随想
城山町長時代
城山町長
城山町長時代、町の広報誌に掲載されたコラムです
平成16年8月 合併に対する町長の所信
私は、拙速な合併の推進ではなく、合併慎重派の町長として町民の方々の負託を受け、町政を担っております。
現在、協議が進められている任意の合併協議会そのものを否定するのではなく、今後も協議に参加をしてまいります。しかし、町民の皆様への十分な情報提供と議論をしていくため、協議の進捗状況が一段落した段階で、自立シミュレーションの作成を手がけ、合併が自立化の議論を交わすシンポジウムなどを開催してまいります。そして、最終的には住民投票によって町民の方々に判断をしていただくことが必要と考えております。
○ 任意合併協議会に対する認識
・ 合併あり気で法廷協議会へと進むための参加ではなく、仮に合併するとした場合の選択肢の素案作りと考えており、合併するための手続きではなく住民の方々が判断するための素案作りとしての参加であります。
・ 第2回の協議会で「市町村の合併の特例に関する法律」(昭和40年法律第6号)の適用を受け、平成18年3月31日までに合併(特例法期限:平成17年3月31日までに県知事に合併を申請)することを目標とする。と決まりましたが、これは前町長在任時の決定であり、このことに拘束されることはないと考えております。拘束されるとしたら選挙の結果による政見交代の意味がなく、期限にとらわれずに慎重に時代をかけて議論すべきという考えであります。
○ 合併特例債に対する認識
・ 合併自体に「抜群の効果」があれば、財政支援は不要であると思いますが、効果が薄いからこそ、税金の先食いを合併特例際として活用せざるを得ない事情があると考えております。
○ 合併に対する認識
・ 城山町は全国的に見た場合、財政的にも高いレベルにあり、全国町村のうち人口2万人以上の上位町村13%に含まれます。財政力指数も0.75と高く、交際費比率は8%と低く維持されております。
○ 当面の取り組みとまとめ
・ 県に対し、自立シミュレーションへの支援や自立財政支援策の確立を要望していき、また、合併推進論者ではないことから、「合併推進室」(町の組織)の名称や事務分掌の見直しを支持いたしました。
・ 自立と合併を分析し、判断材料を提示し町民の皆様の判断にゆだねたいと考えております。
平成16年9月 夏の経験-幻想風景-
8月16日夕刻、「第5回小倉灯ろう流し」が開催された。
昨年は台風の影響で中止になり、2年分の「灯ろう」持参者もあり、さらに今年は「新小倉橋」開通も記念しての開催との事。
参加者は、若いカップル、中年の夫婦、かつて若く、今も元気印の方々の参加があり、浴衣の女性も多く見受けられた。
夕なぎがやみ、頬を伝わる川風が心地よく、古来から「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものだと実感。
主催者あいさつの後、いよいよ「灯ろう流し」が始まるころ辺りは夕闇に包まれ、流れ行く「灯ろう」の明かりが川面に浮ぶ。
静かに、ゆったりした川の流れの中で、人の手を離れた「灯ろう」は連なりながら・・・。或いは離れながら・・・。
私たちは、高度成長の中でいつの間にか「ゆったりした時間」を味わう日本古来の「情緒」を無くしてしまったのではないでしょうか。
合理的過ぎる現代建築の住まいの中で、障子越しに月明かりを感じることが無くなり古人の「もののあわれ」を感じられなくなったのもさびしい限り。
◇
ある人は、ご先祖様の供養、またある人は大切な人への思い、或いは夫々の願い事を込めて・・・。
「死」を見つめることの大切さ、それは人生が如何にはかなく短いものであるか「流れ星のほんの一瞬の瞬き」でしかないことに気付けば、今のこの時間の大切さが理解できます。
程なく小倉橋がライトアップされ、暗闇の中で「灯ろう」と「小倉橋」がくっきりと浮かびかがり、辺り一面は一瞬静寂の幻想風景。日常の忙しさの中でいつの間にか「自然」や「人間」に対する感動を見失いがちな現代社会。
もはや、非日常の「束の間の空間」でしか見出せないとすればなおさら、ひと時のこの瞬間を大切にしたいもの。
この静寂の暗闇の中で、まるで自分自身が「灯ろう」に照らし出されているよう。
静けさを突き破り上昇音がしたかと思った瞬間にはもう、上空一面に花火の開花、周辺には花火の爆発音が響き渡りまさに「映像と轟音」の協奏曲。
この「灯ろう流し」が開催される小倉橋周辺は、「神奈川県の景勝50選・相模川八景」にも選ばれ、「夏の灯ろう流し」は必見。
主催者は「城山町観光協会」、さらに「小倉自治会・津久井漁業協同組合」が共済されており、この周辺を観光資源として有効活用し、観光復興を図る意気込みが強く感じられた。
平成16年10月 映画のすすめ
忙しさの中で、いつの間にか「自然」や「人間」に対する感動を失いかねない現代社会。
子供のころのあの「目の輝き」を失い、日常生活に追われ、流される人生に価値を見出せなくなるのは当然です。
本来の自分自身を取り戻すには、趣味が一番で、山歩きや食べ歩き、映画などが私の道楽です。今回は、その中のひとつ「映画」を取り上げてみました。
「映画」は、様々な人生の縮図です。
「映画」は、自分とは違う別の人生の存在とその原体験ができ、生きることの意味、価値、喜びを教えてくれ、感動力(感性)の回復の特効薬です。
その人の「人生」はその人の「顔」に出るものです。
「死」を見つめることの大切さ、それは人生が如何に短くはかないものであるか=「流れ星のほんの一瞬の瞬き」でしかないことに気付ければ、今のこの時間の大切さが理解できます。
忘れかけていた遠い情景の中に、本来の自分を見出し、今とは違う別の人生の選択肢があり得、人生はほんの紙一重の差に過ぎないことなどを走馬灯のように思い出し、自分自身の原点に立ち返ることができます。
多忙の中で、いつしか「心」は、冷え、疲れ、むなしくなり、萎み、乾いてしまうものです。だからこそ、「心」を温め、癒し、満たし、生かし、しっとりさせることが必要になります。
そのためには、映画を見て、涙で「心」を洗い、人生に潤いを与え、感動力(感性)を回復させ、「心」の健康を保つことが何よりではないでしょうか。また、乏しい想像力の補完や危機管理能力の向上にも役立ちます。
映画の中の何気ない「せりふの一言」が素直に心に響き、意外と心の支えになるものです。
でも、最近ビデオで映画を見る人が多いのが残念です。ビデオの場合は、画面が小さいせいか、あまりにも冷静、客観的、かつ他人事のように見えてしまい、登場人物その人になりきれず、情熱的、主観的、自分ごとのように見られないわけですから映画の価値半減です。
映画は、「冷静と情熱」の間で見るのではなく、「情熱」そのもので見ることが大切で、「渦中の傍観者」になってはいけません。
「映画館」の中には、ビデオでは味わえない熱き感動があり、人生を豊かに生きるためにも「映画」をみると「得」をしますよ。
人生を楽しく、些細なこと、たとえラーメン一杯、コーヒー一杯にも幸せを感じることの大切さにも気付くこと請け合いです。
私にとって「映画」とは人生の支え、否、人生そのものといっても過言ではありません。
平成16年11月 地方交付税備忘録
最近の合併論議や新聞報道の中で、「交付税が大幅に減った」といわれています。そこで地方交付税の仕組みや城山町の実態についてみてみましょう。
地方交付税とは、地域間の税源の不均衡(偏在)を調整し、全ての自治体が一定水準の行政サービスを提供できるようにするために、国税(所得税や法人税など)の一定割合が国から地方自治体に交付されるものです。
国が交付する「税」ですが、本来、地方自治体の税収入とすべきものを国が変わって国税として徴収し、一定の基準により配分されますから「国が地方に変わって徴収する地方税」とも言え、地方自治体固有の独立共有財源です。
私たちは「地方交付税」という言葉から、あたかも国から交付される事実のみを見て本来の趣旨を忘れてしまいがちです。
地方交付税は、基準財政需要額(必要額)が基準財政収入額を超える自治体に交付され、小規模自治体のみに交付されるのではなく、神奈川県や政令指定都市である横浜市にも交付されており、不交付団体は全国の自治体の「約4%」に過ぎません。
平成13年度から「臨時財政対策債」という仕組みができ、交付税の財源が不足する分について、これまでの交付税特別会計借入金(国が借金する)方式から、地方自治体でも借金する制度に変わりました。形式的には、地方自治体の借金になりますが、国がその元利償還金相当額を交付税で面倒を見てくれることになっています。
結局、「臨時財政対策債」とは交付税減額分を補う為の「代替策」とも言えます。城山の現状を見てみると、表の地方交付税のA欄だけを見れば、平成12年度は約12億円、平成16年度は約6億円ですから「50%大幅減」となりそうです。
しかし、平成16年度の交付税減額の代替策である「臨時財政対策債」を加えたもので比べてみないと正確な比較はできません。
「地方交付税と臨時財政対策債の合計」で実質上の推移を見てみると、表のB欄により平成12年度は約12億円、平成16年度は約10億円となり「約15%減」で、過去にも同程度の減は経験済みです。
今、三位一体改革が進められ、国と地方の財政制度の仕組みが変わりつつあります。臨時財政対策債も平成18年度までとされています。合併する場合もしない場合もこの仕組みを十分に分析して対応することが必要になってきています。
区分 | (A)地方交付税 | 臨時財政対策債借入額 | (B)地方交付税+臨時財政対策債 | 平成12年度比 |
---|---|---|---|---|
平成12年度 | 1,185,816 | - | 1,185,816 | - |
平成13年度 | 1,046,775 | 129,900 | 1,176,675 | △1% |
平成14年度 | 803,818 | 255,400 | 1,059,218 | △11% |
平成15年度 | 628,145 | 578,300 | 1,206,445 | 2% |
平成16年度 | 602,405 | 408,100 | 1,010,505 | △15% |
平成16年12月 一人ひとりの顔が見え、輝く町づくり
人生の中で、恵まれた環境が必ずしも有利とは限らず、逆にその環境がその人を駄目にすることは意外と多いものです。
むしろ、人間の価値は逆境に遭遇した時にこそ、その人の真価が発揮、判明するものではないでしょうか。
人は厳しさの中でこそ成長するものです。
だとするならば、不利な状況を如何にして有利な状況に転換・認識する発想が必要です。
最大の危機は、最大のチャンス、町づくりにとっても好機到来です。
そこで自治体が小規模であることを、町づくりの「障害」ではなくむしろ「特徴・武器・有利性」として捉えることが重要です。
小規模であることの最大の「特徴・武器・有利性」は、一人ひとりの顔が見え、その一人ひとりが「町づくりへの参加や自治体の一員」としての実感と意欲(存在感・連帯感・帰属意識)を肌で感じることが出来る事です。
毎日繰り返される競争社会の渦中で私たち人間は、どこで疎外感の回復、人間性の回復(人間としての価値観の回復)をすることができるのでしょうか。
それは、縦軸を中心とする管理された競争社会ではない組織や地域、人が人間として一人ひとりが平等に大切にされ、心の触れ合う開放感あふれる横軸社会=地域の中でこそ可能になるのではないでしょうか。
大都会では、果たして疎外感を回復することが出来るでしょうか。
都会のビルの谷間の片隅で孤独感を味わうことがあっても、連帯感や存在感を感じるでしょうか。
しょせん、人間が動物の仲間(一員)であるからには、ビルが乱立する大都市よりも、春夏秋冬、季節感あふれる自然の中で、自然に包まれ、自然と一体で生きるのが最大の魅力ある生活です。
そもそも「文化・豊かさ」とは何か。
私たちは、高度経済成長の中で価値観や人生観や生きることの意味を「金銭(経済的)側面」でのみ判断していた時期がありました。
しかし、「便利さ」と「文化・豊かさ」とは全く別物です。
都会(都市)には、確かに「便利な施設や便利な物」があふれています。
もちろん、城山にはありません。
しかし、城山には都会に無い「不便さの良さ」があると思います。
「この不便さの良さ」を活用した町づくりが今後の指針。
自然に癒され、人と人とが「心」で触れ合う人間回復の町づくり。
小規模自治体で、「誇りと維持と気概」と「地の利。人の和」で、本領発揮の町づくり。
発想の転換とは、既存の概念を捨て、根源的思考による独自の視点を確立することです。
平成17年2月 ごみ発言の波紋
今年も合併問題への取り組みが大きな課題になると思われます。私は、合併特例債期限にこだわることなく慎重に取り組み、町民の皆様と議論を深めることこそが、城山の未来のためにも最も重要なことと考えます。
昨年は、「飛び地合併・ごみ処理は県と相談」などの発言が飛び出しました。この発言は、町づくりの観点から自立と合併の両方を、じっくり慎重に議論していこうとする城山町に対し、拙速に合併を強要するものであり、町民の皆様に無用の混乱と不安をあおるものであることは明白です。
昨秋の住民説明会でもこの問題は各会場で集中的に取り上げられ、参加者の皆さまにはその都度説明してまいりました。しかし、残念なことにこの発言の影響力は計り知れず、未だに町民の皆様の間にごみ処理の不安が根強く残っているようです。事実、「ごみ処理が出来なくなるとか町中にごみがあふれるような事もあり得る」かのような誤解が町中にあふれています。
そもそも、この発言の意図は何処にあるのでしょうか。
この発言は、城山町に自立の道を閉ざし、町民の皆さまに合併以外の道を選択させないための脅しであり、政治的恫喝です。
実は、住民当方の結果を受け単独町政を選択した島根県の東出雲市に対して、松江市長が同様の発言をしましたが、この発言は住民投票そのものには影響を与えていません。なぜなら、住民投票の翌日の発言だからです。対して今回の発言は住民投票を実施する前の発言であり住民投票に甚大な影響を与えることは明白です。
町の住民投票条例第2条第2項には、住民投票は、町民の自由な意思が反映されるものでなければならないとあります。このままの状態では、自由な意志に基づく住民投票は、早めたくても無理と言わざるを得ません。
さらに、ごみ処理広域化計画の観点からはどうでしょうか。
現在、県の指導の下に県内を9ブロックに分けごみ処理広域化可能性調査が実施され、その1ブロックとして相模原市と津久井郡4町で検討がなされています。このような中での発言は、この検討を否定・無視する発言であることは明白です。
最後に、広域行政組合の解散協議の観点からはどうでしょうか。
今後の財産処分や解散協議の中で、ごみ処理の見通しが立たないまま私が解散などの合意を無責任にすることは絶対にあり得ません。
財産処分の協議は、合併の申請の前に整えることが必要です。仮に不調の場合、県知事の廃置分合(合併)の処分は行われるべきではありません。
平成17年3月 緊急記者会見
事実経過
@ 1月26日(水)の1市3町首長会議では、規約、合意書など合意に至らず、協議は継続となりました。
A 1月31日(月)に、郡町村会の席上、相模湖町長より「城山町、藤野町の了解が得られれば、1市2町の先行合併で行きたいので了解していただきたい」と発言がありました。
これに対し、私は、「1市3町の枠組みがあるのに、1市2町とは了解できない」と拒否の回答をしました。
B 2月1日(火)に1市3町首長会議が再開され、1市3町の法定協議会設置の合意が成立しました。
同意に、急ぎ立ち上がるため(設立日は3月1日目標)、臨時議会対応を含めた話し合いや補正予算調整、さらに合意文書は持ち回りで署名することが了解されていました。ところが、報道によれば、翌日の2月2日(水)に1市2町の法定協議会設置の合意がなされました。
C 2月14日(水)、1市2町の各議会で1市2町の法定協議会設置の議決がなされました。
先行合併(?)では無く、抜け駆け合併
本町が後から必ず合併を目指して追いかける約束など一切していない状態で、1市2町は「先行合併」と勝手に主張されているようですが、信義則上からも同義的にもいかがなものでしょうか。
一般的には、このような場合は「先行合併」ではなく、「抜け駆け」合併というのが常識です。
なぜなら、先に1市3町の法定協議会設置の合意をし、急ぎ立ち上げる(3月1日を目標)ため、持ち回りによる合意書作成を確認しておきながら、その合意書の回付も行われず、にもかかわらずその後の対応は1市2町のみでしたから。
任意協議会の即時解散
先に合意された「1市3町」の法定協議会設置合意を無視し、一方的に先行合併と称し「1市2町」の法定協議会設置の議決がなされました。
この議決により1市2町の法定協議会が設置されれば、1市3町の枠組みが実態上崩壊し、かつ任意協議会の協議も事実上終了しており、1市3町の任意協議会は無意味な存在となります。
残された任意協議会の事務は、諸費用の清算事務・解散事務などであり、存続させればそれだけ経費増を生じさせるだけですから、即時の解散が求められます。
平成17年5月 早起きのススメ -遊びの中から朝型人間-
私は、典型的な朝型人間です。
故郷の佐賀平野には、たくさんの溜池がありその間をクリーク(小川)が縦横に流れていました。
子供のころは、初夏になれば前日から空き缶にミミズを入れ、目覚まし時計など無くてもいつも朝早く起き、ワクワクしながら小鮒釣りに出かけたものでした。
魚は、太陽があがるにつれて次第に釣れなくなるので、たくさん釣るために朝早くおきる必要があったのです。
また「うなぎ」を捕るために、前日に「ドジョウやタニシ」を餌にして筑後川に「カケバリ」(オキバリ)を仕掛け、朝霧の河川敷を朝露に運動靴がぬれるのも気にせずに、はやる心で急いだものでした。
今考えると、遊びの中から自然と「朝型人間」になっていたようです。
わたしの一日
私の一日は、朝4時30分に始まります。
まず、洗顔後に水をコップ1杯飲み、顔と胃の中から起床モードにし、5時20分までの約40分間早足で歩き、途中2回、日の出の方角に向かってラジオ体操をします。宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」ではありませんが、雪や雨や台風の日でも同じです。
今は春、「春はあけぼの。やうやう白くなりける」の枕草子の世界が体感・実感できること請け合いです。
夏は朝日、日の出とともに体全体に降り注ぎ、全身がスッキリし完全に目が覚めます。
秋は台風一過の朝焼け、夕映えよりも素晴らしく太陽の動きとともに、刻々と変わる雲の色の変化に目を奪われ、生きる感動さえ覚えます。
冬は真っ暗、月明かり・星明りで、目が自然に慣れ、空には冬の星座の輝きが素晴らしく、悠久の星空・宇宙空間の広がりの中で、時の流れの速さ、はかなさに気づきます。
雪の日の早朝、誰も踏みしめていない雪道を、雪明りを頼りに歩けば、そこには幻想的風景の出現です。
◇
帰宅後は、風呂に約10分で入り、自家製の梅ジュースを飲み、ラジオを聴きながら二つの新聞を約20分かけて必要な部分だけを読了します。
◇
ラジオは、NHKの5時半のニュース、健康ライフなどを聴きますが、特に健康ライフは私の興味津々の番組のひとつでわずか5分間ですが、日本の医学の最高水準の話がわかりやすく聞け、これだけでも早起きは「三文の得」です。
6時から朝食までの約2時間は、読書(勉強?)の時間で、朝は気分爽快・気力充実・集中力・思考力倍増です。
私にとってこの時間は、一粒で二度おいしいではありませんが、2時間で4時間以上の時間効果があり、一度しかない人生を2倍生きるための貴重なささやかな「至福のとき」です。
さらに朝食のころは、起床からすでに3時間以上経っており、パンではなく、しっかりした味噌汁とご飯で朝食をとりますから、早起きは一石二鳥どころか、一石三鳥以上の副次的・相乗効果があります。
平成17年6月 団塊世代の町づくり
青春とは
卒業式などの来賓挨拶が記憶に残ることは、意外と少ないものです。
「20台は各駅停車、30台は準急、40台は急行、50台は特急、60台は新幹線」
高校時代に、時の流れの速さ・はかなさ・もどかしさに早く気付くことの大切さを、当時の乗り物の速さで具体的に教えてくださったことだけは、不思議と今でも鮮明です。
「少年老い易く学成り難し。一寸の光臨軽んずべからず」を引用した挨拶の途中に、この例えがあり印象が倍加したようです。
今にして思えばこの言葉は、私の人生の岐路・節目で重要な役割を果たしてくれたことは間違いありません。
米国の実業家・サムエル・ウルマンの詞「青春とは」。「青春とは 真の青春とは 若き肉体の中にあるものではなく 若き精神のなかにこそある =中略= 歳を重ねただけで人は老いない 夢を失ったとき はじめて老いる」
年齢的に、若いから青春と言うのではなく、その人が理想や夢に向かい、チャレンジ精神を持ち、いかに生き生きと充実した生き方をし、その渦中にあることが、まさに青春なのです。
しかもこの詞は、ウルマンがなんと78歳の時に書いた青春賛歌です。
青春切符を手にして
人生は、時間との闘いであり、人生の価値はいかに充実した時を実感できるかです。
新幹線に乗る前に、このウルマンからのメッセージをかばんに忍ばせればそれが青春切符。
この青春切符を活用して、時には口ずさみ、心の支えに自身と確信を持って、残された、一度しかない自分の人生を充実させましょう。
高度成長を支えた私たち団塊の世代は、退職に伴い会社人間から社会人間に変身せざるを得ません。
企業人生から地域生活の始まりがもう目前です。
ややもすれば、高齢化社会の到来を負のイメージ・消極的に捉え、将来が大変・不安などの社会的お荷物論に堕しがちです。
しかし、プラス思考・積極的に捕らえれば、街づくりの多彩なマンパワーの大量出現で街づくり・地域が活性化することは必定です。
企業活動の中で得られた貴重な知識・豊富な経験を地域づくりの中に生かせば素晴らしい町作りが可能です。
幸いにも、われわれ団塊の世代は日本全体が平均して貧しかった時代に少年期を過ごし、映画『荷車の歌』『にあんちゃん』に代表される清く、貧しく、美しくの「清貧の思想」を体験・実感できた最後の層です。
同時に、高度成長の中でその果実の甘さと苦さも知っています。
バブル崩壊後の町づくりを考える際、高度成長時代の大量生産・大量消費に変わる新しい地域を再構築すべきは、我々ではないでしょうか。
地域は町づくり・ボランティア・スポーツ・趣味などの花が咲き、いつでも、青春切符を持つあなたを待っています。
平成17年7月 自立こそ町のあるべき姿
堅実な財政
昨年7月の町長就任以来、一年間に渡る地域住民の皆さまや、3月議会での議員の皆さまとの議論を踏まえ、今後の町作りのあり方に対する基本的な考えを明確にいたします。
私は、「自立こそ町づくりの基本、あるべき姿、理想」であると確信します。
もともと私は、出来ることなら従来どおりの調整を進めたいと考えていましたが、同時に町の財政見通しに一抹の不安もありました。
しかし、自立シミュレーションを作成し、財政分析を重ねる中で厳しい中にも本町の財政が堅実に運営されていることが判明いたしました。
この結果、今後とも調整を継続することが十分可能であるとの確信を得るに至りました。もちろん、本町のこの堅実な財政状況は、一朝一夕で実現したものではありません。
幾多の困難を乗り越え、議会をはじめ、町政を担当された歴代町長の指導力、職員の努力、それを支えた町民の皆さまの協力、将に「三位一体」の町づくりの成果であり、心から感謝と敬意を表します。
調整の継続に向けた行財政改革への取り組みには、町民の皆様のご理解・ご協力が必要ですが、厳しい財政状況は本町だけの問題では無く国とて同じで、地方自治体共通の課題です。
しかも、この財政状況の厳しさは合併しかたらといって解消するものではありません。
今こそ、自信と確信と誇りを持って、町民の皆さまと手を携えて自助・共助・公助の協働の町づくりの視点を加え、今までどおりの町政の継続・「自立」のまちづくりを目指します。
この道こそが「為政者・自治体経験者」として歩むべき道であり、歴代町長を始め町民の皆様方の努力に報いることになると確信いたします。
そして、今後のまちづくりのキーワードは、健康と環境とコミュニケーションです。
慎重な議論
現在の状況を冷静に判断すれば、今こそじっくり議論し、まちづくりを考える最高の時で、今後のまちづくりの計は、この時期にありです。
なおこの際、自立を目指しながら何ゆえ法定協議会に参加をするのかについて説明いたします。
現在開催されている法定協議会は、住民の皆さまの法的請求に基づいたものであり、真摯に協議しているものであります。
自立も合併もまちづくりの手法であります。協議会で作成される合併市町村基本計画、町で作成する自立の町づくりビジョン、そして、津久井郡広域行政組合の課題が整理された後に、住民投票により決定いたします。
平成17年8月 どこにもない、ここにしかない、自分たちの町を、みんなの手で
自立とは
よりわかりやすくするために、合併と対比して自立という言葉をあえて使用しています。
形態は今までどおりの単独町政の継続ですが、単なる延長ではありません。
自助・共助・公助の補完性の原理に基づき、「自分たちで出来る事は、自分たちでやり、地域で出来る事は、地域に任せる」という新たな発想を取り入れ、偏在する民間・地域の知恵と力を集めることにより、なんでも役場が引き受け実施するという古い体質からの脱却を進める必要があります。
自立とは、今までの単なる行政サービスの受け手から、町づくりの担い手になり、他人任せではなく自分たちの町をみんなでつくることです。
地域おこし
私たちの周辺で、「地方分権・三位一体改革」など、非常に耳障りのよい言葉が飛び交っています。
しかし、私たちに求められているのは、表看板と中身の乖離・違いを見抜く力ではないでしょうか。
地方分権という場合、ややもすれば文献の受け皿のみが強調されがちです。
その結果、自治体のスケールのみに目を奪われ、規模の拡大を目指す合併となります。
しかし、地方分権の本質は、どのような自治・町づくりが展開されるかという住民自治の充実にこそあります。
地方分権の究極の目標は、地域の活性化であり、地域おこしです。町づくりや、地域おこしには、住民の皆さんの郷土愛に基づく関心と参加意欲が不可欠です。
いかに受け皿が拡大しても、肝心の中身であるスープ(自治意識)が冷えては、小皿のほうがよほどましです。
私たちに一番身近なところに権限や財源が来て、自分たちの地域のことは自分たちで決めること、住民自治の拡充こそが分権の本質です。
自治体の適切な規模
そう考えれば、自治体の適切な規模とは、あまり大きなものである必要はありません。
一人一人の顔が見え、その一人一人が地域の一員として、存在感・連帯感・帰属意思を肌で感じ、お互いに議論が出来る規模ではないでしょうか。
城山の未来は、規模の拡大を目指すのではなく、今まで培ってきた、きめ細かな行政が最大の魅力であり、今後ともその魅力を失わない行政の推進にあります。
日本一のウラジロガシをシンボルとし、地域のコミュニケーションを宝に、どこにもない、ここにしかない、魅力ある自分たちの町を、みんなの手を携えてつくっていきましょう。
平成17年9月 知恵と力で、自力再生の町を
汗してこそ、輝くもの
北海道のニセコ町の人口は約4,600人で、平成15年度の財政力指数は、ニセコ町が0.26、城山町は0.79です。
財政力指数とは、端的にいえば、自前で必要なお金をまかなえる力のことで1に近いほど財政力が強いことになります。
財政力指数では、本町は全国の市の平均以上、ニセコ町は全国の町村の平均以下です。
ニセコ町でも、平成26年度までに生じる約12.5億円の財政不足解消の為に「財政危機突破計画」を作成し、20年間の財政状況を推計しています。
しかし、なんとそのニセコ町が、全国約3,000の自治体(人口20万人以下)に対する内閣府の調査の結果、目標とする自治体のトップに選ばれ、全国から行政視察が殺到しています。それはなぜでしょうか。
その理由は、情報の共有化と住民参加を柱に、住民主体の先進的町づくりが実践されているからです。
まちづくりの魅力は、人口や財政規模や財政力ではなく、バーゲンセールのチラシみたいなサービス比較・損得ではありません。
これからは、今までのように行政に全てを任せるだけではなく、地域を自らの考えや行動で切り開いていく時代です。
皆で知恵と力を出し合い、流した汗の中にこそ夢や希望、そして感動が輝くのです。
その豊かさで、なぜ合併
今年の夏、本町の議員の方がニセコ町を訪問した時の話です。
本町の財政力指数をニセコ町の職員が知り、「そんなに財政力があるのに、なぜ合併する必要があるのですか」と不思議がられたそうです。
そういえば、ニセコ町と同じ財政力指数の矢祭町の町長からも昨年尋ねられました。
本町の財政力指数は、平成16年0.82、平成17年0.83ですから、全国の都市並です。
県は、平成13年発行の合併に関する要綱で、県下の町村は人口・財政規模から、すでにある程度合併後の姿になっていると認識しています。
関西学院大学の小西教授は、著書『市町村合併のススメ』の中で、「都市部の小規模自治体は現状で困窮しているわけではなく、むしろ豊か過ぎて良すぎる状況で、大都市圏と地方の合併を一律に議論する論理は、容易に見出しがたい」と述べています。
合併推進論者でさえ、このように客観的・冷静に分析されています。
同じ小規模自治体といっても、都市部と地方では財政状況は雲泥の差があり、この事実を無視して拙速に合併に突き進むことが、本当に良いのでしょうか。
財政の堅実性が明らかになり、ごみの不安も解消した今、私たちに問われているのは自力再生への意欲と気概です。
平成17年10月 豊穣の台地に明るい未来が視える
着工式の挙行
9月20日(火)、「さがみ縦貫道路」城山町区間の着工式が、関係者・来賓の列席の下挙行されました。
着工式を迎えられるに至りましたことは、国土交通省をはじめ、神奈川県のご尽力、そして何よりも本事業のために先祖伝来の田畑などをご提供された地元の地権者の皆さまや住民の方々のご協力とご理解の賜物です。
町民を代表して、心から深く御礼と感謝を申し上げます。
この「さがみ縦貫道路」は、首都圏全体や神奈川県にとても重要ですが、なにより本町の町づくりの視点からは、特別に重要な道路になります。
「さがみ縦貫道路」と「津久井広域道路」が接する小倉地区、「仮称・城山インターチェンジ」が完成いたします。
高速道路に入るためだけのインターチェンジなら、通過交通緩和や利便性の向上が期待できるに過ぎません。
豊穣の果実の懸命な活用法
しかし、あの小倉周辺には広大な山や台地が控えており、この土地利用計画を地権者の皆さまとともに、町づくりの最優先課題として早期に、積極的に取り組んでいくことが重要です。
今は、緑の山や台地に過ぎなくても、そう遠くない時期に「黄金色に輝く」豊饒の大地が出現します。
心を開けば、今まで見えていなかったものが見え、素晴らしく発展の可能性に満ち溢れた本町の明るい未来に確信が持てます。
幸いなことに、地元の皆様も強い意欲と熱気にあふれ、地元の皆さまも強い意欲と熱気にあふれ、その中で立ち遅れているのは、唯一行政の努力と肝に銘じて、道路の開通を本町の開運につなげます。
企業誘致には、行政哲学の鮮明化が重要であり、企業イメージと行政イメージの一体化による相乗効果を出す必要があります。
小雨の中、ささやかな着工式でしたが、新たな町づくりへの確かな一歩、その鍬の音が響き、本町の未来を照らす大きな一日でした。
今後は、この豊饒の大地からの果実を誰と味わうか、誰と食するかが問われます。
あえて面積を広くし、分母を大きくしたのでは、せっかくのおいしい果実がかわいそうではありませんか。
平成17年11月 下水道使用量未請求問題の顛末
単純な事務ミス
下水道の賦課漏れ(役場の未請求)は、平成6年ごろから発生したもので、平成14年度末に約619万円の使用量の未請求が発見されました。
そもそもの原因は、「使用開始届」受付後の入力手続き失念による単純事務ミスです。
もちろん、単純ミスとはいえ、本来あってはならないことです。
しかし、現実には山梨県甲府市でも下水道料金約4億7千万円の未徴収問題などが相次ぐ中、昨年11月ごろ、新たに300世帯で1200万円の未徴収が発生し、住民に説明の上で請求する方向で検討しているとの新聞報道があります。
全面的に町側のミス、利用者に責任なし
未請求と未納は全く意味が違います。
未請求とは、町から納付書による請求さえなく、納めるべき金額が不明で納めようも無く、請求があったのに収めなかった「未納」とは全く違います。
単純ミス・製作判断ミスを含め全面的に町側のミスである以上、未請求対象者の社会的地位・職業などは何ら問題にならず、利用者に責任は全くありません。
いずれに致しましても、行政に携わるものとして、一連の対応については、大いに反省し教訓とする所存です。
対応の相違点
甲府市と我が城山町の対応を比較すれば一目瞭然、明々白々です。
相違点は、使用料請求の姿勢にあります。
本町は当初請求しないとの立場で、平成16年3月3日議会に報告、甲府市は最初から請求するとの立場でした。
我が城山町は、遅くとも同年3月19日までには県の指導により、議会の議決なき債権(使用料請求権)の放棄は、自治法上問題があることを把握していました。
にもかかわらず、町が全額徴収することを決定したのは、2ヵ月後、5月21日の臨時政策会議でした。
9割の徴収見込み
未請求額約619万円から、時効が完成して法律上請求できない額を除き、請求可能額は約300万円となりました。
昨年9月に特別体制を編成し、取り組みを強化した結果、今までに収納された額は、約236万円で徴収率は約8割です。
今後、約270万円、約9割の徴収率が見込め、ほぼ所期の目的が達成できました。
困難な中での取り組みではありましたが、未請求対象者の格別なご理解をいただけたことが、今回の成果に結実したものと心から感謝いたします。
平成17年12月 住民投票実施に向けて
私の公約
昨年の町長選挙で、合併問題については、期限にこだわらずにじっくりと議論を尽くし、合併の是非は町民が決めることを公約しました。
合併問題の取り組み
私は、公約に従って昨年開催された任意協議会に毎回参加し、町の立場を主張して来ました。
さらに、2月の法定協議会の設置の際は、「期限にこだわらず、じっくりと議論する」ことを1市・3町の首長で合意しました。
この合意は、私が町民の皆さんと約束しました公約そのものです。
しかし、7月10日の第2回法定協議会の決議は、私の公約と基本合意を根底から覆すものでした。
このままでは責任を持って、これ以上参加できないと判断し、副会長の辞任の決断をせざるを得ませんでした。
自立宣言に至る経過
昨年の10月、合併推進室を町づくり課とし、合併研究班と自立研究班を設置し、自立も合併も検討していく体制を作りました。
合併情報だけではなく、合併しない場合の財政シミュレーションを作成した結果、私としてはまちの健全・堅実な財政状況に確信を持ちました。
本年緒3月議会で、合併賛成の立場の議員から、合併に関し町長の政治姿勢を明確にすべきとの質問があり、さらに6月議会でも合併に慎重な立場の議員からも同様の質問がありました。
そこで就任以来、1年間にわたる町民の皆さんと議員の皆さんとの合併議論を踏まえて、町長としての姿勢を議場で明確に答弁いたしました。
もちろん最終判断は、住民投票で決定することを明確に繰り返し表明しています。
なお、ぷりにーず7月号の町長のコラムには、自立の考えであっても法定協議会に真摯に参加し、町の方向性を住民投票で決定していくことを、明確に記述しています。
住民投票について
公募した町民の皆さんによる、合併しない場合の町づくりビジョン素案ができ、現在はパブリック・コメントの手続き中です。
本来は、12月末に答申を受ける予定でしたが、それからパブリック・コメントを実施したのでは、3月までの住民投票に間に合わなくなります。
そこでビジョン検討委員会の協力を得て、答申の前にパブリック・コメントの手続きを実施し、本月の中旬にはこの手続きが完了します。
年明けに、この合併しない場合の町づくりのビジョンを自治会ごとに説明したうえで、来年の2月26日(日)に住民投票を実施します。
平成18年2月 一人一人が、誇りと愛着を持ち、生きがいを実感できる、町民主役の町を
城山町の魅力・良さ
私たちが住む城山町の魅力・良さについて考えてみたいと思います。
コンパクトで小さい町ですから、町民の皆さんの声が届き、その声が生き、小回りの聞く手ごろな規模で効率の良い町。
自然の潤いが肌で感じられ、町民の触れ合い豊かな町。
それが城山町ではないでしょうか。
今までどおりやっていける町
私たちの生活に一番身近なごみ・消防・救急などは、全て解決いたしましたので、心配ありません。
しかも、全国の自治体と同じく厳しい財政状況ではありますが、城山町の財政は堅実・健全であり、これからも今までどおりやっていける町です。
明るい未来が見える町
そう遠くない時期に、圏央道開通に伴い小倉地区に、城山インターチェンジが完成いたします。
小倉周辺を含む土地活用と企業誘致により、城山町の財政基盤の安定化の可能性が、飛躍的に向上することは間違いありません。
心を開けば、素晴らしく発展の可能性に満ちた城山町の明るい未来に確信がもてます。
合併後の津久井町・相模湖町を見て判断が賢明
当面、このままの町づくりをしながら、合併後の2町の様子を直接自分の目で確かめた上で、合併の是非を判断するのが賢明ではないでしょうか。
合併後3年から5年ぐらいで、合併したほうが良かったのかどうかははっきりしてきますから、それからでも遅くありません。
県内の合併は津久井だけで、他の町村は合併をしていません。
ですから、特急列車に乗り遅れるようなことはなく、何もあせる必要はありません。
現時点では、合併を急ぐ理由はなく、このままで様子を見れば、どちらの選択肢(合併・自立)も残ります。
しかし、ここで合併してしまえば、後でこんなはずではなかったと後悔しても、その時はもう元には戻れません。