『こうのとり、たちずさんで』(To Metero Vima Pelargu)
監督 テオ・アンゲロプロス


 国境警備隊の大佐の妻がアテネ、娘がロンドンで暮していることが特に目新しくも何でもないように、現代人の生活空間は、以前に比べ大衆レベルで途方もなく広がっている。それを称して「時代はボーダレスに向かっている」などと言う時、そこにはかなりオプティミスティックな響きが感じられるものだが、ボーダー(国境)とはおよそそんな生易しいものではない。そのことを強烈に描き出している点で優れて現代的な作品である。
 同じ村人でありながら、川一つ隔ててしまえば、言葉を交わすことも会うこともままならないアルバニア人たち、国境の外で生れた者は、民族の証を幼い時に腕に刻み込まなければならないギリシア人たち、国外でともに難民としての辛酸をなめ、わずかに言葉の通じる者同士としてありながら、対立を捨て去ることのできないクルド人・トルコ人、「国境は、越えることよりも越えてからのほうがよほど過酷なんだ。ここでは、何もかもが普通ではない。狂ってしまう。」と語る大佐。それらを観続けながら「わからない、わからない。」と呟き続けていたTVリポーターのアレクサンドロスが「やっとわかってきた」と言う時、彼のなかに何が生れていたのだろう。
 取材後のオフタイムのつれづれを国境の町のダンスホールで、脳天気にも 「Let It Be」などと歌いながら酔うことのできるアテネのスタッフたちとは、少なくとも違う何かがアレクサンドロスのみならず、観ている側にも湧いてくる。国境などたかが人間の引いた三色のペンキの線に過ぎないはずなのに、それが生み出す非人間的な抑圧の前には、例えば、片足を上げた凍鶴のように立ちずさむしかなく、たくさんの人が空に向かって伸び立つ電柱のうえまで登っても誰一人そこからはけっして飛び立てないように、逃れる術はないのだろう。貧困、差別、政治、宗教、民族、家族、あらゆる社会的な問題が凝縮された形で浮び上がり、茫漠とした無力感と諦観に見舞われるのが国境の町なのである。希望もあてもなく、荒んでいくしかないのだろうか。

 そのような国境の町を言葉でなくイメージで語るに、やはりアンゲロプロスは偉大なる映像作家である。しかし、さまざまな言語が飛び交い、極めてデリケートな民族アイデンティティを扱えばこそ、アルバニア人の男をイタリアを代表するマストロヤンニに演じさせたのは疑問が残るし、最大の見せ場の一つでもある河越しの無言の結婚式の長回しのシーンなんかでも、かつてのアンゲロプロスならば、あれほど鮮やかな純白のドレスは使わなかったのではないかという気がする。貧困の窮みのなかの精一杯の晴れの衣裳としては、いささか上等過ぎてドキュメンタリーの出演料代りにTVスタッフがレンタルしてきたものかしらなどという勘繰りを招き、無言の結婚式の与える感銘を損なってしまった。少し燻んだあまり上等ではないドレスのほうが貧しさのなかの精一杯の花としてインパクトがあったように思う。
 だが、それらのことはアンゲロプロスならば、百も承知のはずである。にもかかわらず、そうしたのは、商業的な欲だったのかもしれない。腐っても鯛ではあるものの往年の作品の凄味を知る者には、少しばかり悲しい気がする。かつてのダイナミックな映像叙事詩から、叙情性を湛えた劇映画にそのスタイルを変化させてくるにつれ、作品の主題は解りやすく鮮明になってきている。けれども、作品の語り口自体は充分に説明をしつくさない、換言すれば、観る側の想像の可塑性を妨げない曖昧さを保持するという姿勢を崩さないでいる。それはそれで、彼の持ち味なのだが、この作品ほどに主題が明確なものに、こういう語り口がふさわしかったのかどうか。
 そういう語り口というのは、明確な形では捉えきれぬほどにスケールの大きな主題を持つ場合にのみ有効なのではなかろうか。結局、例の男が失踪した元政治家だったのかどうか、くだんの結婚式は、村の行事としてのものなのか実際に結婚を宣言するものなのか、曖昧なままに作品は終る。そういう物語の判かりにくさが作品の解りにくさに直結してしまう観客を生むことは半ば避け難いことで、その場合、例えば『旅芸人の記録』などには、そんなことを問題にもしない、仮によく解らなくても納得させてしまうだけの圧倒的なインパクトとスケールがあったが、『こうのとり、〜』にはそこまでのものはないと言わざるを得ない。それ故に観客を納得させられないという部分を、語り口は変えずに、著名な役者を使ったり、眩いばかりのドレスを使ったりしても、何の助けにもならないばかりか、むしろ逆効果であったという気がする。
by ヤマ

'93.5.14. 県民文化ホール・グリーン



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