音楽家インタビュー・アーカイブ・シリーズ 2 寺嶋民哉さん(作曲家・編曲家)p.1

2000/05/30 掲載
(2007/10/23一部改訂)
Interview & Text by Ikuko Asai
映像音楽は、
制約があるから楽しいのです。
〔プロフィール〕
寺嶋民哉氏フォト熊本県出身。高校時代より、吹奏楽や小編隊のバンドアンサンブルの編曲を手がける。卒業後はロックバンドに参加。この頃からシンセサイザーを使った編曲を始め、音楽の方向性も次第にジャズ、フュージョン系からクラシック系へとシフト。映画、テレビをはじめ、ミュージカルの作・編曲や舞台音楽など、幅広く活動している。
テレビドラマや映画に重要な役割を果たす音楽。音楽の善し悪しは、その映像作品の善し悪しをも左右します。新しいドラマの放送や映画が公開されると、今回のサントラは誰だろう? と話題になることもしばしばですね。そんな「映像音楽」の世界で活躍している作曲家・編曲家のおひとりである寺嶋民哉さんにお話を伺いました。
ここに『イグアナの娘』のサントラのブックレットがあります。そのなかに記されているテレビ局のプロデューサーの言葉を引用します。
寺嶋さんの音楽は、たった今、わき出た清冽な地下水のように凛としている。だから、手のひらですくって、つい飲んでみたくなる。するとその味わいたるや、どうだろう。“自分は今、たしかに生きている”という充実感、あるいは“明日も生きてみたい。そして、何かを成し遂げてみたい”という欲望みたいなものが、からだの中心から涌きあがってくるではないか。寺嶋さんの音楽は、そんな不思議なパワーを秘めている。」(テレビ朝日系月曜ドラマ・イン『イグアナの娘』オリジナル・サウンドトラックPHCR−74ブックレットより)
私が初めて寺嶋さんの音楽を聴いた時、まさに同じような感動を覚えました。「心に広がる未来にたいする希望」といったものが彼の音楽から感じられます。そして、そのサウンドはインターナショナルな響きをもっていました。
◆プロになるまで

―寺嶋さんと音楽との出会いは?

「中学・高校とブラスバンドをやってました。
トランペットが見た目にもかっこよさそうだし、いいかなと思って、親に“トランペットを買ってくれ”と無理を言ったら、成績が何番以内に入ったら買ってやると言われた。トランペット欲しさに一生懸命勉強をして、なんとか買ってもらうことができたけど、買ってもらったわけだからもうやらざるを得なくて、結局それから中・高6年間、ずっとトランペットをやったわけです」

―ブラスバンド部の思い出をお聞かせください。

弱小のブラスバンドだったんだけど、僕が中3の時にやっとなんとかメンツが揃ったので、学校創立以来、初めてコンクールというものに出ることが決まった。そのために毎日すっごく練習したんですよ。わりといい音を出しているなという気はしてたんですが、コンクールの出場曲がなんとトランペットのファンファーレから始まる・・・。それもけっこう高い音から始まるんだな。練習の時でも50%の確率で失敗するんです(笑)。調子がいい時はぽんと音が出るんだけれども、だめなときはぜんぜんだめ。だから練習中に、先生が何度も切れ、そのままコンクール当日になっちゃった。それがまた最初の出番で・・・20分間ほど後ろでスタンバッているんですが、その間も“音、出るかな? どうかな?”と、何度も舞台のそでに行っては少し吹いてみたりしてね。なにしろ大きなホールで演奏するのは初めての経験だったし、すっごい緊張ですよ。それでまあ、いきなり始まった途端、大失敗しちゃった(笑)。僕のせいでコンクールは悲惨な結果に終わりました。それが思い出だね(笑)」

―では、その頃好きだった音楽はなんですか?

「高校生になった頃は、ジャズが好きになりましたね。トランペットをやっていたから、
マイルス・デイビスなどのトランペット奏者や、トランペットが入っている曲をよく聴くようになりました。同時に、高校1年の頃からバンドも始めてね。バンドでは、リコーダーやピアノもちょこっとやるようになった。高校3年の頃からはポピュラーソングコンテストと言って、通称ポプコンに挑むようになりました」

―その頃は、ポプコン全盛期ですね。

「そう。そして、
クロスオーバーと呼ばれる音楽が当時人気があって、僕はデオダードが好きでした。それで、そういうバンドを自分たちでもやろうと思ったり、CTIというレーベルのアーティストが特に好きで、コピーしたりね。でもまあ、なんでも乱雑に聴いてましたね。日本のフォークソングや海外から入ってくる音楽はなんでも聴くという感じですね」

―音楽の道に進もうと思われたのは、いつ頃ですか?

「高校を卒業して、作曲家になりたいなというのは少しはありました。コンテストで作曲賞をもらったことと、ブラスバンド部でその時に流行っている曲の楽譜が欲しい時に、自分で耳コピーしてブラバン用の譜面を書いていて、それでアレンジにも興味をもち始めたりしてたからね。でも、プロになれるとはぜんぜん思っていなかったな。高校卒業のときに親から夜中に音が出せるようにと作曲用にヘッドフォン付きの電子ピアノを買ってもらいまして、それが次の道へのきっかけになりましたね。というのも、実はそのピアノは
フェンダー・ローズというもので、とても貴重な楽器なんですよ。それを持っているということだけで、熊本のある有名なバンドが一緒にやろうと誘ってくれました。僕の腕を見込んでというより、フェンダーローズの音がほしいということですね(笑)。それで、そのバンドに入ったんだけど、自分がバンドの足を引っ張っているのがわかるんですよ。だから、メンバーから認めてくれるまで必死に練習しましたね。その1年後、そのバンドが、浜田省吾のバックバンドになったんです」

―浜田省吾さんのバックバンドになったことが、プロへのきっかけですか?

「そう、それで僕らも東京に行くことになったんだけど、お金がないから、合宿始めました。そうなると音楽を離れた生活の問題でいろいろと煮詰まってくるんだな。それに、今はバックバンドをやっているけど、自分たちのバンドにもヴォーカリストはいるし、食べるためにバックバンドを続けるというのはどうしたものか、初心を忘れているんじゃないかなどと、メンバー間でモメ始めた。ヴォーカルはなにもやることなくてかわいそうだったしね。それで結局ばらばらになってしまい、1年半くらいで東京を引き上げて熊本に帰りました。だから、最初の東京行きにはいい思い出はなかったね。熊本に帰ってから、また新しいバンドを作ったり、CMの仕事を始めて、食べるには困らないくらいに仕事はあって、そこから10年間、僕は熊本で仕事をしていたんですよ」

―10年間、熊本で活動されていたのですか。

「そうですよ。だから次に東京へ出てきたのは、33歳の時で、ポプコンが半年に一度あったんで、意地になって何回も受けてたんですよ。ポプコンはオリジナル曲でないとだめなんで、常に目標だった。でも、その頃、作曲をやっていこうとは思っていたけど、とにかくバンドを成功させようと思っていたね。バンドのことしか頭になかった。俺らがやっているようなバンドなんて東京にはゴロゴロいるから、バンドなんかやめて東京でアレンジャーとしてやらないかと、呼ばれたこともあったけど、すごく反発してましたね。結果的にそのバンドは解散しちゃうんですが、解散してからですね、自分のことに集中し始めたのは」

―そして、東京へ行こうと?

「ああ今かな? 東京に行くならと、自然に思ったんですね。僕は郷土愛が強いんですよ。熊本というところに固執していたところがあったね。住みたいところに住んで作曲をやっていける方法はないかと模索していたとこがありました。でも、なかなかむずかしい。今まで作った作品を持って東京に出てきました。知り合いを通じていろいろな人に作品を聴いてまわってもらったんだけど、あんまりいい評価がなくて、こりゃあ困ったぞと思いましたよ」

―どのような作品を聴いてもらったのですか?

「バンド用の曲と自分で作ったポップス系の歌。これなら比較的受けがいいだろうと思っていたものを聴いてもらっていたんだけど、それって毒がないわけだね。実は、自分自身が大好きなオーケストラの作品も持っては来ていたんだけど、誰も理解してくれないだろうと勝手に判断してしまってた。ある日、知り合いの作曲家に、オーケストラ作品を聴いてもらったら、すぐに事務所を紹介してくれて、今度はマネージャーの人に聴いてもらえた。そしたら気に入ってもらったんですよ。そこから今に至るわけ。スピルバーグの映画の音楽のような音楽で、せりふも入れた15分くらいの大作だったのです」

―せりふ入り?

「せりふといっても、アルファベットで書いた日本語を逆に読むといった意味のないせりふ。キャラクターを5人くらい自分で作って、スターウォーズとネバー・エンディング・ストーリーを混ぜたような雰囲気の音ドラマで、本当は映像に音をつけたかったんだけど、都合のいい映像がなかったから、音だけで雰囲気を出そうと思ったんですね」

―それは面白そうです。自分が好きな曲で評価されたというのはうれしかったですか?

「うれしかったですね。こだわって作った曲だったんで、とてもうれしかったですね」

―それから、作曲家、編曲家としての東京生活が始まったのですね。

「東京に出てきてからは、幸い半年くらいできっかけがつかめました。
どういう形でもいいから、とにかくプロにならなきゃまずいぞというのがありましたからね。あせりがあるから、できることは何でもやるぞ! という気持ちでしたね」
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