マレーシア2

10月17日(木) プトラジャからクアラルンプールへ

 

 

 

 

 


        水上コテージ

  深夜1時半に目が覚める。うとうとしながら4時まで、5時半になったのでもう良かろうと起床する。今朝は9時に出発の予定、時間があるので海岸を散歩することにした。西に向かうとすぐに海岸に出た。引き潮でマングローブの根が大きく露出している。ビーチバレーのコートなどもある。鳥小屋などをのぞいてみる。孔雀や鳩がいた。

 従業員らしい若者に出会ったのでおはようと声をかけたら恥ずかしそうに微笑み返してきた。
  今度は東のほうに向かって歩く、ウォータースポーツセンターと書かれた建物がある。ボートや水上スクーターなどが波打ち際に並べてあった。

 
 部屋に帰って最後のパッケージを行う。クアラルンプールの空港で荷物を開けないで済むように上着を出しておく。
  8時の朝食を済ませて9時の出発を待つ。なにやら雲行きが怪しい。昨夜も雷鳴が聞こえ、稲光がした。今日はこれまで一度も使わなかった傘を用意する。

   バスはプトラジャヤ(PUTRAJAYA)に向かって走り出しました。フロントグラスに雨粒が当たります。しかし少し行くと雨は嘘のように上がってしまいました。バスは高速道路を快調に飛ばしていきます。

 

 

 

 

 

            ブトラモスク

  10:20 バスはプトラジャヤの中心にある広場Dataran Putra に着きました。広場からは緑の屋根の大きな建物と薄いピン クの屋根の建物が見えます。前者は首相府で後者はプトラモスクMasjid Putraです。私たちはプトラモスクに向かいました。

  入り口で女性は肌を見せないようにガウンのような服を着せられます。マレーシアの女性はスカーフをしている人が多いのですか髪は覆わなくても良いようです。男性はそのままです。モスクの入り口で靴を脱いであがります。もちろん私たち異教徒は中には入れませんが内部の写真は自由に取らせてくれました。まだ工事中でした。モスクの収容人員は1万人だそうです。

 このように国立のモスクがあるのはさすがにイスラムの国です。モスクを出て左へ進むと下方に下りるエスカレータと階段があります。そこを降りるとSelera Putraと呼ばれるカフェテリアがあります。セルフサービスの店ですが市中の店より少し高いとか。この前がモスクを写すビューポイントです。広場からでは大きすぎて全体が写りません。

 マハティール首相は椰子やゴム園を切り開いて世界で最も進んだIT都市を創ろうとしています。予定よりは少し遅れているようですが完成すれば政府機関をまとめたハイテクの近代都市が出現します。まだまだ知られていないが近い将来マレーシアの一大観光スポットができると思う。ただ少し気になったのは歩道には段差があり、バリアフリーにはなっていません。また木陰も少なく暑い中を歩いて移動するのは大変だろうなということです。

 ここで現地案内人のキューさんとこんな会話をしました。

「キューさんはプミプトラ政策をどう思っていますか。」

「やはり必要だと思いますよ。なければインドネシアのようになってしまいますよ。」

「でも最近のマハティール首相は少しトーンダウンしているのではありませんか。」

「確かにそういうところはあります。でも組合に対しては応援しています。あまりに世界的に有名な人なので発言の影響が大きすぎてアメリカが黙っていません。」

 プミプトラ(土地っ子)政策 マレー人などの先住民優遇政策で1970年首相に就任したアブドラ・ラザクが新経済政策を発表し、貧困をなくし、富を平等に分配しそれまで中華系、インド系の人たちより劣るとされていたマレー系の人々の地位を向上させようとする政策で現在も続けられている。

またこんな会話もありました。

「日本は今、経済が不況で全体に元気がありません。」

「日本は今、物の値段を安くすることばかり考えているでしょう。それでは景気は良くなりませんよ。思い切って給料を引き下げて国際競争力を付ける時ではないですか」

ちなみにマレーシアの大卒の初任給は7万円、高卒では半分くらいだそうです。

 11:10見学を終えて一路クアラルンプールへ向かいます。まずは11:45王宮に着きました。

  マレーシアには現在9人の王様(スルタン)がいて5年ごとに交代します。門の両脇には二人の騎馬兵と二人の衛兵が立っていました。この前で記念写真を撮りました。

 

 

 

 

 


   Drマハティールという名のハイビスカス

 次に向かったのはオーキッド&ハイビスカスガーデンです。植物好きの私としてはわくわくする場所でした。きれいな蘭が咲き乱れています。ここでヘルコニアという不思議な形の花を見ました。最近では日本でもトロピカル・フラワーとしてフラワー・アレンジメントなどに使われているようです。

  またハイビスカスの品種改良に取り組んでおり、マハティール首相やその奥さんの名前をつけたハイビスカスがありました。品種改良にはアメリカ芙蓉が使われていることははじめて知りました。

 

 黒ハイビスカスというものもありましたが全体的に見て花の大きさは小さいようです。大きい花は好まれないのでしょうか。歩いているとじっとりと汗ばんできました。かなり湿度は高そう です。                                                      

 昼食は旧連邦事務局ビルから道を隔てた広場の地下にあるレストランで摂りました。旧連邦事務局は1897年に建てられ、現在は最高・高等裁判所になっていますが大変エキゾチックな趣のある建物でした。

 午後はもっぱらショッピングツアーとなりました。国栄宝飾店(KELVIN GEMS)から民芸店、DFSなどです。民芸店では記念に小さな錫の花器を買いました。180リンギットですが娘が値段交渉をしてくれて安く手に入れました。1リンギットは32円です。最近はマレーシアでも錫の生産量が落ちているのだそうです。

  そういえばクアラとは河口、ルンプールとは泥の意味でここから大量な錫や金が採取されてクアラルンプールの町はできたのです。DFSで妻や娘はお土産品を購入しました。現地通貨もほとんど使い果たし、もはや小銭のコインしか残っていません。

  自由時間ですがこれではコーヒーも飲めません。飲料水ぐらいしか買えません。雨も降り出したので、とりあえず伊勢丹に入ることにしました。ぐるっと回って地下の食品売り場に入りました。妻と娘はここでチリソースやカレー粉、胡椒など6点ほど買い込みましたがなんと13.15リンギット、小銭でも出来たなんとも安い買い物でした。

 17:15観光を終えた私たちは空港へ向かいました。車窓から眺めた高さ約450mのペトロナス・ツイン・タワーは上部が雲の中でした。KLタワーも見えています。

 夕食は空港近くのレストランでスチームボード(マレー風海鮮鍋)でした。海鮮といっても魚介類だけでなく卵も入っていました。係りのお兄さんが全て器によそってくれました。

 空港に着いたのは8時半ごろでしょうか。 フライトは23:00まだ大分時間があります。21:00に一時解散になりました。

 

 

 

 

 

 


キューさんと一緒に

   クアラルンプールの空港は日本の黒川紀章の設計だと聞きますが大きくて立派です。成田空港がみすぼらしく見えるほどです。帰りの飛行機は日航のJL724、行きの時と同じ型の飛行機でした。

 今回の旅は私にとって初めてのイスラム圏の旅となりました。しかもシンガポールとマレーシアは1942年から1945年まで3年8ヶ月にわたり日本が支配したことのある地域でもあります。

   キューさんの言葉によればマレーシアの人はそんなことは忘れているし、知らない人もいるとのことでした。長い外国の植民地を経験してきた人たちには自分たちが独立したことと将来への希望のほうが過去にとらわれるより重要なことなのかもしれません。

   シンガポールの謝さんは多民族国家の強みを強調していました。今世界は民族の対立、宗教の対立、異文化との対立が続いています。最近、お隣のインドネシアやフィリピンではテロが発生しました。打ち続くテロもこうしたことが根源にあるのだと思います。

  対立は相手を否定するところから始まります。解決は相手のことを少しでも知って理解することからはじめる必要があるのではないでしょうか。旅の途中、色々と考えさせられました。

 心配していた膝の関節痛もどうやら悪化せずに最後まで持ちました。トラブルや事故も無く旅を終えることができてよかったです。添乗員の塚本さん、シンガポールの現地案内人の謝さん、マレーシアのキューさん、それに一緒に旅をした皆さんに感謝いたします。

2002.10.15マーライオン公園にて