マレーシア1

 10月16日(水) 晴 マレー鉄道でマラッカへ

 早朝5時07分昨夜に続き非常ベルが鳴る。幸い何事も無く異常なしのアナウンスがあった。6時にはチェックアウトを済ませて朝食をとる。外はまだ薄暗い。日本との時差は1時間だがもっとあるような気がします。まだ夜が明けきれない6時45分にはホテルを出発しました。

7時に駅に着いて、マレーシアの出入国カードに記入する。妻と娘は駅の売店で残った小銭で買い物をしてきた。私たちの乗るEkspresRakyat号は8:00に出発、12:38に目的地タンピンにつく予定です。ここでお世話になった謝さんとも手を振ってお別れ、列車に乗り込みます。 列車は到着列車を待って15分遅れで出発、いよいよマレーシアに向かいます。8:47分ジョホールバル駅につきました。ここで乗客はいったん列車を降りて出国手続きを済ませます。

  しかし先ほどシンガポール駅で私たちはパスポートと出入国カードを見せて入国手続き?を済ませています。とすると私たちはマレー シアに入国してからシンガポールを出国したことに    マレー鉄道              なるのでしょうか。

     これには両国の複雑な事情があるようで詳しいことは分かりません。とにかく私たちは9:02再び列車に乗り込んで出発しました。途中列車は熱帯植物群の中を進んでいきます。時折、30階を越える高層住宅が見えす。  9:05ついに列車はジョホール水道に差し掛かりました。列車の橋の右側に太い三本の水道管が見えます。そうシンガポールはマレーシアから水を輸入しているのです。9:10列車はマレーシア側のジョホール駅につきました。ここで乗客が多数乗り込みました。車窓に目をやると高層15階建ての作りかけて中断している家が見える。寝台列車の到着を待って9:21出発です。北部のタイに近いところでは電化が始まったと聞きますが、マレー鉄道は単線でまだ電化されていません。

列車は一面の椰子畑の中を走っていきます。ここで植え
られている椰子はほとんどがパーム椰子で油椰子ともいわれているように油をとることを目的に栽培されています。この油からは食用油、マーガリン、椰子の実石鹸、ビスケットなどが作られます。

 原生林を切り開いて見渡す限りの等間隔に植えられた椰子畑が延々と続きます。10:28比較的大きな町のKLUANG駅に到着しま した。
 11:00シンガポールで貰ったお弁当を少し早めですが昼食にしました。

                                              パーム椰子
  11:15 PALOH、11:35 BEKOK、11:52 LABIS各駅に停車12:10 GENANG駅につくころには椰子を植えるために切り払われた一面の裸の山が見えてきました。小さな椰子の苗を運ぶトラックも見えます。 12:17 SEGMAT 駅に到着しました。大きな町で駅前には15階建てのビルがありました。列車はやがて広い湿地帯を通過しました。これまでとは違った風景です。本来ならそろそろ到着の時間ですが列車は1時間ほど遅れていると添乗員の塚本さんが告げて回っています。 英語のVIDEOが流されていますが、車内は冷房が効いているし、昼食は済ませた、景色は単調、皆さん眠気を催してきたころです。12:41GEMAS着、珍しく駅の近くにゴルフ場がありました。

 13:32とうとうTAMPINに到着しました。マラッカには鉄道の駅がありません。小さな田舎の駅ですがここが一番近い駅なのです。 列車を降りたわれわれ一行はここで現地案内人のキュー(邱)さんと出会いました。日本の拓殖大学で学んだこともあるという人で大変愉快な人で楽しい旅になりそうです。 マレーシアはマレー系62%、中国系30%、インド系8%、その他少数の外国人が暮らす多民族国家です。国民の半数以上がイスラム教を信仰しているイスラムの国でもあります。 面積は日本の約9割、人口は約2100万人、開発は国土の30%です。

バスは一路マラッカ市街に向かって走ります。時折カンポン(田舎)風の高床式の家が見えます。マレーシアには四季がありません。一年を通じて日本の夏のようなものです。雨も多いのでこのような高床式の風通しの良い家ができたのでしょうが、最近の新しい家は高床ではなくしゃれた洋風の家が多いようです。

 14:30 私たちはオランダ広場に着きました。いよいよ観光の始まりです。マラッカはマレーシアの古都です。15世紀には王国として栄え、交易によってインドや中国、近隣諸国に も広く知られていました。

 14:30 私たちはオランダ広場に着きました。いよいよ観光の始まりです。マラッカはマレーシアの古都です。15世紀には王国として栄え、交易によってインドや中国、近隣諸国に も広く知られていました。

  その後16世紀になるとポルトガルの植民地になり、さらにオランダ、イギリスの支配を受ました。従って独特の異国情緒が漂う歴史の街です。 1753年に建てられたキリスト教会は赤いレンガ色をしています。この前から少し丘を登っていくとセント・ホール教会があります。1521年ポルトガル 人によって造られ、その後オランダ人によってセント・ポール教会と名づけられました。現在は廃屋になっています。

 日本にもなじみの深いザビエルの遺骨が一時葬られていました。前にはザビエルの大理石の像が立っていました。

 丘を降りるとサンチャゴの砦があります。1511年ポルトガル人によって築かれた砦ですが1807イギリス軍の攻撃を受け徹底的に破壊されました。現在は城門を残すのみです。この丘にはパリのモンマルトルの丘のように芸術家の卵が絵を描いて売っていました。
  案内人のキューさんは彼らと顔なじみらしく声を掛け合っていました。



  次にトイレ休憩をかねて寄った所はコンビニ(*便利店)、夜、部屋で飲むビールや水を買うのかと思ったら日本人観光客向けの商品が結構ありました。マレー人参と いう木の根のようなものもあり、日本の医学者が その効能を認めたという新聞記事がありました。

 次はマラッカで最も古い寺、チェン・フーン・テン寺院(青雲寺)に向かいます。1646年中国から運ばれた材料で造られた寺です。屋根につけられた飾りに特徴があり、最近新しく付け替えられたもので、古いほうは門の上に移されています。祈りの時間らしく尼僧が読経の最中でした。 16:15 マラッカの観光を終えてバスは一路ホテルに向けて北上します。左手にマラッカ海峡が見えます。やがて道路の脇には小エビを天ぷらにして売る店や魚を売る店が続きます。時折見えるマレー人の墓に咲いている夾竹桃に似た白やピンクの花が目に入ります。これはブーメリアの花です。タイではチャンピーの花と呼んでいました。ハワイではレイに使うと聞きま した。

  マレーシアでも米は良く食べると聞きましたがここまで田んぼらしきものは見たことがありません。時折見える白樺に似た肌の白い木の林は天然ゴムを取るゴムの木です。合成ゴムに押されたとはいえ、まだ代用が利かない分野もあるようです。
  17:42 バスはポート・ディクソンのホテルに到着しました。AVILLION VILLAGE RESORT というこのホテルは水上コテージです。残念ながら海の色は思ったほどきれいではありませんでした。海の上に建てられているので夜は波の音が聞こえます。リゾートですのでプールもあるのですが照明も暗く、水着も用意していませんので一行の中で泳いだ人はいないようです。夕食は19:20よりレストランで野菜サラダ、イートスープ、果物を主体としたマレー料理です。