『狩人の夜』(The Night Of The Hunter)['55]
監督 チャールズ・ロートン


 二十年余り前、まだ僕が自主上映活動に携わっていた時分に幻の傑作として話題になっていたときから観たかった作品をようやく観た。手元に残してある公開当時のチラシを開いてみると、'55年作品の日本初公開を'90年に行った配給会社はケイブルホーグで、今はもうなくなっていることにも感慨を覚えた。

 六十年前のロバート・ミッチャムをスタローンに似ているなどという時間的倒錯を覚えつつ観ていたが、2015年7月のいま観ると、左四指に「HATE」右四指に「LOVE」と刺青した手を組み合わせ、「頼れよ、頼れ、そうすれば全ての恐れは消える」などと胡散臭い福音を振りまき、雑貨屋の亭主(ドン・ベドー)には悪徳者の匂いがするなどと見破られながらも、妻のアイシー・スプーン(イヴリン・ヴァーデン)など主に中年女性を中心とする支持を集め、俄かに町の名士に祭り上げられていた偽伝道師ハリー・パウエル(ロバート・ミッチャム)の不可解極まりない神経を持ち合わせているとしか思えない言動のいちいちが、我が国の現首相と被さってきて仕方がなかった。

 どの口がそれを言う? いけしゃあしゃあとどうしてそんなことが出来る? と全く呆れてものが言えないような人物なのだが、当人のなかでは何の疑問も矛盾もない様子が不気味を通り越して天晴れで、恐れ入った。

 1万ドルに目の眩んだハリーの魔手から、ライフルを手に取って子供たちを守ったレイチェル・クーパー婆さん(リリアン・ギッシュ)が「弱者に厳しい世の中だ」と呟く場面の手前に映し出された、フクロウが野兎を襲うカットに限らず、カエルなどの小動物が折々に映し出されていたのは、生き物の営みに思いを及ばせることでその厳しさを示そうとしていたからのようでもあるが、神ならぬ身でいつだって自分が裁かれる側にも回る人というものが人を裁くことを戒める言葉が提示されて始まった作品の最後が、化けの皮の剥がれた偽伝道師が町の人々とりわけ熱心に帰依していたアイシーらが先頭に立つ形で「青ひげを吊るせ」と極刑を求めるデモによって糾弾されることだったのが印象深い。

 また、母ウィラ(シェリー・ウィンタース)が早々と再婚したハリーに殺されるに至る発端となったものが、父ベン・ハーパー(ピーター・グレイヴス)が人ふたり殺して銀行強奪してきた金であり、「誰にも隠し場所をいうな」という父との約束を自分が守ったが故の死であることにいたたまれず、逮捕されて組み敷かれたハリーの身に、隠していた大金の札を投げつけるジョン(ビリー・チェイピン)の姿が痛ましかった。

 それにしても、ハリー・パウエルの口先だけの美辞麗句にころりと騙される女性たちを観るにつけ、ジョンが憤然として大金を投げつけ辟易としている顛末を観るにつけ、映画で観る限りにおいては、こんな馬鹿なことが通用するものかと思うような話がいま現に罷り通っている“本作から六十年後の日本の7月”に対して、悄然たる思いが改めて湧いた。事そこに至ってもなお「あのひとは特別な人なのよ」とハリーを擁護する女の子ルビー(グロリア・カスティロ)を置いてあるところがなかなか鋭く、僕から見れば、やっていることの内容もさることながら、その遣り口、言いぐさがどうにも我慢ならない現首相をいまなお支持する人がいることや、その支持者の全てが必ずしも政策や教義に対する妙な思い込みと目先の損得勘定で支持しているわけでもないことが端的に示されていたように思う。ふと昨年観た太陽の季節』の映画日誌に「僕は、あまり人の好き嫌いが激しいほうではないつもりなのだが、どうにも嫌いな人物が五人いて、そのトップスリーが石原慎太郎と竹中平蔵、安倍晋三だ」などと記していたことを思い出した。
by ヤマ

'15. 7.17. BSプレミアム録画



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