『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界
 (Beyond the Visible - Hilma af Klint)['19]
監督 ハリナ・ディルシュカ

 チラシの裏面に記された20世紀初頭、唯一無二のビジョンを確立し、カンディンスキーやモンドリアンより早く、独自の手法で抽象的絵画を描いていた画家がいたとの大文字見出しを読み返しながら、そもそも抽象絵画というのは何を以て言うのだろうと思わずにいられなかった。文様やデザインということなら、20世紀を待たずともいくらでもあるのだし、本作を観た限りにおいては、ヒルマ自身に「抽象」という意識も概念もなく、その残している言葉からは、ただひたすら世界を模索していた感じだった。抽象というのは、抽象絵画の存在を経験した後年の人々が彼女の作品に対して抱いた印象であって、彼女自身の製作動機とは異なるもののように感じた。

 1862年生まれのヒルマが『原始的な混沌』を描いた1906年は、カンディンスキーが「抽象」という言葉を使った1911年に五年先駆けているのは間違いないが、死後二十年の封印という遺言を守った遺族が公開した後に知って「発見」した気になっている人々が、見た目と話題性から抽象絵画と結びつけただけのことのような気がしてならない。そういった文脈に立っての話だが、本作において、ルドルフ・シュタイナーを通じてヒルマがカンディンスキーに啓示を伝えたのではないかとの見解を、可能性として提示していることが目を惹いた。

 2019年製作の本作は、同年にグッゲンハイム美術館で開催された回顧展での大盛況を受けてのものだと思われるが、ヒルマの遺言は死後二十年の封印であったことからすれば、1964年には解禁されているわけで、そこから半世紀余り黙殺されてきたということは言えるかもしれない。遺言とともに遺品の全てを受け継いだと思しきヒルマの甥の妻ウラとその息子ヨハンの証言からは、そのことへの悔しさが滲み出ていた気がするが、遺族感情としては当然のことだろう。そのあたりを汲み取った形で熱弁を奮っていた美術評論家のユリア・フォスの言葉には、とても力があったように思う。

 だが、カンディンスキーやモンドリアンと並べて美術史のなかでヒルマを語るよりも、彼女の製作動機や手法・指向についての研究のほうが興味深く思えた。その点から配されていたと思しき科学史家エルンスト・ペーター・フィッシャーのコメントが面白かった。どうやら霊媒師にもなっていたらしいヒルマの神智学への関心と個別作品との関連について、もう少し掘り下げたものに本作がなっていれば、もっと興味深い映画になっていたような気がする。

 ともあれ、一挙に展示されていた、百年以上前のヒルマの作品群の壮観には圧倒された。よく残っていたと思うし、よく残していたものだと遺族に感心した。本作に捉えられた大回顧展から六年経った今、彼女の作品群への研究は、どこまで進んでいるのだろう。
by ヤマ

'25. 7.31. キネマM



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