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『骨なし灯籠』['23] | |||||
脚本・監督・編集 木庭撫子 | |||||
不慮の事故で喪くした妻ゆかり(まひろ玲希)の遺骨を抱えて彷徨う元美術教師の市井祐介(水津聡)を骨なしと呼んでいたのは、あかりを名乗る霊のゆかりだったか、灯籠職人の師匠たる友恵御前(たむらもとこ)だったか。骨なし灯籠というのは竹や木材を使わずに和紙と糊だけで作る山鹿灯籠の別名らしいが、その優しく繊細な細工は確かに祐介に似合っていたように思う。前日に観たばかりの長崎が舞台の『夏の砂の上』も喪失の物語だったが、焦れて苛立ち渇きに喘ぐ喪失とは異なる流離を描いて味のある作品だったように思う。 地域プロデュース作品らしい手作り感と温かさに溢れていて、人の風情と街の景色に“好か味”のある映画になっていたような気がする。当地出身のまひろ珠希もなかなかよかったが、友恵御前を演じたたむらもとこが醸し出していた貫禄と生活感を同居させた人物造形に感心した。霊人たちの人物造形に何処か現実離れした感じが付いて回っていたところにも感心した。 灯籠師見習の好漢直樹(高山陽平)が師匠から一人前を認められた際に母親(正木ゆか)が言っていたように思う「自信を持て。過信をするな、動じるな」は、とても有意な処世訓だという気がする。熊本の山鹿温泉には行ったこともないが、八月十五、十六日に行われるらしい千人灯籠の踊りと凝った灯籠の展示を観てみたい気にさせる映画だったように思う。 すると高校の新聞部の先輩が「ね、これ観たら山鹿へ行きたくなりますよね。4月の土佐酒の会で、同じテーブルにきれいな女性がいたので、「あなたはだぁれ」と話しかけたら、女優をやっていて、映画がもうじき公開になるから観てくださいね、と言われていて、やっと約束が守れました。それがまひろ玲希さんでした。山鹿の町と登場人物がとても素敵で、いい映画だと感動しました。あかりの正体について、途中にいろいろと伏線がしかけられていて、それが面白くて、正体がはっきりした時「な、やっぱりそうやったろ」とうなづく自分がいて、それが楽しかった。」と寄せてくれた。 僕が先ごろ湯の峰温泉に行ってきたばかりだから、というわけでもなかったようだ。少なくとも古道歩きよりは灯籠観賞のほうが、僕の趣味には合っている。先輩のコメントにあったまひろ玲希さんには何年か前に僕も一度お目に掛かったことがあって、UCHIDA映像プロデュース代表の名刺が手元に残っている。小学時分の近所に内田塗装店があって少し下の学年に内田君がいたけど、という話をすると御親戚のようだった。先輩には「霊人、よかったですよねー。見える人、見えない人、見える時、見えない時があって、霊人の側でも遺族の側でも思うに任せられないのがいいなか、治が直に言葉を交わせられたことの稀有を引き立てる友恵御前の亡夫(にしやうち良)と直樹の亡父(山本直人)の存在が利いてました。治からの「ぐいぐい来ますねぇ」「年も取るんですか?」との突っ込みも(笑)。」と返した。 また、「大切な人を亡くした人たちの映画の九州編やねぇ。」と寄せてくれた高校時分の映画部長が、本年半ばにおいて暫定ベスト1とまで惚れ込んでいた。長崎も熊本も一応は行ったことがあるのだが、山鹿温泉については、全く知らずにいた。同じ九州でも、こちらは灯籠流しで、長崎は、さだまさしの歌によれば、精霊流しとなるようだ。当地にもそのような風習があるのだろうか、あまり覚えがない。 | |||||
by ヤマ '25. 7.13. キネマM | |||||
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