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『伊豆の踊子』['60](松竹)
『伊豆の踊子』['67](東宝)
『伊豆の踊子』['74](東宝)
『伊豆の踊子』['63](日活)
監督 川頭義郎
監督 恩地日出夫
監督 西河克己
監督 西河克己

 田中絹代、美空ひばり、鰐淵晴子、吉永小百合、内藤洋子、山口百恵と六人の女優による映画化作品があるという「伊豆の踊子」のうち、僕が観ているのは、十三年前に観た山口百恵版だけだったので、初めて観る鰐淵晴子版を興味深く観た。

 昭和初年、修善寺から下田までの数日を描いた作品は、橋で擦れ違う薫(鰐淵晴子)と水原(津川雅彦)【修善寺】、参道での擦れ違い【修善寺】、河原での遭遇と洗髪目撃【湯ヶ島】、露天風呂での板一枚隔てた入浴【湯ケ野】、峠の茶屋【天城】と五回の遭遇で互いに気に掛けながら一言も交わさず、天城峠のトンネルのなかでようやく言葉を交わし、笑い声を響かせるに至る運びになっていた。

 山口版で五目並べだったものが、より子供っぽいおはじき遊びになっていたが、旅芸人の浮き草稼業の辛苦は、山口版よりも重く描かれていた気がする。別れの出航を見送った後の最後に歌われていたのは♪君恋し♪だったのだが、昭和初年にこの歌が既にあったのだろうかと調べてみたら、昭和元年リリースながら、フランク永井の歌唱で僕の耳にも馴染みのある、本作で歌われていた歌詞とは別物だったようだ。改めて山口版も再見するつもりだが、僕は、山口百恵の薫のほうがあどけなさにおいて優っていて、好いように思った。可憐さでは、鰐淵晴子のほうが優っていたような気がする。

 ところで、水原が言っていた夏の大島行の約束は、果たして守られるのだろうか。きっとそうはいかないのだろうという予感を漂わせていたように思う。また、会津磐梯山は宝の山よ~との唄での御座敷踊りで、四角いカスタネットのようなものを使った鳴子踊りをしていたのが目を惹いた。あれは何という楽器なのだろうと気に掛かった。


 山道を着物姿の下駄履きで歩く二十歳の「私」(黒沢年男)の姿で始まった内藤洋子版は、いきなり天城越えに向かう茶屋の場面から始まり、抜きつ抜かれつの道中では声もなく、トンネルを抜けた後の湯ケ野の温泉宿で初めて薫(内藤洋子)と言葉を交わす二人だった。その湯ケ野の川向こうの共同野外風呂から全裸で跳ねながら手を振る薫の屈託のなさに、子供なんだなぁ、子供なんだなぁと笑う「私」の見せる安心したような自責を滲ませたような複雑な笑顔がなかなか好かった。

 鰐淵晴子版では、たつ(桜むつ子)率いる旅芸人の浮き草稼業の辛苦が描かれていたが、内藤洋子版では、その旅芸人以上に酌婦の悲惨な境遇が描かれていて、原作にはいなさそうな、僅か十六歳で死に至るお清(二木てるみ)に心痛める薫の姿が印象深い。一高生の「私」が踊子と戯れる遊びは、鰐淵版のおはじき遊びから五目並べに変わっていたが、可憐とあどけなさを併せ持つ内藤洋子の踊子は、鰐淵版・山口版を凌ぐ嵌り役のように感じられた。お時(園佳也子)率いる五人の女中・酌婦との混浴に狼狽する「私」の風情が可笑しく、酌婦のお咲(団令子)が悼むお清への想いが哀れだった。病死というよりは生きているより死んだほうが楽だとの思いからの自死に近い無茶をしての夭折として描かれていた。

 別れの港では言葉を交わすこともなかった鰐淵版と違って、きちんと見送りに来たことへの礼を述べ、別れた船中で思い返して涙する「私」と、御座敷で太鼓を打ちながら空けたような思い詰めたような無表情をみせる薫で締める内藤版のほうが深みがあったように思う。物乞い 旅藝人 入るべからずの看板が湯ケ野村から下田村に変わっていたが、その前の山中の水飲み場で、踊子たちを率いるお芳(乙羽信子)が言っていた女の後では汚いだろうと思って…との台詞は、原作にもあるのだろうか。また、薫が繰り返し繰り返しねだっていた書生との活動行を邪魔立てした芳のエピソードも原作にあるのかどうか、確かめてみたい気がした。この場面の芳と栄吉(江原達怡)を描くために、薫を義妹ではなく実妹の設定にしていたのかもしれない。

 それはともかく、鰐淵版を観て気になった、カスタネットのような楽器が、特典映像のプレスシートで「四ツ竹」と記されていて疑念の解けたことが収穫だった。


 そこで書棚にあった文庫本を紐解いてみると、原作小説の運びと記述により忠実な内藤版が、原作小説にはない酌婦(お清・お咲・お雪(酒井和歌子))を登場させて、二十歳の一高生と十四歳(P19)の踊子の純愛ものというよりは、男たちに蔑ろにされ弄ばれる生を余儀なくされ、自らも汚れある賤しき身と卑下している女たちの哀しみと憤りを描いた意欲的な作品になっていることが確認できた。

 純愛ものとしては、原作小説の冒頭道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思うと(原作は「ころ」)、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。私は二十歳、たった(原作にはなく出で立ちを描出)一人伊豆の旅に出てから四日目のことだった。を語るナレーションで始まる本作と違って、天城の茶屋に至るまでの私はそれまでにこの踊子たちを二度見ているのだった。最初は私が湯ヶ島へ来る途中、修善寺へ行く彼女たちと湯川橋の近くで出会った。その時は若い女が三人だったが、踊子は太鼓をさげていた。私は振り返り振り返り眺めて、旅情が自分の身についたと思った。それから、湯ヶ島の二日目の夜、宿屋へ流して来た。踊子が玄関の板敷で踊るのを、私は梯子段の中途に腰をおろして一心に見ていた。――あの日が修善寺で今夜が湯ヶ島なら、明日は天城を南に越えて湯ケ野温泉に行くのだろう。天城七里の山道できっと追いつけるだろう。そう空想して道を急いで来たのだったが、雨宿りの茶屋でぴったり落ち合ったものだから、私はどぎまぎしてしまったのだ。P6)と済ませている部分を丹念に描いていた鰐淵版のほうが、幾度も相まみえながら言葉も交わさぬままに互いの思いを募らせていく二人の純情と気後れを巧みに描き出していたように思う。

 だが、原作小説そのものは、はなはだしい軽べつを含んだ(茶屋の)婆さんの言葉が、それならば、踊子を今夜は私の部屋に泊まらせるのだ、と思ったほど私をあおり立てたP8)とあるように、決して初心で禁欲的な学生ではなかった。かといって肉欲に浅ましく下卑たところは微塵もない若者であったことに間違いはない。

 学生を「書生」と呼ぶことに違和感があったが、踊子一行を率いる四十女が、「書生さんの紺飛白はほんとにいいねえ。」と言ってP11)いた。板塀を隔てて入浴していた鰐淵版に対して川向こうから全裸で飛び跳ねながら手を振る内藤版は…指さされて、私は川向こうの共同湯のほうを見た。湯気の中に七八人の裸體がぼんやり浮かんでいた。 ほの暗い湯殿の奥から、突然裸の女が走り出して来たかと思うと、脱衣場のとっぱなに川岸へ飛びおりそうな格好で立ち、両手を一ぱいに伸ばして何か叫んでいる。手拭もない真裸だ。それが踊子だった。若桐のように足のよく伸びた白い裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、ほうっと深い息を吐いてから、ことこと笑った。子供なんだ。私たちを見つけた喜びで真裸のまま日の光の中に飛び出し、爪先きで背いっぱいに伸び上がるほどに子供なんだ。私は朗らかな喜びでことこと笑い続けた。頭がぬぐわれたように澄んで来た。微笑がいつまでもとまらなかった。P15)と綴られている原作に忠実だ。二人が交わす遊びも五目並べだった(P17)。鰐淵版をおはじき遊びにしていたのは、全裸で飛び跳ねる無邪気さに替えて子供っぽさを際立たせる場面としての意図からなのだろう。旅芸人一行の関係も…あの上の娘が女房ですよ。あなたより一つ下、十九でしてね、旅の空で二度目の子どもを早産しちまって、子供は一週間ほどして息が絶えるし、女房はまだ体がしっかりしないんです。あの婆さんは女房の実のおふくろなんです。踊子は私の実の妹ですが。P19)と栄吉が言う原作に忠実なのは内藤版で、鰐淵版の千代子(城山順子)のように道中での流産ではなく、薫は彼女の妹ではなかった。

 鰐淵版にはなく、内藤版で気になった「女の後では汚いだろうと思って…」との台詞はさあ、お先にお飲みなさいまし。手を入れると濁るし、女のあとはきたないだろうと思って。P28)とそっくりそのままあるばかりか、一口でも召し上がってくださいませんか。女が箸を入れてきたないけれども、笑い話の種になりますよ。P32)との台詞もあった。内藤版で酌婦の話を盛り込んできたのは、こういったところに滲み出ている女性蔑視の当時の風俗を描き出そうとしてのことで、原作小説で「なんだって。一人で連れて行ってもらったらいいじゃないか。」と、栄吉が話し込んだけれども、おふくろが承知しないらしかった。なぜ一人ではいけないのか、私は実に不思議だった。P32)と記してあるだけの芳と栄吉の遣り取りを具体的な応酬にして一つの見せ場にしてあるのもそれゆえのことなのだろう。薫の活動につれて行ってくださいね。が原作小説では一度しか出てこないのに、内藤版では繰り返し繰り返し薫に言わせているのも、その邪魔立てを芳が行うのが単純な嫌がらせではないことを際立たせるためのものだったに違いない。なかなかよく出来た脚色だと思った。聞くところによれば、原作にはないお清のエピソードは『温泉宿』という作品にあるものらしい。

 鰐淵版で湯ケ野村、内藤版で下田村になっていた立札については、原作小説では途中、ところどころの村の入口に立て札があった。――物ごい旅芸人村に入るべからず。P30)となっていた。子供たちが旅芸人一行を囃し立てる場面は鰐淵版・内藤版ともにあったのに、原作にはなかった。山口版がどうだったか覚えてないので、再見時に気に掛けておこうと思った。


 その山口百恵版は、踊子が四ツ竹を握って踊る姿で始まっていた。同じ東宝作品だからか、松竹作品の鰐淵版とは異なる内藤版と同じく『温泉宿』を折り込んだものになっているのだが、お清をおきみ(石川さゆり)に替え、酌婦の辛苦をぶちまけるお咲までは登場しない形を取ることによって、旅芸人以上に酌婦の悲惨な境遇が前面に出てくるバランスを補正した作品になっていた。内藤版で酒井和歌子が演じていたお雪も自ずと登場しなくなるわけだ。原作小説にあった“穢れた存在としての女”を表わす言葉も、もちろん割愛されている。単独記名だった若杉光夫の脚本では、社会的主題を排して百恵友和による純愛路線を前面に出す配慮がなされたのだろう。アイドル映画であっても社会的主題を前面に出してくる'60年代との違いが際立っていたように思う。

 原作小説にはなかった“子供たちが旅芸人一行を囃し立てる場面”については早々に立札が登場し、子供たちの囃し立ても出てきたが、最も詳しく描出していた鰐淵版どころか内藤版ほどにも描かれず、一応踏まえているというくらいの描き方だった。

 特徴的だったのは、「私」のナレーション部分だ。宇野重吉が担うことで回顧談としての運びが前面に出て来ていた。加えて、内藤版のナレーション部分が原作小説に即していたのに対して、本作では、小説にはない言葉がかなり付加されていて、最初のほうでの私が踊子の顔をはっきりと見たのは、このときが初めてであったとの湯ヶ島の件や、翌朝には下田を離れることを薫に言い出しかねている心境の独白など、原作にはない「説明」が加えられ、昭和初年とクレジットされていた鰐淵版に対し、大正の末と明言していた。旺文社文庫の巻末に添えられていた年譜によれば、川端康成が本作を書く元にした旅芸人の一行と道連れになった伊豆への旅は、大正七年、川端十九歳の秋とのことだから、昭和初年は、やはり♪君恋し♪に引っ張られてのことだったのかもしれない。


 この山口版を撮った西河監督による日活作品である吉永小百合版を観たところ、『温泉宿』を折り込んでいるばかりか、西河克己自身が脚本参加もしていて、十一年後の山口版は、言わばセルフリメイク作とも言えそうな造りだったことが興味深かった。宇野重吉が講義をしている現代の場面から始まり、ダンサーと結婚しようと思うから仲人役を買ってほしいと教え子から頼まれて四十年前のことを思い出すという設えだ。

 1963年の四十年前なら1923年だから、大正末期だ。旅芸人の踊子など、もういなくなっていると思いがちな観客に向けて、今も旅回りをしている踊子がいることを暗示した秀逸さはあるものの、少女歌劇出身で本格的なバレエダンサーを志すクラブダンサーであるという中途半端さが引っ掛かったし、宇野重吉で始まり、宇野重吉で終える映画の仕立ては、あまり美しくはない。それを反省してのことのような山口版での宇野のナレーター起用だったのかと得心した。

 脚本クレジットは、西河克己・三木克巳となっていたが、三木克巳というのは、内藤版で恩地日出夫と共同脚本を担っていた井出俊郎の別名らしい。されば、内藤版は井出俊郎におけるリメイク、山口版は西河克己におけるリメイクになるわけで、三作ともが『温泉宿』を折り込んだ作品になっていることへの納得感も湧いた。そして三作に共通して原作にはない子供による囃し立てがあることにもだ。

 内藤版でも山口版でも割愛されていた、薫(吉永小百合)が客と同衾している様子を夢に見る場面は、ないほうがいいように感じたし、共同浴場から素っ裸で飛び出した踊子のことを子供なんだP15)と言うのが栄吉(大坂志郎)だったりするのは、原作からしても学生(髙橋英樹)のほうがいいと思った。彼が終始、学生服なのも内藤版でも山口版でも着物だったリメイク版のほうが原作の紺飛白に即している。学生と遊びたくて身体も洗わずに風呂を済ませる薫の入浴場面があったが、その有様を芳(浪花千栄子)が「雀の行水」と言うのが耳についた。「烏の行水」の誤用と思われるが、母の芳の教養度を示すものとして使ったのだろうか。あるいは逆に、年端もゆかぬ半人前を“雀”と洒落てみせたのかもしれない。また、内藤版では原作通り「女のあとはきたない」にしていた台詞が女の後だったら気持ちが悪いだろうと思いましてねと変えられてもいた。そして、二人の別れの場面は、鰐淵版同様、一言も言葉を交わさないものだった。

 吉永小百合の薫は、確かに美しいけれどもあどけなさに無理を感じる大人びた風情が、伊豆の踊子には相応しくない気がした。原作で十四歳と明記されていた歳を十六歳に引き上げて近づけていたが、当時十八歳だったと思しき吉永小百合は、四女優のなかでも最年長で、十五歳だった鰐淵晴子・山口百恵、十七歳だった内藤洋子との年の差以上に臈長けていたように思う。内藤版で十六歳だったお清(十朱幸代)も十七歳にしてあったが、原作小説の『温泉宿』では何歳の設定だったのだろう。


 そこで、課題作として四作品を選定した合評会主宰者に貸してもらった小説を読んでみた。すると、冒頭彼女等は獣のように、白い裸で這い廻っていた。新潮文庫 P48)で始まるばかりか、のっけからいきなり溝に跨ってしゃがみ、流れに音を流しながらP48)との放尿場面に出くわして吃驚しつつも、流石は川端康成だと納得した。A 夏逝き、B 秋深き、C 冬来たり、からなる僅か52頁の小品で、『伊豆の踊子』を再読した1970年の旺文社文庫の文字サイズだと40頁くらいにしかならない気がする。

 映画化作品で印象深かったお咲やこの村で体をこわした彼女は、この村で死ぬことを考えていた。可愛がってやった子供たちの群が、柩のうしろに長々と並んで野辺送りをする――その幻を、彼女は寝込む度に描くのだったP62)と綴られたお清も登場するが、中心になっていたのは、お芳からお前また悪い癖だね、食器を洗う川だよP49)と言われていたお滝や風の便りには、男にあちらこちら引っぱり廻された挙句売られたとか。まことに風の便りであるP95)というお雪のほうだったように思う。

 気になっていたお清の歳については明記されていなかったが、十六七の頃から、こんな山深くへ流れて来て、直ぐに体をこわしたお清は、この村を死に場所と思い込むようになった。P100)とあったから、少なくとも十六歳で死んだわけではなかった。一方、お雪については男の客の甘い言葉からも、十六のお雪は、ちゃんとこの紫色のみみず膨れを看て取るのだP71)と明記されていた。

 それにしても、踊子薫の母親の名は、確か原作にはなかったと思うが、そのお芳の名が本作に現れるとは、思い掛けなかった。お時の名も出てきたが、両名とも、映画化作品とは特に関連性はないと思われる人物だった。


 四人が揃った合評会では、主宰者が四作品+1の主要スタッフ・キャストの一覧表に◎○△×の評価を記入する表を準備してきており、何やら研究会というかゼミっぽいねと驚かれながらも、意見交換に重宝していた。これだけの資料を調えてくれていても、あの場面は、どっちの作品だっけといった覚束なさが付き纏う高齢者の集いではあったが、おかげで活発な意見交換が弾み、なかなか愉しかった。評価表については、後日集計して四人のメンバーによるベストスタッフキャストを配布してくれることになった。

 速報によれば、ベストキャスティングは、薫(踊子):内藤洋子、書生:黒沢年男、お芳(一行の座長):乙羽信子、栄吉:江原達怡(たつよし)、千代子:佐藤友美、百合子:瞳麗子、お咲:南田洋子・団令子(同票)、お清:甲乙つけ難し、茶屋の婆さん:吉川満子・浦辺粂子(同票)とのこと。内藤版が圧倒しているなか、作品評価においては、1960年松竹版と1967年東宝版が二票づつの同票となっていることが興味深い。原作小説にはない酌婦のエピソードを入れたほうと入れないほうに分かれた形だ。監督については、内藤版を撮った恩地日出夫に票が集まったけれども、脚本については、田中澄江と井手俊郎・恩地日出夫が同票で並んだのと同じ形になっていた。

 四作品のなかで唯一、踊子が客(郷えい治)と同衾している夢を書生が見る場面のあった吉永版をどう観るか問われ、三年前の鰐淵版が過度に綺麗な純愛ものに仕立てていたことに対する反発というか、川端の『伊豆の踊子』は、そのような甘ったるい作品ではなく苦悶と懊悩が底流にあることを見せたかったのではないか、そのために酌婦のエピソードも加えたような気がすると応えたところ、大いに賛同を得た。ついでに、その吉永版が元になって内藤版と山口版が出来ていて、いかにも映画らしく、その時々の時代性を反映しつつ、井出俊郎・西河克己それぞれの観点からの反省点と拘りを示している気がするとして、具体例を挙げながら話すと、えらく感心された。

 併せ観る機会が得られ、『伊豆の踊子』『温泉宿』ともに読むことができたおかげだ。こうなると、残りの田中絹代版、美空ひばり版、朝吹ケイト版も気になるところだ。田中版・美空版は、YouTubeで無料提供されているし、朝吹版はVHSなら貸せるよと主宰者である高校時分の映画部長が教えてくれた。また一つ宿題が増えたわけだが、ありがたいことだ。
by ヤマ

'25.11.12. スカパー衛星劇場録画
'25.11.13. DVD観賞
'25.11.16. DVD観賞
'25.11.17. DVD観賞



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