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平成二十四年 旅 |
平成二十四年一月一日 稲子麿草庵 |
あかあかと障子くまなき初明り |
過ぐる聖夜より体調を崩し、不覚にも絶食に近き有様 にて平成壬辰の新春を迎へけり。初詣もかなはず、障 子越に初日を拝して、辛うじて年頭の一句とするのみ。 |
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おのが名の地酒持ち込む年賀かな 小分けせし雲丹の経巡る新年会 |
年始客ありて寝正月に訣別。酒を百薬の長とはよくぞ 云ひける。大峯山陀羅尼助丸に勝る薬効にしばし陶然。 |
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山茶花や初折六句にとばしりて | 寒林に何打つ音の木霊かな |
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恵比寿 | 大黒天 | 毘沙門天 | 弁財天 | 布袋 | 福禄寿 | 寿老人 |
杖引いて庭福神を巡りけり |
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香は凝りて花未だなり梅探る | 寒梅や一輪紅きをさきがけに |
平成二十四年二月二十九日 新江戸川公園 |
閏月晦日の未明より降りつづきし雪 都内積雪一糎の報あり 寒気厳し 漸く満開を迎へし梅林 紅白共によそほひにけり |
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紅梅白梅に雪 | |
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大滝橋 |
平成二十四年三月一日 関口芭蕉庵 |
昨春三月倒れたる石燈籠、旧に復したり。 古池の句碑のほとり、今日ひと日雪景色。 |
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平成二十四年三月九日付「朝日新聞」朝刊と英訳「おくのほそ道」 |
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平成二十四年三月十一日付「朝日新聞」朝刊 追悼式 |
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平成二十四年三月二十五日 亀戸 ふぐ料理 |
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平成二十四年 自三月三十日至四月七日 国立国際医療研究センター病院 入院
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東京スカイツリー | 新宿高層ビル群 |
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病室からの眺望 | 学習院戸山キャンパス | 早稲田大学大隈講堂時計台 |
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NTTビル | 陸軍軍医学校長森鴎外愛用の机 |
平成二十四年四月八日 神田川花見舞 |
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椿山荘大椿間
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将棋名人戦第一戦 於椿山荘 | 椿山荘冠木門 | |
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豊橋 | 大滝橋 | 花筏の彼方に関口芭蕉庵を望む
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平成二十四年四月九日 神田川小景 |
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冬眠からさめたルリタテハ | シロバナタンポポ | 甘酒あります |
平成二十四年四月十二日 武州小川 |
武州小川は山紫水明風光明媚をもつて小京都と称せらる。 比企丘陵の一隅、外秩父に位置する盆地なり。南に仙元 山、西に笠山・堂平山の秀麗な山容を望み、槻川・兜川 の清流に魚影濃し。古くより和紙・酒・絹・木材を産す。 文人墨客好んで逍遥したる桃源郷、鰻の老舗に銘酒あり。 |
![]() 仙元山 |
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![]() 笠山(右)堂平山(左) 山容にて知るべし |
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渓流槻川 釣道具
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水雷艦長遊びの聖地
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JR八高線・東武東上線 小川町駅
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平成二十四年五月二日~六日 新潟・長野遠征
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弥彦神社 雨の大鳥居 | ||||
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弥彦神社本宮 雨やまず | 神域の空 薄日さす | 弥彦神社本宮 雨あがる | |||
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雪折桜あはれ |
思ふどち-1 |
上杉謙信公支配城址 |
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photo by Maeda Kousuke(omofudochi-2) |
平成二十四年五月十二日(土) 深川界隈文学散歩( 一) |
徳川家康江戸入府直後より企画されし神田上水、目白台下大滝橋を堰口(関口)とし 市民の飲料水供給の利便となせり。潮汐の干満の水位は現在の江戸川橋附近を境とす (平成二十三年(2011)三月十一日東北関東大震災の際、東京湾の津波椿山荘下神田 川まで遡行せしを目撃したり)。延宝年間、松尾芭蕉神田上水の工事に関はれり。俳 号桃青、いまだ世に知られざりける頃のことなり(後人堰口に近く水神社あるに因み 関口芭蕉庵の遺跡とす)。家康水道工事に加へ、製塩地行徳に水運を開くべく小名木 川の開鑿事業を興せり。延宝八年(1680)桃青居を深川に移す。新開地なり。幕府御 用魚問屋杉山杉風の尽力にて草庵を結ぶ。李下より芭蕉の株を贈られ世にいふ深川芭 蕉庵こゝになる。文学散歩まづ深川不動を参拝、順次芭蕉の旧跡を訪ね往時を偲ぶ。 |
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深川不動 参道
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深川不動本堂 | 蓮華を捧げる矜鞨羅童子 |
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願掛け草鞋 | 採荼庵跡の芭蕉像
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杖と草鞋(素足) | |
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滝沢馬琴誕生の地 | 「南総里見八犬伝」
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臨済宗妙心寺派瑞甕山臨川寺(仏頂禅師創建) |
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仏頂禅師と親交のあった芭蕉参禅の寺 | 萬年橋 (小名木川第一橋梁) | 葛飾北斎 富嶽三十六景「深川萬年橋下」 | |
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大川(隅田川)をゆく最新鋭型水上船
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大川端に臨む深川芭蕉庵跡付近 | 芭蕉記念館 |
平成二十四年五月十三日(日) 深川界隈文学散歩 (二) |
『幻住庵記』 にいはく「終に無能無才にして此一筋につながる」。 折しも訪ねあてし芭蕉庵旧跡に雪の下の咲けるを見、一句得たり。 |
平成二十四年五月二十一日(月) 金環日蝕 |
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白壁の日蝕 |
木漏れ日の日蝕 | |
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大滝橋 観察陣 | 午前7時34分 金環日蝕 | 見る人 行く人 |
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金環王子 |
平成二十四年六月七日(木) 府中 鳩林荘 |
鳩林荘は岡部子爵の時代、文人墨客にも広く知れわたり、ここに杖を曳く内外の 貴顕も数多くありましたが、私の時代に入ってからは、政・財界人、文化人のほ か海外からもロックフェラー三世夫妻をはじめとする多数の賓客を迎えました。 1970年12月6日 石橋正二郎 |
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籠に入れて帰りしあとや竹落葉 | 武蔵野に下闇深き欅かな | 涼しさや防空壕のありどころ |
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縁台に翅を休めよ夏の蝶 | 彩りやスケツチ会の樟若葉 | 梅雨入をはゞむ亭主の心ばえ |
平成二十四年九月十四日(金) 北区赤羽台 |
平成二十二年十月二日逗子市佐島にて我が研究員が採集したアカボシゴマダラ。 その後二十三年五月埼玉越生町での春型採集、さらにさいたま市見沼、文京区 関口での採集、新宿区早稲田での目撃とつづく。 二十四年に入って五月足立区 七月北区赤羽台の目撃情報をへて、九月十四日午後、北区桐ヶ丘にて一頭採集。 |
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赤羽八幡神社鳥居 | 赤羽八幡神社本殿 | |
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赤羽台公園附近緑道 | 七月十五日 アカボシゴマダラ目撃現場附近 | |
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北区桐ヶ丘採集場所附近 | アカボシゴマダラ採集ポイント |
平成二十四年九月十六日(日) 上野恩賜公園 |
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上野恩賜公園 | ツタンカーメン展会場最後尾 |
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フェルメール展 |
平成二十四年九月十六日(日) 根津神社 |
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根津神社鳥居 | ||
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平成二十四年九月二十四日(月) 八柱霊園 |
かめまろ日記 秋の彼岸なり。手提げ水槽にて移動、八柱霊園に墓参す。仏説に盲亀浮木の喩へあり。 大海を経巡る盲亀の浮木に会ひ難きことより、人に生まるゝこと難く、さらには人と 生まるゝも仏法に会ふことなほ難きをいふとなり。亀に二類、水亀と陸亀あり。前者 淡水と海水とに棲み分く。まろの系統は日本各地の河川湖沼に棲む一種にて沼亀なり。 仏説の亀は海亀なり。墓地にてまろを見かけし伊予の人、こはどんがめなりといひて、 育てしのちはと言葉を濁したり。どんがめとはスツポンのことならずや。或はどんは 鈍に通ずるをもつて当座の挨拶となしたるか。今以て解せず。げに恐ろしきは人間界。 |
かめまろ墓参 |
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平成二十三年 旅 |
平成二十三年一月一日 湯島天神 |
湯島天神初詣之記 道真、死して天満大自在天と祀らる 京都北野天満宮・福岡太宰府天満宮 ・鎌倉荏柄天神社いづれも参拝せり 東京湯島天神、地元なれば、しばし ば参拝せしも初詣ははじめてなりき 湯島の白梅口ずさむ影法師のありや なしや…香は残りて 玉垣は語らず |
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行く年来る年…。大晦日の夜、前倒しで初詣する人の姿。 本郷三丁目で見つけたさくら咲く櫻木天神という天神様。 |
年が明け、湯島天神への参詣路は若い受験生で溢 れる。腹ごしらえが先、とばかり夜店もひしめく。 |
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本殿の飛梅は夜陰に燦然たる銀光を発している。 | 境内の一隅にすでに馥郁と香を放つ白梅。
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平成二十三年一月三日 横浜みなとみらいホール
日本海側の大雪が報じられるなか、太平洋側の東京・横浜は 温暖な天候に恵まれた。渋谷で東急東横線・元町中華街行の 発車間近の特急に乗り換えようとして走った。ホームに金属 の撥ねるような音がしたがそのまま最後尾の車輌に飛び乗っ た。扉が閉まる直前、追いかけてきた若い女性が五百円硬貨 を差しだしてきた。会釈して受け取った瞬間、扉が閉まる… 献身的な行動と健やかな笑顔がいまなお印象深い。有難う。
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ホール5階ロビーからの眺望 | 未来エネルギーの風力発電 | 横浜からもスカイツリーが見えた |
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中国獅子舞みなとら君 元気に登場 | ごあいさつ よい年でありますように | はい ごほうび! 手をかまないで… |
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エントランスのフレスコ画・Ⅰ | 開演を待つ 小ホール | エントランスのフレスコ画・Ⅱ |
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小ホール入口 | 演奏家なりきりタイム | スタインウェイ |
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先師を偲びて
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山寺や雪の底なる鐘の声 小林一茶 |
鈴木牧之著『北越雪譜』 掘りたる雪は空地の、人の妨げなき処へ山のごとく積み上げる、これを里言に掘り上げといふ。 大家は家夫を尽くして力足らざれば掘夫を傭ひ、幾十人の力を併せて一時に掘り尽くす。事を 急に為すは掘る内にも大雪下れば立ち所に堆く人力におよばざるゆゑ也。右は大家の事をいふ、 小家の貧しきは掘夫をやとふべきも費えあれば男女をいはず一家雪を掘る。吾里にかぎらず雪 ふかき処は皆然なり。此雪いくばくの力をつひやし、いくばくの銭を費やし、終日ほりたる跡 へその夜大雪降り夜明けて見れば元のごとし。かゝる時は主人はさら也。下人は頭を低れて嘆 息をつくのみ也。大抵雪降るごとに掘るゆゑに、里言に一番掘り二番掘りといふ。 |
関口芭蕉庵 以下、史蹟関口芭蕉庵案内記による 俳聖松尾芭蕉が郷里伊賀から二度めに江戸に出て、 深川六間堀近くの、所謂今日の深川芭蕉庵に住み つくまでの四年間、即ち延宝五年(一六七七年) 当時三十四歳で神田上水(江戸川)の改修工事を 監督して、延宝八年(一六八〇年)三十七歳まで、 この地竜隠庵に居住したので、関口芭蕉庵と呼ん で大正十五年、東京府の指定史蹟に編入されたの である。
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承前 そして大正十五年以来、俳壇の長老松宇伊藤半 次郎氏が管理人として、昭和十八年八十五歳で 病歿するまで、此処に住んでいた。 |
その時突然机上に落ちた一個の郵便は暫く静まっていた余の心をまたさわ立たしめずには おかなかった。それは『俳諧』と題する雑誌であって、居士が伊藤松宇、片山桃雨諸氏と 共に刊行したものであって、その中には余が居士に送った手紙の端に認めておいた句が一、 二句載っていた。碧梧桐君の句も載っていた。 高浜虚子著『回想 子規・漱石』 |
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神田上水舊蹟碑記 徳川氏府ヲ江戸ニ開クノ初 大久保主水忠行命ヲ受ケテ 上水道開設ノ工ヲ起シ多摩郡 井之頭池ノ水ヲ用ヒ此地ニ 堰ヲ設ケテ神田市中ヨリ 給水ス神田上水即チ是ナリ 此地ハ地勢髙峻老樹蓊蔚タ ル目白臺下ノ景勝ニ位シ亦 四季ノ景物ニ富メルヲ以テ 古来江戸名所トシテ聞ユル 事久シ俳聖芭蕉嘗テ上水道 修築ニ從ヒテ此處ニ寓シ遺 阯今ニ傳ヘテ風流ノ餘韻ヲ 慕フモノ尠カラズ 大正八年附近水道附属地ヲ 江戸川公園ト為シ上水道史蹟 ノ保存ニ務メシガ昭和十二 年三月江戸川改修ノ工成ル ニ至ツテ遂ニ舊觀ヲ失ヘリ 仍テ茲ニ舊洗堰遺材ノ一部 ヲ用ヒ碑ヲ建テ由来ヲ刻シ 以テ追憶ノ資トナス 昭和十三年三月 東京市 |
伊賀の上野は赤坂に幼少時を過ごした松尾宗房は 江戸に出て苦節幾星霜、念願の宗匠となって松尾 桃青を名乗るが、家庭の事情もあって経済的には 不如意であった。延宝年間ここ神田上水道改修工 事に従ったのは副収入が欠かせなかったからであ ろう。江戸川の南には広々とした早稲田の田圃、 その向こうに秀麗な富士山が遙か遠く望まれた。 踏青や伊賀の赤坂なつかしき |
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神田上水舊蹟碑 全景 | 神田上水舊蹟碑記 碑文(釈文は上掲) | 神田上水 縮小模型庭園 |
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講談社野間記念館入口 | 記念館玄関 |
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庭園より見る東京カテドラル聖大教会の鐘楼 |
記念館休憩室より見る庭園 |
■展示解説 《四季の彩りと十二ケ月図》 日本では、平安時代以来、四季の景物や花鳥などを画面に配する四季絵や、各月の風俗や年中行事な どの様子をとらえた月次絵などが、描かれてきました。日本は、世界でもまれな四季の彩りに恵まれ た国であり、私たちの祖先は、豊かな自然に親しみながら、季節に応じて移ろう花々や鳥、虫などの 様子に目を凝らし、やがて多様な季節感を日本の文化のうちに強く根づかせてきたのです。四季の華 麗な移ろいは、文学作品などに取り上げられると同時に、画家たちの強い興味の対象ともなりました。 花鳥や年中行事を対象とする月次絵は、主として大和絵の画題でしたが、江戸時代までに各流派が手 がけていくようになり、これらのいくつかは、掛軸や屏風の形式で、現在まで残されています。近代 においても、こうした四季絵、月次絵が、さかんに描かれていきました。 講談社野間記念館 |
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追善梅三句 |
莞爾として生死をわらふ梅一輪 |
梅とのみ彫らせし箸を形見にて |
梅の名をとゞめし酒のしたはしき |
運慶が護國寺の山門で仁王を刻んでゐると云ふ評判だから、散歩ながら行つて見ると、 自分より先にもう大勢集まつて、しきりに下馬評をやつてゐた。 山門の前五六間の所には、大きな赤松があつて、其幹が斜めに山門の甍を隠して、遠い 青空迄伸びて居る。松の緑と朱塗の門が互ひに照りあつて美事に見える。其の上松の位置 が好い。門の左の端を眼障にならない様に、斜に切つて行つて、上になる程幅を廣く屋根 迄突出してゐるのが何となく古風である。鎌倉時代とも思はれる。 所が見て居るものは、みんな自分と同じく、明治の人間である。… 夏目漱石「夢十夜」第六夜 |
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護国寺仁王門
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護國寺不老門
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神齢山護國寺本堂(国指定重要文化財) 元禄十年(一六九七)建立 本尊如意輪観世音菩薩 |
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年男年女の関取や歌手が登場 |
本堂前で春を待つ華道活花 | おごそかな大導師一行のお練り |
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なぜか鴉の群も集合中 |
多宝塔を背に豆撒きの始まり
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幸運にも拾い得た福豆 | ||
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「おなかこわすからダメ!」「オッニー!」
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「ここなら安全だね。」「ホントだ。」
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大阪にはないという大阪焼 東京の縁日では人気の屋台 |
ある人が私の家の猫を見て、「是は何代目の猫ですか」と訊いた時、私は何氣なく「二代目です」と 答へたが、あとで考へると、二代目はもう通り越して、その實三代目になつてゐた。 初代は宿なしであつたにも拘らず、ある意味からして、大分有名になつたが、それに引きかへて、二 代目の生涯は、主人にさへ忘れられる位、短命だつた。私は誰がそれを何處から貰つて來たか能く知ら ない。然し手の掌に載せれば載せられるやうな小さい恰好をして、彼が其所いら中這ひ廻つてゐた當時 を、私はまだ記憶してゐる。此可憐な動物は、ある朝家のものが床を揚げる時、誤つて上から踏み殺し てしまつた。ぐうといふ聲がしたので、蒲團下に潜り込んでゐる彼をすぐ引き出して、相當の手當をし たが、もう間に合はなかつた。彼はそれから一日二日して遂に死んでしまつた。其後へ來たのが即ち眞 黑な今の猫である。 私は此黑猫を可愛がつても憎がつてもゐない。猫の方でも宅中のそのそ歩き廻るだけで、別に私の傍 へ寄り付かうといふ好意を現はした事がない。 或時彼は台所の戸棚へ這入つて、鍋の中へ落ちた。其鍋には胡麻の油が一杯あつたので、彼の身體は コスメチツクでも塗り付けたやうに光り始めた。彼はその光る身體で私の原稿紙の上に寐たものだから、 油がずつと下迄滲み通つて、私を隨分な目に逢はせた。 夏目漱石『硝子戸の中』 |
『硝子戸の中』は、言ふまでもなく、漱石最後の「小品」である。漱石は是を、大正四年一月十三日 から同じ二月二十三日まで、即ち『道草』を書く、四五ケ月以前に書いた。さうして漱石は、是を書い た翌年の、十二月九日に死んだ。 小宮豊隆(岩波書店刊「漱石全集」第八巻 解説) |
恋猫や主人は心地例ならず 夏目漱石 |
宿なしも恋はするなり猫なれば |
猫塚や二代目は恋も知らずに |
漱石を好くものもなし猫の恋 |
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漱石公園案内板 | 猫塚 | 夏目漱石像 |
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夏目漱石像台座銘(左) | 夏目漱石像台座銘(右) |
どんな田舎へ行つてもありがちな豆腐屋は無論あつた。其豆腐屋には油の臭の染み込んだ縄暖簾が かゝつてゐて門口を流れる下水の水が京都へでも行つたやうに綺麗だつた。其豆腐屋について曲ると 半町程先に西閑寺といふ寺の門が小高く見えた。赤く塗られた門の後は、深い竹藪で一面に掩はれて ゐるので、中に何んなものがあるか通りからは全く見えなかつたが、其奥でする朝晩の御勤の鉦の音 は、今でも私の耳に残つてゐる。ことに霧の多い秋から木枯の吹く冬へ掛けて、カンカンと鳴る西閑 寺の鉦の音は、何時でも私の心に悲しくて冷たい或物を叩き込むやうに小さい私の気分を寒くした。 夏目漱石『硝子戸の中』 |
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誓閑寺
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延命地蔵菩薩
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境内裏の籔
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宗参寺 |
私は下女をわざわざ寄こしてくれた宅が何處にあるか知らなかつた。たゞ私の子供の時分から 覺えてゐる古い寺の傍だらうと計考へてゐた。それは山鹿素行の墓のある寺で、山門の手前に、 舊幕時代の記念のやうに、古い榎が一本立つてゐるのが、私の書齋の北の縁から數多の屋根を越 して能く見えた。 夏目漱石『硝子戸の中』 |
世間には拙を守ると云ふ人がある。此人が来世に生れ変ると 屹度木瓜になる。余も木瓜になりたい。 『草枕』 |
木瓜咲くや漱石拙を守るべく 漱石 |
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就中漱石愛でし 木瓜の花 稲子麿 |
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無縁仏
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山鹿素行墓碑
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宗参寺
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今冬はじめて都心に雪降る。雪積は三年ぶり、二糎積れりといふ。 雪中の梅、古来日本の風景美を代表せる景物なること言を俟たず。 |
夜を寒み朝戸を開き出で見れば庭もはだらにみ雪降りたり |
梅の花降りおほふ雪をつゝみ持ち君に見せむと見れば消(け)につゝ |
残りたる雪にまじれる梅の花早くな散りそ雪は消(け)ぬとも 『万葉集』 |
みゆきと呼ぶ、ゆきの美称なり。天よりよきこともたらすしるし。 万葉びとのこよなくめでし梅の花、雪につゝまれなほ香りたちぬ。 |
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新江戸川公園(旧細川家学問所・松聲閣) 雪中の梅
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夜の神田川/雪景 朝の椿山荘/雪晴 |
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椿山荘 雪吊三景
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雪の関口芭蕉庵 |
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関口芭蕉庵 枯芭蕉 |
関口芭蕉庵 玄関
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関口芭蕉庵 胸突坂 |
春一番 |
春一番、春最初に吹く南風。漁師の言葉といふ。 この日気温二十度、汗ばむ陽気となれり。庵中 高所に竹藪あり。風強ければ稈撓ひ風弱ければ 稈戻る。見えざる渚に見えざる波の寄せては引 くがごとし。俗耳一洗、林中琴を弾じて已まず。 |
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七賢の琴不断なり春一番 |
蒲公英之辞 庵中一株の白花蒲公英あり。多年草なれば毎春燈籠の下に 開花す。シロバナタンポポは西日本に分布、関東に稀なり。 別名鼓草。鼓に似る。タンポポは鼓の音に擬す。俗説に村 童の発明になるといふ。敢て信を置くべきか。上句「ほが らほがら」夜の明けゆくさまにて、黄花似つかはしからず。 |
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越年蝶/越年の蝶 ◎横山光夫著『原色日本蝶類図鑑』/【もんきちょう】 春から秋にかけて「もんしろちょう」と共に日本全土に最も普通な蝶で、「おつねんちょう」 の別名もあるが成虫越冬は誤りで、この名は抹殺されるべきである。 ◎『精選版日本国語大辞典』/【おつねんちょう】 紋黄蝶のこと。ふつう幼虫で越年するが、成虫で越冬するものと信じられていたことからいう。 ◎根岸稲子麿/【越年の蝶】 「もんきちょう」の生態を見誤ったことから「おつねんちょう」の名は宙に浮いた状況にある。 実際には「きちょう」「つまぐろきちょう」「すじぼそやまきちょう」「やまきちょう」とい ったきちょうの名を有する種は成虫越冬する。その他にも成虫越冬する蝶は少なくない。南風 にともなう気温の上昇で飛び出したルリタテハ(写真)も越年した蝶である。これらを「越年の 蝶」として一括、春の新季題としたい。むろん以下に示す「初蝶」とは明らかに異なる。 初蝶やわが三十の袖袂 石田波郷 春になって羽化したもので最初に目にする蝶を、初蝶という。もんしろちょう・もんきちょう などを指す。春の花を求めて舞うさまは絵になるが、成虫越冬した蝶の姿は厳しくも痛々しい。 「越年の蝶」は実態に即して詠むこと肝要。作句、石の上に安心端坐する禅僧の境地を重ねた。 |
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きさらぎやよひ 花鳥 きさらぎやよひ、ともに旧暦の呼び名なり。俳諧の季題は江戸時代に淵源するところな れば新暦との齟齬いたるところにあり。初心の者おほくこゝにまよふ。明日は三月三日、 桃の節句とは名ばかりにて旧暦一月二十九日にあたれり。旧暦二月のきさらぎ、明後日 が朔。ちなみに雛まつり、旧暦三月三日は新暦四月五日なり。清少納言『枕草子』に、 三月三日は、うらうらとのどかに照りたる。桃の花のいまさきはじむる。 また、 おもしろく咲きたる櫻をながく折りて、おほきなる瓶にさしたるこそをかしけれ。 とあり。蓋し暖春のひと日と知るべし。明日、雛祭り寒波との気象予報あり。嗚呼。 |
うつくしきもの 瓜にかきたるちごの顔。雀の子の、ねず鳴きするにをどり来る。 |
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また、同じころかとよ、おびたゝしく大地震(おほなゐ)ふること侍りき。そのさま、よのつねならず。 山はくづれて河を埋(うづ)み、海は傾(かたぶ)きて陸路(ろくじ)をひたせり。土裂けて水涌き出で 巌(いはほ)割れて谷にまろび入る。なぎさ漕ぐ船は波にたゞよひ、道行く馬はあしの立ちどをまどはす。 都のほとりには、在々所々、堂舎塔廟(だうしゃたふめう)、一つとして全(また)からず。或はくづれ、 或はたふれぬ。塵灰(ちりはひ)たちのぼりて、盛りなる煙の如し。地の動き、家のやぶるゝ音、雷(い かづち)にことならず。家の内にをれば、忽(たちまち)にひしげなんとす。走り出づれば、地割れ裂く。 羽なければ、空をも飛ぶべからず。龍ならばや、雲にも乗らむ。恐れのなかに恐るべかりけるは、只地震 (なゐ)なりけりとこそ覚え侍りしか。 かく、おびたゝしくふる事は、しばしにて止みにしかども、その余波(なごり)、しばしは絶えず。よの つね、驚くほどの地震(なゐ)、二三十度ふらぬ日はなし。十日・廿日過ぎにしかば、やうやう間遠にな りて、或は四五度、二三度、若(もし)は一日(ひとひ)まぜ、二三日に一度など、おほかたその余波、 三月ばかりや侍りけむ。 四大種(しだいしゅ)のなかに、水(すい)・火(くわ)・風(ふう)はつねに害をなせど、大地にいた りては異なる変をなさず。昔、斉衡のころとか、大地震ふりて、東大寺の仏の御首(みぐし)落ちなど、 いみじき事どもはべりけれど、なほこの度には如(し)かずとぞ。すなはちは、人みなあぢきなき事をの べて、いさゝかの心の濁りもうすらぐと見えしかど、月日かさなり、年経にしのちは、ことばにかけて言 ひ出づる人だになし。 |
平成二十三年(2011)三月十一日(金) 14:46、東北関東大震災発生。マグニチュード9.0。同じころ=元暦二年(1185)七月九日、大地震発生。同年三月平家滅亡。鴨長明三十三歳。 斉衡のころ=斉衡二年(855)五月、大地震発生。東大寺大仏(752開眼)の首が落下した。 |
万本の蓮糸たらせ春の空 |
三月句会休会 |
芭蕉庵休庵 燈籠のたふるゝ音や春の池 |
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![]() 写真は,隣接の椿山荘庭園で平成の大修理中 の三重塔の築山にある燈籠(伝鎌倉時代作) 芭蕉庵の東屋の傍にある燈籠も倒れたという (三月十九日、水仙・清香同行撮影) |
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靖国の桜開花す年並に |
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菜の花や墓処は東と定めけり |
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成田山新勝寺橋本照稔貫首 東京別院深川不動堂巡錫 この日、かねて祈願することありて深川不動に参詣す。午後三時より 開創三一〇年記念事業「新本堂竣工特別大護摩供」を執行すといふ。 写真正面は旧本堂。その左、建屋のごときは新本堂の鞘堂となる外壁 にて凡そ二万の真言を示す梵字からなる。本尊不動明王は昭和二十年 の東京大空襲の際避難せしもの。爾来六十余年、貫首を迎へて遷座。 |
深川に大護摩燻ゆる緑の週 |
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平成二十三年五月二日/三日/四日/五日/六日 |
越後遠征 |
越後国一宮の弥彦神社、祭神は天香語山命(あめのかごやまのみこと) 神社の背後に聳ゆる弥彦山の頂より佐渡島を望見せり。にはかに実景 とは信じ難し。さながら蜃気楼のごとし。土地の人いふ、常はさらに 輪郭明瞭にして島の港々までも見ゆと。信ずべし。畏き神の山なり。 |
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弥彦山頂からの遠望(左/眼下に広がる越後平野・右/日本海に浮かぶ佐渡島)
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平成十六年十月、新潟県中越地震により旧山古志村は甚大なる被害を蒙り て隣接の長岡市に全村避難。日本の原風景と称せられし美しき棚田も寸断 せられ錦鯉と闘牛の村は存亡の危機に直面せり。爾来七年を閲し、今なほ 復興途上にあり。棚田やうやく整ひ水引けば田毎に蛙声しきりなり。 |
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旧山古志村虫亀の棚田
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雪深き越後に春を告ぐる山野草絵巻。草の名はさまざまなれど ひとつ名に呼べばいづれも雪割草。弥彦山の北に連なる角田山 は正真正銘の雪割草の名産地。清楚可憐、春の妖精、揺籃の地 |
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越後の山野草(左/イワウチワ・右/ユキワリソウ
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五月大型連休の最後に立夏。この時期ことに雪国の歳時記遺憾やるかたなし。 残雪の山の斜面に赫奕として山桜咲き、薫風光りて早みどりの林を吹き過ぐ。 |
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JR磐越西線三川駅に近い新潟県東蒲原郡阿賀町 中ノ沢渓谷森林公園キャンプ場 水芭蕉近くに羽化直後のギフチョウ♂一頭出現 地元長岡市のベテラン採集家のネットに
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十薬三句 十薬や白き十字の花たふと 林床に十薬散華ぬかづきぬ ドクダミや画仙の筆に陸離たる |
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熊谷守一 どくだみ草 1972年 板 油彩 33.5x24.2cm 『現代日本美術全集』(集英社) |
平成二十三年六月六日 |
貞享五とせ如月の末、伊勢に詣づ。この御前につちを踏む事、今五たびに及び侍りぬ。 更にとしのひとつも老い行くまゝにかしこきおほんひかりもたふとさも、猶思ひまさ れる心地して、かの西行のかたじけなさにとよみけん、涙の跡もなつかしければ、扇 うちしき砂(いさご)にかしらかたぶけながら、 何の木の花とは知らず匂ひ哉 武陵 芭蕉桃青拝 |
※何事のおはしますをば知らねどもかたじけなさの涙こぼるゝ 西行 ※貞享五年(1688)/同年九月元禄と改元 |
この日、五月中つ頃伊勢参宮せし人の端書落掌。写真に心寄せありて 神域の一景を一葉に仕立て「神々は深い森の中と五十鈴川の中に居ら れました」と書き添へける。西行・芭蕉の昔を偲びて仮に讃をなす。 白鷺の影もかしこし五十鈴川 |
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平成二十三年六月二十二日 夏至 |
武州越生 大高取山 夏至、梅雨晴れ。六月に入り大高取山へ二度目の山行。 都心を遠く望む山腹に世界無名戦士の墓。期せずして 足下の叢中に三角点を見出したり。東北関東大震災の 余震いまだ収まらず。日本海溝の地殻変動はなほも列 島を傾くるかと怪しまるゝ。天を仰げば太陽最も高し。 一手指天一手指地
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ちさき実の赤く熟れたり山桜桃 | 紫陽花のかなしみは藍さらに青 |
平成二十三年七月二日 奥多摩 蛍狩 |
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横沢入 里山環境保全地域 | 鉄塔の下一帯 蛍の棲息地 |
平成二十三年七月三日 鎌倉成就院 |
友あり仙台より来たる。鎌倉にて紫陽花を見たしといふ。 成就院の花いま盛りならんと聞きて訪ふ。宿願成就せり。 長谷のあぢさゐ荘に投宿、万本の蓮糸のことなど物語す。 |
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平成二十三年七月四日 鎌倉高徳院 |
長谷の観音を拝したるのち、高徳院に詣づ。露座の大仏を 晶子の歌に釈迦牟尼とせるは誤りなれど美男におはすこと いさゝかも変はりなし。大風に仏殿を失ひ、津波の引波に やゝ前傾すと史書は伝ふ。鳶の声しきりに夏木立に落つ。
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平成二十三年七月九日 浅草寺鬼灯市 |
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九日、異例に早き梅雨明宣言、猛暑覚悟のうへ金龍山浅草寺に詣づ。 雷門より仲見世通りまで参詣客に埋る。十日は観世音菩薩の結縁日、 功徳は四万六千日分といふ。本堂に進み合掌、雷除御守護を拝受す。
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鬼灯に雷除と書く御寺 |
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浅草寺雷門 |
雷門の大提灯
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仲見世通り東北支援横断幕 | ||
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浅草寺本堂 本尊観世音菩薩 | 一日四万六千日功徳 | 境内の鬼灯市(一) |
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境内の鬼灯市(二) |
金魚釣り
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スカイツリー(634メートル) 駒形橋西詰
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平成二十三年七月十七日 ブリジストン美術館 |
「没後100年 青木繁展」は、3月(3/25ー5/15)の九州・石橋美術館に始まり、5月(5/27ー7/10)の京都・国立近代美術館をへて 7月(7/17ー9/4)の東京・ブリジストン美術館と巡回してきた。<よみがえる神話と芸術〉のテーマのもと、青木繁がめざしたロマンの 本質を解明しようとする試みである。日本近代の洋画界に颯爽と登場、またたくまに天空高く駆け去った白馬の騎士の軌跡がここにある。 青木繁展 Aoki Shigeru ten 丹青の無明長夜に架かる虹 Tansei no mumyaudyauya ni kakaru niji. 銛参差太古の夏の海の幸 Mori shinshi taiko no natsu no Umi No Sachi. |
いつかの展覧会に青木と云ふ人が海の底に立つてゐる背の高い女を画いた。 代助は多くの出品のうちで、あれ丈が好い気持に出来てゐると思つた。つ まり、自分もあゝ云ふ沈んだ落ち付いた情調に居りたかつたからである。 夏目漱石『それから』 |
青木君の絵を久し振に見ましたあの人は天才と思ひます。あの室の中に立つて 自から故人を惜いと思ふ気が致しました。 明治四十五年三月十七日(日) 午後六時ー七時 牛込区早稲田南町七番地 夏目金之助(漱石)より 小石川区高田老松町四十一番地 津田亀次郎(青楓)宛書簡 |
カタログ表紙《海の幸》 |
![]() 「朝日新聞」掲載広告 |
![]() カタログ裏表紙《朝日(絶筆)》 |
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![]() ブリジストン美術館「青木繁展」会場 |
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平成二十三年八月四日 森戸海岸 |
湘南森戸海岸の海の家にて、泡盛飲み放題といふ催しあり 途次、老舗茶屋の祭に立寄し後、件の海の家を訪ふ。飲む ほどに湘南の涼気膚に爽たり。台風の余波にて森戸の夕照 には足らざる景なれど、泡盛もてする暑気払ひに滅却せり
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京急線新逗子駅南口 | 三浦半島案内図 | 新逗子駅(海岸回り)→森戸海岸→葉山 |
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葉山鐙摺・日影茶屋玄関 | 夏休み恒例・日影祭り(八月四・五日開催) | ||||
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提供・掛田商店 http://www.kakeda.com/ |
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腕に「呑」の極印 | 異国情緒溢れる店内 |
平成二十三年八月十六・十七日 蓼科高原 |
中央高速道路諏訪I.Cを出、ビーナスラインを経て、蓼科高原を訪なふ。 数多の湖水の点在せる広大な裾野をへだて、南は八ヶ岳連峰へと続けり。 スケッチブック片手に白樺湖周辺を散策せしこともありしも、往時茫々。 恩師いま新涼の避暑地にあり。久闊を詫びしのち清談の一ときを得たり。
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平成二十三年八月十七日 松原湖 |
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JR小海線松原湖駅三景 | ||
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松原諏方神社 | 松原諏方神社御柱 | 松原湖 |
平成二十三年八月二十四日 |
秋めくや奥の細道はてもなし |
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平成二十三年九月二日 |
国籍を得て住む国の秋九月 |
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(平成23年9月2日付『朝日新聞』夕刊) |
平成二十三年九月十日 早稲田南町 漱石公園 |
かつて早稲田南町の高台に漱石山房ありけり。 いま漱石公園として住宅地の一画に名を残す。 折しも祭あり。神輿渡御なるに残暑厳しく担 ぎ手しばし公園に休憩す。漱石像視線のさき に不思議なる形状の積乱雲突出。即席の一句。
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平成二十三年九月十日 豊島区高田 氷川神社 |
神田川水辺神社多し。高田氷川神社に神楽殿あり、 里神楽「神田種蒔」奉納せらる。無言劇なれば筋は 見物する側の想像に委ねられたるが如し。都市化に 稲作は昔物語となりしかどかやうの芸能ちひさき社 に残るは有難し。手を引かれ肩車に乗りて聞く笛太 鼓の音、幼き記憶に刻まるゝこと疑ひなかるべし。
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平成二十三年九月二十三日 新宿御苑 |
秋彼岸の中日、新宿御苑を訪ひ、日本を縦断せし15号台風の被害受けし苑内を散策す。 諸処に倒木、枝折れ、木の葉散乱、園丁その処理に追はれ殺伐の気なきにしもあらず。 中に十月桜、楚々たる花を開けり。幼児の快活なる挙措と対照をなすに一興を催せり。 |
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館内にて書幅展、故人の書あり。
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新宿御苑 国旗掲揚 |
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平成二十三年十月一日 都電に花電車運行 |
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東京都内を走る路面電車は現在、荒川区三ノ輪橋と新宿区 早稲田を結ぶ一路線のみ営業されている。都交通局はその 生誕100年を祝い、10月の各日曜に花電車を運行する予定。 |
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明治通り×新目白通り 都電沿線を警備する巡査 |
高戸橋南詰都電カーブ地点 撮影ポイント附近の人混み |
高戸橋通過中の車両 神田川を越える |
花模様はあれど花電車にあらず 車体はいまや走る広告媒体 |
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通過予定時刻の確認 | 通常車両 | これまた通常車両 | 待望の花電車? |
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接近する花電車 | 名誉の運転手 正装の監督者 |
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都電100歳を祝うバースディケーキをのせた花電車 カメラの放列の前を徐行しながら通過 |
平成23年10月7日付『朝日新聞』朝刊 |
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スウェーデン・アカデミーは6日、今年のノーベル文学賞 を、スウェーデンの詩人、トーマス・トランストロンメル さん(80)に授与すると発表した。授賞理由を「凝縮され た透明感のある描写を通して、現実に対する新たな道程を 示してくれた」と説明した。戦後のスウェーデンを代表す る詩人の一人として、国際的にも知られる。ストックホル ム大で文学や心理学などを学び、若者向けの更生施設に心 理学者として一時勤めた。1954年の第1詩集「17編の詩」 で注目を集めた。 短い自由詩のなかに、凝縮された言葉で神秘的な世界をイ メージ豊かに表現し、「隠喩の巨匠」とも呼ばれる。90年、 脳卒中で倒れたが、96年には病気の詩人の心象風景を描い た詩集「悲しみのゴンドラ」を刊行し、日本でも99年に邦 訳が出た。 「悲しみのゴンドラ」の翻訳者でスウェーデン在住のエイ コ・デュークさんは「日常的な言葉を使いながら比喩的表 現が豊かで、作風は俳句に似ている。本人も俳句のファン。 右半身の不随と闘いながら、今も少しずつ詩作は続けてい る。明るくゆったり人柄で、まさに国民的詩人です」と話 した。ノーベル賞のおひざ元での受賞者誕生に、発表会場 を埋め尽くした数百人の地元記者や文学ファンからは大き な歓声が上がった。地元作家のグニラ・ルンドゥグルンさ ん(69)は「誰にも分かりやすい、俳句のような詩をつく る素晴しい詩人だ」とした。 賞金は1千万スウェーデンクローナ(約1億1千万円)。 授賞式は12月10日、ストックホルムで開かれる。 (伊東和貴=ストックホルム、白石明彦) |
平成二十三年十月八~十日 日光 世界遺産 日光の社寺 奥日光 光徳牧場/中禅寺湖/小田代ヶ原 |
観光のメッカ日光は、東北関東大震災の影響を大きく被ったが、 このところやや人出も増え回復の兆しが見えてきているようだ。 それでも門前町としては衰微しているという印象はぬぐえない。 |
卅日、日光山の麓に泊る。あるじの云ひけるやう、「我が名を佛五左衛門と云ふ。 よろづ正直を旨とする故に、人かくは申し侍るまゝ、一夜の草の枕も打ち解けて 休み給へ」と云ふ。いかなる仏の濁世塵土に示現して、かゝる桑門の乞食巡礼ご ときの人をたすけ給ふにやと、あるじのなす事に心をとゞめてみるに、唯無智無 分別にして正直偏固の者也。剛毅木訥の仁に近きたぐひ、気稟の清質尤尊ぶべし。 『おくのほそ道』 |
日光山門前 秋風や五左衛門より酒を買ふ |
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輪王寺 平成の大修理 | 日光東照宮参道 | 東照宮陽明門 |
奥日光も戦場ヶ原をすぎ、光徳牧場の奥に入ると静寂境がひろがる。 |
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学習院光徳小屋 | 周辺湿原の草紅葉 |
華厳の滝の水源となる中禅寺湖の透明な湖水 |
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山紫水明の中禅寺湖 千手ヶ浜から男体山を望む |
世のうれひ集めてこゝに秋の湖 |
日光連山の盟主男体山の秀麗な山容 |
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千手ヶ浜から小田代ヶ原へ 白樺林と男体山
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奥日光の紅葉の名所 小田代ヶ原 |
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高層湿原小田代ヶ原 先月の台風12号がもたらした豪雨の影響により湿原は 例年になく水量豊富、一帯は大部分が水没したまま。 |
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湖出現 紅葉の高原 栃木県日光市の小田代原に先月の 台風12号の大雨で「湖」ができた。 連休初日の8日、湖と紅葉の共演を 見ようと大勢の観光客が訪れた。 高さ1メートルほどの木道が水面 下となり、くるぶしまで水につか る人もいた。県立日光自然博物館 によると、湖ができたのは4年ぶ り。今後、凍結する可能性もある という。(森井英二郎撮影) |
平成二十三年十一月十三日 武州小川 |
武蔵の小京都と呼ばれる小川町は盆地のなかにあって山紫水明の風光を 今に伝えている。江戸から川越さらに秩父へと通ずる交通の要衝にあり、 古くから栄えていた。細川紙を生産する和紙の町、また晴雲・帝松など の地酒の産地として知られている。八王子を経て横浜にいたる絹の道に も連なり、生産・流通で財をなした家が多かった。戦時中は軍の作戦で 風船爆弾をつくった。なにがしかは敵地アメリカ大陸まで達したという。 |
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仙元山と東武東上線車輌 | 東武東上線とJR八高線の袴線橋 | 東武東上線小川町駅舎 |
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駅近き河原なつかし冬の蝶 | 清流兜川。やがて槻川と合流する。 | 落葉して蛇籠隠るゝ堤かな |
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清流の小橋の端に冬の菊 |
平成二十三年十一月二十五日 上州高山 |
昨年は十一月五日に訪れた高山村、晴天であったが谷川岳を越えてくる風は冷たい。 そのかわり、初めて十月桜に出会えた。土地柄にふさわしい楚々とした姿であった。 当地で晴耕雨読の尊師と清談するひとときは何物にも代え難い。都会生活とはまる で時間の流れが違う。主客一同で立ち寄った一軒蕎麦屋は客が来てから打つ。二十 分かかるとの前置があった。七人という人数のせいもあるか、結局二時間を要した。 新蕎麦や畑は近き一軒家 旧小野上村、現在は渋川市、小野上温泉の「さちのゆ」で一風呂浴び帰路についた。 渋川に美人の湯てふ冬ぬくし |
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関越自動車道を埼玉県から群馬県へ 遠景は赤城山 |
遠く関越国境を望む 雲の彼方に谷川岳 |
十月桜の咲く高台 |
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村を去る人の噂や残り柿 | かくれなき小野子の山の冬支度 |
薬罐など載せるべくして煖炉燃ゆ |
平成二十三年十二月十八日 武州飯能 武陽山能仁寺 |
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平成二十二年 旅の記録 |
伊勢一宮椿大神社参拝 神事能 金剛流「鈿女」拝見 |
平城遷都一千三百年祭の奈良を訪ねる旅は、まず伊勢路から入った。 四月十一日は鈴鹿市にある椿大神社(つばきおおかみやしろ)で京都 金剛流神事能「鈿女」(うずめ)奉納を拝見した。金剛流のみの演目 である。平成元年、春日大社若宮のおん祭(毎年十二月)の御能拝見 以来の経験であらためて能本来の上演形式の一つを見た思いがする。 |
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神官と巫女(簪は椿)
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神事能奉納前の舞台 | 橋掛に登場した前シテ(里女) 面―増女、蔓、蔓帯。 着付―箔、唐織着流 扇。 |
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後シテ(天鈿女命)。 面―増女、黒垂、鬘帯、 天冠(真柝ノ葛ツケ)。 着付―箔、緋大口、舞衣、腰帯、扇。 |
揺らめく天冠 |
右手に榊(四手麻緒ツケ)を持ち、 ワキ(椿大神社神職)の前に進む。 |
平城遷都奈良千三百年祭 東大寺参詣 |
東大寺の歴史は大仏の歴史であり、大仏の歴史はやがて大仏寂滅の歴史で ある。天平十五年聖武天皇親しく鋳造の詔を発し、天平勝宝四年開眼供養の 盛儀が行われてより、現在にいたるまでおよそ千二百年になるが、この間さ したる異変なく当初の姿を保っていたのは治承四年までである。治承四年の 冬、平重衡の兵火によって伽藍の大部分が焼失したことは周知のところであ ろう。仏頭ももちろん溶け墜ちてしまった。その後も屡々災禍を蒙って、い まに残る大仏は江戸時代の再建に成るもので、往時の威容はもとよりうかが うべくもない。わずかに台座の蓮弁が天平の面影をとどめるのみである。 我々はいまの東大寺を訪れてもその大きいのに驚くが、建立当初の規模は 更に比較にならぬほど巨大であり、言語を絶した荘厳華麗を現出していたと 伝えられる。 (亀井勝一郎『大和古寺風物誌』) ![]() |
前夜は伊勢から奈良に入って東大寺のすぐ近くに宿を取り、翌早朝参詣した。 ほとんど人影のない境内は静まり返っていて一千三百年の時の流れが感じられ るような気がした。だがそれも時間の問題で気がつくと周囲は中国人観光客で 溢れていた。仏教東漸の意義を感じてよいのか、複雑な気分を味わいながらそ の快活すぎる談笑の渦から逃れた。世界遺産指定がもたらした新観光客の増殖。 |
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小雨の中 東大寺大仏殿前の回廊にて
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境内の枝垂桜と鹿の群
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正倉院
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平成二十二年四月十二日/十三日/十四日
春寒の葛城山登山 |
春楊葛城山にたつ雲の立ちても坐ても妹をしぞ思ふ 柿本人麻呂 はるやなぎ かつらぎやまに たつくもの たちてもゐても いもをしぞおもふ |
葛城山の吟 松尾芭蕉 やまとの国を行脚して、葛城山のふもとを過ぐるに、よもの花はさかりにて、峯々は かすみわたりたる明けぼののけしき、いとゞ艶なるに、彼の神のみかたちあしゝと、 人の口さがなく世にいひつたへ侍れば なほ見たし花に明け行く神の顔 |
飛鳥奈良はこれまでにも数多く訪れてきたが、葛城山はたゞ望見するばかりであった。 山麓一帯は古代葛城一族の本拠地で天皇家とゆかりが深い。葛木坐一言神社(かつらぎ にいますひとことのぬしじんじゃ)のつぎに参拝した高鴨神社でも京都賀茂神社とのつ ながりを知った。むかし、役(えん)の行者から葛城と大峰との間に岩橋を架けるよう 命じられた葛城の女神は容貌の醜いことを恥じ、夜しか仕事をしなかったので蔦葛で縛 られたという。里の女から話を聞いた出羽の羽黒山の山伏一行の祈祷に、やがて女神は 姿を現じ、月白く雪白き一面の白妙の世界で美しく舞う…。初めての葛城山の春登山に 能「葛城」の物語さながらに春雪が舞ったのは、はたして偶然であったのであろうか。 雪と花の今日がやがて若葉の季節となっても葛城の女神の夜の苦役は果てしなく続く。 |
みじか夜や葛城山の朝曇り 与謝蕪村『新はなつみ』 |
近鉄御所駅からバスで葛城山登山口に到着。ところが昨年の台風 で主要登山路の櫛羅の滝コースが杜絶。役の行者なき現代のかな しさ、全面修復は容易ではないらしい。やむなく臨時の北尾根道 (秋津洲展望コースと命名されていた)の新しい径を辿って登った。 大和と河内の境に聳える標高959メートルの葛城山。眼下には 大和の国原が広がる。山頂近くにカタクリの群落があったのだが 四月半ばの雪が降るなか、一つとして開花することはなかった。 ![]() 天候の回復とともに雪は消えたが夜明け方には樹氷が見られた。 葛城山はギフチョウの棲息地として知られ、数日後にはその観察 会の開催が予定されていた。昼近くには陽光が差した。蝶影を認 めて慌ててカメラを用意。が、時すでに遅く舞姫の姿は林間に。 |
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前年の台風で主要登山路杜絶
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春の装い 山躑躅
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寒さに蕾も固いカタクリの群落
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濃霧の山頂 前夜春の雪が降った |
葛城山ロープウエイから大和三山を望む
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臨時登山路よりロープウエイを見る |
平成二十二年四月十四日
當麻寺参詣 |
「天声人語」(朝日新聞/平成十八年四月二十一日(春分の日))
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平成十七年、学生時代以来の愛読書『死者の書』が人形アニメ映画になった。 それが神田・岩波ホールで平成十八年四月に上映された。すでに見た観能仲 間の知人の勧めで上映最終日に出掛けた。當麻寺が主な舞台である。折よく 川本喜八郎監督が観客のためにサイン会を開いていたので、カタログに署名 を頂いた。それから五年、念願叶ってようやく今年、平成二十二年の春、當 麻寺参詣の機会を得た。監督はこの夏八月二十三日、八十五歳で世を去った。 |
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梵鐘(国宝) 日本最古〈白鳳時代〉 |
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築地塀から咲きこぼれる八重桜 |
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の小説『死者の書』の舞台。天武天皇の第三 皇子であった大津皇子の葬られた山である。 |
極楽庭園に満開の枝垂桜。人工的な造園で 少々戸惑う。人の手は適度に加えることが 肝要か。庭石と植栽、それに借景との調和。 |
が数少ない牡丹の中でこれぞという名花に出 会えた。二基の三重塔を借景に僥倖の一葉。 |
平成二十二年四月十五日
御室仁和寺参詣 |
二月、三月、四月、━━━━四月に入ると花が咲くやうに 京都の町々全体が咲き賑はつた。祇園の夜桜、嵯峨の桜、 その次に御室の八重桜が咲いた。(志賀直哉『暗夜行路』) |
京の花見の見おさめは御室桜か。花冷えが緩み待ちかねたように 境内は爛漫の八重桜が妍を競う。それにしても豪華な花の宴である。 はなちるや伽藍に樞おとし行く 凡兆 樞繰る音も絶えた境内に浮かぶ朧月。凄艶な光景は想像を絶する。 |
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平成二十二年四月二十四日/二十五日
越後春景 ギフチョウの里(Ⅰ) |
豊かな自然と美しい風景という点で長い間信濃の夏を愛してきた。 しかしここ十年来は越後の春に心奪われている。山あり、川あり、 そして海あり。しかもそのスケールが大きいだけでなくゆったりと していることだ。人里近くで雪と花をいつまでも眺めることができ るのもよい。ギフチョウの里も越後の地のここかしこに散在する。
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信濃川の彼方に弥彦山 | ヤマザクラの枝越しに越後三山 | コシヒカリの産地 棚田の残雪 | ||
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平成二十二年五月一日/二日/三日/四日/五日
越後 里山初夏 ギフチョウの里(Ⅱ) |
越後におけるギフチョウの吸蜜植物はスミレ・カタクリ・マメサクラ・タンポポ など、人里でよく見かけるものが多い。幼虫の食草はコシノカンアオイが中心。 毎年のことながら産地と発生時期は残雪量の影響を受ける。そこで越後に転戦す るムシ屋仲間の極秘情報はつねに錯綜している。聞き捨ててムシするのがよい。 |
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イカリソウ | キクザキイチゲ | ギフチョウの舞う山 角田山登山路付近 |
早池峯神社例大祭神楽 |
早池峰山巓 宮澤賢治 あやしい鉄の隈取りや 数の苔から彩られ また捕虜岩の浮彫と 石絨の神経を懸ける この山巓の岩組を 雲がきれぎれ叫んで飛べば 露はひかつてこぼれ 釣鐘人参のいちいちの鐘もふるへる みんなは木綿の白衣をつけて 南は青いはひ松のなだらや 北は渦巻く雲の髪 草穂やいはかがみの花の間を ちぎらすやうな冽たい風に 眼もうるうるして息吹ながら 踵を次いで攀つてくる 九旬にあまる旱天つづきの焦燥や 夏蚕飼育の辛苦を了へて よろこびと寒さとに泣くやうにしながら たゞいつしんに登ってくる …向ふではあたらしいぼそぼその雲が まつ白な火になつて燃える…… ここはこけもももはなさくうめばちさう かすかな岩の輻射もあれば 雲のレモンのにほひもする |
早池峰山に登ったのは昭和の頃。八月、山腹の〈がれば〉に可憐なハヤチネウスユキソウを 見いだす歓びはアルピニストの特権の一つであろう。その山麓では昔から山伏神楽が奉納さ れてきた。大償(おおつぐない)と岳(たけ)の集落の競演である。火伏の権現舞などに人々の 願望が込められている。宵宮神楽を見て神社の外へ出た時は漆黒の闇で、携帯電話の明りを 唯一の頼りに、街燈のない田舎道を、宙を泳ぐ感覚で進み、辛うじて駐車場に辿り着いた。 |
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東京からの民俗文化研究者の姿も | 境内が暗くなり宵宮神楽の始まり | 深更に及び宵宮神楽も最高潮 | |
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天狗登場 | 山伏神楽の迫力
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神楽殿狭しと跳梁 | |
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翌朝の神楽殿全景 | 参道を埋め尽くす善男善女 | 村の子供たちも大勢祭礼に参列
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神楽奉納が終わり御輿巡行に移る | 眼前をよぎるように御輿が接近 | 御輿を担ぐ神職たち | |
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消防、奉行、世話役 露払い役 | 御輿巡行を先導する天狗 | 鳥兜に長刀 容貌魁偉 威風堂々
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多くの獅子頭のなかで最新作 権現舞の主役 | Tシャツのデザインに注目
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早池峯神社の鳥居に別れを告げる |
平成二十二年八月二日
遠野 土淵 |
『遠野物語』
おきなさび飛ばず鳴かざるをちかたの森のふくろふ笑ふらんかも 柳田国男 |
今年は『遠野物語』百年。明治四十三年〈1910〉柳田國男はここ土淵村出身の 佐々木喜善からの聞書きをまとめ自費出版した。遠野は江戸時代は南部氏の城下町。 朝、宿の背後の居城鍋倉城址に登った。一面に夏草生い茂り往時の面影はなかった。 |
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東北の民家の佇まい | 茅葺屋根の上に咲くオニユリの花
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狛犬の角の上でトンボが翅を休める (遠野市土淵町 曹洞宗常堅寺境内) |
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柳田國男『遠野物語』にある河童淵 (遠野市土淵町 曹洞宗常堅寺傍の小川) |
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平成二十二年八月十五日/十六日
河口湖 忍野湧水とワインセラー |
富士急電鉄に乗って富士河口湖音楽祭に出かけた。 一泊後、音楽家の紹介で忍野盆地に最近できたと いうワインセラーの店に立ち寄ることになった。 ![]() 計画を変更し向かった忍野八海〈天然記念物〉 は初めての訪問であった。八海が湧水群を指 すことを知ったのは迂闊にも現地を見てから で正に百聞は一見に如かず。遊び心の命名! |
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河口湖駅前の宿の玄関の伝言板。富士登山の客、外国人観光客、家族連れと同宿者は多様で、伝言版にも旅の解放気分が横溢。 | 宿の前から見た富士山。中央の看板は開催中の富士河口湖音楽祭案内用。その一つ、森の中のコンサートを鑑賞した。 |
忍野ワインセラーの店頭のショーケース。勝沼で仕入れたワインを通年十二度という忍野の湧水で寝かせている。白がいい。 |
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忍野の湧水を利用した天然セラー。引き上げたボトルには苔がついている。 | 付近に立ててあった案内板。ワインハウスのすぐ下に点々と湧水群がある。 | 観光地と化した忍野八海と異なり、規模は小さいがよく自然状態が保護されている。 |
平成二十二年九月二十二日/二十三日(~二十六日)
寝台特急《サンライズ出雲》に乗り、初秋の出雲路へ出かけた。目 的は古代神話の源郷体験、荘厳な日御碕の落日を見ることにあった。 |
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東京駅22:00発 | 乗車を待つ旅行客 | 車体に輝く《サンライズ出雲》のパネル |
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B寝台1人用個室(シングル)通路 | 普通車指定席ノビノビ座席通路 | A寝台1人用個室(シングルDX)通路 |
台風接近と秋雨前線の影響で中国山地は大雨。真夜中、稲光しきりに車窓 を射る。翌朝、雨は小康状態になったが、河川の増水激しく伯備線の豪渓 駅で線路の保守点検のため二時間以上運行見合わせとなる。前途多難。 |
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朝の豪渓駅で運転再開を待つ母子の姿 少年は左手でサンライズ出雲を指差す |
少年が寝台特急の写真を撮り始めたので こちらもカメラを向け互いに笑顔で応戦 |
一期一会 少年の未来に幸いあれ
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高梁川に沿って中国山地越え | 濁流逆巻く高梁川 かつて岡山の能会の帰 途訪ねた備中松山城は堅固な山城であった |
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平成二十二年九月二十三日(~二十六日)
出雲 |
天佑と言うべきか。午後になってようやく着いた八雲立つ出雲の国はふりそそぐ秋の 陽光をもって迎えてくれた。中井貴一主演の映画「RAILWAYS」の舞台となっ た一畑電鉄で出雲大社に向かう。出雲の十月は神有月。縁結びの協議があると聞く。 |
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一畑電鉄大社駅構内の車両基地 神話の国のretrospectiveな光景 |
映画看板を立てかけた大社駅待合室 鉄道愛好者はスクリーンだけで終わらない |
ステンドグラスの明かり窓 大社駅舎 ユニークなデザインの典型というべし |
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出雲大社 | 大國主命 | 大国主命と因幡の白兔
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出雲大社 | 出雲大社巫女 | 出雲大社神官 | |||
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海かがやく
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海上に映る日輪 | 日御碕神社遠望 |
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日本海の潮風に空高く舞う鳶 | 日御碕燈台
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秋の陽光を浴びる白亜の燈台 | |
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日御碕日沈序章 | 海の夕映え | 神の光 |
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海上をゆく船 | 海に刻まれる時
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跡も残さず消えゆく船 | |
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大海原を支配する日輪 | 最後の夕映え
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燈台残照 |
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雲海残照 | 残照と鳥居 | 彩雲 | |
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日沈宮の注連縄 | 夕闇の日御碕神社 |
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出雲の宿 |
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日本海の幸 刺身盛り合わせ 江戸前と は趣を異にして黒潮の恵み横溢 地酒は 「出雲誉」(株・竹下本店ー12代当主竹下 元首相)がよい 都内で「都の西北」販売 |
出雲の国島根県浜田市は 赤鯥(のどぐろ)の名産地 味秀逸 鯛も遠く及ばず 日本海の美味 極まれり |
サンライズ出雲の寝台個室に似ている 出雲ロイヤルホテルの客室 否その逆 というべきか ここは結婚式場もある |
平成二十二年九月二十四日(~二十六日)
出雲から厳島へ |
朝10時、出雲市駅発のJR西日本の高速バスで広島駅へ 移動、さらに山陽線宮島口駅からフェリーで厳島へ渡る。 |
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JR西日本運航のフェリー | 大鳥居に集まる観光客 | 厳島観光の宿の一つ | |
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大鳥居三景 夕映
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狛犬阿形 | 開演を待つ「万作・狂言十八選」 | 狛犬吽形 |
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大鳥居三景 昏明 |
釣狐 |
登場人物 白蔵主 野村万作 猟 師 石田幸雄 一族を猟師に釣りとられた古狐が、狐を釣ることをやめさせるため、 猟師の伯父の僧・白蔵主に化けてそのたたりの恐ろしさを語り、つい に罠を捨てさせる。嬉々として帰る道すがら、白蔵主は先刻捨てさせ た罠を発見する。それには大好物の油揚げが! 食いつきたい衝動を 抑え姿を消した白蔵主は、化身の扮装を脱ぎ、本来の狐となって現れ るが…。 上演時間:約75分(『万作・狂言十八選』 二〇〇七年一月「靫猿」(国立能楽堂)で始まった「万作・狂言十八選」 は四年の歳月をかけて二〇一〇年九月「釣狐」(厳島神社)で完結した。 人間国宝野村万作は、その間、北は函館五稜郭、南は四国金丸座まで全国 各地に舞台を求め、国土安穏を祈念する能狂言の存立をかけ狂言芸術を昇 華してきた。ここ厳島の国宝の能舞台に、万作狂言の集大成、生涯の執心 となった「釣狐」にめぐりあわせた仕合わせを思う。演出は袴狂言、直面 で装束なしの前場のみ。大曲釣狐を役者の精神と型で表現する極限の舞台 であった。橋懸かりで我が姿をのぞきみる百歳の古狐、〈水鏡の習い〉の 奥儀のために選ばれ、時至って、月下にいま潮みちきたる神の社の舞台。 その眼に白蔵主は見えたのか? 自身の全存在を賭して化けなければなら ない真の必然性とは何か? 眷族ことごとく釣った手強い猟師に立ち向か って勝算はあるか? 厳しく自問する瞬間である。暗い海面は答えない。 〈Metamorphose〉はこうした神聖な舞台で選ばれし者にのみ許される秘蹟 であろう。たんに古狐が僧になるという狂言の演出にとどまらない何事か と向き合った痛切な交感の記憶が刻まれた。折しも夜陰に乗じて鹿が現れ 万作の舞台の傍をとおり、正面にあたる満潮の南回廊下へ消えていった。 |
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東回廊より見た国宝能舞台 | 東回廊より見た南回廊と西回廊 | 南回廊より見た能舞台正面 |
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回廊に設けられた見所と観客 | 満潮期、能舞台に次第に押し寄せる海水 | 潮満ち、いま海上に浮かぶ能舞台 |
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上演中は録音撮影禁止 終演後にも 潮位はさらに上がり回廊全体海上に |
漆黒の海に浮かぶ大鳥居 | 厳島を照らす明月 |
平成二十二年九月二十五日(~二十六日)
広島 |
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太田川水上から見た世界遺産の原爆ドーム | 原爆の子の像 「地に空に平和」の願い | 多くの川が集まる「水の都 広島」 |
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原爆ドームを前に水上オートバイで遊ぶ青年 たち 戦争と平和の鮮明なコントラスト |
原爆ドームの頂点に佇立する青鷺 翼ある 生き物の座 人間はただ仰ぎみるのみ |
水上タクシーでお世話になったクルー 満潮 時でないと運航が難しい 折よく乗船できた |
西條 |
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白牡丹酒造 夏目漱石愛飲の酒 延宝三年(1675)創業 |
龍王山の伏流水 醸造に適した弱軟水 各酒蔵とも伏流水が命 |
西條鶴醸造 酒蔵通りで最初に試飲 モンドセレクション連続金賞受賞 |
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全国に先駆けて吟醸酒造り を始めた賀茂鶴酒造 |
本陣(御茶屋)跡 江戸時代に大名や幕府の要人が宿泊 |
賀茂鶴が経営する仏蘭西屋 当店限定の西洋料理用日本酒あり |
尾道 |
志賀直哉『暗夜行路』 漸く千光寺へ登る石段へ出た。それは幅は狭いが、随分長い階段だつた。段の中頃に二軒 の硝子戸を締め切つた茶屋があつて、どの家にも軒に名所絵葉書を入れた額が下つてゐた。 段を登り切つて、左へ折れ、又右へ少し、幅広い石段を登ると、大きな松の枝に被はれた掛 茶屋があつた。彼は其床机に腰を下ろした。 前の島を越して遠く薄雪を頂いた四国の山々が見られた。それから瀬戸海の未だ名を知ら ぬ大小の島々、さういふ広い景色が、彼には如何にも物珍しく愉快だつた。 |
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千光寺から志賀直哉旧居へつづく坂道 | 天寧寺三重塔 | 三重塔水煙 |
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瀬戸内しまなみ海道 新尾道大橋 | 尾道水道の対岸 向島の造船所風景 NHK連続テレビ小説「てっぱん」の舞台 |
尾道水道から瀬戸内しまなみ海道を望む |
加藤周一『日本文学史序説』 長篇小説としての建築的構成は、ここにはない。部分的な場面は並列され、それぞれ独立した短 篇の趣きを備える。またその場面がしばしば緊密に美しく描き出され(たとえば山中の孤独な主人 公が宇宙との融合感を覚えるところ)、各部分を統一する唯一の強い力が同じ主人公の濃密な現在性 の他にないという点でも、この小説の全体は「絵巻物」に似る。 志賀直哉は純日本製であった。意識して平安朝以来の文化的伝統に近づいた谷崎の場合とは異り いわば無意識的に、おそらくは彼自身の意に反してさえも、志賀は『伊勢物語』以来の日本式の土 着世界観と美学とを体現していた、ーーその此岸的世界の日常性、超越的価値の欠如、鋭い細部の 観察と美的感受性、表現においては全体からではなく部分から出発する傾向。 |
尾道好日(阿川弘之『志賀直哉』) 直哉は晩年、家族宛ての遺書に「名を残す事は望まず」とかくくらゐだからまして 言はんや、昔自分の住んでゐた家が文学遺跡の名目で永く後世に残ることなぞ、望ん でゐなかつた。 「死んでしまつた人間の元のすまひを保存するために、現に生きてる人間が不便な 思ひをさせられたり迷惑を蒙つたり、実に馬鹿々々しい話でね」そんな物、必要に応 じて建て替へるなり、さもなければ歳月の自然な流れに委せて朽ちさせて了ばいいん だよといふ口調で語るのを、私どもは生前何度となく聞かされた。 それを思へば事志とちがふけれど、大正初年直哉の暮した尾道宝土寺上の棟割長屋 が、現在「文学記念室・志賀直哉旧居」として、尾道商工観光課の手で修復公開され てゐる。 石崖の上に建つ、もともとは粗末な三軒長屋の、西の取つつきが受付兼「映像文学 コーナー」、真ん中は此の長屋と本来何の関係も無い「林芙美子書斎」、東の端が六 畳と三畳二た間の「旧居」、南に面する六畳間の縁先に坐れば、正面眼下に尾道の港 が見える。 |
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志賀直哉『暗夜行路』
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尾道のどこにでもありそうな 長屋の玄関口 小説では粗末な建物 |
三軒長屋一番奥、東端の部屋 軒下に瓢箪が下っていた
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硝子戸に映る尾道の街 風景の記述は『暗夜行路』にある。 |
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住吉神社 尾道・鞆の浦航路の港がある | 海岸沿いのホテルで迎えた尾道水道の朝 | JR山陽線 尾道駅ホーム |
倉敷美観街 |
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青鷺を威嚇する白鳥 美観街の抗争 | 遊覧和船 | 青柳に錦鯉 |
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萩の花に吸蜜する蝶・ウラナミシジミ 倉敷美観街の水路端の植え込みで撮影 |
倉敷の裏通りにあった古書店の看板 看板の下の真っ白な暖簾は倉敷帆布
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購入した文庫のカバー 脚本家の意外な著作 |
倉敷 |
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テレビ・ラジオ出演多数という倉敷名物「桃太郎のからくり博物館」住宅正人館長の〈ちくわ笛演奏〉 当日の演奏曲名/桜 〈コブクロ〉 習得には十年以上かかる超絶技法 ちくわ楽器は太くて長い高級品を使用 誠実なミニコンサート |
新幹線「のぞみ」 |
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左前座席の可愛らしいお坊さん? | 右前座席の窓際にもお坊さん? | イスラム風の帽子が似合う? |
杉並公会堂 |
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川本喜八郎監督の業績を偲ぶ会 入場予約をとって追悼上映会に出かけた。午後4時開演で終わったのは午後9時30分という長丁場、途中何度も監督の関係者の話をはさみながらの進行であった。初めて観る作品ばかりで興味深かったが、上映時間1分の「セルフポートレート」は、瀬川瑛子の演歌「命くれない」にのって展開、監督のサービス精神が遺憾なく発揮されたもので、大いに楽しめた。また、安部公房原作『詩人の生涯』は不思議な魅力をたたえ美しい仕上がりであった。代表作との定評がある『道成寺』『火宅』は能に取材した作品。嫉妬や怨念を主題とするが、それらは最終的には集大成となった『死者の書』をもって救済されるべきものであろう。長野県飯田市に川本喜八郎人形美術館があるという。早速、今秋にも訪れてみたい。
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ラピュタ阿佐ヶ谷 |
執心と悟りー川本喜八郎の仕事 人形美術家、そしてアニメーション作家。 人形に魂を込めた作品の数々は 不条理で美しく、人間の深層を鮮烈にうつしだす。 人形とともに生きた一人の作家の軌跡をたどる。 全十七作品を一挙上映。 |
2010年10月ホームページ公開以降 |
平成二十二年十一月五日(金)
群馬県高山村 |
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関越を結ぶ高圧送電線。 脚下には「村の展望台」 |
小野子山遠望/登山もしキャンプもした山 ウスバシロチョウ・アオバセセリ・多数のヒョウモンチョウ類を採集したことがある |
リンゴ園/隣接の沼田市に熊! 「陽光」の収穫の目下最盛期。 「新世界」はまだ熟していない
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都民でありながら年の大半を高山村で暮らすわが尊師を訪ねた。 悠悠自適の生活ぶりから有形無形に学ぶことが多い。ときたま 遊びに行く身としては、 春の山菜狩りと秋のリンゴ狩りの時期 は外せない。そのときは尊師がたとえ東京にいてもお帰り願う。 |
平成二十二年十一月十日(水)
※hok・ku/発句 連句の最初の句 のち独立し俳句 ※ヲロシアびと/ユーリー・ノルシュテイン 川本喜八郎企画・監修の連句アニメーション「冬の日」を観た。 尾形仂・那珂太郎の監修も得てはいるが、欧米や中国を含む三十五名の作家は振り分けられた各句を、時代・国籍を超えて自由に解釈し、共同作品に仕上げている。アニメ作品のあとに「『冬の日』の詩人たち」という参加作家のインタビューがまとめられている。各自の解釈とともに興味深かったのはそれぞれの創作現場であるアトリエの様子であった。阿佐ヶ谷駅北口のスターロード一帯には昭和のよき雰囲気が残っている。現実世界も捨て難い。 |
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飯田市川本喜八郎人形美術館 |
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城下町飯田は江戸時代から伝わる人形劇を守り現在に その伝統を伝える、本美術館に相応しい土地である。 折よく映像ホールでは「死者の書」を上映していた。 岩波ホール以来の鑑賞の機会を得たのも何かの巡り合 わせ。展示室には今も監督の夢を語り続ける人形群。 |
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日本列島の真ん中に位置する諏訪湖 より流れ出る天竜川に添って伊那へ |
木曽山脈(中央アルプス)は早くも雪化粧 天竜川を挟み赤石山脈(南アルプス)も雪 |
儒者太宰春台(1680~1747)の邸宅跡 文化の香り高い信州の小京都の象徴 |
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市内中心部の舗道にあるりんご並木の風景 蔵造りの白壁とりんごの赤のコントラスト が観光客の目を楽しませる 信濃の秋 酣 |
JR飯田線・飯田駅舎 中央のステンドグラスは赤いりんごのデザイン 出雲の一畑電鉄大社駅舎を現代風にした感あり |
りんご並木の「ふじ」が完熟していた ホテルニューシルクの朝食のりんごジ ュースは格別新鮮 宿酔が吹き飛んだ |
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中央広場では地域振興の物産展開催中、多くの人々で賑わっていた。その後時間の許す限り市内を散策してみた。 理想的な都市作りへの意欲は感じられるものの投資不足か。市街地全体として整備が不均衡で、商店街にも本来 の活力がない。主要交通網から遠く、過疎化が進む傾向が感じられたが、殷賑な商店街を取り戻すために必要な 歴史的文化的そうして何よりも人的潜在力を十分に持ち合わせている。観光と物産の積極的戦略の展開を願う。 |
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昼/収穫したての新蕎麦に堪能
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夕/袖に止まった雪虫(しろばんば) 半翅目アブラムシ科の昆虫 リンゴワタムシ
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夜/信州の珍味「蜂の子」に挑戦
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茸狩山浅くいぐちばかりなり 正岡子規 |
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左の看板冒頭に大書されし「天然きのこいくち」とはそもいかなるものぞ。まず読み。天然はよし、平仮名六文字の意味判然とせず。百見は一食に如かず。註文したる結果、実物出現せり。右の映像その実物なりき。子規の句に蔑まるゝ如く味、茸(きのこ)以前の禅味にありや。ことさら 大根下ろしを添へたれば未生以前の味覚を問ふに似たり。 いくち、猪口(いぐち)なるべし。嘗て広く食されけり。 |
石井象二郎著『昆虫学への招待』に「昆虫は種類が多いにもかかわらず、食用になるものは少ない。わが国ではイナゴ、ハチの子(クロスズメバチの幼虫)、ザザムシ(カワゲラの幼虫)などが一部で食用に供されている。」とあったが、夜寄った飯田の居酒屋は全て品揃え、地元で評判の店であった。昆虫食材の一品ではさらに「絹の花」(カイコガの繭)。他に天竜川産鮎のウルカ(小砂混じり)、伊那の馬刺し(トロ)といった動物性蛋白質に加え、見たことも聞いたこともない天然きのこ類
et cetera。厳しい自然と共生してきた古人の知恵、貴重な山の幸のお裾分けに深く感謝しつつ地酒を友に食した。
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奥武蔵 越生・髙麗郷篇 |
今年初めて雲隠之会の有志と晩秋の奥武蔵の文学散歩に出掛けた。正丸峠の宿の主はあいにく都に万作 狂言を見に出ていて不在であった。時をあらためて訪れることにし、とりあえず武蔵丘陵は越生・髙麗 の里で得た感興を仮初めにと題し、ささやかな旅の記憶として留めおくこととした。 |
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早稲田通り 明治通り 新目白通り |
JR高田馬場駅から早稲田通りを都心方向へ向かう。やがて明治通りと交わる。 明治通りに面した街路樹は、ユリの木。左折してさらに行くと高戸橋がある。 池袋方面へ行かず右折、新目白通りを神田川沿いに、江戸川橋方面へ向かう。 通りは、スズカケの木、川沿いの遊歩道は、ソメイヨシノ。街路樹の落葉集。
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左二葉、スズカケの木/右五葉、ユリの木 | ソメイヨシノ(左一葉、ユリの木) | ユリの木(葉の尖端部が個性的) |
忘年会 |
忘れがたきことありながら なほ忘れたきことも多き年 の瀬、稲子麿の草庵に人々 集ひてかつ飲みかつ食らふ
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冬の小鳥 |
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柿之記 それ詩歌の道は柿本にはじまれり。 嵯峨に落柿舎あり。法隆寺の鐘は 柿くひながら聴く。此の歳の暮、 尊翁より柿三顆を賜りたり。干柿 なるに一興催し、種なき一句吟ず。 |
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速報「師走の神田川 狸転落の顛末」 |
狸之記 世に狐狸といふ。奸智をもつて 人を誑かす同類なり。狡猾なる は狐にして狸その後塵を拝す。 赤いきつねと緑のたぬきと喧伝 する筋あり。食味の厚薄、いづ れがよきか、老若宜しく之を判 ずべしと。人智また恐るべし。 |
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かなり前から学習院を経、椿山荘へ連なる目白台にタヌキが住み着いているという。その証拠に、ここ椿山荘の総支配人は庭園のタヌキに永住権をあたえ、人間に理解と協力を求めている。ただし、シッポの出た妙齢の女性とか、葉っぱに変わるクレジットカードにはくれぐれも注意する必要がある。 |
椿山荘の無茶庵で蕎麦を食したあと、江戸川橋に向かって神田川沿いの遊歩道を歩いていると、年若い巡査が自転車を脇に置いて無線で連絡を取っていた。すわ、事件発生か! たずねてみると、 まさに図星! これが神田川転落事故現場写真。 |
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対岸から現場検証すると、転落したのはタヌキであった。 | 心細そうにハシゴにすがり、救出を待っている。 |
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一休橋の上は時ならぬ鈴なりの人だかり。世紀の救出劇を固唾を飲んで見守る。 |
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警察からの応援要請を受けて、東京消防庁レスキュー隊の第一陣が出動、降下開始。 | ただいま現場到着「目視結果、無傷」 |
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続いて第二陣接近。「おい、どうした?」 「変だ、網の中にいないゾ!」「馬鹿な! 手とシッポが出ている。化かされるな!」 |
「網でまずかったら、釣狸でいこうゼ!」 (筆者曰く「こりゃ新作狂言じゃのう」) |
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「こんどは水遁の術だ。早くロープを引いいてくれ。河童に化けたらお手上げだ!」 | 「引き揚げるぞ。タヌキに見えるか?」 「いや、おサラがのってる気がする!」 |
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かくして衆人環視のなか、警察・消防による大捕物は上首尾の千秋楽。 (筆者曰く「靱猿のぬいぐるみのようにも見えるが、気のせいか?」) なお転落狸は「椿山荘狸」の鑑札つきと確認のうえ、人払いして釈放。
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東京都庭園美術館 |
斜陽之賦 王政復古といふことありて 大帝の皇統 みな栄えけり 星霜うつり 国体わりなく いま朝香宮滅び旧邸屋上わ づかに斜陽をとゞむる而已 |
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今上陛下喜寿の誕生日、東京都庭園 美術館(旧朝香宮邸)を訪れた。初 冬の午後、日は既に西に傾いていた。 |
「朝香宮のグランドツアー 」と題する企画展 では英国貴族の子弟の学業の総仕上げに倣った 朝香宮の大見聞旅行の成果が展示されていた。 |
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旧朝香宮邸はラパンやラリックのデザインを採用 したアール・デコ様式の斬新な設計で知られる。 内部で唯一撮影可のウインター・テラスの一角。
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邸南に面した芝生の庭園。残照の三階部分に あるのがウインター・テラス。敗戦後、多く の皇族はその身分を失い一般国民となった。
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正門から本邸へのアプローチとなる洋式庭園 | 奥まったところにある茶室前の日本庭園 |
椿山荘庭園 若冲と羅漢 |
若冲居士(1716~1800)は京 の人 不惑の年に俗事を離れ画業専一を決心 緻密にして 奔放 宗教心篤き稀代の画家 かつて洛南鳥羽某寺にありし と伝ふる五百羅漢の壮観いか なりしか 東都椿山の道場に 移りたる羅漢に其一端を知る |
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文京区立新江戸川公園 |
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今年は寅年。虎は食肉目ネコ科に属する最大の猛獣。朝鮮出兵の加藤清正虎退治の武勇伝から竹やぶに潜むことが知られる。竹に虎は取合わせ。 ここ、文京区立新江戸川公園(旧細川邸)に住み着いているのはネコ科の中のネコ(イエネコ)が半野生化し、それ故に世に野良猫と呼ばれている一匹。つねは奥まった林間にあって姿を見せない。笹を竹やぶに見立てた。虎に代わって干支交替のご挨拶まで。 ※〔十二月三十一日撮影〕 |