チベット日記Ⅰ

2006.11.30

「故郷のチベットに思いをはせる老婆」

 

 以前、ネパールのアンナプルナサーキットで写真に納めたヒマラヤをバックに旗を持つチベット人女性だ。中国の文化大革命で多くの寺院 が破壊され、僧侶たちが投獄される中、ネパールに逃れたチベット人は数知れない。 しかし、トレッキングの最中に出会ったチベタンは、悲しい歴史を感じさせること無く、優しさにあふれ、何より彼らの仏教に対する姿に感動した。チベットとはどんな所なのか、いったい何が行われているのかを自分の目で確かめたくなった。

アンナプルナの老婆

2006.1.8(8日目)

「上海→チベット」

 

上海AM9:00 チベット入域許可証の件で羊さん(大阪からのフェリーで偶然会った中国人)に電話する。すでに許可は取れていて、急いで荷物の準備と両替を済ましていざ上海駅に向かう。駅で許可書を受け取り、チケットを買う。羊さんにお礼を渡そうとすると「私には金持ちの日本人友達がいてやさしくしてもらっています。あなたのよう な若い人からは、お礼は受け取りません。」拒否されてしまった。感激
16時11分いよいよ上海からラサに向けての青蔵鉄道出発!軟臥という高級寝台車両での移動だ。ひとつの部屋に4つのベットがあり、出発時には年配の男性中国人が同部屋だった。

 

青海鉄道チケット

 チケットと健康調査票

軟席

軟臥は清潔そのもの

2006.12.9(9日目)

「二泊三日の寝台列車旅」

 一緒に乗っていた中国人は下車し、清潔感あふれる部屋を独り占めさせてもらった。ベットには14インチの液晶 画面がついており3チャンネルほどが見れた。道中風景を見ることに疲れたときは、青蔵鉄道の製作過程のドキュメンタリーやチベットを題材にした映画などを 見て時間を過ごすことができる。上海での食事で少しおなかの調子が悪く、設備の整った鉄道を選んだのは我ながら良い選択だったと思う。
ちなみに、青蔵鉄道の上海-ラサ間の軟臥(柔らかベット4人部屋)は1314元、硬臥(硬いベット6人部屋)は800元座席、さらには硬座と軟座という座 席、立ち席と言うチケットまで存在する。ゴルムドあたりからチベタンが沢山乗り込んできた。

硬座

 快適な軟臥に比べて、硬臥は食い散らかしなど、異臭が漂う。

 

2006.12.10(10日目)

「ラサに到着」

 寝台列車に乗ったのは初めてだったが、飛行機では味わえない醍醐味を知った。今回はフェリーと 列車のみでの移動なので、出発地と目的地の位置関係を頭で描きやすい。
 腕時計についている高度計は、12:20分の時点で5070mを指している。頭痛が襲ってきたが、酸素供給システムを使いしのぐ。前年度のヒマラヤトレッキングで激しい高山病になった思い出が頭をよぎるが、今となってはいい思い出、食事も喉を通る。
 高度計は下がり、4600m付近を指している時、目を疑う光景を見た。並行して走る幹線道路を5人の人影がドミノ倒しのように パタパタ倒れてはまた起き上がり進んでいく。そう、これが始めて目にした五体倒地の場面だ。

青海鉄道
 日が落ちて20:00、上海から52時間でラサに到着した。軽い頭痛を伴ってのラサ入り。、妙にハイテンショ ンなタクシー運転手に頼み、有名な「ヤクホテル」に到着。6人が泊まれるドミトリーはオフシーズンにつき一晩20元(300円)と激安。清潔感あふれ、共同のホットシャワーも申し分無く出る。

 

2006.12.11(11日目)

「チベット語の特訓」

 ラサ初日の朝は、高山病のこともあって様子を見るため大人しくしていた。

 11時ごろから、動いても問題なさそうだったので行動を開始する。まずはホテル に一番近いジョカン寺に行くことにする。当たり前ではあるが、街中にチベタンが溢れ返り、テレビで見たことがあるように数珠とマニ車をもって同 じ方向に向かって歩いている。 オフシーズンで観光客はまばら、チべタンたちは写真を撮られることをどう思うのかわからず撮影は控えめ。できる限り「指差し会話 帳」を使 い、コミュニケーションをとった上で、気持ちよく写真をとらせてもらえるよう心がけた。

チべタン

お爺さんお婆さんたちがマニ車を回しながら日光浴していたの で、会話帳を取り出し話しかけると、やたら興味をもたれて何人かのチベタンに囲まれた。そこで、基本的な挨拶、微妙な発音を直されたりと、なかなか充実したチ ベット語講座になった。そして、チべタンたちがさほど写真撮影に対して嫌悪感を示さないこともわかってきた。

チベット語教師

2006.12.13(13日目)

「世界遺産と対面」

 本日の行動開始は9時ごろから。とりあえず一目ポタラ宮を拝ませてもらおうと、町の西側に歩いてみた。町並みは中国系のショッピングが並んでおり、複雑な気分になる。 角を曲り、瞬間突如としてポタラ宮が現れたとき、不覚にも涙腺が緩んだ。同時に多くの人が目指してくる 理由も、5000メートル級の峠を越えて五体投地する人たちの気持ちも一端が理解できた様な気がした。 長い滞在である、とりあえず内部に入るのは時期尚早と考え、コルラ(聖なるものを左回りで回って歩くこと)を巡礼者に習いついて行ってきた。
 今日は同じ宿に2人の日本人がいて、散策に役立つ情報をたんまり仕込んでもらった。とりあえず、近く大きな祭りが控えているそうだ。

ポタラ宮

2006.12.14(14日目)

「祈りの夜」

 向かった先はラサの北にあるゲルク派の僧院「セラ寺」。問答修行で有名な場所だ。本来は50元かかるはずだが、裏から入ってしまいチケットを買わずじまい。残念ながら近々控えている祭りのせいで、僧侶は忙しいらしく、問答の風景は見ることができなかった。

セラ寺
夜は、ジョカン寺で大きな祭りがあるということで見に行ってきた。20時を過ぎたころから町全体に、焚かれる香(サン)の煙が立ち込め、幻想的な風景が広がる。

 チベタンと一緒にお祈りをしてみようと手を合わせ目を閉じる。喧騒のような声の一つ一つ が、人々の発する祈りの歌だと気がつく。自分の意識の奥底に吸い込まれていくような感覚が襲ってきて、しばらくその不思議 な感覚の中に身を委ねた。

 

ジョカン寺

2006.12.15(15日目)

「ツォンカパ命日」

今日は朝6時半から起きてラサから45キロ離れた場所にあるガンデン寺に向かうことに。今日は、ツォンカパというゲルク派祖師の命日ということで、何かしらの儀式があるだろうと踏んでだ。

 観光客皆無のバスに一人乗り込み2時間で到着。到着すると民族衣装のチべタンの数に圧倒される。とりあえず日の出の寺の正面の丘に登り写真を撮ることに 。絶壁に張り付くように建てられた寺院郡は圧倒的な存在感を放っていた。山頂に着くと、高度計はすでに4800メートルを指しており息苦しい。すでに多くの 人が山頂にいて、サン(香)をモクモクと焚き、祈りの言葉や絵の書いてある紙ふぶきを飛ばしている。太陽が昇り始め彼らの姿が逆光の中に浮かび上がったと き、周りの広大な景色ともあいまって、息を呑んだ。

そして12時ごろまで寺院などを巡っていたが、多くのチベタンが一箇所に集まりだし た。とりあえず一緒に、何かが起こるの待っていた。はじめは低音のホルンのようなものが鳴り響き、次に僧侶の念仏合唱。そして今回の祭りのメインである大 タンカ開帳へと移り、大きな刺繍の幕がたらされた。その後、チベタンたちに着いて一周一時間ぐらいのトレッキング、否 コルラを行う。

ガンデン寺

2006.12.16(16日目)

「休息」

昨日は、ガンデン寺から帰った後、ジョカン寺の祭りを見ていた。宿にいた日本人と、ニュージーランド人女性と親しくなり、3人で でかける。ニュージーランド人はチべタンの好奇心の的で、いっしょに記念撮影撮影してくれと頼まれていた。このニュージーランド人の英語はすごく聞き取りやすく、こちらがわからなかったら、根気よくほかの言い回しをしてくれるなど、理想的な英語教師だ。

これでもかというほど炊かれる香、むせ返るような照明用バターのせいだと思う、少し体調を崩してしまったようだ。そのため今日 は休息日。

照明用バター

2006.12.17(17日目)

「最悪の散歩」

 朝起きると、のどが痛く完全に風邪気味状態。だが、ポタラ宮のベストショットを撮ろうと企 て散歩することにしてしまった。よく、ポタラ宮を左上から狙ったショットがポストカードに使われているが、それがどこだが探しに行こうと思ったのだ。狙えそうな丘があったが、軍の施設のようで一般人は登ることができない。結局、丘を一周、半日重い体で歩き続けていた。

ポタラ宮

2006.12.18(18日目)

「風邪ひきました」

昨日、無理しすぎたのがよくなかった。起きると熱がひどくて飯を食いにいく以外、外出できない。 今日の部屋のメンバーはイタリア人、韓国人、ニュージーランド人、中国人、日本(自分)となかなか国際色豊か。皆いいやつで、湯を運んできてくれたり、薬 はいらないかなど、いろいろと優しくしていただいた。

チベットの子供

2006.12.19(19日目)

「デブン寺」

朝起きてみると熱は引いていたので、寺院を見に行くことにする。今日向かったのはチベット最大規模とも言われているデプン寺だ。1416年に建てられポタラ宮が立てられるまではダライ・ラマが住んでいた場所だと か。

残 念ながら、他の寺院で感じるようなパワーを自分は感じなかった。文革のときに徹底的に破壊され、再建されたせいだろう。規 模は広大で、すべて見終わるのに4時間がかかった。しかし、僧侶や巡礼者と簡単なコミュニケーションをして楽しんだ。

チベット僧院

2006.12.20(20日目)

「旅は次の段階へと」

 ラサの市内を歩いていると、受け皿を前に出してひたすら一日中祈り続けている人や、足にまとわりついてきて「クチクチ(金くれ)」と連発しながら金 をねだる子供がた くさんいる。ここまでは他のアジア地域と変わらないが、ここでは、レストランで食事中にも多くの物乞いがやってくる。しかし、店の人はまったく追い出す気 配はない。 チベットでは巡礼者や恵まれない境遇の者にお金を与えることは得を積むこととされていて、認められている行為らしい。誰も非難したり、邪魔者扱 いしてはいけないことになっているらしいのだ。しかし、中国が近代化を推し進めている今、「みすぼらしい」乞食が増えていることは確かだ。

チベットの物乞い
 そろそろラサの近辺のめぼしい所は大体回ってきたので、少し計画を早め、エベレ ストベースキャンプへの計画を立てることにした。国家級保護地域となっており、入山許可を得て車をチャーターしていかなくて はいけない。何人乗っても一台にかかる料金は同じなので同じ目的を持った人がいないか探すこととする。

2006.12.21(21日目)

「気迫の祈り」

 昨日から6人用ドミトリーだが、一人貸切状態。朝9時ごろやっと 太陽が昇り洗濯など済ませる。カメラ用のウエストポーチが小さいのでラサ市内にいくつもあるアウトドアショップを訪ねてみた。さすがヒマラヤのおひざ元、ノースフェイスなどブランドの ロゴが目に付くが・・・・ほぼ間違いなく偽物で作りのしっかりしたものを見つけるのには苦労した。
 夕方は、日課となりつつあるジョカン寺で巡礼者に混じってコルラ&撮影をする。彼らの熱心さには心から感心する。朝から晩までジョカン寺の巡礼の行列は続く。彼らは毎日、我々が息をするように祈り続ける。しかも他人、生きとし生けるすべてのものへの幸福を願って祈り続けている。多分チベタンがこうして祈っている から、かろうじて地球は滅びずに住んでいるのだろうかと本気で考えてしまう。

 最近、毎日気になっている人物がいる。そんなに頻繁にジョカン寺に行っているわけではないのに毎回見る人物だ。コルラするものすごい数の巡礼者を気にする ことなく、気迫の五体投地でジョカンを回り続ける人物。今日は、他の人同様に彼に感謝をこめてお布施を渡した。

五体投地

2006.12.22(22日目)

「ノルブリンカ」

 ラサ近辺の主だった寺院の観光も残りわずかになってきた。今日行ってきたのは「ノルブ・リンカ」。ダライラマ14世が実際に住んでいたという 場所だが、当局の影響が色濃く出ていてつまらなかった。ラマが亡命するため去った、その時間で止まったままだと いう 時計があった。60元(宿3日分)を払ってまで行くところではない。寺の中にありながら別料金をとる動物園は高原の珍しい動物を見ることができて、それが唯一の救いだろうか。

 片道1時間の道を歩いてきただけに、もったいないので、近くにあった西蔵博物館に入ってみることに。某ガイドブックには日本語音声ガイドがあるということだったが英語と中国語しかなかった。中国政府の意向が随所に見え隠れするが、展示品は充実していた。

チべタン

 ラサのネット事情について書いてみる。体感速度は時間によるが日本でADSL8MBを使っているのと変わらない。夕方あたりから若者がつめかけ、 ネットゲーム三昧。ほぼ満席状態で深夜を回る。主だった基本市販ソフトがインストールされており、明らかに違法行為を助長するソフトも入っている。USB を介 して何でも接続可能(上海では使えなく封印されていた)。気になるのは日本のサイトを開こうとするとき正常に表示されない、もしくは極端に遅くなることぐ らい。今日はちょっとネカフェを隠し撮り。200台のパソコンは満席。秘境といわれたチベットも近代化の波は津波級だ。

チベットのインターネット

 

2006.12.23(23日目)

「エベレストに向けて」

いよいよエベレスト行きのプランを本気で考えることにした。まず、トラベルエージェシーにいき、自分の希望のコースを伝え、もっとお勧め のオプションがあるか等を相談した。出来上がったプランを元にしてホテルの掲示板に張り紙を張ることに。すると、一時間もたたないう ちからスェーデン人二人が部屋を訪ねてきて、同行したいと願い出てくれた。

掲示板

 

彼らと計画を話し合った結果、26日出発の4泊5日で有名な湖や寺の見学をはさんでエベレストベースキャンプをめざす旅とした。夜までにも う一人アメリカ人がコンタクトしてきて、望んでいた4人が集まった。結果、4人でランクルをチャーターして一人1000元ちょっとで済みそうだ。旅計画を アレンジして、弱い英語頭をフル回転させて相当疲れたが、これぞバックパッカーの醍醐味だ。

五体投地の女

2006.12.24(24日目)

「クリスマス・イブ 」

「金剛杵」(人間の心の中の煩悩をうち砕き本来の仏性をひきだすための密教法具)を買いに行くことにする。ラサを歩いていれば、露店などで売っているのだが、ピンとくるものがなかった。そこで、高級法具店や骨 董品屋を回り、やっと目にかなうものがあった。だめもとで値段を聞いてみ る。・・・390 元(6000円程)!安い。ほしいと思い、値段交渉に入る。とりあえず四分の一の100元からスタートさせる。はじめに示された値段が魅力的なだ けに、欲しさが顔に出ないよう気をつけ、相手が言い値を下げても「馬鹿らしい!帰る」の繰り返し。お互いの妥協点を探りながら結局150元で手に入れ る。素材は真鍮、銅、ターコイズ石で、細部まで手の込んだ細工がしてあり、大満足。
 次に買いに行ったのはチベタンなら皆が持ってる数珠である。日本のものに比べて玉数が108個と多く、形種類が豊富である。探せば象牙や変わった素材のも のがあり目移りしたが、チベットらしさを考慮してヤクの骨から削りだした、何の飾り気もないシンプルな物を20元で買うこ とに。今回の旅で初めて土産らしいものを買った。マニ車

今日はクリスマスということで、エベレストに一緒に行くスエーデン人に夕飯を誘われていた。それにプラス、ジャーマンの3人も加わり8 人でビュフェ夕食だ。話の半分以上は理解してなかったと思うけど楽しく、店の計らいでクリスマスプレゼントが配られ、突然のケーキ。楽しいクリスマスパーティーをありがとう!そして明後日からの旅が無事に進みますように。

クリスマス

2006.12.25(25日目)

「ドタキャン」

今日は朝から、明日からのエベレスト旅行に向けて、緊張気味。薬局に行き高山病に効くといわれている薬を購入。また、行く途中での食事は極力避けたいので、バランス栄養食を買い込んだ。
18:00に明日行くメンバーでお金を支払いに出かけることに。しかし、会ってみると様子がおかしい。なんと、一人がパーミットの関係で行くことができないと言っている。このままでは、3人でシェアすることになり増額だ。スウェーデン人が後で連れてきた一人なのだが、あまりにも無責任だ。怒りたいところだが言葉の壁が・・・・。とりあえずスウェーデン人が増員を探してくると言ってくれた。明日を逃すとこのエベレスト旅の道中で年越しだ。それは避けたい。

チべタンファッション

2006.12.26(26日目)

万事塞翁が馬

 昨晩、ブログを更新しにネット喫茶に向かう。ドタキャンで打ちひしがれパソコンに向かっていると、ふと近くのパソコンで日本語サイトを開いている女性がいたので、エベレストに行く気がないかと誘ってみることに。27日の 出発で一緒に言ってくれることが決まり、スエディッシュ二人とジャパニーズ2人の4人でエベレストにアタック!!今日は、一緒に行ってくれることになった綾さんの靴や食料の買出し に一緒に行ってきた。同行者と、感動を言葉の壁で表現し合えないという危機は脱した。

チベットのヒツジ

2006.12.27(27日目)

「エベレストへ・・・」

朝9時半でまだ薄暗い中、16日間住み着いていたヤクホテルにお別れして、エベレストBCへの長い旅が始まる。

迎えに来たTOYOTAランクルは年季が入りすぎて心配、 ドライバーはどうやら簡単な英単語すら理解しかねるといった具合で最悪。まず目指すのはヤムドクレイク。4000メートルを夕に越える所にあるター コイズ色の巨大な湖である。あまりの青さと大きさに驚いた。飾り付けられたアル ビノヤクにまたがり記念撮影。いつかどこか雑誌の写真で見た風景。

アルビノヤク

今日の宿泊先はギャンツェという町。ここはまさにチベット版モンサンミッシェルが聳え立つ。イギリスと中国の圧力をもろに受けてほかとは違った要塞的な雰囲気をかもし出している町だ。今日は、ネットカフェに入るがまったく使い物にならなかった。どうやら台湾の地震が影響しているのだとか。

ギャンツェ

2006.12.28(28日目)

「イメージ通りのチベット」

AM10:00 車に乗り、ギャンツェ市内のバンコル・チューデ寺に行く。巨大なチョルテン(仏塔)が有名で、密教経典が成立する仮定を立体的に見て回れるようになっている。建物自体も興味深いものだったし、地元の人たちがコルラする姿もラサと比べて地味。

チベットの無邪気な子供

正午を回ったころ、シガツェに到着。早々にホテルチェックインして町の散策に出ることにする。食用のヤギやヤクの肉の塊が散乱して、旧市街の独特 の雰囲気がいい。

下調べがなかったためドライバーに薦められるままタシルンポ寺院に向かうことにする。55元の入場料をケチるため、無料で入れる場所がないかと 広大な敷地の周りを巡ってみるも、すべて塀で囲ま れていた。その道中、チべタンの婆さん達とのコミュニケーションが非常に盛り上がり、無駄な時間ではなかった。

チべタンとのひと時


 仕方なく、料金を払い入場してみると、なんと自分がチベットの僧院に抱いていたイメージそのままの姿が見れて、入場料を惜しんだ自分が恥ずかしくなった。僧侶 がホルンのような伝統楽器を練習しているところにお邪魔して、聞き入ってしまった。音楽になってないようなものだが、重低音が心の奥底まで響く。

チべタンホルン

本堂に行 くと、百人位の僧侶がお経を唱えている場面に遭遇。これぞまさしく自分の中で漠然と描いていたチベット密教の場面だった。観光客の入るところではないようで、早く出て行くよう促されたが、できる限り粘ってこの雰囲気を頭に焼き付けた。

祈りの場

2006.12.29(29日目

「すさんだ町」

昨日の夜は、寒気がして風邪気味だったが、もらい物のりんごと薬パワーで、朝には回復していた。今日目指すのはShiger(ニューティンリ)である。途中特 にこれといった見所もなく、印象に残っているのは、ラツェという荒んだ町で飯を食ったことぐらいだ。衛生的に最悪、奇形の人や物乞いの子供たちで あふれていた。アルビンが捨てた吸殻をすかさず拾い、吸い始めた少年・・・。エベレスト登山の中継地として発展していてもいいはずなのに、どうしてこんなことになってしまったのか。
 ニューティンリではエベレストに向かうさまざまな国の人たちとゲームなど談笑して夜を過ごす。自分はスエーデン人女性とチェスをした。もちろん負けたが、言葉の壁を超えてゲームできただけでも満足。しかし、くやしい

荒んだ少年

2006.12.30(30日目)

「エベレストBC」

目覚ましは7時のはずだったが、4人とも出発の8時ギリギリまで布団にもぐっていた。昨晩 電気が止まり激寒、それに加え犬の遠吠えや車の修理の音で何度も起こされたおかげだ。

 ゲートでパスポートのチェックをして、いよいよエベレスト国家保護地区へ入域。パンラ峠で遠くに見えるエベレストを背景に記念撮影。高高度のため我等の骨董ランクルはすでに4回もエンジンストール→エンジン ルーム修理を繰り返 している。もう、すでに慣れっこになっていてみんな笑っていた。しかし、少し行ったところで、右前輪から異様な振動が・・・パンクか?いや 車高はそのままだ、となると・・・ようやくドライバーのロブも気がつき点検してみるとショックアブソーバーがプラプラぶら下がっているではないか。しかし ロブは勇敢にもそれを取り外して走り出した。ありえない振動にケツが悲鳴を上げる。世界で一番高いところにあるお寺、ロン ボク寺に着いたのは12時ごろ。
巨大なチョモランマの姿は、すぐ目の前。頂上まで、歩いてもそんなにかからないような錯覚に陥る。

 車の点検をしてみると、衝撃 のせいで前輪をつなぐシャフトが外れて4WDのはずのランクルがFR駆動車に早変わりしていた。ベースキャンプまでは氷をトラバースするため、予定を変更して、ここからはトレッキングになった

故障ばかりのランクル

急遽トレッキングに変更

エベレストのアンモナイト

アンモナイトの化石を発見

当初トラベルエージェントが時間がかかりすぎると嫌がって、諦めていたトレッキングである。4人とも少し得した気分になる。しかし、5000 メートルを超える急なト レッキングで足は思うように進まない。 2時間弱でベースキャンプに到着。せり出した崖が急に開け、世界の屋根 チョモランマが目の前に聳え立つ。ほかの三人は高山病でぐったりしている 中、一人で撮影にいそしむ。なぜか、アンモナイトの化石を発見。多分、俺が来るのを待っていたのだとカバンにしまいこんだ。

エベレスト

 

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