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『サスカチワンの狼火』(Saskatchewan)['54]
監督 ラオール・ウォルシュ

 事件の起こった現地に入って撮影したとのテロップが映し出され、1877年、春とクレジットされて始まった七十二年前の作品である。小心で胆力のない者ほど力任せに振舞うのは世の常としたものだが、そのような者が指揮官となって引き起こした一触即発の事態を回避して和平に持ち込むことの困難さと勘所を鮮やかに炙り出していて、非常に時宜に適った観賞となったように思う。

 発端は、新しく着任したカナダの騎馬警官隊長ベントン(ロバート・ダグラス)が、現地の事情や状況もわきまえずに十把一絡げの先住民への偏見から、狩猟を生業とするクリー族の銃器弾薬を有無を言わせずに一斉没収して生活の道を断ったことからだった。平和主義の部族ではあるものの、当然ながら不満を募らせ始め、折からアメリカでカスター将軍の第七騎兵隊を殲滅させたリトル・ビッグホーンの戦い[1876]で活躍したクレイジー・ホースやシッティング・ブル率いる好戦的なスー族と同盟を結んで、カナダ政府への叛乱も已む無しとする意見が沸き上がって来ていたわけだが、そこで活躍するのがクリー族の酋長ダーク・クラウド(アントニオ・モレノ)を育ての親と慕い、クリー族のケジュウと義兄弟の契りを交わしているトーマス・オローク警部補(アラン・ラッド)だった。オロークとケジュウの登場するオープニング場面がなかなか意味深長で、やたらと負けん気が強く勝負好きな力量ある人物として現れるトーマスが、さればこそ生死の掛かる戦いは懸命に避けようとする姿に値打ちがある。

 真なる強者とは、そういうものでなければならないということだろう。上司たるベントンの誤った判断に盾突いて、掌握している部隊の同僚部下を率いてベントンの指示とは異なる経路で砦に向かう指揮を執ったことに対して、反逆罪に問うとしていたベントンが、最後にいい兵士になるには時間が掛かる、私を含めてと反省を込めてオロークに声を掛け、反逆罪の訴えを撤回していた。そのように同僚部下の支持を得て活躍したのは確かにオロークだったが、本作で最も重要なのは、戦乱回避に貢献したのは、オロークの活躍もさることながら、ダーク・クラウド酋長が言っていたアメリカ政府と違ってカナダ政府は、先住民に対して平等に扱ってくれていたという“政府の先住民政策の違い”であることの明示だったように思う。根底にその信頼感があるゆえに愚昧な部隊長による無体な迫害さえ改めて銃弾薬を返せば、もともと非好戦的な部族を率いる者として紛争は望まないどころか、好戦的なアメリカ先住民のスー族をカナダの地から追い払う作戦行動に白人の騎馬警官隊とともに臨む姿を映し出して、映画を終えていた。大事なのは、先住民か白人かではなく平和主義か戦闘主義かということなのだ。

 また、かのポセイドン・アドベンチャー['72]で印象深い初老婦人ベルを演じていたシェリー・ウィンタースが狩人の夜['55]に出演する前年の三十路半ばの時分の作品でもあって、権力者たる保安官スミスの下劣な策略によって殺人犯の濡れ衣を着せられ、指名手配されているグレース・マーキーを演じていて目を惹いた。力ある者の奢りの犠牲になって苦しめられ、誤解される者の象徴として配されていた気がするが、オロークが制服を平服に着替え、身の危険を承知のうえでダーク・クラウド酋長との交渉に単身赴こうとする際に失うものは何もないと洩らしたことを咎めて失うものは何もないの?と問い返し、無事に帰還するため無茶をしないよう質していた姿が印象深い。西部劇お約束の気丈で艶のある女性を演じていて、なかなか好かった。

 それにしても、スミス保安官とスー族が体現する好戦的なアメリカとオロール警部補とクリー族に代表されるリベラルなカナダという対照が、今更ながらに印象深い。三つ子の魂百までもと思ったりした。これがアメリカ映画であるところがまた好い。
by ヤマ

'26. 3.18. BSプレミアムシネマ録画



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