改作前の映像
平成二十四年 油彩・カンヴアス
                  二七・五 ×二二糎
 
平成十八年 油彩・カンヴアス
              二七・五 ×二二糎
 

「炎」の中央に座するのはあらゆる艱難困苦に耐へ禅定する明王。
天に日月、地に広葉樹針葉樹を配した。昨年、鎮魂と再生の願ひを
こめて描いた「雪割草」にひきつゞき花に象徴されるものを主題に
してカンヴァスに向かふことにした。画中花の数は四十五。桜香会
四十五周年記念展を祝した散華。モデルとした仏像は昭和六十年代
南青山の根津美術館近くの骨董品店で手に入れた小乗仏教系の作。
旧作に手を加へる気持ちは複雑だが、これもまた貴重な制作体験。
 



 【2011/6/3更新】
   
 雪割草   埴輪とトランペツト
    平成二十三年  油彩 カンヴアス
                               五三×六五糎
    平成五年 油彩・カンヴアス
                      二二×二七・五糎
 平成七年の第一回個展に出品した「埴輪とトランペット」でモデルにした埴輪が
三月十一日に起きた東北関東大震災で倒れて、頭部が首から吹き飛び、無残な姿
になつてしまつた。しかし、埴輪の少女のあどけない笑顔は少しも変はるところ
がないのだ。五月の連休に新潟の山野を巡つてゐるとき、さまざまな色に咲いた
雪割草に出会つた。そこで前作の構想、構図を活かしモデルの再生を試みること
にした。挿入した模写は前回はセザンヌの静物画、今回はピカソのバレリーナ。
埴輪にちりばめた可憐なる雪割草の一輪一輪に、鎮魂と再生への願ひをこめた。
油彩の処女作。静物画の何であるかも皆目知らぬままに取り掛り、
優に半年格闘することとなつた。セザンヌの複製画を挿入したのは
習作としての意味合ひを持たせる心づもりであつたとはいへその神
経今では信じ難い。埴輪は登呂遺跡出土品がモデルか。はるか弥生
のいにしへの、とある朝、乙女は胸に抱いた瓶の中にあるおもひを
秘めたにちがひない。三十年来、我が机辺を飾る愛蔵品。トランペ
ツトは伊勢兼の若旦那から拝借した
。(平成七年第一回個展 解説)


 1992-2010

 ああ大和にしあらましかば
                 斎藤 仁書   根岸 弘画
            平成四年  墨・水彩  色紙 二七×二四糎

ああ大和にし
        あらましかば
  いま神無月
うは葉散り透く
      神無備の森の小路を
   あかつき露に髪ぬれて
    往きこそかよへ
斑鳩へ

 
  斎藤仁氏の現代墨書「ああ大和にあらましかば」との共同作品
  氏は井上ひさし著『四千万歩の男』のモデルとなつた伊能忠敬の
  『大日本沿海輿地全図』(伊能図)研究家として知られてゐる。
  象徴派詩人薄田泣菫『白羊宮』(明治三十九年〈1906〉刊)
  所収の同名詩の冒頭の一節、わが青春時代を彩つた詩句である。
  前年に水彩画を再開し、追ひかけるやうにして油彩画も始めた。




       塔と回廊
            根岸 弘
 

  風ひかり 
  涛かがやく 
  わたつみの神に斎の厳島

  海上遙か 朱の大鳥居 
  宝蔵深く 金銀納経
  かくばかり 欣求浄土の誓ひもて
  塔をあふぎ 廊を回りし
  六波羅の 公達いづこ

  風ひかり
  涛かがやく  
  わたつみの神に斎の厳島
 
                                  平成四年  水彩・紙    
                                   三五×二七糎
 




 
       禅定   
             根岸 弘

  すべては瞑想にはじまる  

  結跏趺坐 こころしづかに
  おもひおこせ

  この世に生きとし生けるものに
  ひとしなみに授けられし
  そのかみの
  かのひとの
  ことばとおこなひを

  ひと 往きて
  小暗き菩提樹の下に坐せ
  智慧はめざめん

  ひと 復りて
  娑羅双樹の林に横たはれ
  慈悲はつきせず

  さうして
  聴くがよい
  空みつ天上の調べを
  散華のうちに
 
                                     平成四年  水彩・紙     
                                           三五×二七糎 



 
             朝
                           平成四年  水彩・紙   
                        一五×二二糎 
 
  我が家の朝のめざまし係だつたチヤボ。起こしてもらふだけでも
  有難いのに毎朝温かい卵を産んで栄養をつけてくれた。家禽とし
  てじつに有益な存在であつた。ナズナなどの和草を好んで食べる
  ので朝の散歩がてら摘んで帰るのが日課となつた。




 
                仏頭
            水彩・ペン・紙 三十・五×二四糎
 デツサン帖の習作左下一帯の翳は折れ皺による影響。




 
            万力のある小景
                平成四年  不透明水彩・紙 
                        二八・五×一八糎

  煉瓦の建物の前にあるオブジエ。限られた空間で
  の必然的な組み合はせが気に入つて描いた。万力
  の後方にあるのは鍛金作品である。ある位置から
  はときに飛行機の翼のやうにも蝶の翅のやうにも
  見える。絵の枠は縦長でないと均衡が崩れる。




 
白壁と石垣のある家 
                   平成四年  水彩・紙
                         三五×二七糎

現在は町村合併で埼玉県日高市の一部となつた高麗村の旧家。初夏の陽光を
受けた白壁とおそらく附近を流れる清流高麗川の石で築いたと思はれる宝石
のやうに美しい石垣。清楚で気品のある自然と人工が融合したアプローチ。 





 
 紫陽花
               平成四年 水彩・紙
                   一五×二二糎   
絵は小学生時代から(宿題ではなく)思ひつくままに
描き散らしてきた。平成四年はあるきつかけから本格
的に絵を描かうと考へはじめた年である。さうなると
今まで見てきた花も見方が違つてくるやうな気がした
から不思議である。まづは親しんできた水彩画から取
り組むことにした。花は透明感のあるガクアヂサヰ。





      
埴輪とトランペツト 
                  平成五年 油彩・カンヴアス
                        二二×二七・五糎

  油彩の処女作。静物画の何であるかも皆目知らぬままに取り掛り、
  優に半年格闘することとなつた。セザンヌの複製画を挿入したのは
  習作としての意味合ひを持たせる心づもりであつたとはいへその神
  経
今では信じ難い。埴輪は登呂遺跡出土品がモデルか。はるか弥生
  のいにしへの、とある朝、乙女は胸に抱いた瓶の中にあるおもひを
  秘めたにちがひない。三十年来、我が机辺を飾る愛蔵品。トランペ
  ツトは伊勢兼の若旦那から拝借した。   
         
               (平成七年 第一回個展〈解説〉より)




雨の飛火野 
                        平成五年 油彩・カンヴアス
                       二二×二七・五糎

  飛火野の右前方、冷たい雨に打たれながらなほ燃えさかる火のや
  うに紅葉してゐるのは何の樹であつたのか。しばし目を洗はれる
  思ひで立ちどまつた。深まる秋にあつてこの雨に生気を帯びた芝
  の園生は広大な神域を瑞々しく荘厳してゐる。さらにその奥に太
  古の静謐をたたへて春日山の原生林が続くのである。鉛色の雲の
  下、日の暮も迫り、今は鹿の群も見当たらない。描いてゆくうち
  に原生林の中に大神が仰臥してゐるかの如き幻覚に襲はれた。

              (平成七年 第一回個展〈解説〉より)




 
 新薬師寺への道
                       平成五年 油彩・カンヴアス
                      二二×二七・五糎
  さゝやきの小径を過ぎるあたりから雨は上がり始めてゐた。心に
  十二神将を思ひ描きながら南都の郊外、志賀直哉の旧居に程近い
  閑静な家並みの風情を味はつて歩いてゐた時に出会つた光景であ
  る。ゆるやかに坂をなす舗道は晩秋の雨にしつとりと濡れて築地
  塀を映してゐた。奈良特有の民家の構へ、その坪庭の実一つない
  柿の木の枝振りも好もしかつた。坂の右方、石垣の上の白土の壁
  は最初から一部カンヴアス地を塗り残す計算であつた。 
              (平成七年 第一回個展〈解説〉より)



 

水彩下絵

永観堂の春
  
                   平成五年 油彩・カンヴアス 
                          二二×二七・
五糎
 
  
  京都には数多く訪れてゐるが、考へてみると意外に、春は初めてであつた。
  教へ子の婚儀に招かれた日の翌日、都ホテルを出て哲学の道へと辿る道すが
  ら見返り阿弥陀で有名な永観堂に立ち寄つた際に、森閑とした境内にあつた
  本堂の玄関に能舞台の趣を感じてスケツチした。背後の山は新緑の交響曲に
  包まれて多宝塔の傍らには残の春をうたふ桜一樹あり。その後、念願の御室
  の桜をと、仁和寺にも回つてみた。いつの日か御室の春を描いてみたい。
                   (平成七年 第一回個展〈解説〉より)
 


 
 まほろば
                                 油彩・カンヴアス 
                             七三×九〇糎
 
  秋麗の明日香の甘樫丘の足下に広がる眺望にまづ「まほろば」の画題を得た。
 その画題を生かさうとした結果はデフオルマシオン手法による構図とならざる
 を得なかつた。五十号は初挑戦で途中で飽きてしまふほど時間を費やした。画
 面やや左端中央に飛鳥坐神社とその門前町、右方には飛鳥寺がある。古事記歌
 謡「大和は国のまほろば たたなづく青垣 山こもれる 大和しうるはし」さな
 がらの実景をさらに理想化して、古色蒼然とした額で装ふ。収納に難題あり。




 
 明日香晩秋
                  平成六年  油彩・カンヴアス 
                    二二×二七・五糎
 
 
明日香村一帯は七世紀、推古天皇から天武・持統天皇の御代まで
それぞれの帝都が置かれた古代史の舞台である。しかし史跡から
やや隔たつたところにはかうした田園風景がひろがつてゐる。歴
史風致保存地区として人工的造作物が厳しく制限されてゐるとい
ふ。万葉の歌に詠まれたやうな山も川もないのに、采女の袖吹き
 かへす明日香風にのつてきた干藁の匂ひに深まる秋が感じられた。
名もなき民の命の営みに無言でこたへつゞけてきた恵みの農地。




 姫神山頂
                       平成七年 油彩・カンヴアス 
                    二四・三×三三・五糎
 
 
かつて毎夏のやうに東北の山に登つてゐた。岩手山、秋田駒ヶ岳、
早池峰山、それに姫神山。いづれの山もみちのくの大地にふさはし
い山容を有する。初夏、山裾に広がるのスズランの群生で知られる
姫神の遠望は優雅な女性を想はせる。だが意外に、山頂は花崗岩の
大石が佇立し蒼天を摩してゐる。石川啄木の生地、旧渋民村にあり
「かにかくに渋民村は恋しかり おもひでの山 おもひでの川」と
詠まれ、放浪の日々にあつて片時も忘れなかつた望郷の山である。




 
 牡丹
               油彩 キヤンヴアス   
               
二四・三×三三・五糎 

意欲的に展覧会めぐりをしてゐた時期がある。最初は
古典文学への関心から日本画展の会場へ足を運ぶこと
が多かつた。金屏風に描いた豪華・豪放な障壁画は魅
力的であつた。そこには泰西絵画にも共通して見られ
る金色の色彩美があつた。そこで小品をもつて挑戦す
ることにして、花の女王・牡丹を描くことを試みた。




 
 晴日緑陰
                            油彩・カンヴアス 
                        三八×四五・五糎
  その昔、建国記念の日に、東京都千代田区丸の内1−1−1に建つ
  パレスホテル(現在立替中)で挙式し、新たな人生を歩み始めた。
  皇居周辺風景には謂はば第二の故郷のやうな親近感を覚える。就中,
  五月の新緑は格別である。画題は王安石の七言絶句「初夏即事」の
  一節から採つた。皇居の緑は都民に田園の光と風をもたらす。お堀
  端を散策しながらこの構図を得た。むしろ水彩画の方が適してゐる
  かもしれないと迷ひつつも、つとめて薄く絵の具を重ねてみた。





 
                       火の山の麓       (信濃追分 油屋蔵)
                     平成七年  油彩 キヤンヴアス
                                            五三×七二・八糎

 「火の山」とは画面左に裾を引いてゐる信州浅間山のこと。その麓の北軽井沢の茫
 漠とした風景を描いた。大学生時代にゼミで訪れ、青い空に浮かんだ真つ白な雲を
 いつまでも寝転んで眺めてゐた思ひ出がある。高原の乾いた風が心地よかつた。さ
 らに思ひ出をさかのぼれば、北軽井沢は中学生のとき、夏休みに生物部の仲間たち
 と昆虫採集のキヤンプをしたところである。草軽軽便鉄道に乗つてゐると車窓から
 蝶やトンボが入つてきたものだつた。その軽井沢に今や新幹線。隔世の感がある。




 
 信濃路の春
                                          平成八年 油彩・キヤンヴアス
                                     六〇・×九〇糎

浅間山の山麓を描いたので、つぎは春雪を冠したその全山容と対面することにした。信越線信濃
追分駅からやや長野方面に行つたあたりの鉄道沿ひからの眺望である。画面を横断し延びてゐる
樹林帯の中に旧中山道の追分宿がある。浅間神社の境内には更級から善光寺を経て碓氷峠に向か
ふ途次の松尾芭蕉が詠んだ一句、「吹き飛ばす石も浅間の野分かな」の句碑が建つ。最近のこと
 では信濃追分をこよなく愛してこの地に住み、この地で没した作家堀辰雄の文学館も出来てゐる。





  蝶ネクタイをしたムニユ
                油彩・カンヴァス
               三三・五×二四・三糎

ムニユは半野良の猫。かつて我が家を拠点にしがな
い暮らしをしてゐたが、やがて近くの公園の顔役と
なつた。主人より出世したのは当然ながら嬉しい。
長い付合でムニユの性格は熟知してゐる。控へめで
優しい。人間は世間に認められると肖像画を残した
りする。註文があつた訳ではないが、彼の品格と猫
柄に惹かれるまま筆をとつた。ポイントは蝶ネクタ
イ。これがないと絵にならない。ムニユ王朝万歳!
       

 

 
 砦のある風景
                      平成八年  油彩・カンヴァス
                               五三×七三糎

北イタリアの春。抜けるやうな青空の下、フイレンツエ郊外のなだらかな起伏
の彼方、中世の城壁に残る砦とその前に広がるオリーブ畑。点在する農家の屋
根と壁との対比もあざやかで美しい。当時イタリアでフレスコ画を研究中の知
人を訪ねることが目的の一つであつた。またこの旅で、ルネツサンス美術の宝
庫ウフイツツイ美術館で念願の名画鑑賞をすることができた。収穫であつた。




 
ゆあみ 
                           油彩・カンヴアス
                        六三×五一糎
 
新海竹太郎「ゆあみ」(ブロンズ/明治四十年〈1907〉制作。
〔東京国立近代美術館蔵〕)の油彩による模写。
ドイツから帰朝し
明治彫刻界にその成果を問うた記念碑的作品。当時、欧米の裸婦像
はそのままでは受け入れられ難かつた。天平風の髷、裸身の一部を
おほふ薄衣。作者は細心の配慮をほどこしながら、逆にそこにえも
いはれぬ優れた芸術的効果を生み出してゐる。彫刻への憧れを少し
でも満たさうと試みたが、背景処理は放棄するよりほかなかつた。




 
 麗日休耕
                       油彩・カンヴアス 
                           六〇×九〇糎
                         
 五月の大型連休に、八ヶ岳に棲息すると聞いたヒメギフテフの採集に出
 かけた。情報が不確かで成果は当然ゼロだつた。しかし、迷ひ込んだあ
 る高原の中腹にひろがる畑で、残雪も美しい雄大な甲斐駒ケ岳に出会つ
 た。採集はあきらめトランクから絵の道具を出して下絵を描き、帰京し
 てから完成させた。後ろ姿の画中人物は雑木の切り株の上に画板をおき
 制作中の作者。しばし田園交響曲の指揮者の気分。が、畑主はいづこ?

                         


 
 天使の調べ
              油彩・カンヴアス 
              二二×二七・五糎

静物画の材料集めをしてゐるうちに偶然できた
構図。天使がヴアイオリンを弾くかたはらで鳩
が聞きいつてゐる。ブリキ製のクラシツクカー
には深い意味はないが、背景の色調との関係で
入れてみた。質感の異なるオブジエの集合体。




 
 「百合の間」の午後
                      油彩・カンヴアス    
                          五三×七三糎

贈られてきた花束を枯れないうちに絵にしてみた。画面では判然としない
が、大きなコップに輪ゴムで束ねたままの花たちのなかに麦の穂が二本混
ざつてゐる。背景の壁画の百合のスラリとした姿にかよふものを感じ、そ
こに神経を集中してみた。画面左に前掲「天使の調べ」の鳩がゐる。先年
鎌倉で買つておいたものだが、かうしてみるとなかなか役に立つてゐる。


 
 あの人は生きてゐる
              平成二十一年  水彩・紙  
              二五×一七糎

アンデルセン童話『絵のない絵本』第一話のた
めの挿絵。モデルはインドの娘。インダス川の
川上にランプを浮かべ、その火が燃えつゞける
か、消えてしまふかで恋人の運命がわかるとい
ふ物語。語り手は世界中をまはる月、画中に欠
 かせない。あとはヒロインとランプの位置関係。


 
 當 麻
               平成二十二年  油彩 カンヴアス
                         六五×五三糎

いはゆる歴史画の範疇に入る。かうした画題は日本画の分野に限る
といふのが一般のやうであるがあへて意に介しない。日本近代美術
の黎明期にあつて洋画家青木繁が明治浪漫主義の主題に据えたのは
神話あるいは天平の世界であつたことを忘れてはならないだらう。
蓮の蕾を手にしてゐるのが當麻寺伝説のヒロイン中将姫。池中から
出現した菩薩のモデルのポーズは平等院鳳凰堂の雲上菩薩から考へ
た。背後は二上山の夕映。未完成なのでこれから細部を詰めねば。




2010年10月ホームページ公開以降の作品〈旧作〉



 

麦わら帽子
                      
                       五三×四五・五糎
 
 一度だけ沖縄を訪れたことがある。その時は沖縄舞踊の鑑賞が主た
 る目的であつた。その後沖縄本島の各地を廻つて見た中で草むした
 石垣を繞らした神さびた古城の門が印象に残つた。東京に戻つて考
 へた。嗚呼、あの門はだれも知らない門だつたのだ!……。亜熱帯
 に属する沖縄は蝶の宝庫……。突然、金の麦わら帽子をかぶつた少
 年が出現した。真つ黒に日焼けした少年の背景に広がるのは蒼空で
 あり、珊瑚礁の海である。手には真つ白な捕虫網が握られ、いつで
 も振り出せる姿勢を取つてゐる。が、幻影の城に舞ふ蝶の正体は?



 
                 朝の鐘       (個人蔵)
                  平成八年  油彩 カンヴアス
                              三三×二四糎

 アツシジの丘の朝は小鳥たちの美しい囀りに包まれてゐた。
中世の僧院風のホテル。小窓を開けると眼下に村の教会の
 高い鐘楼…とおもうまもなく、朝の鐘が鳴りだす。さうだ!
「小鳥に説教するフランチエスコ」の画題は、かうした朝、
ジヨツトの敬虔なる絵筆によつて決せられたに違ひない。
フランチエスコは神の福音を伝へるとともに恩寵にみち
た自然の生命力を讃へた珠玉のごとき詩篇を残してゐる。

アツシジの春の小鳥や朝の鐘


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