2005.12.9(1日目)
「成田発オンボロ飛行機」貧乏人にとって愛すべき激安ビーマンバングラディッシュ航空で、人生初の長期旅行が始まる。JALやANAの機体が並ぶ成田空港にひときわシンプルかつ男気あふれる飛行機。ごてごてした機能がついたハイテク機械なんかより理解しやすいし、信頼できるじゃないか。・・・と無理やり自分に言い聞かせ、落ちないことを祈りつつバンコクへ向かう。到着は夕方、空港からはバスでバンコクの王宮に程近いカオサンロードに向かう。この場所はバックパッカーの集う安宿街として有名で、バスの乗客は白人が大半を占める。世界各国への航空路線、旅行代理店、両替所、世界の古本を扱う店、世界の料理店。とりあえずカオサンまで行けば、宿から次の旅の手配まで、必要な事は全て片付けることが出来る。 重い荷物を早く降ろしたいので、宿探しをする。しかし150バーツ(500円程)以下で宿を探すが、フロントにたどり着く前に、荷物を背負った私の姿を見るなり、何も喋りかけてないのに「No Room !!」との声がかかる。宿だらけの場所なのに、結局10件目程でようやく空き部屋を発見。小汚く、さらには隣店の爆音ミュージックが窓を震わすひどい宿だ。 深夜3時まで爆音、何百人ものヨダレを吸い込んだと思われる芳しい枕に我慢しながら、いよいよ自ら選んだ過酷な3ヶ月の旅が始まったという確かな実感を得た。 |
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2005.12.10(2日目) 「すさまじい旅の幕開け」汚い宿を即効チェックアウトしJ&J(ツイン300バーツ)の宿にチェックインする。題名は思い出せないが、いつだったか読んだ小説の主人公が泊まっていたホテルで感慨深いものを感じた。 |
ホアランポーン駅周辺中華街 毎日がお祭り騒ぎカオサンロード
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2005.12.11(3日目)
「旅の師匠と会う」昨日のカジノ詐欺未遂を振り切るよう、鞭を打ち今日も異国の町に繰り出す。今日はスクンビット方面へバスで行こうと試みる。 512番線に乗りカオサンロードを離れる。念のためと思い、料金係のお姉さんに行き先を確認する。案の定、「路線が違います降りてください。」といっているように感じる。タイ語だから意味はわからないけど顔が語っている。 すると後ろから日本人女性が「どこに行くんですか」と声をかけてくれた。「スクンビット」へと答えると、どうも同じミスをしているらしい。取り出したバスガイドマップが同じだったから笑った。 何とこのお姉さんは日常タイ語を話すことができ、英語も堪能。一瞬、昨日の今日だから、また新手の詐欺かなと考えないこともなかったが、悪い人には見えない。 |
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2005.12.12(4日目)
「カンボジア方面へ」結局、朝方まで飲んでいた。カンボジアへ安くいけるんだという話が出たとき、今日早速一緒に行いってみようかということになった。国境のアランヤプラテートまで6時間100円程度で行ってしまうらしい。朝10時にホアランポーン駅に着いたのだがトラブルで、次便の13時30分に出発となる。、お姉さんは今晩タイ人と会う約束があるから日帰りじゃないとまずいらしい。それに加え、二日酔いでだいぶつらそう。そこで東へ75キロ離れたChachoengsaoという町に行き先変更。列車の窓からは、高層ビルとオンボロの掘っ立て小屋が混在し、線路の上を生活の場としている人達が見えて不思議な雰囲気だ。 |
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2005.12.13(5日目)
「新しい移動手段」今日はじめて自分ひとりでトゥクトゥクの交渉をした。詐欺未遂のため前回観光をやり損ねた中華街へ向かうためだ。ホアランポーン駅まで50バーツに値切り、まあ、初めてにしては良い奮闘ぶりだったと思う。頭に叩き込んだ交渉のためのタイ語は生きたようだ。 実際のところバスを利用すれば30円程でバンコクどこでもいけるのだが、いつ何時、好きなだけ好きな方向に歩いていって、迷ったとしてもトゥクトゥクで帰ってこれるという観光スタイルは便利。 加えて子気味よい排気音(トゥクトゥクと言う名前の語源になったと言われている)、無謀とも思える運転技術が異国情緒溢れていて楽しくて仕方がない。 |
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2005.12.14(6日目) 「プラトゥナーム市場」プラトゥナーム市場のプラトゥナームは日本語に訳すと「水門」を意味する。市場といっても布製品を多く扱う問屋街のような市場で、バンコク内にありながら結構庶民的な値段設定だという。 しかし、場所を地元の人に聞いて通じない、しかも勝手な解釈をされ関係の無い遠いところまで来てしまった。どうやら発音が違ったらしく「パラットゥナーム」という正しい発音が分かったころには行く気もうせていた。次回にしよう |
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2005.12.15(7日目) 「タイの基本に戻る」旅に出てから一週間がたとうとしている。しかし、成り行きで急にディープゾーンへ足を踏み入れてしまうような感触が続いている。今日は基本を学ぶ意味で王宮の敷地内にある王室専用の寺院ワットプラケオ、バンコクでは最も歴史が古いとされる寺院ワットポーを見学してきた。3日前に見た「ワット・スントーンワララームウォーラウィハーン」と比べて何と趣味が悪いんだ。もしかすると観光客用にこしらえた子供だましなのではないだろうかと疑ってしまう。 |
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2005.12.16(8日目)
「異文化交流」ホアランポーン駅が今回のタイ旅行の中心になりそうな予感があったので、カオサンロードから歩いて土地勘を得ようと考えた。1時間30分の道のりはひどく暑く3本のジュースを消費。しかし、いろいろな時代の物、建物が混在していて不思議な雰囲気が漂う都市バンコク。何を売っている店なのか、いったいこんなことがどうして商売に成りうるのかなどと勝手なことを考えながらの徒歩は実に楽しい。しかし、交通量がこんなにも多いとは驚きだ。しかもその渋滞を構成しているのはほとんどが日本車とトゥクトゥク。ためしに車200台分数えて日本車の割合を出そうとしたが、何と100台数えるまでに90台を超え、残りはドイツ車という結果が出てきた。高級車も目に付きクラウンやベンツSクラスの物もちらほら。見栄っ張りのタイ人だから無理をしてという噂もよく耳にするが、確実に高所得者層の拡大が始まっているのだろうと感じる。 |
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2005.12.17(9日目)
「ウィークエンドマーケット初日」昼、ウィークエンドマーケットをのぞいて来た。1000件以上の露店がひしめき合うアジアでも有数の巨大マーケットが週末だけ現れるという。人人人人多過ぎ。肝心の店のほうは売っている物のクオリティーが低すぎて買う気になれなかった。 |
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2005.12.18(10日目)
「ウィークエンドマーケット2日目」昨日に引き続きウィークエンドマーケットに出かけてきた。しかしこれといってほしいと思わせるような物も無く、ただせわしく行き交う人の中でひたすら4時間以上うろうろしていた。。何も買わないというのもどうかと思い、記念にココナッツをその場で割って売ってくれる屋台で大きいココヤシジューズを買い果肉も全部さらえて食った。昨日からタイの地下鉄MRTを利用しているが、噂道理効きすぎたクーラーで体調を崩した。しかもハイソなタイ人しか乗らないようで面白みにかけた。さすが日本の技術支援と円借款でできているだけある。 |
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2005.12.19(11日目)
「タイを考える」これまで、タイ人を見てきて思ったことを書きたいと思う。 |
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2005.12.20(12日目)
「ワットルアンポー2回目」一週間前に行った寺院ワット・スントーンワララームウォーラウィハーンはとても気に入ってしまい、もう一度本気出してみてこようと出かけるも、休館日。外観だけを写真に収めあとは町の散策に当てた。チャチューンサオはバーンパコン川によって形成された低地が広がり稲作が盛んである。発展具合が程よく、のんびりと過ごせる場所だ |
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2005.12.21(13日目)
「観光地はおもしろくない」今日はラーマ5世までの王様が住んでいたという王宮に行ってきた。世界最大級のチーク材建設の建物の中にはマイセン、バカラ、そのほか海外の高級装飾品などが並んでいる。ガイドの同行がなくては入れなく、写真は不可だった。その割には程度が低く、日本の中小企業の社長クラスの家のほうが豪華かも。 |
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2005.12.22(14日目)
「アクシデント」ここに来て、大概のことでは動じなくなってきたつもりだった。たとえば両足の無い物乞いだったり、栄養失調の子供をネタにお金をもらう母親、詐欺を本業とするずるいやつら。そういうのにもそろそろ見慣れた感じになってきたし、バスを間違えて訳のわからない場所に行って迷ってしまったりしても「マイペンライ」気分になっていた。 |
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