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| 『荒野に生きる』(Man In The Wilderness)['71] | |||||
| 監督 リチャード・C・サラフィアン | |||||
| 大砲を搭載した大型船の陸送から始まり、まるで怪作『フィッツカラルド』['82]のようだなと思ったら、1820年の“歴史的事実”に基づく話だとのクレジットが現れた。だが、とても実話だと思えない神話のような物語だった。陸送を率いる毛皮商人ヘンリーを演じたジョン・ヒューストンにいかにも似合った、訳の分からないヘンな映画感満載だったのだが、奇妙な追跡譚の発端となる猟師ザック・バス(リチャード・ハリス)が熊に襲われて瀕死の重傷を負う場面の迫力が今しきりと報じられている我が国での熊被害のニュースと相俟って、圧巻だった。 まだ生きているのに見捨てて行こうとするヘンリー隊長に対し、息も絶え絶えのザックに祈りを捧げ、首飾りを手向けて行った先住民メンバーの与えたものの意味と効用は判ったけれども、幼少時から神を拒んでいた彼に残されていた聖書の持つ意味は何だったのだろう。只の引火材としてあったものではないはずなのだが、追跡劇のなかでも彼が肌身離さず持ち続けた意味が不可解だった。 だが、最も不可解なのはヘンリーとザックの関係で、ヘンリーの語っていたザックの生い立ちからは、ザックが回想するようなグレース(ブルネラ・ランサム)との生活が想像できないし、アリカラ族の族長がザックの生命力に畏敬して解放した後のザックの行動が示していた、ヘンリーなど眼中にない姿と、今度はヘンリーではなくザックに付き従うようにして、ヘンリーから離れていく人々の姿の暗示するものの取って付けた感が妙に可笑しかった。 そういった唐突感の折り込まれた神話的造りは、先ごろ観たばかりの同年の『バニシング・ポイント』['71]にも通じるリチャード・C・サラフィアン作品だったように思う。 本作の元作のように思える『レヴェナント 蘇りし者』['15](監督 アレハンドロ・G・イニャリトゥ)を九年前に観た際に「疲れたぁ~。156分は長すぎやろ。これでもかのグラス(レオナルド・ディカプリオ)の受難の痛さ苦しさに初めのうちは息を呑んでいたけれども、その度を過ぎた不死身ぶりになんだか一晩寝るたびにHPが回復し、試練を超えるたびにHPレベルがアップするロープレを観ているような気がしてきた辺りから少々倦んできてしまった。 「人間はみな野蛮だ」と居直られても困るが、欧米人の野蛮さってやっぱり飛び抜けているような気がしてきたよ、タフさもだけど(苦笑)。いやぁ、実に疲れた(たは)。」とメモを残していたが、その点では、100分以内に収めていた本作は、立派なものだ。映友との談義でも「(レオの頑張りは買うにしても、)イニャリトゥのほうはねぇ(笑)。 あまりの不死身ぶりを見せつけた演出は、どうだったんでしょうねー。ダメージの強烈さをこれでもかとやったために、不死身が際立った気がします。そんなやりすぎ感が、寝息というか鼾で始まり、同じような息遣いの音で終わっていた本作を、もしかしたら、グラスの夢物語のようにさえ思わせることに繋がってた気がします(笑)。」としていたが、圧巻の不死身ぶりは本作でも相当なものではあった。 そのようななか、両作の一番大きな違いは、荒野に置き去りにされた不死身の男の復活と復讐の物語にしていた『レヴェナント』に対して、本作でのヘンリー隊長への復讐など眼中にない“妻の元に還ろうとする不屈の意志”を見せていたザックの姿だったように思う。僕の好みとしては、断然こちら側なのだが、リチャード・C・サラフィアンの語り口に今ひとつフィットしないところが残った気がしている。 | |||||
| by ヤマ '25.11.20. BSプレミアムシネマ録画 | |||||
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