神戸連続児童殺傷事件 元少年A 著『絶歌』談義
TAOさん
ヤマ(管理人)


ヤマのMixi日記 2017年04月26日22:26

 驚くべきものを読んだ↓ような気がする。
 http://www7b.biglobe.ne.jp/~magarinin/zatsu/108.htm



コメント談義:2017年04月27日 15:45 ~2017年05月01日 19:59

(TAOさん)
 「驚くべきもの」ですよね!
 少なくとも少年犯罪や更正に興味がある人なら、読み応えのある本だと思うのですが、バッシングばかりで、ちゃんと読んでいる人が少ないのが残念です。

 「“人間の根っこ”が病気だった。」という表現がとても腑に落ちるし、18年経ってそれを本人が自覚できるまでに至らせたサポート体制の凄さに驚きました。

 ヤマさんの少年の未熟と早熟の二面性の極端さというものは、ひとりの人格のなかで統合するのはなかなか困難なものだったような気がしてならないにも深く共感します。その困難をチカラ技で成し遂げたのが三島由紀夫だと思いますが、その彼にしても、根っこの病気はいかんともしがたかったわけですから。


ヤマ(管理人)
◎ようこそ、TAOさん

 彼が三島に耽ったのは、いかにもっていう気がしますよね。
 僕は僅かばかりではありますが、教護院でその職に就いていたこともあるだけに余計に思うところが多くありました。

 職で出会う人よりも、そうでない人との出会いのほうが大きな意味を持つことは、在職中に既に感知していましたが、本著における精神科医とYさんの対置は、まさにそこのところを衝いているように感じました。
 読む機会を作っていただき、ありがとうございました。


(TAOさん)
 Yさんはいったいどういう経歴の人なんでしょうねえ。奥さんも、この夫にこの妻あり、という感じの方ですね。
 ところで、教護院というのはどういうところなのですか? 少年院とどう違うのでしょう?


ヤマ(管理人)
 少年院の管轄は法務省です。家庭裁判所からの送致により入所して矯正教育が施される施設で、いわゆる塀の中に閉じ込められています。一方、教護院は、現在は児童自立支援施設と呼ばれている児童福祉法による施設の旧称ですから、所管が厚労省です。
 矯正教育が施されるのは同じですが、いわゆる塀はなく、“無外(無断外出)”と言われる逃走がよく起こってました。入所に係る送致も家裁からのものと児童相談所からのものがあります。
 まぁ、文科省による幼稚園と、厚労省による保育園みたいなことの非行少年矯正教育版だと思っていただければ(笑)。そうそう、塀のあるなし以外の大きな違いは、定期の少年院と、不定期の教護院という違いがありましたね、確か。


(TAOさん)
 へ~管轄が違うんですねえ。たしか感化院というのがあったと思いますが、それは教護院の前身なのかな。
 いずれにせよ、思春期の、しかも普通の子以上に神経を尖らせているであろう子どもたちと四六時中向き合う仕事というのは大変でしょうねえ。人間力みたいなのが必要とされる気がします。


ヤマ(管理人)
 そうです、感化院というのは、教護院の前身です。児童福祉法の前の法律で、戦前からあるものです。教護院の仕事の大変さというか、僕の思いについては拙日誌でも時々言及しています。
 '01年のファザーレス 父なき時代:'02年のまぶだち』談義:'12年の非行少女'63]、他にもあるかもしれませんが、いずれにしましても、僕の職歴のなかでもとりわけ強い印象を残している職でした。


(TAOさん)
 01年で20年前ということは、1981年。まだ20代だったんですね! それはさぞかし強烈な2年間だったでしょう。

 ヤマさんが出会った子どもたち、どうなったでしょう。ヤマさんが懸命に諭したことが、そのときはわからなくても、あとからその言葉を思い返す機会に恵まれて、覚悟に至れたかもしれません。配られてしまった負のカードを自分で引き受けてしっかりと生きていってくれているといいですね。

 昔は「教護院が夫婦の寮長寮母による住込み制で家庭教育を重視していた」というのは興味深いです。やさしく包み込む母性と物事の道理を教える父性の両方が大切だと思われていたということですよね。そういえば、イスラエルのキブツではどういう方針で子どもを育てているんだろうと最近気になっています。


ヤマ(管理人)
 24,25歳の二年間でした。ケースワーカーたちによる調書を読んで、その成育環境に愕然とした覚えがあります。ちょうど自分にも長男の生まれた頃だったので、余計に考えさせられました。

 当時、僕を先生と呼んだ子どもたちのなかで、退園後に会ったのは男子1名、女子1名しかありません。後で会うことの叶った子は、それなりにしっかりと生きていたように思います。退園後しばらく経ってから聞く当時の話は、当然ながら、職員側の目線では気づかない事々が多く、非常に新鮮でした。

 児童福祉の領域では、僕の勤めていた当時、愛護・養護・教護というのがありました。養護学校の養護は、自分が勤める前から知っていましたが、愛護と教護は知りませんでした。どの分野においても、子供の育ちのうえでは“ホーム”が大事なのだという感覚がありましたね。療育的専門性ではなく、疑似家庭を生み出せる母性と父性が求められていたように思います。でも、それを職業として体現できる資質は、誰彼に備わっているものではありませんよね。いわゆる専門性というものは、反復継続の学習や研修によって習得できますけどね。


(TAOさん)
 24,25で父親になると同時に、想像を絶する環境で育った子どもたちを指導する立場に立たされたわけですねえ。文字通り無我夢中の2年だったでしょうねえ。

 愛護・養護・教護
 初めて知りました! 愛し、養い、教える。いずれの段階でも「護る」が基本なんですね。近頃、改めて、子どもの発育のなかで安全基地を持つことの重要性が注目されているように思いますが、日本でもすでにそういった愛着理論がしっかり取り入れられていたんだなと感心しました。

 疑似家庭を生み出せる母性と父性を体現できる資質は、やはり生まれつきのものでしょうね。その資質をもった人は、本人の意志とは関係なく、そういう生き方をするのだろうという気がします。


ヤマ(管理人)
 そうですねぇ、今から思うと、無我夢中になって取り組めるだけの指針も持たないまま、暗中模索というか、試行錯誤というか、ホントいろいろ迷い考えさせられることが多かった気がします。彼らに僕が与え得たものは幾許もなかった気がしますが、僕が彼らから学び得たものは、当時の名称で精薄児施設の1年、その後の教護院の2年という僅か3年でも、非常に大きなものがありました。

 知的障碍児施設で行うものを愛護、非行少年少女施設で行うものを教護と呼んでいました。要生活支援児童施設で行うのが養護となります。僕は愛護と教護を、職として経験する機会を得たわけです。

 護り手たる親を何らかの形で失くしている子供たちそれぞれにおいて端的に必要な部分を「護」の前につけたのでしょうね。先人の知恵だと思いますが、施設の呼称も替わってきているし、「ホーム」スタイルが就業とマッチしなくなったなかで、それらの用語も既に時代遅れのものになっていて顧みられなくなっているのではないでしょうか。でも、本書を読むと、やはり先人たちの行っていたことのほうが的を射ていたような気がします。担える人が少なくなったとは言えるのかもしれませんが、本書を読むと、そうとも限りませんよね。でも、制度化して維持するのは大変に困難だったからこそ、今に至る変遷を遂げているのでしょう。
編集採録 by ヤマ

'17. 4.26.~ 5. 1.



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