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超次元戦闘妖兵 フライア ―次元を超えた恋の物語―

渚 美鈴/作

第10話「怒れる女神 -携帯電話のガーディアン-」

【目次】

(1)由梨亜の憂鬱

(2)逡巡とトラブル

(3)クラスメートの危機

(4)拉致

(5)爆発する怒り

(6)後悔

(7)由梨亜の涙

(8)告白3分前


10ー(1)由梨亜の憂鬱


「何か、あったの? 」
「え? いえ、別に……。」
如月の問いかけに、由梨亜は、上の空で応える。
「そうかな? なんか、元気ないみたいだけど…………。」
「…………。」
「ほら、すぐ、黙っちゃうしー。何かあったら話してよ。友達なんだから。」
「ありがとう。別に大したことじゃないから……。あ、ごめんなさい。私、日直だから、次の教材の準備で安藤先生に呼ばれてるから、先に行くね。」
由梨亜はそう言うと、お弁当箱を大急ぎで片付け、教室を出て行く。
その様子を、福山と如月、椎名が見送る。
「ねぇ。由梨亜、最近、ぼーっとしてることが多くない? 」
「そーだね。夏休み終わってから、うちのケーキショップでバイトしてるんだけど。土日は、一日中店番してもらってるから、疲れが出たのかな? 」
由梨亜が、椎名の自宅のケーキショップ「oi椎名」で店番のアルバイトをしていることは、福山と如月、椎名、そして上杉と南の五人以外は知らないはずだった。
しかし、もともと苺をたっぷり使ったショートケーキが売りで、かなりスィーツ好きには知られていた店だったこともあり、そこにすらりとした美少女の店員が入ったことで、土日は多くの客で賑わうことが多くなった。
そして、由梨亜のバイトは、今では、北斗青雲高校では誰もが知っている周知の事実となっていた。
2年2組の担任・栗林も、一時は様子を見るため足繁く通っていたが、今では佐々木会長公認ということで安心し、時々ケーキを買いに出かける程度となっている。
最近では、他の男子生徒が通う回数が増えていて、椎名の父でケーキ職人の宗一郎は、売り上げは伸びているものの、心中穏やかではない様子である。
「でも、由梨亜のおかげで、儲けてるんでしょう? 」
「そりゃ、そうだと思うけどー。お父さんとしては、自慢のケーキの人気というよりは、由梨亜目当てで客が来るのがおもしろくないみたい。最近は、由梨亜にケーキ作りを教える方に力を入れてー、逆に店番を自分でやってるくらいだから……。」
福山の問いに、椎名が答える。
「あちゃ~。メグ。だいじょうぶ? 椎名のお父さん、お店を由梨亜に継がせるなんてことにならないかな? 」
「だいじょうぶ。あたし、お店継ぐ気なんてないしー。第一ケーキづくりの才能がないの、とっくにわかってるから、お父さんもあきらめてるしね。」
 椎名は、気にもとめない様子である。
「慣れないアルバイトで、疲れてるのかな? 」
「由梨亜のこと? 」
「何か、変わったことなかった? 」
「そうだね~。」
 福山と如月の質問に、椎名はしばらく考え込む。
「そうそう、先月末に、日高一尉がお店に来てたよ。あたし、ケーキセットおごってもらっちゃった。」
 椎名が、にこにこしながら答える。
「あのなぁ。自分家のケーキだろが。おごってもらって、何喜んでんだよ。」
 如月があきれたように言う。
「え~。だって、自分で言うのもなんだけど、ショートケーキは絶品だよぉ。本当は、毎日食べたいけど、お父さんが店の商品に手を出すなって怒るから、滅多に食べられないし……。」
「まあまあまあ。ここは椎名ん家の話は置いといてー。問題は、由梨亜がどうして元気がないかってことだよ。ねぇ、日高さんと何かあったのかな? 」
福山が、如月の突込みを抑えて、話の脱線を防ぐ。
「うんにゃ。由梨亜のバイト時間が終わったら、二人で一緒に帰っちゃったけど。なんにも。そうだ。やっぱり、ほら、日高一尉が外人さんとキスしたって話があったでしょう。あれでケンカしちゃったとか? 」
「う~ん。元々、日高一尉の方が、由梨亜のこと好きになったみたいなとこもあるからー。そんなことないと思うよ。」
「そーそー。あの男は、わりと真っ直ぐな男だ。そんな無責任で浮ついた言動ができる男じゃないと思う。」
椎名の推論を福山が否定し、如月がそれを肯定する。
「え? でも如月は、日高一尉と会ったことないでしょう? 」
「いや、以前、学校の前で、軍の車から降りてきたのを見たことがある。彼は、見たところ、生粋の武人だ。戦いの第一線に自ら身を置く男に、悪い奴はいない。これが私の持論だ。」
如月の説明に、福山はため息をつく。
「ああ、あの時ね。……根拠としては弱い気がするけど……。」
すると、椎名が思いついたように尋ねる。
「じゃあ、由梨亜の方が愛想尽かして、別れ話を切り出したとか? 」
「それも……どうかな。とにかく、由梨亜を捕まえて、落ち込んでいる理由を聞き出す方がいいと思わない? 」
「え? 由梨亜よりも先に、日高一尉を追求した方が早いんじゃないかな。」
「そうだね。」
「それに、たぶん、由梨亜のことだから、自分の気持ちに素直になれないところがあると思うしー。」
「おー。さすが、委員長。由梨亜の性格を見抜いてるね。」
如月と椎名がパチパチと拍手を贈る。
「まあね。委員長だから。とーぜん。じゃ、今日の午後、私が日高一尉に電話して、様子を探ってみるわ。」

「小娘が。よくも私が苦労して手に入れたサンプルを台無しにしやがって……。」
 佐々木専務は、怒りに駆られて、拳でテーブルを叩きながら吠えた。
 涼月市にあるダイヤモンド・デルタ重工の機動歩兵生産工場と研究施設が次元超越獣に襲われ、会社は大損害を蒙ってしまったが、佐々木専務としては、そのサンプルを研究することで、会社に莫大な利益をもたらすと考えていた。その次元を越えてきたマシーン、「アイン」のサンプルまでもが、勝手に処分されてしまったのである。
 実際に処分したのは、フライアなのだが、佐々木専務に具体的な事実関係の報告はなかったため、専務は御倉崎由梨亜が、父である会長をそそのかして処分させたのだと思い込んでいた。
「羽黒。あの小娘は、一体なんなんだ? なぜ、父は、あんな小娘の言うことを聞くんだ? 」
 佐々木専務は、私設秘書の羽黒に尋ねる。
「いゃあー、どうもこうも、調べは進めているんだが、会長の秘書グループの守りが堅くて、なかなか思うような情報が入ってきません。つい先日も、学校の関係者に探りを入れてみたんだが、みんな脅しが入ってて、簡単には口を開いてくれねぇんだなぁ。」
 羽黒は、佐々木専務の秘書の肩書きを持っているものの、実際は会社の内外の情報を収集してくる私的な調査員のような役割を担っていた。
その人脈は、特に裏社会に深く浸透していて、社内ではあまりいい印象を持たれていない。それでも、専務が羽黒を重用したのは、総会屋対策などで存在感を誇示するのに役立ったからである。また、普通では入ってこない裏社会からの情報も、経営陣の一人として、自らの存在感を誇示するのに役立ったため、今では手放せない存在となっていた。
「転入してくる前の学校とかがわかれば、そこから調べが進むだろう? 」
「ええ。調べたんですがね。転入前は、なんと沖縄の高校だったんですわ。ですが、そこの学籍簿で調べたら、該当する生徒が見当たらない。おかしいわけです。どーも、比叡あたりが小細工してるんじゃないかと……。」
「デタラメな情報をつかまされたということか? 」
「たぶん……。まだ、ありますぜ。どうしてこの娘を、国防軍が重要人物扱いしているのか。本当かどうか知らねぇが、この娘は予言ができるらしい。」
 頭をかきながら羽黒は、たんたんと調査の内容を報告する。
報告書の類はない。羽黒の調査結果は、いつも口頭だけだ。
一度、専務は文書による報告を求めたのだが、羽黒は平然と無視し、現在に至っている。専務は不満だったが、情報管理の上での弱さを指摘されると、それ以上追及することはできなかった。
「予言? 何の? 」
「例のー、異次元から侵入してくる怪物についての予言です。」
「ははっ。そいつもガセネタじゃないのか? 」
「いや、専務を殴った日高とかいう国防軍のパイロットも何度も助けられたことがあるようで……。これは、本当のようです。」
「ふん。たったそれだけのことで……本物の超能力者だというのか? 」
 専務は、羽黒の言葉に忌々しげに毒づく。
「だから……国防軍も会長もこの娘に頭があがらない……ということのようですな。」
「ばかばかしい。予言が本当にできるなら、なぜうちの工場や研究所が壊される前に教えない? 今回我が社が蒙った被害は、生産中の『剛龍』だけで二千億を越えるんだぞ。それさえも防げない、こんないい加減な予言に国防軍や父が振り回されているというのか? 」
 佐々木専務は、怒りのあまりテーブルを叩く。
羽黒は、それを平然とながめるだけである。
「何か……裏があるんだ。トリックだ。みんな騙されているんだ。」
「いっそのこと、会長の邸宅に乗り込んではどうです? 」
「だめだ。」
 専務は首を横にふる。
「俺は、出入禁止にされちまってるんでな。それに……何も証拠がなけりゃ、父の目を覚まさせることはできん。」
「どうします? 正当なルートでの調査は、個人情報保護とかで、なかなか進みませんが。」
「任せる。どんな手を使ってでも、この娘の素性を暴くんだ。」

 

 

10ー(2)逡巡とトラブル 

「は? それって、どういうこと? 」
 福山の驚いた声が、新調したばかりの携帯の向こう側から聞こえてくる。
「トップからの命令なんだ。だから……しばらくの間、由梨亜とは会えない。」
「そんなのおかしいよ。仕事のために、好きな人と会っちゃダメって……。」
「言いたいことはわかるよ。しばらくの間だと……思う。」
「納得してるわけ? じゃあ、由梨亜にも説明はしたんだ? 」
「いや……。説明は……していない。機密事項に触れるんで……。」
「ちょっとぉ! それってひどくない?……そうかぁ。それで、由梨亜、元気なかったんだ……。」
「え……? 」
 日高は、福山の言葉についつい、引き込まれてしまう。
「由梨亜が……どうか……したのか? 」
 福山が、ため息交じりで応える。
「もう……、自分で確かめたら? 」
 福山は、不機嫌そうに言うと一方的に電話を切ってしまった。
 日高は、携帯を手にしたまま、途方にくれる。しばらくして、メール画面を開いて、着信履歴の中から、由梨亜からのメールを探す。
 9月の末、バイト帰りの由梨亜を途中まで送っていった後のメールだ。
 


何度も読み返してしまうが、そこから由梨亜からの非難めいたものは一切受け取れない。そして、それ以降、由梨亜からのメールも電話もないので、日高は、「もう、会えないかもしれない。」と言った自分のメッセージの意図がしっかり伝わったものと思っていたのだ。まして、彼女は次元超越獣の出現を予知することができる超能力者なのだから、以前、否定はしていたものの、心を読まれた可能性もあると考えていた。
 本当に、心の中を読まれなかったのかな。
 どうする?
 会って、正直に話すか?
由梨亜は、フライアの存在を知っているわけだから、話したらわかってくれるかもしれない。
気がかりなのは、由梨亜だけではない。
数日前の港の倉庫街での戦闘で見せたフライアの様子も気がかりである。
報告書には書いていないが、日高は、フライアの戦闘の仕方が大きく変ったと感じていた。
 断定するだけの根拠はないが、オーバーキル気味で、戦い慣れしていない新人という印象がぬぐえないのである。
 そして、戦闘の最中に日高に見せた仕草もとても気になるところで、フライアが日高を意識してのがはっきりとわかった。
これは以前のフライアにはまったく見られなかったことで、それが戦闘に悪い影響をもたらしかねないという心配もあった。
これが、キスしたことによる影響だとすれば、服部と青木担当調査官が言ったように、意に反して彼女に大きな影響を与えた証拠とされるだろう。
 こっちは、誤解を解きたいんだが、会う機会が限られているし、呼び出すこともできない。おまけに言葉が通じるかどうかも怪しい。
 妖精って、一夫一婦制かな。
一夫多妻でもOKなら、何も気にしないんじゃないか?
いや、そもそも結婚とか、男女が付き合うという概念があるのか?
 日高は、勝手に解釈を広げてしまうが、今度はその反動も来る。
 フライアは、バチカンから、メシアとして崇められているという。
また、フライアを派遣した妖精も、厳格なヨーロッパのキリスト教、カトリック教の総本山・バチカンから崇拝されており、しかも水面下でコンタクトが続いているとも言われている。
ということは、宗教的な繋がりがあると考えるのが自然だ。
一夫多妻を認めるのは、宗教的にも道徳的にもはありえないだろう。
 結局のところ、どっちを選ぶと決めるわけじゃないし、由梨亜には、今の状況をわかってもらうしかない。
 日高は、携帯を操作してメールを送信しはじめた。

「それでね。お父さんが、今日、バイト代出すから呼んでこいって。」
「わぁ。本当? 」
 由梨亜が目を輝かせて問い返す。
「あー。でも、そんなに期待するほどじゃないと思うけど……。」
 椎名が申し訳なさそうにする。
「いいえ。初めて自分で働いて手にするお金です。それだけで十分です。さあ、行きましょう。」
 由梨亜は、椎名をぐいぐいひっぱって、椎名の家、ケーキショップ「oi椎名」へ向かう。
 二人が、繁華街に差し掛かった時だった。
 由梨亜は、ふと気になる光景を目撃した。
 北斗青雲高校の制服を着た一人の女生徒を、複数の他校の男子生徒が取り囲み、狭い路地に押し込むように入っていくのだ。女生徒の表情がひきつっているのが遠くからでもわかる。
「あれ? 2組の堂島さんじゃない? 」
 椎名も気付く。
「何か、不良に絡まれているみたいだったけど……。大丈夫かな。」
「えーっ。あぶないよぉ。」
「じゃあ、私が様子見てくるから、メグはここで待ってて。何かあったら警察を呼んで! 」
 由梨亜は、信号の変った横断歩道を横切ると、女子生徒が押し込められた狭い路地へと向かっていく。
 由梨亜のすばやく大胆な行動に、椎名はぽかんと見つめるばかりだ。
「うそぉー。やだ、どうしよう~。」
 
「すみません。今日は、これだけしか用意できなかったんです。」
 堂島が差し出した5千円札を茶髪の男子高校生は、黙って受け取る。
 パアーン!
 路地裏の狭い空間に、乾いた音が響き、女生徒が壁際に倒れこむ。女生徒の頬が赤くなる。
「これっぽっちじゃ足りねぇんだよ。大西さんに、俺っちが怒られちまうだろうが。」
 足で女生徒の太腿を小突きながら、茶髪の男生徒がドスを聞かせた声で、脅しをかける。
「これまで通り、大西さんと仲良くしたけりゃ、言うこと聞けや。」
「でも、これ以上は親にもばれるし……」
「はぁあ? 」
 バシッ!
 男生徒は、堂島の側にしゃがみこむと、手の甲で顔をはたく。
 堂島の頭が壁に叩きつけられ、堂島はしくしく泣きはじめた。
「ちっ! 」
男生徒が毒づきながら立ち上がった、その時だった。
「おいコラ! 何見てんだ? あぁ? 」
路地の入り口付近を見張っていたオールバックの男生徒の声が響く。
振り返ると、堂島と同じ制服を着た女生徒が、ツカツカと入ってくるところだった。
「おい! 聞こえねぇのか? 」
オールバックの生徒がその肩を掴もうと手を伸ばしたとたん、女生徒の手がその手を掴んでひねりあげ、地面に叩きつけた。
「おわ……。」
ガツン!
 オールバックの生徒は、後頭部から地面にひっくり返り、そのまま動かなくなった。
「な、なんだ、おめぇは? 」
 茶髪の生徒の誰何を無視し、その体を押し退けて、堂島の側にしゃがみこむ。
「だいじょうぶか? 」
「あ、ありがとう。」
 堂島は、涙で濡れた顔をあげて、驚く。
「え……御倉崎さん? なんで……どうして……。」
 少し険しい表情をしているが、それは、同じクラスメートの御倉崎由梨亜だった。
「シカトしてんじゃねぇ! 」
 そこに突然、茶髪の男生徒の廻し蹴りが襲ってくる。由梨亜は、それを左腕で受けると、その足首を掴んで捻る。茶髪の生徒の体は、空中で一回転して、反対側の壁際に置かれたゴミ箱の中へ顔から突っ込んだ。
 ドガン、ガラガラッ。
 由梨亜が立ち上がり、ピアスの生徒の前に仁王立ちになる。
「このやろう……。」
 ピアス生徒が毒づいたとたん、そのとがった顎を由梨亜の掌ていの一撃がアッパーの形で襲う。ピアス生徒の足が浮き上がり、後転して路地のコンクリートを転がる。
 ガラガラガラッ。
 ゴミ箱から茶髪が、起き上がる。
頭に付いたゴミを払いながら起き上がった顔は、怒りの形相で真っ赤だ。
鼻血がポタリポタリと路地のコンクリートに滴り落ちている。手には、ゴミ箱のそばにあった竹ボウキを握っている。
「やりやがったな。このメスが! 」
 その様子を見て、堂島が小さく悲鳴をあげるが、由梨亜は何ら動じる様子はない。ホウキを握り締めてじりじりと近づいてくる茶髪を前に、平然と構える。
「があああぁぁぁっ! 」
 大声をあげて茶髪が突っ込んでくる。
ビュウッ。
空気を切って、御倉崎に向かって、袈裟懸けに竹ボウキが振り下ろされる。
 振り下ろされる竹ボウキに合わせて、由梨亜の体が沈み込み、右へ体を入れ替える。茶髪がその行方を目で追うが、振り下ろした竹ボウキは止まることなく、由梨亜のいない空間を通って、コンクリートの壁を思いっきり叩きつけるだけだ。しかも、足元では出足の左足ズボンのすそを御倉崎につかまれ、後方に捻られてバランスを崩される。
「とっとっと……」
 茶髪が倒れまいとするが、背後に回った由梨亜は、その背中に左手で掌ていの一撃を叩き込む。反動で前に飛び出した体の急所に、竹ボウキの柄が食い込む。
「ぐはあっ……」
 悶絶して、のたうちまわる茶髪を見下しながら、堂島の手を引き起こす。
「長居は無用だ。」
「で、でも……。」
 急いで路地を出た由梨亜と堂島を見つけて、椎名が声をかけてくる。
「こっち、こっち。」
 椎名が通りかかったタクシーを止める。
「早く、早く。」
 三人が乗り込んだところで、タクシーが発車した。
「ふぅーっ。」
全員一息ついたところで、由梨亜が目を閉じて、シートに深くもたれかかる。
 隣の堂島は、黙ったまま、窓の外を眺めるばかりだ。椎名は、前席で運転手に行き先を指示しているため、由梨亜の微妙な変化に気付かない。

「……危なかったねー。堂島さん。だいじょうぶ? 」
 椎名が前席から振り返って話しかける。
「ええ……、ありがとう。」
 堂島が、少し掠れ気味の声で答える。
「でも、由梨亜すごぉーい。三人の不良をいっぺんに片付けちゃうんだもん。反対側の歩道から見てたけど、かっこ良かった~。」
「あ、いえ。そのついカッとなっちゃって、体が勝手に動いてしまって……。」
 椎名の賞賛に、由梨亜がうろたえながら応える。
「でも、如月さんが言ってた通りだね~。由梨亜って、本当は武道をやってるはずだから、とてつもなく強いって……。ねぇ、なんで隠してるの? 」
「あ、隠してるとかじゃなくて……。その、体が覚えているだけだし……。あんまり強いこと自慢しても……しょうがないじゃない?みんな怖がって近づかなくなるかもしれないし……。」
「んー。そうかぁ。そうだね。男の子が知ったら、みんな逃げちゃうかもしれないね。そうなったら、いやだよね~。」
 由梨亜のしどろもどろの答えに、椎名はそれなりに納得する。
「何も……聞かないの? 」
 不意に、堂島がつぶやく。
「あ、ごめんなさい。無視してたわけじゃない。話しにくいこともあるだろうと思って……。私たちで助けられることがあったら、遠慮なく話して。」
 由梨亜の言葉に胸が詰まったのか、堂島の目に大粒の涙が溢れ出す。
「わたしー、私……。」
 懸命に話そうとするが、ひきつるばかりで言葉が続かない。
「……私の家で、少し落ち着いてから……話そうか? 」
 由梨亜の提案に堂島が頷いたのを見て、椎名は、タクシーの運転手に行き先の変更を伝えた。

 

 

10ー(3)クラスメートの危機

 由梨亜と堂島遥は、クラスメートではあるが、あまり話したことはない。
 転入してきた由梨亜は、様々な憶測からくる噂が良くも悪くも影響して、クラスの中でも浮いた存在となっていた。
また、次元超越獣との関係で多忙なこともあって、どんなクラスメートがいるのかと気にしている余裕がなかったのである。
 一方で、堂島は元々引っ込み思案な性格で、あまり他の生徒と交わることもなかったため、クラスの中で目立たない存在になっていた。
ただ、1年生の時、クラスメートだった椎名は、空気を読まない性格から、よく話をする機会があり、互いによく知った関係が続いていた。
「まさか、あの大西って男の関係? 」
「うん。関係をばらすって、脅されてるの……。あたし、もう、どうしたらいいか……。」
 椎名と堂島の説明を聞いて、由梨亜は驚くばかりだ。
 堂島は母子家庭だったが、中学卒業の頃、母親が再婚して家に居づらくなり、深夜徘徊を繰り返すうちに大西と知り合った。その優しさに騙されて、一度だけ体を許してしまったのである。そして、会わなくなったら、脅迫され、金銭を要求されるようになったのである。 
 そこで初めて、堂島は、大西が涼月市の暴力団員だということを知ったのだ。今ではその大西の舎弟の不良高校生につきまとわれる日々を送っていた。
 金銭要求も次第にエスカレートしていて、貯金を取り崩して対応していたものの、今ではそれも底をつき、こっそり母親の財布から紙幣を抜き取るまでになっていた。両親にばれるのも時間の問題となっていたのである。
「メグは、このこと、知ってたの? 」
 由梨亜の確認に、椎名は首を横にふる。
「母親が再婚して、家に居づらいとこまでは知ってたけど……。まさかセックスまで経験しちゃうなんて……。ばれたら退学だね。」
 椎名のストレートな現状説明に、堂島は下をうつむいたまま、震えながらポタポタと涙をこぼす。
「悪い男に騙された……で済めばいいけど。相手はいい金づるを失くしたわけだからー、きっとまた、脅しにくるはずよ。」
由梨亜は、少し苛立つ気持ちを抑えながら、相手の出方についての予想を口にするだけにとどめる。
「そしたら、由梨亜の力でやっつけちゃえばいいんじゃない? 」
椎名の脳天気な回答に、由梨亜は少し意地悪く回答する。
「力って……私にケンカしろって言うわけ? あのタイプの人たちは、死なないとわからない人間ばっかじゃない! 」
「あ、殺せってわけじゃなくてー。半殺しとかしてーまいったって言わせるの。あは、……無理かな? 」
「半殺し? かえって怨まれるだけじゃない? それで心入れ替えるほど素直だったらいいけど……。改心する分、昔話の鬼の方が、まだましよ。」
「じゃ、やっぱり警察に……言うの? 」
 椎名の「警察」という言葉に、堂島がビクッと反応する。
「だめ! それだけは絶対ダメ! お母さんにばれちゃったら……あたし、よけい家に居られなくなる……。」
「じゃあ、大人の人に……相談するとか? 日高さんに……ダメ? 」
 堂島は、激しく首を横に振るばかりである。
 由梨亜たちのいるログ・コテージに、長い沈黙の時が流れる。
 沈黙を破ったのは、携帯の着信音だった。
 由梨亜は、ポケットから携帯を取り出し、確認する。
「誰? 」
 椎名が興味つつという顔で尋ねる。
「日高さん。メールが来たみたい。後で返事しとく。それより、堂島さんは、明日から気をつけないと……。」
「ねえ。金剛さんたちに守ってもらうこと、できないかな? 金剛さんたち、護衛のプロなんでしょう? 空手とかしてて、強いって聞いたし……。」
 椎名がいいことを思いついたという表情で、提案する。
「……わかった。金剛さんたちに頼んで、しばらく守ってもらいましょう。」
 由梨亜は、仕方がないという表情で了解する。
「あ……あの……。」
 由梨亜が電話に手を伸ばしたのを見て、堂島があわてて、立ち上がる。
「心配しないで。悪いようにしないから。ただ、明日から私と一緒に警護して欲しいとお願いするだけだから。それと、今夜は車でお家まで送ってもらわないと。」
安堵する堂島を見ながら、由梨亜は、金剛たちの詰めている警備ルームに電話をかけた。

 翌日の午後、比叡は、道路を挟んで北斗青雲高校前にある民間ビル3階に確保した部屋の窓から、正門の様子を伺っていた。
「チーフ。ターゲット確認。1、2、3……8人。裏門の方にも何人か張ってるみたいだ。」
 比叡は、ヘッドセット付きの携帯で金剛たちに状況を伝える。
 正門前には、明らかに別の高校の柄の悪い男子生徒が8人うろつき、中の様子を伺っている。
「ほう。木刀が3本か。一人はチェーンを学ランのポケットに隠してる。もう一人は、スタンガンに折りたたみナイフ。軍用ナイフを内ポケットに隠してる奴もいるな。これだけそろえば、凶器準備集合罪で挙げられるが、どうします?制圧しますか?それとも警察に通報しますか? 」
「警察に任せる。通報は、学校長からやってもらおう。霧島は、退路を断つために工事中の看板とナイロンワイヤーの束をトラックから降ろして歩道に展開しろ。裏門は私と榛名で、同じように退路を断つ。」
「へいへい。で、俺は? 」
「ターゲットは、足を持ってきてるだろう? 全部つぶせ! 」
「了解。」
「作戦開始は、パトカー到着時とする。」

ドーン!
大音響が正門近くから鳴り響き、北斗青雲高校の生徒たちは、「なんだ、なんだ」と校舎の窓から顔をのぞかせた。
「はじまったみたいね。」
由梨亜は、堂島につぶやくと、携帯のメールを確認する。
正門付近では、バイクが4、5台炎上し、他校の生徒がそばで右往左往している。そこへサイレンを鳴らしながらパトカー数台が到着し、それらの生徒は反対方向へ一斉に逃げ出した。
距離的には十分逃げ切れるかと思われたが、学校のフェンス角の歩道部分で、全員がひっくり返る。何人かは立ち上がって刃物を取り出し、足元の何かを切ろうとしているようだが、そばで見ていた道路工事の作業員らしき男が動くと転がってしまう。何かわめいているが、その時には、警官たちが次々と取り押さえてしまう。裏門の方でも、何か騒がしいが、こちらからは死角となっていて、確認はできない。
「……終りね。全員、検挙された。」
「良かった……。」
由梨亜の言葉に、堂島は、ほっと胸をなでおろす。
でも、由梨亜は首を横に振る。
「ダメ。まだ、大西っていう親玉が捕まってない。昨日の連中も……。だから、まだ油断しちゃダメ。」
「……大丈夫かな……? 」
堂島が不安そうな声で尋ねる。
「何が? 」
「捕まった人たちが、私のこと……警察に……何か言わないか……心配……。」
「大丈夫。もし何か聞かれても、「知らない」で押し通せばいい。それに……大西たちの命令のはずだから、ばれちゃったら困るのは彼らよ。たぶん口を割ることはないと思う。」
 由梨亜は、昨夜、金剛たちに相談した時受けた説明を堂島に披露する。
「これで、まず相手の手下は、全員確保したから、身元は完全に把握できる。どうせすぐに釈放されるでしょうけど、釈放された後は、金剛たちが一人ずつ、毎晩、こっそり闇討ちで半殺しにして病院送りにすることになってるから、二度とここに現れることはないでしょう。」
「半殺し? 仕返しされるんじゃ……。」
「闇討ちで、病院送りよ。その時にこれからの動きを監視できるようにするし、通話やお互いの連絡もすべて把握して対策を取れるようにするそうよ。」
 由梨亜は、堂島がわかっているか、確認しながら続ける。
「それとー、昨日の3人の身元がわかるなら、教えて? 大西って暴力団員についても、どこに住んでいるかとか、どの事務所の所属とか、知ってることは全部教えて。」
「え……ええ。」
 堂島は、由梨亜からの説明に、ただただ圧倒されるばかりだ。
由梨亜の説明する内容がよく飲み込めていない様子である。
「……最後にー。携帯だして! その携帯番号は、大西たちに知られているんでしょう? 簡単に連絡されたり、位置を知られたりしたら問題だから……・。代わりに、この携帯でしばらくがまんしてくれる?」

 

10ー(4)拉致

 涼月市最大の暴力団・北斗死地星会の事務所で、大西竜司は、3人の高校生を前に怒鳴り散らしていた。
「一体、どうなってんだぁ? どいつもこいつも、昨日からまともに連絡ひとつよこさねえ。」
「大西さん。動員かけた連中は、全員サツに捕まっちまったらしいです。」
 茶髪の高校生が、大西に告げる。
「はぁ? あの女子高校生ひとり連れてくることもできねぇってか? 何人行ったと思う? 十五人も行ってか? ガキの使いじゃねぇんだぞ。」
 大西があきれたように手の平をひらひらさせる。
「でも……ひょっとした、昨日の女みたいな、えらく強え奴が、また邪魔したかも……。」
 バシッ!
 乾いた音が響いて、鼻ピアスをした高校生の頭が左に傾く。
「バカか? 女一人にやられて、暴力団の示しがつくと思ってんのか? おめぇら、うちの会の看板に泥塗ったのと同じなんだぞ。それを相手が強かったなんて、言い訳になるか? このアホが。」
 鼻ピアスの高校生の腹にパンチが叩き込まれ、くの字に曲がった体に、強烈な蹴りが雨のように浴びせられて、倒れこむ。
「千石ぅ。おめえ、遥の家知ってるな? そこで帰ってくるまで張って、捕まえて来い。ご家族にもキチンとご挨拶してな。小沢と牟田口も連れてけ。」

 その夜、遅く。
由梨亜はふと心配になって、代わりに提供した携帯に電話をかけてみた。
「もしもし。堂島? 」
「? (……おい、出な。変なこと言うんじゃねぇぞ。)」
 由梨亜の鋭い聴覚は、携帯電話の向こうでささやかれている声を聞き取った。
 しまった……。
 どうやら、堂島は捕まってしまったらしいと直感する。
「……ごめん。今、とりこんでて……。」
 携帯のむこうから、堂島の上ずった返答が返ってくる。
「大丈夫? 」
「うん……。」
「……実は、話したいことがあって……。その携帯なんだけど……、持っている人を守ってくれるガーディアンって言うのかな? 守護神が憑いているの。だから……安心して。」
 由梨亜は、とっさに口から出任せを言って、堂島を安心させようとする。
「え……。守護神って、幽霊とか……? 」
「あ、そんなんじゃなくて、なんて言うのかな。そう、妖精みたいなものよ。きっと、あなたを守ってくれるから。……それを伝えたくて……。」 
「そ……そう。ありがとう。……じゃ、また明日……。」
「うん。おやすみなさい。妖精の加護が、……堂島にありますように……。」
 堂島が何か言いたそうになりながら、話を切り上げたので、由梨亜もそれに応えざるをえない。
 プーップーッ
切れた携帯を手に、由梨亜は、すっくと立ち上がった。
 助けにいかなきゃ……。
 でも、どうやって?
フライアの力を使って?
 金剛たちは、今夜、昼間警察に逮捕され、釈放された非行少年たちのお仕置きのため、全員出払っていて、今すぐに対応はできない。
 迷っている間に、鞄の中の携帯電話が鳴り出す。それは、堂島から預かっている携帯だ。
「もしもし? 」
「あ……遥か? お父さん……だ。」
「え……? 」
「あ、遥じゃないのか? 」
 携帯の向こうからとまどった男の声が聞こえてくる。
「ごめんなさい。私、堂島の友達でクラスメートの御倉崎です。実は……堂島さんから携帯を預かっているんです。」
「ああ、そうですか……。遥と大至急、連絡をとりたいのですが、お願いできませんか? 」
 携帯の向こうの男の声からは、あせっている様子が感じられる。
「どうか……したんですか? 」
「……実は……妻が……あ、遥の母親が……大怪我をして、病院に担ぎ込んだところなんです……。」
 由梨亜の心を冷たい不安、悪い予感が通り過ぎる。
「ど、どういうことです? 教えてください。遥にはちゃんと知らせますから! 」
「あ、じゃあ、遥の居場所を知っているんですね。無事なんですね? ……良かった。てっきり遥にも何かあったんじゃないかと、心配してました……。仕事から帰ると、妻が玄関で血だらけになって倒れていたものですから、慌てて病院に運んだんです。強盗に襲われたみたいなことを口走っていたもんですから……、遥の姿が見えないもんですから……てっきり遥の身にも何かあったんではないかと心配で……。無事なら……本当に良かった……。」
 由梨亜の携帯をにぎる手が震える。
「あの、遥のお母さんは無事なんですよね? 」
「え……。あ……何と言うか……今さっき病院に着いたばかりで……私も……。」
「どこの病院ですか? 」
「聖ベネディクト病院です。」
「わかりました。遥に大至急連絡します。」
「お、お願いします。」
 由梨亜は携帯を切ると、金剛と遥に緊急メールを送る。
 もはや一刻の猶予も許されない。大西たちは、堂島の自宅に押しかけ、遥のお母さんを襲ったのだ。その上で強引に遥を拉致したに違いない。
 フライアに変身するのに、もはやためらいはなかった。
 フライアの力は、次元超越獣と戦うためのもので、犯罪や戦争に対して使うものではないという、妖精からの強い戒めが蘇るが無視する。
 怒りのあまりほてった顔で、口を真一文字に引き締めながら、由梨亜は左手の腕時計を右手で強く握り締め、開放した。
 即座に腕時計がぐにゃりと変形し、フライアへの変身が始まった。

 

10ー(5)爆発する怒り

「いやあーっ。」
「騒ぐんじゃねぇっ。」
 堂島の顔に大西の平手がとび、ベッドにうつぶせに倒れこむ。その両手を背後にまわして、大西は近くにあったコンビニの白いレジ袋を紐状にして縛ってしまう。口にも同じようにレジ袋で猿轡をかませる。
 大西の大きな手が堂島の頭をガッシリとつかみ、引き寄せる。
「いいか。遥ぁ。お前はもう俺のもんなんだよ。逃げようとしたり、言うこときかねぇと、ただじゃおかねぇ。誰かに助けてもらったつもりらしいが、こちとら、面子が命だ。面子つぶされたまま、『はい、そうですか』なんて引き下がってたら、この先やっていけねぇんだよ。」
 堂島の目に恐怖の色が浮かび、涙があふれてくる。
「サツなんて怖くねぇんだよ。逃がさねぇ。家に閉じこもっても、今日でわかっただろ。どこにも逃げられないって……。どんなお友達かしらねぇが、お前を助けた勇気あるお嬢ちゃん達にも、あとでキッチリ落とし前つけさせる。」
 大西の手が堂島の着ているブラウスに伸び、左右に一気に引きちぎる。
ボタンがはじけ飛び、ブラに包まれた白い胸が露になる。
スカートが引きずり下ろされる。
 ベッドの側のソファーに座っている千石、小沢、牟田口の三人が、チラチラと大西と堂島の様子をうかがう。
 ピロリン♪
 テーブルの上に置いたままになっている堂島の携帯が、メールの着信を知らせる。
 千石が携帯を手に取り、メールの内容を確認する。
「なんだ? 」
「遥の友達ですかね? 御倉崎って奴からです。『「お母さんが聖ベネディクト病院に。大至急、向かって。』だとよ。」
 大西の問いに千石がメールを読み上げる。そばで聞いていた堂島の表情が強張る。
「お前が悪いんだぜ。変なことしやがるから、お母さんに責任とってもらうことになっちまった……。本当に悪い娘だ。」
 大西の手が背後から堂島のブラをずりあげて、むき出しとなった胸をわしづかみにする。

 照明が不規則にまたたき、しばらくしてフッと消える。
「ん? 停電か? 」
 ソファから牟田口が立ち上がり、カーテンを開けて外を覗く。
「あれ? 他の家は、ついてますぜ。ここだけか? 」
 ベッドの上で堂島の体をまさぐる大西の手が止まる。
「おい。気をつけろっ。何か仕掛けてきやがったかもしれねぇ。」
「まさか。大西さんのマンションの場所、知ってる奴は誰もいませんよ。」
「ばかやろう! 油断すんじゃねぇ。」
 大西の一喝に、千石、小沢、牟田口の3人は、それぞれ非常灯の微かな光しかない部屋の中を異常がないか、調べにまわる。ペンライトの明かりが部屋のあちこちを這い回る。
 玄関を見に行った鼻ピアスの小沢が、「ひっ! 」と短い悲鳴をあげ、後ずさりしながら引き返してくる。
「なんだ? 」
「どうしたっ? 」
 やがて、玄関の方から、全身をびっしりと金色の髪で包まれた不気味な人型が音もなく現れた。顔はまったく見えないが、頭の左右から緑色に光る大きな瞳らしきものが覗いている。背後には黒いマントらしきものの一端が見える。
「何だ? てめえは? 」
 茶髪の千石が、うろたえ気味に吠え、ポケットから大型の軍用ナイフを引き抜いて身構える。しかし、金色の髪に全身を包まれた人型は、まったく躊躇することなく近づいてくる。
 千石が反応して、ナイフを水平に払う。金色の髪の毛が数本、空中に舞った。人型の緑色の目が赤くなると、その手にノコギリのような刃をもった剣が現れた。
 千石は、それを見て、さらにナイフを振り回す。
 ギィーン! ガキッ!
 ナイフは人型の持つ剣に受け止められ、予想外に刃先同士が噛み付いたため、千石は手を離してしまう。
 あわてて後退する千石に代わり、牟田口が人型の背後に回りこんで、木刀を渾身の力で振り下ろす。
 当たるかと思ったが、ほんのわずかの差で木刀の一撃はかわされ、代わって人型の持つ刀の峰撃ちが牟田口のわき腹に叩き込まれる。
「ぐはぁっ。」
 想像以上に重量があるのか、剣の一撃は、相当の深さまで、わき腹にめり込み、牟田口は木刀を取り落として、口から泡を吹きながら床を転げ回る。
 大西たちは、非常灯の微かな明かりの中で、金色の長い髪に包まれた人型の背にあるものがマントではなく、コウモリのような羽であることに気付く。
「ば、化け物め……。」
 大西は、堂島を背後から羽交い絞めにしたまま、ベッド脇の引き出しから拳銃を取り出し、すぐさま人型に向けて発砲する。
 ガウーゥゥゥゥゥゥン
 狭い室内に銃声が反響する。
 人型の動きが止まる。当たったか?
 千石と小沢が、固まったように見守る中で、人型は、ゆっくりと振り返る。
「へへっ。コスプレなんかして、脅かしやがって……撃ってくるとは思わなかっただろう。甘いんだよ。これ以上暴れてみろ。この女に今度は鉛弾ぶち込むぞ。」
 大西が拳銃を堂島の頭に突きつけ、恫喝する。
「化けたつもりだろうが、お見通しなんだよ。助けに来たんだろ? え? 顔見せな? 」
 しかし、人型はまったく動かない。金色の長い髪で覆われた顔がのぞくこともない。赤い大きな目の上から伸びたアンテナの先が、非常灯の薄暗い室内で、怪しく緑色に光っているばかりだ。それはまるで蛍の光のようでもある。
「おいっ! この女が死んでもいいのかっ? 何とか、言え! 」
 大西が大声を張り上げる。
「大西さん……こいつ、本当に……人間なんですか? 」
 小沢が、心細げに確認する。
「あたりめぇだ。バカっ! 大方、お前たち3人を叩きのめした女か、その仲間だろう。顔隠して、コスプレなんかしてるのは、仕返しを恐れてるんだ。」
「んー。んん……。」
 さるぐつわをかまされている堂島が、懸命に言葉にならない声をあげ、小沢と千石がチラッと大西と堂島を振り返る。
 堂島の腰は片手で支えられて、下半身は大西と繋がったままだ。そのこめかみに拳銃の銃口が向けられている。
「こんな中で、よく……できますね。」
「バカ野郎。これなら手出しも出来ねぇってもんだ。一石二鳥って奴よ。ちょっとしたぐれぇでオタオタするお前たちには、無理な芸当よ。ははっ。」
 千石の皮肉に、大西が自慢げに応える。
 その卑猥な笑いが響いたとたん、人型の姿がパッと消えた。
 千石と小沢が驚いて目を剥く。
 次の瞬間、大西の拳銃を持った手は、背後から人型の手につかまれ天井に逸らされていた。
「な……んだとぉーっ。」
 太く大きな大西の手首に、白く華奢なグローブに包まれた細い指が食い込む。
 大西は渾身の力で抵抗するものの、手を下ろすことも拳銃の引き金を引くこともできない。手首からは、すさまじい激痛が走る。
トスッ!
手にしていた拳銃が、大西の土気色となった手からベッドの上に落ちて、乾いた音を立てる。
「うおぉぉぉぉぉー。ぐわあっ。」 
 ぺキキッ……ボキボキッ。
 腕の腱がひしゃげ、骨が砕ける音が室内に響き、大西の悲鳴があがる。背後で突然起こった出来事に、千石と小沢は、目を見開いて見入るしかない。
 人型は、大西の拳銃を持っていた手を掴みつぶしているのだ。なんという握力か。それだけでも、この人型が常人以上の力を持っていることがわかる。
 大西のどす黒く土気色の塊となった手が、蜂の体節のように細く絞り込まれた手首の先で、ダランと垂れ下がる。
「きひひひ……っ。いてぇなぁ。」
 大西は、残った手で人型の怪物にパンチを浴びせようとするが、そのパンチも簡単に受け止められ、バキバキと拳も一瞬に砕かれる。
 人型は、大西の首をつかむと、ベッドから引き起こして空中高く持ち上げた。
 ヌチャーッと粘っこい音がして、大西の体の一部が、堂島の胎内から引き抜かれて出てくる。
 百キロを超える体重を軽々と片手で持ち上げられているため、大西は自身の体重が首の一点で支えられる息苦しさに、手足をばたつかせる。息も絶え絶えで、声も出ない。
人型は、大西の体をそのまま、千石たちの方へ放り投げる。
 人型は、堂島の体に破れかけたブラウスをかけ、後ろ手に縛られていた両手を開放する。さるぐつわを自由になった手ではずし、驚いた様子で見上げる堂島に、人型は出口を指差す。
言葉はない。
 堂島がとまどっていると、人型怪物の目が緑色から赤く変わりはじめる。
その変化に、いらだちの感情を感じとり、堂島が弾かれたように部屋を飛び出していく。
 千石と小沢は大西の体に押しつぶされ、身動きがとれない。
牟田口は、口から泡を吹いたまま悶絶して伸びている。
 人型は、ゆっくりと堂島が出て行った玄関口に向かう。
鉄製のドアに向けて腕を上げる。
手の甲から2本の細い熱線が放たれる。
ジジジジジジ……ッ
 煙とともにペンキの焼ける匂いがただよいはじめる。鉄製のドアの縁とドア枠が溶け、混ざって赤く解けた溶岩のような鉄の雫が垂れる。人型は、部屋のドアを完全に溶接してしまうと、かき消すようにいなくなってしまった。
 大西の住むマンションには、廊下側にまったく窓がなかった。
そのため、気がついた大西たちがマンションの一室から救出されるまで、まる一日を要することになってしまったのである。

 

 

10ー(6)後悔

大西のマンション前。
黒のワゴン車で猛スピードでたどり着いた霧島たちは、マンション入口から飛び出してきた堂島に気付き、クラクションを鳴らした。
車が急停止すると同時に、助手席から榛名が飛び出し、堂島を迎える。
「こっちよ。早く。乗って。」
 半裸に近い堂島の様子を見れば、何があったか、おおよその見当はつく。
榛名は、後席のドアを開けて、堂島を入れると自分もその側に座る。
「どうする? 」
霧島がワゴン車を急発進させながら、行き先を確認する。
「とりあえず、高校前の監視用アパートに行って。このままじゃお家に連れ帰るわけにいかないでしょ。あそこなら、緊急用に、一般家庭並みの衣服が揃えられているし……。」
「了解。久々に悪党どもを叩きのめせると思ってたんだがな。」
「仕方ないでしょう。今、手元にあるのは、変装用のマスクとかだけで、この娘の着替えまでは用意してないんだから。」
榛名は、霧島との話を打ち切って、後席との間に作られたカーテンを引く。
「もう、だいじょうぶ。安心して。」
榛名が堂島の顔をお絞りで拭きながら、声をかける。
ピロリン♪
突然、携帯の着信音が鳴り、くしゃくしゃになったブラウスの中から携帯電話が車の床に落ちる。堂島が一瞬驚いたように、落ちた携帯電話を見る。
しかし、自分から拾おうとはしない。
榛名が拾い上げて、ディスプレイ表示の相手を確認する。
「由梨亜からだけど……。出る? 」
堂島は黙って首を横に振る。
「はい。こちら榛名。堂島さんは、無事よ。今一緒にいる。…………わかった。できるだけ急いで、そっちに向かうわ。」
 
「お母さん! お母さん! 」
 病室内に堂島の悲鳴にも似た声が響く。その側で堂島の新しい父親が、押し黙ったまま、椅子に腰掛けて呆けている。
 堂島の母親の傷は、ひとつひとつはたいしたものではなかった。しかし、実の娘を連れ去ろうとする相手に懸命に組み付いたため、何度も繰り返しナイフで刺されたことで、出血箇所が増えてしまったことが痛かった。
朦朧とする意識の中で、玄関まで必死に追いかけたことで、外部へ連絡する前に意識を失ったことも災いした。夫が帰ってきて発見されるまでに、命をつなぐための貴重な時間が失われたのである。
 夫へ娘の安否確認と救出を託すまでが、その意識が保たれた限界だった。
 そして、夫の手で病院へ担ぎ込まれたものの、堂島の母親は、娘の無事を確認することなく、旅立ってしまったのである。
「うわあーあああっ。」
 堂島は、ベッドで眠る母親を抱きしめ、首を左右にふって声の限り泣き喚く。もはや、その声は半狂乱に近い。父親が懸命になだめようとするが、その手を振り払って号泣する。
 堂島の大きな哀しみと絶望の泣き声が、暗い室内に響き渡り、病室は重苦しい雰囲気に沈んでいった。

 病室の外で、由梨亜は榛名とともに黙って佇んでいた。
 由梨亜は、最悪の結末に声も出ない。
病院に駆けつけるまで、堂島の母親は無事だと思い込んでいたのだ。
大西たち悪人を懲らしめたので、もう堂島も幸せに暮らせるようにしたつもりだった。しかし、ほんのわずかの差で事態は最悪の方向へ向かってしまった。
「申し訳ありません。私たちがもう少し、堂島さんの家のガードに力を入れておけば……こんなことにはならなかったのですが……。」
 由梨亜の青くなった顔を見て、榛名が謝罪する。
 病院の長椅子に榛名と並んで腰掛け、後ろの壁に頭をつけたまま、天井を黙って見つめる由梨亜の目から涙が、つーっと頬を伝い落ちる。
 声はない。黙ったままだ。
 口をポカンと開けたまま、次々と伝い落ちる涙が、由梨亜の白いブラウスの胸にポタポタと垂れて、濡れた染みを広げていく。
「由梨亜……? 」
 榛名の呼びかけにも反応はない。死んだような目、輝きを失った瞳は閉じられることなく、涙があふれるばかりだ。
「由梨亜! しっかりして! 」
 榛名に両肩をつかまれ、揺さぶられて、ようやく瞳に光が戻ってくる。
「榛名……。私は……無力です。」
 由梨亜が搾り出す弱々しい声に、榛名は返す言葉がない。
「次元超越獣を倒すこの力は……友達のお母さんを守るのに何の役にも立ちません。それとも……私のやり方が……まちがっていたのでしょうか? 何もせず……ただ黙って見ていた方が……良かったのでしょうか? そしたら、遥のお母さんは……死……。」
 言葉の最後が途切れるが、榛名は後悔の念に苛まれている由梨亜の気持ちが、痛いほどよくわかった。
「それはちがう。困っている人、助けを求めている人を助ける。それは人として当然のことだし、見て見ぬふりをする方が罪は重い。何でも自分のせいにするのは、よくない。私に言わせれば、悪いのは、あいつらであって、由梨亜は何も悪くない。」
「私には、大きな力があるの。この力を使えば、こんなことにはならなかった? 」
「よしなって。まさかあいつらを殺してしまうわけにもいかないだろう? 力で……すべてが解決できるわけじゃないんだ。」
「そっか……。殺してしまえば、良かった……? 」
 由梨亜が呆けたように立ち上がりかけ、榛名は慌ててそれを押さえる。
「ちょ……ちょっと。だから、違うって言ってるでしょ。あんたの力は、そんなことするためのものじゃないはずよ。」
由梨亜の身体に硬直が走り、息が止まったようになる。
「ゆ、由梨亜? 」
突然のことに驚いて、榛名が由梨亜の身体を揺さぶる。
「……まずい。壊れかけている……。」
「? ……え。御倉崎? 」
榛名は、由梨亜の身体に起こった異変の意味を悟る。由梨亜の人格に替わって御倉崎の人格が現れたのだ。
「……日高を呼べ。今、由梨亜を支えられるのは……あいつしかいない。」
「わ、わかった。」
榛名はあわてて携帯を取り出し、日高にコールする。
「どうするの? ここに来てもらう? 」
「時間がない。私がホールドしたまま、やつの家の玄関口まで飛ぶ! 」
榛名はコクコクとうなずく。
時間は、まだ午前4時を過ぎたところだ。日高はおそらく就寝中だろう。
プルルルッ。プッ。
「はい。日高です。」
「榛名よ! 今から由梨亜がそっち行くから、引き止めておいて! 」
「は? 由梨亜が……ここに来るんですか? どうして? 」
「説明している暇はないの! 彼女、今、精神が不安定で、何をするかわからないから……。」
「でも、私は……司令から厳重に会うことを止められているんですよ。」
「ばかやろう。恋人が死にそうなくらい辛い目にあっている時に、そんなの知るかっつーの。それでも男か? それとも何? 何度も助けてもらっているくせに……自分が助ける番になったら、関係ないとでも言う気? とにかく任せる。何かあったら、あんたのせいだからね。その時は……許さないから! 」
一方的に喋り捲って、通話を切る。
ふりかえると、由梨亜の姿はなかった。薄暗い長い病院の通路は、十分な幅が取られていて、階段やエレベーターのあるあたりまで見通すことができる。
え? 飛ぶって? 空を飛ぶわけじゃないんだ。
榛名は、改めて由梨亜の持つ驚異の力を思い知らされる。
 日高……あんたのこと信じているからね。

 

 

10ー(7)由梨亜の涙

「由梨亜! 」
 アパートのドアを開けて、外を確認しようとした日高は、驚いた。
ドアの前に由梨亜がしょんぼりと立っていた。まだ外は暗く、夜明けにはまだ遠い。
ゴロゴロ……。
遠くで雷が鳴っている。いつの間にか、雨が降り出している。
日高の住んでいるのは、アパートの最上階のため、通路側にはひさしがない。由梨亜の衣服が濡れているのは、しばらく前からここに立って、雨に濡れていたからに他ならない。
「なんで……。あ、いや、そんなところに立ってないで、入って、入って。」
由梨亜が動かないのを見てとると、日高は強引のその右手を取って、部屋に引き込む。
「そのままだと風邪ひくぞ。遠慮なんかしないで、入って。」
日高は、ドアを閉めると、玄関に由梨亜を残したまま台所へ向かう。とまどいながらも由梨亜が靴を脱いでいると、その雨で湿った頭に白いバスタオルがかぶさってくる。
「ごわごわしてるけど、この方がよく水分を吸い取ってくれるから。」
タオルの間から見ると、日高はこちらに背を向けたまま、台所のガスレンジでお湯を沸かし、ガサゴソと何か飲み物の用意をしている。
重い足取りで、台所に入ると、日高が椅子に座れと合図する。シュンシュンというお湯の沸く音が、ピーッという音に変わり、日高は火を止めて、用意したカップにお湯を注ぐ。
「コーヒーだけど……。クリームと砂糖はどうする? 」
「…………。」
由梨亜は、黙ったままだ。
「んー。疲れているみたいだから、両方入れちゃおう。甘いものはストレス解消や精神安定にもいいって言うし……ね。」
ソーサーなし。大きなマグカップに並々と注がれた熱いコーヒーが、由梨亜の前に置かれる。
デザインの違う別のマグカップを抱えて、日高が由梨亜の向かいに座る。テーブルの上には、スープの素やら、焼き海苔やらが積み重ねられ、ごちゃごちゃしている。台所の片隅には、カップめんやら持ち帰り弁当のゴミがいっぱい詰まったゴミ袋が2、3置かれている。
日高自身は、これでも一人暮らしにしては、しっかり掃除をし、きれいにしているつもりなのだが、片付けるよりも先にゴミが増えるという印象で、つい出し忘れると貯まってしまうという状況になっていた。
「ははっ。ちょーっと、片付けが間に合わなくて……ね。機動歩兵パイロットっていっても、少しだらしないとこ、見られちゃったかな。」
「いいえ! そんなこと……。日高さんは立派です。いつも次元超越獣と戦う時も、全力で戦ってるし、たくさんの命を守っています! 国防軍の兵士は、みんな……本当に立派です! 」
 由梨亜が突然、しゃべりだしたため、日高は黙って聞き入る。
「私にも、すごい力があります。でも、私は、その力にうぬぼれてしまいました。守るべき人を……守ることができなかったんです。私は……。」
「ちょっと待った! 」
 日高は、興奮気味に、なおも話し続けようとする由梨亜にストップをかける。
「守ろうとしたけど……失敗した? 」
由梨亜がうなずく。
「なるほど。その失敗で責任を感じているわけだ。」
 日高は、そこで少し間を置くために手にしたマグカップに口をつける。
「飲むといい。少し落ち着いてから、話そうか。」
 日高に勧められて、由梨亜も目の前のマグカップを手に取る。日高の入れたコーヒーは、クリームと砂糖の甘さでコーヒーの苦さが抑えられて、とても飲みやすい。冷たく凍てついた心を内から溶かしていくような温かさも、今の由梨亜には、とても心地よく感じられる。
 由梨亜が、コーヒーを飲んで少し落ち着いたのを見て、日高は何から話したものか思案する。いつも見ていて思うのだが、由梨亜は自分に厳しく、他人に頼ることを良しとしない。そして、その裏では、ストイックと表現してしまうだけでは済まない、大きな秘密を抱えて苦闘している。
一生懸命、気を張りながら日々を生き抜いているという感じで、よく毎日過ごせるなと感心するばかりである。
「誰かを助けるって……難しいよね。」
 日高は、由梨亜の反応を見ながら、言葉を選ぶ。
「例えば、沖でおぼれている人を見つけて、助けるにしても、舟を漕いでいったら間に合わない。ジェット機で……というのは、やりすぎだ。優れた機械や技術は、人を救う力にはなれるけれども万能じゃない。使い方次第だよね。
 今の例だと、ヘリコプターとかがベストだろうけど、ジェット機で飛んでいって、浮き輪を投げてあげることもできるだろうし、舟にエンジンを積んでスピードを上げることもできるだろう。でも、どれも確実に救えるかどうかは、わからない。おぼれた人を助け上げても、水を飲んで息も止まって、意識不明ということだって、よくあることだし……。
 その時は、医者が呼吸を確保したり、心臓マッサージをしたりして、命をつなぐために全力を注ぐ。
 大切な命を助けるために、みんなそれぞれの持っている力を発揮して努力する。そこに百パーセント、救えるという保証はなくても、一生懸命努力する。
あるいは、努力した。
 結果がどうなろうとも、ぼくは、そんな一生懸命な人たちの努力する心、命を救いたいという思いが、一番大切なんだと思う。」
 かなり乱暴なたとえ話だなと自分でも思いながら、それでも由梨亜が黙って聞いているのを確認して、日高は少し核心に近づける気持ちで、話を展開していく。たとえ話の内容よりも、由梨亜に気持ちが伝わるかどうかが大事だ。
「人の命を救うのしても色々な力がある。戦う武器や、医療とか。もし、人の『未来を見通す力』があったとして、『あなたは海でおぼれるから、海に行かないでください。』と言ったとしても、普通の人は誰も信じないだろう。だからといって、無理やり海へ行くのを妨害しても、人間関係がこじれるだけだ。そうなったら……こんな悲しいことはない。」
 日高は、『未来を見通す力』という言葉に、超能力者の由梨亜が強く反応するかと思っていた。しかし、意外なことに、由梨亜は黙ったままである。
 はずしたか? 
由梨亜の失敗が、由梨亜の持っている超能力、予知能力に関係するものだと思って例に出したつもりだったが、外れたようだ。それでも、ここで話の流れを変えるわけにはいかない。ここまで来ると続けるしかない。
幸いなことに、由梨亜は落ち着いて日高の話に耳を傾けているのだから。
「――僕らは、どんなにすごい力を持っていても、失敗を完全になくすことはできないと思う。人間は、神様じゃないんだから……。」
「……失敗しても……いい? 」
 由梨亜がポツリとつぶやく。
「人間だから……、失敗があって当然さ。失敗したくて、そうしたわけじゃないんだろ? だったら、がんばったけど、できませんでしたで、結果は受け入れるしかない。時々ひどいことを言う人も……中にはいるけどね。」
 由梨亜が、はーっと深いため息をつく。
「何が……あったか……聞かないの? 」
「聞いて欲しければ……。由梨亜はいつも真面目で一生懸命だから……。何があっても、信じてるよ。」
 日高は、少し冗談のようなのりで、応える。
「人より秀でた才能、技術、そして力を持っているからといって、どんなことでもできるわけじゃないし、やっていいとも限らない。すごい力ってどんなものかわからないけど、さっきの例で言うと、人がおぼれるからといって、地球から海をなくしたら、おぼれる人はなくなっても、地球という星に住む人類は滅亡してしまうかもしれない。それこそ、めちゃくちゃな話だろ。」
「…………」
 由梨亜は、マグカップを持ったまま、黙ってしまう。
「これで……2度目だ。」
 日高がポツリとつぶやく。
「え? 」
「由梨亜が、僕の前で涙を見せるのは……。」
「……失望……した? 」
「とんでもない。僕を頼ってくれて、うれしいよ。君の力になれて、本当にうれしい。それに――泣くのは恥ずかしいことじゃない。戦場なんかで、死と繰り返し向き合う時、人間は誰でも精神的にまいってしまう。特に、子どもの死と向きあうと、どうしても家族の繋がりとか、愛情とかを想像してしまって、居たたまれない気持ちになっちまう。精神的なケアの面から考えても、泣くこと、心の中に閉じ込められた思いを吐き出すことは大切なことだ。特に、由梨亜みたいに、他人を思いやれる、真面目で理想を追い求める人は、特に……ね。」
 そう言って、日高はコーヒーを飲み干す。
由梨亜は、額の前で手を組んで、黙ったままうつむく。
しばらくすると、点々と白いテーブルクロスに涙がこぼれ落ちて、染みをつくる。
声はない。泣いてもいいと言ったのだが、まだ心のロックが半分かかったままのようだ。
日高は、立ち上がると椅子に座る由梨亜の後ろから肩に手を置く。
「……思いっきり泣いていいんだよ。」
くっ。くううっ。
由梨亜が顔をあげて、日高を見上げる。必死に泣くのをこらえて、口を真一文字にかみ締めていたが、やがて日高のシャツをにぎりしめると、声をあげて泣きはじめた。
心を押しつぶすような声をあげ、哀しみを吐き出すように泣き続ける由梨亜の頭をそっとなでながら、日高は、気恥ずかしさもあって、窓の外へ目をやる。
外の雨は依然として降り続いている。
外灯の明かりを受けて降り続く雨は、チラチラと瞬いていた。

 

 

10ー08 告白3分前

 ひとしきり泣いた後、由梨亜は、恥ずかしさをごまかすように、左手の時計を確認する。男物の黒いデジタル多機能時計だ。
「意外だな。」
「え? 」
「そんなごつい時計を持ってるなんて……。もっとアクセサリーっぽい時計が好きかと思ってたのに。」
「これは……父の形見なの。」
「形見って……。ごめん。悪いこと聞いちゃったかな。」
「ううん。気にしないで。」
 二人の間をしばらく、気まずい空気が漂う。
 その空気を破ったのは、意外にも由梨亜の方だった。
「私、ここにずっといたい……。」
「……。」
「なんだか、とても疲れちゃった……。次元超越獣も学校も、もうどうでもいいって感じ……。」
「……。」
「あ……。もちろん、日高さんは別。日高さんが危ない時は、助けに……。」
「無理しなくていいよ。それに、何かあったら、妖精が……フライアが助けに来てくれる。そんな感じがするんだ。」
「……フライアのこと。好き……なの? 」
「好きとか嫌いとかじゃなくてー。そうだな。命がけで戦う戦場の戦友といったところ……かな。だから、信頼してるし――彼女に嫌われるようなこともしたくない……。」
「でも……キスした……。」
 由梨亜が少し顔を赤くしながらつぶやく。
「勘弁してくれ。……だから、これには言えない事情があるんだ。弱ったな。でも、さっきも言ったように、嫌いなわけじゃない。僕の命を救ってくれた恩人でもあるし――何もしないわけにはいかなかった。言い訳にしかならないけど……信じてほしい。」
「信じる。」
「……。」
 あまりにもあっけない言葉に、日高は耳を疑う。
「……だから……、私のことも信じて。どんなことが……あっても……。」
 由梨亜が食い入るような瞳で、日高を見つめ、やがて目を逸らす。
「どういうこと? 」
 日高の言葉に反応したのか、うつむき加減になった由梨亜の身体が、ビクッと衝撃が走ったように硬直する。そのまま沈黙の時間が過ぎていく。
「由梨亜? 」
「……ごめん。また、いつか、話す。」
うつむいたまま、由梨亜はそう言うと、急に立ち上がり、そそくさと玄関に向かう。日高の視線をあえて避けようとする感じだ。顔を見ようともしない。
「あ……え? 」
「今日はありがとう。このまま帰る。」
由梨亜の態度の急変に、日高もあわてて立ち上がり、玄関に向かう。
「まった。……送っていくよ。」
地下駐車場に止めてあるマイカーのキーを取りに、奥の部屋へ戻り、日高は急いで由梨亜の後を追って玄関を出る。
「……あれ? 」
雨は止んでいる。けれど、まだ薄暗い廊下に、すでに由梨亜の姿はなかった。
廊下から下の通りを見渡すが、それらしき姿も見えない。
「早っ。」
日高は、部屋の鍵を閉めると、エレベーターで下の階へ降りていった。しかし、結局、由梨亜の姿はどこにも見つけることはできなかった。

(第十話完)