2006.12.31(31日目)

「エベレストから帰還」

朝、 8:30Sigerからラサに向けて帰る。ロブは車を修理したから大丈夫と言ってはいるが、落ちそうな部品を自転車の チューブで固定しているだけに見える。のろのろ安全運転でラサには18:00を回ったころに到着、ヤクホテルにチェックイン。5日間分のヨゴレと一年分の ゲガレをシャワーで洗い流す。 そう、今日は年越しだ。
 ラサを経つときにも居た日本人コウちゃんとその友達を加え4人で、スノーランドレストランに行き、今年最後のご馳走を食べる。その後、年越しパーティーを開く ことに。お酒、火起こし道具を持ち寄りホテルの屋上でヒッピーな感じで、年越しをおこなう。

 

 

 

チベット暦と関係がないはずだが、12:00には四方八方で打ち上げ花火が上がっていた。AM3:30 初詣に出かけ、ジョカン寺をコルラ+五体投地。ほかの人たちは力尽き、一人ポタラ宮も回ってきた。今年は、何かいい年になる予感

数珠

2007.1.1(32日目

「哲学坊主」

年越しパーティーのお蔭で、おきたのはPM1:30。綾さんとセラ寺に一緒に行くことにする。今回はしっかり正規料金を払い入ることになる。異様な声につられて、広場に到着すると、百人以上の僧が派手なパフォーマンスと一緒に、なにやら口論している。「問答修行」である。議論されているのは「生きるとは何ぞや!」と言ったことらしい。。ディベート好きのアメリカ人に人気のある寺らしい、納得である。

問答修行

2007.1.2(33日目)

「天に召される民Ⅰ」

チ ベットを知る上で大きな課題をこなす日が来た。早朝8時に焼くホテルをチェックアウトして最近行動を共にしている綾さんと向かったのは「ディクンティ・ゴンパ」、280人の僧侶がいる、カギュ派の総本山である。
ここに来たのは他でもない、霊験あらたかなこの場所には多くの遺体が運び込まれ鳥葬が 毎日のように行われているからだ。以前までは鳥葬ツアーが組まれるほどの賑わいだったが、動画ネット配信が問題になり、非公開、見学禁止になっている そうだ。 しかし、今回の旅で他の旅人と話している中で、見ることが不可能ではないことを知った。もちろん隠れて見るのだが、それだけの価値があると確信し た。
 ラサからバスで3時間の場所にあるディクンティ・ゴンパは崖にへばりつくような姿で我々の目の前に現れる。なるほど、多くのカラスやハゲタカが上空を旋回 している。  今日は宿坊に泊まり、明日の朝行われるであろう「鳥葬台」に向かい、隠れて見れる場所、見つかったら逃げる道などの確認などを 行った。

ディクンティゴンパ

2007.1.3(34日目)

「天に召される民Ⅱ」

 正 直、いろいろなことが頭をめぐっていて、昨晩はうまく眠ることができなかった。祖父の葬式のこと、自分が心肺蘇生したにもかかわらず死んでしまった人 のこと。人間の生死について考えて深夜1時から5時ごろまで目がさえていた。7時に起きて8時から鳥葬場へと向かう。チベットでは、すでに魂は転生 しており、体はその抜け殻であって、最後の得を積むため他の動物の糧となる。その考え方を自分なりにも噛み砕く。
 9時を回ったころ人が集まりだし準備をしている。50mぐらい離れたところ で死体解体作業を見る。そして、100羽以上のハゲタカが死体を囲んで、ほとんど死体が目に入らなくなった。変わった葬式が無くなったり、見学禁止にな る中で、とても貴重な体験ができた。

五体投地サポーター

2007.1.4(35日目)

「旅の友」

 長い間一緒に内容の濃い旅を共有して来た仲間とのお別れの日。3人の仲間が明日6:30のバスでネパールのカトマンドゥに立つ。旅をしていると、似た目標を持った者同士が自然と出会い、自分がイメージしていたものを遥かに超える「旅」になる。
 特に綾さんは、エベレストツアーを誘ったところから色々お世話になり、学ばせていただいたことも多い。これまでの旅では、極力日本人を避けて通っていたが、今回はドミトリーで泊まることで、情報の共有を目指すような旅のスタンスにしてみた。一長一短、うまく使い分けながら旅をしたいと思う。

 

2007.1.5(36日目)

「休息」

昨 日のお別れパーティーは朝まで続き、そのままネパールに立つ3人をバスまで見送ることに。ゲームで罰ゲーム沢山食わされフラフラ。こ このところ、ほとんど休みなく内容の濃い旅をしていたこともあり3日間ほどおとなしくしていようと思う。まだまだ先は長い。

ガンデンのロバ

2007.1.6(37日目)

「物欲」

 後4日間でチベットに一ヶ月滞在したことになる。とりあえずラサ近辺は自分なりに消化しつつある。多くの日本人バックパッカーが、急ぎ足でネパールに抜けていくなかで、いろんな意味で健闘したほうだ。
と言うわけで、今日は買い物Day。東南アジア、中国では薬品などで精巧に作られた「アンティークに似せた工業製品」があふれている。ここチベットでも巡礼者が実際に見につけている装飾品と比べてみると、土産物用に並んでいる物は完成度や精密さに欠けるものが多い。今日手に入れたのはターコイズなどで彩られた密教法具のケースだ。以前綾さんに言い値の半額以下(それでもチべタンの平均給料の3か月分)にまで値引きしてもらって、取り置きし てもらっていた。アンティークの本物を見つけ出すのは非常に困難だが、一か月養った眼は多分本物を見つけ出したと思う。 

祈る少女

2007.1.7(38日目)

「これからのこと」

今 後の予定が、いろいろな旅人との情報交換の中で煮詰まってきた。そろそろ、最後にととっておいたポタラ宮拝観を近々済ませ、チベット自治区から出る時期だ。石窟郡で近年有名な敦煌を経由してウイグル自治区へと向かる。多くのバックパッカーがネパールに抜ける中、羨ましいし、安く行けることが気になるが、90日間の中国ビザをフルに使って、中国に悔いが残らないようにしたいと思う。今のところ、ウイグル主要都市を回り→成 都→昆明→タイ→ラオス →ミャンマー→中国黄山→上海→日本こんな感じで夢見てるが予定は予定。何に心惹かれるかわからないし、財布 とも相談しなくては。

チョルテン

2007.1.8(39日目)

「考え事」

あと二日でチベット滞在が1ヶ月を迎える。新たな旅人がドミトリーに入ってきては、高山病で苦しんでいる。それを見て、改めて厳しい環境にいることを実感する。今自分に日本で長距離走を走らせたら、市民マラソンぐらいでなら入賞できるんじゃないかと思う。長く同じ場所にいると、いろいろなことの辻褄が自分の中でかみ合ってくる。多くの物乞い、はたまた優雅すぎる生活、無駄としか見て 取れなかった行動等、すべてに裏表あってうまい具合にバランスが取れているということに気がつく。旅人はこれ以上知る必要がない・・・。
今日は日課となっているジョカン寺周りと、3度目のセラ寺めぐりを行ってきた。

僧侶の生活

2007.1.9(40日目)

「ポタラ宮」

朝 10時からの拝観。X線による荷物検査とボディーチェック、パスポート提出。前置きが凝っていて、余計に期待が高まる。 長い階段を上がるとまず入るのがチベットの政治部門を扱っていたという白宮へ。さすがはチベットの象徴的な存在だけはある。仏像、壁画に調度品は文革によ る破壊とは無縁でオリジナル独特のオーラが漂っている。もちろんはじめから金のかけ方も違って繊細さ、宝石の使用量が違う。特に気に入ったのはダライ・ラ マの瞑想室だ。光の入り具合、程よい狭さを仏とタルチョが囲み、そこが瞑想室だと知る前から、自然と目を閉じて物思いにふけっていた。(その後、日本人ツ アーにこっそりくっついて2週目をしたときに瞑想室と知る) 次にチベットの宗教部門を扱っていたといわれる赤宮に行く。立体曼荼羅や仏像も圧倒的 なスケールで展開して見所たっぷりだが、どうも墓場としての印象が強かった。黄金の巨大ストゥーパには歴代のダライ・ラマが安置されており、ガイドブック の解説を頼りに故人に思いをよせた。 結局、入ってから出るまでの3時間、外国人観光客らしき人をひとりも見なかった。その代わりチベタンの巡礼者がたく さんいて彼らの念仏をBGMに、理想的な精神状態で見学できた。

ポタラ宮からの眺め

2007.1.10(41日目)

「よからぬニュース」

 ウイグル自治区に向かうため、朝から苦戦を強いられる。噂では聞いていたのだが、中継地となるゴルムドまでのチケットを日本人には売ってくれ ないのだ。逆(ゴルムド→ラサ)ならまだしも、なぜ売ってくれないんだ?チケット売り場の人になぜ売らないのか聞いても、「知らない、とにかく 売れな い。」との一点張り。腹を立てても言葉が通じず、時間の無駄なので鉄道駅に行き硬臥チケット360元を仕方無しに買う。12日の出発となった。以外にバス ターミナルと鉄道駅はラサの中心から離れていて半日がつぶれてしまった。イライラしちゃったけど、明日はせっかくの最終日なので、有意義な過ごし方がしたいな。

中国共産党機関紙「人民日報」は9日、新疆ウイグル自治区の公安当局が今月5日、同自治区からの独立を綱領に掲げる組織「東トルキスタン・イスラム運動」 のメンバー18人を殺害し、17人を拘束したと報じた。同紙によると、組織側の抵抗で公安当局側にも死傷者が出たという。(ヤフーニュースより転載)
うぅーむ、これから行くところなのに・・・

光芒

2007.1.11(42日目)

「ジョカンに始まりジョカンに終わる」

 ラサ初日に行ったのはジョカン寺だった。そこでは、何やら得体のしれない、全く世界感の違った人種が居ることを痛感した。しかし、1カ月という期間は恐ろし いもので、完全に麻痺させられた。たぶん、マニ車を回している人が居ないことに慣れるのに、また時間を要する必要があるぐらい重傷だと思う。 実は、ポタラ宮よりもなによりも、最後に取っておいたのが、ジョカン寺本宮への拝観だ。毎日、周りはコルラしていたが、実はまだ入ったことがない。他の どの寺よりも神聖な場所とされていて、遠くの村から巡礼にやって来た人、何年も五体投地を続けて来た人が最終的に目指す場所がジョカン寺なのだ。あまり軽 い気持ちで(得を積んでいないうちに)拝観するのはチベタンに申し訳ないという、ちょっとした配慮だ。
 朝早起きして500人ぐらい居るチベタン巡礼者列の100番目ぐらいに並ぶ。僧から手に水をもらい、清めの動作をして入場。本堂の中にもいくつかの小部屋があり、日本でお寺参りをする要領ですべてを回っていく。一体何人の巡礼者がここを通ったのであろうか石畳みはツルツルに擦切れ、太い柱は人の手の高さ のところだけが異様にえぐれてしまっている。その執念にやられて、自分の幸福だけを祈り出しそうな気持ちをこらえ、チベタン同様、生きとし生きるものす べての幸福を祈りながら巡礼する。本尊ジョウォ神の膝下に僧に押し込んでもらう。行列に並んでいる際にも念仏を唱えながら意味有りげに肩に手を当ててくれた僧。そして、最後に心の清汚がわかると言われる岩に耳を充ててみると、清いというサインが聞こえた。その瞬間、すべてが軽くなったよう な感覚になり、チベットに1カ月滞在できたことにものすごく感謝した。

2007.1.12(43日目)

「さようなラサ」

 ラサとは今日でお別れ。ヤクホテルに関しては20日以上住み込んでいたことになり、目をつむっていても自分の部屋のように動き廻れる 程で少々去りがたい。荷物をまとめ、9時の列車でゴルムドに向かう。寒さで全体が凍りついた湖、ヤクを追い立てる民族衣装 の男。最後に相応しい風景が、列車の窓を映画のワンシーンのように流れていった。

ラサでのベストショット↑この光芒を求めてジョカン前にどれだけ通ったことか・・

 

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