文官それぞれ14人、合計28人の塑像が並んでいます。

武侯祠の入り口金ぴか劉備君

吹き抜けを過ぎると諸葛亮殿になります。
殿堂の真ん中には、これまた金箔を張った孔明の像が安置されています。
う〜ん、元わらじ職人(?)の劉備と軍師になる前はニート同然の孔明に金箔ってなんか似合わないと思うんだよね。(^_^;

両側の部屋は「諸葛亮史跡陳列室」で孔明が自らデザインし、遠征時に鍋にも銅鑼にも使ったという、通販の歌い文句になりそうなツーウェイタイプの青銅製の「諸葛鼓」 をはじめ、孔明にまつわる文物、功績を記録した資料などを展示しています。

建物の後には,池や石橋、竹林の 綺麗な庭園があり、竹林の中の赤い壁に挟まれた、なかなか雅な小道を進んでいくと突き当たりに劉備のお墓があります。


ロン毛?孔明様 やはり羽扇は必須アイテム
劉備のお墓へ続く赤い壁の小道

ガイドさん:さて、さきほど14世紀の末にこの廟の正式な名前は「漢昭烈廟」になったと言いましたが、その後、人々は主君の劉備を上回る諸葛亮の才能と人徳を慕い、 現在では「武候祠」と呼ばれるようになったのです。
こなつ:要するに劉備よりも孔明のが人気があるってことね。
ねじき:しょうがないよ、金城武(レッドクリフ)だもん
こなつ:まあ、劉備途中で死んじゃうしね。


赤壁の戦いの後、魏・呉・蜀の三国時代を確立したものの、平和な世の中になったわけではない。
曹操・孫権・劉備にとって、最終目的はやはり天下統一。
劉備はしばらくの間は順調に魏の領土をゲットしていく。
いずれは魏を滅ぼし、呉を併呑すれば天下統!・・・を夢みていたのだが、逆に曹操と孫権が手を結び、城を攻められ、孫権に捕らえられた関羽は処刑されてしまう。

さらに張飛も殺され、孔明の制止もきかず呉を攻めるが敗れ、劉備は失意のうちに病死。
後事を託された孔明は劉備の意志、天下統一を果たすため、魏へ出兵する。
圧倒的に不利な状況にもかかわらず、もちまえの知略で魏の都・長安まであと一歩というところまで迫るが、部下の馬謖が命令違反をし敗退。
(馬謖はこの後、これが原因で処刑される。「泣いて馬謖を斬る」の語源)

その後も何度か出兵したが、仲間の裏切り、食糧の不足に悩まされ、なかなか勝てなかった。
戦いの中で、孔明は病で倒れ、五丈原でついに病死してしまう。
この時、諸葛亮が死ぬ前に部下に与えていた策でなんとか撤退。
しかし、後に首都を攻められた際に皇帝の劉禅(劉備の息子。父親以上のへタレ)はあっさりと降伏し、蜀は滅亡してしまう。
孔明の死から30年後だった。

呉の孫権は魏に臣従しながら、なんとかうまく自国の勢力を温存し伸ばそうとした。
しかし、晩年は讒言を信じ、孫権の孫・孫皓が残虐政治を行ったので、国は乱れていった。

また、天下統一まであと一歩という位置にありながら、魏の内部も腐敗し、曹操の孫・曹爽(そうそう)は実権を握って、私腹を肥やしていた。
蜀の滅亡から2年後、司馬懿がクーデターを起こして魏を排除。
司馬懿の孫に当たる司馬炎はクーデターより15年後、残る呉を滅ぼし、「晋(西晋)」王朝を立て、 後漢以来、60年ぶりに中国を統一したのだった。

結局、曹操・孫権・劉備の誰も天下統一という野望を果たせなかった・・・というお話でした。

ねじき:ここってやっぱり三国志マニアのメッカなのかね?
こなつ:そうだねぇ、三国志にはたまらないんじゃない?


武候祠でにわか三国志ファンになった後は川劇鑑賞

劇場がある場所はちょっとしたアミューズメントになっていて昔風の町並みにお土産屋やカフェなどがあってとても素敵なところ。
ねじき:ああ、甘味とか食べたくなる〜
こなつ:小物屋とかかわいい物がある〜。買い物の時間とか無いかな?
ガイドさん:皆さん開演まであまり時間がないので、鑑賞後に買い物してください。
こなつ:やった!!買い物の時間あるんだ。


城門風の入り口古い町並み風なショッピング街

魔術って何??カフェもたくさん

お茶を飲みながら鑑賞開演前ならマッサージもしてもらえる

川劇(せんげき)
四川省の伝統芸能。京劇と似た様式で行われる演劇であるが、変臉(へんれん)と呼ばれる、瞬時に瞼譜(隈取)を変える技巧で有名。
川劇の特色は「変臉」。役者が顔に手を当てる瞬間に瞼譜が変わるというものである。これは布の仮面を使用しているとされるが、どのような仕組みかは「一子相伝」の「秘伝」とされる。中国では第1級国家秘密として守られている。

出し物は京劇風や雑伎を織りこんだ劇


変臉

パッ

パッ

パッ

パッ

パッ

素顔(?)はこんな感じ 拍手!

一瞬で変わる仮面、よ〜く見ても変わる瞬間が全然判らない。
ねじき:すごいね何枚も被ってる様にみえないのに。
こなつ:手を翳してるだけのように見えるんだけどね、不思議だ。


川劇終了後、買い物時間を30分もらい、がっつりお買い物を楽しみました。

ホテルに帰ると、まず最初にTVをオン!
お、ちょうどやってますあのドラマ!!

こなつ:また、みんな空を飛んでるよ。ファンタジーじゃないだろうに・・・どうなってるんだ!?
ねじき:主人公のぼっちゃん、また昨日と違う女の子口説いてるし
こなつ:内容知りたいよね。
ねじき:こんな時にPi-子さんがいれば!!
こなつ:そ〜だ、Pi-子、分かるかな?ちょっとメモしておこう・・・

登場人物の名前らしい単語とかメモを始める。φ(..)カキカキ
中国(漢字の国)でよかった。これがハングルとかアラビア文字だったら、読み取り不能だっただろう・・・

さぁ、明日は日本へ強制送還帰国だ。

(ねじき)