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小林正明相模原市議会議員 トップ >> 随想 >> 市議会議員

随想

市議会議員

果たせなかった約束

久しぶりに訪れた大学構内は、学生も何故か疎らで静寂、40数年前の活気もなく、時の流れの非情さ残酷さが募ります。

あの時の果たせなかった約束を思い出し心が疼くのは、小雨降る構内の静寂さ故。

微笑ましく読んだ文集の小さい頃の額(眉?)の傷に纏わるエピソード、今も鮮明です。今でも、額(眉?)のその後が気になります。

あの頃の大学は熱く燃えた政治の季節、凄まじく吹き荒ぶ風に煽られ、あの時の約束を果たせませんでした。

今にして想えば、風の所為ではなく未熟さ故の自信のなさ、躊躇と不誠実、臆病な学生。

自信のなさは、家庭の味も知らないで3歳から祖母に育てられた環境にあったのかもしれません。

躊躇と不誠実、臆病で職業観もない学生が、まっとうな未来など不可能と誰からも思われたのは当然です。 果たせなかった約束がもたらしたもの、人生の悲しみ、憤怒、多感が故の苦悩、自暴自棄、自己嫌悪。

私なりに耐え忍びながら、果たせなかった学生時代と決別し、人生をやり直し、約束を果たせる人間を目指し、本も学生時代に劣らず読み続け、必死の努力をしたつもりです。

例え、夜中に無意識の中で歯を噛み砕くような逆境にあっても、志を曲げずに筋を通す勇気を持ち続けられたのは、あの時、悲しくも果たせなかった約束が原点、心の支えでした。

果たせなかった約束は、自分自身の反映、人の生きざま、生き方そのものが人生ですが、果たせなかった悔しさがあったからこそ、今があるのだと思っています。

奇しくも、私たちの映画「いちご白書」が41年ぶりに復活、19日(土)から新宿武蔵野館で上映されますが、今回も1人で見ることになりそうです。

私達の長崎は、すっかり変わってしまいましたが、電車の中から見える稲佐山や岩屋山、何より大学前の電停は昔と同じ、雨の日にはあの時のように傘をさした学生が降りてくることでしょう。


平成23年11月17日

小 林 正 明

故郷があり、今がある

道端の梔子(くちなし)の柑橘系の香りに誘われ、遥か遠くに置いてきた、故郷の「あの時、その時」の甘酸っぱい思い出の記憶が、浮かんできました。

贅沢なほど緑溢れる自然の中で、有り余る時間を無頓着なまま過ごした中学・高校時代、今も、私の、そして君との「あの時、その時」は鮮明です。

子供の頃、佐賀平野では北風の中で「麦踏み」が行われていたことを思い出します。

霜で浮いた麦の芽は、農家の足に踏まれて、再び大地にしっかり根を下ろすことができるのです。

人間の真価は、順風満帆な時ではなく、逆境にあってこそ発揮されるものではないでしょうか。

私たちは、友人等の訃報に接する度に、人生が如何にはかなく短いものか、人生が流れ星のほんの一瞬の瞬きであることを、今更ながら痛感せざるを得ない年齢です。

同窓会は元気な生の証「生前葬」として、「笑いながら泣き、騒ぎながら寂しがる」為に可能な限り積極的に参加しましょう。

今私は、城山にあって、夕映えの筑後の流れを思い浮かべながら「故郷があり、今がある」ことに感謝しています。


平成22年盛夏

小 林 正 明

不帰の友へ

君の突然の訃報に接し、人生が如何にはかなく短いものか、人生が流れ星のほんの一瞬の瞬きであることを、今更ながら実感しています。

無頓着なまま、有り余る時間を過ごした高校時代、学校帰りに立ち寄った神社、駄菓子屋、チャンポン屋、私たちはいつも君と一緒でした。

数年前から始めた思い出作りのドライブ、野焼きが煙る雄大な阿蘇を見ながらの露天風呂、君の船で食べたアジ寿司は格別でした。

それにしても、3月5日の君は思いのほか元気だったのに、私たちを置いて先に旅立つとは残念です。

私たちも、直ぐではなく、遅くなるかもしれませんが、いつかは君に会いに行くことになります。

井樋ちゃん、それまで、蓮の花の香る池のほとりで、しばらく体を休めて待って居てください。


平成22年3月30日

小 林 正 明

相模原市議会議員 小林正明 Mail:masaaki@kuh.biglobe.ne.jp 相模原市緑区町屋4-16-9 TEL:042-782-5969 携帯:090-4520-5447