ラオス日記Ⅰ

 

2008.2.6

「太陽の国へ」

国 際バスの中では、夜遅くまで白人たちがうるさく、眠れなかった。6時半に国境イミグレーションが開き手続きにかかる。ノービザで入国できるのは日 本人の自分だけ。対応窓口が少ないのと、言語の問題で、かなり白人はてこずっているようだ。結局ベトナム、ラオス側のイミグ レを全員が通過できたのは9時半・・・。国境を過ぎ1時間ぐらいで太陽と久々に対面。実は日本から出てから中国でもベトナムでも太陽をまともに拝めていな い。鬱蒼と茂る南国っぽい森の中に時々高床式の住居がぽつぽつと現れ始める。カンボジアでも似たような住居は見たが、圧倒的にこちらの ほうは清潔で、軒下で携帯電話片手に日向ぼっこしてる人などがいる。
夕方5時ごろビエンチャン入りする。首都なのに首都らしくなく、とても静かな場所だ。それでも、街ではNOKIAやTOYOTAが猛威を振るっており、頭 の中にクエスチョンマークが飛び回る。宿自体まだ少ないということもあるのだが、白人たちが押し寄せるシーズンらしく、結局予算オーバーの宿に一泊しなく てはいけないことになってしまった。

 

 

2008.2.7

「ゆったりした国」

高 い宿はチェックアウト。清潔感たっぷりで評判の高いサイスリーゲストハウスというところで、チェックアウトする人を待ってチェックインする。そ れにしてもこの国は、思ったとおり自分の性に合った国だ。流れる時間が明らかに遅く、のんびりしていて、気候も言うことなし。今回のたびで初めてホットで きた。

2008.2.8

「旧車天国」

メコン沿いを散歩することから一日が始まった。一つ気がついたことがある。やたらと旧車が良い状態で走っているということ。日本ではぜったに 見ることが無くなった日本車。コレクターが見たら目が飛び出るような値段で買うだろうヨーロッパのアンティークカー。ものを大切にするラオス人の気質が見 えたような気がする。

2008.2.9

「ブッダパーク」

今日足を延ばした先は「ワットシェンクワン」別名ブッダパーク。比較的新しいもので、歴史的な重みとか、そういった類のも のは全く無いらしいのだが、かなり期待して向かった。タラートサオからバスで1時間、タイとの友好橋を越える頃には、道もかなり悪くなり、まともな車は 走ってない。とても首都から伸びる主要道とは思えない。しばらくすると、メコン川沿いにいかにもジョークとしか思えない大きな石像が姿を現す。いよいよ ブッタパークに入場。期待を裏切らず、あほらしさ満点の石像が所狭しと並んでいる。個人的には、あと、500年ぐらいして、苔がむすころにはワールドヘリ ティッジから声がかかるのではないかと本気で思う

2008.2.10

「薬草サウナ」

今日向かった先は、薬草サウナに入れるという有名な寺院。片道3キロの道を歩いて着いたのは10時半ごろだが、係りの人に聞くと13時からしか やっていないとの事。でも、ここが旅の面白いところ、無駄とも思えるこんな時間も、実はものすごく意味を持ってくる。突然境内で歌声が聞こえたかと思う と、ピックアップトラック3台に乗り込んだ集団が押し寄せる。歌い踊り、様々な物を奉納して行った。あまりのテンションの高さにあっけにとら れて見ていたという感じ。次は、ふと人だかりができているところに鉢合わせる。重々しい雰囲気の中で行われていたのは納 骨の儀式。日本の様式とかなり似ていたようだ。
1時になりやっと目的のサウナに入る。腰巻ひとつになり案内されたのは掘っ立て小屋の中の4畳無い場所だ。立ち込める水蒸気にはこちら独特の薬草の香り。結局4時間ぐらい出たり入ったり、マッサージを受けたりと旅の疲れを癒すことが出来た。

 

2008.2.11

「休息日」

少し今日は、昨日のサウナでの湯冷めから体調が思わしくない。本を読んだりして一日をすごす。そんな中、昼ごはんを食べようと、ウロウロしていると、ベトナムハ ノイでも会った日本人にばったり再会。前回あったときもフィーリングが会う人だと思っていたのだが、話せば話すほどにオモロイ人。実は、青年海外協力隊を今 の自分の歳あたりでこなして、今はパイロットになっている偉い人 明後日は彼と行動をともにします。

2008.2.12

「ウイルス感染」

私ではありません

パソコンです

安さに引かれて中華街の怪しげなインターネットカフェでHDDをつないだら不安定になってアクセスできないフォルダが続出。他の場所で再接続し てみると出る出るわ、大量のウイルスが検出されました。大切な写真データなので何とか復活させたい。旅をしている方、お気をつけくださいませ

2008.2.13

「バイクツーリング」

今日は一昨日あったYさんとバイクツーリングに出かける。100ccホンダバイクをガソリン代込みで10ドルぐらい。行き先を決めていたわけではないが、 フィーリングが会うYさんと向かう先には刺激がたっぷり。首都でありながら中心部から3キロも走れば舗装道路は無くなり、本来のラオスの姿が見えてくる。竹で編んだ 家が多くなり農業を中心に回る生活は、のどかそのもの。気の向くまま山道に分け入り、おかしな村を発見したりと、相当エ キサイティングな一日になった。

2008.2.14

「和食」

夕ご飯は、日本食堂に出かけ、定食と日本酒熱燗をあおる。やはり同じように日本食を求めて日本人がたくさんきていた。ほとんどが、こちらで働いている人や、 旅人であることを忘れてしまったような人。ビエンチャンという町は、旅人が長居する場所ではないそうだ。「なに!?一週間もここに滞在してるの?暇人だ ね、それとも日本にいられなくなったひとかい?」なんて辛口なジョークまで飛ぶ。

2008.2.15

「最悪の移動」

今日のバス移動は、自分史に残る最悪の移動となった。ビエンチャンから10時間の場所で大きな祭りがあると聞き向かった先は、マイナーな町パクライ。年期の入ったヒュンダイのバスは定員をはるかに超える乗客と物資が搭載。傾くたびに横転しないか心配になる。サ スペンションももはや機能していない。
どうして、ほかにいいバスがあるのにこのバスなのか?その答えは、道がひどすぎて良いバスが勿体無いから、崖に転落しても諦め切れるおんぼろが使わ れているのだとか。十時間の移動、ゲロのすっぱい匂いが車内に立ち込めとにかく早く到着することを祈った

 

2008.2.16

「エレファントフェスティバル」

70頭に及ぶ象が集結するお祭りが今日から3日間行われる。朝、会場へと足を運ぶと、ちょうど川に入って水浴びをさせている光景に出会った。写真を撮ろう とファインダー越しで観ていると急に後ろに巨大な象が迫っていたなんてことはザラ。まったく手名づけられた様子はなく、普段は木材運搬用に使 われている象らしい。この方が格段に面白い!しかし、安全面やスケジュール管理面の関係で日本からツアーが組まれることは絶対にないと思う。実はフラ ンスの環境保護団体が昨年から開いているお祭りらしいのだが、すべてラオス人に運営を任せている。ラオス人はラオス人で、「フランス人が何か始めたから、 とりあえず便乗して騒いでやれ!」といった具合。スケジュールどおりに進まないし、係員らしき人も当てにならない。今回の祭りで4人の日本人を観たが、観 光客ではなくジャイカの協力隊関係の人ばかりだった・・・・

 

2008.2.17

「なんと適当な祭り運営」

今日は、昨日あったJICAのシニア協力隊としてラオスに勤務する夫婦と行動を共にする。予想外にこの一週間金を使っていたのでKip(ラオス通貨)が少なくなって いたが、銀行らしきものがあってもトラベラーズチャックを使うことが難しい。今日はTCを差し出すと、何人も銀行員が集まってきて協議 を重ね、Bossに聞かないとわからないから、30分待ってくれ→Bossが本社に電話 結局使えませんとの返答・・・・現金で持ち歩いていた 日本円も交換には応じられないそう。日本人がいたことに感謝だ、1万円をKipに替えてもらって難を逃れた。
今日は70頭の象のパレードと、エレファントライド、エレファントレースと、スケジュールに載っていたのだが、午前中から片付けムード。何のアナウンスも なしにエレファントレースは行われなかった。西欧人たちは右往左往。ラオスに住む夫婦の話では、こんなことは日常茶飯事らしい。

 

2008.2.18

「謎のコミュニケーション」

今日は、ビエンチャンへと戻る。バスでのつらい移動が頭に残っていたので、今回はメコンを下るスローボートで帰ることにした。バスでの移動と時間は変わらず10時 間。風景が見られる場所を選んで座ったのが間違いの元だった。ちょうど水しぶきのかかるところで、体温が奪われて大変な移動となってしまった。隣に座った ラオス人の女の子が、お世話になった食堂で手伝いをしていた子で、まったく言葉が通じないのが、ためしに身振り手振りでのコミュニケーション。ちょうど食料の ためにリンゴをたくさん仕入れてきていたので、切り分けてやってみた。すると、あちらも何か謎の食べ物をくれたり、いろんな気を使ってくれる。見所 を見逃しそうになると突っついて起こしてくれるといった具合。素朴でとてもよい子 10時間、ぜんぜん言葉が通じなくても心地よいコミュニケーション

 

 

2008.2.19

「裏技」

ラ オス滞在14日目を迎えて、ノービザで滞在できる期限は明日だ。しかし、一度国外に出ることでリセットされるとの情報を手に入れた。裏技的な手段を使っ て、もう15日間ラヲスを楽しもう。タラートサオバス乗り場より、タイのノンカイ行きのバスに乗り込む。55バーツという 格安な値段でタイとの友好橋を渡る。イミグレーションでは、ほとんど素通りに近い状態。荷物検査などまったくない。タイではまったくすることが見当たらな いので着いたバス停で折り返し即効ラオス入り。400円ぐらいの金と少しの手間で15日間エクスパンドに成功。

 

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