4-13

超次元戦闘妖兵 フライア ―次元を超えた恋の物語―

渚 美鈴/作

第13話「恐怖の閉鎖空間 -日高一尉 帰還せず-」

【目次】

(1)次元超越獣、帝都侵攻

(2)ジェノサイド・ホスピタル

(3)次元超越獣ゴラド

(4)生死を分けるもの

(5)日高の告白

(6)オペレーション「リゾート・アイランド」

(7)孤島からの脱出

(8) 決戦!北斗港

 


13-(1) 次元超越獣、帝都侵攻

 
 
 国防軍中央即応集団・対次元変動対応部隊、事件・事故調査班リーダー須藤茜三佐が、日高一尉を呼び出したのは、「オペレーション虹の絆」作戦で「キプロ」と国防軍が交戦した「黒曜山ホテル事件」から約1ヶ月後のことだった。
 あの事件以来、キプロの消息はぷっつりと途絶えてしまっている。
M情報では、もう元の世界に帰ったとの報告が届けられているが、詳細や根拠についての報告が、担当の日高から一向にあがってくる様子がない。
何度督促しても、提出しないため、怒った須藤は、直接、日高に出頭するよう命令したのである。
 
「当然でしょう。」
「何が……です? 」
「御倉崎さんが、怒るのは当然だと言ったんです。」
 須藤は、日高からの報告を聞いて、あきれたように言った。
「考えてもみなさい。御倉崎さんも、堂島さんの母親が殺された事件の関係者なんですよ。しかも堂島さんの親友なんだから……。加害者の大西に対して、同じように強い憎しみを抱いている中で、あなたがそいつを弁護してみなさい。怒るに決まってるでしょう。」
「いや、俺は由梨亜なら、冷静に事件を見つめることができると思ったんだ。だから、『キプロ』が接触したなら、由梨亜を洗脳したんじゃないかと思って……。」
 日高は、あの日、由梨亜の態度が豹変した時のことを思い出しながら答える。須藤三佐は、前に対立したこともあって、極力避けてきた苦手な相手でもある。話しをするだけでも気を使ってしまう。
「確かに、その可能性はあるけど、それ以前に、『キプロ』が大西を殺したことを知れば、仇討ちしてくれたと感謝もするし、恩義も感じたはずでしょう。『キプロ』からすれば、何も精神操作する必要はなかったと思います。」
「じゃあ、なんで由梨亜は、『キプロ』のかたを持つんだよ? おかしいだろ。」
「私は……おかしいとは思いません。」
須藤は、日高の反論に冷静に答える。
「共感という感情は、相手を理解する上で最も有効なんです。だから、共感を得たということは、相手を自分の味方につけたことになります。理不尽な暴力を振るう相手をやっつけるという至極単純な正義感で、『キプロ』は御倉崎さんや堂島さんを味方につけたと自信を持ったから、接触してきたのかもしれない。だから、『キプロ』が、御倉崎さんたちに伝えたメッセージがあるなら、私はそちらの方を注目すべきものだと思うわ。」
「……メッセージねぇ。『キプロ』の本名とか、アメリカインディアンの出身だとか、言ってたけど……信用するんですか? 」
 日高は、自分の主張が通らないのがおもしろくない。理詰めで責めてくる須藤には、まったく反論しようがないのだ。
「――なんか、『世界の未来を見届けるために、また来る』とか言って、元の世界に帰ったとか言ってましたけど……。」
「そう……。自分から去っていったということなのね……。何で帰るのかとかの説明はなかったのかしら? 」
「そこまでは、聞いていません。」
 須藤は、腕組みをしたまま暫し、考えてつぶやいた。
「『キプロ』は……二人の人間を殺しているが……喰ってはいない。」
「はあ? 」
「つまり、次元超越獣でありながら、『キプロ』は、この世界に留まるための努力をしていないの。次元超越獣がなぜ人間を襲うのか、なぜ凶暴なのか、アダムから説明された内容を覚えている? 」
 突然逆に質問され、日高は面食らう。
「あ、確か……次元同化しなければ、次元超越獣はこの世界で生きていけないとか。」
「そう。侵入した次元世界の物を喰い、身体の構成物質を猛スピードでこの次元のものに転換していかなければ、死んでしまうというアレよ。自分から去っていった理由はどうであれ、次元同化する気がなければ、長いことこの世界に居続けることも困難だったはずよ。だから……御倉崎さんが言ったことは、『キプロ』の行動を見る限り、ある程度辻褄は合うわね。」
「しかし、『キプロ』は、超能力を持つ次元超越獣です。そんなのどうにでもできるんじゃないですか? 」
「だから、それも限界に近づいていたんじゃないかしら。無限に次元同化を遅らせることは、『キプロ』にも不可能だったんじゃないか、だから『キプロ』は去って行った。『また、来る』という思わせぶりな言葉を残して……。」
 須藤は、そう言うと腕組みをしたまま、ぼそっとつぶやいた。
「実はね。先週の土曜日の朝、M情報が届けられた時、私の拳銃がなくなったの……。」
「紛失したんですか。気をつけてください。自衛隊時代ほどではないでしょうけど、責任重大ですよ。」
「いいえ。それは大丈夫よ。緊急に調査に行こうと準備している時に、みんなの目の前で消えちゃったんだから……。」
「え? 」
 日高は、須藤の話の先が読めない。
「『キプロ』は、大西たちを襲った時に使った、私の拳銃を勝手に持っていったのよ。おそらく。また、この次元世界に帰って来る時の目印にするために。」
「な、なるほど。そんなことがあったとは、知りませんでした。」
「だから、少し冷静になって、御倉崎さんと話してきてちょうだい。ケンカなんかするんじゃないの。『キプロ』が去っていったなら、私たちとしては好都合なんだし……。霧山司令に説明して、厳戒態勢を解くこともできるわ。何なら、代わりに他の隊員を御倉崎さんに会いにいかせる? 」
須藤は、にっこり笑って、日高の嫌がる提案する。
「いえ。由梨亜には自分が会って説明をしたいと思います。」
日高は、すばやく答える。
「そうしてちょうだい。ケンカなんかしちゃだめよ。これはシ・ゴ・トなんだから……。」
 その時、部屋の電話が鳴った。
須藤がすばやく電話に出る。
「はい。事件・事故調査班、アカネです。」
 電話を邪魔しないように、敬礼して無言で立ち去ろうとする日高に、須藤が身振りでストップをかける。
「? 」
やがて、須藤は、「わかりました」と言って電話を切る。
「どうしました? 」
「M情報よ。御倉崎さんから、次元超越獣が市内の病院に出現するとの連絡が入ったみたい。場所の特定は無理みたいなんだけど、詳細を聞くために迎えにいってくれない? 時間がないから、今すぐに向かって! 」

早退手続きを取り、学校の正門前で待っていた由梨亜の前に、国防軍の緊急車両が到着したのは、連絡から十五分後のことだった。
「あ……。」
由梨亜は、緊急車両から現れた日高を見て、少し躊躇する。
日高は、それを見逃さない。
「早く乗って。」
言われるままに由梨亜は、緊急車両の後部座席に乗り込む。日高は、由梨亜が乗ったことを確認すると、すぐさま車を反転させ、駐屯地へ向かう。
「この前は、ごめん。悪かった……。」
 日高はハンドルを握りながら切り出す。由梨亜は黙ったままだ。
「世の中、きれいごとだけじゃないよな。わかってはいるけど……、由梨亜には、こんな人間のドロドロしたものにまみれてほしくなかったから……、つい理想論を押し付けちまった。本当にごめん。」
「……。」
「世の中、矛盾することがいっぱいで、時代の流れの中で、価値観も倫理とか道徳観もどんどん変わっているのにな。その時代に生きている大人は、それに縛られているんだ。そういう意味では、君たちより、俺たち大人の方が、真実を見失って、汚れているかもしれない。」
 ルームミラー越しに、由梨亜と目が合う。すると由梨亜は、すぐに目線を逸らしてしまう。
 恋愛経験の乏しい日高は、困ってしまった。
どうも謝ればいいというものでもないらしい。
かと言って、他にどうすればいいのかも思いつかない。
居心地の悪い静寂が続く。
「あ……。次元超越獣が市内の病院に現れるんだって? どこの病院か、特定できないかな? 」
 日高の質問に、由梨亜はようやく答える。
「ごめんなさい。今回は、病院らしいとしかわからないの。」
「困ったな。市内には大きい病院だけでも三十ヶ所以上ある……。そこから患者を全員避難させるのは、とても難しい……。なにかヒントのようなものでもないかな? ……。」
日高は、すがるような目を由梨亜に向ける。
由梨亜は、その目線を逸らして、首を横に振る。
「ダメ……。間に合わない……。」
「え? 」
ピーッ♪ ピーッ♪
 その時、緊急車両の無線機の呼び出し音が鳴る。日高は、スピーカをオンにして、インカムで応答する。
「こちら日高。どうぞ。」
「アルファリーダーより日高一尉へ。東通り三区の北斗赤十字中央病院で異変が発生している模様。次元干渉警戒レベルは、フェーズ5が発動されました。ただちに現場へ急行してください。」
「日高了解。ただちに向かいます。」
 日高は、ハンドルを左に切って、東通り地区へ車の向きを変える。その上空を米軍の大型輸送ヘリが追い抜いていく。
「デルタゼロより、アルファリーダー。目標は確認した。ただ今よりデルタ1が降下する。」
「了解。避難中の病院関係者や周辺住民に気をつけてください。」
 スピーカーが、上空のヘリと司令部との交信内容を伝える。
 日高は、病院へ向かう直線道路に出たところでアクセルを踏もうとした。
「まって。引き返してください。」
 突然、後席越しに由梨亜から肩をつかまれる。
「だめ。このまま進んだら……危険です。ロボットが到着するまで、そこから先には行かないで! 」
「しかし……。」
 日高は車を止めて、前方の病院前の光景を指差す。
「見ろ! 病院の前には、患者や病院の人があふれてる。誰かが早く安全なところへ誘導しないと……。」
 日高は、現場を目前にして止められたことに苛立ちを隠せない。病院の前の通りには、上空からフリードマン大尉のブラック・ベアⅡが降下していく。
「手遅れです。それよりも引き返して、大麦地区の方へ向かってください。日高さんのロボットもそこへ……。」
「何を言ってんだ! 目の前で助けを待ってる人をほっといて行けるかよ! 」
 日高は、激怒して叫んだ。
「そこから先は……毒ガス……のバリアです。そこに入ると、車も動かなくなります……。」
「デルタ1より緊急連絡! 接近中の部隊に警告! 空気がおかしい。二酸化炭素濃度が異常に高いぞ。酸素マスク等の装備を忘れるな! ただ今より突入するっ! 」
 車を発進させようとした日高の耳に、フリードマン大尉のデルタ1からの警告が飛び込む。日高が見ている前で、病院前の道路にあふれている患者や医師、看護師が次々と倒れていく。しかし、ブラック・ベアⅡは、それを無視して、病院内へ突入していく。
おい、ちがうだろ! 日高は叫びたくなった。
日高の目の前で残酷なシーンが展開される。
小さな男の子が倒れ、それを抱え上げて逃げようとする母親らしき女の人が、脚をもつれさせて倒れ、やがて動かなくなる。車椅子が横転し、それを押していたおじいさんが倒れこむ。乗っていたおばあさんは、口から泡を吹いている。反対側の道路から来た国防軍兵士らしい一団も、車から降りると脚がふらつき、その場に倒れこむ。
その凄惨な光景に日高は目を背けた。
「……日高より、アルファリーダー。現場周辺に有毒ガスが充満している模様。至急、機動歩兵と化学防護隊の出動を要請するっ。」
日高は震える手で、インカムに手を当て、現場の状況を伝える。
「酸素マスク、防護服なしで、現場に接近するなっ! 」
日高の通報は、もはや悲鳴に近い。
「アルファリーダーより、急行中の全部隊へ。現場付近に有毒ガス。注意せよ。」

 

13-(2)ジェノサイド・ホスピタル


 
「ちくしょう。何とか……ならないのかよ……フライアは……何で来てくれないんだ……。」
 車のダッシュボードを叩いて、日高はつぶやく。
やがて、車を降りて、背後のトランクへ回る。由梨亜は、それを見て慌てて車を降りる。
「何を……するつもりですか? 」
 日高は、トランクの中の工具類、装備品に目を走らせる。最初に手にしたのは、雨合羽だ。しかし、それを放してさらに装備を確認する。
「何か……何かないのか……ちくしょう……。」
 やがて、後部座席の下に隊員のひとりが置き忘れたのであろう、バイク用のフルフェイスのヘルメットを見つけ、目を輝かせて飛びつく。
「日高さん。ダメです。そんなもので……。」
 由梨亜は、日高がやろうとしていることに気がつき、引き止める。
「由梨亜は、ここから離れて安全なところに避難してくれ。俺一人で行ってくる。」
「むちゃです。どうするつもり? 」
「車は、充電器走行に切り替えていけば、ガスの影響は受けないはずだ。ヘルメットの隙間をタオルで埋めていけば、1分くらいはなんとかなる。一人ずつ車に乗せて、ピストン輸送すれば……。」
 そういいながら日高は、首にタオルを巻きつけていく。その姿を見て、由梨亜は、だまってヘルメットを取り上げる。日高が怪訝そうな顔で見つめる前で、バイザー部分をずらし、そこにスカートのポケットから取り出したハンカチを挟み込む。
 日高と由梨亜の目が合い、どちらからともなく、微笑む。そして、由梨亜は、ヘルメットを日高へ渡す。
「サンキュ! 」
 日高は、ヘルメットを持って車へ乗り込む。エンジン音が消え、バッテリー走行で車が走り出す。日高は、バックミラー越しに由梨亜を確認しようとするが、見えない。いや、今は救助活動に集中するんだ……。
 日高は、猛スピードで病院前に突撃した。

 東通り3区に向かう幹線道路は、警察により封鎖され、周辺一帯は、区内からの避難者でいっぱいになりつつあった。
 市内各病院前に分散し、警戒していた国防軍部隊も北斗赤十字中央病院へ全速で集合しつつあったのだが、避難する住民の車の渋滞とぶつかり、思うように戦力を集中できずにいた。
 機動歩兵を乗せたトレーラーもその渋滞に巻き込まれてしまい、結局のところ、次元超越獣へ対応できたのは、米軍の大型輸送ヘリからパラシュート降下したフリードマン大尉のデルタ1だけだったのである。

「デルタ1より、ガンマ・リーダー。ただ今、病院内へ突入した。センサーに反応。病院内から二酸化炭素ガスが噴出し、多数の死傷者が出ている模様。次元干渉警戒レベルはフェーズ3だ。」
 フリードマン大尉は、回線をアダム極東方面司令部との直通回線に切り替える。ガンマ・リーダーは、日本帝国国防軍、涼月市内に臨時に設置されたアダム司令部のコールサインだ。
ブラック・ベアⅡは、玄関の自動ドアを破壊してロビーに入る。総合病院だけあって、だだっ広いロビーの吹き抜けからは、2階と3階の様子が少しだけ確認できる。
 センサーからは、病院内部の二酸化炭素濃度がさらに高まり、致死濃度まで達していることを赤い警告文字で告げている。
 こいつは……。病院の医療器材からの漏出レベルをはるかに越えている。まさか……あいつか?
「デルタ1より、ガンマ・リーダー。次元超越獣の正体は、『ゴラド』だ。状況は『ジェノサイド・レイク事件』の時と一致している。たぶん、まちがいない。」
「! 」
 フリードマン大尉の言葉に、ガンマ・リーダーが一瞬沈黙する。
「が……ガンマ・リーダー了解。デルタ1は、目視で確認したら報告せよ。現在、デルタ2を空輸中だ。戦闘はそれまで回避だ。」
「デルタ1了解。」
 フリードマン大尉は、交信を一旦切る。
 ロビーからどうやって2階へあがるか? エスカレーターがあるが、ブラック・ベアⅡが乗れば、すぐに荷重で壊れてしまうだろう。階段を使えばなんとかなるが、場所がよくわからない。
思案していたフリードマン大尉がふと、見上げると、薄黄色のぬめった皮膚を持った怪物が3階のフロアの手すり越しに蠢いているのに気付く。どうやら、階の床は十分な強度がありそうだ。あの巨体を支えているのであれば、なんとか持ちこたえられそうだ。
 怪物は、よく見ると、お尻を向けて後ずさりしてきているように見える。攻撃するなら、これほど絶好の機会はない。フリードマン大尉は、先制攻撃の意思を固める。
「デルタ1より、ガンマ・リーダー。ターゲット インサイト! 」
 ブラック・ベアⅡが、手にしたレールガンの安全装置を解除する音が響き渡ると同時に、怪物が反応した。早いっ?

 日高は、息苦しさを感じて、ヘルメットを取る。
 はあ、はあと肩で息をしながら、額から流れ落ちる汗をぬぐう。
 後部座席には、2人の意識を失った病院の患者を乗せている。車のギアをバックに入れ、全速で後退する。
 車が停止すると同時に、近くの民家から駆けつけた住民と到着した警察官が協力して車の中から患者を降ろす。
 その周囲には、日高が運び出した十二人の患者の手当てで、混雑している。遠くから聞こえる救急車のサイレンが少しずつ近づいてくるのだが、その姿はまだ見えない。
「国防軍さん。ここは、大丈夫でしょうか? 」
道路両脇の電柱を「KEEP OUT」の黄色のテープで封鎖した警官が不安そうに尋ねる。
「今のところ……は。でもできるだけ早く、遠くに運び出した方が……。」
運び出された患者たちが手当てを受けているそこから、病院前までは直線で五百メートルの距離しかないのだが、その間に死の支配する空間が広がっているのだ。致死量の有毒ガスがどうして滞留しているのかも不思議だが、今は、そんなことを考えている余裕はない。
 先にはまだ、多くの患者や病院関係者が倒れたままだ。しかし、端から順次運び出さなければ、車が入っていけない。現場で息を詰め、作業時間を短縮するためにも、それしか方法がない。
 次は、あの親子だ。
 日高は、ドアが閉まるのを確認すると、すばやく車を発進させる。ヘルメットは、現場到着後に被るのだ。
 車から飛び出し、子どもに覆いかぶさるようにして意識を失っている母親らしき人を担ぎ上げる。その時、その女の人の目が開き、口がパクパク動く。
「わたしより、ユウを……。」
「しっかり。大丈夫、二人とも助ける! 」
ヘルメットのバイザーが、吐いた言葉で白く曇る。水滴が少しだけ曇りを消してくれるが、荒い息がさらに曇る範囲を増やしてしまう。
 日高は女の人を車の後部座席へ押し込むとドアを閉め、子どもを抱き上げる。
 くらっと眩暈のようなものがして、頭がカッと熱くなり、平衡感覚がなくなる。片膝をついて、懸命に体勢を維持しつつ、車に懸命にたどりつく。子どもを助手席に乗せ、ドアを閉める。ヘルメットのバイザーの曇りもなかなか消えず、子どもの表情もよく見えない。
 もうひとり……なんとか。と思うものの、ズキズキ痛む頭では、何をどうすればいいのか、わからない。日高は、正常な思考さえも失いつつあった。
ドーン!!
その時、すさまじい爆発音が轟くと同時に、車の真横に人影が現れた。
バシーイィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ…………ン
「? 」
爆煙が吹き上がると土埃がもうもうと舞い上がる。土埃をすかして病院の壁に巨大な穴が穿たれているのが見える。そして、日高は、車の横にいる人影の正体をようやく理解した。
「ふ、フライア……。」
フライアは、そのつぶやき声が聞こえたのか、肩越しに目配せすると再び病院の方に向き直る。
フライアを中心に、金色の光の壁が道路に沿って二十メートルに渡って伸びている。道路上で意識を失って倒れている百人近い人々の様子に変化はない。しかし、フライアの正面、日高の車の目の前の金色の壁からは、はるか上空に向かって、白い煙の尾が伸びている。金色の光の壁の向こう側の道路上には、爆発で飛び散ったコンクリート片が、多数転がっている。
何が起こったのかわからないが、フライアが爆発から守ってくれたことだけは理解できた。
「か、感謝します。」
息苦しいヘルメットを取り、日高はフライアに敬礼して、すぐに車をバックさせる。それを見届けると、フライアは、背中に生えたトンボのような羽根を水平に広げ、くるっと羽の下面を空に向けると、羽ばたかせ始めた。それは、ものすごく小さな振幅で、遠くからは静止しているようにしか見えない。
ブゥーン
しかし、その羽ばたきの威力を示すかのように、次第に音が高まっていく。
やがて、フライアの周囲に風が吹き始めた。

「おお……風だ……。」「ほんとだ。風だ。」
日高が車を止め、子どもを抱いて飛び出す。
日高を待っていた警官や周辺住民の間からどよめきの声があがる。
病院前のフライアのいる方向へ向かって、少しずつ周囲から風が吹き込み始めていた。
風の向きは、病院の壁をぶち抜いた爆発の煙や土埃を巻き込み、筋状になってフライアの方へと、ぐんぐん伸びて行く。それは、フライアの上で渦を巻き、やがて漏斗状になって空に伸びていく。
「おおっ。竜巻だ……。」
「さっきの爆発を食い止めたことといい、……奇跡だ。」
周囲からフライアに対する賛嘆の声があがる。
そこで日高は、フライアが自分に向けている視線に気付く。
右手にはOKサインが見える。
「そ、そうかっ。ガスを上空へ吸い上げて……。」
日高は、周囲にいる人たちに呼びかける。
「皆さん、今です。有毒ガスは、空に吸い上げられています。あの人たちを救うことができるのは、今しかありません。手伝ってください。」
「よ、よしっ。行こう……。」
警察官が、唾を飲み込んで応える。
奇跡の光景を目の当たりにしているので、躊躇はまったくない。
「お、おう……。」
スーツ姿のビジネスマンが鞄を置いて、上着を脱ぐ。
「手伝います。」
そこへ救急隊員が人ごみを掻き分け、飛び込んでくる。
「怪我人は? 」「この子と車の中の母親をお願いしますっ。」「救急車っ。もっとこっちへ! 」
「みなさん、怪我人を運ぶ手伝いができる方は、ついてきてください。」
日高を先頭に、警官、ビジネスマン、そして周辺の住民ら、七、八人が走り出した。救急隊員の一人も、親子を救急車に収容すると、緊急車両に乗り込み、後を追う。それにつられてさらに周囲にいた数十人が走り始めた。 

 

13-(3)次元超越獣ゴラド


 一九八六年八月二十一日、アフリカ、カメルーン共和国のニオス湖に出現した怪物は、創設間もないアダムが対応した最初の次元超越獣となった。
インド洋のアメリカ軍基地から出撃した偵察機は、偵察衛星で捕らえた異常な放射線源が、湖の中に潜む正体不明の巨大生物によるものと確認、アメリカ軍を中心とする特殊部隊が秘密裏に派遣されることとなる。
しかし、最初に空挺降下した部隊は、着地したものの全員動けなくなり、全員生きたまま怪物に喰われるという最悪の結果となった。さらに夕方から深夜にかけて湖畔に上陸してきた怪物により、周辺の村々でたくさんの住民と家畜が窒息死するという事態が発生した。
当時、アフリカは内戦と飢餓の大陸となっており、アメリカ軍の軍事作戦展開の事実を極力伏せたまま対処することを求められたアダムは、オプションC(化学兵器)を投入するオペレーション「カロン」の発動を決定。戦略爆撃機による化学弾の集中投下を行って、次元超越獣の抹殺を図った。
化学兵器の投入は、生物に対して有効との読みどおり、怪物は、一旦は断末魔の様相を呈していたが、やがて蘇生。再び次元の世界に穴を開けて消えていった。以後、怪物は二度と姿を現していない。
この事件による住民の死者は、約1,800人、家畜被害約3,500頭となったが、それ以外にもかなり多くの人間や家畜が怪物に喰われたものと推定されている。現在に至るも行方不明者が多数にのぼっているのはそのせいである。
後に妖精から提供されたF情報により、怪物は次元超越獣「ゴラド」と特定されたが、公式発表では火山性ガスによる自然災害とされた。そして、さらに詳細にF情報を精査する中で、「ゴラド」の構築したテリトリー空間の環境特性が、有毒ガスの正体であることがわかったため、事件の辻褄合わせが行われた。
事件は、ニオス湖の湖底に滞留していた炭酸ガスが、突然気化したことにより発生し、そのような危険な湖は世界各地に数多くあるが、発生のメカニズムは未解明であると訂正されたのである。
なお、アダムの働きかけにより、アメリカ国防総省内に一九五二年に設立されたレッドブック機関のDファイル、超時空間現象についての事件報告書では、「ジェノサイド・レーク事件」として記録されている。
そして、この事件を引き起こした次元超越獣「ゴラド」は、自己の周辺環境に有毒ガス空間を作り出すという特性から、アダムが最も都市部に侵入させてはならないものとして、大きくマークしていた怪物なのである。
涼月市は、その意味で、今、大きな危機にさらされていた……。

 フリードマン大尉の放ったレールガンの初弾は、「ゴラド」を直撃したものの、簡単に突き抜け、病院の外壁をぶち抜いた。
 3階から飛び降りてきた「ゴラド」の胴体の真ん中には、小さい焼け焦げた穴がポツンと開いて、反対側の病院の壁まで覗くことができた。しかし、「ゴラド」には、特に大きな苦痛を感じている様子が見えない。それでも逃げるかのように首をめぐらして、大尉とは反対方向へ向きを変える。
「なんだぁ? 見かけによらずフニャフニャじゃねぇか? 」
 次の瞬間、大尉は予想外の方向から反撃を受けた。赤い巨大なミミズのような触手が降ってきたかと思うと、「ブラック・ベアⅡ」の全身に絡み付いてきたのである。その締め付ける力は、フニャフニャな身体からは信じられないほど、強力だ。
 ギシギシッ。クイッ……
 気がつくと持っていたレールガンの銃身が捻じ曲がっている。
「ちっ。もう2、3発食らわしたかったのによ。」
 大尉は、レールガンを放り出すと、ブラックベアの両手の爪を弾き出して、絡みつく赤いミミズのような触手に食い込ませる。そこから高圧電流のパルスを一気に放電した。
 バン、バリッ、バチバチバチッ……。
 電圧は、次第に上がっていく。
 ザーッ。
 絡み付いていた触手が、すごい勢いで離れていく。まるで赤い雨のようだ。触手は、「ゴラド」の尻尾の先に無数に開いた穴に引き込まれていく。
「あ……、あれ? あっちが頭? なのか……? 」
大尉は、それまででっぷりとした薄黄色の胴体から伸びた首長竜のような首が頭だと思っていた。その先端の両脇には、大きな黒い目のようなものが並んでいたからである。しかし、よく見ると小さな黒い目のようなものがその首の両脇にずらりと並んでいる。体表を彩る模様だったのか?どうもよくわからない。
 こいつで、とどめを刺してやる。」
 フリードマン大尉は、右足にセットされた長さ約1メートルの合金製の刃をもつソードを取り外し、手に持って「ゴラド」に切りかかった。
 強靭な皮膚で覆われているのであれば、伸縮式棍棒を使うが、相手はゼリーのような柔らかい皮膚を持った怪物だ。そうであればソードの方が効果的と判断したのだ。
 飛び込んできた「ブラック・ベアⅡ」に、鉤爪のついた腕が払いに来るが、それをソードで一旦受け止め、弾いて、「ゴラド」が後退するところを上段から切りつける。
 スパアーッ。ブシューッ。
 「ゴラド」の鉤爪のついた腕が切断され、薄黄色の体液が噴き出す。
「おら、おら、おらーっ。」
 大尉は、ソードを振り回して、「ゴラド」を追い詰めていく。
 勝てる。大尉は勝利を確信した。
 「ゴラド」の体表を次々とソードが裂いていく。
と、その時だった。「ゴラド」の尻尾? に並ぶ目のような黒い点が、ポカッと開いたかと思うと、すさまじい勢いで噴水のように体液を吹きかけてきた。
 ソードでなぎ払うが、さらに体液が降りかかってくる。体液の色は、白から緑、赤へと次々と変化して降り注ぐ。
もはや、雨の中で戦っているみたいだ。
「けっ、毒なんか効くかよ。しつこいんだよ。」
 大尉がソードでさらに切りかかろうとした時、突然、ソードが重くなり、さらに身体全体も急激に重さを増して、動けなくなる。
「あ、どうして? 」
 ソードの表面が黒く変色し、白い泡を吹きながらボロボロと欠けていく。それだけではない。バイザーのディスプレイには、システムFの起動を制御している超電磁プロッカー(SEB)がダウンした警告マークを表示する。
それは、システムFのパワーなしで、八百キロ超の装甲や武器を背負って、人力だけで戦うことを意味する。予備バッテリーで、姿勢制御だけは機能しているものの、腕を持ち上げることでさえ、相当な力を必要とする。
「そんなバカな……。こんなのありかよ。」
 その間に、ゴラドは、1階の病院通路を、身をくねらせながら後退していく。
 まて、逃がすもんか……。
 しかし、大尉の乗る「ブラック・ベアⅡ」は、一歩も脚を踏み出せず、その場にしゃがみこんでしまう。
「ガンマ・リーダー。こちらデルタ1。くそっ。アルファ・リーダーでもいい。誰か、応答しろ。」
大尉はあせって外部との交信を試みるが、どこからも応答はない。
外部の交信傍受もできない。機能停止か?
しばらくすると、次元センサーの予備が、「ゴラド」が次元空間を開けて逃げていったことを伝えた。
「ちくしょう。せっかく次元超越獣単独抹殺1体の戦果をあげられるところだったのに……。」
 くやしいが、乗機の「ブラック・ベアⅡ」が動かなくなってしまっては、どうしようもない。バイザーのディスプレイには、次々と機体の損傷を示す表示が現れる。複合装甲板も一部溶解しているようだ。アンテナ類はへし折れているらしい。外部環境のセンサーもことごとく機能を停止している。これでは、戦闘継続どころか、移動さえも満足にできない。モニター用のディスプレイも次第に明度を失いつつあり、機体内部の温度管理も故障したのか、次第に暑苦しく感じてくる。
フリードマン大尉は、機体から脱出するため、バックハッチの開放スイッチを押した。しかし、反応はない。
「ん? 」
 繰り返しボタンを押すが同じだ。緊急脱出のための爆破レバーを引いても、まったく反応がない。バックハッチは、がっちりと固定されたままだ。
大尉は恐怖に襲われた。
 「ブラック・ベアⅡ」は、高度なNBC戦を想定して設計されており、化学戦状況下では、自動的に外部との換気を停止し、内部を完全な密室空間として乗員を保護する仕組みになっている。装備された酸素ボンベの容量には、当然限界があり、今その残量は、半分を切っている。エアフィルターで二酸化炭素濃度をコントロールしているとはいっても、ボンベの酸素が切れれば、機体内で窒息してしまうことになるのだ。
 大尉は、必死で両手を支え、身体全体でバックハッチを押してみる。緊急救難信号の発信ボタンも押した。
 誰か……誰か助けてくれっ……。
 病院内から機体を出せば、救出の可能性は高まる。しかし、人力だけで機体を動かすのは、ほぼ不可能だ。
病院内で自分が消息を断ったとなると、後続のデルタ2も対応は慎重にならざるをえなくなり、それだけ救出作戦は遅れることになる。
 大尉が勝利を目前に感じていた歓喜は、やがて、恐怖と絶望に押しつぶされていった。 

 

13-(4)生死を分けるもの


フライアとなった由梨亜は、次元超越獣が次元空間をこじ開けて、再び外の世界へ逃げていくのを感じとっていた。
あの黒いロボット、日高の話では、アメリカ軍のものらしいのだが、次元超越獣を撃退するだけの力は十分持っているらしい。
それは、ある意味、フライアの負担を軽くするものになるはずなのだが、前回、突発的に攻撃を仕掛けてきたこともあり、警戒すべき相手と感じていた。
以前、日高が模擬戦闘訓練で交戦した「シルバー・イーグル」などは、どこからか入手した元次元超越獣の生体組織を使ったバイオ生物兵器だった。
コントロールを失った兵器が暴走すれば、その力が強大であればあるだけ、危険極まりないものとなる。
今回、由梨亜は次元超越獣がここから飛ぼうとしていた別の病院へ移動し、侵攻を阻止したのだが、その結果として、アメリカ軍の黒いロボットと次元超越獣が戦闘する舞台をこの場所に演出してしまう結果となった。
理性的な判断があれば、周辺への被害拡大をなくすために大規模な戦闘を回避するものと思っていたのだが、黒いロボットは躊躇なく戦闘を開始し、フライアは、病院関係者や患者などの被害者の救出にあたっている日高たちの防御に回らざるを得なくなってしまったのである。
 先制攻撃でロボットが放った超速の弾丸が、怪物と病院の壁を突き抜け、日高の乗る車を直撃するコースになった時は、肝を冷やしたが、間一髪のところで、防御シールドの展開が間に合い、事なきを得たのである。
 今、フライアの背後では、日高たちを中心に、懸命の救助と避難活動が展開されている。その救助活動を優先したため、アダムや国防軍の戦闘部隊は、正面玄関の面した道路へ入ってくることができず、裏側の狭いアクセス道路から病院内へ突入を試みる結果となっていた。アダムのデルタ2を空輸してきた米軍の大型ヘリは、フライアが起こした竜巻のため、現場上空に接近できず、やむなく、一・五キロ離れた小学校の校庭に着陸して、歩いて移動せざるをえなくなっていた。
 フライアは、背中のフェアリーウィングの羽ばたきを止めた。
次元超越獣がいなくなったため、新たな有毒ガスの湧出はなくなっている。病院内部がどうなっているかわからないが、とりあえず、ここでフライアとしてできることはなくなった。
背後ではまだまだ救助活動が続いている。
多くの好奇に満ちた視線が降り注いでいるのが、痛いほど感じ取れる。
フライアの姿を初めて見る人々ばかりの中では、仕方がないだろう。
クリスチャンなのか、年老いたおばあさんが、そんなフライアに向けて十字架を握って手を合わせている。日高の姿を確認してから去ろうと、フライアは羽の向きを変え、中空に軽く浮き上がって振り返る。
おおーっ。飛んだぞ……。
どよめきに似た声が、あちこちから漏れる。日高の姿は見えない。
「まってーっ。お願い……。まって……」
停止した救急車の陰から、母親らしい女の人が、小さな男の子を抱えて叫んでいる。その側で救急隊員と日高が懸命に落ち着かせようしているのだが、母親は聞き入れない。
「ユウを……助けて……。お、お願い……お願いします……。」
必死の形相で駆けてくる母親の手の中には、ぐったりとしたままの小さな男の子の姿がある。
由梨亜の胸を衝撃が走り抜ける。
母親の方は助かったものの、子どもの方は助からなかったのだ。子どもの命を救うため、必死に自分に呼びかけている母親の気持ちが痛いほど伝わってくる。
フライアは、神ではないし、一度死んだものを生き返らせることはできない。しかし、今、住民たちがフライアに注いでいる視線には、人智を超えた奇跡の存在に対する大きな期待があふれていた。見守る日高の視線にも、もしかしたらという淡い期待にも似た感情が含まれている。
どうしよう。もしかしたら、フライアの力で何とかなるかも……。
由梨亜が降下しかけたその時、もう一人の人格が制止をかけた。
だめだ。出来もしないことに手を出すんじゃない!
フライアの全身を硬直が走り、羽ばたきが停まる。バランスを失ってフライアの身体がコンクリートの路面に落下した。
ドシャッ。
その衝撃の大きさに、皆、思わず息を飲む。突然の信じられない出来事に、誰も動くことができない。フライアの片方の銀翼が折れ、頭を打ったのか、額から頬にかけて血が流れている。低い高度とはいっても、四、五メートルの高さから落ちたのだ。普通の人間であれば、無事で済むはずがない。
子どもの亡骸を抱えて立ち尽くす母親の側を抜けて、日高が走り、倒れているフライアの側に駆け寄る。
背中の羽に気をつけながら、フライアが起き上がるのを日高が支える。
「だいじょうぶですか? 」
ゆっくりとフライアが目をあけ、日高を見つめる。返事はない。
「……むちゃなことは……しないでください。」
フライアの目が悲しみを湛えているのに気付いて、日高はそう言うのがやっとだった。
やがて、フライアは日高を軽く押し退けると、ゆっくりと立ち上がり目の前からフッと消えてしまった。それは、本当に、一瞬の出来事だった。
日高は、フライアの血がこびりついた自分の手を見つめ、ぎゅっと握り締める。言葉はなかったが、フライアの気持ちはよくわかった。
できることなら、助けてあげたい。
しかし、できないものはできない。でも、誰もそう思っていないために、フライアの優しい心は、傷つき、血を流している。
本当は、一番に理解しているべき立場にある自分が、それを理解しておらず、フライアを傷つけてしまっている。好意を抱かれているという慢心、もしかしたらという期待もあったかもしれないが、これまでの戦いや対応を見れば、自ずとその力の限界はわかっていたはずなのに……。

 狂ったように泣き崩れる母親の方には、近寄れない。
日高の足は自然と次元超越獣と「ブラック・ベアⅡ」が交戦していた病院の玄関に向かうこととなった。
 フライアが去っていったから、次元超越獣は倒されたか、逃げたかのどちらかのはずだ。それは漫然とした推測に過ぎないので、兵士として現場の確認はしておく必要がある。
 ドア枠ごと外れて内側に倒れている自動ドアを乗り越え、照明が消えて窓から差し込む光越しに内部の様子を伺う。
 破壊された長いカウンター、待合室の長椅子があちこちに散らばり、あるものは真ん中からへし折れて潰れ、折り重なるように壁に積み上げられている。爆風で吹き飛ばされたのか、次元超越獣との戦闘でこうなったのかわからないが、白かったはずの壁紙もあちこちに茶色や黒い染みがこびりついている。リノリウムの床は、どす黒く変色して白い煙をぶすぶすとあげている。
強烈な酸のような匂いが鼻をつく。
入るかどうか、迷ってふと足元を見ると、黒いボールのようなものが目についた。子どもの持っていた野球ボールが戦闘の中で焦げてしまったものかと思ったが、拾い上げ、手にした感触はなぜか手に馴染み、そのフニャフニャした感触が手放せなくなってしまう。
とその時、日高は、目の前のロビーにドカッと置かれた黒い巨大な塊に気がつく。
彫像? それとも何かのオブジェか?
そう思った時、その頭部から青い発光信号が点滅しているのに気付く。
あわてて拾った黒いボールをズボンのポケットに収め、発光信号を発している物体の正体を見極めようと接近する。
「ブラック・ベア」? こいつ、フリードマン大尉のデルタ1じゃないのか?
ジュウウウウウウウッ。
「アチッ。」
思わず後ろにとびのくが、足元で跳ねた水が、日高の革靴やズボンの裾にかかり、白い煙をあげる。リノリウムの床に溜まった水のようなものは、強烈な酸が含まれているらしい。生身で接近することはできないが、デルタ1の中のフリードマン大尉がどうなっているのか、わからない。
「デルタ1! フリードマン大尉っ。無事か? 」
呼びかける声に、デルタ1からの応答はない。
日高は、緊急車両の方へ取って返すと、無線機のスイッチを入れる。
「アルファ・リーダー。こちら日高。病院内でデルタ1が停止している。フリードマン大尉の安否は不明だ。至急救援を頼む。」
まもなく、地響きを立てて、病院脇の変色した木々を飛び越え、デルタ2が姿を現した。
「こちらデルタ2。待たせたな。」
デルタ2から、マルクス少尉の交信が入る。
「大尉と連絡が取れないもんで、あせってたんだが。なあに、機体が大破でもしていなけりゃ、大尉は無事さ。」
病院裏口から突入を試みたものの、機動歩兵で突入するには廊下の高さが低すぎ、突入は困難だったらしい。
デルタ2は、ゆっくりと病院の正面玄関を潜り抜けて、中へと入っていった。

 

13-(5)日高の告白


「すまない。あんなことになって、危険な場所に放り出してしまって……。」
由梨亜がドアを開けると日高は、開口一番謝罪した。
「気にしないで。私は、怪我もしてませんから。」
由梨亜はそう言うと、日高を部屋の中へ招き入れる。
その日の夜、日高は由梨亜のログ・コテージを訪れた。至急伝えなければならない用件があるというのが表向きの理由だったが、それはすぐに話す気はないらしい。
応接テーブルの椅子に腰掛けると、日高は所在なげに手を組みながら話し始める。
「最近は、謝ってばかりだ……。」
 由梨亜は、ログ・コテージ備え付けのミニキッチンでお茶を入れながら、黙って聞いている。
「この前は……君の気持ちも考えずに、勝手な倫理観を押し付けて、怒らせちゃったし。今日は、フライアにも無茶なことを求めて、困らせてしまった……。」
お茶を入れていた由梨亜の肩がビクッと震える。
そっと振り返ると、日高は顔を覆ってうつむいている。由梨亜の反応に気付いた様子は見えない。
「信じられるか? 俺は、フライアを泣かせてしまったんだ……。最低だよ。」
由梨亜がハーブティーを入れたポットとカップを運んでくる。
「俺は、今日初めて、小さな命が目の前で失われていくのを見ちまった……とても耐え切れなかったんだ。だから、ついフライアの力に……、奇跡を期待してしまった。冷静に考えれば、これまでに死んだ人たちが数多くいたことを考えると、フライアでも死んだ人を生き返らせることなんかできないってことはわかっていたはずなのに……。神様じゃないんだ。無茶なことだって、頭ではわかってたはずなのに……。フライアは、泣いたよ。言いたいこともあったと思う。俺は、彼女のつらい気持ちを察してあげることもできなかったんだ。俺は、本当にバカだよ。」
「日高さんの……気持ちは伝わったんじゃないの?」
由梨亜は、そっと言葉を選びながら静かに答える。
「そうかもしれない。けど、この気持ちは、誰かに話さないと……自分が落ち着かないんだ。会って謝ることができればいいんだけど。フライアは、事件の時しか現れないし……。」
日高は、そう言うと、由梨亜の方に向き直り、深々と頭を下げる。
「ごめん。先に謝っとく。あの時、フライアの涙に濡れた目を見た時、俺はフライアを抱きしめたくなっちまった……。浮気だって怒るかもしれないけど、俺はフライアを支えてあげなきゃならないと思ってる。これは、国防軍兵士としての責任感からすることじゃない……。俺が……心からそうしたいと思っているんだ。だから、もう……由梨亜の気持ちに応えられなくなると思う。」
「え? 」
由梨亜は、日高の話が意外な方向に進んでいくのに、あっけにとられ、返す言葉もない。
「俺は……由梨亜、君のことが好きだ。愛してる。そして……フライアのことも愛おしく思っている。二股かけるなんて、許されることじゃない。だけど、彼女は自分の命をかけて、俺たちのために戦ってくれている。俺は、男としても応えなきゃ……。俺は、フライアのことを……。わかってくれ。」
日高はそこまで一気に言うと席を立ち、黙ってすたすたとドアに向かって歩いていく。
「ま……まって。なんでそんなこと……」
由梨亜の頭は、混乱してパニックになってしまった。
これは……喜んでいいのか、悲しむべきなのか……?
ドアの前で立ち止まった日高は、それでも振り返らない。
「君の新しい担当は、後で連絡させるから……。さようなら……。」
日高は背を向けたまま、そう言い残すと、ドアを開けて出て行ってしまった。
由梨亜は、そんな日高を……ただ呆然と見送るしかなかった。

「由梨亜。起きてるの? 」
榛名が、由梨亜のログ・コテージを訪れたのは、日高が帰ってからしばらくしてからのことだった。日高が訪問した時間が遅かったこともあり、様子の確認も兼ねてのことだった。
「……? 由梨亜……? 入るよ。」
返事がないので、再度確認して、部屋のドアを開ける。
何かあったかと少し緊張したが、部屋の中で由梨亜は、椅子に腰掛けたまま応接テーブルに頭を横にして乗せ、こっちをぼーっと見ている。
「どうしたの? 昼間の事件で疲れた……とか? 」
榛名は、ほっとして近づきながら由梨亜に話しかける。
「榛名……。どうしてこう……うまくいかないんだろう……? 」
「何か……あった? 」
由梨亜は、テーブルに頭を乗せたまま、コックリうなずく。
「日高さんに……告白されたの。」
「な……なんだってぇ?! 」
榛名は、つい素っ頓狂な声をあげてしまう。
あの真面目一辺倒の日高が、まさか自分から告白するなど、思ってもいなかったのだ。榛名の分析では、あの手の男は、告白という言葉とは無縁で、いつの間にか関係を育むパターンだろうと思っていたのだ。
これは、ただ事ではない何かがあったとしか、思えない。
「でも……フライアも愛しているから……さよならだって。」
「な、何それ? 」
榛名は、わけがわからなくなる。
「告白されて……すぐに……ふられたわけ? ……あの野郎、由梨亜よりもフライアの方の色気に落ちちゃったんだ。やっぱり日高も、ただのスケベだったって……」
「ちがうの。私がフライアの姿で泣いて……しまったから……。」
由梨亜は、昼間の次元超越獣「ゴラド」をめぐる事件の顛末と、日高が訪れて、告白と別れを告げて去っていったことまで、榛名に事細かに話した。
「う~ん。なんか……すごいこと、やっちゃったんだ……。」
「何が? 」
「ギャップよ。どんな強い次元超越獣にも立ち向かう、強いフライアが、日高の前で、涙を見せちゃったんだ。こりゃあ、すごいギャップが大きくて、インパクトがあったと思う。雄の……いや、男の守ってあげたいっていう本能をキョーレツに刺激したんだと思うな。」
「そんな……私はそんなつもりは……。」
「でしょうね。でも……いいんじゃない? 二人は、同一人物なんだし。」
「でも、日高さんは、私よりもフライアを選んじゃったのよ。私、これから、どうしたらいいか……。」
榛名は、由梨亜がとまどっている様子を優しいまなざしで見つめる。
「……変わったね。」
榛名がポツリとつぶやく。
「え? ……」
「由梨亜は、とてもかわいいいと言ったんだ。」
「……? 」
榛名からの突然のカワイイ発言に、由梨亜は顔を赤らめてしまう。
「会長や金剛から初めて紹介された時、とても繊細すぎて心が持たないんじゃないかって……思ってた。しかも……誰も寄せ付けないし、心も開かない。人の世話にはならないっていう、とてもストイックで意固地なところがあったし……。正直言って、もう一人の人格・御倉崎の方が……、フライアの宿主としては適任じゃないかって、思ってた。」
榛名は、フライアが初めて佐々木邸に訪れた日のことを思い出す。
空から突然降りてきたコスプレ少女が、窓から会長の部屋に侵入し、直談判するという暴挙に、屋敷は大騒ぎとなった。
その時、会長とフライア?の間で交わされた内容は、今もって誰にもわからない。会長も未だに、詳細は話してくれないのだ。チーフの金剛にさえも……。
「もう一人の私。……そうですね。私もそう思います。」
由梨亜は、榛名が言った自分のもう一人の人格のことを思い描きながら、頷かざるを得ない。それは自己を否定されたようで少し寂しい。
それを察したのか、榛名が慌てて取り繕う。
「ああ。でも……、今はそう思ってないよ。由梨亜じゃなきゃ、いけないんだ。たぶん……。妖精のことだ。きっと何か大きな意味があるんだろうなって思う。それより、日高のことだけど……。」
 榛名は話題を戻して、由梨亜の肩をポンと叩く。
「大丈夫じゃないかな。あの堅物のことだ。由梨亜に無責任なことはできないから、それで身をひいたように思えるし……。本当は、由梨亜のことを一番に思っているんだと思うよ。だから……いつかきっと……。」
 そう言って、榛名はハテ?と思ってしまう。
由梨亜がフライアに変身する必要がなくなる時が来るというのだろうか?
それは、いつ、どんな形で実現するというのか、榛名には想像もつかない。
「やっぱり、秘密を話す時なのかも……」
「……そうですね。」
 由梨亜も同じことを考えていたようだ。
「信じてるの? 」
「はい。これから先のことを考えると……日高さんには、知っていてもらった方がいいと思います。」
 榛名は、由梨亜の横顔に日高への信頼と、自ら道を切り開いていこうとする固い意志を感じとる。そこに迷いは感じられない。
かわいいだけじゃなく、時折見せる意思の強さに、榛名は舌を巻く。
少女から大人へと確実に成長していく由梨亜に、どんな未来がまっているのか、それは本人も含めて、誰にもわからないだろう。
けれど、今の由梨亜なら、どんなことが起こってもなんとか乗り越えていけるのではないかと思う。
ただひとつ気がかりがあるとすれば……御倉崎が抱え込んで封印している由梨亜自身の過去だろう。
比叡の情報収集網を使っても未だ明らかにならないその過去だけが、榛名の大きな不安要因だった。 

 

13-(6)オペレーション「リゾート・アイランド」

 
帝国政府から発令された帝都・涼月市全住民の一時避難命令が、国防軍・特殊作戦軍対次元変動対応部隊霧山司令の進言によって取り消されたのは、2日後の午後のことだった。
「自信があるのだね? 」
国防大臣は、霧山司令に念を押す。
「ええ。」
国防会議が、国内の非常事態に対応して開かれるのは、ありえないことなのだが、この対次元変動対応部隊主導の対次元超越獣戦事案だけは、例外的なものとして認知されつつあった。
帝都で起こった「北斗中央赤十字病院事件」は、死者三十八人、負傷者十六人という大事件となり、謎の怪物が世界的に跋扈している現実を国民に事実として再認識させるものとなった。
次元超越獣絡みの事件については、何度かマスコミでも報道されていたが、被害が地域に限定され、しかも極めて短期間で収束するという事件の性質上から、他人事として捉える国民がほとんどだった。
それが、この事件については、帝都・涼月市全住民に対する一時避難命令となったのだから、無理もなかった。
帝国の政治、経済は大混乱となり、国防軍は政府から早急な対応を求められたところだったのである。

「すでに、次元超越獣の正体も、なぜ帝都の病院に出現したかの理由も判明しています。」
 霧山司令は、説明を続ける。
「今回侵攻してきた次元超越獣は、『ゴラド』。アダムから提供されたF情報のコピーは、お手元に配布した資料をご覧ください。
さて、次元超越獣は、常にこの次元世界の何かを目印に侵攻してきます。
今回目印となっていたのは、『涼月市廃校特設独房襲撃事件』で、『キプロ』に襲われ重傷を負って入院していた非行少年、千石、小沢、牟田口の三人です。
先日の赤十字病院で千石少年は病室で次元超越獣に真っ先に襲われ、捕食されました。その後、病院は、『ゴラド』が放出する有毒ガスに襲われ、緊急に避難させたものの、多くの犠牲者を出してしまいました。そして、『ゴラド』はそこを拠点に別の病院、大麦第二病院に入院していた小沢少年をも襲い、捕食しています。ここでは妖精が派遣してくれた妖兵フライアが間一髪駆けつけて、侵攻を阻止してくれました。おかげで、他に被害が出ることなく済んでいます。おそらく、それがそのままいっていたら、次は、もう一人、牟田口少年が収容治療されている涼月市総合病院が襲われた可能性が高かったと、考えております。なお、この推測については、アダム極東方面司令部からも支持を受けている、確度の高いものとなっております。」
「うーん。それでは、この『ゴラド』という次元超越獣は、例のアメリカ合衆国大統領を暗殺した、『キプロ』という次元超越獣と関係しているということかね? 」
 国防大臣がうなるような声で確認する。
「関与していることは、まちがいないと考えます。『キプロ』が我々人類に対して悪意を抱いているのは間違いありません。悪意を持って、意図的に送り込んだと考えるのが自然でしょう。しかし、『キプロ』が去っていった今、我々は、対『ゴラド』戦に絞って対応できます。しかも幸いにも、『ゴラド』の次のターゲットも絞り込むことができたわけですから、しっかりとした対策が立てられます。」
 霧山の返答は、冷静だ。
「? 涼月市総合病院で……戦闘を行う気かね? 」
 「とんでもない。『ゴラド』が侵入してきたら、病院の周辺は有毒ガスで覆われてしまいます。そんな中で戦闘したら被害が大きくなるばかりで、まともな戦闘はできません。」
「? じゃあ、どうすると言うんだ? 」
 国防大臣は、その場にいた他の事務次官たちと顔を見合わせるばかりだ。
「ターゲットを離れ小島の診療所に移して、そこに『ゴラド』をおびき出し、対次元変動対応部隊の機動歩兵の総力で抹殺します。」
 霧山の提案に、事務次官が異を唱える。
「それは……君、人権無視もはなはだしい。ターゲットは少年……人間なんだぞ。そんなことをしたら訴えられて裁判になってしまう……。」
「犯罪者の人権を言う前に、罪もない市民が巻き込まれないようにすることを優先すべきでしょう。ちがいますか?」
「……。」
「もちろんこれは、少年を助けられる唯一のチャンスでもあるんです。病院の中では、次元空間を越えて襲ってくる次元超越獣を防ぐことは、我々にもできません。それに、これはあくまで仮定ですが、その他にも『ゴラド』のターゲットの可能性があるものはすべて現地へ集積する予定です。今度逃がせば、『ゴラド』抹殺のチャンスは二度とありません。絶対に倒さなければ、帝国は人が住めなくなります……。」
 霧山の提案はこうして国防会議で承認され、「ゴラド」要撃作戦は。オペレーション「リゾートアイランド」として、発動されることが決定されたのである。

 レイモンド少将とスコット大佐は、パワーズ少尉からの報告に顔色を曇らせる。最近はよくない報告ばかりだ。
 「キプロ」抹殺のために実行したオペレーション「虹の絆」は失敗し、「キプロ」を取り逃がしてしまった。
しかも、その際、救出に駆けつけたフライア、コードネーム「フェアリーA」に対して、発砲して傷を負わせてしまうという事故まで起こしてしまっている。
アダムと「フェアリーA」のコンタクトの可能性は、低くなるばかりだ。
そこに今度は、次元超越獣「ゴラド」戦で優秀なパイロットを失い、「ゴラド」を取り逃がすという失態が加わったのである。
「いえ、フリードマン大尉は、生きております。」
 パワーズ少尉が訂正する。
「同じことだ。酸欠で意識障害を起こしただけじゃない。精神科医の話では、二度と「ブラック・ベアⅡ」には乗れんだろうといわれているのだ。パイロットとしては、戦死したに等しい。」
 スコット大佐が、メディカルレポートを放り投げる。
「それで、大尉の乗っていたデルタ1、92号機は、修理できそうか? 」
「ええ、強烈な酸化物質で外部装甲板など、あちこち溶かされましたが、パーツを取り寄せれば十分可能との判断です。ただ、アダム北米司令部の機動歩兵軍団から、システムFと超電磁プロッカー(SEB)の提供を拒否されて困っています。なんとかなりませんか? 」
 レイモンド少将とスコット大佐は、顔を見合わせる。
「システムFまで……破壊されたのか? 」
「超電磁プロッカー(SEB)が酸化物質を被って、完全におしゃか状態になりましたが、システムFの方は……コア部分が抜け落ちてしまって……たぶん溶解してしまったのではないかと思います。しかし、ケース部分は無事ですから、せめてコア部分を補充できればなんとかなると思います。」
 パワーズ少尉は、極東方面司令部の戦力維持のため、92号機の修理に全力をあげたい考えのようだ。
「スクラップ……だな。」
スコット大佐が、観念したかのように答える。
「リーランド少将から、昨日電話を受けたよ。予備部隊にも余裕はないと突っぱねられた。ただし、パイロットだけなら送ってやるそうだ。」
レイモンド少将が、渋い顔で大佐に告げる。
「あ、あの……必ずスクラップにしないとダメですか? システムFがダメなら、その代わりになるものを見つければ……。」
「ああ、任せるよ。下がってくれ。」
パワーズ少尉は、少将と大佐の期待が92号機にないことを知り、自らなんとかしようと、当てのない提案をしたのだが、意外にも簡単に了解が得られたのに拍子抜けする。
気が変わらないうちになんとかしよう。
パワーズ少尉はそそくさと退散する。
 少尉が退室するのを確認し、スコット大佐は話を続ける。
「92号機に搭載されていたブラック・ボックスから、フリードマン大尉の戦闘経過は確認済みです。機動戦が制約される狭い室内での戦いで、『ゴラド』から様々な溶解物質や有毒ガスを浴びせられて、電子・通信系統が真っ先にダメージを受けました。装甲板を侵食した溶解液が、SEBまで到達して機能を停止させてしまったために、システムFが起動停止、動けなくなってしまったわけです。それさえなければ、確実に『ゴラド』を仕留められたはずなんですが……。」
「システムFに直接被害は及んでいないことを期待したんだが……残念だ。」
アダムが保有するシステムFの総数は、限られている。
北米方面司令部は、モントーク事件に続いて二機目のシステムを喪失したことになる。機動歩兵第一軍団の総司令官を努めるリーランド少将に秘密で派遣させた機動歩兵第7戦隊は、何ら戦果をあげることなく、隊長機まで喪失してしまったのだ。
せめて、次元超越獣の一体でも抹殺しておけば、少しは言い訳もできたのだが……こればかりはどうしようもない。
レイモンド少将が黙ってしまったのを見て、スコット大佐が話しかける。
「ところで……アリソン社のスターリング社長から面会の希望が来ていますが、お会いしますか? 」
「また、例の『シルバー・イーグル』を使ってくれというんだろう。あいつの考えていることはわかる。日本は、今や絶好の実戦場だからな。ここで実績をあげて、アダムの正式な戦力として認めさせたいということだ。」
「そうでしょうね。安全対策は向上したみたいですが、今回の『ゴラド』戦に投入するのは、いささか危険な感じがします。また、日本側も嫌がるでしょうね。」
「デルタ2、93号機でもそのまま投入すると、92号機の二の舞になるぞ。対策は進めているのか? 」
「すぐにはとても無理のようです。なにしろ、システムFにしろ、SEBにしろ、機体本体に外部から装填するものですから、『ゴラド』が噴出させる様々な溶解液を完全に防ぎきることは困難です。中のパイロットを守ることはできても……。」
「……そして、閉じ込められて、窒息死する恐怖を味わうわけだ。」
レイモンド少将が皮肉をかえす。
「……キリヤマから、作戦への参加要請が来ていますが、どうします? 」
スコット大佐は、日本側からオペレーション「リゾート・アイランド」への参加要請が来ていることを伝える。
「残念だが、今回は見送ろう。戦力の再編が必要と言えば、わかってくれるはずだ。ただし、『フェアリーA』が現れる可能性を考慮して、情報収集班だけは派遣するように。」
レイモンド少将の頭に、霧山司令の失望する顔が浮かぶ。
こらえてくれ。今はどうしようもないのだ。
 

 

13(7)孤島からの脱出


その男達は、夜中に2隻の漁船でやってきた。
 どかどかと船を降りると、勝手に村の中へ入っていこうとする。
「待て。ここは現在立ち入り禁止だぞ。」
国防軍の警備兵が、ライトを照らして制止する。
「何を。ここはおれたちの生まれた村だぞ。勝手に入ってるのは、お前たちでねぇか。とっとと出てくのは、お前たちの方だ。」
ねじり鉢巻姿で息巻く漁師に、警備兵は困惑する。
自衛隊から国防軍になったとはいえ、相手は国民だ。
言って聞かせ、納得してもらうしかない。
「いや、だから、今入ると危険なんですよ。この村には、怪物が入ってくるかもしれないんで、警戒しているところなんです。」
「そん時ゃ、おめえたちが守ってくれっだろ。俺たちは、自分の家さ、忘れ物を取りに来ただけだ。時間はかかんねっから。通してもらうぜ。」
男たちはそう言うと、警備兵を押して無理やり通ろうとする。
「だめです。」
「何だ。こらぁ! 」
とうとう警備員と男たちは、押し合いへしあいの末、乱闘になってしまった。
「なんだ? どうした? 」
騒ぎを聞きつけて、警備詰め所から班員たちが飛び出してくる。
しかし、数が多すぎるため、とうとう診療所の監視モニターを見ていた隊員まで引っ張り出される大騒ぎになってしまった。
「あっ。こら! 勝手に入るな! ああ……走るんじゃないっ! 」
ブツン!
男達が勝手に村に走り込んだため、道路をまたいで張り巡らされていた電気や通信用ケーブルにひっかかり転倒、さらに絡まったケーブルを無理やりナイフで切って逃げ出す者まで出て、村に灯っていたわずかな明かりも次々と消えていってしまう。しまいには、わざと発電機を狙う者も出て、一部の大型発電機からは火花が飛んで火災まで起こしてしまう。隊員があわてて消火器で火を消すそばから、別の無事な発電機が狙われる。
双方血だらけになりながらも、武器を行使しなかったため、死人がでることなかった。しかし、その分、騒動は長引く結果となったのである。
廃漁村の港側で起こった元住民とのトラブルは、村から離れた廃校に展開していた次元超越獣要撃部隊にも波及する。
通信が途絶え、状況がわからないまま、万が一に備えてガスマスクを着用する事態となり、闇の中、混乱は拡大していった。
そして、島の反対側にいたもう1隻の漁船から上陸した数人の男達は、騒ぎにまぎれて、島の診療所から患者と家族を運び出していた。

「おやじ……ありがとうよ。」
非行少年・牟田口は、今はまったく動かなくなった身体で、父親の背に背負われ、海岸の岩場に停泊している漁船に乗り移る。
「国防軍だか何だか知らないが、武志に勝手なことさせてたまるか。」
牟田口は、孤島に隔離監禁された息子の牟田口武志を救うため、暴力団「北斗死地星会」に協力を頼んだのだ。
北斗死地星会は、団員の中でも顔とも言える存在だった大西を失い、涼月市内では警察からも徹底的なマークを受け、暴力団としても生殺し状態だったから、この依頼を喜んで受けた。
警察のマークをかわし、国防軍などの鼻を明かす絶好の機会と考えたのである。しかも、人権無視の違法性が高いという弁護士からの指南もあり、あえて実力行使で牟田口を逃がし、事件を大きく明るみにして、裁判に持ち込めば、有利な判決を得ることも可能と考えたのである。
 そして、元村民に化けた暴力団員が港から上陸してトラブルを起こし、島に張り巡らされた通信や電力ケーブルを切断して、騒ぎを大きくして診療所の監視体制に穴を開け、まんまと牟田口少年を脱出させてしまったのである。
「国防軍の奴ら、千石と小沢の入院していた病院を怪物に襲わせて、わざと見殺しにしたんだ。こんなひでぇことってあるかよ。次は息子の番だってんで、こんな小さな島に、島流しなんかしやがって……。」
 島の診療所に無理やり転院させられると聞いた時、父親の牟田口良人は、激怒した。国防軍が守るはずがない息子の命は、自分で守ると良人は、固く決意して犯行に及んだのだった。

「な、なんてことだ。」
 霧山司令は、現地からの第一報に叩き起こされ、愕然となった。
「行方はわからないのか? 」
「島中さがしているんですが、暗いので、まだ見つかっていません。」
「島から逃げ出した可能性は? 」
「……わかりません。入ってきた漁船はそのままですし、その他の船も確認済みです。まだ、山の中に隠れている可能性も十分あります。入ってきた漁船員がパニックを起こして、発電機を壊したりしなければこんなことには……。」
現場を指揮している須藤三佐は、憎憎しげに応答する。
「須藤! まずいぞ。もし、島の外に牟田口が逃げ出したら……。牟田口が逃げた先で『ゴラド』が襲ってきたら……。また、大規模な毒ガス汚染で多数の犠牲者が出る!早く探し出すんだ。」
霧山は、電話を切り、急いで着替える。ヒゲも洗顔も時間がない。そのまま制服に腕を通し、呼び出したタクシーに乗り込む。
島に配置したのは、東と比嘉の第1機動歩兵戦隊だ。今日の昼、追加支援の日高と三塚の第2機動歩兵戦隊と整備班が、揚陸強襲艦「ずいかく」で島に渡ることになっている。器材の搬入は昨日で終り、日高たち隊員も停泊中の「ずいかく」にいるはずだ。船で逃げたとしても、「ずいかく」で追いかけることができれば、チャンスはまだある。
十分ほどたった頃、携帯電話に連絡が入る。それは、最悪の事態を告げるものだった。
「司令! M情報です。」
緊急事態に飛び起きてきたのだろう。
金城副司令は、かすれた声で情報を伝える。
「御倉崎さんから、北斗港にいる船に警戒するよう、連絡がありました。港に停泊している全船舶の確認と停泊場所を今、港湾事務所に確認しています。『ずいかく』に乗っている日高たちにも連絡しましたが、残念ながら機動歩兵の投入は、間に合いそうに……ありませ……ん。もっと、M情報が正確なら……なんとかできるんですが……。」
金城副司令の声は、最後は、か細く消え入るように小さくなる。
「……わかった。今は、文句を言っても仕方がない。『ゴラド』を抹殺する機会は、次のチャンスにするとして、少なくとも毒ガスによる被害の拡大だけは抑えよう。港にいる船をすべて出港させろ! 」
「……手配します……。それでも間に合うかどうか……。」
副司令の声は、いつもよりも力がない。部隊の指揮をはるかに越える権力の行使は、連絡や調整に時間がかかりすぎるのだ。短時間で対応するのは不可能に近い。しかし、霧山は、ついカッとなって携帯に怒鳴る。
「なら、全部沈めてしまえっ! 」
「は? そんな……無茶な……。漁船から大型フェリーまで入れると百隻を越えますよ。しかも、ドックに入っている貨物船なんかもあるんです。空襲でもかけろと言うんですか? 」
「……朝は、海から陸地へ風が吹く。港から市街地に毒ガスが流れ込んだら、どれだけの死者が出ると思ってるんだ。それぐらいの覚悟で対応しろと言っているんだ。」
霧山は携帯を切り、タクシーに緊急事態を告げて、速度制限を無視して駐屯地へ向かうよう指示する。

 由梨亜は、最初、何かのまちがいではないかと思った。「ゴラド」のターゲットとなっている非行少年の牟田口は、はるか沖合いの離れ小島に移送されたと伝えられていたからだ。
次元空間が破られる前兆現象を感じとって、その位置を予測特定するため、次元ポケットに置いた次元転送兵器パックに付属する次元監視システムに照会をかける。出現までの猶予時間は少ないが、出現予測位置は少しずつだが動いているため、「明け方」、「北斗港」、「動いている」というイメージの予知結果を国防軍対次元変動対応部隊へ伝えたのである。
日時と場所は、ほぼ特定したが、ピンポイントというわけにはいかない。相手が移動しているためか、車なのか船なのか不明確なのも気になっていた。
 新たな次元超越獣なのか?
それとも「ゴラド」が別のターゲットを狙って襲ってくるのか、まったくわからない。それでも飛ぼうとした由梨亜に、金剛から連絡が入る。
 それは、邸宅内に設けられた無線傍受室からの情報で、牟田口が島を脱走したかもしれないというものだった……。
 由梨亜は、怒りを抱えたまま、メタモルフォセスを開始した……。

 

13-(8)決戦!北斗港


 「あんの、ばか野郎……」
当直の白瀬からの緊急連絡を受け、日高は、機動歩兵のスーツを着る暇もなく、スポーツウェア姿のまま、揚陸強襲艦「ずいかく」のタラップを駆け下りた。艦内では、緊急事態を告げる警報が鳴り響き、緊急出港の準備が進められている。しかし、艦内に格納された機動歩兵は、梱包状態で、とても乗り込んで起動できる状態にない。このまま艦が港を出れば、港のどこかに現れる次元超越獣「ゴラド」に対応できる戦力は皆無になる。
 日高は、逃げ出した牟田口たちを突き止めれば、何とかなると判断し、護身用の銃だけを持ったまま、艦を降りたのだった。
 島から脱出するなら船しかない。
おそらく漁船に乗って島から逃げ出したのだろう。しかし、漁船では居心地が悪いし、遠くまで逃げられない。
北斗港に逃げ込んだのなら、車か船に乗り換えるはずだが、船ということなら大型船に飛び乗って遠くに逃げることを考えるはずだ。しかも身体の自由が利かない牟田口少年を連れて逃げるとなると車は欠かせない。なら、移動のための車も乗せられる船=フェリーしかない。
 日高は、桟橋を走って、それらしき船を捜す。
 その船は、旅客船ターミナルの前に停泊していた。
大型フェリー「プリンストン」号、排水量一万八千七百トン、全長二百五十メートル、全幅三十メートル、搭載車両数約二百台。
 明け方ということで、旅客船ターミナル内に人影はほとんどない。
しかし桟橋の方では、何かあったのか、大急ぎで出港する準備が進められている。船尾の自走式ランプウェイもすでに引上げられていて、中の様子はまったく見えない。周辺では多くの港湾作業員があわただしく作業を進めている。
 フォークリフトが走る間をすり抜ける。
「おい。コラ! あぶないぞぉ。」
 怒鳴り声があがり、警備員が駆けてくる。
日高は、船員や作業員の制止を振り切り、桟橋に降ろされた梯子を一気に駆け抜けて、船内へ突撃した。 
 ターン! タンタンターン!
 日高が、車両格納庫へのタラップへと続くドアを開けた時、乾いた銃声が連続して鳴り響いた。とっさにフェンスに身をかがめるが、弾は飛んでこない。
 銃声のした方を見ると、ガラガラの自動車格納庫の奥で、薄い黄色の怪物に襲われているワンボックスカーの姿が目に入ってきた。周辺には、黄色いガスらしきものが漂っていて、咳き込んでいる男達の姿が見えた。見ている間に車の外にいる男たちは次々と倒れていく。
 しまった。間に合わなかったか……。
 日高は、とっさに近くに固定されていたパワーショベルに乗り込み、ドアを閉める。幸いにもエンジンキーが付いたままだ。キーを回すとエンジンが始動する。外のガスは、この前のガスとは違うようだ。空調を切り、ギアを後退に入れる。コクピット内で目についたゴーグルをかけ、黒くなった使い捨てマスクを床から拾って装着し、上からタオルを巻きつける。
どこまで役に立つか、堪えられるかわからない。
 片方しかない赤い軍手、茶色のビニール手袋もつけてフル装備する。
ビーン、ビーン。バキバキバキーィッ。
拘束ワイヤーが吹っ飛び、操縦席がアームを水平にして旋回する。すぐ隣に固定されていた軽乗用車の屋根をアーム先端のショベルが引き剥がす。視界に「ゴラド」とワンボックスカーが入ってくると、日高は、クラッチペダルは離し、アーム先端のショベルを「ゴラド」に向けて突進した。

北斗港の騒ぎは、上空から見下ろすフライアからもよくわかった。
ちいさな漁船の群れがミズスマシの大群のように我先にと港の外へ出て行く。大型空母のような揚陸強襲艦「ずいかく」が自力で離岸をはじめており、艦の周囲が白く泡立っている。
小さな観光船とタンカーが接触し、甲高い悲鳴のような金切り音を響かせている。そして、旅客船ターミナル周辺では、接岸しているフェリーから黄色い煙のようなものが周辺に漂い出している。
岸壁のあちらこちらで倒れている人、助け起こす人が入り混じり、もはや有毒ガスが周囲に広がり始めていることは明らかだった。
フライアとなった由梨亜は、バリアで有毒ガスを封じ込めるつもりだった。しかし、今、それらの空間を閉じてしまうと、中に残された人々は確実に死亡する。
有毒ガスを噴出している船を次元転移させようとしたが、船のデッキにも多くの船員らしき人影が見えるため、それも断念せざるをえない。
しかもブリッジの船員たちは、まだ有毒ガスの異常事態にさえ、気付いていない雰囲気だ。船倉からあふれ出す有毒ガスは黄色く、この前までとは違う種類のものに違いない。危険性はより増しているだろう。
フライアは、船の上に飛び降りると自己の周囲に防御シールドを張り巡らした上で、再び羽を上空に向けた。指向性を与えたユミルで大気を攪拌し強力な上昇気流を生み出す。客船から流れ出した有毒ガスを遥か3万メートルの高空まで吸い出して、ジェット気流のように宇宙空間へ噴出させるのだ。
その間に、周囲の人間を避難させなければ、危機は去らない。あとは「ゴラド」が作り出す有毒ガスの限界との勝負になるだろうが、有毒ガスのバリアを失えば、「ゴラド」は次元同化できないまま弱っていく可能性もある。
また、無限に有毒ガスを作り続けられるはずもない。
「プリンストン」号から噴出する黄色いガスは、フライアの周囲で合流し、ストローのような形状で真っ直ぐ空に昇っていく。そのガスのパイプの表面が、朝日を浴びてキラキラと輝く。
噴出量が減ったところで、「ゴラド」を捕捉する。
フライアはその機会をじっと待った。

 ドカッ!!
 ショベルの直撃が「ゴラド」の胴体に突き刺さる。日高は、ギアを前進に入れて後退すると、再度全速で「ゴラド」に突進した。
 鉤爪のついた腕が、ショベルの直撃を受け止める。日高は、アームを曲げ、操縦席を左に回転させるとアームを水平に伸ばし、一気に振りぬいた。
 ブーン。グシャッ。
 日高の乗るパワーショベルに飛び掛ろうとしていた赤いミミズ状の触手を持った頭が、振り切ったショベルのハンマーパンチを受け、格納庫の外壁に叩きつけられる。日高は、アームを再度回転させて、壁に叩きつけられた赤いミミズ状の触手だらけの頭を二度、三度と繰り返し叩き潰す。
 ガシッ! ガシッ!
 動きが弱ったとはいっても、怪物は一向に動きを止めない。
 とどめをさす何かが足りない。
 あせる日高は、アームで「ゴラド」の頭を壁に押し潰す形で固定し、何か武器になるものはないかと格納庫内に目を走らせた。
 何もない。
ガソリンの詰まったドラム缶とか、起死回生の武器になりそうなものが何もない。慌てて出港したフェリーの格納庫内は、ワンボックスカーとパワーショベル、そして1台の軽自動車しかなかった。
あとは手持ちの拳銃くらいのものだ。
 その時、「ゴラド」の尻尾が動き、その後ろに黒い染みのような穴がぽっかりと現れた。どうやら再び次元ポケットに逃走する気らしい。
 「逃がすかっ!! 」
 日高はパワーショベルで尻尾を押さえ込みにかかる。
絶対に逃がすもんか。
もう二度と小さな命が消えるのを見たくない。
幼子を亡くした母親の悲しむ姿を見たくない。
お前は、ここで確実に始末するっ!
レバーを懸命に押し込む日高の視界に、尻尾の先端の黒い目のような模様が目に入ってくる。
まさか……こいつが目で、こっちが頭?
どうりで、叩いても叩いても参らないわけだ。
 日高が、はっと気が付いた時、怪物の鉤爪がパワーショベルのコックピットを直撃した。
バキキーッ!
「しまっ……っ。」
 吹き飛んだコックピットの骨組みが日高の服にひっかかり、日高は椅子から引きずり出されて、開き始めた次元ポケットの暗い闇の中に放り込まれてしまった。

 次元空間にひずみが現れた。
「ゴラド」が動きを止め、次元ポケットへの出口を作り始めたのに違いない。
 今だ。
 フライアは、羽をたたむと、一気に空間転移する。
目標は船の中の「ゴラド」だ。
 次元ポケットの入り口を強引に閉じきり、「ゴラド」の退路を断つと、フライアは、胸のブリーシンガメン装甲から光波カッターをミニマムで連射した。
機関銃のようにはじき出された三日月型の光の刃は、ゴラドの身体に次々と突き刺さり、内部で高熱に変わって内部から「ゴラド」を焼き尽くしていく。
「ゴラド」の体内は、気化した体液で膨張し、やがて風船のように格納庫内いっぱいになる。再び次元ポケットを開口させ、「ゴラド」を次元空間に放り込み、両手の甲から4門のメーザーを最大出力で撃ち込む。
シュバババーッ!
「ゴラド」は、次元ポケット内で、一気に大爆発を起こした。
爆風は、環境誤差でシールドされ、フェリーの格納庫内にまで届かない。
 格納庫奥に止められたぼろぼろのワンボックスカーも無事だ。
 フライアは、再び港の上空へ空間転移した。

 喧騒に包まれる港の中で、甲板に機動歩兵を展開させた「ずいかく」が、旅客線ターミナルの埠頭へと向かっていく。
日高の搭乗している感覚は伝わってこない。艦上の機動歩兵には、別のパイロットが乗り込んでいるようだ。
有毒ガス発生の知らせで、フェリーが「ゴラド」の出現場所と確認したのだろう。甲板上には、防毒マスクや防毒服を着たスタッフがあわただしく動いている。ターミナル前には多くの救急車が集まって、救護活動が続けられている。
 安心して。「ゴラド」は倒したよ。
そう教えてあげたかったが、フライアは声を出すことができない。
 怪物と戦って勝ったということよりも、市民に大きな被害を出すことなく終わったことの方が大きな喜びだった。
 少しは、うまく戦えるようになったみたい。
狭い空間で戦うことを想定し、何回か使う武器の操作を工夫して臨んだだけあって、度重なる戦闘で傷ついていた「ゴラド」をスムーズに倒すことができた。
日高さんが見たら、ほめてくれるかな?
 今度会う時は、私の本当の姿を知ってもらう。
その時の日高の驚く様子が目に浮かび、フライアの頬が少し赤くなる。
 フライアは、昇ってくる朝陽の光を受けて、一息つくと、一気に空間転移して家路についた。

 

(第13話完)