『永遠の仔』を読んで
天童荒太 著<幻冬舎単行本>


 昭和43年(1968年)生まれ(上巻 P117)の29歳(上巻 P29)との久坂優希たちは、昭和33年生まれの僕のちょうど10年下の年齢になる。長男家族が住んでいる関係でしばしば訪れる山口の出身で、小学高学年の時分に入院していた双海小児総合病院の所在地が僕の住む高知の隣県愛媛ということにも親近感を抱いたが、物語のほうは、親近感とは懸け離れた悲痛なもので、いささか気が滅入った。

 有沢梁平の先輩同僚の伊島主任が言っていたように腰を落ち着けて、人生と向き合うこと(上巻 P105)がおいそれとは適わない過酷な児童期を過ごした優希(ルフィン)、笙一郎(モウル)、梁平(ジラフ)たちの1979~80年と1997~1998年の物語を読みながら、子ども時分に負い負わされるものが人生に及ぼす影響の大きさを改めて思うとともに、“生き延びる力”の時に過酷とも思える苛みに慄然とした。

 児童期に“ひどい傷を受けながらも、死なずに、懸命に生きのびてきた生存者”(下巻 P280)である三人の再会のときにある人の言葉だ。ある人たちかな……彼らの言葉が支えになった(上巻 P145)と長瀬笙一郎が言っていた言葉は、下巻最終頁の末尾に出てくるが、その言葉を胸に24歳で弁護士として個人事務所を開くにまで至っていた男の生涯がどうしてそういう形になってしまったのか、結局のところ彼の心の闇が僕には、解らないままだった。そして、17年ぶりの三人での再会のときに笙一郎の首に右手を、梁平の首に左手を巻きつけるようにして、強くふたりを抱いた。人を、男の人を、このように抱くことなど、ずっとなかった。~ついに涙が溢れた(上巻 P148)優希があの夜、わたしは、あなたとモウルを、同時に裏切ったようにも思うから。ただ後悔はしていません。罪にも感じないよう、心がけています。(下巻 P487)との言葉を手紙に残して姿を消すしかなかったことに、痛みを覚えずにはいられなかった。

 想いを寄せてくる広美を「帰りなさい~悪いが、きみには何も感じない」と突き放し、高輪のホテルに出向いて呼び寄せたデリヘル嬢に十万円を与えていつもの自慰行為をさせつつ途中で「もういい」と遮り、“自分への嘔吐感”に苛まれながら「疲れたよ、ジラフ……」と零し、かすかに血痰を吐いていたEDの笙一郎(下巻 P298)が、梁平の心を捉えて放さない優希の姿に彼女の横顔だけでなく、全体のたたずまいから感じるものは、決して明るくはなかった。溌剌とした陽気さで人を励ますような、前向きのエネルギーは感じられない。だが、この女性には、自分の傷や弱いところをさらけ出しても、きっと拒否せず、受け入れてくれるだろうと信じられるような何かが、内側からにじんでいる。彼女は、きっと多くの人に必要とされているだろう。(下巻 P305)との思いを抱き、深い孤独と絶望に見舞われ、作者の後年の作品である悼む人の主題にも通じるわたしが確かに生きていたということを、しっかり認めてくれる人に、そばにいてもらいたい……。長いあいだ、ずっと望んでいたことは、そういうことだった気がする。という思い(下巻 P310)を抱いた32歳(上巻 P74)の早川奈緒子に呼び寄せられる。
 そして、誰にも話すことのなかった双海小児総合病院第八病棟時代のことや抱えた屈託を明かし、奈緒子に受け止められ、~少しだけ安堵し、力を抜いた。彼女の体温が感じられてきた。自分の肉体が、生まれて初めて、温かく迎えてもらえた気がした。心から受け入れてもらえていることが、肌を離さないようにおこなわれる身じろぎや、いたわるようなふれ方に感じられる。~瞬間、失望をおぼえた。心のどこかで、優希の顔をそこに見ることを願っていたためだった。奈緒子もまた同様に、笙一郎以外の者を感じようとしていることが、瞳の揺れから理解できた。望みがかなわないことでは、奈緒子も同じだった。奈緒子が笙一郎の想いを理解したのか、悲しげにほほえんだ。彼女に対するいとしさがこみ上げてきた。唇を重ねた。互いに高ぶり、激しく唇を吸った。~彼女が脚を開き、笙一郎を迎えてくれた。彼女に、直接自分があたった。このときが、永遠につづくことを望んだ。それはまだ確かな形にはなっていない。だが、きっといつかは信じられる。奈緒子に迎えられていれば、そのかすかな潤みにふれていれば、確かな形になる予感が~一瞬だけ、確かな形になったと思えた自分のそれが、さらに温かい潤みに包み込まれた気がした(下巻 P433~434)なかで、“ありはしない永遠”を作ろうとするかのように奈緒子の首に手をかけ、愛のコリーダでの吉蔵のような受容を「大丈夫……」との言葉とともに得ていた場面が、何とも哀しく心打たれた。

 いっぽう、梁平が自分たち夫婦とずっと距離を置いてきたと感じている養母から同じようにね、好きな人とも距離を置いてしまうことが、あるんじゃないかと思ったの。でも、気を遣いすぎるあまり、より深く、相手を傷つける場合もあると思うのよ。結婚しなくても、家族を持たなくてもいい。でもね、できれば、一緒に生きる相手は見つけてほしい。相手を認めることと、相手から認められることが、生きてゆくには、大事だと思うもの。ひとりで踏ん張ろうとし過ぎると、自分はもちろん、やっぱり誰かを傷つける気がする。すべてを、ひとりで背負って、解決しようとするばかりが、大人のやり方じゃない。人を信頼して、まかせたり、まかせられたりできるのも、ひとつの成長かなって思うし。ゆっくりでもいい、自分を開いてみたら、どう……人にすべてを託して甘えることを、自分自身に許してあげたら、どうかしら……と諭される梁平(下巻 P323)は、“かつての第八病棟のやり方”(下巻 P106)として必要だった幻想や夢を遺児に用意しなければならないことをしでかしたとの笙一郎の告白(下巻 P410)を優希から伝えられるとともに、17年前の霊峰での出来事について彼じゃない。だって、わたしがやったんだもの……わたしなんだもの(下巻 P423)と明かされる。
 そして、こんなふうになら、生きるべきじゃなかった。そう思ってるのよ。生きてたって、どんな意味もなかった。そう思ってるの。人を傷つけ、殺して、何も生まれなかった、何も育てなかった。最低の人生だった……そう思ってるのよ(下巻 P441)と両手で顔をおおった優希に「生きてくれよ、おれのために……生きてくれるだろ」と迫り、何が起きるのか、一瞬感じかけて、恐怖にかられ、感じる心を遮断し~この行為が、いま苦しんでいる梁平を慰めるものであることだけは、理解し~せめて、彼を慰められるのなら~自分が生きてきたことの意味など、もうこのくらいしか残っていないのではないかと~梁平の首に、手を回した(下巻 P442~443)優希が毛布のなかで、素早く下着と衣類を身につけた後で、自己嫌悪に苛まれる苦しいときと対話を交わす(下巻 P444)ことになっていた。優希とそうなることを、願いつづけてきた。だが、それを得たいま、虚しさしか残っていない。きっと、得たと言える状態ではなかったからだろう。彼女の心は少しも抱けていない。彼女を利用したようにしか感じられない。その意味で、彼女の父親と同等のようにも思えてくる。~自分にも、自分を受け入れた優希にも腹が立つ。同時に、優希のことが悲しく思われ、いっそういとしく感じられた。(下巻 P450)との部分にふと思い起こされるものが湧いて少々狼狽えた。そして、「~本当はあなたと一緒に、成長をめざしてゆくべきかもしれないのに、やはり、つらくてなりません。あの夜、わたしは、あなたとモウルを、同時に裏切ったようにも思うから。ただ、後悔はしていません。罪にも感じないよう、心がけています。~」との優希の手紙の言葉に思いのほか複雑な想いを誘われたのだった。

 児童期の過酷な傷つきにより感情が豊かに働くためのスイッチが切れていた。意識してではなく、過剰な電流に耐え切れずにブレーカーが落ちるのと同じように、重過ぎる現実に、感情につらなる回路が断ち切られた形だった。(上巻 P133)何かを話す、何かを書く……。閉じ込めていることで、ようやく息がつけているのに、わざわざ表にあらわし、苦しみたくなどない。優希は首を横に振った。(上巻 P234)という形で、からくも自分を保ち持ち堪えていた優希の幼い生は、確かに極端に苛酷であったが、現代社会というのは大なり小なりそういう傷つきに人々を追いやるようになっているとの社会観が作者にあるように感じた。法曹の界隈で働く多くの人を相手の感情に、自分の感情が反応するのを避けているようで、うわべの表情や言葉で、防衛線を張っている。でないと、ときには冷酷とならざるを得ない仕事を処理することができないのかもしれない。あるいは、感情を切り離す術を、この社会で生きてゆくために、いつの頃からかしぜんと身につけてきたのかもしれない。(上巻 P287)と描いていたのは、ある種の典型としてであって、イフェメラ(蜉蝣)のノートに記されていた~努力しないなら人生の意味はないと、叱咤する。でも、あなたたちが言う通り頑張り、努力する道は、際限なく欲望に満ちた暮らしをめざす道でもありはしない? 役に立つか立たないかで、すべてのいのちを判断し、生き残るためには、老いや障害は切り捨てても、嘘をつき約束を破っても、仕方がないよと言い逃れることのできる道でもありはしないの? そんな道に向かって、頑張り、努力することが本当の幸せ?~(上巻 P240)というのが作者の問い掛けなのだろう。

 しかし、そうした人生観に本心から立って子育てのできている親というものがほとんどいないと感じているから、優希の弟である聡志に親は、子供のためだと言いながら、実は都合のいいところで、自分の欲求や願望を優先させてる。なのに、すべては子どものためだと言い訳して、子どもが、ありがたがらないと、恩知らずのように怒る。むしろ子どものほうが我慢して、親に気をつかってることだって多いのに、親の心がわからないと叱る。ただ、親も本当はよくわかってないんだろう。何が最終的に幸せなのか。誰だって、教えられた以外のことはできやしない。幼い頃に与えられたものや、環境から身につけたものを、どうしたって繰り返すに違いないんだ。親も、子ども時代、ずっと親の言うこと、することに、我慢し、従い、理不尽な命令にも、いやだと言えずに過ごしてきたんだろう。親のしてくれることが、どれだけ的外れでも、ありがたがらなきゃいけなかったんだろう。でないと、愛してもらえなかったからさ……。そうして子どもが、親になったとき、今度は自分が子どもに愛を与える力も、奪う力も持っているから、その力を無意識にもてあそび、子どもを支配しようとする。だから、子どもが言い返したり、反抗したりすると、腹が立つ。自分を抑えきれなくなる。ことに母親は哀れさ。男は外に出て、好き放題しても、男は所詮子どもだからと許される。女はそうはいかない。親になったって、人の子には違いない。甘えたいときだって、べったり頼りたいときだってあるはずなのに、夫や夫の家族からまで、母親としての役割を求められる。年齢に関係なく、親となったとたんにそうなるんだ。結局、母親にとって、自分が心から安心して甘えられる存在が、子どもになってるんだ。自分が子どもに戻れる相手が、我が子しかなくなってる。だから、いっそう子どもの反抗が理不尽に感じられるんだろう。だけど、子どもだって、やられっ放しじゃない。我慢ばかりじゃ、いつかは、ふざけるなと怒るのも、当たり前だろう? 親も確かに大変だろうさ。苦労ばかりかもしれない。だからって、立場や感情を無視した扱いがつづけば、子どもだって、愛情ばかりを抱いちゃいない。本当は愛したいはずの親が、愛情をかけるのに値しない親だったら……子どもだって、泣きながらでも、やり返すさ(上巻 P389)との叫びをあげさせているような気がした。

 それは、最悪の形として現れる虐待にまでは行かなかったとしても、それと同じくらい自らの力だけでは断ち切ることのできない負の継承を現代人に強迫している気がする。梁平が言っていた~どんなやつだって、あんなふうに、こんなふうに、育てられるんだって。誰かは、金持ちにへいこら頭を下げる野郎になる。誰かは、成績を上げるためには、他人を蹴落としても平気になる。そして誰かは、他人を平気で殴れるし、殺せるようにもなる……みんな、そういうふうに育てられてゆくんだって。なかには、いい感じの大人になった奴もいるだろうけど、そういう人間は、幸運なんだ。たぶん自分じゃわかってねえだろうけど、すっげえ幸運なんだ、恵まれてんだ。(下巻 P131)というのは、そういうことなのだろう。おまえも、自分が病気だとわかってるはずだ。いくらやめようと思っても、やめられない。苦しくて、誰かに止めてもらいたいときもある。自分は最低のくずだと思ったこともあるだろう。だが、それでもやめられない。これからも繰り返してゆく。何年刑務所暮らしをしたところで、お前の病気は治りゃしない。おまえの、こども時代のことだからだ。おまえもやられたんだろ。だが、復讐はそのときにやるべきだった。もう昔には戻れない。おまえはきっとまた子どもを傷つける。耐えられるのか、そんな人生に耐えられるか……。おれが終わらせてやる、お前を救ってやる(上巻 P86)という叫びに至る梁平ほどのダメージを現代人の全てが負っているわけではないが、本質的な部分でそれを免れているほどの“すっげえ幸運”を得ている人は、ほとんどいないように思う。

 現代社会がいつから、蜂谷が訳知り顔で言った。~「世の中の問題は、おおむね、拝金主義が一番の原因だよ。ねぇ、主任?」「そうだな」伊島もうなづいた。梁平はあえて反論しなかった。蜂谷の意見が正しいのかもしれない。ただ、人が、手にした金で本当に得ようとしているもの、真実求めているものは、モノなのかと疑いもする。本来は、金で買えないはずの、称賛だったり、羨望や畏敬の念だったり、親しい人からの承認だったりはしないか。だが、この世界ではずっと、本来買えないはずの、称賛や羨望や敬意といったものが、金や地位で得られてきたのも事実だった。(上巻 P359)というようなことが極端になってきたのかを思うと、僕の生きてきた半世紀を超える時間のなかの実感では、昭和末期のバブル景気の時代(1986年~1991年)に箍が外れたというか何かしら底が抜けたような気がしている。そして、僕が十代を過ごした'70年代までは賛辞だったはずの“理想”という言葉が、今や侮蔑的に使われるようになっている惨状については、'80年代でも中村雄二郎の岩波新書『術語集』がベストセラーになったりしていた時分は、まだまだ知性というのは憧憬の対象だったように思えるのに、当時の知のパラダイム転換ということが言われ、知性に対する“感性”というものがなんぞのように持て囃されるようになり、それでもまだ知性も感性も“脳”の側に属するものだったものが、更に'90年代に入って“身体性”がトレンディに関心を集めるようになるなかで、知の領域ではなく、社会における価値観が“ありのまま”や“欲望肯定”にシフトするとともに、反知性主義が蔓延ってきたような気がしている。本作が、ちょうどその時期を挟んだ二つの時間に焦点を当てる形で構成されているのは偶然とは言えないように感じた。

 笙一郎がいまの社会は、金と欲の綱の引き合いだ。どんな手段を使っても、より強く引いたほうが、最終的には社会的に認知される。理屈じゃない。子どもの世界と変わらないのさ。先に言い出した奴、声がより大きい奴が、目の前の宝を手にできる。会議でも顔合わせでも、人が集まったところに行ったら、一番に大声でまくしたてろ。相手が言い返そうとしたら、関係ないことでいい、怒れ。相手は委縮する。~人を恐れさせるのは、実際の暴力でも、むろん道徳や法律でもなく、実は幻想かもしれない。怒られる、叩かれる、否定される、その想像におびえる。(上巻 P50~51)というなかで、金の取り合いは、得たほうも心が病んでゆく。結局、誰もが負けるのさ(上巻 P271)と言いながらも、17年ぶりの再会が変化を及ぼし、自分もその一員であることが、以前と違い、いまは心苦しい。(上巻 P380)と感じるようになっていた。聡志に対して~一般的に言って、利益が得られるなら、人の感情は収まる。幼い頃から、感情より、利益の多寡で生きるように求められてきたからかな。と諭して感情がまったくないわけじゃありませんよ。若い者は、とくに不正には鋭いし(上巻 P48)と反論されていたが、そういう若者こそが苦しみ、生き難い世の中になっているということなのだろう。

 整理屋らしい男の零していた~商法改正、暴対法と、いろいろ荒波はありましたがね。なに、人の心までは改正できない。仕事はできても、自分の尻も拭けない人ってのは、けっこういるんですよ。十億稼ぐより、自分の尻を拭くほうが難しいのかもしれませんね。しかし現実には、十億稼ぐほうに価値が置かれている。しぜんと子どもにも、尻の拭き方より、稼ぎ方を叩き込むほうが先になる。拭き残しにたかるわたしどもには、ありがたいことです(下巻 P178)や民間の介護専用ホームの施設長の女性が語っていた~何千万という大金を払うより、隣近所とコミュニケーションをとってゆくほうが、きっと難しいんだろうと思います。誰もが人と結びつきたいと願っているのに、ほんの少しの心の壁が邪魔をするんでしょうね。越えてしまえば、なんてことない壁でしょうけど、越え方がわからない、教わってない……(下巻 P292)という世の中にした犯人は、むろん特定できるものではないのだが、そのようなことを思うと、笙一郎が語っていた~単純な罰則強化、適用対象の拡大といったことで終わるはずだ。~本当に必要なことが、被害者やその家族の救済、立ち直るための力づけだとしたら……その救済を、加害者にどう負担させるかってことが、求められるんじゃないのか。被害者の立ち直りに必要な助けに、加害者をどう参加させることが有効なのか……それを具体的に考えてゆくことじゃないかな(上巻 P142)という昨今の単純で腹癒せ的なことにしか映らない厳罰を求める風潮に対する批判の言葉が、それ以上の意味を持ってくるように感じられた。

by ヤマ

'15. 2.28. 幻冬舎



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