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超次元戦闘妖兵 フライア ―次元を超えた恋の物語―

渚 美鈴/作

第15話「慟哭の凶弾 -メシア暗殺事件-」

【目次】

(1)期待と憧れ

(2)混乱する現場

(3)食い違う説明

(4)電子ファイルの怪物

(5)凶弾の主

(6)人格統合

(7)雪の日の訪問者

(8) 穢れた部品


15-(1) 期待と憧れ

 アダムヨーロッパ方面司令部直轄のエミリオ・シーボーグ少佐率いる第1機動打撃軍第2機動歩兵群が、フランスとスイスの国境に近いG-22研究施設へ派遣されたのは、クリスマスを控えた年の瀬のことだった。
第2機動歩兵群には、タンゴ1から4まで四機の機動歩兵が配備されており、タンゴ4には、隊長の一人息子、アラン・シーボーグ少尉が搭乗して作戦に参加していた。
西ヨーロッパ全土にまたがる研究施設を襲う正体不明の怪物への対応に、アダムヨーロッパ方面司令部は苦慮し、バチカンへ救援要請を行った。
この要請に対して、法王は妖精が派遣したメシアを向かわせることを約束してくれた。これは、前代未聞の異例な対応で、これを受けて発動されたのが、オペレーション「クレイジー・ホース」であった。
「隊長、フォーメーションは、1:2:1の縦深隊形でいいですか。」
タンゴ2のハンス中尉が、部隊の戦闘隊形を確認する。
「トンネル内に布陣するんだ。固まってしまっては、『ブラック・ベアⅡ』の機動力が活かせない。2:2もあるが、それでは外部との連携確保がむずかしい。それしかあるまい。各人の待機位置は、相互に支援できる位置にしたいからな……」
「そうなると、トンネル内のコーナー部分を活かすしかありません。しかしそうすると前衛と中衛、後衛の間隔がかなり開いてしまいます。前衛を少し下げますか? 」
「まってください」
アラン少尉が配置について意見を述べる。
「研究施設内部の状況把握をするためには、扉の正面に待機する必要があります。今回の作戦では、我々は……補助部隊です。中に突入して戦うメシアの……『フェアリーA』の支援をするためにも、この位置から後退することはできません」
「それはわかるが、正体不明の次元超越獣を相手にするというリスクを考えると、それは危険すぎないか? 」
タンゴ3のエーベルバッハ少尉が反対意見を述べる。
「東洋の日本でかなりの戦績をあげているとはいっても、我々は連携して戦った経験がないんだ。メシア?『フェアリーA』の姿さえ、見たことがない。混乱を招かないためにも少し間合いをとる必要があると……、俺は思うがね。」
エーベルバッハ少尉は、メシアという存在に対して強い疑いを持っている。
そんな宗教じみたものに頼ることができるのなら、こんな問題はすべて解決されているはずだろう。
「見るか? 」
タンゴ1こと、エミリオ・シーボーグ少佐が、ポケットから数枚の写真を取り出し、皆にまわす。
皆、唖然としながらも回ってきた写真を食い入るように見つめる。
「ヒュー。こいつはすごい。格好だけは、まるで本物の妖精だな」
エーベルバッハ少尉は、回ってきた写真に驚きはしたものの、気を取り直して、冷静な感想を述べる。
「ジャパニーズ・マンガのコスプレみたいだ。少佐。これ、本物ですか? 」
「アダムの北米方面司令部から入手した本物だ。情報によると、手にはレーザー砲を4門装備しているらしい。身体の周囲に写っている金色の膜は、防御シールドで、いかなる攻撃も弾くとか……。信じられないものばかりだがな。」
「でも……きれいだ。」
アラン少尉は、フライアの横顔がアップで写っている写真に見入っている。
「こんな女神のような人が、守ってくれるんです。次元超越獣はきっと倒せますよ。」
「……あまり期待しすぎるのもどうかと思うが。個人的にも。」
エーベルバッハ少尉がアラン少尉の様子を皮肉る。
「……! 」
アラン少尉がむっとして何か言おうとするのを、少佐が止める。
「まあ、待て。メシアの……、『フェアリーA』の作戦参加は、法王が決定し約束してくれたものだ。作戦プランもバチカンと調整して練られた、『フェアリーA』中心のものなんだ。我々の任務は、この研究施設から外に次元超越獣が出てきた場合の……、要するに、『フェアリーA』が次元超越獣抹殺に失敗した時の保険なんだ。それを忘れるな。ただし……、『フェアリーA』が本当に戦闘に参加してくれるかどうか、そしてその実力も気になるところだ。うかれたり、慢心してたりすると足元をすくわれるぞ。」
少佐は、改めて配置を確認する。
「……かなり危険な状況になるかもしれんが、アラン少尉、お前に前衛を任せる。私とエーベルバッハ少尉は中衛、後衛はハンス中尉。トンネルの外の部隊との連絡は、綿密にな。いいか。全員勝手な行動は控えるように。特に、アラン少尉! 状況確認はくれぐれも慎重にするように。」
「だいじょうぶです。任せてください。メシアの姿が直接見れるかもしれないなんて……光栄の限りです。」
アラン少尉には、少佐の注意も耳に入っていないようである。

エミリオ・シーボーグ少佐率いる第1機動打撃軍第2機動歩兵群は、こうしてトンネル内部で戦闘配置についた。午後八時のことである。

 

15-(2)混乱する現場

アダムヨーロッパ方面司令部は、正体不明の次元超越獣をフランスのスイスとの国境に近い山岳地帯に設置されたG-22研究施設におびき寄せて迎え撃つこととした。
オペレーション「クレイジー・ホース」と名付けられたこの作戦は、バチカンからの指示により、次元超越獣を引き寄せていると思われるナチスドイツの原爆関連の押収資料をすべて施設内へ集積して、エサとなる山羊を置いておびき出すという至極単純なものであった。
出現するであろう次元超越獣は、「フェアリーA」が始末するが、万が一に備えて、施設の出入り口となっているトンネル内に機動歩兵部隊を配置し、支援体制を敷くと同時に、次元超越獣の外部への進出を阻止する。それでも阻止できない場合には、最終手段として、次元超越獣が二度と地上に出てこれないように施設ごと爆破して埋没させるという三段構えの計画となっていた。
 ここで問題となったのが、施設内部の状況確認の方法である。これまでの次元超越獣の襲撃パターンから見ると、電子機器を使って監視すると、なせか察知されてどこからか襲われる例が続発しているため、監視カメラや聴音マイクの設置は危険と判断され、見送られた。
 「フェアリーA」との接触は、バチカンがOKを出したものの、連絡手段を確立できず、結局のところ調整不足のまま実行に踏み切らざるを得ない状況となったのである。

 深夜、午前1時24分。
 G-22研究施設入り口の鋼鉄製の巨大な密閉式ドアの外で、神経をとぎすましながら警戒を続けていたタンゴ4、アラン少尉は、内部での異変を感知した。
「こちらタンゴ4。施設内部で何かが壊れるような音を感知。つ、続いて、何かが這いずり回るような騒音。山羊の異常な鳴き声も聞こえますっ。」
「こちらタンゴ1。そのまま状況を伝えろっ。総員戦闘準備! レールガンの安全装置解除。タンゴ2は、外部の戦闘指揮所に状況を伝達! 」
タンゴ1こと、エミリオ・シーボーグ少佐は、次々と指示を出す。
はじまったか……。
その時だ。トンネルの前方で青白い光と爆発が轟く。
「こちらタンゴ4。扉にレーザーらしきものによる攻撃、着弾を確認。続いて内部で爆発音を感知。まちがいありません。現在内部で戦闘が行われています。タンゴ1、指示を。強行偵察の指示をお願いしますっ。」
「まてっ。タンゴ4。まだだっ。あせるな。」
「まてません。内部からは何かを叩きつけるような異音が聞こえてきます。もしかしたら、メシアが……『フェアリーA』が危機に陥っているのかも……。こっちは機動歩兵に搭乗しています。何かあっても簡単にはやられません。突入指示を。」
「了解した。タンゴ4の突入を許可する。ただし、アラン……慎重に行け! 」
「タンゴ4了解。突入します。援護願います。」
 タンゴ4のブラック・ベアⅡが、鋼鉄製のゲートの蝶番を破壊し、強烈なキックでドアの一部を蹴破る。
 ドオオーン!
 トンネル内に轟音が轟き、わきあがる土ぼこりの中、タンゴ4の「ブラック・ベアⅡ」が、研究施設内へ進出する。
「タンゴ3、我々も前進するぞっ。」
少佐は、側に待機しているタンゴ3に合図を送る。
とその時だ、研究施設内に入ったタンゴ4に黒い人影が飛びかかり、「ブラック・ベアⅡ」の頭部を切り飛ばした。
「……! 」
少佐が息を飲む中で、血しぶきらしきものが吹き上がり、タンゴ4が、後ろへひっくり返る。
「タンゴ4! どうしたっ? アランっ。どうしたっ? 」
「…………」
タンゴ4からの応答はない。
「タンゴ3。援護しろっ。タンゴ4を救出する。」
「まってください。ひとりで突撃したら危険ですっ。タンゴ2.聞いたとおりだ、タンゴ4がやられた。1と3は、救出のため前進する。」
少佐のタンゴ1が突撃を開始し、エーベルバッハ少尉のタンゴ3もレールガンを腰ダメに構えながら前進をはじめる。
突撃した少佐の目に飛び込んできたのは、タンゴ4の「ブラック・ベアⅡ」に乗っかった黒い人影が、中のパイロットに手を伸ばしているところだった。
「アラン! 」
顔面蒼白になりながら、インカムでタンゴ4に呼びかけるが、応答はない。
 少佐たちの接近に気付いたのだろう。黒い人影は、突然頭部から緑色の強烈な光を浴びせてきた。一瞬にして、外部モニターカメラの映像が途切れる。視界を失い、機動歩兵の行き足が鈍る。そこに続いて衝撃が襲い、頭の上に配置されている「ブラック・ベアⅡ」の頭部が切断された。
 後方から突っ込んできたタンゴ3が少佐のタンゴ1と接触して、両者ともその場に倒れかかる。少佐は、視界の確保のため、タンゴ1から脱出を図る。
 その目の前に、金色の光に包まれた人影が立ち上がる。
 攻撃された? こいつが……次元超越獣? 妖精? メシアじゃない……味方じゃないのか?
「タンゴ3。撃てっ。ターゲットは、お前の正面だ。この距離なら照準なしで当たる!! 」
内部からもれてくる光を背に立つ人影の周囲に、黒い木の枝が倒れ掛かり、弾かれていく。
ドーン!
そこにタンゴ3の持つレールガンが火を吹く。
バシッ! バシイィィィィン!
 毎秒8キロの超速の弾丸が高熱とまばゆい光となって叩きつけられて消滅する。弾くのではない。弾体が光と熱エネルギーと化して散っていくのだから、見ていても信じられない。
 黒い人影の手に長い槍状の物体が突如出現する。その形状は武器以外のものではありえない。
「タンゴ3! 止むえん。一時後退するっ! 」
 少佐は歯噛みしながら命令を下す。
「少佐! それではアランが……。」
 黒い人影が研究施設の奥に向けて槍状のものを放り込んだとたん、すさまじい衝撃がトンネル内に走る。
 バリバリバリッ。ゴゴゴゴゴゴゴ…………ッ!
 照明が点滅し、コンクリートで固められたトンネル内の壁に亀裂が走る。
「撤退だ。急げっ! 崩落に巻き込まれるぞっ! 」
「こちらタンゴ2。タンゴ1、3、4聞こえるか? トンネル内で大規模な崩落が発生している。至急退去せよ。」 
 トンネル出口に一番近いところで待機しているタンゴ2から連絡が入る。
「少佐! トンネル入り口から百メートル付近までは安全です。今、撤収支援に向かっています。」
 なんてことだ。
 エミリオ・シーボーグ少佐は、ヘルメットを脱ぎ捨て、視界を確保しながらタンゴ3をひっぱって懸命に後退する。トンネル奥の研究施設は、崩落の音が轟き、非常用の赤い光がかろうじてその場所の存在を示している状況だ。
あの場所にもどることはもはや二度とできないだろう。
 やがて、二人の目の前に、タンゴ2の持つ誘導灯の光が見えてくる。
中衛の待機していた緩やかなコーナーを曲がれば、現場は完全に視界から消えてしまう。
 少佐は、後ろ髪を引かれる思いで、後ろを振り返る。五百メートル先の薄明かりの中に蠢く人影に、息子の幻が重なるが、トンネル内の天井が一気にその視界を遮断して落ちてくる。
「少佐っ! ご無事で……。」
 タンゴ2のハンス中尉が駆け寄ってくる。
「一応、このあたりは無事ですが、崩落箇所が拡大すると危険です。急いでトンネル内から脱出してください。」
 タンゴ2に誘導され、第2機動歩兵群は、重い足取りでトンネルからの脱出を図るのだった。

 

 

15-(3)食い違う説明

「冗談じゃない! あれがメシアだったというのか? アラン少尉は……、息子は、そいつに殺されたんだぞ! こっちも攻撃されたんだ。我々はもう少しで全滅する可能性だってあったんだ! 」
エミリオ・シーボーグ少佐が、激怒して吠える。
アダムヨーロッパ方面司令部はイギリスのドーバーに置かれていた。
海峡を見下ろす白亜の崖の上に作られた古い城を改装して作られた司令部は、外観上は、ただの古い建物のひとつにすぎないが、その地下には、関連施設が数多く設置されている。
ジョン・ディブス中将は、その司令部のある古城の会議室で、「G-22研究施設襲撃事件」について、関係者を召集してバチカンから伝えられた内容の説明を受けていた。
「少し落ち着きたまえ。戦死した部下の件は……、残念だったとしか言いようがないが、ここは最後まで説明を聞くべきだろう。」
ジョン・ディブス中将が、少佐をなだめ、アーサー・ウォレス・ダーシー司祭が、沈痛な面持ちで説明を続ける。
「今回襲ってきた次元超越獣の正体も、メシアのおかげで判明しております。『ギブラ』です。詳細は、F情報にも掲載されていますので、わかると思いますが、今回の作戦での尊い犠牲は、その特異な能力によるものです。むしろ、メシアは、少佐たちの部隊の危機を救ったのですよ。」
会議に参加しているメンバーは、配布資料に目を通す。しかし、翻訳された資料には、、当該次元超越獣を示す画像資料が欠けている。「アン ノウン」という表示に、注意書きが加わっていて、それを読んだメンバーの間から息を飲む様子が広がっていく。
「ま、まさか、こんなことが……。」
「写真は、もう残っていないだろうな……? 」
「カメラマンは誰だ? ネガやデーターは、処分したんだろうな。」
 情報部長のジョン・カレンは、メンバーの視線を浴びて、苦渋の面持ちで答える。
「撮影したのは、リチャード・ブースというアメリカ空軍の士官だ。現在、情報部に所在の追跡を指示している。データーを所持している可能性は高いが……、これまで被害報告がないことから考えても問題はないと思う。」
 それに対して、オプションGを総括指揮するアンソニー・イズレイ研究本部長は、血相を変えて反論する。
「いかんよ。いかん。あまりにも危険すぎる! ダーシー司祭の報告の通り、次元超越獣本体が死んだとしてもだ。その子孫のようなものが、もし、生まれていたとしたら、どうするね? F情報が、その可能性を示唆している以上、ネガやデータなど、ギブラの実像を生み出す恐れのあるものは、徹底的に抹消しなければならないはずだ。」
 バン!
 突然、テーブルを叩く音が会議室内に響き渡る。末席にいた、エミリオ・シーボーグ少佐が、立ち上がる。
「皆さんは、司祭の言うことを鵜呑みにしておられるようだが、真実はまだ、明らかになっていないではないか? 」
 エミリオ・シーボーグ少佐の隣に座っている、上官のロビンソン少将が懸命に制止させようとするが、少佐は言うことを聞かない。
「現場を目撃したのは、我々だけだ。その我々の証言をまったく無視して、対応を決定するというのは、到底納得できない。もし、どうしてもそれが事実だと言うのであれば、当事者だというメシアを……『フェアリーA』をここに連れてきて、真実を証言させるべきではないか? 」
「無茶なことを言わないでください。第一、メシアは……あのお方は、人間の言葉はおろか、喋ることさえできないのですよ。あなたは、メシアを断罪なさるおつもりですか? 」
ダーシー司祭は、困惑した表情で答える。
「……司祭、それではおかしい。話もできないということになれば、では、司祭がお持ちになった報告の内容は、どのようにしてまとめられたのですか? 」
ジョン・ディブス中将が、司祭の弁解に割って入る。
「……細かいことは、法王様にしかわかりません。しかし、事実は事実です。今回の事件の詳細をここまで事細かに記すことは、現場に行ったメシアにしかできないことです。見方は違いますが……、少佐たちの報告とも辻褄の合う内容になっているはずです。」
「バチカンが……、『ファチマの奇跡』以降、妖精と密接な関係を維持し続けていることは知っています。そして、それが大国間の紛争に利用されないよう慎重に、そして極秘のうちにそのルートを守っていることも了解しているつもりです。しかし、今回の事件では、実際に我々の大事な兵士が一人亡くなっているのです。メシアと我々の信頼関係構築のためにも、何とかお会いする機会を設けることはできないでしょうか? 」
 ジョン・ディブス中将の丁寧な懇願に、ダーシー司祭はしばし黙ってしまう。
「わかりました……。法王様にお話してみましょう。」
 その時、会議室のドアが開いて、事務官が一人入ってきた。つかつかとディブス中将のそばに行くと、小声で何事か報告する。
やがて、中将は、少し咳払いをしたうえで、話しはじめた。
「今、報告があった。エミリオ・シーボーグ少佐。部下の……ご子息のアラン・シーボーグ少尉のご遺体が発見された。場所は、先ほど司祭が別途報告してくれたアルプス山脈の雪の中だったそうだ。今、パリへ空輸している。」

 パリからの国際電話は、予想以上に長い話となった。
「法王は、お断りになったのね。」
「ああ。次元超越獣との戦いで死亡した兵士の家族の気持ちはわかるけど、フライア自身が、話せないんじゃ、どうしようもない。」
「由梨亜に……このこと、伝える? 」
「やめといた方がいいだろう。あの朝帰ってきた様子を見たら、由梨亜のことだ。行くなんて言い出しかねない。それで、気持ちは晴れるかもしれないけど、言葉の壁を越えて、納得させるのは容易なことじゃない。それよりも心配なのは、フライアの正体、由梨亜の秘密がばれてしまうことだ。それを考えると、絶対に行かせるわけにはいかないね。これは、法王も会長も同じ意見だ。」
「そう……。それで用件は? 」
 榛名は、大和が決定済みの内容だけで、わざわざ国際電話をかけてくるとは思っていない。重要な内容は、たぶん、この後にある。
「ああ、実は、どうも『ギブラ』を撮影したカメラマンが、ニューヨークにいて、その画像データをまだ持っている可能性が出てきたんだ。それで、その処分のために、エージェントを派遣することになっているんだが、ぜひとも協力して欲しいという依頼がきてて……。」
 今回の大和の説明は、いつも以上に歯切れが悪い。
「なんで? アダムの北米方面司令部に任せた方がいいんじゃない? 」
 榛名は、なんでそんな面倒なことを……と言わんばかりに、はねつける。
「それもそうなんだが、結局のところ、次元超越獣の画像を見た人間は、ヨーロッパ方面司令部の関係者だけで、対応は任せられないということになってね。一番、知っているのは、実際に次元超越獣と戦ったメシアだ、ということで、法王も拒否できなくなっているんだ。もちろん、メシアがだいじょうぶだとか、心配ないとか言っているって納得させることもできるけど。由梨亜に……聞いてみてくれないかな? 」
「その人が持ってる画像データは、すべて処分させたら? 」
「それも考えたんだが、例のナチスの資料がすべてあの事件で地下深くに埋まってしまったことで、『オプションG』の研究部署としては、残っている資料で問題がないものは、ぜひとも回収したいと言うことらしい。勝手な言い分なんだけど、資料を失った責任は我々にあるとまで言ってる。」
「そんな……自分たちで手に負えないからって頼んでおいて……。私は反対よ! 由梨亜は、絶対、行かせない! 」
 榛名は、アダムヨーロッパ方面司令部からの依頼に激怒する。
「熱くならないでくれ。自分勝手な要求だってことは、こっちもわかってる。だから、ただ、由梨亜はどうしたいか、この件は放っておいてもだいじょうぶなのか、確認してくれるだけでいい。どっちに転んでも、こっちで責任を持って対応するから。」
 どうやら大和や佐々木会長も、あちらでずいぶん苦労しているようだ。法王自ら間に入っているために、守られている秘密のルートだが、これが頻繁に続くようなら、ほころびが出る危険性はどんどん高くなる。
 榛名は、時計を確認する。
午前七時五分。昨日から由梨亜の通う北斗青雲高校は、冬休みに入っている。対応する時間は十分あるだろう。
 由梨亜のことだ。
話を聞けば、行くと言うだろうが、榛名はそれがおもしろくない。
依頼自体、筋は通っているものの、半ば強引なやり方に、何か意図的な悪意が見え隠れしている。
 ひょっとしたら、メシアの正体を突き止めようという狙いが隠されているのかも知れない。
以前、アダム北米方面司令部の白人優越主義思想を持った情報担当が、日高一尉を拘束して自白を強要した例があるので、その可能性は否定できない。
仮に協力するにしても、その前に探りを入れる必要はあるだろう。その役目は、大和にしっかりと対応させなければならない。
 榛名は、自身の抱いている懸念をどうやって由梨亜に伝えようか考えながら、粉雪が舞う中を由梨亜のいるログ・コテージへ歩き出した。
 主のいない佐々木邸だが、降り積もった雪の中でも、朝の明るさの中で少しずつ目覚めつつあった。
 ここしばらく、涼月市では次元超越獣関連の事件が起こっていない。
平和な時が続いている。
国防軍内部では、次元超越獣は、冬の寒さに弱いのではないかという、根拠の無い噂まで飛び交っているという。まして、次元超越獣と無縁の生活を送っている市民にとっては、以前起こったショッキングな事件もすでに遠い過去の出来事となってしまっている。
おそらく、この状態が2、3年も続けば、夢のような話として忘れられてしまうだろう。
その一方で、海を越えたヨーロッパやアメリカでは、怪事件が起こっている。
危機は依然として続いている。
そして、由梨亜の戦いも……。
榛名は、由梨亜の住むログ・コテージにつくと、頭や肩に積もった粉雪を払い落として、呼び鈴を鳴らした。


 

15-(4)電子ファイルの怪物

次元超越獣「ギブラ」については、F情報で確認しても多くの謎が残されている。
二次元画像の中に潜み、コピー、撮影、印刷などをすると、そこを三次元世界への入り口として使い、襲ってくる。
媒体としては、絵や印刷物、写真、テレビなどのディスプレイ、とにかく視覚で捉えられる状態であれば、どのようなところであっても侵入口になりうるとされている。
では、「ギブラ」の本体は、どこに潜み、どうやって次元を越えてきたのかがはっきりしていない。また、どのような次元世界から生まれた次元超越獣なのか、次元生物コードでも不明となっている。
アルプス山脈の地下での戦闘で、現れた本体を倒したことはまちがいない。
しかし、撮影という手法で生まれた画像が、ギブラという次元超越獣にとってどんな意味を持つのか、それは確認するまでわからない。
これ以上、犠牲者を出さないためにも、私自身の目で確認しなければならない。それが、前回の事件の反省から出た結論だった。
今、フライアとなった由梨亜は、ワシントン郊外のとあるビルの5階の部屋に立っていた。机の上に置かれた携帯電話の着信ランプが点滅している。予定通りということになるものの、アダムヨーロッパ方面司令部の派遣したエージェントの姿はどこにも見えない。
携帯電話を置いて、そのまま去ってしまったということか?
部屋の中を見渡すと、テーブルに置かれたノートパソコンが起動しており、ピクチャーファイルのデータ名がずらっと並んで表示されている。パソコンに差し込まれたフラッシュメモリーが、チェックすべき内容ということらしい。
フライアがマウスに触れたとたん、メッセージボックスが開き、カウントダウンが始まる。
「! 」
フライアは、それを見て慌ててパソコンのディスプレイから離れる。やがてディスプレイ上で、ピクチャーファイルの自動展開ツアーがはじまった。目で見てチェックせよ、ということらしい。
その時だ。突然、部屋の窓ガラスが砕け散り、フライアの背中に激痛が走る。ガシャーン……。灰色の絨毯の上に鮮血が飛び散り、フライアは思わず片膝をつく。
「くっ……。」
ター…………ン!
フライアの研ぎ澄まされた超感覚は、はるか遠くから鳴り響く銃声を捉える。
うそ……。なんで……。
窓の外、はるか遠いビルのシルエットに目を向けたフライアは、ディスプレイ画面から伝わってくる次元空間のゆがみに気付くのが一瞬遅れる。
しまった……。
 出現した新たな怪物の触手が、フライアの首にからみつく。とっさに吸盤状の口がついた触手の先端部分をキャッチする。
目の前のディスプレイから、巨大な目玉に尖った耳を生やした怪物が出てくる。その周囲には、パリパリ、チチッと火花がまつわりついている。
再生? いや複製?
いずれにせよ「ギブラ」が、この世界に再び蘇ったことはまちがいない。
フライアは、右胸の痛みと息苦しさに耐えながら、右腕から繰り出したアームナイフに、首にからみつく触手を引っ掛けて切断する。
触手は、その力強い締め付けと異なり、意外なほど簡単に切断されるが、先端部分の凶暴な形状の口は、獲物を求めてバクバクと動きまわる。
丸い口の周囲に並んだ三角形の内側向きの黄色い牙の列が、白い泡の中からむき出しになる。
フライアの手に力が入り、その先端部分のすぐ下を握り潰し、放り投げる。
今度は、右肩に激痛が走り、右肩のブリーシンガメン装甲に破孔が生じる。
とっさに防御シールドを展開するが、右肩からは鮮血がボタボタと滴り落ちる。
ター…………ン!
またしても、窓の外から銃声が鳴り響いてくる。
激痛と戦いながら、フライアの心に怒りが込み上げてくる。
ギブラがフライアの張った防御シールドに無数の触手を絡ませてくる。
バシッ! ジジジジ……・ッ!
フライアは驚く。ギブラの触手がじわじわと防御シールドを侵食してくるのだ。痛みをこらえて体勢を整えている余裕も、外からの狙撃に気を逸らされている場合でもない。目の前のギブラを一気に片付けてしまわないと、こちらがあぶない。
ビシッ! チューン!
防御シールドに3発目が着弾し、弾丸をあさっての方向へ弾きかえす。
大都市のど真ん中だ。破壊力のある光線兵器は使えない。
重力兵器も周辺に与える影響の大きさを考えると難しい。
「ギブラ」の触手の先端が、防御シールドを突き抜けて身体に触れかかる。フライアは、アームナイフでそれを切り捨て、防御シールドの出力を高めた。すると「ギブラ」は、シールドに食い込ませた触手が固定され、動けなくなる。
シールド内側にまで侵入した触手の先端部分が、苦しげにうねうねとくねる。
「! 」
フライアは、とっさに防御シールドごと空間転移を図った。転移先は、この建物のはるか上空だ。
月の照らす、雲海のはるか上に飛び出したフライアは、予想通りの光景が目の前に出現したことに笑みを浮かべた。
「ギブラ」は、フライアの張った防御シールドごと、成層圏に引きずり出されたのだ。すぐに防御シールド内から抜けて、雲海上層部へ転移し、羽を広げて空中静止体勢をとる。見上げる上空から防御シールドから解き放たれたギブラが落下してくる。
フライアの頭部に装着された銀色のティアラ。
その中心に嵌めこまれた宝石が強烈な閃光を放ち、周囲が真昼のような光にカッと満たされる。その中を宝石から伸びた一条の黒いビームが音もなくサーッと伸びて、「ギブラ」を直撃した。
「ギブラ」は、直撃部分に身体全体がめり込むように吸い込まれていく。
黒いビームが、吸い込んだ「ギブラ」ごと大気圏外へ消えていくのを見届け、フライアの中の由梨亜は、蘇った激痛の中、怒りの感情がパアーッと爆発するのを感じた。
だめ……もう抑え切れない……。
フライアは、怒りと激痛で薄れる意識の中、金色の光をまとわりつかせながら全速降下に入った。由梨亜の朦朧とした意識とは別の意識が、めまぐるしく地上の様子をスキャンし、建物の屋上階にいるであろう目標の影を探す。
それはすぐに見つかった。
動物的な嗅覚が働いたのか、それとも驚異的な視力がもたらしたものか、それは由梨亜にはわからない。
目標の人影もすぐにこちらを見つけたのだろう。
狙撃のため這いつくばっていたが、ゆっくりと立ち上がる。
逃げる様子はまったくない。
目だし帽を被った、全身黒い服をまとった屈強な男の姿が見える。
やがて、フライアは空間転移した。由梨亜の視界は、一瞬にして消えた。


 

 

15-(5)凶弾の主

男は、信じられない現象の連続に驚いていた。
狙撃していた黒い妖精のような人影は、2発の狙撃銃の直撃を受けながら、倒れないのだ。そこにまた不可思議な影が現れ、その人影を覆ったかと思うと、今度は弾丸を弾き返す。4発目の狙撃の時には、一瞬にしてその姿が消え失せ、空が一瞬輝いたかと思うと雷鳴のような重低音が、ワシントンDCの空全体に響き渡った。
ドグワァァァァァァン。ガラガラガラ…………ッ!
そして、街の明かりを反射して白く輝く雲の中から降って来る黒い人影を見つけた時、男は決着をつける時がきたことを悟った。
相手は、メシアと呼ばれる脅威の存在だ。おそらく傷つけることはできても、倒すことは難しいだろう。殺されるのも覚悟の上だ。それでも、男は我が子に捧げる鎮魂のためにも、逃げることはできなかった。
狙撃銃に代わって、バッグからMG38を引き出し、安全装置を解除する。
この建物の屋上に現れれば、近距離からバースト射撃を浴びせるつもりだ。
 しかし、男の目論見は、予想外の展開で崩された。メシアは、待ち構える男の正面、わずか五十センチのところに突如出現したのである。

「……?! 」
 男の手からMG38短機関銃がふっとぶ。両手から武器を奪われ唖然としている男の目の前に金色の光に包まれたメシアが立っていた。
 男は二メートル近い体格の持ち主だが、目の前に現れたメシアは、はるかに小柄で百七十センチあるかないかだ。しかも……
 「お……女?」
 胸の膨らみといい、その体型はまさしく女性特有のものだ。事前情報でメシアについて、女性の可能性は指摘されていたものの、血生臭い次元超越獣との戦闘を考えると、とても疑わしいと感じていた。しかし、こんな近くまで接近して見ると、それはまちがいないと確信する。
メシアの右腕には、肩から流れる血が縞模様をつくっている。
右胸上部の甲冑の下あたりからもあふれ出す血が、屋上の床にボタボタと滴る。その傷の状況から、自分が狙撃したメシアであるとことを確信する。
 輝くような金髪の下から見つめる目に、力はない。
しかし、それとは別に、耳のあたりに輝く緑色の大きなイアリングが強烈な敵意をむき出しにして輝いている。
メシアの唇がかすかに動く。しかし、声はない。
男は、腰にぶら下げたコンバットナイフを左手で抜く。とたんに、メシアの手がその手首を掴む。強烈な握力だ。
取り落としそうになったナイフを右手で持ち替えようとするが、その前に足払いをかけられて転倒する。
足元に転がされた男は、メシアの手に奪われたナイフが握られているのを見上げる。
とっさにタックルをかけるが、脚に手がかかる寸前、目の前からメシアの姿が消え、背中に激痛が走った。
背後にメシアの気配を感じ、懸命に横へ身体を転がして距離をかせぐ。
メシアは、跪く姿勢からゆっくりと立ち上がる。
そこに雲の切れ間から月明かりが差し込み、男はハッとした。
メシアは、泣いていた。頬を伝う涙が、月明かりを受けてツーッと流れていくのがみえる。
それでも、緑色に輝くイアリングは、冷たい威圧感と敵意を周囲に発散しているのだから、何がなんだかわからない。
男は立ち上がろうとするがうまくいかない。
下半身が麻痺して完全に動かなくなっているのに気付く。
「……! 」
脊髄をやられたのか? そうなら、もはや逃げることはできない。
「ははっ。降参だ。まいったぜ。」
男は、屋上に大の字になって抵抗をやめた。メシアがゆっくりと近づいてくると、側に跪く。その耳の下あたりから、白いヒモのようものが下がってきて、男の額にそっと貼りついた。
男は、覚悟を決めて、ポケットの中に握った手榴弾のピンを抜こうとした。しかし、ピンにかかった指の力が、ガスが抜けるかのように消え失せていく。
(あなたは誰? なぜ、私を憎むのですか? )
男の頭に声が響く。
メシアのくせに……知らないのか?
(……エミリオ・シーボーグ少佐? ……父親? ……アラン少尉って……誰? )
「貴様が殺した……私の息子だ!!アルプスで……知らないとでも言うかっ?! 」
 男が吠えた。
(アルプス? )
 そのとたん、アルプス地下で起こった事件の光景が頭の中に展開される。
それは、メシアの視界で起こった次元超越獣との戦いの様子だ。
初めて見る次元超越獣の姿、そこから攻撃されると、思わず自分がその身になってしまったかのように、反応しかける。
 ば……ばかな……まさか?
 メシアの驚愕の思いと同時に、そのシーンは突然現れた。地下研究施設の鋼鉄製の扉が吹き飛び、そこからアダムヨーロッパ方面司令部所属の機動歩兵「ブラック・ベアⅡ」がぬっと現れる。
 機体番号が、少佐の視界に飛び込んでくる。
アラン! アランの機体だ……。
「来るなっ! 見るんじゃないっ! 」
 男は、頭の中で再生される光景に必死で呼びかける。危険を察知したメシアが、それを懸命に止めようと飛び掛り、センサーカメラが付いた「ブラック・ベアⅡ」の頭部を切断する。
 アラン……無事かっ?
 男の行動とメシアの行動がシンクロする。懸命に機動歩兵内のパイロットの無事を確認しようとする。しかし、うつむいたヘルメットを上向かせた時、吹き上がる血しぶきの中で、男は絶望を再び味わうことになった。
 アラン!
「うおおおおおぉぉぉぉっ! 」
男の口から断末魔のような絶叫がおこる。
 それは一週間前に、パリの病院の遺体安置室で対面した息子の無残な姿とダブって、男を徹底的に打ちのめした。妻にはとても見せられなかったその凄惨な遺体、遺体安置室の光景がフラッシュバックする。

 アダムヨーロッパ方面司令部が初めて対応する次元超越獣との本格的な戦闘作戦。息子が志願してきた時、私はどうして止めなかったのだろう。
息子は、妖精が派遣したというメシアとの出会いに強く期待していた。
 メシアの日本での活躍の情報は、北米方面司令部経由で伝え聞いていた。
懇意にしている北米方面司令部、機動歩兵第1軍団所属の情報担当サントス少尉からは、極東方面司令部が収集した極秘情報も個人的に聞いていた。
 指揮官と部下という間とは別に、親子で交わしたメシアに関する会話が、いつしか息子に大きな期待を抱かせる原因になったのかもしれない。
そして、メシアが参加する作戦であれば、特に危険はないのではないかという油断が心のどこかにあったかもしれない。
 訪れた息子の死は、あまりにも突然で、今となっても、受け入れることはできなかったし、その死の原因を深く考えることもできなかった。しかし……。

 男の涙でゆがむ視界の中に、夜空を背景に流れる白い雲が入ってくる。そばに肩膝をついて座っているメシアがいる。
(……救えなかった……。わかって欲しい。)
白いコードのようなものが額から離れ、メシアが立ち上がる。その表情には、言い知れぬ寂しさが漂っている。緑色のイアリングのとげとげしい光だけを除いて。しかし、コードが額から離れる瞬間、伝わってきたメシアの悲しみの感情は、男の心に強い衝撃となって伝わっていた。
「ま……まってくれ。今のは……一体? 」
 男が紡ぎ出すフランス語の問いに、メシアは一瞬動きを止めたものの、何も答えず、離れていく。
「……今のが……真実なのか? 息子は……あの怪物に? ……だとしたら俺は……。」
 男は上体を起こし、そこで下半身が自由になっているのに気付く。
 メシアは、右肩の傷を押さえながら、ゆっくりと後ずさりながら離れていく。
メシアは、警戒心を解いてはいない。男は、あわてて、頭から被っていた目だし帽を脱ぎ捨てる。それは、素顔をさらすことで、今できる精一杯の誠意を示すつもりだった。そして、男が目だし帽を脱ぎ捨て、あげた目線の先に……すでにメシアの姿はなかった。
 消えた? 一瞬で?
 寒風が吹くワシントンDCのとあるビルの屋上で、アダムヨーロッパ方面司令部所属のエージェント、エミリオ・シーボーグ少佐は、痛恨の思いを胸に、ただ一人立ち尽くす。
 息子を救おうとした恩人、メシアを傷つけた。この手で……。
 少佐は、自らの手をまじまじと見つめる。
 冷たい屋上の床面には、メシアの流した血があちこちに点々と痕跡を残している。狙撃銃の直撃を二発も浴びせた……。
その結果に今さらながら恐れおののく。
 二度とメシアが姿を現さなかったとしたら、それは私の罪だ。人類救済のため派遣されたメシアを……この手で。
 それは、イエス・キリストの処刑に関わったローマ軍兵士ポンス=ピラトにも匹敵する罪のように思えて、少佐の心を強く締め付けた。

 

15-(6)人格統合

 榛名は、思わず悲鳴をあげそうになった。
ログ・コテージの中に、突然血だらけで現れたフライアは、その場に倒れこんだ。背中から胸部を貫通した傷と右腕上腕部を甲冑ごと撃ち抜いた傷から、噴き出す出血に、榛名は慌てる。
「どうしたの? なんで……、こんなことに? 」
榛名に抱き起こされて、フライアの顔に安心した表情が浮かぶ。耳の辺りの緑色のイアリングの下から白いコードのようなものが延びていて、フライアがそれを榛名の額にそっと触れさせる。
(だいじょうぶ。そのまま、ベッドに寝かせて。)
フライアとなった由梨亜の心の声?が直接、頭の中に響いてくる。
「だいじょうぶじゃない! 出血を止めないと……、このままじゃ、死んでしまう。」
榛名は、近くにあったティッシュの箱を引き寄せ、手当たり次第ティッシュを取り出してフライアの肩と胸の傷口に詰め込む。肩の傷はまだ軽いが、胸の傷は明らかに重い。肺を貫いている。どちらもどう見ても貫通銃創だ。詰め込んだティッシュは、みるみるうちに血で真っ赤に染まっていく。
どうする? 佐々木会長の主治医を呼ぶか? しかしこのままではフライアの姿を見られてしまう。
躊躇している時間はない。携帯を取り出した榛名の手をフライアが止める。
(フライアのままなら……なんとかなる。)
「そ、そんなこと言ったって……。」
 フライアの左手が腰のベルト状のものに附属するポーチに触れ、それを絞るように握り締める。
「なに? 」
 榛名がきょとんとして見つめる中で、フライアが再び手の平を開けると、そこに黒い小さなボール状のものが現れた。
(これで……、傷口を塞いで……)
 榛名の手に黒いボールが渡される。
「ちょ、ちょっと……これでどうしろって言うのよ。」
 ボールを持ったまま、榛名がうろたえる。
(………………)
 しかし、榛名の額についていた白いコードのようなものもダラリと落ち、フライアは完全に意識を失ってしまう。
 ええ~い。もう知らないから。
 榛名は、噴き出した血で真っ赤に染まったティッシュを取ると、黒いボールを胸の傷口に押し当てた。にわかに信じられないのだが、フライアの言うとおり、この柔らかなボールが、傷口を塞ぐものだと考えるしかなかった。
 半信半疑で榛名が見守る中で、黒いボールは溶けるようにみるみる変形し、傷口に吸い込まれていく。噴き出す血もピタリと止まる。
「う、うそぉーっ。」
 胸の傷口は、見た目は完全にわからなくなった。
「え? でも、右肩の傷は……どうするの? 」
 右肩の傷口は、ティッシュでなんとか血止めができているが、どうすればいいかわからない。榛名は、ログ・コテージに備え付けの救急箱から包帯を取り出して、ぐるぐる巻いていく。
これだけの回復力があるのだから、今はそれを信じるしかない。
 白いベッドの上にフライアを寝かせて、様子を見守ることにする。ベッドの側の床は、血と血で汚れたティッシュの山でいっぱいだ。くずかごを持ってきて片付け、雑巾で床の血糊をふき取っていく。
 一段落して、フライアの様子を見る。
乾いた血糊で白と茶色のまだらになった右手のグローブはどうしたものか、はずしていいのだろうか。
 寝入っているんだよね。
 確認のため、フライアの口元に手を近づける。胸に手を当て、心臓の鼓動を確かめる。
「だいじょうぶ。……だいじょうぶよ。」
 榛名は、自分自身に言い聞かせるように声に出し、応接テーブルの椅子に腰掛ける。窓の外は、吹雪だ。もうすぐ夕暮れ時のはずだが、そのせいで、外は早くも暗くなりつつある。
 部屋の電話が鳴り、出ると小畑シェフからで、夕食を2人分届けるよう頼む。
 ベッドに横たわるフライアに毛布をかける。以前よりも回復しているといっても、その痩せた身体のことを考えると、もう少し休む時間をつくってあげられないかと思う。
 それにしても、フライアを撃つというのは、人間以外考えられない。その線からするとフライアを銃で撃った犯人は、アダム関係者の可能性が非常に高い。アダムは、フライアとのコンタクトを諦め、邪魔者として始末しようとしているのだろうか?
 大和には、由梨亜に代わって厳重に抗議し、依頼はしばらく拒否して思い知らせてやらなければ……と思う。しかし、そうすると、次元超越獣に襲われる一般市民の犠牲が増え、見殺しにしたとか言われそうだし……。
 目を閉じて死んだように眠っているフライアの横顔を見ると、涙に濡れた跡がいっぱいで、榛名自身、無力感を感じてしまう。
 妖精が、人間とのコンタクトを控えているのも、このような事態を予測してのことなのかもしれない。だとしたら、我々人類は……最低だ。
 ベッドで眠るフライアの様子を見守りながら、榛名の思案は、何ら答えを得られることなく、夜遅くまで続いた。

 私は、何をやっているんだろう?
 由梨亜は、フライアの感情触覚を使って感じ取ったエミリオ・シーボーグ少佐の憎悪と哀しみにの大きさに、強く打ちのめされていた。
 フライアとしてできる限りのことはしているつもりだが、起こる悲劇の結果として恨みを買い、少佐のように誤解や逆恨みに近い形で復讐しようとする者は、これからも出てくるだろう。その感情が人間として理解できるだけに、その怒りの矛先が向けられることが、つらく悲しい。
 その一方で、銃で撃たれたことに対する怒りの感情をどうすればいいのか、自分自身、ひどく持て余していた。
 屋上で少佐と対峙した時、もし意識を保つことができなければ、何をしていたかわからない。それは危険な兆候といえた。フットワークの軽さも、鋭敏な動きも、由梨亜にとっては無意識の動作だったし、少佐の脚を短時間止めた背中への一撃も由梨亜の知識、理解の範囲を超えていた。
 あの時、堪らず犯人の方へコンタクトしたものの、フライアは、話すことができない。仮に変身を解いて、外国人である少佐に会っても言葉の違いから、コミュニケーションすら成立しそうになかった。
だから、耳の下から繰り出す感情触覚でコミュニケーションを取ることなど、予想もしていなかったのだ。
 次元超越獣との戦いの中でも反射的な防御、無意識の行動が増えてきているような気がする。戦うために必要なことだと思うが、自分自身が変わってきているのではないかという不安が芽生える。
 人格統合?
 心理学の本でいわゆる多重人格、解離性同一障害について調べたことがある。 そこで治療法として述べられていたのが、それだったはず。
次元超越獣と戦う妖精兵士として生まれ変わった時、戦士として誕生した人格がフライアである。それは普通の人間が背負うには重すぎるために、寄生生物との融合による蘇生過程で作り出された第3の人格と説明されている。
モザイクのような多重人格。
妖精たちの説明は簡潔なものだったが、今思うと、そこには大きな意図が隠されていたのではないかとも思う。
戦いの場で生きる戦士として背負う宿命、生と死に向き合う精神的苦痛から解放して、無理な負担をさせまいとする意図があったのかもしれない。
でもフライアの意識は、もう長いこと、消えてしまったままだ。
かといって、託された使命を放り出すわけにもいかない。今、由梨亜自身がフライアとして戦うことで、失われたフライアの人格は、由梨亜の人格と統合されつつあるのかもしれない。
私の人格統合の先に、どんな未来があるのだろう。
一人戦うむなしさに、くじけそうになる心。ただ希望という言葉だけが、由梨亜を支えていた……。

 瞳を開ける。
 見慣れたログ・コテージの天井が目に飛び込んでくる。確認するように部屋の中を見渡す。離れたところにある応接テーブルの椅子に腰掛けたまま寝込んでいる榛名の姿が見える。上体を起こし、身体の状態を確かめる。身体はフライアのままだが、胸の傷は完全になくなっている。右の肩の痛みもない。
 ベッドから起き上がり、変身を解いてみる。
 フライアの装備が消え、全身を覆うミッドガルズが腕時計の形状にもどっていく。次元ポケットに一時保管されていた衣服が、三次元の概念を越えて着ていたとおりに転送されてくる。
 変身を解いた姿は、元の通りだ。
 由梨亜は、浴室へ入り、改めて衣服を脱いで、備え付けの鏡で裸体を確認した。
「やっぱり……。」
 右胸の上部には、引きつったような傷跡が醜く残されていた。
幸い右肩には傷跡はまったく残っていない。
ミッドガルズの影響でムダ毛のほとんどない白い肌はすべらかで美しい。それだけに傷跡が一際目立ってしまうのである。
 シャワーの栓を全開にする。温かなお湯が勢いよく降り注ぎ、身体いっぱいに染み渡るような心地よさをもたらす。
 前髪を伝って流れる温かなお湯とは別に、瞳からも熱いものが込み上げてあふれ、頬を濡らして伝っていく。
身体の傷は治っている。痛みもない。けれど自身の身体に傷跡をつけられたことが、ひどくショックだった。
 一度死んで、人間ではなくなったこの身体だけど、一人の人間として生きる望みまで捨てたわけじゃない。一人の女性として、愛し愛されることも夢見ているし、美しくなりたいという思いも当たり前のように持っている。
心だけでなくこの身体まで、使命の代償として、支払えというのか?
 日高さんに見られたら……。
フライアの場合は、戦いの場に身を置く戦友という立場もあるので、そう気にすることもないだろう。
だけど、私の場合は、こんな醜い傷跡の付いた身体を、とても前向きに見てくれそうもない。
 フッ。ハハッ。ハハハハ……。
人類を次元超越獣から守るという使命のため、一生懸命、がんばるだけ、自分はいろんなものを失っていく。
その矛盾に囚われてもがいている自分が、一瞬、滑稽にさえ思えて可笑しくなる。
 人として生き、愛し愛されることさえ、犠牲にしろと言うのか?
 自虐的な思いが湧き起こり、ひとりでに心が傷ついていく。
「くっ! 」
 哂いは、いつしか哀しみに変わり、由梨亜は唇をかみ締める。つい漏れそうになる嗚咽を懸命にこらえる。
 由梨亜は、浴室内でシャワーの雨の中で涙を流し続けた。
涙がすべて枯れ果てるまで……。
 
 

 

15-(7)雪の日の訪問者

粉雪が舞う中、再び訪れた涼月市は、すっかり冬景色の中にあった。
タクシーから降りて、佐々木邸の門の前に立った三上は、その高い門構えに圧倒されながらも、心は躍っていた。
「何か、御用ですか? 」
 突然、声が頭上から降ってきた。見ると、監視カメラが三上の方を向いている。
 前と変わらんなぁ……。相変わらず厳しい警備の中に隔離されてるんかな?
「あ、私、三上といいます。由梨亜の……元クラスメートです。ひさしぶりに、由梨亜に会いたくて、広島から来ました。」
 カメラの声は、沈黙したままだ。
 やがて、二人乗りの小さな電気自動車が現れた。乗っているのは、好々爺といった印象の執事のようだ。門が自動で開いて、執事らしき男が降りてくる。
「執事の宮内でござます。お乗りください。由梨亜様のログ・コテージまで、ご案内いたします。お荷物は……ございませんか? 」
 執事という男に案内されて、三上は車の助手席に乗り込む。
 電気自動車は、三上を乗せると、降り積もった雪をかき分けて確保された遊歩道をゆっくりと邸宅の奥へ向かって進んでいく。凍った池にかけられた小さな橋を越えて、小さなログ・コテージの群れの中に進んでいくが、雪が降り積もった中で見る風景は、以前見たのとはまったく違って見えた。
 三上は、ログ・コテージと周囲の雪景色の美しさに思わず見とれてしまう。
やがて、ひとつのログ・コテージの前で、電気自動車は止まった。
「どうぞ。御倉崎様がお待ちです。」
 宮内が先に降りて、ドアを開け、下手で案内する。三上が降りてログ・コテージの入り口へ向かうと、ドアがバタンと開いて、由梨亜が飛び出してきた。
「翔子っ! 」「由梨亜! 」
由梨亜が三上に抱きつき、三上が受け止める。
「……ごめんな……。何もお礼も言わんと……行ってもうて……。」
「ううん。あの時は、仕方がなかったから……。」
 二人の身長は、ほぼ一緒なこともあって、体格もかなり似通っている。三上は、抱きしめた由梨亜の身体が、以前よりも痩せた印象なのに気付く。
「……ケイから……、福山委員長から聞いた……。ずいぶんいろいろとあったみたいやな。だいじょうぶか? 」
「なんとか……やってる。」
 由梨亜は、軽く微笑む。
「三上様。お荷物を降ろしますが、中へ入れますか?」
 執事の宮内が訊ねる。
「あ、じゃあ、私が。」
「まって。いいって。こんぐらい気にせんといて。一人でやるさかい。」
「あ、それじゃあ、入って。」
 由梨亜が先にログ・コテージに入り、三上が荷物を抱えて後に続く。
「では、私はこれで。何かあれば、この宮内まで、ご連絡ください。」
そう言い残して、宮内は電気自動車を運転して去っていった。それを見送りながら、三上は、この佐々木邸の大きさに感嘆してしまう。
「まるで、リゾートホテルや……ね。」
 
 部屋の中のミニキッチンで、由梨亜はお茶の用意をしている。そこへ後ろから三上が抱きつく。
「きゃっ! もう……あぶないよ。」
 由梨亜が驚きながら、三上の手を解こうとするが、三上は抱きしめた手を離さない。
「翔子……。」
 由梨亜が困った声を出す。これではお茶の準備が進まない。三上の手が左の胸の膨らみをまさぐり、その下の心臓の上でピタリと止まる。
「よかった……。由梨亜……生きてる……。」
 急に三上の声が、涙声になる。
「うちの守護霊が、あれから何度、由梨亜があぶないって言うたか……わかるか? 先週くらいだったか……銃で撃たれたって大騒ぎしとったんやで。でも、由梨亜は、正義のヒロインだし、変身もできるすごい秘密持っとるから、大丈夫やって、思っとったけど……やっぱりこの目で確かめんと……心配でな。」
「ありがとう。でも、なんとか……ね。」
「! 」
 由梨亜のあいまいな答えに、三上は驚く。
「まさか……ほんまに撃たれたんか? ……そんで怪我は?怪我はないんか? 」
「少し……だけ……。」
「何言うてんねん。どこや?見せてみい?! 」
「やぁん。恥ずかしいよ。」
「何や、女同志やで。恥ずかしいことあらへんって。」
 三上は、由梨亜の服を脱がして、とうとう傷跡を見つけてしまった。
「なんちゅう……ひどいことを……。こんな大きな傷……、大事な女の体に……。死にかけたんやないか?! 誰や? 世界を救おうってやってきた御倉崎に、誰がこんなえげつないことしおるんや。」
 三上は、その傷跡の大きさに衝撃を受け、怒りまくる。
「おちついて。もうすんだことだから……。」
 三上の怒りを見て、逆に由梨亜は、少し心が安らぐ気がした。
「これが落ち着いていられるか? 撃った奴、ここに居はったら、こん手でぶん殴ったるわ。自分が何したか、わかってんのか? って」
服を元どおり着直しながら、由梨亜は苦笑しながら答える。
「無理よ。相手はたぶんアメリカか……、今頃はヨーロッパかもしれないし……。」
「はあ? 」
 由梨亜は、事の一部始終を三上にわかりやすく話した。フランスに飛んで、絵や映像を通じて侵入してくる次元超越獣と戦ったこと。息子をその次元超越獣に殺されて、誤解したエミリオ・シーボーグ少佐に、復讐心から撃たれたことを手短に話した。
「……難儀なものやな。妖精兵士とかいうんは……。誤解されて、怨まれて……何も悪いことしとらんのに……。そんで……由梨亜は、平気なんか?……無理しとらんか? 」
 三上の言葉が、揺れ動く由梨亜の心に強く突き刺さる。由梨亜はぐっとこらえて、出かかった言葉を飲み込む。その様子を見て、三上はそっと由梨亜を抱きしめた。
とたんに、由梨亜の涙腺が緩んでしまう。
「……やめたい。こんなの……もう、いや。なんで、私一人で……こんな目にあわなきゃいけないの? いくら世界を守るためって言っても……とても、私の手に負えない……。」
三上は、由梨亜が胸の中で大泣きするのをただ抱きしめるだけだ。
初めて出会った時は、とても冷静で感情を表に出さない強い女の子という印象だった。しかし、自分を次元超越獣から救った一方で、救えなかった人がいると知った時に見せた涙からは、むしろ身近にいる一人の女の子という感じに変わった。世界を救うヒロインではあるけれども、不安やいろんな重荷を背負いながら懸命に強がってみせていたんだと感じた。
今、由梨亜が苦しい胸の内を打ち明けて自分に頼ってきていることに、三上は、驚くと同時に、その胸の中を熱い思いがこみあげてくる。
「だったら……やめたらええやん? やめちゃいな! 」
「え……? 」
突拍子もない三上の提案に、由梨亜は驚く。
「殺されそうになったってことは……、フライアなんか、いらんっちゅうことやろ。しゃしゃり出て来るなってことや。だから、次元超越獣との戦いは、あっちに任せて……、やめちゃおう。」
「でも、そんなことして……。いいの? 」
「固いなぁ。由梨亜は、真面目やから……。じゃ、『これからはもう、次元超越獣とは戦いません』って、宣言したらどうや?たぶん、みんな驚くで。『ごめんなさい』って詫びてくるかもしれん。」
「でも、フライアは話せないのよ。」
「あちゃ~。そうやったな。なら、手紙書くっちゅうのは、どうや? 」
「? ? ? どこに? 」
「あ~。本当なら、世界に向けてが、いいんやろうけど……。そんなら、国防軍のお偉いさんに送るちゅうのはどうや? 」
「……できなくはないけど……どうやって届けるの? 」
「ん~。メールが早いけど、由梨亜の正体がばれてもうたら元も子もないし……。郵便で送るんが、ええかもしれん。」
「……イタズラだと思われない? 」
「……そうやね。じゃ、フライアが手紙持って、国防軍まで押しかけて、お偉いさんに手渡すとか……? どうや? 『ほれ?これ読め~』って……。」
「な……なんだか……変じゃない?まるで……ストライキみたい……。」
「そ、そうやね。」
  国防軍の司令長官室で、司令官と机を挟んで向き合うフライアが、手にもった手紙を机に叩き付けて、出て行く。正義のヒロインが、激怒して、抗議に来るという前代未聞のシーンが、二人の頭の中をよぎる。
はははっ。あはっ。
はははははははははははっ。あははははははっ。
二人は、そのあまりにも滑稽な展開に爆笑してしまう。
ひとしきり笑って、二人は顔を見合す。
「ありがとう。翔子が来てくれて……とてもうれしい。」
「なんやそんなこと。でも……無理したらいかんで。」
「うん。今日、泊まってく? 」
「最初から、そのつもりや。積もる話もいっぱいしたいし……。」

 その日の午後遅く、外出先から帰宅した榛名は、執事の宮内から、三上が由梨亜を訊ねてきていることを伝えられた。
 デルタ・パレスの3階から、由梨亜のいるログ・コテージを見ると、雪が降り積もったいくつかあるログ・コテージのひとつから灯りがもれている。温かな笑い声もかすかに聞こえてきて、そこだけ人のいる温もりが漂っている。
 今、由梨亜に必要なのは、人のぬくもり、心の支えなんだろうね。
三上翔子は、由梨亜のすべてを理解して支えてくれる限られた人間の一人だ。今、この時期に、三上が由梨亜の話し相手になってくれたことは、偶然だとしても、由梨亜の精神の安定を保つためにも好都合だ。
それにしても……。
榛名は、大和からの緊急連絡を思い返して、唇をかみ締める。
「この前の依頼は、アダムヨーロッパ方面司令部が知らない間に、実行されたものらしい。法王様もお怒りだったが、それ以上に不気味なのは、エミリオ・シーボーグ少佐の個人的な復讐感情をうまく利用して、メシアを攻撃させたことだ。計画自体、次元超越獣を排除するという意味では、適切なものだったんだ。ギブラが現れれば、その手が届かない遠距離から、直接照準で狙撃するという手筈だったんだから、合理的で筋も通っている。任務に少佐を当てたことも、本人の希望を取ってのことだし……。
実行の場所も、ギブラの写真を撮ったリチャード・ブースを追いかけて、ニューヨークからワシントンDCに現場の判断で変更されてるけど、作為的なものは感じられない。結果として、ぼくらは、数千キロも離れた場所に足止めされちゃったけど……。
要するに、意図的なものは感じられるけど、計画性の証明がまったくできないってことさ。もちろん、事件を起こした少佐は解任させることが決まっていたけど、その前に辞職しちまったし、アダム内部でも動揺が走っていて、混乱している。」
「じゃあ、フライアを撃ったのは、少佐の個人的な誤解による復讐だったってこと? 」
「……そうなるね。もっとも、僕は、利用した奴がいるんだと思うけど。」
「何よ、それ? 」
「……気をつけてくれ。アダムは、世界を7つのブロックに分けて次元超越獣と戦うために行動しているけど、その横の連携は取れていない。指揮権も独立性が高い分、地域の大国の政治的な影響を受けやすいんだ。組織創設の歴史的経緯とか、バチカンの影響力も絶対じゃないってことが、この事件の背景にはある。今、メシアを……いや、フライアの……由梨亜の側にいるのは、榛名と比叡だけなんだからな。」
 榛名は、この事実をどう伝えたものかと悩んでいた。
 つくづくうんざりしてしまう。
水面下で続く世界の覇権争いは、人類の側の問題であって、フライアにはまったく関係がないはずなのだ。それなのに、互いが優位に立つために、フライアまで取り入れようとしたり、あまつさえ邪魔者扱いしてしまう。
もし、フライアが倒れていたら、彼らはその身体に残された秘密、情報、そして超兵器を入手することまで考えていたのかもしれない。
そのリアルで自分勝手な汚らしい陰謀の影に、榛名も怒りを覚えてしまう。
「我々人類は、フライアが守るに値しない存在かもしれないわね。」
 ため息まじりにつぶやいた言葉に、榛名は世界の行く末に暗雲が広がるのを感じる。それでも、やれることはやらなければ……。
 榛名は気を奮い起こすと、由梨亜と三上がいるログ・コテージへと歩いた。

 

15-(8)穢れた部品

アダム極東方面司令部情報収集担当・パワーズ少尉は、レイモンド少将とスコット大佐から一任を取り付けたCPS(戦闘用パワードスーツ)「ブラック・ベアⅡ」92号機の修理に必要なシステムFのコア部品を調達しようと、様々なチャンネルで交渉を続けていた。
次元センサーや超電磁プロッカー(SEB)生産開発企業・Mi-Can社や、「ブラック・ベアⅡ」を開発したアリソン・バイオテクノロジー社に問い合わせてみたものの、コア部分について質問すると、「答えられない。」「ノーコメント」の一点張りで、入手のための方法を教えてくれないのである。
このため、パワーズ少尉は、アリゾナの砂漠のど真ん中にあるアリソン・バイオテクノロジー社の工場を直接訪れ、談判しようとしたのだ。しかし、今度は許可証がなければ施設への立ち入りは認められないと門前払いされる。
たかだか一個の部品に、しかも身内が困っているというのに、何が秘密だ。
情報担当の身で、「ブラック・ベアⅡ」の修理のための交渉は、本来の仕事とはちがうのだが、極東方面司令部の戦力を維持するためには必要不可欠だとの思いから取り組んでいるのだが、どうもうまくいかないのである。
もう一度日本に帰り、スコット大佐から正式な許可証を取り付けて出直すしかない。パワーズ少尉は、そのつもりであった。
仕方なく帰る途中でラスベガスに立ち寄った少尉は、そこで一人の日本人から声をかけられた。
「私、こういう者です。」
パワーズ少尉が警戒しているのを知った男は、あわてて名刺を取り出して、渡し、自己紹介した。
「ハグロ タカシ? ダイヤモンド・デルタ重工の……機動歩兵ABT「蒼龍」のメーカーの関係者か? 」
「はい。あまり大きな声はお控えください。「蒼龍」は、帝国国防軍の主力兵器で、そちらの「ブラック・ベアⅡ」同様、機密の塊ですからね。」
「で……何の用だ? 」
「おや、御用があるのは、そちらでしょう? 」
「? 」
「アリソン・バイオテクノロジー社の整備工場前で、あれだけ大騒ぎしたら、誰だって何事かと思いますよ。」
「聞いていたのか? 」
「ええ。工場内から、少しだけ……。見ていたので……ね。」
「…………。」
「システムFが……コア部品が欲しいんでしょう? 」
「?! 」
「我が社も、システムFがもっと欲しいのですが、同じようになかなか譲ってもらえなかったんですよ。お気持ちはよくわかります。」
「手に入るのか? 」
 パワーズ少尉は、期待に目を輝かせる。
「いえ。システムFは管理が厳しくて、とてもすぐに入手することはできません。ただ……。」
「ただ? 」
「これは、私どもが企業同士の開発研究の情報交換ルートから入手したものですが、研究開発に使われたコアだけのサンプルを手に入れておりましてね。今、日本では、次元超越獣が次々と現れているものですから、少しでも役立つならと……アダム極東方面司令部のあなたになら託してもいいかと……。」
「怪しいな。本物なんだろうな? 」
「おや?疑うのは別に構いません。私は、会社に持ち帰って、うちの機動歩兵に積んで試すだけです。会社からの報酬は……不満ですがね。」
「いくら欲しい? 」
 羽黒は、にやりと笑って手のひらを見せる。
「これだけです。」
「五万ドル……か? 」
「とんでもない。五百万ドルです。」
「ふざけるな! たったひとつのパーツにそんな金が払えるか! 」
「あなたこそ、このパーツの価値を理解していない。私がこれを入手するのにどれだけの時間と金、手間を使ったか。これを譲るということは、私もそれ相応の覚悟が必要だということです。当然の額です。」
 羽黒は、パワーズ少尉の反応にまったく動じない。
「……。」
 パワーズ少尉は黙って考え込む。
「いいだろう。ただし、条件がある。確実な起動が確認できるか、お前が立ち会うことだ。起動が成功すれば、すぐにでも支払ってやる。」
「ええ。構いません。もし起動できなくても、会社に届ければ私の仕事は達成されたことになります。私としては、それで結構です。」
「よし。交渉成立だ。」
 システムFについての詳細な情報は、情報部門を管轄するパワーズ少尉には、あまり伝えられていない。スコット少佐らからの伝え聞いた話では、我がアメリカの物理学者、フェルナンド・バークレー博士が発明したとされているが、博士自体の存在が偽名なのか、はっきりとした経歴も明らかにされていない。また、今回交渉した企業、研究機関の一部職員から、試作に失敗したものがいくつか研究用に保管されているはずだという話も聞いている。
 ハグロが入手したのは、それらのうちのひとつかもしれない。だとすれば、「ブラック・ベアⅡ」92号機は再び実戦投入が可能となる可能性が高い。
 パワーズ少尉は、情報部門に籍を置いているが、趣味で古いスクラップの自動車をレストアして走らせていた。今回、92号機の修理に関わった時の印象は、それに繋がるものがあって、少尉は必要以上にそれに関わっている。
修理部門の専門技官ホイット・J・サムフォードは、それを知ってかパワーズ少尉に転職を勧めたほどだ。
サムフォードの奴、コアを持っていったら、驚くだろうな。いや、レイモンド少将もスコット大佐も、私の情報収集力にきっと驚くにちがいない。
92号機が再び起動する場面を想像して、パワーズ少尉の胸ははずんだ。

 
 

 

(第15話完)