伊勢神宮参拝記その1


豊受大神宮(外宮)
とようけだいじんぐう (げくう)


平成25年7月28・29日伊勢神宮を参拝しましたので参拝記を掲載させて戴きます。

  伊勢神宮の正式名称は「神宮」といい、125の宮社からなり、宇治の五十鈴の川上にある天照大御神を祀る皇大神宮(内宮:ないくう)と山田原にある豊受大御神を祀る豊受大神宮(外宮:げくう)からなっています。
 神宮は日本の神々が御鎮座する永遠の聖域であり、深い静寂の中に清らかな大気が満ち、川のせせらぎ、森の匂い、神々が住む厳かな雰囲気を漂わせています。
 また、神宮は「お伊勢さん」「大神宮さま」とも呼ばれ日本人の心のふるさととして昔から親しまれています。
 江戸時代の人々は一生に一度は伊勢参りをしたいと願っていたと云う。伊勢参りを各地の人に仕掛けた(PRした)のが神職を兼ねる御師(おんし)と呼ばれる人で、伊勢参りの人々の宿泊から観光とおもてなし一切のプロジュースを引受けていたと言われています。
 さて、今年(平成25年)は、20年に一度御正殿を始め御門、御垣内などの社殿を建替え、御装束神宝を新調して神さまにお遷つり願う第62回目の式年遷宮が執り行われる年です。
 式年遷宮は持統天皇四年(六九〇)に第一回が行われて以来、我が国の永遠を求めて世界に類のない伝承システムによって永々と千三百年間変わることなく厳粛に執り行われ受け継がれてきました。


豊受大神宮(外宮) 
御祭神  豊受大御神(とようけおおみかみ)

御鎮座  雄略天皇二十二年
 豊受大御神はお米をはじめ衣食住の恵みをお与えくださる産業の守護神です。
 今から約千五百年前に丹波国(現在の京都府北部)から天照大御神のお食事をつかさどる御饌都宮(みけつかみ)としてお迎え申し上げました。
 御垣内(みかきうち)の御饌殿(みけでん)では毎日朝夕の二度、天照大神に神饌(しんせん)を奉るお祭りが御鎮座以来一日も絶えることなく行われています(※神宮司庁案内掲示板より)。
 豊受大御神は、崇敬する母智丘神社の御祭神でもあります。 



 正宮参拝
 伊勢山田、高倉山のふもとに鎮座する外宮。表参道日除橋を渡って左手に手水舎、右手奥向かいには清盛楠があります。
 正面には檜の香が匂い立つ真新しい巨大な第一鳥居、鳥居を通って杉の古木が並び立つ参道、玉砂利を踏んで更に進むと第二鳥居、その先右側には鎌倉時代風の屋根が美しい建物神楽殿があり、御祈祷の神楽や御饌を行う御殿です。お札やお守りも授与しています。
 神楽殿の先少し進んで左手奥には、土宮(つちのみや)、風宮(かぜのみや)、多賀宮(たかのみや)などの別宮があります。時間の関係で別宮遥拝所で参拝し、正宮へと向かいました。
 正宮の左隣地には10月にお遷りになる新御敷地(しんみしきち)があり新社殿を参道から垣間見ることが出来ました。御正宮の写真撮影は石段下の参道からのみです。


 正宮・御饌殿・忌火屋殿
 正宮(しょうぐう)は御祭神である豊受大御神がおられるのが最奥、外側から板垣、外玉垣、内玉垣、瑞垣の四重の垣根のかなたに東西二つの神殿を控えて立ち、御正殿が神様のお住いになっている所です。
 御饌殿(みけでん)は正宮の一角にあり毎日朝夕の二度、天照大神、豊受大神を始めとする神々に食事を奉る御殿。
 忌火屋殿(いみびやでん)で毎日おこした聖なる火「忌火」で調理されたものが御饌殿にお供えされます。



 外宮案内地図
 
 表参道日除橋を渡って外宮御神域へ
 
 
 清盛檜
樹齢800年あまりと云われる楠の大木。平清盛(1118〜1181)が勅使としてこの地を訪れた際、冠に触れた西側の枝を切らせたとの逸話があることから清盛檜と呼ばれている。
木は2本のように見えますが1本からなる巨木です。
 
 第一鳥居
一般参拝者、各地からの参拝者団体、式年遷宮奉献団体等多くの人々が訪れている 
 
 
樹齢数百年の 巨木が立つ参道
 
 第2鳥居
 
神楽殿
ご祈祷のお神楽や御饌を行う御殿、お札やお守りを授与しています



 御正宮で参拝
 
 御正宮左隣地の新御敷地(しんみしきち)、新しい鳥居が見える



 せんぐう館
 手水舎の左隣、勾玉池を前に建っています。式年遷宮の資料館で外宮正殿の原寸大模型、外宮殿舎配置模型、渡御御列模型、遷宮シアター「神宮式年遷宮が伝えること」をさまざまな映像で、200インチのスクリーンにハイビジョン映像を投影して紹介しています。ここも内部は撮影禁止となっています。 


 勾玉池を眺めながらの休憩所  勾玉池
 
 せんぐう館の前勾玉池に作られた奉納舞台



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