伊勢神宮参拝記その2



皇大神宮(内宮)
こうたいじんぐう (ないくう)



 内宮は正式には「皇大神宮」と呼ばれて、五十鈴川の川上、深い原始の杜に広がるご神域に天照大神をおまつりしています。
 天照大神は太陽の神様、皇室のご祖神、日本の総氏神様です。
 神宮は、わが国で最も至貴至高、唯一のお社であり、内宮は2000年の時を超えて古代のただずまいを今に伝えています。
 




皇大神宮(内宮) 
御祭神  天照大御神(あまてらすおおみかみ)

御鎮座  垂仁天皇二十六年
 御祭神は皇室の御祖神であり、また私たち日本民族の大御祖(おおみおや)の神様です。
 天照大神は、初め歴代天皇のおそば近くでおまつりされていましたが、第10代崇神天皇の時代に、皇居から大和の笠縫邑(かさぬいむら)にお遷(うつ)し、まつられました。
 次の第11代垂仁天皇の皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)が大御神を永遠にまつる宮処を求めて、伊賀、近江、美濃等の国々を巡幸されました。
 そして垂仁天皇26年(約2000年前)現在の御鎮座地である伊勢の五十鈴川の川上に「大御神の御心に叶った最も美しい宮処」としてお鎮まりになりました(伊勢神宮式年遷宮広報本部公式ウエブサイトより転載)。



 心静かに参拝
 皇大神宮(内宮)は豊受大神宮(外宮)の鎮座地から5q程離れた地にあります。
 清涼な五十鈴川に架かる橋を渡るとそこは内宮の厳かな神の聖域です。清らかな川、深い森、やわらかな森、これらがすべて神宮の森です。広さは甲子園球場の1500倍もあると云う。
 古来より清流と謳われてきた五十鈴川御手洗場(みたらし)で心身を清め、真新しい木の香のする巨大な檜の鳥居をくぐる。参道には樹齢500年と云われる杉、檜が立っている。厳かな気持ちが誘(いざな)われる。しっかり玉砂利を踏んで正宮へと向かう。途中には神楽殿等がある。
 正宮は、聖域中の聖域です。社殿の中心の正殿は五重の垣根に囲まれ、唯一神明造りの古代の様式を伝え、萱葺きの屋根には10本の鰹木(かつおき)がのせられ、4本の千木(ちぎ)の先端は水平に切られていると云う。
 心を込めて静かにお詣りしました。
 正宮参拝の後内宮の別宮は10社あるとのことですが、荒祭宮(あらまつりのみや)を参拝しました。


 
 皇大神宮(内宮)案内図
 
 五十鈴川に架かる木造の宇治橋(鳥居の先)
 橋の長さは101.8m。両はしに建つ鳥居は両宮の旧正殿棟持柱(むねもちはしら)をリサイクルしているという
 
 純和風の宇治橋 清流五十鈴川 
 
 五十鈴川御手洗場(参拝する前に心身を清める場)
 
 火除橋を渡ると前方に第一鳥居  更に進むと第2鳥居
 
 
 ご祈祷の神楽を行う神楽殿と御饌殿、お札やお守りを授与しています。



 正宮(写真撮影は石段下まで可)
 
 新御敷地に建つ新社殿
正宮の敷地は東西2か所あります。本殿が東の御敷地にある「米座」の時は平和で心豊かな「精神の時代」、西にある「金座」の時は波乱激動する「経済の時代」とも言われているそうです。
今年は本殿が西にある御敷地「金座」に遷ります。
式年遷宮の遷御は大御神が本殿から新殿へとお遷りになる遷宮祭の中核をなす祭儀です。内宮では平成25年10月2日、外宮では6日に斎行されます。 



 
 荒祭宮(天照大神の荒御魂をまつる別宮)
 
 
 古い宝物を収める倉・外幣殿




 おはらい町・おかげ横丁
 内宮を参拝した後は買い物、飲食、街を散策するのも楽しみの一つです。町は宇治橋から五十鈴川に沿って約800m続いている門前町。
 沿道には伊勢うどんや手こね寿司など郷土料理店や土産物店が軒を連ね、建物はほぼすべて切妻、入母屋などの木造建築で統一されています。
 また、おはらい町中ほど「赤福本店」前を入った所にはおかげ横丁があり、ここでも飲食店やお土産店が軒を並べ多くの人で賑わっていました。
 


 おはらい町
 
 おはらい町「赤福」本店とおかげ横丁入口案内板
赤福本店では清流五十鈴川の静かに澄んだ川面と壮大な内宮の杜を眺めながら赤福とお茶ををいただきました



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