七月のカレンダー小説

七夕アウフヘーベン

 昔ながらの商店街の通りには、色とりどりに飾られた篠竹が設置されている。
 その一角にある、近藤茶葉店。
 この古めかしい店で扱われているのは、お茶だけではなかった。
「……僕の願いは、短冊が二枚じゃないと叶わない?」
 レジのカウンターで、西田みつやは渡された短冊を読み上げる。
 奇妙な短冊だった。
 内容もさることながら、この短冊は、『細長い紙が二枚貼り合わされて一枚になっている』のである。
「彼とは長い間遠距離恋愛をしていました。そろそろ将来のことを考えていこう……と言ってくれていた矢先、一週間前の不慮の事故が元で……そして、そちらは遺品として会社のデスクで見つかったものらしいです。残念ながら、私にはその短冊の意味はわかりません」
 依頼人の若い女性は、喪服姿で丸椅子に座っている。
「なるほど。それで、こちらに依頼されたいことはなんですか?」
 短冊を見ながら西田が訊く。 
 女性はうなずいた。
「生前の彼の身辺調査をお願いします。特に、この短冊に繋がるような情報が望ましいです。できれば……最後に彼の望みを叶えてあげたいので」
 西田もうなずく。
 西田はこの店の高校生のアルバイトだが、この近藤茶葉店の店長を通じて、こうやって探偵仕事を受けることもある。
 もちろん非合法だが、顧客には、警察関係の人間もちらほらといた。
 依頼の相談はいつも、こうして店のレジで行っている。
「承知しました。この短冊はお預かりしてもいいですか?」
「ええ……かまいません。無茶な依頼だとはわかっていますけれど、どうか、よろしくお願いします」
 頭を下げ、依頼人は帰っていった。
 ――貼り合わされた短冊と、奇妙な文面。
「死んだ婚約者の願いごと、か。人探しなら得意なんだけどな……」
 西田はカウンターで独りごちる。
 そして、携帯をとりだした。
「あ、もしもし。かこ? 今日はいつ店に……今日は彼氏とデートだからこない? いや、ちょっと待、え? そんなことよりちゃんと学校に行けって? それはまぁおいといて、少し困ったことになってさ、短冊が……あっ」
 切られてしまった。
 浦子は新しい恋人ができるといつもこうだ、と西田は思う。
「まあ、浦子に頼ってばかりも悪いか……」
 浦子かこは、西田が集めた情報から答えを導いてくれる心強い仲間だ。
 できればこの暗号じみた短冊について話をききたかったが、今回の仕事は内容的には故人の身辺調査だ。
 西田は気をとりなおし、依頼人から貰った資料を読み返した。

 ◆

 短冊が二枚ないと叶わないという、亡くなった臼木《うすき》の七夕の願い。
 ……もしかしたら、案外早くその答えにたどり着けるかもしれない。
 青空の下、広島駅。
 西田は学校をさぼって、今日は広島にやってきていた。
 横浜から新幹線で四時間。結構な長旅だ。
「さてと……案外なんとかなるもんだな」
 西田は機嫌よく伸びをする。
 どんなルートで調べていこうか、と考える。
 まずは、臼木が働いていた職場へとやってきた。
 ビルを確かめて、一息入れる。
 いつもであれば、頭をつかうのは浦子かこの仕事だ。
 しかし、新幹線に乗ったとき、ほとんど確信に近いひらめきが西田にも舞い降りてきていた。
 ――まず、依頼人たちは、横浜と広島の遠距離恋愛である。
 そして、願いを叶えるために二枚必要となるもの。
 臼木の七夕の願いは……やはり、織り姫や彦星と同じなのかもしれない。
 そろそろ昼食をとろうかと思いながら、西田はビルの入り口に視線をずらす。
「あ……!」
 西田は仰天した。
 ビルから出てきた女性も、西田の視線に気づいて足を止める。
 そして、自分を見ているのだろうか、と確かめるように周囲を見回す。
 西田は、まだ女性に釘付けになっていた。
 ――女性は小首をかしげ、また歩きだそうとする。
「あ、ちょっと待ってください!」
 西田は呼び止める。
「私になにか用ですか?」
 女性は振り返る。
 そのですね……と西田は逡巡し、やがて勇気をだして訊いた。
「もしかして……臼木っていう人のこと、なにかお知りではありませんか?」

 ◆

 一目見ただけで犯人がわかる。
 自分にその能力があると気づいたのは、八歳のときだった。
 それは、ホームズを読み終えて、エラリィ・クイーンに食指を伸ばしたときだと言ってもいい。
 そんなことを回想しながら、西田は女性と喫茶店にきていた。
「この短冊は、私が臼木さんの机から見つけたものです」
 臼木の同僚、早苗《さなえ》が答える。
「そうですか……この短冊の内容に心当たりはありませんか?」
 西田がたずねる。
 西田は、慎重に言葉を選んでいた。
 臼木の死には事件性はないはずなのに……どうして早苗を見たとき、いつものように、この人が犯人だという感覚があったのか。
「心当たりですか……」
 早苗はテーブルの珈琲カップを見つめてつぶやく。
 しばらく待ったが、それっきり沈黙を続ける。
 西田は意を決してしゃべった。
「……僕は、臼木さんは恋人と会う予定だったんじゃないかと思っています」
「恋人と?」
「はい。彼に恋人がいたことはご存じですよね?」
「ええ……」
「それで……ここに書かれている『二枚じゃないと叶わない』というのは、つまり新幹線の往復券のことではないでしょうか。この短冊は、臼木さんが近々横浜に行くことを恋人に示唆するためのものだったんです。つまり彼は、遠く離れた恋人に会いたいと願っていた」
「は……? そ、そうですか」
 先ほどから、早苗は歯切れがわるい。
 彼女には、やはりなにかあるのかもしれないが――
 彼女が一体なんの犯人なのかは、西田自身もわからなかった。
「この調査の依頼は、彼の恋人が出したのですか?」
 早苗がたずねる。
「まあ……彼と近しい間柄にあった人からだというのは確かです」
「そう……」
 今度は、早苗は少し不機嫌そうになる。
 西田は、彼女の心の動きが掴めなかった。
「あの……探偵さんは、ユングをご存知でしょうか」
 早苗がたずねる。
「心理学者の……ですか? それがなにか?」
「はい。ユングと臼木には、生活の面で似たところがあったんです」
 早苗は膝の上に両手をそろえた。
「実は、私と臼木は親しい仲にありました」
「はい?」
「もう済んだことなので隠しておこうと思っていたのですが……これをあなたにお渡しします」
 早苗は、二枚のチケットを長財布から取り出した。
 それは、海外への航空券だった。
「これは短冊と一緒に、彼の机から見つけたものです」
「これは………臼木さんとあなた用のチケットですか?」
「ええ……私たちは今度、一緒にバリ島に行く予定でした」
 早苗は遠い目をした。
「ユングは、妻のほかにもう一人の女性と暮らしていました。自分には二人とも必要だと言って、三人で共同生活をしていたんです。それと同じように、臼木の短冊の願いも、私たち二人の女性との関係が自分には必要だということを意味しているのではないでしょうか。彼がこれを書いたのは……私のことを隠している恋人への懺悔の気持ちもあったからだろうと思います。だから私はその意を汲んで、せめて短冊だけは恋人の元にと」
「そうですか……」
 早苗から語られた衝撃の内容。
 しかし、彼女が浮気相手だったとしたなら、彼女を犯人だと感じたことにも説明がつく。そういった罪も感覚の範囲内だ。
「このことは、依頼人に報告するかも知れません。処置はこちらにお任せいただいてもよろしいですか?」
「どうぞ。この航空券もお渡しします。私も臼木との関係があった以上、その報いは受けようと思います」
 やがて、西田は店をでた。

 ◆

 航空券は、確かに臼木が購入したものだった。
 職場で早苗と仲が良かったのは周囲に知られていたが、誰一人として、そこに男女関係があるとは考えていなかった。
 しかし、彼が不慮の事故で亡くなったときには……早苗はまるで、恋人でも失ったかのようにひどく泣いていたそうだ。
 臼木の浮気。
 はじめに考えていた答えとの落差に、西田は少しだけ憂鬱になる。
 帰りの新幹線も四時間。
 町の書店に立ち寄って、暇つぶしの本を漁る。
 いまは元素や哲学者も女の子になる時代なのか、と思いながら、推理小説の棚にうつって適当に本を手にとった。
「その本、私も好きなんですよ」
「へっ?」
 みつやは間抜けな声をあげる。
 話しかけてきたのは、本屋の店員だった。
「ああ……これですか?」
 西田が手にとっていたのは、エラリィ・クイーンの本である。
「お兄さん、推理小説がお好きなんですか?」
「いや……これ、ちょっと懐かしいなって思って」
「そうなんですか」
 書店員はにこりと微笑む。
 ……美人との沈黙に耐えられず、西田は話題を探した。
「じつは俺、一目見ただけで犯人がわかっちゃうんです」
「一目で犯人がわかっちゃうんですか?」
「ええ、そうです」
「あらまあ」
「ほら。ホームズって、種が送られてきたり、赤毛の人が集められたりとか、そういった謎を追求する話が多いですよね。けれどクイーンやクリスティは犯人探しが多い。それで気づいたんですが、僕は、誰が犯人なのかっていうことについては、理由もなく一発でわかるんです」
「それは、現実の事件でも?」
「ええ。でも、犯人がなにをどうやったのかはわかりません。そこについては、かわりに考えてくれる友達がいますけれど」
「ふふ。楽しみにしていますね」
 楽しみにしている?
 その言葉の意味をつかめずにいると、書店員は女性らしいたおやかな香りを残してどこかへ消えていった。
 彼女のエプロン、この書店のものとは少し違っていたような気がする。
「ああ……先月、川の近くで殴られてた男が着てたやつとおなじかも」
 それ以上は気に留めず、西田は本を買って店をでた。
 
 ◆
 
「どう伝えたもんかな……」
 西田は近藤茶葉店で頭を悩ませていた。
 今日は依頼人への報告の日だ。
 臼木の浮気相手のことは、できるだけ言葉を選んで話したい。
 西田は、臼木の短冊を見つめる。
「おつかれさまー」
 軽やかな声を響かせてやってきたのは、浦子かこだった。
 今日は日曜日なので、かこは私服である。
 いつものポニーテールに、白いチュニックが似合っている。
 浦子かこはレジのカウンターに一旦荷物を置くと、西田の持つ短冊に目をやった。
「なにそれ?」
「七夕当日になにそれもないだろ。短冊だよ」
「ふうーん。西田の?」
「いや、依頼人の死んだ恋人のだよ。願いごとが書かれてたんだけど、やっぱりなんか変なんだよな」
「どういうこと?」
 西田は浦子かこに短冊を渡し、簡単に経緯を話した。
「なにそれ。一番大きな謎が解けてないじゃん」
「一番大きな謎?」
「この短冊の紙。これ、短冊じゃないよ」
「短冊じゃない?」
 オウム返ししかできない西田であった。
「これ封筒だよ。気づかなかったの?」
 浦子に言われて、西田もピンときた。
「そうか。これ、封筒の裏側か」
 中央で貼り合わせられた短冊は、言われてみればたしかに、封筒を切り取ったもののようだった。
「けれど、なんで継ぎ目のあるほうを使ったんだろうな? 短冊にするなら、おもてを使えばいいのに」
「おもてには宛名を書くでしょ。だから裏に書いたんだよ」
「うん……?」
 西田はいまいち当を得ない。
 浦子かこは西田に短冊を返した。
「つまり航空券はさ、もともとは宛名が書かれた封筒に入ってたんだよ。けれど、もし同じ会社の同僚に渡すなら……特に男性は、おもてに名前なんか書いたりする?」
「ってことは……」
「宛名に書かれてたのは、依頼人の住所と名前だったんじゃないかな。だとすれば彼女が封筒を受け取って中身をみたとき、裏側の謎の文章の意味もわかるでしょ? これがこんなに不思議な短冊になったのは……彼が亡くなった後、その封筒をだれかが切って、この短冊を作ったからだよ」
「だれかって……早苗が?」
 浦子かこは静かにうなずいた。
「ねえ、早苗さんの言ったことって、本当なのかな? どっちかっていうと、臼木さんは旅行先でプロポーズを考えてたような感じがする」
「あやしくなってきたよな……」
「うん。恋人にチケットを贈るとき、裏側に『僕の願いは、短冊が二枚じゃないと叶わない』って書くようなお茶目な人が、本当に浮気なんかしてたのかな。もしかして、早苗って人は嘘をついてたんじゃない?」

 ◆
 
 依頼人の麻子は、子供の頃からマンボウが好きだった。
 バリ島は、マンボウの観光名所でもある。
 麻子には、臼木が浮気をしていたかもしれないことと、そうではない可能性の二つを話した。
 報告を聞いた麻子は、私の願いだって二枚ないと叶わないのに……とつぶやき、一粒の涙を流したのだった。
「どうして早苗は、臼木と浮気をしてたなんて言ったんだろうな」
「つまり、早苗さんは臼木さんとの関係を作るために『わざと犯人になりたかった』ってわけ。好きな人を欲しいって思う気持ちは、相手が死んでても関係ないんだと思うよ」
「ふうん……恋ってやつは俺にはわからないね」
 二人は、商店街の篠竹を眺めながら話す。
 見つめている橙色の短冊には、奇しくも、遠距離恋愛の成就を願う想いが綴られていた。
「遠距離恋愛ってね、浮気をする方向に力が働くんだよ」
「どうしたって寂しくなるからか?」
「囚人のジレンマってやつ。均衡は、二人とも浮気をするってところで取られるの」
「へえ」
 浦子は西田にジレンマの説明をしたが、西田はちんぷんかんぷんだった。
「わたしがこの理屈から学んだのは、永遠っていう連続が人の心に遊び心を生むってこと。そしてその遊び心から信頼って生まれるんだよ。そしてね……」
「なに?」
「やっぱりなんでもない」
 信頼は、変わらない日々を共に過ごすなかで生まれうる。
 そしてその信頼は……いつしか、別の思いへと変化していくのだ。
「……西田って、犯人はわかるけど、人の嘘がわかるわけじゃないもんね」 
「もしかしたらわかってるのかも知れないぞ。……ところで、浦子の新しい彼氏ってどんな人なの?」
「新しい彼氏?」
 ……やっぱり、西田は人の嘘が分かるわけではないようだ。
 なにも気づかずにたずねてくる西田をみて、浦子は思わず笑ってしまったのだった。 




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