4-6

超次元戦闘妖兵 フライア ―次元を超えた恋の物語―

渚 美鈴/作

第6話「ハイウェイに棲む魔物  ―知られざる戦い―」

【目次】

(1)広島に消ゆ

(2)放射能の凶獣

(3)転校生

(4)次元同化

(5)御倉崎の秘密

(6)コンタクト

(7)深夜の襲撃と悲劇の幕開け

(8)さよならは言わないで

(9)御倉崎と由梨亜

 

【本文】


1)広島に消ゆ

 一九四五年八月。
 帝国海軍機動部隊による真珠湾攻撃で幕を開けた太平洋戦争は、圧倒的物量で押しまくるアメリカ軍によって、終盤の時を迎えつつあった。
 ミッドウェー、ソロモンの数々の海戦で敗れた帝国陸海軍は、絶対国防圏として新たに敷いた防衛ラインを崩され、マリアナ沖海戦、レイテ決戦で大敗し、戦力の大部分を失った。
 連日繰り返される本土空襲、そして硫黄島、沖縄を占領されるに及び、起死回生の作戦として実行した、試作長距離爆撃機「富嶽」による米本土爆撃作戦、戦艦「大和」による沖縄特攻作戦もついに戦果をあげることなく終り、日本の敗戦は、その時すでに秒読み段階に移りつつあった。
 そして、運命の八月六日。
広島へ一発の原子爆弾が投下された。
死者・行方不明者約十二万。戦争の二十世紀を象徴するその犠牲となったのは、ほとんどが一般市民であった。
 核の灼熱地獄と強烈な爆風、そしてすさまじい放射線は、広島の街を破壊し尽くしたが、それと同時に、その日、その時間まで綴られた多くの人々の生活、一人一人の人間の思いのすべてさえも奪っていった。
 人類史上空前絶後の殺戮は、その歴史上の大きな汚点となっただけでなく、時空間においても、大きな影響を及ぼした。
それは、誰も知ることはない世界の裏側での出来事のはずだったが、バチカンには一九一七年の「ファチマの預言」よって、警告されていた内容だった。
核が次元世界の秩序を乱し、次元超越獣の襲来という災厄を招く。
後にアダムで「妖精降臨事件」として記録される「ファチマ第3の預言」の真の内容である。
にもかかわらず、人類は、禁断の兵器に手を染めてしまったのである。

 

 


(2)放射能の凶獣


「時間だ。こちらマイク1、斉藤。ただ今より臨戦態勢に移行する。」
第1機動歩兵戦隊所属、「蒼龍」1号機の中で、斉藤一尉は、トレーラーにコールし、格納ハッチのオープンを命じる。
ここは、広島市郊外を走るハイウェーの緊急時退避車線である。
「こちらマイク2、比嘉。こっちもスタンバイ完了した。次元センサーも正常に稼動している。」
1キロ先の営業休止中のサービスエリア付近で待機している機動歩兵5号機の比嘉からも連絡が入る。
残念ながら、どちらの次元センサーにも反応は現れていないようだ。しかし、毎晩のように起こる異常現象は、この時間帯にほぼ集中しており、気を緩めることはできない。
 前線指揮車の中で待機している移動司令部から、上空で赤外線カメラと次元センサーで監視を続けているヘリも、今だ目標を捕捉していないとの連絡を受ける。
 今日こそは、捕捉して撃滅してやる。日高達と交代なんて、真っ平御免だ。
すでに毎夜作戦待機に入ってから、七晩目に突入している。
北斗空港では、日高と三塚の第2機動歩兵戦隊が、交代要員として派遣される準備に入ったとの情報もきている。二人とも、次元超越獣との実戦を経験しており、司令部の信頼も厚い。しかし、機動歩兵の操縦能力で常にトップの成績を収めてきたのは、斉藤である。それだけに、斉藤は、日高と交代するのだけは、どうしてもがまんできないことだった。
自分も次元超越獣との実戦で戦果をあげたい。
それは、次元超越獣の恐ろしさを知った今でも、変わらない。
むしろ、常人ではできない闘いに参加することに、大きな誇りと価値があるようにも思えていた。
「今は、待つしかない。」
斉藤は、神経を張り詰め、次元センサーや各種センサーに異常が現れないか、チェックを続けた。

 

 広島市の郊外のハイウェーで、夜間、走行中の車が突然暴走して起こす死亡事故が連続した。
毎夜、ほぼ同じ場所で起こる事故に、警察も調査に力を入れたところ、驚愕の自陣が判明した。
暴走車両の運転手は、事故により死亡したと思われていたのだが、死因には強烈な放射線を浴びたことが絡んでいることが明らかとなったのだ。
事故に巻き込まれ、軽症を負った家族連れからは、現場を怪物が飛んでいたとの証言も飛び出し、また事故現場付近に設置した監視カメラも巨大な生物が突然空中に現れるところを捉えていた。
ここに至り、警察は、当該事件を国防軍 中央即応集団・対次元変動対応部隊に報告して、対次元超越獣作戦の発動が決定されたのである。
発動に伴い、当該事故現場となったハイウェーの夜間通行禁止が実施され、対次元変動対応部隊が作戦のため、展開していたのである。
投入兵力は、第1機動歩兵戦隊の蒼龍1号機と5号機、及びその支援部隊である。他に美保基地に配備されている剛龍4機が、緊急支援のためスタンバイしている。涼月市の駐屯地では、第3機動歩兵戦隊が交代要員として空輸される準備が進められていると聞いている。
斉藤たちに残された時間は、もうあまりなかった。

 それは、次元センサーの反応とほぼ同時に姿を現した。
長い尻尾を持った巨大な蜂のような生き物。その出現はあまりにも瞬間的なもので、その正面にいた斉藤もあまりのことに驚いてしまった。
「うわっ! 」
 斉藤はとっさにミニガンをフルオートで怪物の正面から撃ち込み、左へ機体をひねった。
 ブォオオオォッ
 七・六二ミリの高初速弾の一連射が、怪物の突進速度を抑え、1号機は、かろうじて激突を回避する。しかし、避けられたと思ったのも束の間、怪物の長い尻尾が通り抜けざま、「蒼龍」1号機の脚をすくう。
 ガシッ! ドスン!
「な……」
 背中から来る衝撃の次に、視界が宙を舞う。斉藤はさらに体を回転させ、腹ばい姿勢になって、怪物の行方を追う。怪物は、急上昇をかけて逃れようとするようだ。
「逃がすかよっ」
 斉藤は、ひざまずくと、ミニガンを置き、右腕のニードルガンで狙いをつけ、発射する。長さ三十センチのタングステン製の鋭い針が、その尻から細いピアノ線のワイヤーを引きながら飛ぶ。
 ドスッ! ドスッ!
 発射した6本のうち、2本がかろうじて怪物に命中する。針の先端には、開閉式の返しがついているため、貫通しない限り抜けることは、まずない。
 ギーッ、ドォーン
 ワイヤーが長さの限界に到達すると同時に、強烈な引きが襲ってくる。全備重量一・六トン近い「蒼龍」をひっぱり動かすというだけでも、怪物の信じられない力の一端がわかる。
「こちらマイク1、斉藤。ただいま怪物と交戦中。応援を頼む。」
 斉藤は、懸命に怪物を引き降ろしにかかる。
「これでもくらえっ! 」
 斉藤は、左腕の動きをロックし、操縦桿の兵装ボタンから電撃ボタンを押した。一瞬、キャノピー内の電気系統が点滅するが、怪物の動きにも大きな変化が現れる。引きが急激に弱まり、降下を始める。
 落ちる? 殺ったのか?
 しかし、怪物は、地面すれすれのところで持ち直し、再び斉藤に向けて突進してきた。
 間髪入れず、斉藤は左腕のスピアを展伸し、右腕のピアノ線を高速で巻き取りにかかる。怪物の動きを抑制し、逃走を阻止するのだ。
しかし、巻き取り始めたピアノ線は、ハイウェーの道路標識やフェンスに絡まる。衝撃とともに道路標識のポールが摩擦で切断される。道路の生垣やフェンスに到っては、強引に引きちぎられていく。
このままでは、次の衝撃でワイヤーが持たない可能性もある。一撃で倒さなければ、逃げられることも……。
 斉藤は、怪物の攻撃をかわして、スピアで切り裂くことを想定し、身構える。
「なにっ? 」
 怪物は、斉藤の手前で急停止すると、長い尻尾の先を伸ばしてきた。その先端に黒い塊を中心に置いた銀色の花が開く。
 不吉なものを感じた斉藤が、その尻尾の延長線上から身をねじり、回避する。それと同時に、キャノピー内のディスプレイに警報マークが表示される。
「放射線? 」
 すぐに警報表示は消えたものの、怪物は意図的に尻尾を斉藤に突きつけようとしている。そのたびに回避するものの、キャノピー内には、それと合せて繰り返し放射線警報が表示される。もはや、怪物の意図は明らかだ。
 尻尾の先端に凝集された高濃度の放射性物質から発する放射線で、こちらにダメージを与えようとしているのだ。
しかも、銀色の花状の部分は、リフレクターのように機能して、放射線を方向性をもって、一定方向へ放出する役割を果たしているらしい。
致死量を遥かに超える出力の放射線を防ぐ機能は、「蒼龍」にはない。
接近戦は、非常に危険である。
 斉藤は、ピアノ線を切断すると、右腕の兵装を火炎放射機に切り替えた。
 ゴオオーッ!
 強烈な炎が薄暗いハイウェー上にほとばしり、怪物の尻尾を焼く。怪物は、灼熱の炎に驚き、逃れようとするが一端引火した炎は、怪物の羽の羽ばたきで勢いを増し、見る間に全身を炎で包み込んだ。
「ちっ」
 斉藤は舌打ちすると、怪物から急いで遠ざかる。放射線の警報表示が高まりつつある。とどめをさすどころか、できるだけ離れなければ危険な値が検出されているのだ。ミニガンを放置したのが悔やまれる。
その時、斉藤の後方から、比嘉の操縦する5号機が駆けつけてきた。
「近づくな! 」
ハイウェーで炎に包まれ、夜空を焦がす黒煙の中で、動かなくなった怪物が炎上している。
「斉藤一尉。倒したんですか? 」
 比嘉二尉からコールが入る。
「ああ、抹殺1の戦果だ。」
「アルファ・リーダー。前線司令部・霧山だ。状況知らせ。」
「こちら、マイク1。斉藤だ。目標は倒したが、高濃度の放射線物質を抱えて現在炎上中だ。消防車を安易に近づかせないでくれ。非常に危険だ。」
「放射線物質? そんな危険なものを抱えているのか? 」
「ええ。こちらのガイガーカウンターが振り切れるほど強烈です。」
 アルファ・リーダー前線司令部の間に動揺が走る様子が、交信の沈黙からも伝わってくる。
 次元超越獣を一人で抹殺した戦果には満足したものの、斉藤は、その恐ろしさを改めて認識する。背筋を冷たいものが流れる。
アダム極東方面司令部の次元超越獣情報で、こいつの正体が確認できるだろうか。目の前で炎上し灰となっていく怪物を見ながら、その難しさを痛感する。
サンプル採集も不可能だろう。
空を飛ぶということからすると、前に日高たちが戦った「バラウ」とかいう奴かもしれんが。
 斉藤一尉は、自身の初戦果に踊る心を押さえなが、冷静に状況を検証する必要性を痛感していた。

 

 


(3) 転校生

 夏休みが近づく北斗青雲高校の2年2組に転校生が入ったのは、7月上旬のことだった。
「三上翔子さんだ。仲良くやってくれ。」
 担任の栗林千春が、クラスに紹介する。
「広島県の呉市からきました。得意分野は霊視や。何か、困ったことがあったら見てあげるんで、よろしゅうね。」
 ボーイッシュで快活そうな少女である。とても霊視などという神掛り的な雰囲気はない。
「前の学校でも、幽霊とか、悪霊とかのお祓いをしていたの?」
 学級委員長の福山恵子が尋ねる。
「まあ、専門的なものはせえへんけど。そうやな、例えば、あんた! 」
 三上は、まっすぐ由梨亜を指差す。
「え? 私? 」
「そう、あんたや。あんたは、私が見たところ、とてつもなく強い守護霊が憑いとる。だから……あれ? 」
 三上は、由梨亜の方を見ながら、一瞬とまどい、首を傾げる。
「あ……まあ、いいわ。とにかく私が言いたいのは、人間には、その人を守る守護霊ちゅうもんがいてやな。その言うことを素直に聞いていけば、いろいろといいことがあるということや。これから、私がみんなのこと、いろいろと見て、アドバイスしてあげるから、よろしゅう。」
「おいおい、自己紹介で、とんでもない布教活動はやめてくれ。えっと。三上の席は、この列の一番後ろだ。委員長いろいろと教えてやってくれよ。1時間目は教室移動だから、全員遅れないように。委員長。号令。」
 担任の栗林がホームルームを締めくくり、教室が移動のための喧騒に包まれる。
 私立高校として歴史は浅いものの、北斗青雲高校には、涼月市が帝都となったことに関連して転勤してくる企業関係者の子弟の転校生が増えていた。
このクラスは、御倉崎と三上の二人だが、1年生のクラスでは、1クラスに3人もすでに入っているところがあった。
 クラスの和をつくるのは、意外と時間がかかるものなのだが、このクラスはだいじょうぶだろうか?
担任の栗林は、いじめや非行を防ぐためにも、クラスの和を大事にしていくことがモットーであった。それでも年度途中から、御倉崎や三上といった、いろいろと問題絡みの生徒を抱えることには、大きな不安を感じていた。
 
「ケイ。ちょっと教えてぇな。あの御倉崎ちゅう子、どんな子なん? 」
「はぁ? ケイって私のこと? 」
 三上に捕まった学級委員の福山は、ポカンとして聞き返した。
お昼時間ということで、教室でお弁当を開ける者、学食に出かける者などいろいろで、教室内はざわめいている。
「恵子やから、ケイ。短くて便利やん。」
「じゃあ、私はあなたのこと何て呼べばいいの? 」
「翔子やから、ショウでもええけど……任せるわ。そんでな。あの御倉崎っちゅう子なんやけど。」 
「直接聞いたらいいじゃない。御倉崎さ~ん。来て~。」
「えっ? 」
 学級委員の福山に呼ばれて、由梨亜がやってくる。
「何か、御用? 」 
「あちゃ~。少し情報仕入れてから、話そう思とったのに、まあええか。」
 三上は、しかたがないという様子で腹をくくる。
「何、なに? 不思議な話? 」
 福山が身を乗り出してくる。由梨亜が福山の隣の開いた席に座る。
「私のこと? 」
「ごめんな。気に触るようなことかも知れんけど。大事なことやから。御倉崎さんは、一度死に掛けたことがあるやろ? 」
 三上から驚くべき言葉が出てきて、福山は驚いて由梨亜の顔を見る。由梨亜は、だまって聞いている。いわゆるノーコメントだ。
「言いたくないことやと思うから、答えんでもええけど。これだけははっきり言うとく。復讐はダメや。絶対に! これは、あんたの守護霊さんが言うとることや。」
 三人の間に、気まずい雰囲気が流れる。福山はあまりの内容に、どう声をかけたらいいものか、とまどうばかりである。
「……三上さんは、私の事、どこまで知っているの? 」
 由梨亜が、微笑みながら尋ねる。
「細かい事情までは、はっきりとわからん。プライバシーちゅうのもあるし、守護霊さんが言うて欲しいことだけ、代わりに伝えるだけや。」
「そう。ごめんなさい。私自身、その時、自分に何があったのか、よく覚えていないの。だから、どう答えていいものか……。」
 由梨亜の表情を見て、福山が、あせって話に割って入る。
「ね、ねぇ。守護霊って誰でも持っているものなの? 」
「……たいていは持っとるけど。必ずっちゅうわけやない。ケイちゃんの守護霊は、ほんわかとした優しい人やね。ああ、少し早とちりなとこ、気をつけて、言うとる。」
「私にも守護霊がいるんだ。」
「三上さんにも守護霊がいるのよね。」
 由梨亜も話の輪に入ってくる。
「ああ。実はな。この学校に来たのも、守護霊さんのお導きや。これ、後で話すけど、うちの守護霊がなんやパニック起こして、最近よく話ができんねん。」
 そこへ軍事オタクの南がやってくる。
「御倉崎さん。この前、頼んでいた機動歩兵戦隊のパッチだけど、手に入れられたかな?」
「ええ。日高一尉に頼んでおいたので、来週にはお渡しできると思います。」
「やったあ。ちゃんとお金は出すからね。他の人に譲っちゃダメだよ。」
 南が有頂天になって飛んでいくのを見て、福山がため息をつく。
「この軍事オタク。たかがワッペンひとつ、何が面白いんだか。」
「仕方ないんじゃないでしょうか。日高一尉に聞いたところでは、基地の外では滅多に入手できない貴重品、レアものだと言っていましたから。ファンにとってはたまらないものなのでしょう。」
「そうかもしれないけどぉ。そういえば、日高さん、この前お家まで送ってくれたんでしょ。その後、何かあった?」
「別に何も……。」
「な~んだ。なんか進展があったかと期待したのに。」
由梨亜は、いろいろと思い出しかけたが、ぐっとこらえる。
「それより、恵子は、南君と長い付き合いなの?」
「幼稚園の頃からの腐れ縁ってやつよ。まさか、高校まで一緒になるとは思わなかったけど。あいつの頭の中は、飛行機やらロボットのことでいっぱいなのよ。まあ、女の後を追い掛け回すことがない分、安心だけどね。ただ、休みのデート先が国防軍の基地祭とか、ミリタリー映画ばっかで、最近何してんだろうって思っちゃうけど。」
「いいやん。それが仲良しの第一歩や。男と女の間っちゅうもんは、そんな簡単にできるもんやない。で、御倉崎の言うとる、日高さんって誰や? 」
 三上が興味深々という様子で、話に割り込んでくる。
「御倉崎のこれよ。国防軍の機動歩兵のパイロットをしてる。」
 福山が指をたてる。
「へぇ、社会人なんか。じゃ、だいぶ歳が離れとるんやないんか? 」
 三上に言われ、福山もそういえばそうだと、由梨亜を見る。
「あ……。日高さんが恵子の言う、これか、どうかはわからないけど、年齢はかなり上のはずね。」
「平気なん? 」「そっ、話は合うの? 」
 三上と恵子が、同時に由梨亜の顔をのぞきこむ。
「国防軍言うたら、男ばかりの世界や。すぐに体求めて迫ってくるんとちゃう? 」
「ち、ちょっと。」
 三上の追及はストレートすぎて、福山が慌てる。
周囲にいた生徒たちも、一瞬静まり返る。
「そんなことないです。日高さんは私を大切に抱きしめてくれますが……。」
それに対して、由梨亜が素直に答えるもんだから、福山の動きが止まる。
「おおっ。二人は、すでに抱きしめあう関係か。もうAとか、Bとか? 」
三上の声に、周囲の男子生徒も女子生徒も、ダンボ状態で、ふたりの会話に耳をすます。
「え? Aって……? 」
 由梨亜が素直に答えそうなのを見て、あわてて福山が制止に入る。
「そこまで! お昼時間に、みんながいるところでするような話じゃないわよ。御倉崎も、いくら世間知らずだからって、素直に何でも話さないの! 」
「ええやん。ケイも興味あるやろ。」
「やめなさいっ! 私には、学級委員長として、この学級の平和と秩序を守る責務があるのよ。」
 福山は、一呼吸すると、ふたりを学食に誘った。
「二人とも、お昼まだでしょ。一緒に食べに行こ。」

 

 


(4)次元同化

 広島の街はきらい。
あの悲劇の日に、失われた人たちの思いがあふれているから。
街中を歩いていると、無数の亡霊たちが寄ってくる。生前に残してきた未練や恨み、思い、気がかり、死んでしまった今となっては、どうしようもないことなのに、納得できない亡霊たちは現世を彷徨い歩く。
守護霊が守ってくれるからいいようなものの、どうしてもその最後の姿が、目に入ってきてしまう。言葉が伝わらない分、説得も通じず、その対応の難しさにほとほと疲れる。
生きている人でさえも、守護霊の導きを受け入れるのは、まれだ。
けれど、その結果を身にしみて感じて、悔い改める可能性はある。
すべての人が、素直に霊の導きを受け入れることができたなら、この世界はどんなに平和な世界になることだろう。それは、三上がこれまでの経験から抱く感想だった。

死?
 突然の守護霊からの言葉は、信じられないものだった。
 事故なら避けることもできるだろう? しかし、守護霊は避けられないものだという。
まさか、病気なの? 守護霊は首をふるばかりである。
そして、三上のお腹を指差し、絶望の色を浮かべる。
「なんなのよ。一体……」
三上は、自分の守護霊と様々な方法を使って交信を試みた。その結果わかったことは、信じられないような警告だった。
(あなたの体に悪魔が棲み付いた。それはまもなく、あなたを内側から食べてしまう。そして、世界に恐怖の悪魔が解き放たれる。多くの人々が苦しむ。防ぐためには、悪魔が目覚める前に、あなた自身が自ら命を断つしかない。)
「ちょっと、冗談やろ? なんで私が自殺しなきゃいけないんや。
悪魔が棲んでるとか、よくわからへんけど、悪魔やちゅうなら、エクソシストとか、悪魔祓いとかで、何やできるんやないか? 本当に体の中に悪魔が棲んどるんやったら、手術して切り離すとか、方法はあるんやないの? 」
三上は、懸命に守護霊に訴えるが、霊は首をふるばかりである。
しかも期限は約1ヶ月。
それをすぎると、生きたまま悪魔に食われるというのである。
「そんな、めちゃくちゃな話、聞けるか。」
三上は、あまりにも恐ろしい話に怒り、わめき散らし、時間が経つと再び守護霊と交信して、泣き喚くということを繰り返した。
 そんな絶望の果てに、守護霊は最後の賭けとして、三上に唯一の「希望」を提示した。
 それが「魂を失くした人」である。
「『魂を失くした人』? 死んでる人ちゅうことか? アンデッド? とかゾンビみたいなもんかな? そんなんいるんかいな? 」
 半信半疑ではあったものの、一刻の猶予もない。
三上は、両親を説き伏せ、守護霊に導かれるまま、涼月市へ一人旅立ち、北斗青雲高校の2年2組に転校したのである。

 

 由梨亜は、とまどっていた。
 ここは、佐々木邸の由梨亜に与えられたログ・コテージの一室である。すでに時刻は、夜の10時を超えていたが、由梨亜は机の前で、この日出会ったばかりの三上のことを考えていた。
 由梨亜と同じ北斗青雲高校の2年2組に転校してきた三上は、同じ転校生という点で親しみは持てるものの、その強烈な個性に振り回されてしまいそうだった。
そこに悪意はないとわかるものの、それに加えて三上から感じる違和感は、由梨亜の心の片隅に強い警告、危険なものとして認識されていた。
 まさか? 次元超越獣? あの三上が?
 三上は、どこからどう見ても人間である。しかし、由梨亜が感じる違和感の質は、妖精たちが教えてくれた次元超越獣の発するオーラと一致していた。ただひとつ違うのは、次元の歪みとかが生じていないことであり、それは次元を超えて侵入してくる彼等とは異なることを意味していた。
 次元同化しているということ? でも、弱いながらも放出されているオーラは、次元同化していないことの証明である。
 由梨亜は、次元超越獣と次元同化の仕組みについて、冷静な検証を試みた。
 次元超越獣は、異なる次元からの侵入者である。
次元はそれぞれ固有の波動を持っていて、異なる次元から侵入してくる生物をそれによって排除する仕組みを持っている。異なる次元波動は、生物の生存に悪影響を及ぼす。放置すれば、細胞死が広がり、死ぬことになる。
それを回避するために、ある種の次元超越獣は、すさまじい食欲と高い代謝機能を備え、自身を構成する物質を侵入した次元の構成物質と置き換えるという芸当を身につけた。これが、凶暴で手強い一般的な次元超越獣の姿である。
 しかし、それ以外に次元同化を回避する方法がないわけではない。
次元波動の影響を受けない中立空間である次元ポケットに潜み、繰り返し短時間の侵入と捕食を繰り返して、ゆっくり次元同化を進めるタイプもある。
逆に侵入する次元の生物を次元ポケットに引きずり込み捕食して、同化していくという方法もある。次元波動を中和するオーラを発して自身の体を防御するという方法もあるし、侵入次元の生物の体に寄生し、その生物のオーラで守られながら次元同化を進める方法もある。さらに、これは確認されていないが、自身の細胞組織を強制的に次元同位するよう転換させる方法もあるとされている…………。
 その手法の多様性は、次元超越獣が、次元を彷徨い、次元を超えて生存のために体得したものであり、進化の結果編みだしたものなのである。
 まさか、寄生?
 由梨亜は、最も可能性の高い方法に思い至り、愕然となった。
寄生されているとなれば、寄生されている人間は遅かれ早かれ、次元超越獣に食われてしまう。分離することは不可能である。
 三上さん本人は、このことを知っているの?
 知らないうちに寄生されているとすれば、こんな悲劇はない。
由梨亜は、出会ったばかりの転校生、そしてクラスメイトの命を自らの手で絶たねばならなくなる……。
由梨亜は、青くなった。
日高さんに伝えて何とかしてもらうか?
それは、日高に一人の少女の命を預けることに他ならない。そして、戦う力しか持たない日高たちには、それ以外の選択肢はない。三上さんは、国防軍の手で殺されてしまうだろう。私が直接手を下すという罪悪感からは逃れられるけど……。
他の次元に送り出すというのはどうか?
三上がどうなってしまうか、その結末を見届けることがない分、罪悪感は弱まる。そして、この次元世界の危機も回避できる。それでも、三上が残酷な死を迎えることは明らかである。
苦しませず、命を絶ってしまうことが、三上さんのためなのか?
三上は、自分の秘密を知っているようだし、そうすることで私は、これまで通りの生活を続けることもできる……。
そう思った時だった。由梨亜は、体のうちからフライアの闘争心がむくむくとわきあがってくるのを感じた。
「だめ、フライア……だめ……。」
由梨亜は、ソファーから立ち上がり、頭を押さえてしゃがみこむ。
フライアの意識の基本部分を占める寄生体は、強烈なテリトリー意識を持っている。フライアの闘争意識の根底にあるため、次元超越獣の侵攻や接近には、敏感に反応する。
「まだよ。お願い。……私の友達を殺さないで……。」
由梨亜の意識は次第に遠くなる。かすれる意識の中で、自らの手が液体金属のスーツで覆われていくのが感じられる。体の中はメタモルフォセスを起こしているはずだ。もうすぐ声も出なくなるだろう。体に密着している下着以外は、次元転移されてくる武装ティアラやブリーシンガメン装甲に換装されて、はじき飛ばされる。
 由梨亜の意識が消えた時、ログ・コテージの中には、戦闘妖兵フライアの姿が出現していた。

 

 その日の午後11時。
 三上は、一人で借りているアパートの一室で、就寝の準備をしていた。
一週間前に涼月市に到着してから、昼間、北斗青雲高校にいた時まで、守護霊の存在は、まったく感じられない。それは、小さい時から、彼女が慣れ親しんでいた存在であっただけに、大きな不安要因となっていた。
きっと明日は現れてくれるだろう。
そう思いながら、不安で折れそうになる心を奮い立たせる。そんな時間の連続に、三上は声をあげて泣き喚きたくなる。
身体の中に潜むという悪魔が、いつ牙をむいて襲い掛かってくるかと考えるだけで、夜も眠れなくなる。父や母の心配の電話も、心の内の伝えられない苦しさを大きくするばかりである。
ベッドに腰掛け、今日一日の出来事を振り返る。
自身の霊視が確かなら、守護霊のいう「魂を失くした人」にあたる人間は、あの御倉崎という女生徒しかいない。けれど、自身の守護霊に確かめることができないため、自信はない。
それに、御倉崎の守護霊は、これまでに見たこともない種類のものであることも気になっていた。
優しさと猛々しさが並列して存在し、一人のようで二人のようにも思えるという不可解さであった。そしてその周囲を取り巻く金色のオーラは、なぜか、三上を不安に陥れ、一刻も早く逃げ出さなければならないという危機感を惹起させた。
不思議な雰囲気と興味深い御倉崎の守護霊の言葉に魅かれる自分。
一刻も早く逃げろという内から突き上げる要求。
三上は、どう対応していいか迷っていた。今のところ、御倉崎に魅かれる意志の方が強いものの、この先どうなるか自分でもわからない。
「明日、話せたら、救われるのかな……」
自分でつぶやいた言葉が胸に突き刺さり、涙があふれてくる。
死にたくない。一人ぼっちで死にたくない。生きることへの思い、執着が胸を焦がす。こらえるように上を向き、涙をぬぐう。
部屋の蛍光灯の灯りが涙でにじみ、点滅する。
その時、何かが視界の隅をよぎる。
「え! ? 」
三上は、目の前に突如現れたものに息を飲んだ。
 部屋の中、三上の目の前に、身体にぴったり密着した黒い衣服を着けた、豊かな金色の髪の女性が立っていた。両耳の辺りに被せられた白いイアーマフの下に緑色の宝石が輝き、その深い輝きが、まるでもうひとつの瞳のように、三上をじっと見つめている。その背中には、ビニールのような透明なマントがふくらはぎあたりの高さまで伸び、蛍光灯の光を反射している。身長は自分と同程度、それほど大きくはない。
「だれ? 」
 三上は、思わず質問し、それがあまりにも見当違いなことに気づく。
この女性は、人間ではありえない。しかし、かといって霊のような実体のない存在でもない。今、目の前に実体として存在しているが、超常現象的な存在?女神? 神様なの……?
三上の目の前で、女神は、ゆっくりと右腕を胸の前にかざす。
その腕のひじから手首にかけて伸びた襞から、白いナイフ状のものがはじきだされ、手首の部分を中心に90度の角度で固定される。まるで、手にナイフを握ったような形だ。
ナイフが放つ輝きは、女神が三上に向けている殺意の現われである。
「ひっ! 」
 三上は、女神の放つ殺意を感じ、ひきつった声を出す。
 女神は声を発することなく、沈黙を続けている。それだけに、見た目とは裏腹に不気味でもある。何を考えているか、わからない。何も知らないうちに命を奪われてしまうのかもしれない。
 身体がぶるぶる震え、思わずベッドの上を後ずさりする。
女神は、、その様子を見ても、特に距離を詰めてくるわけでもなく、じっと三上を見つめ続ける。
 その時、三上は、女神の周囲に現れている金色のオーラに気づいた。
「! 」
 それは、昼間、御倉崎の周囲で輝いていたオーラと同じものだ。
「御倉崎さ……ん? 」
 女神が、ピクリと反応する。
ギリシア神話の彫像のような顔には、特に大きな変化は現れないものの、三上が自身の直感の正しさを確信させるには、充分な反応だった。
「御倉崎さん。私を……殺しに来たの? 」
 それでも女神は動かない。
「それは、私の身体の中に悪魔がいるから? 他の人たちに……迷惑をかけるから? 」
 三上が問いかける。
「それとも、私が昼間言ったことが気に入らんかった……とか? 」
 女神の腕が下がり、三上は自分が当面の危機を脱したことを知った。
 女神は、くるりと後ろを向いた。三上は、女神の背中の透明なマントと思っていたものが、トンボのような透明の羽根であることに気がつく。
「よ、妖精……や……」
 三上が声を発すると同時に、女神の姿は、すっと消えてしまった。
あとには、何の痕跡も残らない。
 脱力感とともに肩の力が抜け、三上は、ベッドに倒れこむ。
これは現実に起こったことなのか、それとも霊視能力の高さ故に体験した超常現象なのか。
また現れるかもしれないと、様々な思いが浮かんで、頭の中を駆け巡る。
 結局、三上は一睡もできないまま朝を迎えることとなった。

 

 


(5)御倉崎の秘密

「御倉崎さん? 千春先生が、今日はお休みだって、いってたよ。」
「そうなんだ……。」
 遅れてきた三上に、福山が答える。北斗青雲高校の2年2組の教室内は、次の授業が始まる前の喧騒に包まれていた。
「どうかした? 目の下、すごいことになってるけど? 」
「昨日は考え事が多くて、眠れへんかったんや。」
「まさか、御倉崎さんとあの後、ケンカしたとか? 」
「そんなことするわけないやろ。御倉崎さんは、いろんな事情を抱えているけど、人を傷つけるような悪い人やない……と思うけど……。」
 三上は、御倉崎の守護霊のことを思い出しながら、自分に言い聞かせるように言った。
「三上もそう思うんだ。御倉崎さんは、あんたの来る少し前に転校してきたんだけど、なんかとても複雑な事情を抱えているみたいなの。佐々木っていう大金持ちの家に住んでいるんだけど、姓もちがうし、なんか囲われているっていうか、見張られているって感じだったんだよね。」
 福山は、三上の印象にうなずきながら、御倉崎が転校してきてからこれまでの経緯を話す。
「それがさ。日高さんっていう国防軍のロボットを運転している人が助けに来て、それから少し解放されて、みんなと打ち解けられるようになったんだよ。」
「運転じゃない。操縦って言うんだよ。」
 そばで聞き耳を立てていた南が、口を挟む。
「それにロボットじゃなくて、機動歩兵ABTだよ。正確に言うと、戦闘用パワードスーツだってば……」
「はいはいはい。軍事オタクには、また後でお話をうかがいます。」
 福山が南に向こうへ行けと追い出す。南は、未練たらたらで、教室を出て行く。
「御倉崎は、まだ話してくれないけど、あの丁寧な話しぶりからすると彼女自身、まだ大きな悩みというか、心の壁を持っていると思う。昨日、三上が言った『御倉崎は一度死に掛けたことがある』って言葉を聞いて、これはいよいよただ事じゃない事があったんだって感じたの。」
「ケイも、御倉崎さんのこと、ようわからへんのか。」
「最近になって、みんなと話せるようになったのよ。でも、これ以上のことは、恐くて、こちらからは聞けない。私が思うに、彼女は心を開いて何でも話せる友達が欲しいのよ。きっと。だから、私は彼女の心の友、第1号になるの。」
 福山の宣言に、三上はずっこけだ。
「あ~。あんたの守護霊はんが、打算も少し入っとるが……と言うとる……。」
「え? ばれた? 」
 福山が、きゃははと笑う。
「いやねぇ。いいことしとけば、いいことが還ってくるって言うじゃない。これは、私の学級委員長としての使命だし、ポリシーよ。」
「まあ、ええわ。それより、御倉崎さんの家、知ってたら教えてくれへんかな。ちょっと会って、二人だけで話したいことがあるんや。」
「体調不良って千春先生は言ってたけど、会えるかな? 御倉崎さんの周りは怖いボディガードとかがいっぱいだよ。」
「なんとかするわ。」
「私も一緒に行く? 」
「いや、ちょっとな。どうしても二人だけで会って話したいんや。」
「それ、守護霊とかと、関係があることなの? 」
「そうや。だから、ごめん。」
「わかった。でも御倉崎さんのことで、何かわかったら教えてね。委員長として力になってあげたいから。これは本当よ。」
 福山は、御倉崎由梨亜の自宅の地図を書き始めた。

 

 学校が終わると、三上はタクシーに飛び乗り、御倉崎由梨亜の住む佐々木邸に向かった。その存在感は、タクシー運転手にも知られていて、結局、福山が書いた地図は使うことなく終わった。問題は、その後である。
 邸宅の高い門はがっちり閉じられ、声をかけようにも邸宅自体ははるかかなたに見えるという状況である。大声で叫んでも聞こえるかどうか怪しい。
 佐々木邸の門の前で、三上はどうすればいいのか、とまどってしまった。
門の周囲には呼び鈴やインターホンの類もない。
鉄製の門をつかみ、引っ張っぱってみるが、ロックされているのか、ビクともしない。
「何か、御用ですか? 」
 突然、声が頭上から降ってきた。
見ると、監視カメラが三上の方を向いていて、声はそれに付属したスピーカーから流れてきたようだ。
「あ、あの、私、三上といいます。御倉崎さんのクラスメートです。今日は御倉崎さんがお休みしたんで……お見舞いにきました。」
「わかりました。カメラの方を向いてじっとしてください。」
 三上は何がなんだかわからないまま、言われる通りにする。
「チェックしました。2年2組、出席番号21番、三上翔子さんですね。しばらくお待ちください。」
「あ、あの。昨日の夜のこと、誰にも話してないって言ってください。」
 三上は、必死でカメラに向かって呼びかける。カメラは沈黙したままで答えない。果たして三上の言葉を伝えてくれるのかどうか。
 やがて、二人乗りの小さな電気自動車が現れた。しかし、それを運転している黒服のごつい男のために、とても二人乗りには見えない。
門が自動で開き、男が三上に合図する。
「お会いするそうだ。乗れ。」
 ぶっきらぼうに男が三上に指示する。
三上は急いで男の隣に乗り込み、できるだけ身体を小さくする。
 電気自動車は、三上を乗せると、邸宅の奥へと進んでいく。
巨大な建物が見えてきたので、三上はてっきりそこへ入っていくものと思っていた。しかし、電気自動車は、その目前でカーブし、池にかけられた小さな橋を越えて、小さなログ・コテージの群れの中に進んでいった。
 三上は、ログ・コテージとその周囲の光景に思わず見とれてしまった。
白樺林と芝生、低い石垣で縁取られたメルヘンチックな小道を電気自動車は進んでいく。やがて、ひとつのログ・コテージの前で、電気自動車は止まった。
「どうぞ。由梨亜様がお待ちです。」
 黒服の男が下手で案内し、三上は降りてログ・コテージの入り口へ向かう。
ドアをノックする前にふと、ふり返ると、黒服の男は電気自動車に乗ってさっさと帰っていく。中に入ると意外なほど警戒されていないようである。
 三上は、気を持ち直して、ノックをする前にドアが開いた。
ドアの向こう側にパジャマ姿の由梨亜が現れる。
「どうぞ。」
「あ、お、お邪魔します。」
意外なほど平静な対応に、三上の方がどきまぎしてしまう。
ログ・コテージの中は広いものの、家具などの備品はあまりない。勉強机と本棚、ベッド、そしてタンスといった具合で、特に派手なものはあまりない。備え付けのものと思われる小さな応接セットがあり、その奥には、小さなキッチンらしきものがある。
「そこに座って。」
由梨亜に進められるまま、三上は応接セットのソファに腰掛ける。由梨亜は、キッチンで用意したお茶を持って戻ってくる。
「紅茶しかないけど。いい? 」
「あ、ありがとう。ひょっとしてすごく高級なお茶とか……かな? 」
「そんな。これ邸内の菜園で育てたハーブティーよ。期待した? 」
「あ、ごめん。てっきりいいとこのお嬢様だから。それが何か、当たり前みたいな気がして……。」
ティーカップを持って、入れたてのハーブティーを一口飲む。ごくありふれたハーブの味のはずなのだが、ログ・コテージの雰囲気もあって、とてもおいしく感じる。
「今日は、体調が悪いって聞いたけど……起きてて、だいじょうぶ? 」
三上は、当たり障りのないことから話し始める。
ここに来るまでの間、頭の中で予行演習してきたスタートのつもりだった。
「仮病よ。昨日の夜、あんな姿を見せちゃったから、今日はあなたに顔を合わせられないって、思ったから……。」
「! 」
 三上は思わず、ティーを噴き出しそうになる。
由梨亜は、静かにティーを口に運んでいる。まるで、それはたいしたことではないとでも言うように……。
「あれ? じゃ、やっぱりあれは、御倉崎さんやったんや。」
 由梨亜がこっくりうなずく。
「正確に言うと、メタモルフォセス、変身した姿だけど……ね。」
 三上は、由梨亜がさらりと言う内容に自分の耳を疑う。
三上は、由梨亜が正体を隠し続けるものと思っていたのだ。だから、今日は理路整然と追及して正体を明かし、自分を助けられないか頼み込むつもりだったのである。昨夜見た、由梨亜の姿が本当に存在するものなら、それは人智を超えた能力を持っている可能性が高い。守護霊が言った唯一の希望というのも、納得がいくというものである。
「へ、変身って。あの女神、妖精の姿にか? 一体、御倉崎さんは、何者やねん? 宇宙人とか、サイボーグとか、スーパーなんとかなんか? 」
 興奮して矢継ぎ早に質問しようとする三上を手で軽く制して、由梨亜が静かに、ゆっくりと話し始める。
「私は、この世界を次元超越獣から守るために、妖精界から送られてきたの。でも、私自身は、もともとこの世界に住んでいた人間でもあるの。あなたが昨夜会ったのは、妖精兵士フライアになった私。脅かしてしまったけど、フライアも私もどうしたらいいか、迷っているの。」
 由梨亜は、そこで一端話を区切ると、手にしたーカップをテーブルに戻す。
「フライアの使命は、次元超越獣という怪物を退治すること。この怪物は、一度この世界に侵入してしまうと、危険で、今の人間の力では手に負えないほどの強い力を持っている。だから、フライアは、その怪物を見つけたら確実に始末していかなければならないの。昨夜、フライアが、あなたの所に行ったのは、あなたが……その怪物になりかけているから……なの。」
 三上の手が震える。
「御倉崎さん。うち知っとるんや。なんやわからんけど、だいぶ前から、うちの守護霊が、うちの身体の中に悪魔が棲みついとるって騒いどるんや。何のことかわからんけど、守護霊が言うには、このままだと生きたまま怪物に食われるとか、恐ろしいことまで言うんや。」
 由梨亜は、黙ったままだ。
「信じられるか? これまで信じてきた守護霊が、あんた、みんなのために、自殺しぃ。死ね言うんやで。こんな馬鹿なことってあるかいな。」
 時々詰まりながら話す三上の瞳から、涙があふれてくる。
「こんな話、親にも言えへん。言っても誰も信じへんねん。いつもそうや。でも、うちは死にとうない。人生に愛想つかしたわけでもない。絶望してるわけでもない。生きて、これから恋もしたいし、夢を追いかけたいんや。なのに……みんなのために死ねなんて……。うち、どないしたらええねん。だから……御倉崎さん。うちを助けてぇな。」
 これまで誰にも話すことができず、抑えてきた感情が爆発する。三上の瞳から涙が次から次へとあふれだす。それを見て、由梨亜は、黙って立ち上がり、三上の頭をなで、そっと抱きしめる。
 その暖かさに、三上は救われる思いがした。
「信じるの? うちが言うことを? 何も証拠になるもんはあらへんのに……。」
三上は、由梨亜の腰にしがみついて、これまでの経緯を話し始める。
「うちはな。小さい時から霊の姿が見えるんや。他の人間は、目に見えない霊がいる言うても、信じてくれへん。そやから、これまでもいろいろと変な目で見られたこともあったし、今でも嫌う奴がおる。けど、そんなうちだからこそ、自信を持って言えることがあるんや。この世界には、目に見えないものの方が大切なことが多いんや。愛も友情も、そして自分たちを見守ってくれる守護霊も、みんなそうや。そんなうちが、今さら、目に見えないから、証拠がないから信じないなんて言うてたら、お終いやないか。」
 三上が半泣きで訴える。
「そうね。そうかもしれない……。」
「そうやろ。……うち、今なんか、すごいかっこいいこと言ったような気がするけど……。」
「いえ、本当にかっこ良かったわ。」
 三上が引きつったように笑い、由梨亜もつられて微笑んでしまう。
 ひとしきり笑いあった後、由梨亜は、真剣な顔に戻る。
「三上さん……。翔子って呼んでいい? 」
「当たり前や。うち、御倉崎……いや由梨亜のこと、信じとるんやで。そんな水臭い呼び方はいやや。うちもあんたのこと、由梨亜って呼ぶから……。だから、由梨亜、うちを助けてぇな。」
 三上の言葉に由梨亜はコクリとうなずく。そして、奥の寝室へと三上を連れて行く。
「それじゃあ、翔子。脱いで。全部脱いで、そこのベッドに横になってちょうだい。」
 三上は、戸惑ったものの、言われるとおり、おずおずと服に手をかける。由梨亜は、窓際のカーテンを閉めていき、部屋の灯りも薄暗くしていく。
「や、やっぱり、下着も脱ぐんかな……。」
 ひきつった三上が尋ねると、由梨亜が黙ってうなずく。
「翔子。私はあなたを助けたい。でも、あなたを助けられるかどうか、私にはわからない。もうひとりの私、フライアに任せるしかないの。信じてくれる? 」
 ベッドに一糸まとわぬ姿で横になっている三上は、こっくりとうなずく。
「私は……フライアになった私は、言葉を話せないの。どんな方法を使うのかも私には説明できない。痛いのか、痛くないのかも……。」
「女同士やいうても、裸を見られるのは恥ずかしいから、あんまへんなとこ触らんといてや。痛いのもがまんするけど、できるだけやさしくするように言っといてぇや。」
 三上の弱々しい声に由梨亜はうなずく。
「……努力するわ。」
 由梨亜は、そう言うと、黙って瞳を閉じた。
「……驚かないでね。」
 やがて、由梨亜の身体が金色のオーラに包まれ、メタモルフォセスが始まった。同時に、由梨亜の腕の時計がグニャっと溶けるように変形して、黒いアメーバーのように動いて、由梨亜の全身を覆っていく。栗色のつややかな髪が金色のオーラの下で輝くような金髪に変わる。首から下、胸の上部を覆う銀色の甲冑が突然出現し、がっしりと固定される、頭の上に同じく銀色のティアラがあてがわれる。着ていたはずのパジャマは、いつの間にか消え去って、どこにいったのかわからない。さらに耳の部分から長い触覚が伸びる。
三上は、由梨亜の変身の様子を、息をすることも忘れて見つめる。その変身の時間は、急激な変化の連続だ。白いブーツやグローブの出現も、今となってはどのように現れたのか、理解できない。
 これが、由梨亜さんの秘密?
 三上は、これは秘密というより、奇跡の現場に立ち会っているのだと思った。友の身体に、強さと優しさを兼ね備えた、神々しい存在が宿る奇跡の瞬間なのだ。おそらく、この瞬間を目にすることができる人間は、これから先もほとんどいないだろう。

 

 


(6)コンタクト

 由梨亜が言ったように、フライアは何も話さない。黙ったままだ。
やがて、白いグローブに包まれた手が伸びてきて、三上の頭の先から触れていく。その手は、頭から顔、首、胸と次第に下へと降りていく。胸のふくらみも敏感な頂もおかまいなしに触れていく。
 三上は、フライアの手が顔を通り過ぎてから、目をあけた。すぐそこにフライアのギリシア彫刻のような白い整った顔がある。つい目があってしまい、三上はひきつった笑いをうかべてしまうが、フライアの方は少し笑ったような目の一瞥をくれただけで、すぐに三上の身体の方へ目を移す。その真剣なまなざしに、三上は何も言えなくなってしまう。
 フライアの手が反応したのは、三上の下腹部に来た時だった。手が三上の下腹部で停止し、フライアの目が険しくなる。
「え……まさか、そんなとこ……」
 動揺する三上の気持ちを知らないのか、フライアの手が三上の性器へと何のためらいもなく触れていく。三上は真っ赤になって、思わず股を閉じようとしてしまう。すると、フライアの厳しい目が三上を責める。
「ご、ごめんなさい……」
 恥ずかしさのあまり目を強く閉じて、脚から力を抜く。フライアの左手は下腹部に当てられたままなのだが、右手が時々敏感な部分に触れるため、三上は、こんな状況にも関わらず、感じてしまう。
 ぴくんと身体が反応し、身体の奥がきゅんとなる。それと同時に敏感な部分が濡れていくのがわかる。
やがて、フライアの指らしきものが濡れた粘膜を掻き分けて、中に入っていくのを感じ、三上はパニックになりそうになって、目をあけた。すると、目の前にいるフライアの様子は、さっきまでと変っていた。
 え? 聴診器?
フライアの両方の耳、白いイアーマフ状のもので覆われ、下側に緑色の宝石が輝いているのだが、そのさらに下から白いひも状のものが伸びて、一方が三上の下腹部へと向かっていた。そしてもう一方が、額にぺたりと貼りつく。
(見つけた。あなたの下腹部の中。)
 突然、フライアの意識が頭の中に飛び込んでくる。
「え? 」
(あなたは、次元超越獣に卵を産み付けられている。幸い、卵は孵化していない。今から、取り出す。)
 次々と頭の中に流れ込んでくる思念に、三上の心臓は早鐘を打つ。
思念を読み取ると、自分の身体の中にいるマユのような物体まで見えてくる。その中に何か蠢くものが……。
 ばしっ!
 はっとして、三上は目をあける。額から白いひも状のものが外れて、蛇のように顔のそばでじっとしている。フライアの目が困ったように注がれる。
 再びひも状のものが額に張り付く。同時にメッセージが頭の中に流れる。
(ショックを受けるから、見ないように……。)
 三上は、フライアを見上げてこっくりうなずく。
 白いひもと繋がれることで、三上はフライアの見ているもの、すべてを見ることができるようだ。
(あなたの中にある卵の場所を確認するため、大切な部分に感情触覚を入れている。少し刺激したけど、スムーズに中に入れるためだから、がまんして。)
 やがて、フライアが右手を上げる。その右手が先端から次第に半透明になっていく。
(目を閉じて!)
 電気のような勢いで、三上の頭の中をフライアのメッセージが流れる。
 下腹部に手の突き当たる感触が起こったかと思うと、やがてそれがずぶずぶと身体の中へ入っていくイメージが伝わってくる。痛みはまるでない。フライアの右手が三上の子宮内にあった、あるものをがっしりと掴む。
「早く、引き出して」三上は思わず念じる。
(だめ。この卵は実体。そのまま引き出すと、あなたの周りの細胞を傷つける。)フライアの思念が反応して答える。
「じゃ、どうするの? 」
(このまま、外の世界に、次元ポケットへ空間転送する。)
 ポッカリとお腹の中に穴が開くイメージが伝わってくる。フライアが握っていたものをそこへ弾き出し、やがて、真っ暗な穴が消えた。フライアの手が身体の中から引き抜かれていく。
 額から白いひも状のもの、フライアが言うところの感情触覚とかいうものが離れる。三上の敏感な部分からもヌルリと抜け出す。
 はーっと三上はため息をついて、ベッドのそばに立っているフライアを見上げる。
「終わったの? 」
 フライアはこくりとうなずく。その表情にさっきまでの厳しさはない。
むしろ暖かな微笑みが浮かんでいるように見える。
「助かったの? うち? 本当に? 」
 繰り返す三上にフライアはただうなずいて、シャワー室を指差す。三上は自分のお腹を手で確かめる。傷ひとつない、すべらかな肌の感触とぬくもりが感じられる。次に股の部分がしとどに濡れているのがわかって、真っ赤になってしまう。よく見ると、フライアの右耳下からのびている感情触覚も、三上のもので濡れたのであろう、妖しい光を放っている。
「もう、由梨亜が変なとこ、触るからやで……。」
 三上は、ばつが悪くなり、脱いだスカートのポケットからハンカチを取り出して、フライアの感情触覚を拭こうと近寄る。
 フライアは、あわててそれを避け、首を横にふり、シャワー室を指差す。どうやら感情触覚は、触られたくない部分のようである。その間にも、感情触覚は急速に縮んで、耳の下に収容されていく。
 三上は、仕方なく、シャワー室へ向かう。ドアに手をかけ、ふと気づいて、フライアをふり返る。フライアと目が合う。
「なあ。フライアは、……うちの初めての人になるんかな? 」
 その言葉に、白いフライアの顔が真っ赤になり、あわてたように首をふる。
その様子に三上は満足し、シャワー室へ入った。
「意外とシャイなんや……ね。フライアさんは……。」
 

 三上がシャワー室から出ると、フライアの姿はなかった。さっきまで薄暗かった部屋の中には灯りが灯されている。カーテン越しに外の様子をうかがう。夕闇が迫る中で、ログ・コテージのまわりに配置された外灯が、ぽつぽつと灯りはじめている。その薄明かりの中、垣根の間を走る小道を、私服姿の由梨亜が歩いてくるのが見える。
どこかに行っていたのか。三上は、急いで制服をつけ、リュックを背負ってログ・コテージの外に出た。
「由梨亜ーっ。」
 三上は、由梨亜に向かって駆け出した。由梨亜が顔をあげ、三上に向かって微笑む。由梨亜の笑顔は、女の自分から見てもいとおしく感じてしまうから不思議だ。
「今日はどうもありがとう。こんなに晴れ晴れとした気持ちはひさしぶりや。本当に、ありがとう。うち、もう帰るわ。」
 すると、由梨亜は、三上の手を掴んで首をふる。
 「? 」
「ダメよ。まだダメ。」
 怪訝そうな顔をする三上に、由梨亜は言った。
「ここから帰るとなると、だいぶ時間がかかるわ。それにもう遅いし、夕食を一緒に食べて欲しいの。ひとりで食べる夕食はさびしいし……。翔子がいると楽しい夕食になりそうなんだもの……。」
「なんや。由梨亜は寂しがり屋なんやな。ええんか。夕ご飯、ご馳走になって? 」
 由梨亜がうなずく。
「できれば、今夜は泊まって行って欲しいの。」
「わかった。命の恩人の頼みや。今夜は泊まっていくわ。でも、それ、日高さんて言うんか? そいつに言ったら、きっと喜ぶで。」
「そうね。日高さんはロリコンだって言ってたから……。でも恥ずかしい……。強引すぎて引かれるかも……。」
「ろ、ロリコン? あちゃー。こりゃ、気ぃつけんといかんわ……。」
 二人の楽しいおしゃべりは続く。
 三上は、由梨亜の提案に乗って夕食をともにし、ログ・コテージに泊まることになった。

 その夜、由梨亜のログ・コテージに二人分の夕食を届けたのは、榛名だった。
 ログ・コテージから聞こえる楽しそうな声に、榛名は一瞬驚いたものの、クラスメートが訪ねてきているのだと知って、胸をなでおろした。

 

 


(7)深夜の襲撃と悲劇の幕開け

深夜、午前1時。
由梨亜は、一人ベッドから起きた。隣の簡易ベッドの上では、死の恐怖から開放された反動で、三上が爆睡している。
「やっぱり、来るのね。」
由梨亜は、独り言をつぶやくと三上を起こさないよう、そっとベッドを抜け出す。ドアを開けて外に出ると、ログ・コテージの建物をふり返り、目を閉じた。由梨亜の身体が金色のオーラに包まれる。そして、メタモルフォセスが始まった。
吹き抜ける冷たい夜風が、由梨亜の長い栗色の髪からフライアの金色の髪へと変えていくように吹き抜けていく。
変身を終えたフライアが、ログ・コテージに向けて手をかざす。やがて、建物は、金色のオーラで包み込まれた。

 午前1時13分。
 由梨亜のログ・コテージの側に奇妙な生き物が出現した。
生まれたばかりの小さな芋虫のような生き物は、由梨亜のログ・コテージに侵入しようとしたものの、金色のオーラではじかれ、池に転落した。しかし、その後、数分間で池で飼われていた魚を喰らい、小さな犬ほどの大きさまで成長して、再びログ・コテージの前に這い上がってきた。
 その前に、フライアが立ち塞がる。ひるむ怪物。本能的に、敵の存在を察知したようだ。
フライアも同様である。怪物の正体はすでに予測している。
この怪物は、三上の身体の中からフライア自身が取り出して、次元ポケットへ追放した卵から孵化したものなのである。次元ポケットから、産み付けられてから孵化まで長い時間を過ごした三上の身体の中へ再び戻ろうと、怪物は微かな痕跡を頼りに次元を超えて転移しようとしたのである。
次元ポケットを彷徨う無数の物体の中から、特定の生き物や物体を探すのは、困難である。フライアの力を持ってしても、一旦次元ポケットに放出した卵を探し出すことは難しい。
このため、フライアが次元ポケットに卵を放出した段階で、怪物が再び襲ってくることを予期した由梨亜は、それを阻止するため、三上の眠るログ・コテージにオーラによる次元遮断シールドを張り巡らした。由梨亜の予想はズバリ当たり、怪物はオーラに妨害されて次元転移に失敗、ログ・コテージの側の池に叩き落されてしまったのである。
 フライアは、怪物に向けて両腕をまっすぐ伸ばす。やがて、両手の甲にあるそれぞれ2つの突起から、光線の雨が放たれる。光線の雨が当たる寸前、怪物の姿が掻き消える。
 バシッ!!
ログ・コテージで再び、由梨亜の仕掛けた次元遮断シールドに何かがはじかれる衝撃が響き渡る。
ドボン! 続いて、またも池に何かが落ちる水音。
どうやら、怪物は再度次元転移を試みて、再びはじかれてしまったようである。
フライアは、池の中から怪物が現れるのを待つ。やがて、大型犬ほどに大きくなった怪物が上陸してきた。信じられない成長速度である。池の中の全生物を喰らい尽くしてきたのかもしれない。しかも先ほどまでと異なり、怪物の体表は鱗状のもので覆われている。体長に沿って膜のようなものまで付いている。
フライアは、怪物の変化に警戒を強める。小さいからといって、次元超越獣には油断できない。幾星霜もの間、次元を超えて生き抜いてきた怪物は、その間に様々な特殊能力を身につけているのだ。それは、妖精たちでさえもすべてを把握しているわけではなく、日々進化しているのである。
フライアは、今度は先制攻撃を控え、迎え撃つ体勢をとる。
怪物がジャンプした。と思った瞬間、身体の膜を震わせ、矢のような速度でフライアに突っ込んできた。
光線砲の類での攻撃では、ダメージは与えられても怪物の突進を止められそうもない。フライアは身をよじって、かろうじて怪物の突進をよける。
怪物の突進速度は、目で追うのが困難なほどだ。側面からその様子を見ると、槍がフライアに向けて投擲されたように見えたことだろう、
フライアにかわされ、その背後で旋回した怪物は、再び突進してきた。フライアに向き直る余裕すら与えない怪物の猛攻である。
体勢を崩されながらも、フライアは、頭部の触覚の先端から緑色のビームを放ち、怪物の頭部に叩きつけた。
怪物の視界は、一瞬にして緑色一色に染まり、目標を完全に見失う。さらに連続照射は、怪物の平行感覚まで狂わし、怪物は、空中で身体をひねるようにバタつかせながら、生垣の中に突入していった。
ガザザザザーッ!
フライアは、胸の部分の甲冑に両腕を水平にかざし、怪物が突っ込んだ生垣に狙いを定める。
あれで死ぬような怪物ではない。また、三上の身体からむりやり次元ポケットへ放り出されながらも、孵化した後、その身体に執着して次元を超えて襲ってきた怪物である。逃げるようなことは絶対無いと確信する。
怪物が頭部をもたげ、再び飛ぶのと、フライアの胸部の甲冑が閃光を放ち、両腕を前に開放するのと、ほぼ同時だった。フライアの胸から放たれた三日月型の光の刃は、怪物を頭から尾の先まで、一瞬にして真っ二つに切断する。怪物は、推進力を生んでいた体の脇に沿って広がっていた膜を完全に失い、フライアに到達することなく、砂利道に落下する。
フライアの前に完全に息絶えた怪物の切断死体が転がる。やがて、その死体からは、ぶすぶすと蒸気のような煙が噴出し、少しずつ溶けていく。
その様子を見つめるフライアの周囲を、三日月型の光の刃は、回っていたが、それも次第に光の粒子となって消えていく。
 フライアは、怪物の死体が完全に消滅するのを見届けると、メタモルフォセスを解除した。
 

 明け方近く、午前4時頃、三上はふと目を覚ました。遠くから、緊急車両が近づくサイレンの音が鳴り響いてくる。
 隣のベッドに寝ているはずの由梨亜の姿はない。三上は、由梨亜から借りたパジャマのまま、コテージの外に出た。コテージの前の砂利道に由梨亜が立っている。その素足には何も履いていない。裸足のままだ。
「由梨亜? 何しているの? 裸足のままで外に出るなんて……何かあったの? 」
 駆け寄る三上をふり返る由梨亜の顔は、蒼白だった。
「翔子……ごめんなさい。私、たいへんなこと、忘れてた……」
 三上を見つめる由梨亜の瞳が不安気に揺れ動く。一体何があったのか?
「どういうこと? なんで謝るの? 」
 由梨亜は、首をふるばかりである。
「あなたの身体の中から取り出した怪物の卵が孵化して、ついさっき、襲ってきたの。私は、それを予想して迎え討ったの。」
 三上は、自分が寝ている間、由梨亜がフライアとなって守ってくれていたことに驚く。しかし、それは、謝ることには繋がらない。三上は考えたくない予想を飲み込みながら恐る恐るたずねる。
「……失敗して、怪物に逃げられた……とか? 」
「……いいえ。……怪物はやっつけたわ。翔子を狙う怪物は、……もういない。」
 由梨亜は首をふり、身体を震わせながら答える。
三上は、ほっとすると同時に、ますます訳がわからなくなった。一体、他にどんな問題があるというのか?
「……翔子。あなたは、いつ、あの怪物に会ったの。いつ、次元超越獣に卵を産み付けられたの? 」
「え? 」
 由梨亜の意外な問いかけに、三上はポカンとする。
 由梨亜に会うまで、三上は身体に悪魔が棲みついたと怯えていたのだ。それが次元超越獣という怪物であるということも、まったく知らなかった。
 怪物……って?
 三上は、転校してくる前、広島市郊外を走る高速道路で、家族そろって事故に巻き込まれたことを思い出した。たしか、あの時、お父さんが「高速道路の上を飛ぶ怪物を見た」と警察に証言していた記憶がある。
事故を起こした暴走車の運転手たちは全員死亡したが、接触されただけの三上たち家族は、しっかりとシートベルトをしていたこともあって、全員気を失いはしたものの、かすり傷を負った程度で助かったのである。
 三上と怪物の接点があるとすれば、その時しかない。
「その時、……周囲に誰も、あなた以外……いなかったの? 」
 由梨亜が綴る言葉の意図するものを感じ取り、三上の背筋を冷たいものが流れる。
「もし、その時、あなたの周りに人がいたとしたら……、怪物は、その人たちにも……卵を……産み付けた……かもしれない。」
「そんな! そんなことない! お父さんもお母さんも、なんでもなかったわ。卵を産み付けられたなんて、そんなはずない。あの時、私たちは車の中にいたのよ。怪物が卵を産みつけようとしても、……できるわけない。」
 三上が悲鳴のような否定の声をあげる。その否定の一方で、三上は自分自身の身体に起こった出来事から、その否定の根拠が、まったく説得力を持たないことを理解する。
 由梨亜は、黙ったままだ。
「まさか、……そんな……。」
 三上は、あわてて携帯を取りにコテージへ引き返す。
由梨亜は、それを見送る。
 三上の身体の中から取り出した怪物の卵は、今夜、孵化した。おそらく同じ日に産み付けられた卵も同じように孵化したはずだ。その意味するものは?
 由梨亜の心を絶望と罪悪感が蝕む。
 私には、次元超越獣と戦える充分な力がある。それなのに、友達の大切な人を、三上の両親を救うことができなかった。
 しかたがなかった、という弁解はできるだろう。
 現に、その時間、由梨亜はフライアとなって三上を救うために戦っていたのだ。一つしかない身体で、すべての人類を守ることなど、所詮、不可能なことなのだ。フライアの力が、現在の人類の叡智を越えたものであったとしても、それは絶対の力ではない。まして、フライアは神ではないのだ。
 それでも、救える可能性があったことが、由梨亜の心を苦しめる。大切な友になれたかもしれない三上の両親、大切な父や母を結果として見殺しにしてしまったことが、由梨亜の心を苦しめる。
「お母さん、お父さん、出て! どうして出ないんや! 」
 三上の悲鳴のような声が、コテージの中から響いてくる。
「いやや! うちをひとりにしないで! お母さん、出てえな! 」
繰り返される絶叫の意味するものを知って、由梨亜の心は今にも張り裂けそうになる。
 遠くから響いていたサイレンがさらに大きくなり、やがて佐々木邸の門の前あたりで、消える。緊急車両の群れが佐々木邸の前で止まったようだ。邸宅内に灯りが灯り、邸内がにわかに騒がしくなる。
不審者の侵入を感知したのか、警報まで鳴り響く。
「由梨亜ーっ。」
 気づくと、日高が邸宅内の砂利道を走ってくる。機動歩兵用のスーツに身を固めたその姿を見て、由梨亜の心は……折れた。
「だいじょうぶか? 」
 日高の問いかけに由梨亜は答えることができない。
「ここに、三上翔子という子が来ているだろう。危険なんだ。三上は……」
 日高の説明が終わらないうちに、由梨亜は日高の腕の中に飛び込む。
「……由梨亜? 」
「……翔子はだいじょうぶ。……・だいじょうぶよ。」
「え? 」
 日高の腕の中で、由梨亜は肩で息をし、くぐもった声で続ける。
「私は……私は……失敗したの。彼女の……救えなかった……。」
 途切れ途切れに紡がれる由梨亜の言葉。それに反応するかのように、瞳からは、次々と涙があふれてくる。
泣きじゃくりながら紡がれる言葉は、自分を責めているのがわかる。
 日高は、黙ったまま、由梨亜の頭をなで、力強く抱きしめる。何があったかわからないが、どうやら由梨亜は、三上の両親に起こった悲劇を知っているようだ。おそらく、予知したのだろう。
「もう、いい。何も言わなくて。由梨亜はできる限りのことをしたんだ。ぼくは、そう思うよ。」
 日高のかけた言葉に、由梨亜は、大声で泣き始めた。

 

 


(8)さよならは言わないで

 広島市内の病院に担ぎ込まれた市民の体内から次元超越獣が出現した事件と、6月に市郊外のハイウェーで起こった次元超越獣との繋がりが明らかとなったのは、翌日のことである。
緊急通報を受けた中央即応集団・対次元変動対応部隊の戦闘チームは、怪物が患者? の身体を細胞融合の形で侵食していくことを確認したものの、怪物の成長速度に対応できず、結局、患者が意識を失った段階で、救命は絶望と判断。市郊外へコンテナに詰めて搬出し、機動歩兵等の火力で抹殺した。
最終的に、怪物に寄生された者は7人に達したが、全員死亡と判定された。それは、中央即応集団としても苦渋の決断であり、事件は非常に後味の悪いものとして残った。
 その一方で、アダム極東方面司令部の協力によって、この事件を引き起こした次元超越獣の正体も明らかとなった。
 次元生物コードβ-166-Ⅲ・32、寄生型の次元超越獣プゲル。アダムの結論はこれである。
 F情報に添付された画像データは成獣ではなく、成長途中の2齢獣の姿だったため、見逃されてしまったのである。
 また、死者全員が、広島市郊外のハイウェーで発生した次元超越獣が起こした交通事故と関連したことから、中央即応集団・対次元変動対応部隊は、緊急に事故関係者で生存している者を調査追跡した。唯一行方がわからなかった者は、北海道で見つかったが、幸いなことに、怪物に寄生された痕跡はないと確認された。
日高たち待機部隊が、三上翔子を追って佐々木邸に直行したのは、そのためであった。
 帝国国防軍 中央即応集団・対次元変動対応部隊のまとめた事件報告書は、以下のとおりである。

 


事 件 概 要   

 次元超越獣「プゲル」(成獣)は、当該事件において、産卵のため、ハイウェーを走行中の車両を襲撃したものと思われる。襲撃された車両の乗員、乗客は、「プゲル」が獲物を弱らせるため接触させた高濃度の放射線を浴び絶命。生みつけられた卵も結局は死滅したものと推定される。しかしながら、事故に巻き込まれた負傷者については、卵を産み付けることに成功したものと思われる。

 通報を受け、「プゲル」を抹殺したものの、卵の存在に気づかなかったことはその後、大きな問題となった。

 

 

事 件 概 要  

 次元超越獣「プゲル」(幼獣~1齢獣)は、当該事件において、生みつけられた市民の体内で孵化し、細胞融合を行った。このため、寄生された市民7人全員が死亡した。

  なお、本事件における負傷者は、次元超越獣の寄生を知らず治療にあたり、パニックに陥るなどした病院関係者であり、寄生の拡大とは無関係であることを付記する。

 

 事件のあと、由梨亜は、体調不良を理由に一週間学校を休んだ。
 榛名が毎朝、車で学校へ送るため声をかけてくれるのだが、顔を会わすこともなく、ドア越しに断った。
 昨日は、学級委員の福山がお見舞いに来たが、悪いと思いつつも、体調がすぐれないと言って、会うのを断った。
 由梨亜は、誰とも会いたくなかった。
いや、むしろ、人と会うのが怖かったというのが正しいかもしれない。
ログ・コテージの中に閉じこもり、何をするわけでもなく、ほとんど一日中ベッドにもぐりこんで過ごしていた。
 ログ・コテージの中からのんびりと窓越しに緑豊かな白樺林や池を眺め、鳥たちの美しいさえずりを聞いていると、次元超越獣を倒すとか、この世界を危機から救うという自分に与えられた使命の現実感が薄れてくる。
親しい人の大切な人も守れない、救えないのに、この世界など救えるわけがない。中途半端な力は、それに対する他人の期待の大きさを考えると虚しいもののようにさえ思えてくる。
 ベッドのそばの電話が鳴る。
 無視するわけにもいかず、由梨亜は電話に出る。
「榛名です。お休み中のところ申し訳ありません。由梨亜様に面会したいと、日高一尉がご来邸しています。いかがなさいますか? 」
「日高さんが? 」
 意外な来訪者に、由梨亜は、返事を躊躇する。
「……あっ、こら。そんなところを飛び越えるんじゃない! 比叡、日高を止めろ……」
 由梨亜が返答する前に、電話の向こうがにわかに騒がしくなる。
どうやら、日高一尉は、返事を聞く前に強引に突入を図っているようだ。そういえば、この前、三上を確保しにきた時も、セキュリティーを無視して邸宅内に突入して警報を鳴らしている。
 おそらく、由梨亜が会わないと伝えても、自分が直接言わない限り、信用しないだろう。
「……わかりました。お会いします。」
「え? お会いになるんですか? 」
 電話の向こうから榛名の素っ頓狂な返事がかえってくる。
「どうかしましたか? 」
「いえ、こちらの話です。……比叡! 追わなくていい。由梨亜様がお会いになるそうだ。」
 すでに日高はこちらに向かっているらしい。
「由梨亜様。すでに日高一尉は、門を乗り越えてセキュリティーシステムを突破、そちらへ向かっているものと思われます。何かありましたら、ご連絡ください。」
「榛名さん。ありがとう。」
「いえ。」
 由梨亜は、ため息をついて、日高を迎えるため、部屋を片づけはじめた。

 

「手紙? 」
「そっ。福山さんに頼まれて、預かってきた。」
 日高は、胸ポケットから小さな封筒を取り出し、由梨亜に渡す。
「あ、ありがとう。」
 由梨亜は、受け取った封筒を確認する。表にも裏にも何も書かれていないが、しっかりと封がしてある。
「読まないのか? 」
 由梨亜が、封筒を勉強机の上に置くのを見て、日高が声をかける。
「あとで読みます。」
「いいのか? それ、福山から預かったとは言ったけど、誰からの手紙か、わかっているのか?」
 日高が思わせぶりな疑問を投げかける。
「……福山さんから……じゃないの? 」
 由梨亜が驚いて尋ねると、日高は首をふって答える。
「三上翔子さんからの手紙だ。」
 由梨亜は、びっくりして手紙を開封する。

 

 由梨亜が、手紙を読み終えたのを見て、日高が付け加えた。
「三上は、部隊の付属病院で検査を受けたが異常無しだった。亡くなったお母さんの葬儀もあるので、昨日、飛行機で帰ったよ。しばらく、お父さんと一緒に暮らすそうだ。」
「え? ……お父さんが生きてるの? 」
「あれ? 知らなかったのか? 翔子さんと同じように、お父さんの方も異常無しだった。ただ、お母さんをあんな形で亡くしてしまったショックで、しばらく話もできない状況だったみたいだけど……。由梨亜? 」
 由梨亜が顔を覆ってうつむく。
「ご、ごめん。てっきり知っているものと思ってた。」
「良かった。お父さんだけでも助かって……本当に……良かった……。」
 由梨亜がしみじみと言葉を紡ぐ。
伏せられた瞳に涙が光っているのが見えて、日高は動揺する。
「……事件調書と被害者リストを読んだけど、どうも今回現れた次元超越獣は、人間の女性に……」
「いい。……聞きたくない。」
 間を持たそうと日高が知っていることを話そうとするのを、由梨亜が止める。
「日高さんって、いい人ね。」
「え? 」
「だって、いつも、私を助けに来てくれる……」
「そ、そうかな。」
「どうして、こんなにしてくれるの? 」
 日高は、返答に詰まる。どう答えたらいいものか。
「……そうだね。……大人だから……かな。」
「? 」
 「由梨亜……その……なんだ。話してくれないかな。つらいことがあるなら。力になれるかどうかはわからないけど。話すだけでも、楽になれるよ。一人で抱え込んじゃダメだ。」
「……ごめんなさい。今は、まだ話す時期じゃないと思う。」
「……だめか? 」
日高が落ち込んだのを見て、由梨亜があわててフォローする。
「でも、いつか、きっと話すから……。」
「そっか。じゃ気長に待つとするか……な。」
日高が椅子から立ち上がる。
「それじゃ、そろそろ引き上げるよ。」
「あ、ごめんなさい。何も用意できなくて……。」
「なあに。それより、明日から、学校には行ってくれ。これは、福山さんからの伝言。それと……もし、心が折れそうになったら、遠慮なく呼んでくれ。」
ドアに手をかけながら、日高は自分の胸をさす。
「ここは、いつでも由梨亜のために、……明けておくから……。」

 


(9)御倉崎と由梨亜

 夕方、榛名が夕食を届けにログ・コテージを訪れた時、由梨亜はログ・コテージの前に置かれた長椅子にぽつんと座っていた。
「由梨亜様。夕食を届けにきました。中のテーブルに置いておきますね。」
「ありがとう。」
 榛名が、ログ・コテージ内の照明を点灯し、帰ろうとするのを由梨亜が呼び止める。
「榛名さん。明日から登校します。送迎をお願いしていいですか。」
「ええ。かしこまりました。……日高一尉から何か言われたのですか。」
「……話してって、言われたの。秘密のこと。」
 榛名がおどろいて聞き返す。
「話したんですか? 由梨亜様がフライアだってこと……、日高一尉に? 」
 由梨亜が首をふったのを見て、榛名はほっとする。
「由梨亜様は、ご自分の秘密がどれだけたいへんなものか、よくわかっていないのです。もしこれが世間に広まったら、私たちの力で、由梨亜様の今の生活を守り通すことはできなくなってしまいますよ。」
「それは、わかっていますけど……。日高さんは信用できると思うし……。」
「お気持ちはわかります。三上さんにもお話しされたようですが、私は、あぶなかったと思っています。絶望した人間は、何をするかわかりませんから。」
 榛名の指摘は容赦ない。
「日高一尉が、由梨亜様に好意を寄せているのは、私もわかります。ですが、由梨亜様の抱えている秘密は、一人の男が抱え込むには、あまりにも大きすぎます。彼がそれを受け入れられる人間か、時間をかけてしっかり確かめてからでも遅くはないと思います。」
「……わかりました……。」
 由梨亜が息を吐くように答えた直後、突然、その身体を硬直が走る。
「由梨亜……様? 」
 やがて、ふっと硬直が解け、由梨亜が榛名の方に冷たい目を向ける。
次第に暗くなる中でログ・コテージの室内から漏れる明かりを反射したように、由梨亜の眼が鋭く光る。
いつもの優しさがあふれる、少しふっくらした印象が、シャープな印象に変り、意外なほどの冷たさを感じさせる表情に変化する。
 榛名は、これまでの経験から、由梨亜のもう一つの人格が現れたと悟った。
「……御倉崎さん……ね? 今の話、聞いていたんでしょう? 」
「ああ……。由梨亜は甘いところがあるからな。何かあれば……私が出て対応するつもりだった……。」
「最近、あまり出てこなかったじゃない? てっきり、消えちゃったかと思ったわ。」
「私は消えない。由梨亜のためにいろいろとやることが多くてね。」
 榛名は、由梨亜の隣に腰掛ける。榛名にとっては、この状態の由梨亜の方が護身術や戦闘訓練でも関わっているだけあって、親しみやすい。ある意味、戦友というような印象さえ感じている。
「この前、日高がデルタ・パレスに泊まった時、由梨亜に夜這いさせたの、あなたでしょ? 」
「いや、私は日高の部屋の前にジャンプしただけだ。あとは知らん。」
「ジャンプ? ああ、空を飛んだのね。もう、何かあったらどうするつもり?由梨亜はまだ子どもよ。……パニックになるわよ。」
「……好きな相手が目の前にいるんだ。私は構わないと思う。それに……由梨亜は、処女じゃない……。本人は記憶していないだろうがな。」
「え? ま……まさか、日高と……もう、やっちゃったの? 」
「いや、日高は抱きしめてくれただけだ。」
「は? じゃあ……一体……? 」
「強姦されたのさ。十年前にね。いや、それ以上のものがあるな。身体もそうだが、由梨亜の心の傷は、とても深い。見た目以上に……。ガラス細工のようなものだ。」
たんたんと答える、その言葉は、とても自身のことを話しているようには見えない。まるで他人事のような話し振りである。榛名は、そんな姿を見て、これがフライアというメシアの意識なのかと疑わしく思った。
以前、「フライア」ととりあえず名乗ったものの、今では「御倉崎」と呼ぶ方を好んでいることからすると、この冷静で無感情な意識は、フライアとは別の人格ではないかという気さえしてくる。
「どうしてそんなことに? 」
榛名は、恐る恐る尋ねる。
「それを知るために、由梨亜の両親の死んだ「聖櫃事件」を調べてもらっている。凄惨な現場は、当事者として記憶しているが、何があったのか、由梨亜を殺した相手が何者なのかわかれば……。」
榛名は、その目に怒りの炎がゆらめいたのを見て、ぞっとした。
その迫力は半端ではない。
榛名たちは、由梨亜に頼まれて、護身術の稽古相手をこれまで行ってきた。しかし、沖縄空手の達人レベルの実力を持つ金剛チーフでさえ、最近では手に負えないほどだという。榛名自身、剣術やナイフを用いた近接戦闘の腕はかなりのものだが、最近はフェイントをかけてようやく対等というところである。それも次第に効かなくなっているので、榛名の手に負えなくなるのも時間の問題である。
最近では、佐々木邸地下にある秘密の射撃訓練場で、比叡から拳銃やライフルなどの射撃も学んでいる。
そんな護身術や戦闘訓練で、負けそうになった時に見せるのと同じ表情なのである。
「本人は意識していないが、帰ってきた理由のひとつもそこにある。まあ、私としては、世界を守るとか、次元超越獣と戦うことよりも、あの事件に関わった連中を見つけ出して、皆殺しにする方を優先したいけどね。」
 少し強いトーンを込めて、御倉崎が話し続ける。
「だから、由梨亜を支えてくれるなら……。日高が本当に由梨亜を愛してくれるなら、体を与えるくらい、どうってことはない。」
「過激すぎるわよ。いくらなんでも。」
「無茶なことはしない。今言ったことは、由梨亜には言うなよ。……」
 しばらくすると由梨亜は、ぼうっとした表情になり、視線を宙に漂わせる。
 榛名は、由梨亜をそばで見守る。
 由梨亜の体から緊迫した力が、少しずつ抜けていくのがわかる。この短時間の人格変換の間に、体の筋肉量まで変ってしまうのだから、目の前で見ていても信じられない。
 御倉崎と由梨亜、そしてフライアの関係は、はっきりとしないところがある。敬虔なクリスチャンである佐々木会長は、それでも御倉崎をメシアと信じて疑わない。過去に妖精といわれるものと接触したことがあるようなのだが、その内容については、榛名たちにも知らされてはいない。
 もうすぐ、由梨亜が目を覚ます。
 榛名は、どう言い繕うか頭をひねりはじめた……。

(第6話 完)