伊勢神宮参拝記その3



伊勢神宮参拝に合わせ伊勢志摩二見浦及び豊橋稲荷を参拝しました。


 第62回式年遷宮は平成17年ご造営用材を伐採する山の神を祭る山口祭から始まり、平成25年遷御の儀まで8年間諸準備が行われているということです。
 これらの中で旧神領に当たる伊勢の地元民を中心に国民参加の行事「お木曳行事:伊勢市・二見町・御薗村の住民が2か月にわたり御用材を両宮に曳き入れる盛大な行事」及び「お白石持行事:完成した正殿に建つ御敷地に敷く白石を奉献する行事」に当って、数日前に揃いの法被(はっぴ)姿で二見輿玉神社に「浜参宮」をして、心身を清めてから行事に臨むと云うことですので、併せて同神社を参拝して参りました(伊勢神宮式年遷宮広報本部HPを参照)。



 二見浦海岸に建つ二見興玉神社
主祭神猿田彦大神は天孫降臨の際に高天原と豊芦原中津国の道案内を務めたことから「道開き(導き)の神」とも言われている。

古来、伊勢神宮に参拝する前、また、祭典に奉仕する前には、清き渚と称される二見浦で(沐浴)を行うのが慣わしであった。現代ではそれに代わるものとして、二見興玉神社で霊草無垢塩草での祓い清めを受ける。これに使う幣は、興玉神石付近で採れる海草(アマモ)である。現在、神宮式年遷宮のお木曳行事やお白石持ち行事への参加者は浜参宮を行っている(ウイキペデイア百科事典)。
 
 
 注連縄が張られている夫婦岩
 夫婦岩の上、夏至の前後、遥か遠くに見える富士山に重なるように太陽が昇る
 
 夫婦岩の他、烏帽子岩、獅子岩、屏風岩が近くにはある  夫婦岩近くには浜参宮の幟が立っている
 
 
 二見興玉神社境内には日の神、皇居遥拝所がある


 お白石持行事
 完成した正殿が建つ御敷地に敷く白石を奉献する行事で今回のお白石持行事は伊勢市民延べ約157,000人と全国の崇敬者ら約73,000人が参加して盛大に執り行われるということです。
 お白石を運ぶには川曳きと陸曳きがあり、川曳きでは白石を入れた樽をそりに積んで綱を引き、内宮を流れる五十鈴川の下流から宇治橋まで約1キロを遡って奉献する。早朝から綱を引く威勢のいい掛け声が響く。運ばれたお白石は一つずつ丁寧に白布に包んで運び新正殿の周囲に奉献するという。
 幸いにもお木曳車に積んだ「 陸曳 き」行列を見 ることが出来ました。

橋の上の立つお白石持の幟  お白石奉献参入口(内宮)



  今回の旅は2日間と云う短い駆け足旅でした。
 一生に一度はお伊勢参りと江戸時代の人達には超人気スポットであったようです。江戸時代後半にはなんと500万人もの人達が伊勢参りをしたという記録もあるそうです。
 また別の資料によると昨年は参拝者803万人、式年遷宮がある今年は1,000万人を超えるとの予測もあります。
 今から数百年後、千年後、人々の生活や文化など大きく変わっているかも知れません。しかし20年に一度の式年遷宮のお祭りは常しえに変わることなく受け継がれていくことを思うと大きな感動とロマンをそこに感じずにはいられません。








 豊川稲荷参拝
 日本三大稲荷のひとつ豊川稲荷も併せて参拝して参りました。
 不勉強で汗顔の至りですが豊川稲荷は神社とばかり思い込んでいましたが、正式名は「宗教法人 豊川閣妙嚴寺」、曹洞宗の寺院です。
 豊川稲荷がお祀りしているのは、鎮守・豊川だ枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)、豊川だ枳尼眞天が稲穂を荷い、白い狐に跨っておられることから「豊川稲荷」が通称として広まり現在に至ったとHPの豊川略式縁起には記されています。
 豊川閣妙嚴寺は広大な境内の中に堂塔伽藍が多数点在し整然と配置がなされています。
 本殿から読経が聞こえる中静かに手を合わせお詣りをして参りました。
 本堂右手には霊狐塚があり、1000体以上の狐の石像が祀ってあるということです。 参道の幟の数も驚くばかりです。参拝の時間が無くなり境内を一巡することが出来なかったのは誠に残念です。


 
 総門
 
 正面鳥居奥は本殿
 
 法堂、参道の千本幟
 
 
 本殿


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