『故郷』['72]
監督 山田洋次

 過日、TOKYOタクシーを観たところ、半世紀前の倍賞千恵子を観たくなって、十二年前に観た家族しか観ていない民子三部作の第二作を観ることにしたものだ。

 すると、TOKYOタクシーならぬ瀬戸内石船の物語で、その奇遇に驚いた。むろんTOKYOタクシーのラストのような果報は訪れないのだが、どちらも人の生の来し方行く末に想いを致すことを促してくれる作品だと思った。

 三十路に入ったばかりの倍賞千恵子は、とても若く美しいのに労働者風情が似合うという不思議な女優さんで、夫の精一を演じた井川比佐志ともどもに、演じている感じがなく、只管せっせと働いているように感じられるところが凄い。だから、ドキュメンタリーを観ているような感じさえ受けるのだが、そのなかにあって、およそ能弁とは思えない大和丸船長の精一が、生まれ育った島で代々受け継いできた生業を断念し、故郷を発たなければならなくなった“時代の流れ”や太刀打ちできない“大きなもん”に対する恨み言を述べる、いささか芝居掛かった台詞の出てくる場面が印象深い。

 昭和二十八年に造った大和丸も十九年になると言う場面があったから、舞台設定は、昭和四十七年すなわち1972年の本作製作時点と重なるわけだ。高度成長期も終え、日本が経済大国になって“東洋の奇跡”と言われるようになった時分の物語だ。

 それにしても、最初と最後に現れた石船による埋め立て作業の異様には驚いた。宇品の海を埋め立てるための石材を沈めるのに、相当な量を積んだ船体を傾けてまるでダンプカーのような傾斜をつけて落とし込むのだから、操作タイミングを誤れば、転覆させかねない荒業だった。これを船長と機関長の夫婦二人で幼子を船に乗せたままやっているのだから恐れ入る。五十三年も前のことだと言っても僕が十四歳の時分だから同時代を過ごしているわけだ。原作ともクレジットされていた山田洋次は、おそらくこの異様を目の当たりにして本作を撮ろうと思ったのではなかろうか。
by ヤマ

'25.12.11. BS松竹東急よる8銀座シネマ録画



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