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『旅の終わりのたからもの』(Treasure)['24]
監督 ユリア・フォン・ハインツ

 ホロコーストを生き延びた父エデク(スティーヴン・フライ)を連れて、両親の故国ポーランドを訪ねた米国生まれの三十六歳のジャーナリストのバツイチ娘ルーシー(レナ・ダナム)が、無頓着に娘のカネを散財しているように見えた父親の真意を知ることになる旅の過程が感慨深かった。

 娘の手配した列車の切符を反故にしたのも、ナチスに追われて空き家にした自分の家財を返却して貰うことに反対したり、どうしても持ち帰るならカネを払おうとしていたことにも、切実な理由があった。そもそも気の進まないポーランドへの帰郷の旅に同行したのも、迫害により国も家も捨てたユダヤ人が帰郷して故国で受ける身の危険を案じてのものでありながら、その危惧と不信を有り体には伝えられない心情の隔絶が何とも痛ましかった。

 そのエデクとルーシーのモデルになったと思しき父娘の写真がエンドロールに現れて吃驚した。クラクフのホテルで火災報知器の誤作動により夜間退避を余儀なくされた際に、父親が旅先で知り合った年配女性ソフィアとベッドにいたことが判明し、娘が憤慨した逸話は実際に起きた事件だったのだろうか。翌朝、父親を残して独りニューヨークに帰ろうとしていたルーシーを呼び止め、エデクがポーランドを再び訪ねてくる覚悟の耐え難いほどの重みへの気づきをルーシーに促していたソフィアの友人女性の配置が利いていた。

 何も分かっていないかったのは戦後アメリカ生まれの自分のほうだったとの思いに立ち竦んでいたルーシーの姿が印象深い。年配女性の二人連れでポーランドを回っている彼女たちにも傍目には窺い知れない深い心の傷と孤独があるのだろう。その辛い過去を分かち合える気になれる相手には容易には巡り会えないはずだ。

 また、父娘のワルシャワからクラクフに至る旅に随行したタクシー運転手がなかなか好かった。二人の心の旅路にも付き添い、最後に亡父のコートに身を包み“宝物”を得たエデクが御礼以上の言葉を差し向けたことに対して、恭しくマイ・プレジャーと返していた。その言葉を(掛け替えのない旅路に随行できて)光栄でしたと訳していた字幕が好かった。

 映画を観終えて表に出たら、掲示されていたチラシに1991年が舞台とあって驚いた。1944年にアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に連行されて以来、四十年と言っていたように思うから、てっきり八十年代半ばだと思っていたからだ。浅ましいほどに米ドルを欲しがり、外国人観光客に施しを求める人々が市場に集っているようなポーランドの状況は、いつ頃だったのだろう。

 また、昨今我が国で耳目を集めているクルド人難民の存在を窺わせるカットもあったが、民族として迫害を受ける人々が絶えない人類の悲劇を重ねていた気がする。ニ十四年前に観た酔っぱらった馬の時間['00]の映画日誌に『こうのとり、たちずさんで』などで垣間見た頃には、クルド人の話はトルコのことだと思っていたが、イラクのみならずイラン、シリアにも住んでいて、言語はイラン語系なのだそうだ。抑圧されている少数民族の一つだとは思っていたけれど、国家を持たない少数民族としては、世界最大規模なのだという。この作品で描かれていたところからは、国際社会からの経済制裁で貧困に追いやられていると聞くイラク人民よりも貧しくて、その経済制裁をかいくぐって命懸けの密輸をおこなうことで、わずかの金を得ているようだった。と記した『こうのとり、たちずさんで』['91]を観たのは、もう三十三年も前になる。

 当時の日誌には同じ村人でありながら、川一つ隔ててしまえば、言葉を交わすことも会うこともままならないアルバニア人たち、国境の外で生れた者は、民族の証を幼い時に腕に刻み込まなければならないギリシア人たち、国外でともに難民としての辛酸をなめ、わずかに言葉の通じる者同士としてありながら、対立を捨て去ることのできないクルド人・トルコ人、「国境は、越えることよりも越えてからのほうがよほど過酷なんだ。ここでは、何もかもが普通ではない。狂ってしまう。」と語る大佐。それらを観続けながら「わからない、わからない。」と呟き続けていたTVリポーターのアレクサンドロスが「やっとわかってきた」と言う時、彼のなかに何が生れていたのだろう。と綴っていた。
by ヤマ

'26. 3. 8. キネマM



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