四月のカレンダー小説

シガツの桜

 私は季節を巡って四季折々の物語を集める、四季ノ国屋書店の店員だ。
 夏には半パンで川辺を駆ける少年達の物語を集め、秋には夕焼けの下で焼き芋を囲む少年達の物語を集め、冬にはかまくらの中で身を寄せ合う少年達の物語を集める。
 ……若干嗜好が偏っている、などという無粋なツッコミは無しにしてもらおう。
 ちなみに、自分のことを話せば、女、現在29歳、独身彼氏ナシ恋愛経験ナシ。
 彼氏募集中、などと嘯くのが、私の同期の行き遅れ達の常だが、私は結婚など、とうの昔に諦めていた。
 胸に抱えた愛読のBL書、『俺の腕の中で逝け』の表紙をすべすべと撫でる。
 寝床に焼酎を持ち込んで、うひひと笑い声を上げながらBL本を読むのが唯一の楽しみという、我がことながら、どうしようもない女である。
 BL好きが高じた少年愛は殊更重く、肉を持った醜い男性、特に中年のむさ苦しいオヤジなど、顔を見ることさえ御免蒙りたい。
 私はただ、美しい少年達の物語を書に閉じ込め、永遠のものにしたいのだ。
 私は自分の仕事に誇りを持っていた。醜く老いていく少年達に不滅の美を与える崇高な仕事。
 もっと、もっと、少年達の物語を集めさせてくれ!
  
 そう頼むと、私の上司は、蛇のような笑顔で、次の行き先を指し示したのだ。
 それは、春。爛漫に桜の咲き誇る、出会いの季節。
 物語のタイトルは、シガツの桜。
 まだ馴染まない制服に袖を通したばかりの少年達が、桜並木の通学路でキャッキャウフフしてる所を想像するだけで、頭の奥から鼻血が零れそうになった。


  ●●●


 だのに。
 だのに。
 辿りついたの見知らぬ裏路地。

「命ァ獲ッたるで、こんガキャァァァァァァァ」
 
 
 響いたの太く嗄れた中年男の胴間声。
 桜並木でのキャッキャウフフを楽しむ筈が、曲がり角から飛び出してきたのは、腰だめにドスを構えた血塗れの男。
 ――そこは、食パン咥えたボサボサ頭のシティボーイだろ! と胸中でツッコミながらも、乙女の嗜みとして、とりあえず叫び声など上げてみた。
 刃物を持った猪のような男はヤッパで私の胸を貫く寸前で立ち止まり、私に訝しげな視線を寄こした。

「おおう、姉ちゃん、通りすがりか?」

 コクコク、と必死で頷きを返し、両手を上げて敵意の無いことを示した。
 男はドスをぶらりと下げると、

「驚かせちまって済まねえな。大通りはあっちじゃ。鉛玉が飛んでこねえうちにとっとと逃げな」

 と、存外親切に逃げ道を指し示してくれたのだった。

「ご、ご親切にどうもぉ……」

 そそくさと立ち去りながらも男の顔を覗き見てみたが、360度どこからどう見ても完璧なヤクザ。
 毒虫を連想させる攻撃的な色合いなのシャツ。鰐革の靴と蛇革のベルト。手首には金色のロレックスが血に塗れて怪しい光沢を放っている。
 髪はブロッコリーを連想させるパンチパーマ、幾条もの刀傷と思わしき切創から流れ落ちる血潮が、筋肉で盛り上がった全身を汚していた。
 品評会に出しても良い程の典型的ヤクザ、言うなればヤクザ・オブ・ヤクザである。
 
「……アカン。これアカンやつだ」

 頬にまで鳥肌の立つ感触を味わいながら、私は足早にその路地を立ち去ろうとした。
 当然の選択である。
 私が愛するのは美少年、線が細くて、薔薇の花を一茎横ざまに咥え、悩ましげに額を抑えるような仕草の似合う美少年なのだ。
 こんな、全身筋肉でムチムチで、腕は指先まで剛毛がボウボウ、顎は無精髭で青々としているような汚らしいヤクザの相手をしている暇は無いのである。

「こんな危険なとこに居られるか! 私は自分の居場所に帰るんだ!」
 
 ……我が事ながら、少々死亡フラグめいた台詞になってしまったが、――この路地を抜ければ、真に私の出会うべき物語が待っている。
 そんな無根拠な確信が、ただ私の足を動かしていた。
 だがしかし、私の足を引き留めるように、背後で「べちゃり」という重い液体の入った袋をコンクリートに叩きつけるような、不気味な音が響いたのだ。
 無視することは、勿論できた。
 しかし、背後で起きた異常を無視して立ち去るのは、いささか気分が悪い。
 振り返ろうかと逡巡している間に、「べちゃり」「ぐちゃり」と異音が続き、くぐもった男の呻き声が響いた。
 関わりたくないのは山々だったが、私は(BL好きだが)善良な書店員。ついつい耐え切れずに背後を振り向いてしまった。
 そこには、概ね予想通りの光景が。
 腹部を押さえて倒れたヤクザが、幾度も身を捩りながら、立ち上がろうとブロック塀を引っ掻いているのだった。

「ぐぅうぅうぅぅぅぅ」

 熊の如き唸りを上げて、掴み処もないブロック塀に、その巨きな掌を叩きつけるヤクザ。
 その行為を一体幾度繰り返したのだろうか、ブロック塀は真っ赤なヤクザの手形がベタベタと貼りついていた。
 
 一体、私が何をしたというのか。桜並木の下で少年達のキャッキャウフフを眺める筈が、一体何の罰で汚らしい路地裏でヤクザの血桜など眺めねばならぬのか。
 必死に起き上がろうとするヤクザへの同情より、我が身への哀れみで目の端に涙が浮かんだ。

 このヤクザがどんな事情でこんな裏路地に転がっているのかは知らないが、それは任侠の世界に身を置いたこの男の責任、自業自得で因果応報というものである。
 今度こそ、こんなヤクザのことは忘れて表通りを目指そうとした時、路地裏を駆け抜けるような春風が吹き抜けた。
 どこからともなく運ばれてきた桜の花弁が一片、二片。男の血桜に貼り付き、どこか滑稽な趣を添えたのだった。
 
 春風に煽られ、裏路地に転がっていた鰐革の男の財布から、決して少なくない枚数の紙幣が羽ばたくように飛び散った。
 男は息を荒げながら、別段惜しくも無さそうにその様子を眺めていたが、一枚の写真が財布から飛び出した時、顔色を変えた。
 ゆっくりと舞うように回転しながら私の手の中に落ちたその写真の中では、幼稚園児ぐらいの小さな女の子が天真爛漫な笑みを浮かべていた。
 
「か、か、返してくれっ」

 今まで立つことも儘ならなかった男は、私に飛びつくようにして、その写真を奪い取り、愛おしげにその少女を眺めた。
 
「離婚して、離れて暮らしている娘が明日、小学校の入学式でなぁ……」

 誰に聞かれるでもなく、ヤクザはそう言って、写真を丁寧な手つきで財布の中に収めた。

「俺ぁ、今日を生き残れたら明日の入学式に出るんじゃ、ひと目、娘の姿が見たいんじゃ」

 凶悪な風貌をしたヤクザは、そう言って、ふっと優しげな目を私に向けたのだった。
 ヤクザのオッサン、事情はよく知りませんが、それ、死亡フラグですから。

「可愛い娘に育ったんじゃ。目元なんて、俺にそっくりで……ゴフゥ!」

 いい終わらないうちに、ヤクザのオッサンは盛大に吐血をした。どうやら、腹を拳銃で撃たれているらしい。
 ……言わんこっちゃない。ちなみに、腹部への重傷も極めて致死性の高い死亡フラグである。

「あ、あのぅ、大丈夫でしょうか、血が沢山出てるみたいですが……」

 このままここで死なれても後味悪いので、あくまで通りすがりの第三者というスタンスを崩さずに、ヤクザのオッサンに気遣いの言葉をかけてみる。

「ははは、なぁに、俺なら心配なんぞ要らんねえよ、不死身と言われた俺なら……」

 言うが早いか、ヤクザのオッサンは盛大に吐血し、血桜をばらまいた。
 このヤクザのオッサンが、死亡フラグの一級建築士なのは良く理解した。
 そして、私がここに飛ばされてきたのは、歯がゆいことだが、どうやらこのオッサンの物語に関わる為らしい、ということも。

「ほら、そこのオッサン! 早く掴まりなさい!」

 私は嫌々ながらも、倒れたヤクザのオッサンに手を差し伸べていた。
 それは、単純な義務感によるものである。
 私は季節を巡って四季折々の物語を集める、四季ノ国屋書店の店員だ。
 春の物語がこのオッサンに纏わる物語なら、集めないわけにはいかないだろう。
 ……それに、きっとサイドストーリーで、このオッサンの舎弟とか若衆とかそういうポジションの、ピチピチの可愛い男の子が登場するに違いない!
 そう信じて、このヤクザのオッサンを娘の入学式に連れていくことを決意したのだ。


 ●


「……姉ちゃん、事情はよう分かんねえが、助かったぜ、介抱してくれて」

 近所の得体の知れないラブホテルにヤクザのオッサンを引きずりこみ、ボロボロの衣服を海老の殻のようにひん剥いて、包帯でぐるぐる巻きにすること数十分。
 素人目にもすぐに病院送りにするべき重症だったが、自称不死身の言は嘘では無かったらしく、血糊を拭ってポカリを飲ませ、吉野家で買った牛丼を与えると、オッサンはたちまち精気を取り戻した。
 全身に刻まれた弾痕、刀創。背中に掘り込まれた巨大な仁王の紋々も伴って、半鐘背負って立ち往生でもしそうな益荒男の肉体である。
 暑苦しいことこの上無い。私は、透き通るような白い肌の美少年の胸板が見たいのだ。

 オッサンはラブホのベッドでモクモクと赤マルをふかしながら、ちらちらと壁の時計に目をやった。
 ラブホテルで妙齢の男女が二人きり。それでいて色気の欠片もないとは不可思議なシチュエーションである。
 尤も、オッサンに『その気』になられたら、すぐさま殴り倒して今度こそ一人で出て行こうとは考えていたのだが。

「世話んなったな、姉ちゃん」

 オッサンは血糊でパリパリになったシャツを羽織り、さっさと立ち去ろうと部屋のノブに手をかけた。

「ちょっと待ちなさいよ! 今からノコノコ何処行こうってのよ! 娘さんの入学式は明日でしょう。それまでゆっくり休んどきなさい!」

 ポケットから黒いグラサンを取り出しながら、オッサンは短くなった赤マルの吸い殻を灰皿に押し付けた。

「カタギのあんたにゃ関係の無い話だが――今、ここいらじゃあ俺のとこの組――始発組と、徹夜組が抗争の真っ最中じゃ。
 徹夜組は外道働きばかりで、仁義っちゅうもんを守らねえ。大義は俺達、始発組にある。
 だが抗争が長引いて、うちも徹夜組も流した血が増えてくばかりでな。いい加減ここらで手打ちにしてえとこなんじゃが、お互い一度吐いた唾は飲めねえよ。
 ほうじゃから、俺が徹夜組の若頭の命ァ取れば、この争いにも一段落がついて丸く収まる、っちゅう寸法よ。
 今晩中に徹夜組のシマに乗り込んで、若頭の命ァ取って、それから、それから明日の朝、娘の顔を拝みに行くんじゃ」

 想像以上に重い内容に、間食に食べた豚丼を吐き出しそうになった。

「いやいや、無理でしょ! 馬鹿なの? 死ぬの?
 そんなボロボロの身体で鉄砲玉みたいな真似するなんて……」
「鉄砲玉みたいな真似じゃねえ、鉄砲玉になりに行くんじゃ」
「余計悪いわ! そんな身体でヤクザの屋敷に突貫かけるなんて、水分補給抜きで炎天下のコミケに並ぶようなもんよ!
 オッサン、本当に死ぬつもり!?」
「心配要らんねえよ、俺ぁ始発組に不死身の辰有りと言われた男だぜ」

 未だ覚束ない足取りで、オッサンは身支度を続ける。
 さらしで巻いた腹にヤッパを差し込み、金色のロレックスを手首に巻きつけ、エナメルの靴に踵を落とす。
 どうやら、交渉の余地は無さそうだ。
 私は、オッサンの後ろを追うようにして、ラブホテルを後にした。

「……何で付いてくるんだ、姉ちゃん」
「べ、別にあなたの事を心配してるわけじゃないんだからね。このまま死なれたら、私が後味悪いじゃない」
「筋物を舐めねえ方がいいぜ、姉ちゃん。これから俺が斬りに行く連中は、イカれたポン中やゴロツキばかりなんじゃ」
「ほら、私の肩借りないとまっすぐ歩けない分際で、つべこべ言わない!」

 オッサンは悔しそうに、俺は不死身、だの、徹夜組なんて簡単に蹴散らしてやる、だの、死亡フラグじみたことをぶつぶつと呟いていた。
 ……やめて欲しいなあ。
 全身マッチョの脳筋キャラが、相手を侮るような発言をするのは大概死亡フラグだ。
 それも、高貴系イケメン強キャラの噛ませ犬として無惨な死を遂げる可能性が極めて高い。
 その上、

「……なあ、姉ちゃん、この戦争が終わったら、俺ぁ親父に盃返して、カタギとして真っ当に生きてこうと思ってるんじゃ。
 ヤクザ働きは今晩が最後じゃ。明日の入学式で、娘の姿を一目見たら――足ィ洗って、娘に恥じないような生き方を始めるんじゃ」

 オッサンは更なる死亡フラグを積み上げた。
 私はこれでも、四季ノ国屋の書店員の端くれである。
 この先オッサンが辿るであろう悲惨な末路の数々を、ありありと予想することができた。

 どうもこのオッサン、桜の木に背中を預け、娘さんの入学式を眺めながら立往生しそうな予感がプンプンするのだ。
 ともすれば、ドンパチとなれば明らかに足手まといの私を連れてることすら死亡フラグになりかねない。
 流れ弾から私を庇って死なれでもしたら、後味悪いどころの話じゃない。
 これは、何が何でも、オッサンには元気に大願果たしてカタギに戻って貰うしかなさそうだ。
 
 腹部の銃創が疼くのが、オッサンは額に脂汗を浮かべながら、細く鼻歌を歌い始めた。
 夕暮れも落ちて藍に染まる空の下、疎らに飛び散る桜の花弁と、オッサンの咥えた赤マルの煙が戯れるように揺れた。
 調子っ外れなオッサンの鼻歌に耳を澄ますと、戦時歌謡の「若鷲の歌」だった。
 若い血潮の予科練の〜七つ釦は桜に錨〜♪
 何とも、幸先薄そうな景気の悪い唄である。

「姉ちゃん、あんた、カタギの癖して、なして俺みてぇな筋者に手ェ貸してくれるんだ?」

 鼻歌交じりに投げかけられた問いに、私はすぐに答えることができなかった。
 正直なところを言えば、これは只の仕事である。
 上司の気まぐれで、このヤクザのオッサンに纏わる物語を集めるというだけの、私の任務だ。
 だが勿論、そんなことを素直に答えるのは憚られ、

「別に。ただ、怪我をして困ってる人を放っておけなかっただけです」

 素っ気なく答えた。

「そうかぁ。姉ちゃん、あんた、さがりぼんぼみてえな冴えない見てくれじゃが、優しい女なんじゃな」

 さがりぼんぼ、という方言の意味は良く分からなかったが、優しい女、というその言葉は、義務感でオッサンの手を引いていた私の胸をちくりと突き刺した。
 その上、冴えない見てくれとは失礼な。私はフン、と鼻を鳴らす。

「本当なら、あなたみたいな野蛮で汚らしい人のお世話なんて真っ平です。とっととその若頭の首でも何でもとって、娘さんの所に行っちゃって下さい」
 
 そう言うと、違げぇねぇ、と言って、オッサンは呵々大笑した。
 憎たらしげな笑顔に、私はむぅ、と唸って黙り込むしかなかった。


 夜道を歩き、バスを乗り継ぎ(当然の話だが、周囲からの恐怖の視線は笑える程だった)、目当ての徹夜組のシマに辿りついたのは日付も変わろうかという頃合いだった。
 まだ寒さの残る四月の夜風を身に受けて、私達は公園の自販機でワンカップの日本酒を開けることにした。
 
「夜桜たあ、中々乙なもんじゃねえか」

 オッサンはそう呟いて、桜の花弁の舞い込んだ日本酒を一気に飲み干した。
 ……ああ、どうしてこのオッサンは、こんなに死亡フラグを誘発しそうな仕草が美しいのだろう。
 横から顔を覗きこむと、オッサンは覚悟を決めた漢の顔をしていた。
 それは、今まで、私が見たこともない男の顔だった。
 オッサンが、にっ、と稚気を含んだ子供のような笑顔を私に向けた。

「それにしても、姉ちゃん、男色を見るのが好みたぁ、あんたも結構変わった趣味じゃねえか」

 その手に握られていたのは、私の秘蔵のBL本、『俺の腕の中で逝け』だった。

「あーっ、何時の間に! 返して下さいよぅ!」

 ひったくるように取り返し、フーッ、と気性の荒い猫のような唸り声を上げる。

「これは、貴方達ヤクザなんかには理解できない、高尚な高尚な本なんですからね!」

 オッサンは吹き出し、膝を叩いて爆笑した。

「姉ちゃん、あんた、本当にカタギなんじゃなぁ。
 知らねえのか? 男色の気のある奴は、カタギよりも筋者の方がよっぽど多いんじゃぜ。
 つとめを食らった奴は、塀の中じゃあ女旱じゃからな。
 大抵、女顔のなよっとした男に目をつけて、アンコにしちまうのよ。丁度、その薄い本みてぇにな」

 語るオッサンの背中から、金色の後光がさすのを私は確かに見た。
 わ、私のターン、キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!!
 ヤクザのオッサンに肩貸して歩いた甲斐あったというもの! BLの神は矢張り私を見捨てていなかった!
 
「じゃ、じゃあ、今度私に」
「あーあ、姉ちゃん、やっぱそういう趣味か。いいぜ。うちの組の若い衆で『そっち』の気がある奴と会わせてやるよ」

 有難うオッサン! 私は脳内に満開の桜が咲き乱れるのを感じていた。
 すぐに目的地に入って、サクっ、と若頭の首でもなんでも獲っちゃって、それから娘さんに会わせればミッションコンプ!

「じゃあ、すぐに終わらせて、娘さんに会いに行きましょうよ! 早く、早く!」

 オッサンの手を引き、急かしながら立ち上がらせる。
 その時。

「おうおう辰ゥ。女ェ連れとるとは剛毅なもんじゃのう。目当ては俺の命か? 
 先にワイがおどれの命ァ獲ったるわ」
「……虎」

 声音だけで分かった。強大な死亡フラグ――因縁の強敵が現われたのだ。


  ●


「姉ちゃん――今までありがとよ」

 死にに行くような台詞と共に、オッサンはヤッパを抜いた。

「あの、私も何か……」
「近づくな!」

 吼えるような声で、オッサンは私を叱責した。思わず、身が竦む。

「あいつぁ、徹夜組の若頭、『レンコンの虎二』っちゅう字で知られたイカレじゃ。カタギの出る幕はねえ」

 レンコン……?
 その言葉の意味は、虎二と呼ばれた男の手に握られた、銀色に輝くリボルバー式の拳銃、S&W M19が如実に語っていた。
 虎は、これ見よがしに回転弾倉を指で弾き、くるくると回転させてみせた。

 対するオッサン――両手でがっしと握り締めたヤッパが一本。
 曲がり角で飛び出してきた時は如何にも恐ろしげに見えたドスだが、本物の拳銃を相手にするには、余りに頼り無い。
 だが、オッサンの戦意に微塵の曇りもない。
 オッサン――ヤクザの辰は、腰だめにヤッパを構え、ただ真っ直ぐに突撃するのだろう。
 自分の生死も、相手の生死もお構い無しに。
 死亡フラグへ、一直線へ。

「――ちょっと、待ちなさぁいっ!」

 思わず、夜気が震える程の大声を出してしまった。

「だから姉ちゃん、こっから先はカタギの……」

 言葉が終わらないうちに、私はオッサンの顔に小さな袋を投げつけた。

「本の神様のお守りよ。持っときなさい。
 それから、私を可愛らしい組の若衆の所に連れてくこと! 約束だからね!」

 そう言い捨てて、私は腕を組んだのだ。
 オッサンはぽかんと呆気にとられていたが、

「命が、残っとったらのぅ」

 不敵にそう言い捨てて、私の渡したお守りを、シャツのポケットに押し込んだのだった。

「女とのお別れは済んだのかぁ、辰ゥ。何なら、一発ヤリ終わるまで待ってやっても構わんぞぅ」
「そういうおどれこそ、この世とのお別れは済ませたんじゃろうなあ、虎ァ。泣いても縋っても、離れた首は胴には着かんぞ」

 向かい合った二人の間に、奇妙な沈黙が流れた。
 ざざ、という不気味な風と共に、夜桜が血のように舞い散った。

「ほんま、エエ夜じゃあ」

 ペッ、と辰が唇に咥えていた煙草を吐き捨てた。
 走り出すと同時に、瞬くようなマズルフラッシュが夜の公園に煌めいた。
 一度、二度、三度。
 あの拳銃の装弾数は、確か、6発。曖昧な銃器の知識を引きずりだす。
 六度。あの拳銃が六度瞬く前に、虎二と呼ばれたあの男の元に辿りつけば、オッサンの勝ちだ。
 
 ――四度。オッサンの太腿に、血桜が舞った。

 オッサンは一度大きく蹈鞴を踏んだが、雄叫びと共に踏みとどまり、再び疾走をする。

 ――五度。オッサンが腰だめに構えたヤッパが、半ばから砕け飛んだ。

 しかし、もはやそんなものを気にかけるオッサンではない。

 ――六度。虎二の姿は、すぐ目前だった。虎二から見ても、オッサンの心臓は、外しようもない、至近距離だった。

 最後の銃声が響くと同時に、オッサンは虎二と縺れるようにして倒れ込み――そのまま、動かなくなった。


  ●


 駆け寄ると、虎二はまだ生きて動いていた。
 虎二の左目から耳から、一直線に深い刀創が走り抜け、公園の夜桜の紅も霞む程の量の血が、だくだくと流れ続けていた。
 オッサンのヤッパが残した、最後の一刀の痕。
 虎二の手から、空っぽになった銀色の拳銃が滑り落ちた。
 酷く寂しそうに、虎二は顔を歪めた。

「ワイの負けじゃあ、辰ゥ。……分かっちょったことじゃにのう。ワイが、辰兄ィに勝てる道理なんぞ無ェ。
 ほら、辰兄ィに命ァとられるなら本望じゃあ。それで、今回の戦争も手打ちになるじゃろ」

 心臓を撃ち抜かれたに見えたオッサンだったが、左胸を押さるようにしてよろよろと立ち上がり、
 虎二の頬に巌のような拳骨を落とした。

「虎ァ! こんカバチタレがぁ! おどりゃ、タコのクソ頭のぼりおって!
 おどりゃあ、徹夜組の若頭じゃあ、言うて喜んじょったが、おどれのようなクソをなして徹夜組が若頭に使うか!
 おどれは、鉄砲玉に使い捨てられたんじゃ、虎ァ! とっととケツゥ捲くって逃げ出しゃ良かったもんを!」

 虎二の顔が泣きそうに歪んだ。

「ほうじゃけど辰兄ィ、一度オヤジに盃預けたんじゃ、ワイはもう徹夜組の男なんじゃ!」
「ならなしてハジキを当てるつもりで撃たんかった! あんな近間で六発も撃ったんじゃ。
 おどれが当てる気なら、俺はとっくにお陀仏じゃ」
「……辰兄ィ」
「虎ァ。こんカバチタレが。おどれは図体ばかりでこうなっても、腹の底は昔と同じ臆病ったれじゃあ!」
「……辰兄ィ」
「……虎ァ」

 殺し合ったばかりの血塗れの男が二人、夜の公園で倒れながらがっしと互いを抱き合っていた。
 男達の静かな啜り泣きの声を、ただ夜の桜だけが聞いていた。


  ●


「……いいんですか?」
「ええんじゃ。これで。徹夜組と虎と、始発組の辰、二匹揃って消えりゃあ、互いに溜飲も下がる。
 どこぞのカバチタレも、振り上げた拳をしぶしぶ収めるじゃろう」

 結局、オッサンは虎二を殺さなかった。
 虎二は組を抜けると言い残して、夜闇の中に静かに消えていった。
 オッサンが、最初からこんな円満な手打ちを考えていたとは全く思えない。
 きっと、オッサンは虎二と相打つつもりで――ううん、そんなこと最初から一向に頓着せずに、ヤッパを握って突っ疾っただけなのだろう。
 とどのつまりは、オッサンとはそういう男なのだ。

「それにしても、姉ちゃんには命を救われたのう」

 オッサンは、胸ポケットからボロボロになったお守りを取り出した。
 その中心には、鈍く輝く虎二の弾丸が喰い込んでいた。
 ――あの瞬間、二人の距離はあまりに近すぎた。例え命を狙う気が無かったとしても、外しようが無い程に。

「何ちゅう偶然じゃあ。こんなお守り一つで都合良ぅハジキの弾ぁ止まるなんぞ、聞いたこともねえ」

 私は、えっへんと胸を張る。

「当然ですよ。美女の愛と、曰くの品は、何事にも勝る生存フラグなんですから。
 それに、あからさまな死亡フラグといういうものは、続き過ぎると生存フラグに反転するものなのです。
 死中に活あり、死活(シガツ)の桜、なんちゃってね」
 
 鼻高々な私の傍で、オッサンは首を捻った。

「美女……っちゅうには、随分薹が立っちょるようじゃあけどのう……」

 私は、オッサンの頬に渾身の右ストレートを叩き込んだ。


  ●●●


「やあやあ、今回の物語はどうだったかなぁ? 実に君好みの熱い男の物語だったと思うんだが」

 蛇のような厭らしい笑みを浮かべて、今回の元凶――四季ノ国屋書店の上司は、コーヒー片手に私の肩をポンポンと叩いた。
 有能な上司ではあるのだが、私の趣味性癖を知り尽くした上で、時折、今回のようなドッキリを仕掛けてくるのである。
 普段の私なら、彼の期待通りのうんざり顔を浮かべながら、渋々業務を続けるのだろうが、今回は普段とはワケが違った。

「そうですね――結構楽しめましたよ。自分でも意外なぐらいに」

 手元の一葉の写真に視線を落とす。
 その中では、小学校に入学したばかりの少女が、無邪気に両手を振っていた。

「それに――私、今回、ちょっと勉強したんです」

 にまぁ、と毒蛇の笑みを、上司に返した。

「目ざめちゃったんですよ。普通のBLだけじゃなくて、ガチムチなハードゲイっていうのも悪くないな、って。
 ねえ、今度の日曜ご一緒しませんか? 課長のような方が好み、っていう素敵なおじさまと出会ったんです、私」

 顔面蒼白になった上司の手から、コーヒーカップが零れ落ちた。
 私は、雑巾片手にニッコリと笑む。

「あらあら、零しちゃって。課長も男だったら、もっと綺麗な一花――咲かせてみませんか?」




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