ラオス日記Ⅱ

2008.2.21

「シェンクワンへ」

15日間滞在したビエンチャン周辺にはもう未練はない。今日も10時間ぐらいのバスでの移動。次ぎ向かう先はシェンクワン(ポーンサバン)という町だ。昨 晩から腹の調子が悪くて心配していたが、日本から持ってきた梅肉エキスとリンゴで持ちこたえる。国土の90パーセントが山岳地帯というラオス。九十九折坂 で、風景はどこも絶景。ビエンチャンからは一応幹線道路ということで、すべてが舗装道路。道の通る村は旅行者の落としていく金でかなり豊かに見える。もし も短い旅でビエンチャンとルアンパバーンしか行かなかったら、最貧国に分類されることに疑問を抱くかもしれない。 今日訪れた町は、謎の遺跡で有名な場 所。平原に巨大な石製のつぼが点在する。明らかに人為的に作られた形なのだが、巨大で、石が産出される場所は近くに無い。モアイに似たも のを感じる。今日のところは時間がないので、町から一番近いサイト1と名づけられた遺跡群にバイクタクシーを捕まえて行ってきただけだ。夕日の時間帯とあいまっ てかなり良い雰囲気だった。

 

2008.2.22

「なぞの遺跡ツアー」

朝9時より、白人たちに混じってジャール平原を廻る。10人ほどのヨーロピアン達の中で黄色人種は自分ひとりだけ。現地のガイドは何かと白人に気を使うた めに俺をネタにしたジョークを飛ばす始末で、なんとも気分が悪い。昨日のうちに最高のポイントで夕日を見ているため、消化と言っては悪いが全体を把握できた ので一応満足。ツアーはジャール平原と戦争の爪あと、そして酒造の見学とのセットであった。ラオスのドブロクの製造過程を見てその場でペットボトル一本分 のドブロクヲ購入した。この町での見所はこれといって他にないので明日の朝ルアンパバーンにたつことにします。

 

2008.2.23

「長旅で見えてきたもの」

早朝八時半にルアンパバーンへのバスに乗り込む。バスは定員割れしてお り二席自由に使い、道もさほど悪くない。到着は16時ころになる。少し宿探しに手間い、他の日本人とシェアすることでツインの部屋に収 まることになる。バスが快適で、特に疲れは無く、到着間もなく、夜店の並ぶ通りへと出かけることにした。通りにびっしりと並ぶ夜店の露店はなかなか壮観。 雑貨をあさるにはもってこいだ。しかし、今回の旅の中でどこかしらで見てきた物が多い。巧妙に風化した偽骨董品やいかにも手作りっぽ いどこか抜けたクオリティー・・・多分、中国あたりで大量生産されたものなのだろうが、短い旅行でお土産をかう人は絶対に本物だと思って買ってしまうんだ ろうと思う。

 

2008.2.24

「ルームシェア」

初めて日本人と宿のシェアをしたわけだが、信用のおける相手であればほぼ半額でとまることが出来てしまう。うまく利用した犯罪もある らしいので気をつけたい。本日はメコン川で泳いで、赤十字サウナで汗を流した。「ガンジス川でバタフライ」なんて本があったが、それをまねしてメコンでバ タフライ!!そして本物の赤十字病院にある名物薬草サウナに入った。関係ないが、今日は小学校以来ほとんど接点がなかった人と音信が取れ、なんかうれし かった。

2008.2.25

「おはようルアンパバーン」

ルアンパバーンの朝はある名物儀式があるため、ものすごく早い。五時四十分に外にでて少し歩いてみる。すでに始まっているようで、想像以上の僧侶の大群が 街の中を練り歩いている。そう、托鉢である。200人ぐらいだろうか。どのようなカメラ設定で彼らを撮ろうか色々テストしてみた。恥ずかし いことに、この時点でマナーの悪いことをしていたらしく、フラッシュをたく行為は控えるようにと街のいたるところに張り紙がしてあった・・・反省。
托鉢が終わると、朝市が動き出す。ニシキヘビのぶつ切り、コウモリの干からびたもの、猫、鳥などが食用として並び、我々からすると相当ゲテも振りである。

2008.2.26

「托鉢詐欺」

本日も五時におきて、托鉢を見に行く。今日は見ているだけではなく実際に托鉢の僧侶たちにお供え物を渡してみようと向かった。ちょうどよいところに売り子 がやってきて、お供えのやり方を教わりながらやってみることに・・・・なかなかそのお供え用の食料がボッタクリ価格、そして何かと押し付けては金を要求し てくる。そうとう鬱陶しくなりブチ切れ!神聖なものを傘にかぶった詐欺じゃねーか  と、帰ってから宿の主人に聞くと、しっかりと街が出しているポスター を見なさいとのことでした。昨日のフラッシュの件の下のほうに、売り子からお供え物を買わないことと注意書きが・・・。国も厄介な存在として認識している ようだ。

 

2008.2.27

「今後について考える」

本日はあいにくの悪天候。ビザに有効期限があるため、そろそろラオス以降の予定についても考えなくてはならない。どう血迷ったのか、幻滅していた中国にま た戻る算段をしている。中国人の友人より情報を提供してもらい、雲南省あたりの旅が濃厚となってくる。順調かつ快適に進んでいる今回の旅の締めくくりと なるだけに事前の下調べをしっかりとしていきたい。

2008.2.28

「病気」

日課となた托鉢の見学に出かけるも、体が思うように動いてくれない。関節のすべてがだるく熱が出てきたようだ。これまで経験したことのない感覚に、マラリ ア、SARS、鳥インフルエンザ・・・色々な単語が頭の中をよぎる。とりあえず食事をりんごのみに切り替える。

2008.2.29

「心変わり」

昨日から続いていた熱は本日の昼ごろまで続いたが、去っていったようだ。今回とまっているゲストハウスではかなりの日本人が居るにもかかわらず、関わりが 希薄で助けを求めることができなかった。いざという時のためと言うわけでもないが、少しスタンスを変えてゲストハウスでの旅人同士の会話を楽しんで見ようかと心を入れ替える。

2008.3.1

「げっそり」

昨日の日記を有限実行。ヒッピーとか、少しニホンでは受け入れられないようなオタク、いろんな人と語り合った。その中で、50代のオッサンと夕飯を食べに行くことに・・・病気のこともあるから止めておけばいいものを、かなりディープな地元料理をたいらげてしまった。
結果、真夜中四時過ぎあたりから、変なムカムカがこみ上げてきて、トイレに駆け込んだ瞬間、すべてのモノが消化されてないまま戻ってきた。その後4時間トイレを往復 ゲッソリ

2008.3.2

「聞いてないよ」

早いもので、またもやノービザリミットが近づいてきて、本当は今日にでもルアンパバーンを出る予定だった。しかしチェックアウトに向かうと、宿のママが 「なぜエレファレントパレードを見に行かないんだもったいないだろ」と言っている。どうやら、多くの若者たちが民族衣装を着てパレードするようだ。一応、 チェックアウトして祭りを見に行くことになってしまうが、ママが言うだけあって、相当被写体が多く大満足。そして、宿に帰ると、次は今日の祭りと、この宿 の娘さんの誕生日を祝うディナーがあるといっている。帰り支度をしていたのに引き止められる形になってしまった。他の部屋を探していた日本人とシェアする 形でサイドチェックインをする。今日のディナーのために日本人宿泊者も食材や食べ物を持ち込み、楽しい会話から哲学的な話など、かなり盛り上がった。そし て、今日部屋をシェアしたのは、卒業旅行中の名門大学の女子大生。日本では絶対にありえない接点に緊張しながらも、おもしろい話ができて、今日去らなくて よかったと本当にママに感謝

 

2008.3.3

「ルアンパバーン最終日」

本日は、いよいよルアンパバーンとはおさらば。長い滞在だったが、一人では心細くて行けなかった場所があった。メコンの対岸の集落で、漁師に頼 んで船で渡らなくてはいけない場所だ。とりあえずラオスの最後の思い出として、部屋をシェアしていた子と出かけることになった。無事船を捕まえて対岸に渡 ると、急にローカル色が濃くなり、ジャングルの香りと音に包まれる。山道をあがって行く 寺院がいくつかあるが、今は使われていないようだ。村人の案内で 洞窟を探検し、今はボロボロになっている寺院でくつろぐ。まるで日本のお寺の縁側に居るような心地よい時間が流れる。ふと、どこからかラオスの女の子たち が歌っているのが聞こえる。近づいてみると、ざるを持って元気よく合唱しながら川へ向かう女の子たち。手招きしているので付いて行って見ると、そのまま川 に入って藻(海苔?)をざるに採集しているようだ。カメラを向けるとポーズをとってくれる彼女らは、歳の割りに大人びたしぐさだ。自分も見よう見まねで藻 の収穫をしてみる。まったく言葉は通じないけど双方とても楽しく笑いの耐えない時間を過ごした。
しかし、タイムリミット
ゲストハウスに急いで戻りフエィサイ行きのバスに乗り込む。GHの皆さん宿泊者のあたたかい見送りを受けてジーンとした。