遺状 その三

 一、杉風へ申候。久々厚志、死後迄難忘存候。不慮なる所に而相果、御暇乞不致、互に存念
   無是非事ニ存候。弥俳諧御勉候而、老後の御楽ニ可被成候。
 一、甚五兵衛殿へ申候。永々御厚情ニあづかり、死後迄も難忘存候。不慮なる所ニ而相果、
   御暇乞も不致、互ニ残念是非なき事ニ存候。弥俳諧御勉候而、老後はやく御楽可被成候。
   御内室様之不相替御懇情最後迄も悦申候。
 一、門人方、キ角は此方へ登、嵐雪を始として不残御心得可被成候。


          元禄七年十月                 自筆 はせを 朱印 

                                              ※松尾芭蕉〈1644-1694〉


竹内玄玄一著『俳家奇人談』『続俳家奇人談』抜粋  

    宗祇法師壮年の頃なりしが、ある人について、連歌のことを問はれしに、惜しいかな
    歳十歳蘭たり。連歌は二十年の功を積まざれば、その妙に至り難しと答ふ。叟曰く、
    しからば十年昼夜励みなば如何と。
 
                                               ※飯尾宗祇〈1421-1502〉

     捨女は丹波の国柏原田氏の女なり。少小より風流のきざし見ゆ。六歳の冬、
      雪の朝二の字二の字の下駄の跡 
 
                                                ※田捨女〈1633-1698〉

         われは浮世をよるべ定めず、
         あるひは野末に昼寝の夢を結び、
         あるひは山中に一村の雨を凌ぐ。      松尾芭蕉
                                               ※松尾芭蕉〈1644-1694〉

    一、わが家の俳諧に遊ぶべし。世の理屈をいふべからず。  向井去来      
                                               ※向井去来〈1651-1704〉

    一心源頭に上りての所作、柳は緑、花は紅、ただそのままにして、つねに句をいひ、
    歌を綴りて遊び申し候事に候。 
                     園女 
                                                  ※園女<1664-1726〉

   われに俳諧の師なく、また門人もなし。ただ正直なる小児の、舌しどろに言ひいだせるが、
   おのづから五七五にかなふべし。               横井也有
 
                                              ※横井也有〈1702-1783〉

   妻子をやしなふに、銭尽る時は、出でて網打ち、砂どりし、担ひ去つて都の市にひさぐ。
   帰路酒を買ひ、たのしみて詠吟すといふ。 
 
                                              ※与謝蕪村〈1716-1783〉

                               
 
                      向井去来『去来抄』

 去来曰く「蕉門に千歳不易の句、一時流行の句といふあり。是を二つに分けて教へ給へる、
 其元は一つなり。不易を知らざれば基たちがたく、流行を知らざれば風新たならず。不易
 は古によろしく、後に叶ふ句なる故、千歳不易といふ。流行は一時一時の変にして、昨日
 の風今日宜しからず、今日の風明日に用ひがたき故、一時流行とはいふ。はやる事をする
 なり。」                                    

 去来曰く「俳諧の修行は、おのが数寄たる風の先達の句を一筋に尊み学びて、一句一句に
 不審をおこし難を構ふべからず。若し、解きがたき句あらば、いかさま故あるらんと工夫
 して、或は巧者に尋ぬべし。我が俳諧の上達するにしたがひて、人の句も聞ゆるものなり。
 始めより一句一句を咎めがちなる作者は、吟味のうちに日月かさなりて、終に功のなりた
 るを見ず。」
                                                
                                          ※向井去来〈1651-1704〉



                向井去来『旅寝論』

 問ひて曰く、上手になる道筋慥かにあり。師によらず、流によらず、器によらず、畢竟句数
 多く吐したるものゝ、昨日の我に飽ける人にて上手にはなれりといへり。然れば師伝にはよ
 らざる事に侍るや。
 去来答へて曰く、勿論さもあるべし。然れどもこれは抜群の人なり。尋常の人の及びがたか
 らん。先師はもと季吟師の弟子なり。はじめその風を学び給ひ、晩年にいたり一己の風あり。
 上達して一己の風を建立する場に至りては、あながち師によらざるに似たり。その元をおし
 来たる時は、師によれり。師は針のごとく弟子は糸のごとし。針ゆがむ時は糸ゆがむ。この
 故に古より師を選らむを肝要とす。師を離れて独歩するものは、尤も一口に論じがたし。又
 善き師あれども数句を吐かず、自己に慢じて先に進む事を知らざる人は、身を終はるとも達
 人になりがたし。許六のいへる、きのふの我に飽くと、誠に善き言なり。先師もこの事折々
 物語りし給ひ侍りき。
 
                                             ※向井去来〈1651-1704〉


                        向井去来『去来抄』

  田のへりの豆つたひ行く蛍かな

 元は、先師の斧正有りし凡兆が句也。『猿蓑』撰の時、凡兆曰く「此句見る処なし。のぞく
 べし」。去来曰く「へり豆を伝ひ行く蛍火、闇夜の景色、風姿あり」と乞ふ。兆許さず。先
 師曰く「兆もし捨てば、我ひろはん。幸ひ、伊賀の句に、似たる有り。其を直し、此句とな
 さん」とて、終に万乎が句と成りにけり。
                   (※田の畝の豆つたひ行蛍かな 万乎(『猿蓑』)




                 向井去来『去来抄』

 先師曰く「一巻表より名残まで一体ならんは見苦しかるべし」.去来曰く「一巻表は無事に
 作すべし。初折の裏より名残の表半ばまでに、物数奇も曲も有るべし。半ばより名残の裏に
 かけては、さらさらと骨折らぬやうに作すべし。猶好句あらんとすれば、却て句しぶり、不
 出来なる物也。されど、末々迄席いさみありて好句の出で来らんを無理にやむるにはあらず。
 好句を思ふべからずといふ事也」。其角曰く「一巻に我句九句十句ありとも一二句好句あら
 ばよし。不残好句をせんと思ふは、却て不出来なる物也。いまだ好句なからん内は随分好句
 を思ふべし。




                        服部土芳『三冊子』

 功者に病あり。師の詞にも「俳諧は三尺の童子にさせよ。初心の句こそたのもしけれ」
 などと度々云ひ出でられしも、みな功者の病を示されしなり。実に入るに気を養ふと殺
 すとあり。気先を殺せば句気に乗らず。先師も俳諧は気に乗せてすべしとあり。相槌あ
 しく拍子をそこなふとも云へり。気をそこなひ殺す事なり。また習ふ時は、我が気をだ
 まして句をしたるよしともいへり。みな気をすかし養ふの教へなり。門人功者にはまり
 て、たゞ能き句せんと私意をたて、分別門に口を閉ぢて案じ草臥るゝなり。おのが習気
 を知らず。心の愚かなる所なり。

 師のいはく「句は天下の人にかなへる事は安し。ひとりふたりにかなゆる事かたし。人
 のためになす事に侍らばなしよからん」とたはれの詞あり。

                                       ※服部土芳〈1657-1730〉



                          服部土芳『三冊子』

  師の曰く「たとへば歌仙は三十六歩也。一歩も後に帰る心なし。行くにしたがひ、心の改ま
  るは、たゞ先へゆく心なれば也。発句の事は一座、巻の頭なれば、初心の遠慮すべし。『八
  雲御抄』にもその沙汰あり。句姿もたかく、位よろしきをすべしと、むかしより云ひ侍る。




    
                  鬼貫『独ごと』

 俳諧の道はあさきに似て深く、やすきに似てつたはりがたし。
 初心の時は浅きよりふかきに入り、至りて後はあさきに出づとか聞きし。

 いにしへの俳諧師は百日の稽古より一日の座功といひて、只会に出なん事大切に思ひ侍りし。

 ことやうの句を作りてそれを新しとおもふ人は、此道を深く尋ね見ざれば、遠きさかひに入り
 がたくや侍らん。詞は古きを用ゐ、心は新しきを用ゆ、とこそ聞きしか。
 
                                             ※上嶋鬼貫〈1661-1738〉

                    
                 与謝蕪村『歳末の弁』

 名利の街にはしり貪欲の海におぼれて、かぎりある身をくるしむ。わきてくれゆくとしの夜のあり
 さまなどは、いふべくもあらずいとうたてきに、人のかどたゝきありきて、ことごとしくのゝしり、
 あしをそらにしてのゝしりもてゆくなど、あさましきわざなれ。さとておろかなる身は、いかにし
 て塵区をのがれん。「としくれぬ笠着てわらぢはきながら」。片隅によりて此の句を沈吟し侍れば、
 心もすみわたりて、かゝる身にしあらばといと尊く、我がための摩訶止観ともいふべし。蕉翁去り
 て蕉翁なし。とし又去るや又来たるや。
   芭蕉去りてそのゝちいまだ年くれず

                                                 ※与謝蕪村<1716-1783>




 趣向の上に動く動かぬと言ふ事あり、即ち配合する事物の調和適応すると否とを言ふなり。
 例へば上十二文字または下十二字を得ていまだ外の五文字を得ざる時、色々に置きかへ見る
 べし。その置きかへるは即ち動くがためなり。
     ○○○○○雪積む上の夜の雨    凡 兆
 といふ下十二文字を得て後、上の句をさまざまに置きかへんには「町中や」「凍てつくや」
 「薄月や」「淋しさや」「音淋し」「藁屋根や」「静かさや」「苫舟や」「帰るさや」「枯
 蘆や」など如何やうにもあるべきを、芭蕉は終に「下京や」の五文字動かすべからずといひ
 しとぞ.一字一句の推敲もゆるがせにすべからざることなり。

                             『俳諧大要』第六 修学第二期

                                                  ※正岡子規〈1867-1920〉



  
                子規の誡め

 居士はかつて余らが自己の俳句をおろそかにするのを誡めてこういう事を言ったことがある。
 自分はたといどんな詰まらぬ句であっても一句でもそれを棄てるに忍びない。如何なる悪句
 でも必ずそれを草稿に書き留めておく。それは丁度金を溜める人が一厘五厘の金でも決して
 無駄にはしないというのと同じ事である。僅か一厘だから五厘だからと言ってそれを無駄に
 するような考があったら如何に沢山の収入のあるものでも金持になることは出来ない。それ
 と同じ事で、たとい如何に沢山の句を作る人でも、その句を粗略にして書きとめておかない
 ような人はとても一流の作者にはなれない。そういう点に於て私は慾張りであると。即ちこ
 の意味に於て居士は慾張りであった。執着心があった。愛があった。

                                      
                                        高浜虚子著『回想 子規・漱石』
                                ※正岡子規〈1867-1902〉高浜虚子〈1874-1959〉


 
                 子規の死を知り虚子に宛てた漱石の手紙

 文章などかき候ても日本語でかけば西洋語が無茶苦茶に出て参候。また西洋語にて認め候へば
 くるしくなりて日本語にしたくなり、何とも始末におへぬ代物と相成候。日本へ帰り候へば、

 随分の高襟党に有之べく、胸に花を挿して自転車へ乗りて御目にかける位は何でもなく候。
    倫敦にて子規の訃を聞きて
  筒袖や秋の柩にしたがはず
  手向くべき線香もなく暮の秋
  霧黄なる市に動くや影法師
  きりぎりすの昔を忍び帰るべし
  招かざる薄に帰り来る人ぞ
 皆蕪雑、句をなさず。叱正。(十二月一日、倫敦、漱石拝)

        c/o Miss Leale,81 The Chase,Clapham Common,London,S,W.より 
        麹町区富士見町四丁目八番地高浜清へ
                  〔明治三十六年二月十五日発行『ホトトギス』より〕
 
                 ※正岡子規〈1867-1902〉夏目漱石〈1867-1916〉高浜虚子〈1874-1959〉




 
 私のこのはなはだ不完全に概括的な、不透明に命題的な世迷い言を追跡する代わりに、読者はむ
 しろ直接に、たとえば猿蓑の中の任意の一歌仙を取り上げ、その中に流動するわが国特有の自然
 環境とこれに支配される人間生活の苦楽の無常迅速なる表象を追跡するほうが、はるかに明晰に
 私の言わんと欲するところを止揚するであろう。試みに「鳶の羽」の巻をひもといてみる。鳶は
 ひとしきり時雨に悩むがやがて風収まって羽づくろいする。その姿を哀れと見るのは、すなわち
 日本人の日常生活のあわれを一羽の鳥に投影してしばらくそれを客観する、そこに始めて俳諧が
 生まれるのである。旅には渡捗する川が横たわり、住には小獣の迫害がある。そうして梨を作り、 
 
 墨絵をかきなぐり、めりやすを着用し、午の貝をぶうぶうと鳴らし、茣蓙に寝ね、芙蓉の散るを
 賞し、そうして水前寺の吸い物をすするのである。                  
 このようにして一連句は日本人の過去、現在、未来の生きた生活の忠実なる活動写真であり、ま
 た最も優秀なるモンタージュ映画となるのである。これについてはさらに章を改めて詳しく論じ
 てみたいと思う。                                    
 ともかくも、俳諧連句が過去においてのみならず将来においても、必然的に日本国民に独自なも
 のであるということは、以上の不備な所説でもいくらかは了解されるであろうと思う。そうして、
 かのチャンバレーン氏やホワイトマント氏がもう少しよく勉強してかからないうちは、いくら爪
 立ちしても手のとどかぬところに固有の妙味があることも明らかになるであろうと思う。  

                                  寺田寅彦「連句雑俎」

                                                  ※寺田寅彦〈1878-1935〉





 俳諧連句については私はすでにしばしば論じたこともあるからここでは別に述べない。とにかく、
 連句に携わる人はもちろん、まだこれについて何も知らない人でも、試みに「芭蕉七部集」の岩
 波本を活動帰りの電車の中ででも少しばかりのぞいて見れば、このごろ舶来のモンタージュ術と
 本質的的に全く同型で、しかもこれに比べて比較にならぬほど立派なものが何百年前の日本の民
 衆の間に平気で行なわれていたことを発見して驚くであろう。ウンターデン・リンデンを歩いて
 いる女と、タウエンチーン街を歩いている男と、ホワイトハウスの玄関をはぎ合わせたりするよ
 うな事はそもそも宵の口のことであって、もっともっと美しい深い内容的のモンタージュはいか
 なる連句のいかなる所にも見いだされるであろう。そうしてそのモンタージュの必然的な正確さ
 から言ってもその推移のリズムの美しさから言っても、そのままに今の映画製作者の模範とする
 に足るものは至るところに見いださるるであろう。しかし現代の日本人から忘れられ誤解されて
 いる連句は本家の日本ではだれも顧みる人がない。そうして遠いロシアの新映画の先頭に立つ豪
 傑の慧眼によって掘り出され利用されて行くのを指をくわえて茫然としていなければならないの
 である。
  
                                        寺田寅彦「映画雑感 Ⅰ」

                                                 ※寺田寅彦〈1878-1935〉





  一般的に言って俳句で苦労した人の文章にはむだが少ないという傾向があるように見える。これ
 は普通字句の簡潔とか用語の選択の妥当性によるものと解釈されるようであるが、しかしそれより
 も根本的なことは、書く事の内容の取捨選択について積まれた修業の効果によるのではないかと思
 われる。俳句を作る場合のおもなる仕事は不用なものをきり捨て切り詰めることだからである。 

   こういうふうに考えて来ると、俳句というものの修業が、決して花がるたやマージャンのごとき
 遊戯ではなくてより重大な精神的意義をもつものであるということがおぼろげながらもわかって来
 る。
それと同時に作句ということが決してそう生やさしい仕事ではないことが想像されるであろう
 と思われる。
  俳句の修業はまた一面においては日本人固有の民族的精神の習得である。本編の初めに述べたよ
 うに俳句という特異な詩形の内容と形式の中に日本民族の過去の精神生活のほとんど全部がコンデ
 ンスされエキストラクトされている。これが外国人に俳句のわからない理由であると同時に日本だ
 けに俳句が存在しまた存在しなければならなかった理由である。同じ理由から俳句を研究すること
 は日本人を研究することであり、俳句を修業することは日本人らしい日本人になるために、必要で
 ないまでも最も有効な教程であり方法である。これは一見誇大な言明のようであるが実は必ずしも
 過言でないことはこの言葉の意味を玩味される読者にはおのずから明らかであろうと思われる。

   こういう意味で自分は、俳句のほろびない限り日本はほろびないと思うものである。
   
                                 寺田寅彦「俳句作法講座」

 
                                                  ※寺田寅彦〈1878-1935〉



 

  西行の像の画讃に、芭蕉は「すてはてゝ身はなき物とおもへどもゆきのふる日はさむくこそあれ
 花の降日はうかれこそすれ」と書いた。「すてはてゝ身はなき物とおもへどもゆきのふる日はさむ
 くこそあれ」の歌が、果して西行の歌であるかどうかは、もつと検討して見る必要がある。然しこ

 の歌が徳川の初期に、少くとも一部の人たちから、西行の歌として信じられてゐた事は、確実であ
 つた。芭蕉も恐らくさう思つてゐたに違ひない。それだから芭蕉は、この歌に更に「花の降日はう
 かれこそすれ」といふ短句を継ぎ足して、西行像の画讃とするのである。
 「願はくは花の本にて春死なむその如月の望月のころ」を初めとして、西行には「花」を愛する歌
 が多い。芭蕉は自分の短句で、その「花」好きの西行の心持の内部へ這入つて行き、愛情を持つて
 からかふやうな気持で、それを明るみへ持ち出した。さうして、さうする事によつて、西行への回
 向とする。然し、他人の心持の内部へ這入つて行くといふ事は、事実は、自分の心持の内部へ這入
 つて行くといふ事である。それを明るみへ持ち出すのは、所詮自分の心持の内部を明るみへ持ち出
 す事に外ならない。ーー自分は「すてはてゝ身はなき物とおも」つてゐる、然し自分は雪が降れば
 寒いと思ふ、花が降れば浮かれずにはゐられない。ーーさう言つて芭蕉は此所で、西行に即しつゝ、
 自分自身の内部を告白するのである。


                                                 小宮豊隆「芭蕉の世界」
                                                  ※小宮豊隆〈1884-1966〉



 居士は「芭蕉雑談」において、その佳句を称揚するより前に、悪句を指摘した。「芭蕉の俳句は過
 半悪句駄句を以て埋められ、上乗と称すべき者はその何十分の一たる少数に過ぎず、否、僅に可な
 る者を求むるも寥々晨星の如し」という劈頭の断案は、月並宗匠の胆を奪ったのみならず、世人を
 瞠目せしめたに相違ない。居士はその理由として、芭蕉の俳諧は古を模倣したのではなく自ら発明
 したのである、貞門、檀林の俳諧を改良したというよりも、むしろ蕉風の俳諧を創始したという方
 が当っている、その自流を開いたのは歿時を去る十年前、詩想いよいよ神に入ったのは三、四年前
 であろう、「この創業の人に向って僅々十年間に二百以上の好句を作出せよと望む。また無理なら
 ずや」といっているが、当時にあってこれを読む者は、こういう推論に耳を傾けず、一図に大胆な
 る放言としたものと思われる。
                                  柴田宵曲「評伝正岡子規」

                                                 ※柴田宵曲〈1897-1966〉



稲子麿句集
 平成二十四年壬辰
2012
  


 
   あかあかと障子くまなき初明り         Aka-aka to syauji kumanaki hatsu-akari.
   元旦や都内全域震度四              Gwantan ya tonai zen-iki shindo yon.
   おのが名の地酒持ち込む年賀かな       Ono ga na no dizake mochikomu nenga kana.
    小分せし雲丹の経巡る新年会          Kowake seshi uni no he-meguru shin-nenkwai.
   黴餅の澄まし顔なる雑煮かな          Kabimochi no sumashi-gaho naru zafuni kana.
   たづきなき国々おほし寒に入る      Tadukinaki kuniguni ohoshi kan ni iru.
   氷る日に頁あらたむ古書ありて      Kohoru hi ni page aratamu kosyo ari te.
     おめんや                       Omen-ya
   湯豆腐に小鍋恋しき倭女かな          Yudoufu ni konabe kohishiki Shidujyo kana.
   万病は風邪の神より手を清む          Manbyau ha kaze no kami yori te wo kiyomu. 
   山茶花や初折六句にとばしりて        Sazankwa ya syowori rokku ni tobashiri te.
   寒林に何打つ音の木霊かな           Kanrin ni nani utsu oto no kodama kana.
   杖引いて庭福神を巡りけり            Tsuwe hii te niha-fukujin wo meguri keri.
   香は凝りて花未だなり梅探る         Ka ha kori te hana imada nari ume saguru.
   寒梅や一輪紅きをさきがけに          Kanbai ya ichirin akaki wo sakigake ni. 

   □関口芭蕉庵 初句会        Sekiguchi Basewo-an Hatsu kukwai
             正彦(仙台)                    Masahiko(Sendai)
  加護われに四五日待つて初詣       Kago ware ni shigonichi matte hatsu-maude.
  山茶花やテニスコートの声はづむ     Sazamkwa ya tennis court no kowe hadumu.
               清律                    Seiritsu
  爪音の響き冴えたり初稽古        Tsumaoto no hibiki sae tari hatsu-geiko.
  白味噌の雑煮に慣れて二十年       Shiromiso no zafuni ni nare te nijifunen.
               りう女                     Riujyo
  七変化七之助に酔ふ初芝居        Shichihenge Shichinosuke ni yofu hatsu-shibawi.
  散り急ぐ山茶花掃きて客を待つ      Chiri-isogu sazankwa haki te kyaku wo matsu.
               四郎                     Shirou
   卒塔婆小町               Sotoba-komachi
  風邪で舞ふ小町と苦しみ二重ね      Kaze de mafu Komachi to kurushimi futagasane.
  ゆげ霞み春待ち侘びぬ湯豆腐の暖     Yuge kasumi haru machi wabi nu yudoufu no dan.
               蔦吉                      Tsutakichi
  背伸びして月と語らふ冬木立ち      Senobi shite tsuki to katarafu fuyu-kodachi.
               耋子                     Tetsushi
  山茶花や脚の短い散歩犬         Sazankwa ya ashi no mijikai sampo-inu.
  湯豆腐と聞いて徳利を二本出し      Yudoufu to kii te tokuri wo nihon dashi.
               翔眠                      Shaumin
  人肌に冷めた湯豆腐わけあひて      Hitohada ni same ta yudoufu wakeahi te.
               満足                      Michitari
  山盛の完熟金柑風邪籠り         Yamamori no kanjyuku kinkan kazegomori.
               羊斉                      Yausai
  湯豆腐を出して出される至福かな     Yudoufu wo dashi te dasareru shifuku kana.
  山茶花の花びら添へて文を出す      Sazankwa no hanabira sohe te fumi wo dasu.
               舞鶴                      Mahidoru
  山茶花や知らざる三門見つけたり     Sazankwa ya shirazaru sanmon mitsuke tari.
               慈雨                       Jiu
  山茶花の隣で黙る一夜かな        Sazankwa no tonari de damaru ichiya kana.
  ぴんとした背広の多き風邪の朝       Pin toshita sebiro no ohoki kaze no asa.
               虎論                      Koron
  ふるさとに湯豆腐かこむ温かさ       Furusato ni yudoufu kakomu atatakasa.
               眞女                       Shinjyo
  さゞんかの見る人もなき空家かな     Sazankwa no miru hito mo naki akiya kana.
  風邪ひきし祖母の古ぎぬ捨てきれず     Kaze huki shi sobo no furuginu sutekire zu.
               水仙                       Suisen
  風邪籠り気弱になりぬ義父の声      Kazegomori kiyoha ni nari nu gifu no kowe.
               羽化                       Ukwa
  風邪の神見舞に来ては長居する       Kaze no kami mimahi ni ki te ha nagawi suru.
  晩酌の父の湯豆腐ねらひうち        Banshaku no chichi no yudoufu nerahi-uchi.
               流兎                       Riuto
  湯豆腐のゆげの向かふに母を見る     Yudoufu no yuge no mukafu ni haha wo miru.
  風邪薬のまずに治す早寝かな       Kazegusuri noma zu ni nahosu hayane kana.
               悉若無            
               Syuunyan
   湯豆腐をつゝく母子の笑顔かな      Yudoufu wo tsutsuku hahako no wegaho kana.

     関口芭蕉庵初句会               Sekiguchi Basewo-an hatsukukwai
   日にあらた水仙花咲く初句会        Hi ni arata suisenkwa saku hatsukukwai.
   冬ごもり四哲供したる芭蕉堂          Fuyugomori shitetsu gushi taru Basewo-dau.

     雪六句                         Yuki rokku
   まぼろしの雪のごとくにふりにけり    Maboroshi no yuki no gotokuni furi ni keri.
  初雪によみがへりては消ゆるもの     Hatsuyuki ni yomigaheri te ha kiyuru mono.
  初雪の降りあましてや神田川       Hatsuyuki no furi-amashi te ya Kandagaha.
  雪降るや帰りを急ぐ傘の群        Yuki furu ya kaheri wo isogu kasa no mure.
  万象のしづまりにけり雪の暮       Bansyau no shidumari ni keri yuki no kure.
   降りつむや太郎の家の屋根の雪         Furitsumu ya Tarou no ihe no yane no yuki.

   大寒の茶の一服にあらたまり       Daikan no cha no ippuku ni aratamari.

   囲碁余談                Igo yodan
  ポンと打つ狸の出でて碁の一夜      Pon to utsu tanuki no ide te go no ichiya.
  腹の碁でかちかち山の狸汁         Hara no go de Kachikachiyama no tanuki-jiru.
  狸罠仕掛けて負くる笊碁かな       Tanuki-wana shikake te makuru zarugo kana.
  免状は木の葉のごとし烏鷺の森       Menjyau ha konoha no gotoshi uro no mori.

    生くることなほ許されて春立ちぬ     Ikuru koto naho yurusare te haru tachi nu.
  この里を狂女過ぎたり木の芽雨      Kono sato wo kyaujyo sugi tari konome ame.
  尻尾にて一筆候猫の恋          Shippo nite ippitsu sauro neko no kohi.


   □関口芭蕉庵 二月句会       Sekiguchi Basewo-an Nigwatsu kukwai
             慈雨                          Jiu
  立春といふやはらかな風の吹き       Rissyun to ifu yaharakana kaze no fuki.
  芽ぐむ頃次年の仕事思案せり       Megumu koro jinen no shigoto shian seri.
             光造                         Kauzau
  山茶花や迷ふ小路は行き止まり      Sazankwa ya mayofu koudi ha yukidomari.
  朝夕を職に追はるゝ間に木の芽      Asayufu wo syoku ni oharuru ma ni konome.
             水仙                         Suisen
  立春の光さす朝笑ふ声          Risshun no hikari-sasu asa warafu kowe.
  バレンタイン恋する乙女や今いづこ    Valentine kohisuru wotome ya ima iduko.
             翔眠                          Shaumin
  リボン結びバス乗り場にも春来たる    Ribbon musubi bus-noriba nimo haru kitaru.
             羊斉                          Yausai
  ランドセル春待ちかねて並びゐる     Randoseru haru machikane te narabi wiru.
  摘むよりも摘まれぬ木の芽味深し     Tsumu yori mo tsuma re nu konome adi fukashi.
             正彦(仙台)                      Masahiko(Sendai)
  春立つやより高く過ぎ明鴉        Haru tatsu ya yori takaku-sugi akegarasu.
  今年また木の芽ふくらみ津波跡      Kotoshi mata konome fukurami tsumami ato.
             四郎                          Shirou
  木の間より寒風すさむ春始め       Konoma yori kampuu susamu haru hajime.
  老木にも緑出でにし早き春        Oiki nimo midori ide ni shi hayaki haru.
             耋子                          Tetsushi
  立春やカラスの行水しぶき飛び      Risshun ya karasu no gyauzui shibuki tobi.
             羽化                          Ukwa
  焼味噌の香りそへたり山椒の実      Yakimiso no kawori sohe tari sanseu no mi.
             りう女                        Riujyo
  金目鯛睨みしまゝに煮凝りぬ       Kinmedahi nirami shi mamani nikogori nu.
  炙つたり叩いたりして乾し氷下魚     Abuttari tataitari shite hoshi-komahi.
  恋猫の乱心せしか鵺の声         Kohineko no ranshin seshi ka nue no kowe.
             眞女                          Shinjyo
  老猫の恋を忘れし寝顔かな        Oineko no kohi wo wasure shi negaho kana.
             虎論                          Koron
  行く猫や木の芽くはへて得意顔
     Yuku neko ya konome kuhahe te tokuigaho.
             舞鶴                          Mahidoru
  ニ短調はじくは猫の恋ばかり       Ni-tanteu hajiku ha neko no kohi bakari.
             流兎                          Riuto
  そのあとの行方はいかに猫の恋      Sono ato no yukuhe ha ikani neko no kohi.
             満足                         Michitari
  必死さを学べやわれら猫の恋       Hisshisa wo manabe ya warera neko no kohi.
  立春に散水栓の破裂せり         Risshun ni sansuisen no haretsu seri.
             清律                         Seiritsu
  春待ちて舞台なはやぐ緋毛氈       Haru machi te butai hanayagu himousen.
  春立ちぬ酒屋に香る朝しぼり       Haru tachi nu sakaya ni kaworu asashibori.
    
                                    

     ブータンシボリアゲハ             Bhutan shibori ageha
   貴婦人の名の蝶海をわたり来る        Kifujin no na no tefu umi wo watari kuru.

  身をこがす思ひの果てのさしもぐさ     Mi wo kogasu omohi no hate no sashi-mogusa.
   養生の灸の熱さや残り雪            Yaujyau no kiu no atsusa ya nokori-yuki.

   女子部なり考査中にも雛飾る         Joshibu nari kausachuu nimo hina kazaru.
   紫の君のあそびし雛やこれ          Murasaki no kimi no asobi shi hina ya kore.
   何ごともなき日の暮や目刺焼く        Nanigoto mo naki hi no kure ya mezashi yaku.
   手毬つく合間に土筆摘む子かな         Temari tsuku ahima ni tsukushi tsumu ko kana.

     鬼怒鳴門               Donald Keene
  君来ぬとおくのほそ道春来ぬと
        Kimi ki nu to Oku no hosomichi haru ki nu to.

    関口芭蕉庵 三月句会       Sekiguchi Basewo-an Sangwatsu kukwai
                りう女                      Riujyo
  春泥や八里は半ば関所跡         Shundei ya hachiri ha nakaba sekisyo-ato.
  梅東風や土蔵の庇とほり抜け       Umegochi ya dozau no hisashi tohorinuke.
  紅絹のいろ褪せても若き雛の顔      Momi no iro asete mo wakaki hina no kaho.
               流兎                       Riuto
  電柱の下に今年もつくしの子       Denchuu no shita ni kotoshi mo tsukushi no ko.
  ひなまつり親子三代ともに愛で      Hinamatsuri oyako sandai tomoni mede.
                四郎                       Shirou
  ひょつこりと枯葉押し分け筆の花     Hyokkorito kareha oshiwake fude no hana.
  内裏さま右や左へ雛飾り         Dairi sama migi ya hidari he hinakazari.
                正彦(仙台)                   Masahiko(Sendai)
  また来たか主役不在の雛祭り      Mata kita ka syuyaku fuzai no hinamatsuri.
  朝日さす畑にふんわり名残り雪     Asahi sasu hatake ni funwari nagoriyuki.
                満足                       Michitari
  雛酒に酔ふほど人の懐かしき       Hinazake ni yofu hodo hito no natsukashiki.
   マヨネーズくゞりて目刺し白目むく     Mayonnaise kuguri te mezashi shirome muku.
   命日           虎論                       Koron
  白酒をあふりて深く掌を合はす
       Shirozake wo afuri te fukaku te wo ahasu.
                水仙                                 Suisen
  一連の目刺し炙る夜命受く        Ichiren no mezashi aburu yo inochi uku.
  土筆といふ言葉にひかれ野に出づる   Tsukushi to ifu kotoba ni hikare no ni iduru.

                       清香                       Seikau
  雛祭り試験の朝に願ひごと       Hinamatsuri shiken no asa ni negahigoto.
  雛人形校内に吹く華の風         Hinaningyau kaunai ni fuku hana no kaze.
                耋子                      Tetsushi
  どぶろくで孫をからかふ雛祭       Doburoku de mago wo karakafu hinamatsuri.
  四人して目刺をあぶる会の後       Yonin shite mezashi wo aburu kwai no ato.
  つくしんぼ探しあぐねる野原道
       Tsukushimbo sagashi aguneru noharamichi.
                       慈雨                      Jiu
  越してきて土筆の場所も知らざりき   Koshi te ki te tsukushi no basyo mo shirazari ki.
  雛壇につまづきふくれ面なる子
       Hinadan ni tsumaduki fukuretsura naru ko.
                舞鶴                                Mahiduru
   手鏡に紅のぞく雛祭              Tekagami ni kurenawi nozoku hinamatsuri.
                       翔眠                                Shaumin
   茶碗持ち目刺見つめる食べ盛り      Chawan mochi mezashi mitsumeru tabezakari.
                       羊斉                                 Yausai
   気がつけば手のばし摘まむ雛あられ   Ki ga tsuke ba te nobashi tsumamu hina-arare.
                       羽化                                 Ukwa
   目刺つく箸のさばきや座頭市     Mezashi tsuku hashi no sabaki ya Zatouichi.
  炊きこめし野の風かをる土筆めし
     Takikome shi no no kaze kaworu tsukushi
                                                     

   光造改め光蔵            Kauzau aratame Kauzau
  蔵出の吟詠一句風光る
           Kuradashi no gin-ei ikku kaze hikaru.

                                                     
    独吟春季発句歌仙「稲子麿異変」      Dokugin Syunki Hokku Kasen 「Inagomaro Ihen」
  初折表                          Syowori Omote
   喉元を魔風春風吹きにけり        Nodomoto wo makaze harukaze fuki ni keri.
   櫻子と名乗る主治医の初診にて          Sakurako to nanoru syudii no syoshin nite.
   春寒や穿刺せし胞の釈受く        Haruzamu ya sakushi se shi hau no syaku uku.
  入院は
開花予定日今西行         Nifuwin ha kaikwa yoteibi ima-Saigyau.
   タラの芽や日本橋にて前夜酒        Taranome ya Nihombashi nite zenyazake.
   もなき末期の酒の未練哉           Hana mo naki matsugo no sake no miren kana.
  初折裏                        Syowori Ura
   春うらら戸山が原に立つ病舎       Haru urara Toyamagahara ni tatsu byausya.
  我むかし戸山の庵の
葱坊主        Ware mukashi Toyama no iho no negibauzu.
  鴎外の医務机あり
春の塵          Ougai no imudukue ari haru no chiri.
  
春風や雅人なる医師初見舞           Harukaze ya Masato naru ishi hatsu-mimahi.
   禁食は何の御沙汰ぞ春の闇           Kinsyoku ha nani no gosata zo haru no yami.
   春闘や髭を剃らせぬ髭将軍         Shuntou ya hige wo sorase nu hige-syaugen.
   沐浴し頸切らるゝや春の朝            Mokuyoku shi kubi kira ruru ya haru no asa.
   世忘れの麻酔のほとけ涅槃像         Yowasure no masui no hotoke nehanzau.
   何佛や御開帳なり顎の下            Nanibutsu ya gokaicyou nari ago no shita.
  胸深く
春の嵐の過ぐといふ        Mune fukaku haru no arashi no sugu to ifu.
  三時間見ぬ間の
いかならん       Sanjikan mi nu ma no sakura ikanaran.
  麻酔覚め此世の
に帰りけり       Masui same konoyo no haru ni kaheri keri.
  名残表                 
Nagori Omote
  無残やな青ざめて立つ
春の修羅      Muzan ya na awozame te tatsu haru no syura.
  子規の痰われを苦しむ春の宵       Shiki no tan ware wo kurushimu haru no yohi.
  乳鉢に錠すりつぶす春の夜        Nyuubachi ni jyau suri-tsubusu haru no yoru.
  頭陀袋銘一歩なり
春歩む         Dudabukuro mei Ippo nari haru ayumu.
   杖に頭陀春の行者や稲子麿           Tsuwe ni duda haru no gyaujya ya Inagomaro.
  焼鏝のしるし残れり
春の喉         Yakigote no shirushi nokore ri haru no nodo.
   鋼板の舌に味なき春野菜             Kauhan no shita ni aji naki haru-yasai.
   蕗味噌を持ち込みて妻殊勝なり        Fukimiso wo mochikomi te tsuma syusyau nari.
   凶徒わが喉突かんとす春悪夢          Kyouto waga nodo tsuka ntosu haru-akumu.
   傷口に焼酎一吹き春の夢              Kizuguchi ni seuchiu hitofuki haru no yume.
   朝寝して有難き日をいつくしむ        Asane shi te arigataki hi wo itsukushimu.
   見たし戸山が原に群れ飛ぶを        Tefu mi tashi Toyamagahara ni muretobu wo.
  名残裏                       Nagori Ura
   咲く家より来たる見舞客           Sumire saku ihe yori kitaru mimahikyaku.
   颯爽と花のマフラー退院日          Sassau to hana no muffler taiimbi.
   高層の病舎めぐりて春の風            Kausou no byausya meguri te haru no kaze.
  春望や千万の民住める都市            Shumbau ya senman no tami sumeru toshi.
   春霞まろき地平に富士筑波            Harugasumi maroki chihei ni Fuji Tsukuba.
  病得て仁に近しや
蝶生る           Yamahi ete jin ni chikashi ya tefu umaru.
  【平成二十四年四月七日先勝満尾    Heisei nijifuyonen shigwatsu nanoka sensyou mambi】
                                                      

                                                       
   独吟春季発句半歌仙「稲子麿異変予後」     Dokugin Syunki Hokku Hankasen 「Inagomaro Ihen Yogo」
  初折表                        Syowori Omote
   耐へぬきて今日迎へけり花見舞       Tahenuki te kefu mukahe keri hana-mimahi.
  花守の帰るを待ちし可憐さよ        Hanamori no kaheru wo machi shi karensa yo.
   千金の春一夜酒飲まんかな         Senkin no haru-hitoyozake noma n kana.
  有難き光を蔵す
春仕込           Arigataki hikari wo zausu haru-jikomi.
  喉越しの春の痛みに満ち足りて       Nodogoshi no haru itami ni michi tari te.
  初蝶や病上がりにも優しかり        Hatsutefu ya yami-agari nimo yasashikari.
 初折裏                        Syowori Ura
  新しき銃携へて
春野ゆく              Atarashiki jyuu tadusahe te haruno yuku.
   天に地に命のかぎりと謂ふ         Ten ni chi ni inochi no kagiri haru to ifu.
   専擅と春の瞳を洗はんか          Sensen to haru no hitomi wo araha n ka.
  春光に一糸まとはぬ美神かな        Shunkwau ni isshi matoha nu bishin kana.
  
山焼けり大いなる遺骸ありにけり      Yama yake ri ohoinaru wigai ari ni keri.
  秩父路や峠々の
春の雲           Chichibu-di ya tauge tauge no haru no kumo.
  
春耕の土やはらかき折目かな       Syunkau no tsuchi yaharakaki worime kana.
  遠き日や英霊塔の
花ざかり         Tohoki hi ya eireitafu no hanazakari.
  
タンポポの金貨なげうつ長者の子      Tampopo no kinkwa nageutsu cyaujya no ko. 
  どの寺も枝垂桜をしるべにて        Dono tera mo shidarezakura wo shirube nite.
  墨客の筆とばしるや
春の染           Bokkaku no fude tobashiru ya haru no shimi.
   肩に手に残る優しさ花疲れ           Kata ni te ni nokoru yasashisa hana-dukare. 
  【平成二十四年四月二十三日大安満尾    Heisei nijifuyonen shigwatsu nijifusannichi taian mambi】
                                                     

     神田川八句                   Kandagaha hakku
   花の雲花の筏の神田川           Hana no kumo hana no ikada no Kandagaha.
    声もなく花の津波にさらはれて       Kowe mo naku hana no tsunami ni saraha re te.
    清談や春高楼の白き壁            Seidan ya haru kaurou no shiroki kabe.
   甘酒党むらがる花の芭蕉庵          Amazaketau muragaru hana no basewo-an.
   山吹の里の名ありて濃やかに     Yamabuki no sato no na ari te komayakani.
   をさなごを呼ぶ庭ありて杏咲く      Wosanago wo yobu niha ari te anzu saku.
   忘れずに白きたんぽぽ訪ねけり      Wasure zu ni shiroki tampopo tadune keri.

   武州小川五句            Bushiu Wogaha goku.
   ふるさとは紙漉のさと小京都       Furusato ha kamisuki no sato seuKyauto.
   春の駅まぼろしばかり降り立ちて    Haru no eki maboroshi bakari ori-tachi te.
  城攻めに射干の剣の堅守あり        Shirozeme ni shaga no tsurugi no kensyu ari.
   鮎釣や檜笠忘るな太公望          Ayutsuri ya higasa wasuru na Taikoubau.
   安政の女郎うなぎを喰ひにけり      Ansei no Dyorau unagi wo kuhi ni keri.

    □関口芭蕉庵 四月句会           Sekiguchi Basewo-an Shigwatsu kukwai
               りう女                      Riujyo
  鳥羽の朝春光一本海渡る            Toba no asa syunkwau ippon umi wataru.
  高き花を盲ひし夫に語りをり          Takaki hana wo meshihi shi tsuma ni katari wori.
               正彦(仙台)                  Masahiko(Sendai)
  災ゆきて花見を待つ身気もそゞろ        Sai yuki te hanami wo matsu mi ki mo sozoro.
  匂ふ闇桜の精を独り占め            Nihofu yami sakura no sei wo hitorijime.
                水仙                       Suisen
  花見客そゞろ歩きの神田川           Hanamikyaku sozoro-aruki no Kandagaha.
  ゆく春に娘の姿かさねけり           Yuku haru ni musume no sugata kasane keri.
                満足                       Michitari
  行く春や空き部屋多き通ひ路          Yuku haru ya akibeya ohoki kayohimichi.
  花床机力士風情の痩せ比べ           Hana syaugi rikishi-fuzei no yasekurabe.
                 流兎                       Riuto
  白花のたんぽぽ負くるな余所者に        Shirobana no tampopo makuru na somono ni.
                耋子                        Tetsushi
  行く春や呑みくたびれて膝を抱く        Yuku haru ya nomikutabire te hiza wo daku.
  てふてふが風ふきよせて小波たつ        Tefutefu ga kaze fukiyose te konami tatsu.
  今年また土橋をくゞる花筏           Kotoshi mata dobashi wo kuguru hana-ikada.
                羽化                        Ukwa
  行く春を惜しみて集ふ連句衆          Yuku haru wo woshimi te tsudofu renkushifu.
  幼年や夢の中なる蝶の道            Eunen ya yume no naka naru tefu no michi.
                羊斉                        Yausai
  あちこちと紋白蝶をさがす日々        Achikochi to monshirotefu wo sagasu hibi.
                翔眠                        Shaumin
  蝶追ひて追ふては逃すもどかしさ        Tefu ohi te ofu te ha nogasu modokashisa.
  花散りぬ過ぎし月日の形見とて         Hana chiri nu sugi shi tsukihi no katami tote.
                舞鶴                         Mahiduru.
  行く春やみちのくの鬼待ちわびて        Yuku haru ya michinoku no oni machiwabi te.
                虎論                         Koron
  かの日々に君と追ひしは青き蝶         Kano hibi ni kimi to ohi shi ha awoki tefu.
  行く春や君の装束いろ褪せぬ          Yuku haru ya kimi no syauzoku iri ase nu.
                                                      

   独吟夏季発句半歌仙「稲子麿異変予後」     Dokugin kaki Hokku Hankasen 「Inagomaro Ihen Yogo」
  初折表                        Syowori Omote  
   万緑や思ふどち旅支度せよ               Banryoku ya omofu-dochi tabizitaku seyo.
   心耳にて聞くべし越の田植うた             Shinni nite kiku beshi Koshi no tauwe-uta.
   吹き上げて弥彦越えけり青嵐            Fukiage te Yahiko koe keri awo-arashi.
    一刷毛に緑雨過ぐらん佐渡近し            Hitohake ni ryoku-u sugu ran Sado chikashi.
    清流に進士を目指せ鯉幟                 Seiriu ni shinji wo mezase kohi-nobori.
   神鳴や賽の河原の石地蔵                 Kaminari ya sai no kahara no ishidizau.
  初折裏                        Syowori Ura
  旅の日や越後信濃の水芭蕉           Tabi no hi ya Wechigo Shinano no midu-baseu.
  菖蒲葺く
病院もあれ通ふべし              Syaubu fuku byauwin mo are kayofu beshi.
  耳なれぬPET検査や風薫る            Mimi nare nu PET kensa ya kaze kahoru.
  朝曇り
造影剤は隈々に             Asagumori zaueizai ha kumagumani.
  滝壺
の主はIgG4畏るべし            Takitsubo no nushi ha IgG4 osoru beshi.
  滝水
に打たれてなほす術なきか             Takimidu ni uta re te nahosu sube naki ka.
   身に巣くふ蜘蛛の細糸ひかりをり        Mi ni sukufu kumo no hosoito hikari wori.
  前世は
水月なりしか絵解見る          Zensei ha kurage nari shi ka wetoki miru.
  病のみ
若竹のごと瑞々し            Yamahi nomi wakatake no goto midumidushi.
  まゝならぬ身体髪膚
いちご喰ふ         Mama nara nu shintaihappu ichigo kufu.
  錠々に因果の胤知る蝉丸忌           Jyaujyau ni ingwa no tane shiru Semimaru-ki.
  さだめなき
蓮の浮葉のかたちよき        Sadame naki hasu no ukiha no katachi yoki.
 【平成二十四年五月十一日大安満尾    Heisei nijifuyonen gogwatsu jifuichinichi taian mambi】

    □関口芭蕉庵 五月句会           Sekiguchi Basewo-an Gogwatsu kukwai
  
                   四郎                         Shirou
   野山越え薫り運びし青あらし              Noyama koe kawori hakobi shi awo-arashi.
   大役の前日うなぎに精だのみ           Taiyaku no zenjitsu unagi ni sei danomi.
  内に入るくもを手に乗せそつと外
           Uchi ni iru kumo wo te ni nose sotsuto soto.
                       耋子                        Tetsushi
   青嵐ちぎれし小枝追ふ野猫            Awo-arashi chigire shi koeda ofu noneko.
  地蔵堂軒端にかゝるくもの網
               Dizaudau nokiba ni kakaru kumo no ami.
   三軒目うなぎの頭鯉あらひ                Sangenme unagi no kashira kohi-arahi.
                       羽化                        Ukwa
  海染めて弥彦ゆるがす青嵐
                Umi some te Yahiko yurugasu awo-arashi.
   曼荼羅に掛かる命や蜘蛛の糸           Mandara ni kakaru inochi ya kumo no ito.
  刷毛ごとに秘伝しみこむ鰻かな          Hake gotoni hiden shimikomu unagi kana.

                 正彦(仙台)                 Masahiko(Sendai)
  青嵐ラフマニノフの音符飛ぶ           Ao-arashi Rahmaninov no onpu tobu.
  春爛漫あへなくなりし友がゐる
             Haru ranman ahenaku narishi tomo ga wiru.
                りう女                       Riujyo
  青あらし牛の背に吹く那須野原          Awo-arashi ushi no se ni fuku Nasu-no-hara.
  那須岳や八幡つゝじに見えかくれ
            Nasudake ya yahata tsutsuji ni mie kakure.
                        満足                        Michitari
  青空もいないいないばあ青嵐
               Aozora mo inai inai baa awo-arashi.
   青嵐相方の出待つ測量士                  Awo-arashi ahikata no de matsu sokuryaushi.
                 舞鶴                        Mahiduru
  愛のうた空につむぐや朝の蜘蛛          Ai no uta sora ni tsumugu ya asa no kumo.
  鰻焼く間はかりかねたるハイデガー        Unagi yaku ma hakari kane taru Heidegger.
                       流兎                         Riuto
  霊山の御廟をたゝく青嵐             Reizan no gobeu wo tataku awo-arashi.
  青嵐御廟の主の目を覚ます
                 Awo-arashi gobeu no nushi no me wo samasu.
                                                      

   参道に半袖めだつ薄暑かな           Sandau ni hansode medatsu hakusyo kana.
  春霞まぼろしの世に穿く草鞋           Harugasumi maboroshi no yo ni haku waradi.
  緑蔭に栞して読む八犬伝             Ryokuin ni shiwori shite yomu Yakkenden.
  遊船に棹うた絶えて波白き            Iusen ni sawo-uta tae te nami shiroki.
  清々し無能無才を雪の下            Sugasugashi munou musai wo yuki-no-shita.
  子規虚子を千住にまねく風青し
             Shiki Kyoshi wo Sendyu ni maneku kaze awoshi.

     倫央関口芭蕉庵 嬉々             Tomohisa Sekiguchi Basewo-an Kiki
  若葉風けふのまろうど上機嫌          Wakaba-kaze kefu no maroudo jyaukigen.
  オウと言ひまた走り出す夏わらべ        Ou to ihi mata hashridasu natsu-warabe.
  眷族の座頭をさなき夏芝居            Kenzoku no zatou wosanaski natsu-shibawi.

    鳩林荘六句                   Kiurin-sau rokku
  籠に入れて帰りしあとや竹落葉          Ko ni ire te kaheri shi ato ya take-otchiba.
  武蔵野に下闇深き欅かな             Musashino ni shitayami fukaki keyaki kana.
  涼しさや防空壕のありどころ           Suzushisa ya baukuugau no aridokoro.
  縁台に翅を休めよ夏の蝶             Endai ni hane wo yasume yo natsu no tefu.
  彩りやスケツチ会の樟若葉            Irodori ya sketch-kwai no kusu-wakaba.
  梅雨入をはゞむ亭主の心ばえ           Tsuyuiri wo habamu teishu no kokorobae.

   鬼の子やちちよちちよの声あはれ            Oni no ko ya chichi yo chichi yo no kowe ahare.

   □
関口芭蕉庵 六月句会           Sekiguchi Basewo-an Rokugwatsu kukwai
               四郎                         Shirou
  在りし父句作楽しみ我れ苦作           Arishi chichi kusaku tanoshimi ware kusaku.
  日照りして乾く紫陽花梅雨待ちぬ          Hideri shite kahaku adisawi tsuyu machi nu.
  羽根を招き朱夏涼しげに飛びかふ蝶         Hane wo maneki shuka suzushigeni tobikafu tefu.
               耋子                        Tetsushi
  川釣りの竿をからかふ夏の蝶            Kahaduri no sawo wo karakafu natsu no tefu.
               有隣                        Iurin
  父の日と主役に言はれて大慌て           Chichi no hi to shuyaku ni iha re te ohoawate.
  食卓に主役不在の父の日や            Shokutaku ni syuyaku fuzai no chichi no hi ya.
               正彦(仙台)                   Masahiko(Sendai)
  露あはし梅雨入せしとはつゆ知らず         Tsuyu ahashi tsuyuiri se shi to ha tsuyu shira zu.
  炎天の揚羽みちびく野辺送り            Enten ni ageha michibiku nobe-okuri.
               眞女                        Shinjyo
  木洩れ日をさへぎる影や夏の蝶           Komorebi wo sahegiru kage ya natsu no tefu.
  父の日や新車に笑顔映りける            Chichi no hi ya shinsya ni wegaho utsuri keru.
                りう女                      Riujyo
  野萱草分け行き賽の河原かな            Nokwanzau wakeyuki sai-no-kahara kana.
  つうの里老いし与ひようの田植かな         Tuu no sato oi shi Yohyau no tauwe kana.
  里近き新樹の蔭に朱鷺孵る             Sato chikaki shinjyu no kage ni toki kaeru.
                羽化                       Ukwa
  父の日や心経の声なつかしき            Chichi no hi ya shingyau no kowe natsukashiki.
  青筋の光きらめく夏の蝶              Awosuji no hikari kirameku natsu no tefu.
                舞鶴                       Mahiduru
  梅雨うつす銅鏡恋ひしき大和かな          Tsuyu utsusu doukyau kohi shiki Yamato kana.
  酒折の道をたどるや夏の蝶             Sakawori no michi wo tadoru ya natsu no tefu.
                                             
                  
     関口芭蕉庵異聞                Sekiguchi Basewo-an Ibun
                    眞女                           Shinjyo
  雨上がり甲羅干したる子亀かな          Ameagari kafura-boshi shitaru kogame kana.
  うかうかと昼寝の子亀捉へられ
              Ukauka to hirune no kogame torahe rare.

     関口芭蕉庵小亀六句                     Sekiguchi Basewo-an Kogame rokku
   古池に銭亀生まる砂白し                  Furuike ni zenigame uma ru suna shirosi.
   延宝の亀の子なるや賜らん                Enpou no kame no ko naru ya tamahara n.
   亀の子や唯五グラムのいとけなき             Kame no ko ya tada go gramme no itokenaki.
   小亀なりちさき手足の伸び縮み              Kogame nari chisaki te-ashi no nobi chidimi.
   須彌山に登りてこける小亀かな          Shumisen ni nobori te kokeru kogame kana.
  とりあへずかめまろとよぶさつきあめ  
      Toriahezu Kamemaro to yobu satsuki ame.

     梅雨見舞三句                         Tsuyo mimahi sanku
  とみかうみ面影揺るゝ七変化                Tomi-kaumi omokage yururu shichihenge.
   梅雨寒や花束胸に見舞客                   Tsuyusamu ya hanataba mune ni mimahikyaku.
    冷酒や辛口俳談とめどなき                 Hiyazake ya karakuchi haidan tomedonaki.

     関口芭蕉庵小亀続六句                   Sekiguchi Basewo-an Kogame zoku-rokku
  音すれば首かたむくる小亀かな              Oto sure ba kubi katamukuru kogame kana.
   喰うて寝て泳ぐ銭亀みるぞよき              Kuu te ne te oyogu zenigame miru zo yoki.
  腹見せて話す間もなき小亀ぶり               Hara mise te hanasu ma mo naki kogame buri.
  亀の子のおきやがり小坊師ひとつ芸
           Kame no ko no okyagari koboshi hitotsu-gei.
   小亀いふ萬年刹那あさまだき                Kogame ifu mannen setsuna asa madaki.
   亀の子と共に劫積み過ごさばや               Kame no ko to tomoni kofu tsumi sugosa baya.

  文字摺や赤鳥庵の背戸の庭            Modizuri ya sekiteu-an no sedo no niha.
  蛇泳ぐ首に波紋をゆだねつゝ           Hebi oyogu kubi ni hamon wo yudane tsutsu.

  舶来の猫の見あぐる夏の月           Hakurai no neko no miaguru natsu no tsuki.
  送られて愛宕山過ぐ五月闇           Okura re te Atagoyama sugu satsukiyami.

   刃研ぐべし磨ぎ澄ますべし梅雨湿り          Ha togu beshi togi sumasu beshi tsuyu-jimeri.
   水無月や降りみ降らずみ余命生く         Minaduki ya furimi furazumi yomei iku.
   六月尽去来するもの止め処なく          Rokugwatsujin kyoraisuru mono tomedonaku.

   眼底の蚊ひとつ友にページ繰る         Gantei no ka hitotsu tomo ni page kuru.
   磁気感じ胸の泡たつ梅雨検診          Jiki kanji mune no aha tatsu tsuyu kenshin.

     富士見町教会                         Fujimicyau keukwai
  滴りや旧約詩篇豊かなる             Shitatari ya kiuyaku shihen yutaka-naru.
  旅終へて笑みうつくしき夏帽子
              Tabi ohe te wemi utsukushiki natsu boushi
   オルガンの御堂の式や五月雨               Organ no midau no shiki ya satsuki-ame.

   夏つばめパレスホテルを滑り出づ            Natsu-tsubame Palace Hotel wo suberi-idu.
   してもみん田舎わたらひ立葵               Shi te mo mi n winaka-watarahi tachi-afuhi.
  涼しさや末期の水の物語
                  Suzushisa ya matsugo no midu no monogatari.

   □関口芭蕉庵 七月句会            Sekiguchi Basewo-an Shichigwatsu kukwai
              慈雨                            Jiu
  立葵門ある家や祖父の意地            Tachi-afuhi mon aru ihe ya sofu no idi.
  下校てふ涼しさに子ら笑ひあひ          Gekau tefu suzushisa ni ko ra warahi-ahi.
              舞鶴                            Mahiduru
  たちあふひ古き墓には古き夢           Tachi-afuhi furuki haka ni ha furuki yume.
  夏燕天国の門颯と抜け              Natsu-tsubame tengoku no mon satsuto nuke.
  宵闇の石舞台切る涼気かな            Yohiyami no ishibutai kiru ryauki kana.
              正彦(仙台)                     Masahiko(Sendai)
  きらり見ゆ歯の色涼し球児たち          Kirari miyu ha no iro suzushi kiujitachi.
  夏燕青田と空を切り裂けり            Natsu-tsubame awota to sora wo kiri sake ri.
              羽化                           Ukwa
  軒先にチリリと揺るゝ音涼し           Nokisaki ni chiriri to yururu oto suzushi.
  旅の日や棚田飛び交ふ夏燕            Tabi no hi ya tanada tobikafu natsu-tsubame.
              満足                           Michitari
  気がつけばビールジヨツキの中にをる       Ki ga tsuke ba bier jug no naka ni woru.
  七色の手拭干せば立葵              Nana-iro no tenuguhi hose ba tachi-afuhi.
              鉄巡                            Tetsujun
  男体山空に浮かびて梅雨明けぬ          Nantaisan sora ni ukabi te tsuyu ake nu.
              りう女                            Riujyo
  いまもなほ淵くろぐろと桜桃忌          Ima mo naho fuchi kuroguroto Autau-ki.
  乗鞍やどこまで登る夏燕             Norikura ya dokomade noboru natsu-tsubame.
  べそかきて母待つ駅の立あふひ          Beso kaki te haha matsu eki no tachi-afuhi.
              四郎                            Shirou
  水の音運ぶは涼々癒し風             Midu no oto hakobu ha ryauryau iyashi-kaze.
  夏燕尾を摺り合す軒の下             Natsu-tsubame wo wo suri-ahasu noki no shita.
  葵立つ見ることはなし能舞台           Afuhi tatsu miru koto ha nashi nou-butai.
  
                                      

  国難は人災といふ褥暑かな           Kokunan ha jinsai to ifu jyokusyo kana.
  荒梅雨や火山灰地の山崩れ
                Araduyu ya kwazanbaichi no yama-kudure.

                野村四郎                          Nonura Shirou
  葵立つ見ることはなし能舞台           Afuhi tatsu miru koto ha nashi nou-butai.

   野村四郎「鉄輪」袴能              Nomura Shirou「Kanaha」hakama-nou
  直面に泥眼みたり袴能              Hitamen ni deigan mi tari hakama-nou
  鳴神や貴船の山に鬼女走る            Narukami ya Kibune no yama ni kijyo hashiru.
  蛍火に浮きては沈む鉄輪かな           Horaru-bi ni ukite ha shidumu kanaha kana,

  戸惑ひや芋に土用芽得たる朝           Tomadohi ya imo ni doyouu-me e taru asa.
  金曜の国会囲む熱帯夜             Kineu no kokukwai kakomu nettai-ya.
   モンロー忌                   Monroe-ki
  八月の五日を謎に半世紀            Hachigwatsu no itsuka wo nazo ni han-seiki.
  金髪のお熱い聖女ピン-ナップ          Kimpatsu no o-atsui seijyo pinup.
  銀幕の色香なつかしモンロー忌         Ginmaku no iroka natsukashi Monroe-ki.

   □関口芭蕉庵 八月句会            Sekiguchi Basewo-an Hachigwatsu kukwai
                慈雨                            Jiu
  まだ知らぬ人生在りてモンロー忌        Mada shira nu jinsei ari te Monroe-ki.
                有隣                            Iurin
  口許のほくろ探してモンロー忌         Kuchimoto no hokuro sagashi te Monroe-ki.
  平成のお暑いのも好きモンロー忌        Heisei no o-atsui no mo suki Monroe-ki.
                満足                             Michitari
  納涼祭ぬぐふ汗にも酒の味           Nafuryau-sai nugufu ase nimo sake no adi.
  年々に土用鰻の縁遠し             Toshidoshi ni doyou-unagi no en tohoshi.
                羽化                             Ukwa
  飽食のこの日の本になほ鰻           Hausyoku no kono Hinomoto ni naho unagi.
  鰻めし大正母の心意気             Unagi-meshi Taisyau-haha no kokoro-iki.
  涼しさや爬虫類なる貌と貌           Suzushisa ya hachuurui naru kaho to kaho.
              正彦(仙台)                   Masahiko(Sendai)
  向日葵やしぶきを空へ河童たち         Himahari ya shibuki wo sora he kappatachi.
  山深し百合のプライド誰か知る         Yama fukashi yuri no pride tare ka shiru.
                四郎                         Shirou
  こらへかね蝉のごとくになきし日び      Korahe kane semi no gotokuni naki shi hibi.
                りう女                        Riujyo
  よみがへれ土よ向日葵ならび立つ       Yomegahere tsuchi yo himahari narabi tatsu.
  井戸端や桶に鰻のもつれゐて         Idobata ya woke ni unagi no motsure wi te.
                蔦吉
                                     Tsutakichi
   命かけるものなどなくて夏日入る       Inochi kakeru mono nado naku te natsubi iru.
  かたはらに亡き人ありて遠花火        Katahara ni naki-hito ari te toho-hanabi.
    
                                     

      秋蝉日十一句               Shuusen-bi jifuikku.
    這ひだせる無尽の穴を蝉時雨         Hahidase ru mujin no ana wo semi-shigure.
    朝蝉や行きかふ人は老いにけり        Asazemi ya yukikafu hito ha oi ni keri.
    鳴きしぼり尿して飛ぶや油蝉              Naki-shibori shito shite tobu ya abura-zemi.
    たまきはる声をかぎりに蝉の空         Tama-kiharu kowe wo kagiri ni semi no sora.
    道々に蝉むくろ散る浮世かな             Michi michi ni semi-mukuro chiru uki-yo kana.
    ついばまれ無に帰す蝉の蝉ごゝろ          Tsuibama re mu ni kisu semi no semi-gokoro.
   この國に蝉の声きく余生かな         Kono kuni ni semi no kowe kiku yosei kana.
   國破れ民なきにけり秋蝉日          Kuni yabure tami naki ni keri syuusen-bi.
   名のみにて有象無象の終戦日          Na nomi nite uzau muzau no syuusen-bi.
   まぎれなき英霊塔の終戦日          Magirenaki eirei-tafu no syuusen-bi.
   傾きて流るゝ國や敗戦忌           Katamuki te nagaruru kuni ya haisen-ki.


     秋蝉日拾遺                         Shuusen-bi shifuwi
   南西にけんか島あり鳥渡る               Nansei ni kenkwa-jima ari tori wataru.
   國ぐにの草の実こぼる汀かな              Kuniguni no kusa no mi koboru nagisa kana.
   愛國の小島ひと越え秋つばめ          Aikoku no kojima hitokoe aki-tsubame.

     小平市萩山  術前見舞五句              Kodaira-shi Hagiyama jyutsugo mimahi goku
   秋暑し駅ごとに人減るごとに             Aki atsushi eki gotoni hito heru gotoni.
   ひぐらしの啼く病舎あり術近し            Higurashi no naku byausya ari jyutsu chikashi.
  杖を突く後ろ姿や秋の雲            Tsuwe wo tsuku ushirosugata ya aki no kumo.


   枕頭に明王おはす秋涼し                Chintou myauwau ohasu aki suzushi.
   秋麗テニスコートは夢つゞき          Aki urara tennis court ha yume tsuduki.

     堀之内斎場                          Horinouchi saidyau
    連綿たる死のひとつ見る極暑かな       Renmentaru shi no hitotsu miru gokusyo kana.
   身にしむや柩閉づあとさきの音        Mi ni shimu ya hitsugi todu ato saki no woto.
   喉病みし佛の骨や萩こぼる          Nodo yamishi hotoke no hone ya hagi koboru.
   帰らざる部屋となりけり障子貼る        Kahera zaru heya to nari keri syauji haru.
   残り蚊や海老蔵がほは甥なりき         Nokori-ka ya Ebizau gaho ha wohi nari ki.
   鹿児島に沼津に秋の風つれて          Kagoshima ni numadu ni aki no kaze tsure te.

     埼玉白岡                            Saitama Shirawoka
   市になる日ちかき町あり梨とゞく           Shi ni naru hi chikaki machi ari nashi todoku.
   ありの実はおのづからあるかたちして        Ari no mi ha onodukara aru katachi shite.
   Kousuiと添書したり武州産               幸水 to sohe-gaki shi tari Bushiu-san.
   裾分の梨をよろこぶ鮨屋かな             Suso-wake no nashi wo yorokobu sushiya kana.

     祝誕辰                   Shuku tanshin
  清らかに菊香りけり十八歳          Kiyorakani kiku kawori keri jifuhassai.
  新涼や現役合格指呼の間
               Shinryau ya gen-eki gafukaku shiko no kan.

     蝉四態                           Semi shitai
   蝉すがる昨日の瘤や幹太し          Semi sugaru kinofu no kobu ya miki futoshi..
  啼きやみて蝉の命は尽きにけり        Naki yami te semi no inochi ha tsuki ni keri.
  みんみんのミイラ動かず蟻群れぬ        Minmin no mirra ugoka zu ari mure nu.
  およびもて蝉のむくろをかへす子ら
         Oyobi mote semi no mukuro wo kahesu ko ra.
  
     重陽                             Chouyau
  盃かさね重陽いはふ日ぞけふは            Hai kasane cyouyau ihafu hi zo kefu ha.
  道真の衣冠ゆかしき菊の宴          Michizane no ikwan yukashiki kiku no en.
  菊の名を冠すれば佳き菊の酒
             Kiku no na wo kwansure ba yoki kiku no sake.
   菊の日や正しきことを思ふべし        Kiku no hi ya tadashiki koto wo omofu beshi.

     温め酒                            Atatamezake
   顔だせば酒温むる赤提灯                Kaho dase ba sake atatamuru aka-chauchin.

     墓参                             Haka-mawiri
   鬼火追ふ法師かしづく墓参かな        Onibi ofu hofushi kashiduku bosan kana.
  掃苔や幼帝の声いとけなき          Sautai ya eutei no kowe itokenaki.

     亀幻想                   Kame gensau
   倉敷や古書店に亀秋深し                Kurashiki ya kosyoten ni kame aki fukashi.
   二億年こともなく生き亀の秋         Niokunen kotomonaku iki kame no aki.
   龍宮の亀あゆみ行く秋の浜          Ryuuguu no kame ayumi-yuku aki no hama.
   秋澄むや純金の亀しづみゆく          Aki sumu ya jyunkin no kame shidumi-yuku.
   秋の夜や亀の寝息のやすらけく            Aki no yo ya kame no neiki no yasurakeku.
  
    九月七日男児生誕              Shichigwatsu nanoka danji seitan
  白露の玉のをのこや呱呱の声          Shiratsuyu no tama no wonoko ya koko no kowe
  みどりごは母の匂ひの桃太郎         Midorigo ha haha no nihohi no Momotarau.
  桃の実の産毛の巻毛つやゝかに        Momo no mi no ubuge no makige tsuyayakani.
  
   小平市萩山 術後見舞十句           Kodaira-shi Hagiyama jyutsugo mimahi jikku.
  聞くならく化け物屋敷すがれ虫        Kikunaraku bakemono-yashiki sugare-mushi.
  秋の夜の声恐ろし麻酔あと           Aki no yo no kowe osoroshi masuhi ato.
  露はらゝ物怪かへる夜明け前         Tsuyu harara mononoke kaheru yoake-mahe.
  コスモスや痩脛さする昼下がり
           Kosmos ya yasehagi sasuru hiru-sagari.
   末枯の歯抜耳遠みまひ来る          Uragare no hanuke mimidoho mimahi kuru.
  仙薬や月うさぎなる京の菓子         Senyaku ya tyuki usagi naru kyau no kwashi.
  秋すだれ若き日もあり談盛ん         Aki-sudare wakaki hi mo ari dan sakan.
  秋のてふ鱗粉うすし日は斜め          Aki no tefu rinpun usushi hi ha naname.
  我見たりなんぢ無辜なり栗の毬        Ware mi tari nandi muko nari kuri no mari.  
  四苦もまた伴侶なるかや濁酒の杯       Shiku mo mata hanryo naru ka ya dakusyu no hai

  南州の眉や上野の天高し            Nanshiu no mayu ya Ueno no ten takashi.
  代々の顔役ありて秋祭            Daidai no kahoyaku ari te aki-matsuri.

   健児                    Kenji
  爽やかに息づく稚児やその名健         Sahayakani ikiduku chigo ya sono na Ken.
  幼くも姉なればこの秋いかに          Wasanaku mo ane nare ba kono aki ikani.
  父母のふところ優し栗ふたつ          Chichi haha no futokoro yasashi kuri futatsu.

   甕麿五十の賀                Kamemaro gojifu no ga
  亀肥えて五十グラムや放屁虫          Kame koe te gojifu gram ya hehiri-mushi.
  草亀の藻掻き糞する秋日和           Kusagane no mogaki kusu suru akibiyori.
  秋風に親なき亀の手塩かな           Akikaze ni oya naki kame no teshiho kana.
  泳ぎつゝ飲む秋の水麿さやか          Oyogi tsutsu nomu aki no midu Maro sayaka.

  □関口芭蕉庵 九月句会            Sekiguchi Basewo-an Kugwatsu kukwai
                耋子                        Tetsushi
  重陽や孫に説法九九の算            Cyauyau ya mago ni seppou kuku no san.
  八十爺温め酒を臍に当て             Yaso-diiya atatame-sake wo heso ni ate.
  古墓の苔を洗つてなんまいだ           Furuhaka no koke wo aratte nanmaida.
  墓まゐり古き御廟に花枯れて           Haka-mawiri furuki gobeu ni hana kare te.
  萬年の秋を歩くか亀の脚            Mannen no aki wo aruku ka kame no ashi.
                四郎                        Shirou
  観ぬ菊を心で見知る重九節            Mi nu kikku wo kokoro de mishiru choukiu-setsu.
  凶払ひ温め酒は程が吉              Kyau harahi atatame-zake ha hodo ga kichi.
  金澤の先祖詣でず溺れ酒            Kanazaha no senzo maude zu oborezake.
  そよ風をともにしたがへ秋の月          Soyakaze wo tomo ni shitagahe aki no tsuki.
                舞鶴                         Mahiduru
  飛行機や光る魂墓まゐり            Hikauki ya hikaru tamashihi haka-mawiri.
  重陽に赤き烏の影はしる            Chouyau ni akaki karasu no kage hashiru.
                羽化                          Ukwa
  重陽に重なりあへる句会かな           Chouyau ni kasanari aheru kukwai kana.
  人肌を恋しがらせる温め酒           Hitohada wo kohishigara seru nukume-zake.
                慈雨                          Jiu
  重陽に大戦語る家族かな             Chouyau ni taisen kataru kazoku kana.
                正彦(仙台)                   masahiko(Sendai)
  病み上がりの友の誘ひは温め酒         Yamiagari no tomo no sasohi ha nukume-zake.
  花芙蓉ときめき隠し逢ひに行く         Hana-fuyou tokimeki kakushi ahi ni yuku.
                羊斉                          Yausai
  永らふる秘訣は菊の酒にあり           Nagarafuru hiketsu ha kiku no saka ni ari.
  温め酒呑みに呑みて気を晴らす         Nukume-zake nomi ni nomi te ki wo hatashu.
                りう女                        Riujyo
  見渡せばみな亀のごと山登る           Miwatase ba mina kame no goto yama noboru.
  汗の掌で十の字なぞる三角点          Ase no te de jifu no ji nazoru sankaku-ten.
  列車待つ間や五平餅温め酒           Ressha matsu ma ya gohei-mochi nukume-zake.
                清律                         Seiritsu
  西日にもやや草臥れて秋すだれ         Nishibi nimo yaya kutabire te aki-sudare.
  隣人の去りたる空地草の花            Rinjin no sari taru akichi kusa no hana.
  
 □                                      

   子規忌                    Shiki-ki
  電信にキテクレネギシ子規去りぬ        Denshi ni kite kure Negishi Shiki sari nu.
  子規去りて山女郎訪ふ根岸庵          Shiki sari te yama-dyorau tofu Negishi-an.
  執心のくだもの熟れよ子規忌来る        Shifushin no kudamono ureyo skiki-ki kuru.
  優長に子規忌迎ふる瓦礫われ          Iuchau ni Shiki-ki mukafuru gareki ware.
  全集の墓誌の付録や獺祭忌           Zenshifu no boshi no furoku ya dassai-ki.

   九月二十日応求録音教育勅語          Kugwatsu hatsuka motome ni ouji
                          kefuiku-chokugo wo rokuon su
  朕惟ヒ庶幾フ世ヤ秋彼岸            Chin omohi kohinegafu yo ya aki-higan.

   平成二十四年九月二十一日吟        Heisei nijifu yonen kugwatsu nijifuyokka gin
    代表戦                  Daiheu-sen
  またしても泥鰌勝つ秋日照かな        Matashitemo dodyau katsu aki-hideri kana.

   退院                    Taiwin
  萩山の木霊なつかし後ろ神          Hagiyama no kodama natsukashi ushirogami.
  出戻りや折しも娑婆は秋彼岸         Demodori ya wori shi mo syaba ha aki-higan.
  杖忘る秋のひと日や雑司が谷         Tsuwe wasuru aki no hitohi ya Zafushigaya.

   かめまろ墓参                Kamemaro bosan
  墓洗ふ傍らに亀一つをり           Haka arafu katahara ni kame hitotsu wori.
  欠伸して亀あゆみゆく墓前かな        Akubi shi te kame ayumiyuku bozen kana.
  墓拝む亀もありけり縁ありて          Haka wogamu kame mo ari keri en ari te.
  




  稲子麿句集
 平成二十三年辛卯
    2011 

   湯島天神               Yushima Tenjin
  白梅のゆかりうれしき初詣 
         Shiraume no yukari ureshiki hatsumaude.
   渋谷駅結縁              Shibuya eki Kechi-en
  
観音は脱兎のごとし年新た          Kwan-on ha datsuto no gotoshi toshi-hajime.

    内祝新米                     Uchi-ihahi shinmai
  みどりごは新米家族にてあんなる     Midorigo ha shinmai-kazoku nite an-naru.
 
   神奈川の七草なりき今朝の粥        Kanagaha no nanakusa nari ki kesa no kayu.
   とりどりに二十歳をいはふ化粧かな    Toridori ni hatachi wo ihafu kesyau kana.
   水鳥の泳ぎのまゝに水の紋         Midutori no oyogi no mama ni midu no mon.
   鴨鳴くや神田川なる川明り       Kamo naku ya Kanda-gaha naru kaha-akari.
  寒き日やくさめ一つにすがる杖
      Samuki hi ya kusame hitotsu ni sugaru tsuwe.

  ○偶成 梅三句                  Guusei Ume sanku
   紅白のいづれまさるや梅合戦        Kouhaku no idure masaru ya ume-gassen.
   北国はいま雪のなか梅ひらく        Hokkoku ha ima yuki no naka ume hiraku.
      先師を偲びて                    Senshi wo shinobi te
   雪白の梅たふとしあふぎみる        Seppaku no ume tafutoshi afugi-miru.
      

   関口芭蕉庵 初句会       Sekiguchi Basewo-an Hatsu kukwai
  床の間に吉祥草あり芭蕉像       Toko no ma ni kichijyau-sau ari Basewo-zau.
  延宝の芭蕉したしき庵の春       Enpou no Basewo shitasiki iho no haru..

   踏青や伊賀の赤坂なつかしき        Tafusei ya Iga no Akasaka natsukashiki. 
 
   大寒に一書したゝめ友誘ふ       Daikan ni issho shitatame tomo sasofu.
   稲子麿どの  正彦(仙台)      Inagomaro dono   Masahiko[Sendai]
  冬北斗遠いぬくもり母のゆび      Fuyu-hokuto tohoi nukumori haha no yubi.

  号は慈雨けふ名づけたり冬ひでり    Gau ha Jiu kefu naduke tari fuyu-hideri.


  ○観想 臘梅三句               Kwansau Rafubai sanku
  臘梅や脚下照覧合掌す         Rafubai ya kyakuka seuran gatsusyau su.
  作務読経たえず臘梅にほひけり       Samu dokyau tae zu rafubai nihohi keri.
  臘梅を法燈にして夜の塔        Rafubai wo hofutou ni shite yoru no tafu.

  寒雀すだきさへづる一樹かな     Kan-suzume sudaki saheduru ichijyu kana.
  雪に明け雪に暮るゝも春隣       Yuki ni ake yuki ni kururu mo haru-donari.   

   野村四郎「求塚」休演        Nomura Shirou「Motomeduka」kiuen
  古塚の古葉の若菜摘み残し      Furuduka no furuha no wakana tsumi nokoshi.
   入院中   野村四郎         Nifuwinchuu       Nonura Shirou
  浅き春雪の下草摘むは夢       Asaki haru yuki no shitakusa tsumu ha yume.
  
  ○追善梅三句            ○Tuizen ume sanku

  莞爾として生死をわらふ梅一輪    Kwanji to shite syauji wo warafu ume ichirin.
  梅とのみ彫らせし箸を形見にて    Ume to nomi horase shi hashi wo katami nite.
  梅の名をとゞめし酒のしたはしき   Ume no na wo todome shi sake no shitahashiki.

  ○追儺式五句            ○Tsuinashiki goku

  鬼ひしぐ仁王たのもし節分会     Oni hishigu niwau tanomoshi sechibun-we.
  護国寺や老いも若きも年の豆     Gokoku-ji ya oi mo wakaki mo toshi no mame.
  心にも鬼は棲むなり鬼は外      Kokoro nimo oni ha sumu nari oni ha soto.

  親ごゝろ子は知らぬもの鬼やらひ   Oyagokoro ko ha sira nu mono oni-yarahi.
  豆打や小さき鬼もゐるぞかし     Mame-uchi ya chihisaki oni mo wiru zo kashi.

  ○猫塚三句             ○Nekoduka sanku

  宿なしも恋はするなり猫なれば    Yadonashi mo kohi ha suru nari neko nare ba.
  猫塚や二代目は恋も知らずに     Nekoduka ya nidaime ha kohi mo shira zu ni.
  漱石を好くものもなし猫の恋     Souseki wo suku mono mo nashi neko no kohi.

  大阪や相撲甚句の春いづこ       Ousaka ya sunou-jinku no haru iduko.
    
  鉦の音に春やはらぎぬ誓閑寺     Kane no ne ni haru yaharagi nu Seikan-ji.
  光背の欠けし地蔵や春浅き      Kwauhai no kake shi dizau ya haru asaki.
  うぐひすの声のむかふの読経かな   Uguhisu no kowe no mukafu no dokyau kana.

  就中漱石愛でし木瓜の花       Nakanduku Souseki mede shi boke no hana.

  梅咲きぬ無縁仏のかたはらに     Une saki nu muenbotoke no katahara ni.
   山鹿素行墓所            Yamaga Sokau bosho.
  冴えかへる軍師の墓のありどころ   Saekaheru gunshi no haka no aridokoro.
  ふりむけば門閉ぢにけり寺の春    Hurimuke ba mon todini keri tera no haru.

  ○永日追懐四句            ○Eijitsu tsuikwai yonku
  永き日やいろいろのこと思ひ出で   Nagaki hi ya iroiro no koto omohi ide.
  あざみ野に君植ゑおきし梅一樹    Azaminoni kimi uwe-okishi ume ichijyu.
   聖フランチエスコ           
San Francesco d'Assisi
  アツシジの春の小鳥や朝の鐘     Assisi no haru no kotori ya asa no kane.
  説教の絵に梅もがな鳥帰る      Setsukeu no we ni ume mogana tori kaheru.


  ○建国記念の日 雪五句       ○Kenkoku-kinen no hi yuki goku
  あなたふと高天の原の雪景色     Ana tafuto Takama-no-hara no yuki-geshiki. 
   寸心西田幾多郎           Sunshin Nishida Kirarou
  寸心の軸掛けり雪の建国日      Sunshin no jiku kake ri yuki no kenkoku-bi.
  うけたりとおもふまもなや春の雪   Uke-tari to omofu ma mo naya haru no yuki.
  あは雪や三径おほふほどもなく    Ahayuki ya sankei ohofu hodo mo naku.
  北越のおすそわけなり江戸の雪    Hokuwetsu no osusowake nari Edo no yuki.
  
   民衆蜂起              Minsyuu houki
  春塵やフアラオの眠り覚ますらん   Shunjin ya pharaoh no nemuri samasu ran.  
  エジプトの春あらたなり五千年    Egypt no haru arata nari go-sen-nen.
  
   雪中の梅              Setsuchuu no ume
  咲き老いて今年さらなり梅の影    Saki-oite kotoshi sara nari ume no kage.

  
むばたまの春の夜の雪霏々として   Mubatama no haru no yo no yuki hihi-toshite.
  遠き灯や春の夜の雪ふりつもる    Tohoki hi ya haru no yo no yuki furi-tsumoru.
  影絶えて春の夜の橋雪もよひ     Kage tae te haru no yo no hashi yuki-moyohi.

  雪晴や雪吊の影こゝかしこ      Yukibare ya yukitsuri no kage koko-kashiko.
  雪の戸をたゝく声あり梅かをる    Yuki no to wo tataku kowe ari ume kaworu.

   仏子誕辰              Butsushi-tanshin
  入間川とりわけ仏子の草の春      Iruma-gaha toriwake butsushi no kusa no haru.
  春うらゝ仏子の里の円居かな      Haru-urara butsushi no sato no madowi kana.
   稲子麿どの  仏子(入間川)    Inagomaro dono      Butsushi(Iruma-gaha)
     尉鶲 一名 紋付鳥            Jyoubitaki ichimei montsukidori
  梅が枝に威儀を正して尉鶲       Ume-ga-we ni wigi wo tadashi te jyoubitaki.


   フランツ・リスト生誕200年    Franz Liszt seitan nihyaku nen
     メフイストワルツ          Mephistowaltz
       「村の居酒屋での踊り」        「Mura no wizakaya de no odori」
  メフイストの月冴えかへるリストの夜  Mephisto no tsuki saekaheru Liszt no yo.

  
関口芭蕉庵 二月句会      Sekiguchi Basewo-an nigwatsu kukwai
  「頼政」休演   四郎(病床)   「Yorimasa」kiuen      Shirou(byaushau)
  おぼろなる宇治橋想ふ埋れ床     Oboronaru Udihashi omofu umore-doko.
   雪の日     正彦(仙台)    Yuki no hi        Masahiko(Sendai)
  子等はしやぐ綿菓子履いて春の雪   Kora hasyagu watagwashi hai te haru no yuki.
   八王子鑓水             Hachiwauji Yarimidu  
   入試の朝     満足        Nifushi no asa      Michitari
  未明より斑雪を掻けり絹の道     Mimei yori hadara wo kake ri kinu no michi.

   漱石『明暗』絶筆          Souseki『Meian』zetsupitsu
   蕭然浄室是知音          Seuzen taru jyaushitsu kore chiin
  寒菊の花の香清き書斎かな      Kangiku no hana no ka kiyoki syosai kana.

   立春退院   四郎(杉並区永福)   Risshun Taiin    Shirou(Suginami-ku Eifuku)
  鬼は外追はれて退院福の家      Oni ha soto ohare te taiin fuku no ihe.

  七賢の琴不断なり春一番       Shichiken no koto fudan nari haru ichiban.
  ほがらほがら蒲公英の花咲きにけり  Hogara-hogara tampopo no hana saki ni keri.
  かたばみの花一輪の一会かな     Katabami no hana ichirin no ichiwe kana.
  日溜りや申し合はせて蕗の薹     Hidamari ya maushiahase te fukinotou.
  草ぐさに燈籠の下萌えわたる     Kusagusa ni tourou no shita moe wataru.
  越年の蝶みんなみに居ずまひす    Wotsunen no tefu min-nami ni wizumahi su.
  懐石に越年の蝶の習ひあり      Kwaiseki ni wotsunen no tefu no narahi ari.

  春泥や日沈む国のまつりごと     Syundei ya hi shidumu kuni no matsurigoto.

  雀の子たが声きゝてをどり来る    Suzume no ko ta ga kowe kiki te wodori kuru.
  タンポポと地を打つ音の形して    Tampopo to chi wo utsu oto no katachi shite.
  低き門ありし思ひに馬酔木さく    Hikuki mon ari shi omohi ni ashibi saku.
  しめやかに沈丁の香のうごく朝    Shimeyakani dinchau no ka no ugoku asa.

  酒船は桟敷に満てり大蛇出づ     Sakabune ha sajiki ni mite ri Orochi idu.
   
   野村四郎「屋島」復帰        Nomura Shirou「Yashima」fukki
  執心の弓引く波や春の修羅      Shifusin no yumi hiku nami ya haru no syura.

   東北関東大震災           Touhoku kwanto daishinsai
  春の海のたりと揺るゝ千年紀     Haru no umi notari to yururu sennen-ki.
  みちのくの春を飲みこむ巨濤かな   Michinoku no haru wo nomikomu kyotau kana.
  万本の蓮糸たらせ春の空       Manbon no hasu-ito tarase haru no sora.
  幽明の境も見えず春の星       Iumei no sakahi mo mie zu haru no hoshi.
    正彦(仙台)無事          Masahiko(sendai)buji
  災三日友の声きく雪の果        Sai mikka tomo no kowe kiku yuki no hate.
  花謝して大地やうやくをさまりぬ   Hana syashi te daichi yauyaku wosamari nu.
    福島第一原発事故         Fukushima daiichi gempatsu jiko
  停電にたづきも揺らぐ余寒かな    Teiden ni taduki mo yuragu yokan kana.
  むたいやな東風に散りゆく放射能   Mutai yana kochi ni chiriyuku hausyanou.
  逃水やあをひとぐさの昨日今日    Nigemidu ya awohitogusa no kinofu-kefu.

   「天罰」舌禍            「Tenbatsu」zekkwa
  角落ちて天罰受くる知事もあり    Tsuno ochite tenbatsu ukuru chiji mo ari.

  □関口芭蕉庵 三月句会 休会   Sekiguchi Basewo-an sangwatsu kukwai kiukwai

   芭蕉庵休庵              Basewo-an kiu-an
  燈籠のたふるゝ音や春の池      Tourou no tafururu oto ya haru no ike.
 
  麿曰く花に清香人に夢        Maro ihaku hana ni seikau hito ni yume.

   
   東北関東大震災           Touhoku kwantou daishinsai
          水仙                      Suisen
  米騒動われ関せずと沈丁花      Kome-saudou ware kwanse zu to dinchauge.
          清香                      Seikau
  ひと粒の米の価値しる春雀      Hitotsubu no kome no kachi shiru haru-suzume.

  
根岸稲子麿庵 三月臨時句会□   Negishi inagomaro-an sangwatsu rinji kukwai
          
光造                     Kwauzau
  七賢の酒に日のさす竹の秋      
Shichiken no sake ni hi no sasu take no aki.
               仏子                             Butsushi(Iruma-gaha)
  冷え冷えと津波の跡の春の雪     Hiebie to tsunami no ato no haru no yuki.
          りう女                    Riujyo
  三陸に春早かれともどかしく     Sanriku ni haru hayakare to modokashiku.
 
   新居通知に             Shinkyo tsuuchi ni
  春の昼たふれてもなほ箪笥町
     
Haru no hiru tafure temo naho Tansu-chau.
   
放射性沃素検出           Hausyasei youso kensyutsu
   東京都水道水「乳児は控へて」    Toukyauto suidausui「Nyuuji ha hikahe te」
  聖母子にあやなき春やもらひ水    Seiboshi ni ayanaki haru ya morahi-mudu.
   
   洛陽の学徒に            Rakuyau no gakuto ni
  青灯に京三春の愁ひあり       Seitou ni kyau sansyun no urehi ari.

   平成二十三年三月          Heisei nijifusan nen sangwatsu
  靖国の桜開花す年並に        Yasukuni no sakura kaikwa su toshinami ni.
  みちのくや花なき里の花曇り     Michinoku ya hana naki sato no hana-gumori.
  きづな追ふ桜前線北上す       Kiduna ofu sakura-zensen hokujyau su.
 
   三里に灸すうるより、松嶋の月    Sanri ni kiu suuru yori,Matsushima no tsuki
   先づ心にかゝりて          madu kokoro ni kakari te
         『おくのほそ道』                『Oku no hosomichi』
  まづかゝる松嶋の月はおぼろにて   Madu kakaru Matsushima no tsuki ha oboro nite.

   名取川を渡つて仙台に入る。      Natori-gaha wo watatte Sendai ni iru.
   あやめふく日なり。          Ayame huku hi nari.
         『おくのほそ道』                『Oku no hosomichi』
  仙台にあやめふく日や友ありて    Sendai ni ayame fuku hi ya tomo arite.
   
   生死花一重              Shauji hana hitohe
  花筏乗るも乗らぬも夢の夢      Hana-ikada noru mo nora nu mo yume no yume.
  かつ流れかつ留まりぬ花筏      Katsu nagare katsu todomari nu hana-ikada.
  目に見えぬ童子棹さす花筏      Me ni mie nu douuji sawo sasu hana-ikada.
  
   四海原発              Shikai gempatsu
  小女子や寄る辺なき身の明日おもふ  Kounago ya yorube-naki mi no asu omofu.
  あぢきなや停電ゆゑの春の闇     Adikina ya teiden yuwe no haru no yami.      

  蝶生まる人なき村の片ほとり     Tefu umaru hito naki sato no kata-hotori
  名もやさし姿さらなりツマキテフ   Na mo yasashi sugata sara nari Tsumaki-tehu.

  紫木蓮ところ得顔に妍きそふ     Shimokuren tokoroe-gaho ni ken kisofu.
  書を蝌蚪にまねぶ日もあり池浅き   Sho wo kwato ni manebu hi mo ari ike asaki.
  
  千金の春宵こぼつ余震かな      Senkin no syunseu kobotsu yoshin kana.
           羽化                     Ukwa
  春宵に【ラーメン構造】の語源問ふ  Shunseu ni【Rahumen-kouzau】no gogen tohu.

  ○下総佐倉             ○Shimofusa Sakura
   朝掘りの筍あきなふ佐倉かな     Asabori no takenoko akinafu Sakura kana.
  若葉雨ふるき城下に降りやまず    Wakaba-ame furuki jyauka ni furi yama zu.

   印旛より這ひでし鰻割く老舗      Inba yori hahi deshi unagi saku shinise.
  筍の二本生えたる稚児笑ふ
         Takenoko no nihon hae taru chigo warafu.

    ドナルド・キーン日本永住(一)    Donald Keene Nihon eidyuu(1)
  菜の花や墓処は東と定めけり     Nanohana ya bosyo ha higashi to sadame keri.

    深川不動                      Fukagaha Fudou
   深川に大護摩燻ゆる緑の週        Fukagaha ni oho-goma kuyuru midori no shiu.


  小石川後楽園 五月句会□     □Koishikaha Kourakuwen gogwatsu kukwai□  
            
 りう女                   Riujyo
  京に来てやうやう花に酔ひにけり  
Kyau ni
kite yauyau hana ni wehini keri.     
             
慈雨                    Jiu
  鯉のぼり親からまれど子は泳ぐ    Kohinobori oya karamare do ko ha oyogu.

  
           耋子                    Tetsushi
  五合飲んで箸にかゝらぬ冷奴     Gogafu non de hashi ni kakara nu hiya-yakko
             鉄巡                    Tetsujyun
  茗荷あり今宵の肴冷奴        Meuga ari koyohi no sakana hiya-yakko.
             羽化                     Ukwa
  杉の香や盥に浮かむ冷奴       Sugi no ka ya tarahi ni ukamu hiya-yakko.
              満足                    Michitari
  もろくとも四角四面の冷奴      Moroku tomo shikaku shimen no hiya-yakko.
             舞鶴                    Mahiduru
  我が誇りこの角にあれ冷奴      Waga hokori kono kado ni are hiya-yakko.
             羊斉                    Yausei
  冷奴その柔肌に恋こがれ       Hiya-yakko sono yahahada ni kohi kogare.
             流兎                     Riuto
  著我しげる庭に幾多の地震あと    Shaga sigeru niha ni ikuta no dishin ato.
             りう女                    Riujyo
  春昼を店先くらき鼈甲屋       Shunchiu wo misesaki kuraki bekkafu-ya.
             水仙                    Suisen
  夜ふけて菖蒲の香満つる仕舞風呂   Yoru fuke te syaubu no ka mitsuru shimahi-buro.
             清香                    Seikau
  朝五時にバイク音聞く立夏かな    Asa goji ni baiku-on kiku rikkwa kana.
  夏服に袖通す朝夏は来ぬ       Natsufuku ni sode tohosu asa natsu ha kinu.
             羽化                    Ukwa
  山古志の棚田とよもす雪解かな    Yamakoshi no tanada toyomosu yukige kana.
             光造                    Kwauzau
  岩崩れ杉倒れたる雪解かな      Iha kudure sugi tafure taru yukige kana.


  ○越後探春             ○Wechigo tansyun
  行く春や佐渡の島かげ海越しに    Yuku haru ya Sado no simakage umi-goshi ni.
  雪割りて名乗り出でたる越の花    Yuki wari te nanori ide taru koshi no hana.
  山深み菜の花もなき一軒家      Yama fukami hanohana mo naki ikken-ya.
  冷奴こたびの酒は八海山       Hiya-yakko kotabi no sake ha Hakkaisan.     
  応分に棚田の蛙鳴きわけり      Oubun ni tanada no kaheru nakiwake ri.

   越後では雪と桜に立夏かな      Wechigo deha yuki to sakura ni rikka kana.
  顔出して久闊を叙す水芭蕉
        Kaho dashi te kiukwatsu wo jyo su midu-baseu.

   
   十薬               ○Dokudami
   十薬や白き十字の花たふと      Dokudami ya shiroki jifuji no hana tafuto.
  林床に十薬散華ぬかづきぬ      Rinsyau ni jifuyaku sange nukaduki nu.
   熊谷守一「どくだみ草」       Kumagai Morikazu「Dokudami-sau」
  ドクダミや画仙の筆に陸離たる    Dokudami ya gwasen no fude ni rikuri taru.

   回顧  野村四郎(松涛楽屋にて)  Kwaiko  Nomura Shirou(Shoutau gakuya nite)
  見ぬ桜心で見知る芭蕉翁       Minu sakura kokoro de mishiru Baseu-wou

   風姿花伝              Fuushi kwaden             
  老骨に残りし花や薄墨の       Raukotsu ni nokori shi hana ya usuzumi no.
   四郎「善知鳥」の見ぬ舞台を     Shirou「Utou」 no mi nu butai wo
  夏立つやけふやすかたの薄ごろも   Natsu tatsu ya kefu yasukata no usu-goromo.

  ○瓜                ○Uri
  爪なしに棚はひのぼる瓜の蔓    Tsume nashi ni tana hahinoboru uri no tsuru.
  いつとなく破れすだれに瓜の花   Itsutonaku yabure-sudare ni uri no hana.
  宵に咲き朝にしほるゝ瓜子姫    yohi ni saki asa ni shihoruru Uriko-hime.
  故地おもふ胡瓜の花の黄なるかな  Kochi omofu kiuri no hana no ki naru kana.
   憶良追慕             Okura tsuibo
  瓜はみて思ひ出すなつかしきこと  Uri hami te omohidasu natsukashiki koto.
  ころび打ちねらひさだめん真桑瓜  Korobi uchi nerahi sadamen makuwa-uri.
  哈密瓜に千仏洞の渇癒えぬ     Hami-uri ni Senbutsu-dou no katsu ie nu.

  宰相の二言に揺れし早苗かな    Saisyau no nigon ni yure shi sanahe kana.

   雅之、伊勢参宮の写真に      Masayuki,Ise-sanguu no syashin ni.
  白鷺の影もかしこし五十鈴川    Shirasagi no kage mo kashikoshi Isuzu-gaha.

  ○武州越生 大高取山        ○Bushiu-Ogose Ohtakatori-yama
  登山路に墓地もありけり木下闇   Tozanro ni bochi mo ari keri koshita-yami.
  涼風や尾根づたひなる蝶の道    Ryaufuu ya wone dutahi-naru tefu no michi.
  夏の蝶無名戦士の墓を過ぐ     Natsu no tefu mumei-senshi no haka wo sugu.
  里近く小綬鶏啼くや梅雨晴間     Sato chikaku Kojyukei naku ya tsuyu-harema.

  ○本郷三丁目 津軽三味線ライヴ  ○Hongau santyau-me tsugaru-jyamisen live    
  夏流る太棹一丁江戸の夜      Natsu nagaru futozawo icchau Edo no yoru.
  冷素麺津軽三下がり啜り泣き    Hiya-saumen tsugaru-sansagari susurinaki.
  卒塔が浜海月も聞くや津軽節    Sotogahama kurage mo kiku ya tsugaru-bushi.

   偶成               Guusei
  仏の前に仏あり仏の座       Hotoke no mahe ni Hotoke ari hotoke-no-za.

   野村萬・万作「隠狸」       Nomura Man/Mansaku 「Kakushi-danuki」
  連舞も国の宝や狸汁        Tsuremahi mo kuni no takara ya tanuki-jiru.
 
  ○小石川後楽園          ○Koishikaha Kourakuwen
  恋するはいづれの花ぞあやめ草   Kohisuru ha idure no hana zo ayamegusa.
  お小姓の太刀にたはむる花菖蒲   Okosyau no tachi ni tahamuru hana-syaubu.

   『怪談』             『Kwaidan』
  芳一の耳千切りたる五月闇     Hauichi no mimi chigiri taru satsuki-yami.
  
  ○椿山荘冠木門前の蛇       ○Chinzansou kabukimonzen no hebi
  脱皮してなほ蛇体なるは什麼生   Dappi shite nafo jyatai naru ha somosan.
  清姫のよこしまへびとなりけるや  Kiyohime no yokoshima hebi to nari keru ya.
  うつくしき二尺の蛇のうねり哉    Utsukushiki nisyaku no hebi no uneri kana.
 
  ○麦               ○Mugi
  麦の穂のイシスの涙に暮れかゝる  Mugi no ho no Isis no namida ni kurekakaru.
  死なむとて落ちぬべし一粒の麦   Shinamu tote ochinu beshi hitotsubu no mugi.
  空海の錫飛ばしたり麦熟るゝ    Kuukai no syaku tobashi tari mugi ururu.
  九天より銀河落つるや冷し麦    Kiuten yori ginga otsuru ya hiyashi-mugi.

   安騎野追懐            Aki no no tsuikwai
  父の日や草壁皇子軽皇子      Chichi no hi ya Kusakebe no miko Karu no miko.

   明窓下古教照心           Meisauka kokeu seushin
  明窓下古教の心蓮開く       Meisauka kokeu no kokoro hasu hiraku.

  墨の香のにほふ硯や梅雨ぐもり   Sumi no ka no nihofu suzuri ya tsuyu-gumori.
  子よりも親が大事なり桜桃忌    Ko yori mo oya ga daiji nari Autau-ki.

 
小石川後楽園 六月句会    Koishikaha Kourakuwen rokugwatsu kukwai 
                       正彦(仙台)                Masahiko(Sendai)
   きざはしに滲み広がり五月闇       Kizahashi ni nijimi hirogari satsuki-yami.
                       耋子                      Tetsushi
   冷麦を食うて麦酒にけりをつけ     Hiyamugi wo kuu te bier ni keri wo tsuke.
                光造                Kwauzau
  冷麦は長し総理の辞めざる日     Hiyamugi ha nagashi souri no yamezaru hi.
                鉄巡                Tetsujyun
  鉄路濡れ神宮の杜五月闇       Tetsuro nure jinguu no mori satsuki-yami.
                満足                Michitari
  勝者なき敗者なき世や花菖蒲     Syousya naki haisya naki yo ya hana-syaubu.
                りう女               Riujyo
  花菖蒲香聞く人の帯に咲き      Hana-syaubu kau kiku hito no obi ni saki.
               流兎                Riuto
  父の日に夢か現の香を聞き      Chichi no hi ni yume ka utsutsu no kau wo kiki.
                千鶴                Chiduru
  父の日の反魂香に姿見ゆ       Chichi no hi no hangonkau ni sugata miyu.
                羽化                Ukwa
  父の日に香り十徳身に満つる     Chichi no hi ni kawori jitsutoku mi ni mitsuru.
               虎論                Koron
  緑窓に過ぎし日おもふ父の日よ    Ryokusau ni sugi shi hi omofu chichi no hi yo. 
                 慈雨                Jiu
  父の日に会ひて父また逃げる顔    Chichi no hi ni ahi te chichi mata nigeru kaho.
                舞鶴                Mahiduru
  まちがへて犬の名呼びて父の日は    Machigahe te inu no na yobi te chichi no hi ha.
  手をのばすにぎりしめる五月の闇   Te wo nobasu nigirishimeru satsuki no yami. 
          

  ○武州越生 大高取山(二)     ○Bushiu-Ogose Ohtakatori-yama(2) 
    一手指天一手指地              Isshu ha ten wo sashi isshu ha chi wo sasu.
   三角点海溝に斜す夏至の山      Sankaku-ten kaikou ni sya su geshi no yama.    
  棧のたもとに解けぬ雪の下      Kakehashi no tamoto ni toke nu yuki-no-shita.
  紫陽花のかなしみは藍さらに青    Adisawi no kanashimi ha awi sarani awo.
  住吉の神まつる里かじか鳴く     Sumiyoshi no kami matsuru sato kajika naku.
  ちさき実の赤く熟れたり山桜桃    Chisaki mi no akaku uretari yusura-ume.
  街道に愛想なき店皆涼し       Kaidau ni aiso naki mise mina suzushi.     

  ○那須黒羽            ○Nasu-Kurobane
  馬上ゆたか与一現る夏野原      Bajyau yutaka Yoichi araharu natsunohara.
   災害支援              Saigai shiwen
  野越する迷彩車輌雷雨撃つ      Nogoe suru meisai-syaryau raiu utsu.
  梅雨湿り野営かさねし軍靴かな    Tsuyu-jimeri yaei kasane shi gunkwa kana.

  化して世に命托すや梅雨の蝶    Kwashite yo ni inochi takusu ya tsuyu no tefu.

   尊師快気祝            Sonshi Kwaiki-ihahi
  一縷えし身は索麺の束かな     Ichiru e shi mi ha saumen no tabane kana.

  ○上州桐生            ○Jyaushiu Kirifu
  炎帝の威光ならびなき関八州    Entei no wikwau narabinaki kwan-hasshiu.
  雲気立つ赤城たのもし旱梅雨     Unki tatsu Akagi tanomoshi hideri-duyu.
  雷は包めぬ土産あしからず     Kaminari ha tsutsume nu miyage ashikarazu.
   松本竣介「街」(大川美術館)   Matsumoto Shunsuke「machi](Ohkaha bijutsukwan)
  滴りや時に抗ふ青き街       Shitatari ya toki ni aragafu awoki machi.
     
  ○奥多摩 横沢入         ○Okutama Yokosaha-iri
  恋千年式部の蛍まなかひに     Kohi sen-nen shikibu no hotaru manakahi ni.
  落ちのびし平家蛍の青火かな    Ochinobi shi Heike-botaru no awobi kana.
  かへるさの妹がしるべに飛ぶ蛍   Kaherusa no imo ga shirube ni tobu hotaru.
                  
  ○正彦(仙台)上京 上野駅    ○Masahiko(Sendai)jyaukyau Ueno-eki
  振り向けば正彦立てり夏日影    Furimuke ba Masahiko tateri natsu-hikage.

  ○鎌倉              ○Kamakura
   成就院               Jyaujyu-win
  あぢさゐの花越しに見る由比ケ浜  Adisawi no hana-goshi ni miru Yuhi-ga-hama.
   高徳院               Kautoku-win
  大仏は津波にかぶきて夏木立    Osaragi ha tsunami ni kabuki te natsu-kodachi.
  朝涼や清方消えし路地に水     Asasuzu ya Kiyokata kie shi rodi ni midu.
   松本竣介「立てる像」(神奈川県立近代美術館) Matsumoto Syunsuke「Tateru zau」
                         (Kanagaha kenritsu kindaibijyutsu-kwan)
  青年は空拳にして夏真昼       Seinen ha kuuken ni shite natsu-mahiru.
   明月院               Meigetsu-win
  涼一陣枯山水を掃きにけり     Ryau ichidin kare-sansui wo haki ni keri.
  
  大蚊に清香泡食ふ銀の匙      Gaganbo ni Seikau awa kufu Gin No Saji.

   野村四郎「雨月」         Nomura Shirou「Ugetsu」
  月漏れて津守の尉の神寂びぬ    Tsuki more te tsumori no jyou no kami sabi nu.

            齊藤一郎                Saitou Ichirou
         (セントラル愛知交響楽団)      (Sentral Aichi symphony orchestra)
  その上に少女のリボン枯芭蕉     Sono uhe ni seudyo no ribbon kare-baseu.
            稲子麿                Inagomaro
  その下に指揮者のタクト銀河序   Sono shita ni shikisya no Takt Ginga No Jyo.

  ○浅草              ○Asakusa
  鬼灯に雷除と書く御寺       Hohoduki ni kaminari-yoke to kaku otera.
  けふこゝに雷おこし季語にせん   Kefu koko ni kaminari-okoshi kigo ni sen.
  ほゝづきより赤き金魚に釣られけり Hohoduki yori akaki kingyo ni tsura re keri.
  夏ツリー武蔵の国に聳えをり    Natsu-tree Musashi no kuni ni sobie wori.

  遺憾なりかんかん照りの勘政治   Ikan nari kankan-deri no kan seidi.

  国難を祓ふ神楽の夏祭       Kokunan wo harafu kagura no natsu-matsuri.
  節電をわがもの顔に古団扇     Setsuden wo wagamonogaho ni furu-uchiha.
  尻あげてこぼれ水のむ小蟻かな   Shiri age te kobore-midu nomu koari kana.

  ○河童三句            ○Kappa sanku
  抜けやすき河童の腕よと胡瓜もぐ  Nukeyasuki kappa no ude yo to kiuri mogu.
  炎昼の河童の皮膚のなまぬるき   Enchiuu no kappa no hifu no nama-nuruki.
  河童忌や眠れぬ夜の水の音     Kappa-ki ya nemure nu yoru no midu no oto. 

  ○陸前高田松原           ○RikuzenTakata matsubara
  初蝉を一つ松に聞く人もがも    Hatsusemi wo hitotsu-matsu ni kiku hito mogamo.

  ○余震              ○Yoshin
  余震しきり帝都の夏も安からで   Yoshin sikiri Teito no natsu mo yasukara de.
  一揺れに財布をにぎる浴衣客    Hitoyure ni saifu wo nigiru yukata-kyaku. 
  緑地帯に鼠小僧の涼み顔      Ryokuchitai ni Nezumikozou no suzumi-gaho.

  ○平成二十三年七月十七日吟    ○Heisei nijifunen shichigwatsu jifushichinichi gin
   祇園会              Giwonwe
  山鉾や貞観平成の魂鎮       Yamaboko ya Dyaugwan Heisei no tama-shidume.

   青木繁展             Aoki Shigeru ten
  丹青の無明長夜に架かる虹     Tansei no mumyaudyauya ni kakaru niji.
  銛参差太古の夏の海の幸       Mori shinshi taiko no natsu no Umi No Sachi.

  青蘆に風わたりゆく湖畔かな    Awoashi ni kaze watariyuku kohan kana.
  なさぬことまだおほかりき雲の峰  Nasa nu koto mada ohokari ki kumo no mine.
  未来世を墓にとぢこめ草茂る    Miraise wo haka ni todikome kusa shigeru.

  ○横浜能楽堂            ○Yokohama nogakudau
  樋の酒に胸元濡るゝ浴衣会     Hi no sake ni munamoto nururu yukata-kwai.
   野村万作「海人」         Nomura Mansaku「Ama」
  碧一扇八龍龍宮震撼す       Heki issen hachiryuu ryuuguu shinkan su.

 □目白庭園赤鳥庵 七月句会    Mejiro-teien Sekiteu-an shichigwatsu kukwai 
            正彦(仙台)                Masahiko(Sendai)
  いざ担げ震災越えよ祭の子      Iza katsuge shinsai koe yo matsuri no ko.
              水仙                  Suisen
  照りつける太陽に負けぬ蟻一匹    Teritsukeru taiyau ni make nu ari ippiki.
              癒乃                   Yuno
  土のした地面にアリたちひそんでる Tsuchi no shita dimen ni aritachi hisonderu.
              羽化                   Ukwa
  土なかにセシウム蟻の不憫かな   Tsuchi naka ni cesium ari no fubin kana.
              光造                   Kwauzau
  心病みて貌喰ひ破る蟻の夢      Kokoro yami te kaho kuhiyaburu ari no yume.
             舞鶴                  Mahiduru
  曇天の河童忌ぎらり水光る     Donten no Kappa-ki girari midu hikaru.
             鉄巡                  Tetsujyun
  河童忌を知るひと如何に田端駅   Kappa-ki wo shiru hito ikani Tabata-eki.
              耋子                  Tetsushi
  入間川花火背にして冷し酒     Irumagaha hanabi se ni shite hiyashizake.
  ベクレルと聞いて団扇の風を止め   Becquerel to kii te uchiha no kaze wo tome.
 
             清香                  Seikau
  あふぐ手に熱素生まるゝ団扇かな  Afugu te ni nesso umaruru uchiha kana.
              慈雨                  Jiu
  白団扇あふぐを知らぬ子が回し   Shiro-uchiha afugu wo shira nu ko ga mahashi.
              虎論                  Koron
  笑ふ子ら手には団扇の彩りよ    Warafu ko ra te ni ha uchiha no irodori yo.
              清律                   Seiritsu
  客席に団扇のゆれて浴衣会     Kyakuseki ni uchiha no yure te yukata-kwai.
              羊斉                   Yausei
  翔べぬ者団扇が骨をだに持たず   Tobe nu mono uchiha ga hone wo dani mota zu.
              りう女                  Riujyo
  翁も見よ虹かゝりたり衣川      Wou mo miyo niji kakari tari Koromo-gaha.
  蟾のゐて嗤ふ声あり老の家     Hiki no wi te warafu kowe ari oi no ihe.

  ○平成二十三年七月三十日吟    ○Heisei nijifunen shichigwatsu sanjifunichi gin
   山田倫央御目見得         Yamada Tomohisa omemie
             稲子麿                   Inagomaro
  若君は当年一歳夏盛ん        Wakagimi ha taunen issai natsu sakan.
             鉄巡                  Tetsujyun
  這へば立て立てば歩めの夏座敷   Hahe ba tate tate ba ayume no natsu-zashiki.
             稲子麿                   Inagomaro
  直参の詰合はせたる大暑かな     Dikisan no tsumeahasetaru taisyo kana.
             鉄巡                  Tetsujyun
  旗本に風も涼しき御慶かな     Hatamoto ni kaze mo suzushiki gyokei kana.

   倫央三景             Tomohisa sankei
  ねめまはしわつと泣きだす兜虫   Nememahashi watto nakidasu kabutomushi.
  這ひ這ひの合間あひまに昼寝して  hahihahi no ahima ahima ni hirune shite.
  腹掛は金太郎掛なりいざ組まん   Haragake ha Kintarou-gake nari iza kuman.


  ○森戸海岸            ○Morito kaigan
             稲子麿                   Inagomaro
  泡盛や琉球の空海の色       Awamori ya Riukiu no sora umi no iro.
  弁天の島より暮るゝ夏の海     Benten no shima yori kururu natsu no umi.
  江の島や森戸の浜の夕涼み      Enoshima ya Morito no hama no yufu-suzumi.
  湘南の夕焼やさし小舟がち     Shaunan no yufuyake yasashi kobune gachi.
    腕に「呑」の極印   光造        Ude ni 「don」 no Gokuin    Kwauzau
   夏風邪や酒みな汗になりて出づ   Natsukaze ya sake mina ase ni nari te idu.
  水枕耳には遠き夏の海
          Midumakura mimi ni ha tohoki natsu no umi.

   夢になすび名もなつかしき酒亭かな  Yume ni nasubi na mo natsukashiki shutei kana.
   茄子摘みて皮剥きをれば汁煮立つ  Nasu tsumi te kaha muki wore ba shiru nitatsu.
   金沢八景             Kanazaha hakkei
  朝餉には鴫焼もあり浜の宿     Asage ni ha shigiyaki mo ari hama no yado.
   墨堤逍遥             Bokutei seueu
  梅若の塚は近きや鉦叩
           Umewaka no tsuka ha chikaki ya kanetataki.

   公園の猫の眼は蚊に喰はれけり   Kouwen no neko no me ha ka ni kuhare keri.
   
   ○今日はけふ                ○Kefu ha kefu
  今日はけふ終戦日はた敗戦日    Kefu ha kefu syuusenbi hata haisenbi.
   蝉しぐれ遙拝すべきかたもなく   Semi-shigure euhai subeki kata mo naku.
  空蝉を故意に集むる少女見つ 
    Utsusemi wo koi ni atsumuru seudyo mitsu.
  まつろはぬ原子になづむ施餓鬼かな Matsuroha nu genshi ni nadumu segaki kana.
   未開なる科学信ぜし国の秋     Mikai naru kwagaku shinze shi kuni no aki.
   
  ○蓼科断想            ○Tateshina Dansau
  新涼の蓼科に行く命生く      Shinryau no Tateshina ni yuku inochi iku.
  人の世を忘れ忘られ老いの秋    Hito no yo wo wasure wasurare oi no aki.
  山蝉の声しめりけり朝の窓      Yamazemi no kowe shimeri keri asa no mado.
  蓼科の雲より白し蕎麦の花     Tateshina no kumo yori shiroshi soba no hana.
  秋澄みて蓼科山の正座かな     Aki sumite Tateshina-yama no seiza kana.

  麦草の峠あらすな草もみぢ     Mugikusa no tauge arasu na kusa-momidi.
  雲片々あはれ秋なり水潺々      Kumo henpen ahare aki nari midu sensen.
  
   埼玉白岡             Saitama Shirawoka
  朝もぎの幸水といふ賜ひ物     Asamogi no Kausui to ifu tamahi-mono.

   洛陽早稲田            Rakuyau Waseda
  古書ひさぐ店の客われ秋暑し    Kosyo hisagu mise no kyaku ware aki atsushi.
  古書八年みのりの秋を迎へけり   Kosyo hachinen minori no aki wo mukahe keri.
  古書甘露早稲田うるほす主かな   Kosyo kanro Waseda uruhosu aruji kana.
    
   芭蕉を愛す、英国国教会の大執事  Baseu wo aisu,eikoku kokukeukwai no dai-shitsuji
   マイケル・イプグレーブ      Michael Ipgrave
  秋めくや奥の細道はてもなし   Akimeku ya Oku no Hosomichi hate mo nashi.

  ○白昼夢             ○Hakutiumu 
  泉水を翡翠よぎる白昼夢     Sensui wo kahasemi yogiru hakutiumu. 
  風鐸の音聴きし日は昔にて     Fuutaku no oto kiki shi hi ha mukashi nite.
  永からぬ命の歌を秋の蝉     Nagakara nu inochi no uta wo aki no semi.

   平成二十三年八月二十六日吟    Heisei nijifusannen hachigwatsu nijifurokunichi gin
  退陣の日やしばし神鳴りやまず  Taidin no hi ya shibashi kami nariyama zu.

  関口芭蕉庵 八月句会
   Sekiguchi Basewo-an hachigwatsu kukwai 
             正彦(仙台)            Masahiko(Sendai)
   新涼や駆け出さうかな散歩道   Shinryau ya kakedasau kana sampomichi.
   母の味茄子炒りたまご真似できず  Haha no adi nasu-iritamago mane deki zu.
   鉦叩抜き足差し足餓鬼の頃    Kanetataki nukiashi sashiashi gaki no koro.
             清律               Seiritsu
   夏ゆきぬ紙上に友の名見えぬまゝ Natsu yuki nu shijyau ni tomo no na mie nu mama.
   新涼や袂にあそぶ風さらり    Shinryau ya tamoto ni asobu kaze sarari.
             幸子               Sachiko
   露のせて草草揺らす秋の風    Tsuyu nose te kusagusa yurasu aki no kaze.
             眞女                Shinjo
   空高しベイブリッジに舞ふ鳶   Sora takashi bay-bridge ni mafu tombi.

    贈有隣      稲子麿      Zou Iurin       Inagomaro
   こもごもによき隣びと秋はじめ  Komogomo ni yoki tonaribito aki hajime.
             有隣                   Iurin
   ぼけ茄子やよき隣人とよき出会ひ Boke-nasu ya yoki rinjin to yoki deahi.

             千鶴                  Chiduru       
   水茄子のさみどりはしるすり生姜 Midunasu no samidori hashiru suri-syauga.
   逝きし人しのぶよすがの鉦叩   Yuki shi hito shinobu yosuga no kanetataki.
             耋子                  Tetsushi
   秋鮭を骨までしゃぶる燗冷    Akijyake wo hone made syaburu kan-zamashi.
   秋暑し歳時記棚に売れ残り    Aki atsushi saijiki tana ni ure nokori.
             羽化                  Ukwa
   蓼科や霏々とあらはる秋の蝶   Tateshina ya hihi to araharu aki no tefu.
             満足                   Michitari
   客果てて酒酢になりき鉦叩    Kyaku hate te sake su ni nari ki kanetataki.
   金色のスウィートポテト涼新た  Konjiki no sweet potato ryau arata.
             清香                   Seikau 
   泰平を成すといはれしなすび哉   Taihei wo nasu to ihare shi nasubi kana.
   折戸なす家康公も食したり     Worito nasu Iheyasu-kou mo syokushi tari.
             光造                  Kwauzau       
   鉦叩何を叩けばあのやうな    Kanetataki nani wo tatake ba ano yauna.
             水仙                   Suisen     
   茄子漬を食む楽しさやひるげどき  Nasuduke wo hamu tanoshisa ya hirugedoki.
   母便り箱の茄子だす夕げどき   Haha-dayori hako no nasu dasu yufugedoki.
             慈雨                  Jiu
   研究も煮え詰まりたり秋の蝉   Kenkiu mo nie-tsumari tari aki no semi.
             鉄巡                  Tetsujyun
   早朝の空つきぬけて秋涼し    Sauteu no sora tsukinuke te aki suzushi.
             りう女                  Riujyo
   日盛りや獅子ねむりゐる日本橋  Hizakari ya shishi nemuri wiru Nihon-bashi.
   雨ふりて小手指ケ原かねたたき  Ame furi te Kotesashi-ga-hara kanetataki.

    倫央関口芭蕉庵三景       Tomohisa Sekiguchi Basewo-an sankei
   乳飲子を包みそだてよ芭蕉の葉  Chinomigo wo tsutsumi sodateyo baseu no ha.
   床の間に翁も見守る運動会    Tokonoma ni Wou mo mimamoru undou-kwai.
   都電にて団栗ころころ帰りけり  Toden nite donguri korokoro kaheri keri.

    野村四郎「石橋」        Nomura Shirou「Shakkyo]
   新涼や獅子の座すゑし鏡の間   Shinryau ya shishi no za suwe shi kagami no ma.

    平成二十三年八月二十九日吟   Heisei nijifusannen hachigwatsu nijifukunichi gin
    代表戦              Daiheu-sen
   団栗のせいくらべ何と泥鰌勝ち  Donguri no sei-kurabe nanto dozeu kachi.   

    杏はひはひ           An hahihahi
   いつの日か恋路はひはひ赤とんぼ Itsu no hi ka kohidi hahihahi aka-tombo.

    祝清香誕辰    稲子麿    Syuku Seikau-tanshin    Inagomaro
   十七歳けふを初めの九月かな   Jifunana-sai kefu wo hajime no ku-gwatsu kana.
   爽やかに少女の夢の夢つゞき   Sahayaka ni seudyo no yume no yume tsuduki.
             清香                   Seikau
   秋澄むやわが誕辰にわが師あり  Aki sumu ya waga-tanshin ni waga-shi ari.

    ドナルド・キーン日本永住(二)   Donald Keene Nihon eidyu(2)   
   国籍を得て住む国の秋九月    Kokuseki wo e te sumu kuni no aki ku-gwatsu.

    『墨汁一滴』          『Bokujifu-Itteki』
   漱石を早稲田に訪ひし子規忌かな  Souseki wo Waseda ni tohi shi Shiki-ki kana.
   苗の実の米になること知るや君   Nahe no mi no kome ni naru koto shiru ya kimi.

   全山をわがもの顔に法師蝉    Zenzan wo wagamonogaho ni hofushizemi.   
   秋蝉や籠を持つ子もなかりけり  Shiusen ya kago wo motsu ko mo nakari keri.
   ことごとに仰向き死ぬる蝉あはれ Kotogotoni afumuki shinuru semi ahare.

    東北関東大震災半年       Touhoku kwantou daishinsai hannen
   みちのくに稲穂少なし津波ゆゑ  Michinoku ni inaho sukunashi tsunami yuwe.
   あきづ嶋わきて蜻蛉の豊かなれ  Akidushima wakite tombo no Yutaka nare.
   地震国あすはわが身の秋なるに  Dishinkoku asu ha wagami no aki naru ni.   
   
    9.11               9.11
   パンドラの箱に希望の秋ありや  Pandora no hako ni kibau no aki ari ya.
   この世紀この十年の秋は何    kono seiki kono jifunen no aki ha nani.
   露の世に国と教への垣根かな   Tsuyu no yo ni kuni to osihe no kakine kana.

   雲の峰則天去私とそびえけり   Kumo no mine sokutenkyoshi to sobie keri.
   どの子にも親がついたる祭かな  Dono ko ni mo oya ga tsui taru matsuri kana.
   
    神田川祭日           Kandagaha saijitsu
   路地うらに子供神輿の幼な声   Rodi-ura ni kodomo-mikoshi no wosana-gowe.
   神田川神輿ゆきかふ小橋うへ   Kandagaha mikoshi yukikafu kobashi-uhe.
   神輿きて野良猫まどふ水神社   Mikoshi ki te noraneko madofu sui-jinjya.  
   
   朝市は週二日なり秋日和     Asa-ichi ha shiu futsuka nari akibiyori.
   言問へば紅あづまといふ甘藷かな Koto-toheba beni-aduma to ifu kansyo kana.   
   余儀なくて芋名月の名のまゝに  Yoginaku te imomeigetsu no na no mama ni.
   月満ちて地球を照らす秋なかば  Tsuki michi te chikiu wo terasu aki nakaba.
   
    さいたま市立病院        Saitama shiritsu-byauin
   秋草や秩父嶺ちかく富士とほく   Akikusa ya Chichibu-ne chikaku Fuji tohoku.
   点滴に耐えし腕見る残暑かな    Tenteki ni tae shi ude miru zansyo kana.
   場つなぎに客の掘り出す芋俳句   Batsunagi ni kyaku no horidasu imo-haiku.
   稲田なき見沼用水ひた走る    Inada naki Minuma-yousui hita-hashiru.

   粒々に神は宿りて稲穂垂る    Rifurifu ni kami ha yadori te inaho taru.
   原子力神話に病みし稲の国    Genshiryoku shinwa ni yami shi ine no kuni.
   稲の穂を神に供ふもおそれあり  Ine no ho wo kami ni sonafu mo osore ari.
    大江健三郎ら呼びかけ      Ohoe Kenzaburou-ra yobikake
   脱原発デモ都心ゆくけふ子規忌  Datsu-gempatsu demo toshin yuku kefu Shiki-ki.
   フクシマと名のある柿をくひにけり Fukushima to na no aru kaki wo kuhi ni keri.
   熊野路は今なほ険し秋出水    Kumano-di ha ima naho kehashi aki-demidu.     

   おもふこと日に異につもり秋彼岸 Omofu koto hi ni ke ni tsumori aki-higan.
    偲倭女             Shidujyo wo shinobu      
   形見なる雪月花の書秋彼岸     Katami naru setsugetsukwa no syo aki-higan.

   あやまたず十月ざくら咲きにけり Ayamata zu jifugwatsu-zakura saki ni keri.
   手つなぎの母子慕はし木の実降る Te-tsunagi no hahako shitahashi konomi furu.

   関口芭蕉庵 九月句会   Sekiguchi Basewo-an kugwatsu kukwai 
             四郎                     Shirou
   彼の岸に到りて見たり彼岸花   Kano kishi ni itari te mi tari higanbana.
   そよ風に寛に舞ひたる稲穂かな   Soyokaze ni kwan ni mahi taru inaho kana.
             蔦吉                      Tsutakichi
   たゞ急げ吾亦紅咲く秋の野へ   Tada isoge waremokou saku aki no no he.
             光造                      Kwauzau
   葡萄酒の真紅飲み干し秋彼岸    Budaushu no shinku nomihosu aki-higan.
             耋子                     Tetsushi
   川とんぼ流れ落葉を道づれに    Kaha-tombo nagare-ochiba wo michidure ni.
   あをさぎが草葉の蔭の秋彼岸    Awosagi ga kusaba no kage no aki-higan.
             正彦(仙台)                 Masahiko(Sendai) 
   停車場のコスモス揺れて君去りぬ Teisyaba no kosmos yure te kimi sari nu.
   大空へつながりとんぼ昇り行き   Ohozora he tsunagari-tombo nobori yuki.
   稲の香を海まで運べ明日の風    Ine no ka wo umi made hakobe asu no kaze.
             清律                      Seiritsu
   幾百の鈴ころがして秋の風    Ikuhyaku no suzu korogashi te aki no kaze.
   日あたりの栗青々と太りたる   Hiatari no kuri awoawo to futori taru.
             舞鶴                     Mahiduru
   秋彼岸文字をつづりし祖父のゆび  Aki-higan moji wo tuduri shi sofu no yubi.
             羊斉                     Yausei
   その眼疑ふ鬼なきおにやんま   Sono me utagafu oni naki oniyanma.
             りう女                    Riujyo
   立ちねぷたむつ原発の文字ゆらぐ  Tachi-neputa Mutsu-genpatsu no moji yuragu.
   の森ひらり日差しか秋蝶か   Buna no mori hirari hizashi ka akitefu ka.
   稲の秋女ばかりの津軽線      Ine no aki wonna bakari no Tsugaru-sen.
             羽化                      Ukwa
   アキアカネ群れとぶさきの空のいろ Akiakane muretobu saki no sora no iro.
   ひとつ籠三本寄り添ふ小松茸   Hitotsu-kago sambon yorisofu ko-matsutake.
             清香                      Seikau
   とんぼ追ひ駆け出す子供の帽子舞ふ Tombo-ohi kakedasu kodomo no boushi mafu.
             水仙                     Suisen
   秋彼岸参詣の顔晴ればれと    Aki-higan sankei no kaho harebare to.
   風そよぐ黄金の地よ稲の波    Kaze soyogu waugon no chi yo ine no nami,
             鉄巡                     Tetsujyun
   多磨村に人多かりけり秋彼岸   Tama mura ni hito ohokari keri aki-higan.
   大津の秋怪しき電車走り来て   Ohotsu no aki ayashiki densha hashiri ki te.         
     
    秋夜題狐狸           Shiuya kori ni dai-su.
   長堤に狐の嫁入曼珠沙華     Tyautei ni kitsune no yome-iri manjyuasyage.
   小狐のとんでかくるゝ曼珠沙華  Kogitsune no tonde kakururu manjyuasyage. 
   白蔵や山家の菜は油揚げ     Hakuzau ya yamaga no sai ha abura-age.
   狸すみ和尚もすめり葛の寺    Tanuki sumi wosyau mo sumeri kuzu no tera.
   仏なる狸たふとし葛かへる    Hotoke naru tanuki tafutoshi kuzu kaheru.
   弘法の筆は狸ぞ秋の声      Koubofu no fude ha tanuki zo aki no kowe.

    近況報告            Kinkyau houkoku
   露の世を露の世なりにきのふ今日 Tsuyu no yo wo tsuyu no yo nari ni kinofu kefu.

    日光山門前           Nikkwauzan monzen 
   秋風や五左衛門より酒を買ふ   Akikaze ya Gozawemon yori sake wo kafu.
    学習院光徳小屋           Gakushifuwin Kwautokugoya  
   光徳に秋の燈ひとつ客未だ    Kwautoku ni aki no hi hitotsu kyaku imada.
   山小屋の縁にも主ちゝろ鳴く   Yamagoya no en nimo aruji chichiro naku.
   秋の蜂ひと寄らば刺す軒の先   Aki no hachi hito yora ba sasu noki no saki.
   世のうれひ集めてこゝに秋の湖  Yo no urehi atsume te koko ni aki no umi.
   山高し天なほ高し日光佳し    Yama takashi ten naho takashi Nikkwau yoshi.
   楚々として白樺たてり水の秋   Soso toshite shirakaba tateri midu no aki.

   秋の燈に餅負ふ姫や杏一歳    Aki no hi ni mochi ofu hime ya An issai.
    女生徒に木犀に風たゆたひて   Jyoseito ni mokusei ni kaze tayutahi te.

    万作を観る会「太鼓負」     Mansaku wo miru kwai 「Taiko ohi」
   日の傘に鼓腹撃壌豊の秋     Hi no kasa ni kofuku-gekijyau toyo no aki.

   関口芭蕉庵 十月句会
   □Sekiguchi Basewo-an jifugwatsu kukwai□ 
               蔦吉                  Tsutakichi
   この秋にめぐりあひけり金木犀 Kono aki ni meguriahi keri kin-mokusei.
               正彦(仙台)              Masahiko(Sendai)
   金木犀君のコロンに恋をして   Kin-mokusei kimi no Cologne ni kohi wo shi te.
               翔眠                  Syaumin
   垣根越し木犀小町たゞよひて   Kakinegoshi mokusei-komachi tadayohi te.
               羊斉                  Yausei
   誘はれて香る木犀恋慕ふ     Sasohare te kaworu mokusei kohi shitafu.
               清香                  Seikau
   風に散り砂金のごとし金木犀   Kaze ni chiri sakin no gotoshi kin-mokusei.
               流兔                  Riuto
   木犀の花の終はりは金の座蒲   Mokusei no hana no wohari ha kin no zabu.
               光造                  Kwauzau
   木犀に溺るゝ者は死を愛す   Mokusei ni oboruru mono ha shi wo aisu.
               耋子                  Tetsushi
   木犀や古墓ならぶ垣根内    Mokusei ya furuhaka narabu kakine-uchi.
               羽化                   Ukwa
   山の辺の道々かをる金木犀   Yamanobe no michi-michi kaworu kin-mokusei.
               有隣                   Iurin
   宇宙まで届けきんもくせいの香よ Uchiu made todoke kin-mokusei no ka yo.
               正彦(仙台)               Masahiko(Sendai)
   秋の燈やいつもの家路速足に  Aki no hi ya itsumo no iheji haya-ashi ni.
               鉄巡                  Tetsujyun
    東北被災者仮住まひ      Touhoku hisaisha kari-zumahi
   秋の燈やこゝ赤坂に瞬けり   Aki no hi ya koko Akasaka ni matatake ri.
               水仙                  Suisen
   秋燈や秒針響くひとり部屋   Shiutou ya beushi hibiku hitori-beya.
   秋燈下難問解くや子の背中   Shiutou-ka nanmon toku ya ko no senaka.
               清香                  Seikau
   蟋蟀の声聞こゆれど化学式   Kohorogi no kowe kikoyure do kwagaku-shiki.
               耋子                  Tetsushi
   ほろ酔ひの足をとゞむるちゝろ虫 Horoyuhi no ashi wo todomuru chichiro-mushi.
               りう女                  Riujyo
   一段と恋こほろぎの住むごとし Ichidan to kohi-kohorogi no sumu gotoshi.
               舞鶴                  Mahiduru
   「死者の書」の上の蟋蟀つぶやきて 「Shisya no sho」 no uhe no kohorogi tsubuyak ite.
               眞女                  Shinjo
   天高く御堂の祈り響くなり    Ten takaku midau no inori hibiku nari.
               流兔                  Riuto
    奈良豆比古神社翁舞       Naratsuhiko-jinja wokina-mahi
   大樟と月にいだかれ翁舞ふ    Ohokusu to tsuki ni idakare wokina mafu.
               りう女                 Riujyo
   妖しげに木瓜の実肥り秋の寺   Ayashige ni boke no mi futori aki no tera.
               光造                  Kwauzau
   日出でゝ山の端染まる霧氷かな  Hi ide te yama-no-ha somaru muhyou kana.
               青灯(京都)              Seitou(Kyauto)
    エルサレムにて(無季)    Jerusalem nite(Muki)
   壁に向け祈るあなたが造る「壁」 Kabe ni muke inoru anata ga tsukuru 「Kabe」.
    ヘブロンにて(無季)      Hebron nite(Muki)
   投げ落とすゴミと汚水と自尊心  Nage-otosu gomi to wosui to jisonshin.


    倫央充実           Tomohisa jyuujitsu
   結ぶ実のどんぐりとなり満一歳  Musubu mi no donguri to nari man issai.
   どんぐりの親は大森育ちかな   Donguri no oya ha Ohomori-sodachi kana.
    菊五郎「髪結新三」      Kikugorau 「Kamiyuhi Shinza」 
   長き夜や因果の果ての焔魔堂  Nagaki yo ya ingwa no hate no enma-dau.
 
   たそかれの言の葉やよき秋の暮 Taso-kare no koto no ha ya yoki aki no kure.
   
    万乃会「苞山伏」       Yorodu no kwai「Tsuto-yamabushi」
   家苞に栗金団をもらひけり    Ihe-duto ni kurikinton wo morahi keri.

   身のほどに心のたけに秋深し  Mi no hodo ni kokoro no take ni aki fukashi.
   立冬にまづ思ふみちのくの冬  Rittou ni madu omofu michinoku no fuyu.
   定めなき世にありがたき初時雨 Sadame naki yo ni arigataki hatsu-shigure.
   冬の日や果てなく青き空のいろ Fuyu no hi ya hatenaku awoki sora no iro.

    武州小川十一句        Bushiu Wogaha 11ku
   竹馬の通信ありて同窓会     Takeuma no tsuushin ari te dousaukwai.
   D51の駆けし昔や盆地枯る    D-go-ichi no kake shi mukashi ya bonchi karu.
   冬ざれの古里といひ否といふ  Fuyuzare no furusato to ihi ina to ifu.
   駅近き河原なつかし冬の蝶    Eki chikaki kahara natsukashi fuyu no tefu.
   落葉して蛇籠隠るゝ堤かな    Ochiba-shi te jakago kakururu tsutsumi kana.
   清流の小橋の端に冬の菊     Seiriu no kohashi no hata ni fuyu no kiku.
   かの山は校歌にありて小春空  Kano yama ha kauka ni ari te koharu-zora.
   熱燗や名もよき地酒帝松    Atsukan ya na mo yoki dizake Mikadomatsu.
   冬あたゝか昔語りの仕切無き  Fuyu atataka mukashigatari no shikiri-naki.
   童心も時に切なし帰り花    Doushin mo toki ni setsuanshi kaheri-bana.
   冬の日や手品の如き同窓会   Fuyu no hi ya tejina no gotoki dousaukwai.

    独吟三句一連             Dokugin sanku ichiren
   歳時記にボージョレ・ヌーボー探しけり Saijiki ni Beaujolais nouveau sagashi keri.
   グラスにうつる葡萄の葉影        Glass ni utsuru budau no hakage.
   舶来の秋の夜長を嗜みて         Hakurai no aki no yonaga wo tashinami te.
             
  
 □歌仙(ボージョレ・ヌーボーの巻)□  □Kasen( Beaujolais nouveau no maki)□

   歳時記にボージョレ・ヌーボー探しけり
  Saijiki ni Beaujolais nouveau sagashi keri.
    グラスにうつる葡萄の葉影        Glass ni utsuru budau no hakage.
    舶来の秋の夜長を嗜みて         Hakurai no aki no yonaga wo tashinami te.
   まどろむ夢は行方知らずも
        Madoromu yume ha yukuhe shirazu mo.
    有明に槍の穂先や閧の声          Ariake ni yari no hosaki ya toki no kowe.
    天守むなしうして草萌ゆる        Tenshu munashiushi te kusa moyuru.
                              u
    駒遊ぶ雪形の山かざし見て          Koma asobu yukigata no yama kazashimi te.
    田夫なりし日一瓢の譚           Denpu nari shi hi ippeu no tan.
    よるべなき五條あたりの思ひ人      Yorube-naki Godeu Atari no omohi-bito. 
   白き扇はつま焦がしたり   
    Shiroki afugi ha tsuma kogashi tari.
   餅づくし殿上人のそら謡        
Mochi-dukushi tenjyaubito no sora-utahi.

    末広がりはならぬ算用             Suwehirogari ha nara nu sanyou.
    天心に月のから傘あらはれて        Tenshin ni tsuki no karakasa arahare te.
   時雨亭の夢の浮橋
               Shigure no chin no yume no ukihashi.
    宇津谷の峠に馬子の鈴の音         Utsunoya no tauge ni mago no suzu no oto.
    時宗の寺念仏盛んなり           Jisyuu no tera nenbutsu sakan nari.
    咲く花や江戸のにぎはひ日本橋      Saku hana ya edo no nigihahi Nihonbashi.
    越後屋春をよそほひにけり          Wechigoya haru wo yosohohi ni keri.
  
                       na
    振袖に隠せぬものと悟りたる          Furisode ni kakuse nu mono to satori taru.
    姉なる比丘尼あくる柴の戸           Ane naru bikuni akuru shiba no to.   
    
笛の音に惑ふ秋の鹿あはれ         Fue no ne ni madofu aki no shika ahare.
   汲むは菊水舞ふは猩々          Kumu ha kikusui mafu ha syaujyau.
   奈良漬に酔ふ下戸の顔あをざめて     Naraduke ni yofu geko no kaho awazame te.
   鏡を見れば世継の翁           Kagami wo mire ba Yotugi no okina.
   尽きせぬは人の情のあだ話        Tsuki se nu ha hito no nasake no ada-banashi.
   嘘が誠の狂言綺語に           Uso ga makoto no kyaugen-kigyo ni.
   あはじともいはざりければ秋の夜の    Aha ji tomo ihazari kere ba aki no yo no.
   片敷く袖に露しぼりつゝ         Katashiku sode ni tsuyu shibori tsutsu.
   あふぎみる月に天下の時を知る      Afugimiru tsuki ni tenga no toki wo shiru. 
  
朝の書院にかをる墨の香         Asa no syowin ni kaworu sumi no ka.   
  
                  na u
   勅なれば東京なれど畏かり        Choku nare ba Toukyau nare do kashikokari.
   鹿鳴館のパイプの煙           Rokumeikwan no pipe no kemuri.
   貴婦人の片手に揺れし赤ワイン      Kifujin no katate ni yure shi aka-wine.
   酔ひては夢か醒めては夢か        Yohi te ha yume ka same te ha yume ka.
   降り立てば花のフランス・ボージョレに  Ori-tate ba hana no France・Beaujolais ni.
   小蝶をしたふ百姓娘           kotefu wo shitafu hyakusyau musume.

    平成二十三年十一月二十三日   Heisei nijifusannen jifuichigwatsu nijifusannichi
   民草を束ね憩へる新嘗祭         Tanikusa wo tabane ikohe ru nihiname-sai.
   手まくらにみどり児ねむる小春かな    Tamakura ni midoriko nemuru koharu kana.
   なつかしや江戸東京の小夜時雨      Natsukashi ya Edo Toukyau no sayo-shigure.

    □関口芭蕉庵 十一月句会      □Sekiguchi Basewo-an jifuichigwatsu kukwai□ 
              耋子                  Tetsushi
   駄句ばかり思ひ浮べる秋の暮      Daku bakari omohi-ukaberu aki no kure.
   冬の日や富士が見えたと酒の会      Fuyu no hi ya Fuji ga mieta to sake no kwai.
   冬の鐘遠慮してつく音楽寺       Fuyu no kane wenryo shite tsuku Ongakuji.
              りう女                 Riujyo
    「絵空箱」コンサート         「Wesorabako」 concert
   鉦の音秋の名残をこんちきちん     Kane no oto aki no nagori wo kon-chiki-chin.
   幕下りて火照りし頬や夕時雨      Maku ori te hoteri shi hoho ya yufu-shigure.
              眞女                   Shinjyo
   山路越え梢の音に知る時雨       Yamaji koe kozuwe no oto ni shiru shigure.
              正彦(仙台)              Masahiko(Sendai)
   ゆく秋やをさなき自刃白虎墓      Yuku aki ya wosanaki jijin Byakko-haka.
   襟たてゝ待人きたらず時雨くる     Eri tate te machibito kitara zu shigure kuru.
              慈雨                  Jiu
   秋の燈を図書館で知るひとり哉     Aki no hi wo tosyokwan de shiru hitori kana.
   発言を見送り暗き戸に時雨       Hatsugen wo miokuri kuraki to ni shigure.
              舞鶴                   Mahiduru
   ユトリロの続く道は冬の日に      Utrillo no tsuduku michi ha fuyu no hi ni.
              羊斉                   Yausei
   秋深し千手も取れぬ葉の多く      Aki fukashi Senjyu mo tore nu ha no ohoku.
              翔眠                   Syaumin
   問ひかけに赤く染まりて秋深し     Tohikake ni akaku somari te aki fukashi.
              流兎                   Riuto
   柿一つ取り残してや鳥さわぐ      Kaki hitotsu torinokoshi te ya tori sawagu.
   傘すぼめ時雨に迷ふ家路かな      Kasa subome shigure ni mayofu ihedi kana.
              清香                    Seikau
   冬の日や七部集繰る句会前       Fuyu no hi ya Shichibu-shifu kuru kukwai mahe
   冬の日をうけて子を待つ母ありき    Fuyu no hi wo uke te ko wo matsu haha ariki.
              水仙                    Suisen
   夕しぐれ陽射す雲間に雀飛ぶ      Yufu-shigure hisasu kumoma ni suzume tobu.
   牛天神粛然として秋深し        Ushi-tenjin shukuzen to shite aki fukashi.
              羽化                     Ukwa       
   冬の日や客人の来て鍋囲む       Fuyu no hi ya maraudo no ki te nabe kakomu.
   垣根越し零余子つみとる楽しさよ    Kakinegoshi mukago tsumitoru tanoshisa yo.
               蔦吉                    Tsutakichi  
   雨すぎて寒菊しるき夕日道       Ame sugi te kangiku shiruki yufuhi-michi.
   いま散りて匂ふ木の葉を踏みしめる   Ima chiri te nihohu konoha wo fumishimeru.
              清律                    Seiritsu
    ロシア公演              Rossija kouen
   再会の友の饒舌冬ロシア        Saikwai no tomo no zeuzetsu fuyu Rossija.
   モスクワの街ゆく人や毛糸帽      Moskva no machi yuku hito ya keito-bou.
              光造                     Kwauzau
   秋深し死にぞこなひし友の酒      Aki fukashi shinizokonahi shi tomo no sake.
   こんちきと鉦を叩けば時雨れけり    Kon-chiki to kane wo tatake ba shigure-keri.

    群馬高山村五句            Gunma Takayama-mura goku
   新蕎麦や畑は近き一軒家        Shin-soba ya hatake ha chikaki ikken-ya.
   渋川に美人の湯てふ冬ぬくし      Shibukaha ni bijin no yu tefu fuyu nukushi.
   村を去る人の噂や残り柿        Mura wo saru hito no uhasa ya nokoru-gaki.
   かくれなき小野子の山の冬支度     Kakurenaki Wonoko no yama no fuyu-jitaku.
   薬罐など載せるべくして煖炉燃ゆ    Yakwan nado noseru beku shite danro moyu.

   人の世の明暗おもふ漱石忌       Hito no yo no meian omofu Souseki-ki.
    正丸峠               Shaumaru-tauge
   木枯もひと休みする峠かな       Kogarashi mo hito-yasumi suru tauge kana.
   冬ひなた小次郎殿の茶飲み時      Fuyu-hinata Kojirau dono no chanomi-doki.

   寒雀ひなた日向の二羽三羽       Kan-suzume hinata hinata no niha sanha.
   極楽はふくら蒲団にありにけり     Gokuraku ha fukura-futon ni ari ni keri.
   道問はれ指さす方や冬の暮       Michi toha re yubi sasu kata ya fuyu no kure.

    続倫央関口芭蕉庵三景        Zoku Tomohisa Sekiguchi Basewo-an sankei
   冬帝に立ちむかふごと稚児あゆむ    Toutei ni tachi mukafu goto chigo ayumu.
   鉢巻や座敷狭しと冬の陣        Hachimaki ya zashiki semashi to fuyu no din.
   寒声に連衆いづれも仕損なひ      Kangowe ni renjyu idure mo shisokonahi.
   

    □関口芭蕉庵 十二月句会□      □Sekiguchi Basewo-an jifunigwatsu kukwai□ 
              正彦(仙台)              Masahiko(Sendai)
   散紅葉たえしさゝやき地の中へ     Chiru momidi tae shi sasayaki chi no naka he.
   風の子に負けてるふくら雀かな     Kaze no ko ni maketeru hukura-suzume kana.
              舞鶴                       Mahiduru
   勝どきの寒雀高く波越ゆる       Kachidoki no kan-suzume takaku nami koyuru.
              清香                       Seikau
   試験明け沈む蒲団のあたらしき     Shiken-ake shidumu futon no atarashiki.
   寒雀ひなたに弾む影法師        Kan-suzume hinata ni hadumu kagebofushi.
              光造                       Kwauzau
   赤子立ち泣きては笑ふ冬の暮      Akago tachi naki te ha warafu huyu no kure.
   宿酔の波にたゆたふ蒲団かな      Shukusui no nami ni tayutafu futon kana.
              りう女                      Riujyo
   銘仙の蒲団なつかし母の指       Meisen no futon natsukashi haha no yubi.
              清律                       Seiritsu
   一の糸の前触れもなく切れし冬     Ichi no ito mahebure mo naku kire shi fuyu.
   開戦記念日や我も嫁ぎけり       Kaisenkinembi ya ware mo totsugi keri.
              羽化                        Ukwa
   何事ぞすっくと這ひ立つ冬の蛇     Nanigoto zo sukku to hahi-tatsu fuyu no hebi.
              水仙                       Suisen
   通学路寒すゞめ追ふ黄色帽       Tsuugakuro kan-suzume ofu kiiro-bou.
   人知れず蒲団動くや夜の闇       Hito shirezu futon ugoku ya yoru no yami.
              虎論                       Koron
   我もまた寒雀なり日向追ふ       Ware mo mata kan-suzume nari hinata ofu.
              羊斉                        Yausei
   いたづらに蒲団重ぬる我が手と手    Itadura ni futon kasanuru waga te to te.
              くみ子                      Kumiko
   ぬくもりを残して抜ける蒲団かな    Nukumori wo nokoshi te nukeru futon kana.
              鉄巡                        Tetsujyun
   都電行く一期一会の冬の暮       Toden yuku ichigo ichiwe no fuyu no kure.   
    御岳渓谷               Mitake keikoku
   行く秋や煙ひとすぢ鍋一つ       Yuku aki ya keburi hitosudi nabe hitotsu.

    武陽山能仁寺歳晩           Buyauzan Nouninji saiban
   玄冬や京より下る坐禅堂        Gentou ya kyau yori kudaru zazendau
   たづぬれば富士見てゐたり冬の墓     Tadunure ba Fuji mi te wi tari fuyu no haka.
   冬うらら麓の寺の句会かな       Fuyu urara fumoto no tera no kukwai kana.

   
飯能吟行 武陽山能仁寺句会    □Hannou ginkau  Buyauzan Nouninji kukwai□ 
              耋子                        Tetsushi
    冬の庭木立静まる能仁寺        Fuyu no niha kodachi shidumaru Nouninji.
              りう女                       Riujyo
    小春日や大江戸かすむ天覧山       Koharubi ya Ohoedo kasumu Tenranzan.
              蔦吉                        Tsutakichi
   山腹に小顔の羅漢微笑みて       Sampuku ni kogaho no rakan hohowemi te.    
              耋子                        Tetsushi
   焼酎のつまみにするぞ寒雀       Seuchiu no tsumami ni suru zo kansuzume.
              りう女                       Riujyo
   ぼろ市や昭和ころがる陶火鉢       Boroichi ya Seuwa korogaru tau-hibachi.
              流兎                       Riuto  
   年の瀬の喧噪はなれ連句する      Toshi no se no kensau hanare renku-suru.
              羽化                        Ukwa
   句に窮し四里もち食らふ歳の暮     Ku ni kyuushi shiri-mochi kurafu toshi no kure.
              有隣                        Iurin 
   一年をふり返らずに年の暮        Ichinen wo furikahera zu ni toshi no kure.
              光造                        Kwauzau
   何となう小銭数ふる年の暮       Nantonau kozeni kazofuru toshi no kure.
              鉄巡                        Tetsujyun
   颪なき飯能河原年の暮         Oroshi naki Hannou-gahara toshi no kure.
              冠者                        Kwajya
   庭師来てはさみの音す年の暮       Nihashi ki te hasami no otosu toshi no kure.
              水仙                        Suisen
   石仏の顔おだやかに年の暮       Sekibutsu no kaho odayakani toshi no kure.
              清香                        Seikau
   年の締め句会見守る阿うん像       Toshi no shime kukwai mimamoru a-un-zau.

   
歌仙(風花の巻)         Kasen(Kazahana no maki)
   風花や盆地の空に一しきり       Kazahana ya bonchi no sora ni hito-shikiri.
   覗きの箱に紙漉の村           Nozoki no hako ni kamisuki no mura.
   薪負ふ尊徳の像つくねんと       Takigi ofu Sontoku no zau tsukunen to.
   夜長聞き入る鉱石ラジオ         Yonaga kiki-iru kwauseki radio.
   月明かし霓裳羽衣の曲ならん       Tsuki akashi geisyau ui no kyoku naran.
   盃二三献やをら新蕎麦         Hai nisankon yawora shin-soba.
  ゥ                   
u
   亭主どの素人なれど囲碁四段       Teishu dono shirauto nare do wigo yo-dan.
   嘘とも言へぬ大高檀紙          Uso tomo ihe nu ohotaka-danshi.
   しぐるゝや越前の浜横あるき      Shigururu ya Wechizen no hama yoko-aruki.
   鬼一口に食ふはまことか        Oni hitokuchi ni kufu ha makoto ka.
   うつせみの身は撫子の襲にて       Utsusemi no mi ha nadeshiko no kasane nite.
   白酒新たに来書まれなり         Hakusyu aratani raisyo mare nari.
   あなゆゝし鹿ヶ谷ゆく月の雨       Ana yuyushi Shishi-ga-tani yuku tsuki no ame.
   鬼界ヶ嶋に足摺をする         Kikai-ga-shima ni ashizuri wo suru.
   光信の屏風を抜けし若女房        Mitsunobu no byaubu wo nuke shi wakanyoubo.
   紙燭の歌に入相の鐘          Shisoku no uta ni iriahi no kane.
   雲に散る花の行方をしるべにて     Kumo ni chiru hana no yukuhe wo shirube nite.
   遍路は縋る金剛の杖          Henro ha sugaru kongau no tsuwe.
  
                  na
   接待の言葉もやさし山笑ふ       Setsutai no kotoba mo yasashi yama warafu.
   地蔵菩薩の里は近きや          Dizau-bosatsu no sato ha chikaki ya.
   空缶に椎の実を焼く疎開の児      Akikwan ni shii-no-mi wo yaku sokai no ko.
   玉砕の島燕帰りて           Gyokusai no shima tsubame kaheri te.
   靖国に銀杏の並木聳えけり        Yasukuni ni ichau no namiki sobie keri.
   古地図で歩く濠の内外         Kochidu de aruku hori no uchi-soto.
   かりかりと勝栗神田鍛冶の町      Karikari to kachiguri Kanda kadi no machi.
   糸なき三味に暮るゝ小座敷        Ito naki syami ni kururu kozashiki.
   小桜はことに昆布締好みなる      Kozakura ha kotoni kobujime konomi nite.
   明石の海の潮にもまれて         Akashi no umi no shiho ni momare te.
   波の月見る蛸やしづこゝろなき      Nami no tsuki miru tako ya shidu-kokoro-naki.
   松影うつす須磨の壺入         Matsukage utsusu Suma no tsuboiri.
  
ゥ                  na u
   すなほなる孝子たふとき泉かな      Sunahonaru kaushi tafutoki idumi kana.
   独酌のとき故人を思ふ          Dokusyaku no toki kojin wo omofu.
   浮かびたる発句無能を誹られて      Ukabi taru hokku munou wo soshirare te.
   桃源行は病みて果たせず         Taugen-kau ha yami te hatase zu.
   花かざし過ぎゆく子の歌枕に       Hana kazashi sugiyuku ko no uta makura ni.
   春の夕べの眠り物憂き          Haru no yufube no nemuri mono-uki.
   

    平成二十三年述懐           Heisei nijifu san nen jyutsukwai
   此岸に打ち寄せられて大晦日      Kono kishi ni uchiyose rare te ohomisoka.



 堅香子句集
平成二十二年庚寅
2010



                             Tabi    

  巫女のかざしゆかしき椿かな        Kamunagi no kazashi yukashiki tsubaki kana.
  青丹よし奈良の寺でら小雨がち       Awoniyoshi nara no teradera kosame-gachi.
  みほとけの天蓋こゝに絲ざくら       Mihotoke no tengwai kokoni ito-zakura.
  あぜ倉や千年の風ふきかよふ        Azekura ya sennen no kaze fuki-kayofu.
  葛城や女神はいづこ春登山          Kaduraki ya Megami ha iduko haru-tozan.
  しもとゆふ葛城山の躑躅燃ゆ        Shimoto-yufu Kaduraki-yama no tsutsuji moyu.
  カタクリの莟よりそふ朝まだき       Katakuri no tsubomi yori-sofu asa-madaki.
  おほどかに大和国原かすみけり       Ohodokani yamato-kunihara kasumikeri.
  当麻寺や牡丹に早き彼岸過ぎ        Taimaji ya botan ni hayaki higansugi.
  二上の皇子の墓守る春の雲         Futagami no miko no haka moru haru no kumo.
  牡丹花や南家の姫の生写し         Botankwa
ya nanke no hime no syau-utsushi.
  塔ひとつ埋み残しけり花の寺        Tafu-hitotsu uminokoshikeri hana no tera.
  うら山路おのれを咲ける遅桜         Urayamaji onore wo sakeru oso-zakura.
  雪と花に蝶の舞ひあり越の春        Yuki to hana ni tefu no mahi ari Koshi no haru.
  雪解野やひといろならぬ菫いろ        Yukigeno ya hito-iro naranu sumire-iro.
  宵宮や闇わだかまる神懸り         Yohimiya ya yami wadakamaru kamigwa
kari.
  うつくしき稚児の襷や夏の朝        Utsukushiki chigo no tasuki ya natsu no asa.
  雨乞に早池峰天狗いざ見参          Amagohi ni Hayachine-tengu iza genzan.
  里の児やりんごのほゝの虫さゝれ      Sato no ko ya ringo no hoho no mushi-sasare.
  茅葺くや天蓋の百合をかざしにて      Kaya-fuku ya tengwa
i no yuri wo kazashi nite.
  涼しさや笹舟むかふ河童宿          Suzushisa ya sasabune mukafu kappa-yado.
  さゝ舟の寄る辺なかりき草茂る       Sasabune no yorube nakariki kusa shigeru.
  かりそめの別れもありき秋の駅       Karisome no wakare mo ariki aki no eki.
  雨あがり早稲田かり干す奥出雲       Ame-agari waseda kari-hosu Oku-idumo.
  蒲の穂の床たへてなき憂き世かな      Gama no ho no toko tahete-naki ukiyo kana.
  行く秋を神のまにまに日御碕        Yuku aki wo kami no manimani Hino-misaki.
  かむながら出雲秋天海肅條         kamunagara Idumo shuten umi syaujau.
  白秋や白き燈台白き雲           Hakushu ya shiroki todai shiroki kumo.
  神の舟見ゆる刻なり秋の夕         Kami no fune miyuru toki nari aki no yufu.
  あかあかと秋の夕日の沈みけり       Aka-aka to aki no yuhi no shidumikeri.
  秋ひと日おもひつもりて海昏れぬ      Aki hitohi omohi tsumorite umi kurenu.
  秋の日や鳥居にやすらふ鳥一羽       Aki no hi ya toriwi ni yasurafu tori ichiwa.
  清兵衛が瓢箪かけたり軒に風        Seibe ga heutan kaketari noki ni kaze.
  秋空に羊うらやむ風見鶏          Akizora ni hitsuji urayamu kazamidori.
  しみもなき暖簾まばゆし蟲文庫       Shimi-mo-naki noren mabayushi Mushi-bunko.
  秋高し関越結ぶ送電線           Aki takashi kwanwetsu musubu sodensen.
  初恋や林檎畠の細き道           Hatsukohi ya ringo-batake no hosoki michi.
  冬の日やhok・kuつとむるヲロシアびと   FUYU NO HI ya hok・ku tsutomuru woroshia-bito.
  秋暮るゝ阿佐ヶ谷路地や赤ぢやうちん    Aki kururu Asagaya-roji ya aka-dyauchin.
  世にあらた人形のまち伊那の秋       Yo ni arata ningyau no machi Ina no aki.
  霧ヶ峰ふもとかすみて湖の秋        Kirigamine fumoto kasumite umi no aki.
  しぐるゝは天龍あたり山は雪        Shigururu ha Tenryu atari yama ha yuki.
  霜月や経済録の儒者もがな         Shimotsuki ya Keizairoku no jyusha mogana.
  新蕎麦や三河信濃のいづれより       Shin-soba ya Mikaha Shinano no idure yori.
  雪虫の旅はふれあふ袖次第         Yuki-mushi no tabi ha fure-afu sode-shidai.
  蜂の子のかたき討て里の親蜂        Hachi no ko no kataki ute sato no oyabachi.
  熱燗や都鄙へだてなき酒談義        Atsu-kan ya tohi-hedate-naki sake-dangi.
  秋草のあやふく咲ける鉄路かな       Akikusa no ayafuku sakeru tetsuro kana.
  柚子の香が越生の里の道しるべ       Yudu no ka ga Ogose no sato no michi-shirube.
  秋深し酒蔵の鼻かくれなき         Aki fukashi sakagura no hana kakurenaki.
  杜氏殿はいま蔵のなか新走         Toji-dono ha ima kura no naka arabashiri.
  蔵元の門は柚子の木蔭にて         Kuramoto no mon ha yudu no kokage nite.
  古壁のなまめきにけり蔦紅葉        Furukabe no namamekinikeri tsuta-momidi.
  世を遁る庵むすぶらし稲子麿        Yo wo nogaru iho musuburashi Inagomaro.
  鬼灯の実の赤く見ゆ萼透けて        Hohoduki no mi no akaku miyu gaku sukete.
  錦秋の巾着田ゆく君おもふ         Kinshu no kinchakuda yuku kimi omofu.
  天下地下大将軍ぞ高麗の冬         Tenka chika daishogun zo Koma no fuyu.
  葉隠や暖簾の下の木の葉掻く        Hagakure ya nouren no shita no konoha-kaku.
  鴨鍋や湯気やはらかに時つゝむ       Kamonabe ya yuge yaharakani toki tsutsumu.
  草手折り匠つくりし虫の秋         Kusa tawori takumi tsukurishi mushi no aki.
  酔客はみな戯画のうち年忘れ        Suhikaku ha mina gigwa no uchi toshi-wasure.
  みこゝろはみなしごにあり冬の朝      Mikokoro ha minashigo ni ari fuyu no asa.
  むねふかく冬の小鳥をかくまひぬ      Mune-fukaku FUYU NO KOTORI wo kakumahinu.
  干し柿に甲斐の日和をたづねけり     Hoshigaki ni Kahi no hiyori wo tadunekeri.
  小狸の小狸のまゝ御用かな        Kodanuki no kodanuki no mama goyo kana.
   されど                 saredo
  小狸に椿山荘の手形あり         Kodanuki ni Chinzansau no tegata ari.
  温室やあてびとの香のほのかなる     Onshitsu ya atebito no ka no honokanaru.
  冬日いま貴族なき世の斜陽かな      Fuyuhi ima kizoku naki yo no syayo kana.
   椿山荘庭園二句             Chinzansau-teien 2ku
  若冲の羅漢起き伏す椿山         Jyakutyu no rakan okifusu Tsubakiyama.
  みじろぎは夙に知られて蜷の道      Mijirogi ha tsutoni sirarete nina no michi.

   三輪山二句               Miwayama 2ku
  三輪山に雲なかりけり揚げ雲雀      Miwayama ni kumo nakarikeri age-hibari.
  神杉や三輪の女の春の衣         Kami-sugi ya Miwa no onna no haru no kinu.
   一陽来復                Ichiyau-raihuku
  野に山に伸びゆく光を慈しむ       No ni yama ni nobiyuku hikari wo itsukusimu.
   聖家族                 Sei-kazoku
  善哉みどりごの笑みに年暮るゝ      Yokikana midorigo no wemi ni toshi-kururu.
   川越啓信寺               Kahagoe Keishinji  
  うぐひすも法華経となふ満中陰      Uguhisu mo Hokekyau tonafu mantyuin.
   往事                  Wauji
  若き日や小日向の梅雪の朝        Wakaki hi ya Kohinata no ume yuki no asa.
   加賀大聖寺に陶工を訪ぬ         Kaga Daishoji ni tohkau wo tadunu.
  瀧口にめぐりあひけり藤の花       Takiguchi ni meguri-ahikeri fuji no hana.
   送別                  Sobetsu
  蒙古高句麗碓氷浅間の大夕立       Mukurikokuri usuhi asama no oh-yufudachi.
   棚田                  Tanada
  田一枚貴婦人うつす桜かな        Ta ichimai kifujin utsusu sakura kana.
  早池峰や直会の御酒を杓で飲む       Hayachine ya nahorahi no miki wo syaku de nomu.
   京風天麩羅懐石 松伯          Kyaufu-tempura-kwaiseki Syauhaku
  秋半ば新富町にとぢし店          Aki nakaba Shintomicho ni todishi mise.
   榠庵偶成樝樝             Kwarin-an gusei
  榠の実亭主の頭によく似たり      Kwarin no mi teishu no atama ni yoku nitari.
  冬ひなた障子の影のやはらかき      Fuyu-hinata syauji no kage no yaharakaki.
  信無くば下下下の下の寒政治        Shin nakuba gegege no ge no kan-seiji. 

 
                   Tefu


  冬ちかし蝶にやさしき木賃宿        Fuyu-chikashi tefu ni yasashiki kichin-yado.
  生きてなほ化石のごとし冬の蝶       Ikite naho kwa
seki no gotoshi fuyu no tefu.
  霜枯やよき畔ありて蝶の飛ぶ        Shimogare ya yoki aze arite tefu no tobu.
  枯草に枯草いろの蝶とまる         Karekusa ni karekusa-iro no tefu tomaru.
  冬草や蝶のいのちの果つる朝        Fuyukusa ya tefu no inochi no hatsuru asa.


   
          平成二十二年十二月二十五日 於千曲舞台「朔之会」研修会             
          「川本喜八郎の世界」~能楽と人形劇との関わり~ 資料            
      
     川本喜八郎年譜 『別冊太陽 川本喜八郎』/平凡社刊(2007)年譜参照      
大正十四年 (1925)
昭和十九年 (1944)
 

昭和二十年 (1945)

昭和二十一年(1946)
昭和二十五年(1950)

昭和二十七年(1952)

昭和三十二年(1957)

昭和三十八年(1963)
昭和四十年 (1965)
昭和四十三年(1968)

昭和四十五年(1970)
昭和四十七年(1972)
昭和五十一年(1976)
昭和五十四年(1979)
昭和五十六年(1981)

平成十二年 (2000)
平成十四年 (2002)
平成十五年 (2003)


平成十六年 (2004)
平成十七年 (2005)
平成十八年 (2006)



平成十九年 (2007)
平成二十二年(2010)
0歳、東京千駄ヶ谷に生まれる。 
十九歳、旧制横浜高等工業学校(現・横浜国立大学)建築科で学ぶ。在学
中、勤労動員で旧満州に渡る。
二十歳、二月、任官、建技少尉。東京、天翔航空師団司令部に配属。
二十一歳、東宝入社。東京撮影所勤務。
二十五歳、東宝争議に巻き込まれ解雇。フリーの人形美術家となる。
二十七歳、チェコスロバキアの人形アニメーションの巨匠、イジィ・トル ンカの長編映画「皇帝の鶯」を税関試写室で観て、衝撃を受ける。
※三島由紀夫「道成寺」(『近代能楽集』)
三十八歳、イジィ・トルンカを訪ねて、旧チェコスロバキアに自費留学。
四十歳、初の自主制作作品「花折り」の制作に取りかかる。
四十三歳、初めての自主制作作品・人形アニメーション「花折り」完成。 ルーマニア・ママイヤ国際アニメーションフェスティバルで銀賞を受賞。
※三島由紀夫割腹自殺(川本喜八郎と同年生まれ)。
四十七歳、人形アニメーション「鬼」を自主制作。
五十一歳、人形アニメーション「道成寺」を自主制作。
五十四歳、人形アニメーション「火宅」を自主制作。
五十六歳、「火宅」がブルガリア・バルナ国際アニメーションフェスティ バルでグランプリ受賞。
七十五歳、人形アニメーション「死者の書」の絵コンテ仕上げにかかる。
七十七歳、人形アニメーション「死者の書」の準備始まる。 
七十八歳、人形アニメーション「死者の書」のサポーター募集のため、川 本作品上映会を飯田市文化会館で開催。多摩美術大学で毎週土曜日三時間、アニメーション講義。                        
七十九歳、人形アニメーション「死者の書」、多摩美術大学で撮影開始。
八十歳、人形アニメーション「死者の書」撮影完了、文化庁試写。クロア チア、ザグレブで国際審査員特別栄誉賞受賞。
八十一歳、人形アニメーション映画「死者の書」が岩波ホールで八週間公 開。文化庁メディア芸術祭優秀賞受賞。第三回中国国際アニメーション& デジタルアーツフェスティバルで「死者の書」長編グランプリ受賞。   八十二歳、飯田市川本喜八郎人形美術館オープン。
八十五歳、八月二十三日死去。

                
                 紹介要旨

師走恒例、一年を漢字一字で表す京都清水寺の行事で貫主が大書したのは「暑」。
今夏は記録破りの暑さで多くの人が亡くなった。八月二十三日には、日本を代表する世界的アニメーション作家・人形美術家、川本喜八郎が世を去った。大正十四年生まれ、八十五年の生涯であった。
戦後の経済復興のなか、雑誌・テレビ業界の仕事で評価され多忙を極めていたが、東京オリンピック前の昭和三十八年、三十八歳のとき、チェコのイジィ・トルンカのもとに自費留学。「ここで人形とは何か」という根本問題に向き合う。帰国後、自主制作作品を発表し始める。

○人形アニメーション「花折り」 原作・京都壬生狂言「花折」

「花折り」=イジィ・トルンカの「日本には文楽や能のような様式的な演劇の表現があるではないか」との示唆を受けて制作した最初の作品。京都では「壬生さんのカンデンデン」で親しまれている宗教無言劇(パントマイム)。

○人形アニメーション「鬼」   原作・今昔物語
○人形アニメーション「道成寺」 原作・能「道成寺」
○人形アニメーション「火宅」  原作・能「求塚」本説/万葉集第九・大和物語

「鬼」=「人の親のあまりに年老いたものは必ず鬼となって子でさえも喰うようになるものである。なんと恐ろしいことではないか、と語り伝えられた。今昔物語より」で終わる。老いた母の顔は「深井」「姥」の能面がモデル。人形浄瑠璃・鶴澤清治が出演。
「道成寺」=「道成寺縁起絵巻」で鐘の中から白骨が出てくるシーンを見て、この表現はアニメーションでしかできないと川本は思った。
「火宅」= 外国で上映したとき、「なぜ処女は苦しまなくてはならないのか。美しかったための原罪ではないか」と問われて、キリスト教的解釈もおもしろいと川本は思った。旅僧が摂津国生田川で伝説の求塚を探す。菟名井処女(うないおとめ)への小竹田男(ささだおのこ)血沼丈夫(ちぬまますらお)の激しい求愛。その鴛を射殺す若者。悲しむ処女の入水。後を追った若者の刺し違いの死。火宅にあって五百年もの間、絶望的な火の責め苦に遭い続ける処女。

「鬼」「道成寺」「火宅」の不条理三部作には生と性への執心がおぞましいほどに渦巻いている。多感な青年期に刻印された戦争の記憶と無関係ではないであろう。

○長編人形アニメーション「死者の書」  原作・折口信夫「死者の書」
        クレジットタイトル音曲 能「當麻/謡・観世銕之亟(八世)
                         笛・藤田大五郎」

             藤原南家の郎女  宮澤りえ
             大津皇子     観世銕之丞(九世)
             ナレーション   岸田今日子

「死者の書」=原作には硫黄島で戦死した養子・藤井春洋(はるみ)に寄せる折口信夫の哀惜と再生への思いが底流にあるといわれている。
〈「死者の書」は魂の救済の物語です。僕の集大成といってもいい作品です。執心の先にある解脱を描ききれたと思うからです。今の時代を生きている日本人のこころの伝統、根源的な力のよみがえりになったとしたら有り難いことです。高度経済成長時代に作っていたら、大失敗していました。「日本人が何であるか」という問いは、おそらく観客に受け入れられなかったせしょうから。〉と川本は述べた。

資料の年譜に組み入れた三島由紀夫は同年生まれ。川本の大学の後輩にあたる齋藤
仁は若い頃に川本の知遇を得て、新宿2丁目のゲイバーにしばしば連れてゆかれ、
そこで三島を紹介されたという。寺山修司や天井桟敷の仲間たちも加わっていた。
三島の「道成寺」〈『近代能楽集』〉(1957)と人形アニメ「道成寺」(1976)を比較すると両者の古典解釈の方法論における方向性の相違がよくわかる。三島は仮面劇としての能を否定することによって近代の能を可能にした。
三島はその後、創作のかたわら自身の肉体と精神を鍛えていった。英霊と同化し、自身の生涯を劇化するためであった。昭和四十五年(1970)十一月二十五日『豊饒の海』を書きあげた直後自衛隊市ヶ谷駐屯地に盾の会青年有志を率いて乱入、自衛隊にクーデター決起を促した。受け入れられず割腹、英霊日本に節を捧げ、殉死を遂げた。愛と美と死の三島美学は三島自身の劇的な自決によって、サムライ・ハラキリ・カミカゼの武士道と軍国主義の実在を印象づけ、世界中を震撼させた。
川本は一方、中世の縁起絵巻を現代アニメに蘇生させ、二次元表現における能の生命力を実証したが、その前後の「鬼」と「火宅」に注目しておく必要がある。そこで追求されたのは、生と性への執心であった。おどろおどろしいまでの不条理の構図の底流には、今次大戦の深刻悲惨な事実とその記憶に通じるものがある。三島と同年に生まれ、戦時日本と戦後日本の実相を見届けてきた川本は、折口の「死者の書」、大津皇子の英霊を藤原南家の郎女の祈りと行動が救済する物語、を人形を通して古代から現代へ連綿とつらなる怨念・執着の此岸からの解脱を具現した。

三島の直截と川本の悠遠。それは芸術の最終表現に用いたもの、即ち肉体と人形との違いであった。〈人形とは「神と人間との間にあるもの」〉と川本は定義した 。
 


MUSICA SAKURA 2006
Traditiona Japanese Music and Dance

University of Wisconsin-Madison
Japan House, University of Illinois
Universalist Unitarian Church, Peoria
Japan Information Center, Consulate General of Japan, Chicago

 MUSICA SAKURA 2006
Edited and translated by YAMAMOTO Hiroko and MATSUBARA Michiko
Copyright : MUSICA SAKURA
JAPAN FOUNDATION〈国際交流基金〉


昇華は根岸弘による以下の詩を元に即興演奏される。      

昇華
ー雪月花の舞に寄せてー

  微かな鈴の音に 朝が目覚める。 薔薇色の光に 人は目覚める。
 人は生き、人は恋する。
  春 花の精に 人は恋する。             
   夏 月の光に 人は嫉妬する。             
     人は生き、人は嫉妬する。   
               秋 舞う枯葉に 人は歌う。
               冬 積もる雪に 人は祈る。
     人は生き、人は祈る。     
幽かな鈴の音に 夜が眠る。 群青色の闇に 人は眠る。



Shoka is an improvisational work based on
              the following poem by NEGISHI Hiroshi              


Shoka-The Dance of the Seasons

Mornig awakens to the faint tinkling of bells.
I awaken to the rose colored light.       
       I live,I love.        
   In spring,I fall in love with the spirit of the flowers.
   In summer,I am envious of the light of the moon
       I live,I am envious.
              In autumn,I sing to the dancing leaves.
              In winter,I pray to the falling snow.
       I live,I pray.          
The night sleeps in the misty tinkling of bells.
I sleep in the deep blue darkness.        
 

Translated into English by MATSUBARA Michiko〕






平成十八年 横浜三渓園 於/旧燈明寺本堂
                     

朗読 壇之浦


       根岸 弘 構成・演出

 
舞台中央に高見台と椅子一脚】  

     《読み手、須彌壇右手より登場。内陣の十一面観世音前に坐し、観音経を読み礼拝》

  世尊妙相具 我今重問彼
  仏子何因果 名為観世音
  具足妙相尊 偈答無尽意
  汝聴観音行 善応諸方所
  弘誓深如海 歴劫不思議
  侍多千億仏 発大清浄願


     《読み手内陣を出、高見台の前の椅子に着席》                    
    
     【須彌壇の背後より、かすかな振鈴の音、次第に大きく、やがて静かになって消える】  


  祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。                      
  沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現す。                      

     【笛】                                              

  驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。                  
  猛き者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。
                           

     【笛 平家物語の深い哀調を表す旋律からなる前奏】

  元暦二年三月廿四日の卯剋に、門司・赤間の関にて源平矢合とぞ定めたる。

     【笛 ゆったりと吹く】

  さる程に、源平の陣のあはひ、海のおもて卅余町をぞへだてたる。門司・赤間・壇の浦はたぎ
  つて落つる潮なれば、源氏の船は潮に向かふて、心ならず押し落とさる。平家の船は潮に逢う
  てぞ出で来たる。


     【笛】

  すでに源平両方陣を合はせて時をつくる。上は梵天までも聞こえ、下は海龍神も驚くらんとぞ
  覚えける。新中納言知盛卿船の屋形に立ち出で、大音声を上げてのたまひけるは、
  「いくさは今日を限り、者ども、少しも退く心あるべからず。天竺・震旦にも我が朝にも並び
  なき名将勇士といへども、運命尽きぬれば力及ばず。されど名こそ惜しけれ。


     【笛】

  東国の者どもに弱げ見ゆな。いつのために命をば惜しむべき。是のみぞ思ふこと」とのたまふ。
  其後 源平たがひに命を惜しまず、おめき叫んで攻めたゝかふ。いづれ劣れりとも見えず。さ
  れども、平家の方には、十善帝王、三種の神器を帯してわたらせ給へば、源氏いかゞあらんず
  らんと危なうおもひけるに、しばしは白雲かとおぼしくて、虚空に漂ひけるが、雲にてはなか
  りけり。主もなき白旗ひと流れ舞ひ下がつて、源氏の船の舳に棹付けの緒のさはる程にぞ見え
  たりける。
  判官、
  「是は八幡大菩薩の現じ給へるにこそ」
  と喜んで、手水うがひをして、是を拝し奉る。兵ども皆かくの如し。又源氏の方より海豚とい
  ふ魚一二千這うて、平家の方に向かひける。


     【大・小鼓 源氏の勝利を予兆する明朗闊達な緩調】

  さる程に、四国・鎮西の兵ども、みな平家にそむいて源氏につく。今まで従ひ付いたりし者ど
  もも、君に向かつて弓をひき、主に対して太刀をぬく。かの岸に着かむとすれば、敵 矢をそ
  ろへて待ちかけたり。

     【笛】

  一の谷を攻め落とされて後、親は子に遅れ、妻は夫に別れ、沖に釣りする船をば敵の船かと肝
  を消し、遠き松にけむれる鷺をば、源氏の旗かと心を尽くす。さても門司・赤間の関にて、い
  くさは今日を限りと見えしかば、……

     【大小鼓 合戦の修羅場面を表す烈しい急調】

  源氏の兵ども、すでに平家の船に乗り移りければ、水主楫取ども、射ころされて、斬りころさ
  れて、船を直すに及ばず、船底にたふれ伏しにけり。
  新中納言知盛卿小船に乗つて御所の御船に参り、
  「世の中は今はかうとぞ見えて候。見苦しからん物どもみな海に入れさせ給へ」
  とて、艫舳に走りまはり、掃いたりのごうたり、塵ひろひ、手づから掃除せられけり。
  女房達「中納言殿、いくさはいかにやいかに」口々にとひたまへば、「めづらしきあづま男を
  こそ御覧ぜられ候はんずらめ」とて、からからと笑ひたまへば、「なんでうのただいまのたは
  ぶれぞや」とて、声々におめき叫び給ひけり。
      
     【笛 須彌壇の背後より女房達の悲痛な声声わき起こる。】

     【一の声 嗚呼、恐ろしや、恐ろしや。嗚呼、恐ろしや。】
     【二の声 悪七兵衛、何をしてをるのぢゃ。早う判官の首を討ち取らぬか。】
     【三の声 阿弥陀仏、阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、阿弥陀仏。】
     【四の声 さても知盛中納言殿、お上を、お上をばいかに……】

  二位殿はこの有様を御覧じて、日頃おぼしめしまうけたる事なれば、にぶ色の二つぎぬうちか
  づき、練り袴のそば高く挟み、神璽を脇に挟み、宝剣を腰にさし、主上をいだきたてまッて、
  「わが身はをうななりとも、かたきの手にはかゝるまじ。君のおん共に参るなり。おんこころ
  ざし思ひ参らせ給はん人々は、急ぎ続き給へ」とて、船ばたへ歩み出でられたり。
  主上はことし八歳にならせ給へど、御年の程よりはるかにねびさせ給ひて、御かたち美しく、
  あたりも照りかゝやくばかりなり。

     【笛 (其の一) 安徳天皇を暗示する高貴な旋律の間奏】

  おんぐし黒うゆらゆらとして、御せなか過ぎさせ給へり。あきれたる御さまにて、
  「尼ぜ、われをばいづちへ具してゆかんとするぞ」と仰せければ、いとけなき君に向かいたて
  まつり、涙をおさえ申されけるは、「君はいまだしろし召しさぶらはずや。先世の十善戒行の
  御ちからによッて、今万乗のあるじと生まれさせ給へども、悪縁に引かれて、御運すでに尽き
  させ給ひぬ。

     【笛 須彌壇の背後より振鈴の音、高く烈しく】
  先づひんがしに向かはせ給ひて、伊勢大神宮に御いとま申させ給ひ、其後西方浄土の来迎にあ
  づからんとおぼし召し、西に向かはせ給ひて、御念仏さぶらふべし。この国は心憂き境にてさ
  ぶらへば、極楽浄土とてめでたき処へ具し参らせさぶらふぞ」と泣く泣く申させ給ひければ、
  山鳩色の御衣にびんづらゆはせ給ひて、御涙におぼれ、ちいさく美しき御手をあはせ、先づ、
  ひんがしを伏し拝み、伊勢大神宮に御いとま申させたまひ、其後西に向かはせ給ひて、御念仏
  ありしかば、二位殿やがていだき奉り、「浪の下にも都のさぶらうぞ」と慰めたてまッて、ち
  いろの底にぞ入り給ふ。

     【須彌壇の背後より振鈴の音 高く次第に静かに】

  悲しき哉、無常の春の風、たちまちに花の御姿を散らし、情けなきかな、分段のあらき浪、玉
  体をしづめ奉る。殿をば長生と名づけてながき住みかと定め、門をば不老と号して、老いせぬ
  とざしと説きたれども、いまだ十歳のうちにして、底の水屑とならせ給ふ。十善帝位の御果報、
  申すもなかなかおろかなり。雲上の龍下ッて海底の魚となり給ふ。

     【大・小鼓 ゆったり】

  大梵高台の閣の上、釈提喜見の宮の内、いにしへは槐門棘路の間に九族をなびかし、今は船の
  うち、浪の下に御命を一時に滅ぼし給ふこそ悲しけれ。

     【笛】

  残りとゞまる人々のおめき叫びし声、叫喚大叫喚の火の穂の底の罪人も、これには過ぎじとこ
  そ覚えさぶらひしか。

     【笛】
 

《中入》
【笛・大小鼓による前奏】 


       《読み手、須彌壇右手より登場。高見台の前に着座》

   今から七百年あまり前のこと、下の関海峡の壇の浦で、長らく天下の覇を争っていた源平両氏
  のあいだに、最後の決戦がたたかわれた。この壇の浦で、平家は、一門の女・子ども、ならびに、
  こんにち安徳天皇と記憶されているかの幼帝ともろともに、まったく滅び絶えてしまったのであ
  る。その後七百年のあいだ、壇の浦の海とあのへん一帯の浜べは、久しいこと平家の怨霊にたた
  られていた。あの浦でとれる、平家ガニというふしぎなカニ
  ――甲羅に人間の顔がついていて、平家の武士たちの怨霊だといわれているカニについては、わ
  たくしは別のところで述べておいたが、いまでもあのへん一帯の海岸では、かずかずの不思議な
  ことが見たり聞いたりされるのである。闇の夜に、幾千ともしれぬ陰火が浜べにあらわれたり、
  波の上をふわふわ飛んだりする。これは、俗に漁師どもが「鬼火」といっている青白い光りもの
  であるが、そうかと思うとまた、風の荒く吹きすさぶような日には、きまって沖の方から、ちょ
  うど合戦の鬨の声のような、すさまじいおたけびの声がおこったりするのである。
   昔はしかし、そうした平家の怨霊も、こんにちに比べると、もっともっとさかんに跳梁してい
  たものであった。夜、沖を通りかかる船のほとりにあらわれて、その船を沈めにかかったり、あ
  るいは海で泳ぐ者などがあると、それを待ちかまえていて、いきなり水の底へひきずりこんだり
  したものだ。あの赤間が関(現在の下の関)に、阿弥陀寺という寺が建立されたのは、つまりは
  そうした平家の怨霊を供養せんがためだったのである。寺の地尻の、海に近いところには、ひと
  くるわの墓所も設けられて、そこには、水入した天皇のみ名や歴臣たちの名前をきざんだ、幾基
  かの墓碑が立てられ、毎年忌日になると、かれらの菩提をとぶらうために、さかんな法会の式が
  いとなまれたものである 。                                      

       【笛】                               

   この阿弥陀寺が建立され、いま言うような石碑が立てられてからは、さすがに平家の亡霊も、
  むかしに比べるとよほど人を悩ますことが少なくなったとはいうものの、それでもなお、どうか
  するとときどきまだ、怪異をあらわすことをやめなかった。それはつまり、多くの亡霊たちが、
  まだほんとうに成仏しきっていなかった証拠であろう。                      
   いまから数百年まえ、この赤間が関に、芳一というひとりの盲人が住んでいた。この芳一とい
  う盲人は、琵琶を弾唱するのに名を得ていた。琵琶をひいたり語ったりするわざは、幼少のころ
  から習いおぼえたのだが、その技は、まだ年のいかぬ少年のころから、はやくも師匠の腕をしの
  ぐほどのものがあった。くろうとの琵琶法師として、芳一はおもに源平の物語をかたるのに聞こ
  えていたが、わけても壇の浦合戦の段をかたらせると、「鬼人も涙をとどめえず」というほどだ
  ったといわれる。                                   
   まだ名もなさぬ駆けだしのころ、芳一はたいそう貧乏であったが、さいわい、なにかとうしろ
  だてになってくれる、よい知己がひとりあった。阿弥陀寺の和尚というのが、たいそう詩歌音曲
  が好きで、ときおり芳一を寺へよんでは、琵琶をかたらせていたのである。和尚は、年わかい芳
  一の妙技にいたく執心して、のちには、どうじゃな、よかったら寺へきて住むことにしては、と
  までいってくれたので、芳一はその恩に感じて、よろこんで和尚の申し出を受けた。そこで芳一
  は、寺のひと間をあてがわれ、食事と宿を給せられたその返礼として、ほかに約席のない晩には、
  琵琶をかたって和尚のきげんをとりむすべばよい、ということになったのである。
   ある夏の晩のことであった。ちょうどその晩は、寺の檀家に不幸があって、和尚は通夜によば
  れていき、納所の小坊主もいっしょにつれていったので、芳一ひとりが寺にのこって、るす居を
  していた。むし暑い晩のことで、芳一はすこし涼もうとおもって、寝間のまえの縁先ににじりで
  た。縁先からは、阿弥陀寺の裏手の小庭がひと目に見える。芳一はその縁はなに出て、和尚の帰
  りを待っていたが、ひとりつくねんとしているのも心寂しいところから、気晴らしに琵琶をさら
  いはじめた。
   夜半もはや過ぎたけれども、和尚はなかなか帰ってこない。そうかといって寝間にはいって手
  足をのばすには、夜気のほとぼりがまだ残っているので、芳一はそのまま部屋の外に出ていた。

       【太鼓・物具を身に纏った衛士の足音をアシラウ】               

   とかくするうちに、やがて裏門の方から、人の足音がこちらへ近づいてくるのが聞こえてきた。
  だれか裏庭をぬけて、縁先の方へやってくるのである。と思っているうちに、足音は、芳一のい
  るすぐ前まできて、ピタリと止まった。                         

       【太鼓】                              

   だが、それは和尚ではなかった。太い、力のこもった声が、盲人の名を呼ぶのである。いやに
  けんどんな、ぶしつけな呼びかたであった。ちょうど、侍が下郎をきびしく呼びつけるような調
  子である。                                      
  「芳一!」                                       
   芳一はぎょっとしたあまり、しばらく返事をしかねていた。すると、声は、ふたたびきびしく
  命ずるような調子で呼ぶのである。                            
  「芳一!」                                       
  「はい!」と盲人は、相手の声高の高飛車なのに、おろおろしながら答えた。「わたくしは目か
  いの見えぬものでござります。お呼びくださいますは、どなたさまやら、いっこうにわかりかね
  まするが…」「なにも恐れることはないぞ」客は、ややことばを柔らげていうのである。「わし
  は、この寺の近くにたむろしておる者だが、ちと用ばしあってまいったのじゃ。わしのご主君は、
  さるやんごとない方におわせられるが、上にはこのたび、高位のご家来あまたひきいられ、当赤
  間が関にご逗留のみぎり、本日は壇の浦合戦の跡をばみそなわさるるとのことにて、わざわざご
  見物にわせられたが、おりもおり、上にはおぬしが合戦物の語りじょうずとお聞きおよぼされ、
  ぜひにとのご所望なのじゃ。そこでおぬし、これよりさっそくに、それなる琵琶をたずさえ、わ
  れとともども、ご高貴がたのお待ちあらるる館まで、すぐさままいるがよかろう」というのであ
  る。      
   そのころは、かりにも武士の命とあれば、軽々しくそむくわけにはいかなかった時代である。
  芳一は、とるものもとりあえず、さっそくわらじをはき、琵琶をかかえて、見もしらぬその侍と
  つれだって出かけたのである。侍は、いかにも巧者に手引きをしてくれた。そして、もそっと急
  がぬかといっては、しきりと芳一のことを促すのである。引いてくれるその手は、くろがねであ
  った。そして、のっしのっしと歩いていくその足並みにつれて、戞々と物のうち鳴る音のするの
  は、身に甲胄をつけている証拠である。おそらく、宿直の衛士かなにかなのであろう。芳一がは
  じめにおぼえた驚怖の念は、しだいにしずまっていった。するとこんどは、自分のなかにたいへ
  んなしあわせでも迎えているような思いが、胸のなかにわきあがってきた。というのは、さいぜ
  んこの武士が、「さるやんごとないお方」と念を押すようにいったことばを芳一はおもいだして、
  してみると、自分の琵琶を聞きたいとご所望なさるお方は、どうやら一品の大々名さまにちがい
  あるまい、と考えたからである。
                                      
       【大・小鼓】                                  

  しばらく行くと、侍がふいに足をとめた。芳一があたりに心をくばってみると、どうやらふたり
  は、どこかの大きな門の前にきたようすである。はてな、町のこの方角にこんな大きな門のある
  のは、阿弥陀寺の山門よりほかにおぼえがないがと、芳一が不審に思っているとき、いっしょに
  きた侍が大きな声で、「開門!」と呼ばわった。待つほどもなく、かんぬきをはずす音がして、
  やがてふたりは門のなかにはいった。だいぶ広いお庭先を通って、またなにやら入口のあるとこ
  ろまできて、そこに控えると、かの侍が大音声に、「やあやあ、たれぞ内なるもの、芳一を召し
  つれてまいりましたぞ!」といって呼ばわった。すると、いそいそと奥から出てくる人の足音、
  するすると襖のあく音、がらがらと雨戸をくりあける音がしたかとおもうと、女の話しあう声が
  わやわやと聞こえてきた。その女たちの交わしていることばをきいて、芳一は、これはだいぶ上
  つ方のお屋敷の女中衆だわいと気がついた。それにしても、自分がいったいどんなところへ連れ
  てこられたものやら、芳一にはとんと見当がつかない。が、とかくの思案をするひまもなかった。
  人の手に助けられて、五、六段の階をのぼったと思うと、その階のいちばん上のところで、履き
  物をぬげといわれ、それから女の人の手にひかれて、磨きこんだ板敷の、際限もないような長い
  廊下をわたり、おぼえきれないほどたくさんの柱の角をいくたびか曲がって、びっくりするほど
  広い畳敷きの床をとおって、やがて大広間のまんなかに通された。
                           
       【須彌壇の背後より人々の声・低い声】                     

  ははあ、この大広間に、えらい方たちが大ぜいお集まりになっているのだな、と芳一は思った。
  きぬずれの音が、まるで森の木の葉のさやめきのようである。そして、おおぜいの人達がわやわ
  や何か話しあっている声がきこえる。低い声で話しあっているのであるが、そのことばはいずれ
  もみな、殿上のことばであった。
   らくにせい、といわれて、芳一がはっと気がついてみると、自分の前には、柔らかな円座がい
  ちまい敷いてある。その円座の上に座をしめて、芳一がおもむろに楽器の調子をしらべていると、
  ひとりの女の人の声が、芳一にむかって、こんなことをいうのである。その声は、おそらく、奥
  女中を取り締まるご老女とおぼしい声であった。                      
  「その方、ただいまよりそれなる琵琶にあわせ平家を語りきかせよとのご所望にござりまするぞ」
   ところで、ひとくちに平家といわれても、これを全曲かたるには、それこそ幾晩ものひまがか
  かる。芳一はおもいきって尋ねてみた。                          
  「平家はなかなかもちまして、やたすく全曲を語りつくせぬ曲でござりますが、お上には、いず
  れの段を語れとのご所望でござりましょうや」                       
  すると、さいぜんの老女の声がこたえた。--                   
  「壇の浦合戦の段をお語りなされい。あの段は、平家のうちにても、いちだんと哀れの深いくだ
  りじゃほどに」                                     
   やがて芳一は、やおら声をはりあげて、はげしい船いくさのくだりを語りだした。--    

       【笛/大・小鼓 合戦の修羅場面を表す烈しい急調(其の二)】 

  櫓をあやつる音、兵船のつきすすむ音、ひょうと鳴る矢風のひびき、軍兵のおたけびの声、踏み
  とどろく足音、兜をがっちと打つ太刀のひびき、撃たれてざんぶと波におちいる音、
  --一ちょうの琵琶をもって、それらの物音をたくみに曲弾きするのである。語っているうちに、
  芳一の左右からは、賞讃のささやきがおこった。「これはまた、なんというみごとな名手じゃ」
  「みやこでも、これほどに弾くのは聞いたことがない」「天が下に、芳一ほどの語りては、また
  とあるまいて」などというささやきである。その声が耳に入ると、芳一の胸のなかには、ひとき
  わ新しい気負いのこころがぼつねんと湧きおこってきて、さらにいっそうよく弾じ、よく語った。
  感服のあまり、あたりは水を打ったようにしんと静まりかえっている。
               
       【笛・安徳帝を暗示する高貴な旋律の間奏(其の二)】              

  ところが、そうこうするうち、曲はしだいに進んで、やがてのことに、かの美人弱者の薄命のあ
  りさま--一門の女・子どもたちの哀れな最期、ご幼帝をいだきまいらせた二位の局の入水のく
  だりにさしかかったとき、
                                  
       【須彌壇の背後より女房達の悲痛な声声わき起こる。】
                    
       【笛】                              

       【一の声 嗚呼、恐ろしや、恐ろしや。嗚呼、恐ろしや。】            
       【二の声 悪七兵衛、何をしてをるのぢゃ。早う判官の首を討ち取らぬか。】    
       【三の声 阿弥陀仏、阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、阿弥陀仏。】           
       【四の声 さても知盛中納言殿、お上を、お上をばいかに……】          

  聞き入るものはいずれもみな、長い長いおののくような苦悶の音を発し、はてははげしい嗚咽の
  声をあげて、深い悲嘆に泣きくずれだした。その声があまりに高く、あまりにはげしいのに、芳
  一はいまさらのごとく、自分のひきおこした愁嘆のはげしさに、われながら驚き入ったほどであ
  った。
  すすり泣く声は、だいぶしばらくのあいだ続いていたが、やがていつとはなしに、哀哭の声は消
  えるがごとくにおさまり、あたりはふたたびまたもとの静けさにかえったと思うと、その静けさ
  のなから、芳一は、さいぜんの老女らしい女の声を聞きつけたのである。           
  老女はいった。--                                   
  「さてもさても、そなたは世にたぐいなき琵琶の名手。たれ及ぶものなき語りてとは、かねて存
  じておりましたれど、こよいほどの腕前とは、よもや存じませなんだ。わが君にも大のご満悦。
  じゅうぶんなる礼物をお下げ渡しくださる旨、よく伝えおけよとの仰せにござりまするぞ。この
  うえはこよいより六日があいだ、毎夜ご前において、そなたの琵琶を聞かせよとのご諚。わが君
  にはそのうえにてご上洛のおん旅にご発足あそばさるるおん催しなれば、明晩もかならずこよい
  と同刻に、当館までまかりでるよう。こよい案内せし者が、かさねて迎えに参じましょうぞ。そ
  れについて、ここにひとつ、そなたに申しつけておくことのあると申すは、余の儀にあらず、わ
  が君当赤間が関にご逗留のうちは、そなたが当館にまかり出ること、堅く他言はなりませぬぞ。
  なにを申せ、わが君このたびのおん旅は、お忍びのおん催しゆえ、さようなことはいっせつ口外
  ならぬとのご上意にござりまする。それでは、こよいはこれにて遠慮のう、ご坊へおひきとりな
  されませい」    

   芳一は厚く礼をのべたのち、女中に手をとられて、館の玄関口までみちびかれてくると、そこ
  にさいぜん自分を案内してくれた、かの侍が待っていて、それが寺まで送りとどけてくれた。侍
  は、裏手の縁先まで芳一をつれてくると、そこで別れを告げて帰って行った。          
   芳一がもどったのは、かれこれ空の白みかけた頃であったが、寺をひと晩明けたことは、だれ
  にも気づかれずにすんだ。和尚はその晩、だいぶ遅くなってから戻ってきたので、芳一のことは、
  もうとうに寝んでしまったものと思ったのである。翌日、芳一は、昼のうち少しばかりやすもこ
  ともできたが、昨夜のふしぎな出来事については、ひとことも口外しなかった。さて、その晩も
  真夜中になると、かの侍が迎えにやってきて、芳一は貴人たちのつどいの席によばれていったが、
  晴れのその席で、かれはふたたび弾唱して、前夜の演奏でかちえたと同様の成功を博した。とこ
  ろが、この二度目の伺候中に、芳一の寺を留守にしたことが露顕してしまったのである。朝にな
  って寺にへもどってくると、芳一はさっそく和尚のまえに呼びつけられた。和尚は芳一のために、
  じゅんじゅんとたしなめるように説いたのである。
  「芳一、わしらはな、そなたの身をいこう案じておったのだぞ。目かいもきかぬにただひとり、
  それもあろまいことか、夜ふけに他行するなどとは、けんのんこの上もないことじゃ。なぜ、ひ
  とこと断って行かなんだのじゃ。さすれば、寺男を供になとつけてやったものをよ。して、そな
  た、今までどこへ行ってじゃったな?」
  芳一は言いのがれのために、こんなふうに答えた。--
  「方丈さま、どうかご勘弁のほどを願いまするで。なに、ちと自分用がござりましてな、昼のう
  ちについちゃっと片づけられなんだものでござりましたゆえ……」
   和尚は、芳一が実を明かそうとしないのを見て、気を悪くするよりも、むしろ驚いた。これは
  どうやらただごとではない。なにかこれにはわけがありそうだ。ひょっとすると、この目の見え
  ぬ若者は、なにか魔性のものにでも憑りつかれたのではなかろうか。たぶらかされでもしていた
  のではあるまいか。--和尚はそれを心配していた。そこで、そのときはそれ以上深くは問いた
  ださずにおいて、あとで和尚は、ひそかに寺男に委細をふくめ、芳一の挙動に目をはなさぬよう、
  万が一、夜に入ってからまた寺を抜けだすようなことでもあったら、そのときはすかさず跡をつ
  けて行けと、かたがた言いつけておいたのである。                           
   その晩のことだった。芳一が寺を抜けだしていくのが見うけられた。それっというので、寺男
  たちはすぐにちょうちんをつけて、跡を追いかけた。ところが、その晩は雨降りで、ひどく暗い
  晩であった。寺男たちが表の通りへ出たか出ないうちに、芳一の姿はもうどこにも見えなくなっ
  ていた。
  それでみると、よほど芳一は足早に急いで行ったものにちがいない。しかし、目が見えないとい
  うことを思いあわせてみると、いかにもこれは不思議なことであった。だいいち、道もわるいと
  きている。寺男たちは、ともかくも町筋を急いで、芳一のふだん行きつけている家を、片っぱし
  から虱つぶしに尋ね歩いた。ところが、だれも芳一の行った先を知っているものがない。
     
       【大・小鼓】

  さんざん尋ね歩いたあげく、寺男たちは浜づたいに寺の方に引き返してきてみると、驚いた。阿弥
  陀寺の墓地のなかで、さかんに琵琶を弾じている音がきこえるのである。墓地の方角は、ただもう
  いちめんの闇で、その団団たる闇のなかに、鬼火が二つ三つちらちら燃えているのは、いつもの闇
  の晩と同じであった。寺男たちは、ちょうちんのあかりをたよりに、墓地のなかにいる芳一を、よ
  うやくのことで見つけだした。芳一は降りしきる雨のなかに、ひとりしょんぼりと、安徳天皇のみ
  陵のまえに端座して、錚々と琵琶をかきならしながら、しきりと声をはりあげて、壇の浦合戦の段
  を語っていたのである。その芳一のうしろにも、まわりにも、また墓碑という墓碑の上にも、ちょ
  うど無数の燭をともしたように、陰陰たる鬼火が燃えたっていた。あとにもさきにも、こんなにお
  びただしい陰火が人間の目に見えたことは、ついぞためしのないことであった。        
  「芳一さん! --芳一さんよ!」寺男たちはどなった。「おめえさま、化かされてござるだ。…
  …芳一さんよ!」                                    
   けれども、盲人の耳には、その声がはいらないらしい。芳一は、ますます懸命に、いよいよ力を
  こめて、錚々と琵琶をかき鳴らしながら、声をふりしぼって、ここをせんどと壇の浦合戦を誦する
  ばかりである。寺男たちは、芳一のからだをむずと捉えると、その耳もとで大音にどなりたてた。
  「芳一さん! --芳一さんよ! さあ、おれたちといっしょに、すぐ戻らっしゃれ!」    
   すると芳一は、まるで叱咤するような声で、寺男たちにむかって言った。--        
  「もったいなくも君のご前において、さような邪魔だてひろぐと、容赦はならぬぞ!」     
   事はいかにも不気味であったが、これには寺男たちも、思わず失笑せずにはいられなかった。も
  うこうなれば、どのみち、芳一がなにか物にとりつかれていることは、まぎれもないことである。
  寺男たちはむりやりに芳一をひったてると、一同力にまかせ、追いたてるようにして急ぎ寺へつれ
  戻った。寺へもどると、和尚のさしずで、芳一の濡れそぼった衣服を着かえさせ、それから飲むも
  のと食べるものをあたえた。やがて和尚は芳一に迫って、この驚き入った振舞について、じゅうぶ
  んな申し開きを求めた。                                 
   芳一は、ややしばらく語ることをちゅうちょしていたが、とうとうしまいに、自分のしでかした
  ことが親切な和尚を驚かし、かつ憤らせたことに気づいて、ようやくのことで、いままでの自分の
  隠しだてを捨てる腹をきめ、かの侍が自分のところへ訪ねてきてから、きょうまでに起ったいちぶ
  しじゅうのいきさつを、はじめて和尚に打ち明けたのである。                
   和尚はいった。--                                  
  「芳一、そなたはふびんなやつじゃ。そなたはの、いま、たいへんな危ない目に会うているのじゃ
  ぞ。こんなことにならぬうちに、早くわしに言うてくれなんだのは、なんとも不運なことであった。
  これというのも、みなこれは、そなたが琵琶がじょうずなばかりに、このような危難に会うたの
  じゃ。しかし、もはやこうなるうえは、そなたももうよいほどに目がさめねばならぬぞ。そなたは
  の、人の家にまいっておったのではない。じつは毎夜、当墓所内なる平家のご墓所のまえで過ごし
  ておったのじゃ。こよい、寺男どもが雨の降るなか、そなたの坐っておるのを見つけたところは、
  あれは安徳帝のみ陵の前であった。亡者が尋ねてまいったことはともかくとして、そなたが妄想し
  ておったことは、あれはみな一場のまぼろしなのじゃ。ひとたび亡者の申すことに従うたばかりに、
  その亡者どもの念力に、そなたは縛されておったのじゃ。これまでのようなことがあったに、こ
  のうえ二どとまた亡者の申すことをきけば、そなたの身は、ついには八つ裂きに会うてしもうぞよ。
  いや、いずれ遅かれ早かれ、その身はとり殺さるるにきまっておる。……ところで芳一、わしは
  こよいもまた一軒通夜があって、よんどころなく出かけねばならぬによって、そなたといっしょに
  寺におるわけにはまいらぬでな。そのかわりに、どうでも出かける前に、そなたの五体に、護符の
  経文だけは書きつけておいて進ぜようわい」                        

       【須彌壇の背後より般若心経の読経の声】                    

  かんじーざいぼーさつ。ぎょうじんはんにゃーはーらーみつたーじー。            
  観自在菩薩。     行深般若波羅蜜多時。                       

  しょうけんごーうんかいくう。どーいっさいくーやく。                   
  照見五蘊皆空。       度一切苦厄。                        

  日の落ちるまえに、和尚と納所とは、芳一をまる裸にすると、さて筆をとって、ふたりは芳一の胸
  といわず、背中、頭、顔、うなじ、手、足とーー五体のうちは残るくまなく、足の裏にいたるまで、
  いちめんに般若心経を書きつけた。                            

  しゃーりーしー。しきふーいーくー。くうふーいーしき。しきそくぜーくう。         
  舎利子。    色不異空。    空不異色。    色即是空。             

  くうそくぜーしき。じゅーそうぎょうしきやくぶーにょーぜー。               
  空即異色。    受想行識亦復如是。                          

  しゃーりーしー。ぜーしょーほうくうそう。ふーしょうふーめつ。              
  舎利子。    是諸法空相。      不生不滅。                   

  ふーくーふーじょうふーぞうふーげん。ぜーこーくうちゅう。むーしき。               
  不垢不浄不増不滅。     是故空中。     無色。                 

  むーじゅーそうぎょうしき。むーげんにーびーぜつしんにー。                
  無受想行識。       無眼《耳》鼻舌身意。                     

               【笛《耳》の一字読誦の瞬間に合わせて烈しく吹く】       

  はんにゃーはーらーみつたー。ぜーだいじんしゅー。ぜーだいみょうしゅー。         
  般若波羅蜜多。是大神呪。是大明呪。                           

  ぜーむーじょうしゅー。ぜーむーとうどうしゅー。のうぢょーいっさいくー。         
  是無上呪。是無等等呪。能除一切苦。                           

  しんじつぷーこーこー。せつはんにゃはーらーみつたーしゅー。               
  真実不虚故。説般若波羅蜜多呪。                             

  そくせつしゅーわつ。ぎゃーていぎゃーてい。はーらーぎゃーてい。             
  即説呪曰。羯諦 羯諦。 波羅羯諦。                           

  はらそうぎゃーてい。ぼーじーそわかー。                         
  波羅僧羯諦。 菩提娑婆訶。                               

  はんにゃーはーらーみつたーしんぎょう。                         
  般若波羅蜜多心経。                                   

  さて書きおわると、和尚は芳一にいった。                         
  「こよい、わしが出かけたばの、そなた、すぐに裏の縁先にすわって、待っておるがよい。すると
  迎えがくる。じゃが、どんなことがあろうと、そなた、返事をしてはならぬぞよ。また、五体を動
  かすこともなりませぬぞ。口をばきかいで、じっと静かに坐っておるのじゃ。まず三昧のていと思
  えばよい。もし少しでも身を動かしたり、声をたてたりするようなことがあれば、その身は八つ裂
  きにあうことは必定じゃぞよ。だが、恐れるには及ばぬ。だによって、助けを呼ぼうなどと思わぬ
  ことじゃ。助けを呼ばったとて、しょせん助かるものではない。ただ、わしが今いうたとおりにさ
  え、間違いなくしておれば、危難はぶじに退散して、恐ろしいことはなくなろうでの」     

   夜に入ってから、和尚と納所は出かけて行った。芳一はいわれたとおり、縁先に座をしめた。縁
  の板敷の、自分のすわっているそばに琵琶をひかえて、入禅の姿勢をとり、じっと神妙に端坐して
  いるのである。そして一心に精神をこらし、しわぶきの声ひとつたてず、つく息もきこえぬように
  しているのである。こうして、芳一は幾時か待っていた。そのうちに、やがて往来のほうから足音
  の近づいてくるのが聞こえてきた。                            

       【太鼓・物具を身に纏った衛士の足音をアシラウ】                

  足音は裏の木戸をはいって、庭を通りぬけ、縁の近くまできて、さて芳一のすぐ前まできてとまっ
  た。                                          
  「芳一!」と例の太い、力のこもった声が呼ぶ。しかし、盲人は息をころして、じっと坐ったまま、
  身じろぎひとつしない。                                
  「芳一!」と二度目の声が、ぞっとするように呼ぶ。やがて三度目の声が呼ぶ。こんどは荒々しい
  声である。                                       
  「芳一!」                                       
   芳一は、依然として石のように静かである。--すると声は、いかにも不服らしげに、こんなこ
  とをいうのである。--                                 
  「返事がないな。これは怪しからぬ。しゃつめ、どこへ失せおったか見てくりょうわ」     
   たちまち、縁にあがる荒々しい足音がした。足音はのしり、のしりと近づいて、芳一のすぐそば
  まできて、ぴたりと止まった。                              

       【太鼓」                              

  芳一は、身ぬちが胸の動悸でがたがた震うように感じた。あたりは闃として、物音ひとつしない。
   やがて荒びた声が、芳一のすぐ耳もとで、こんなことをつぶやいた。            
  「ここに琵琶があるぞ。だが、琵琶法師が見えぬ。ただ耳がふたつ見えてあるだけじゃ。……さて
  こそ返事をせぬはずじゃわ。返事をしようにも口がないて。法師の五体は、耳が残っておるだけ
  じゃ。……よし、しからばここなこの耳を、大殿に持って帰って進んぜようわえ。殿の厳命をばよ
  くぞ勤めたという、こりゃよい証拠じゃ」                          
   そのせつなであった。芳一は、くろがねの指に両の耳をむずとつかまれたかと思うと、    
  たちまち、びりびりと、                                 

       【笛】                                 

  引き裂かれるのをおぼえた。その痛さをひじょうなものであった。が、それでも芳一は声をたてな
  かった。重い足音は、ずしり、ずしりと縁をしさっていった。やがて足音は庭に降り、それから往
  来の方へ出ていき、--そして消えた。芳一は、両の首すじから、なにやらねばねばした温いもの
  がたらたら流れ落ちるのをおぼえたが、それでも手を揚げることをしなかった。        

   日ののぼるまえに、和尚は帰ってきた。帰るとすぐさま、いそいで裏の縁へまわってみたが、そ
  のとき和尚は、ふとなにかねばねばしたものを踏みつけて、足をすべらした。そして、あっと声を
  あげた。ちょうちんの灯でみると、そのねばねばしたものは血汐であった。見ると、芳一は、縁の
  はなに三昧の姿勢をとったまま、じっと端坐している。--傷口からしたたる血汐に、朱に染まり
  ながら。                                        
  「や、芳一!」と愕然とした和尚は叫んだ。「これはまた、な、何としたことじゃ。そなた、怪我
  をさしゃったか?」……                                 
   和尚の声をきいて、芳一はもう危険はないとおもった。そして、いきなりわっとその場に泣き入
  るなり、こよいの顛末を涙のうちにものがたった。                     
  「おお、やれやれ、ふびんな、ふびんな!」と和尚はおもわず声高に、            
  「みんなこれは、わしの手落ちじゃ。いかにもわしが悪かった! そなたのからだは、どこもくま
  なく経文を書きつけたったに、耳だけ書きおとしてしもうたわ。よもや納所めが、そんなことはせ
  まいと思うて、わしゃそこのところはあれに任せておいた。言うとおりに書いたかどうか、それを
  確かめて見なんだは、重々わしが悪かった。……しかし、いまさら悔んがとて、せんないこと。こ
  のうえは一刻も早う、その傷をなおすことじゃ。芳一、したがそなた、よろこべ。元気を出せよ。
  危難はもはや退散したぞ。こののちは、もう二どとふたたび、あのような亡霊に煩わさるることは、
  ゆめゆめないぞ」                                    

  芳一の傷は、まもなく良医の手によって本復した。ふしぎな危難のうわさは、おちこちに広まりつ
  たえられ、やがて芳一の名は、一時に世に高くなった。多くの貴人たちが芳一に琵琶をききに、は
  るばる赤間が関まで足をはこんでくる。おびただしい黄白が贈られて、芳一はそのために、たちま
  ちのうちに裕福になった。しかし、この奇談があってからのちは、もっぱら耳なし芳一という異名
  で通ったのである。                                   

       【須彌壇の背後より振鈴の音、高く、次第に静かに】               
 
                                      
                    《参考 ラフカディオ・ハーン作/平井呈一訳『怪談』(岩波文庫)》
 







2002 CROATIAN TOUR of JAPANESE STAGE ARTISTS GROUP "URUSHI"
International music festival at Dubrovniku,Croatia

《アドリアの月 海の女神》
―能「松風」の主題によるクロアチア変奏曲ー


アドリア海に 月落ちぬ
月の光は 皓皓と
海は泡立ち 香に満ちぬ

嗚呼 太古の海 わき立ちて
ふるへふるへる いのちかな
そのさざ波は 海の果て
果てなる空に 空に寄す

アドリア海に 月落ちぬ
月の光は 皓皓と
海は泡立ち 香に満ちぬ

山川草木 悉皆成仏
月の雫に かかやきて
慈悲の光は 天に満ち
慈悲の光は 地に満ちぬ

月の雫は たちまちに
村雨となるかと見るや空晴れて
松風ばかり よそに聴き
月天心に 澄みにけり

冴えわたる アドリアの月
七つの海の 海の女神
いのちの海の 海の女神
アドリアの月 冴えわたる



Luna-Sea


The Moon fell into Adriatic Sea
The bright beams caused the ripples to foam
Leaving a fragrance over the sea

O,ancient Sea!
Out of it life began to flow forth
Trembling until it finally took form
Surging into the sky
Beyond the Adriatic Sea

The Moon fell into the Adriatic Sea
The bright beams caused the ripples to foam
Leaving a fragrance over the sea

Mountains,rivers,grass,and trees
All things,O,Buddha
Are lit by drops of Moonlight
Filling heaven and earth
With the light of his benevolence

An instant,drops of Moonlight
As a MURASAME1 over the Adriatic Sea
It cleared up all of a sudden
With a MATSUKAZE2 blowing silently
In the midst heaven
The Moon
Bright as ever!

O,Adriatic Moon!
Shining brightly
Goddess of the Seven Seas
Of our birth
Bright as ever!


Original poem written by Miho Morimoto
Adapted into a Noh version by Hiroshi Negishi
Translated into English by Toshiaki Ozaki and Edward Torrico

1  
MURASAME literally means a passing rain.
Also,she is MATSUKAZE's younger sister in the Noh play MATSUKAZE.

The MATSUKAZE story : One day a Buddhist monk traveler finds himself at beach,
where he encounters two beautiful fisherwomen.
MURASAME and MATSUKAZE He asks them to lodge him for the night.
While taking, he finds out that MATSUKAZE is still in love with her by-gone lover Yukihira.
MATSUKAZE takes Yukihira s memento and begins to dance so passionnately
that the traveler loses the sense of time.
After a while he only finds a wind blowing amang the pines along the beach after a passing rain.
2  
MATSUKAZE literally means the wind blowing among pines. 
 
                               

 


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