県立美術館秋の定期上映会 “異才たちの宴 ポーと乱歩とビアズリー”
https://moak.jp/event/performing_arts/post_562.html

【Aプログラム】
・『アッシャー家の末裔』[1928]
(La Chute De La Maison Usher)
監督 ジャン・エプスタン
・『黒蜥蜴』['68] 監督 深作欣二
【Bプログラム】
・『モルグ街の殺人』[1932]
(Murders in the Rue Morgue)
監督 ロバート・フローリー
・『黒猫』(The Black Cat)[1934] 監督 エドガー・G・ウルマー
 ほぼ100年前の特撮映画『アッシャー家の末裔』は、スモークの演出が実に見事だった。逆回しを使っている部分があったように思うが、逆に回そうが順に回そうが、あのスモークの動きは、どうやって作ったのだろう。なんとなく絵柄からドイツ映画かと思っていたら、フランス映画だった。

 続いて観た『黒蜥蜴』は、三年前に次作『黒薔薇の館』['69]を観た際にこれが田村正和と丸山明宏の『黒薔薇の館』か、と半世紀前の映画を初観賞。実に思わせぶりな黒と赤の物語だった。 黒薔薇の館の主の息子である亘(田村正和)の父佐光喬平(小沢栄太郎)が、藤尾竜子(丸山明宏)を息子に寝取られて洩らす「哀れなめくらの情熱」にしても、亘の兄(室田日出男)が父親に逆らった弟の行状を観て零す「羨ましい」にしても、迫ってくるところに乏しい凡作だったような気がする。 竜子に全く魅せられなかったからなのだろう。亘の元婚約者だったらしい玲子(松岡きっこ)のほうが余程よく感じられた。これも未見のままの『黒蜥蜴』のほうは、どうなんだろうなぁ。と記していた映画だ。

 思い掛けなくスクリーン観賞できたわけだが、先ごろシリーズ全作観賞を果たした、1977年に始まったテレビ朝日系「土曜ワイド劇場」の“江戸川乱歩の美女シリーズ”における明智小五郎が変装を解く場面の原型は、本作だったのかと感心した。土曜ワイド劇場で『黒蜥蜴』を扱ったのは第8作悪魔のような美女で、黒蜥蜴こと緑川夫人を演じた小川真由美がさすがの貫録だった。本作の丸山明宏もなかなかのものだったように思う。土曜ワイド劇場以上にさまざまな倒錯が画面に塗り込まれていたが、黒蜥蜴の明智に対する倒錯的な恋慕は、土曜ワイド版よりも葛藤が濃密な気がした。早苗を演じた松岡きっこも土曜ワイド版の加山麗子ほどの露出はないながらも、トランクに詰められた裸身の風情は、下着姿で転がり出ていた土曜ワイド版よりも妖しい趣があったように思う。

 土曜ワイド版のオープニングが剥製人間の館だったことに対して、こちらはオープニングの怪しげな秘密クラブで、入口の意匠からしてビアズリーだったのだが、終盤で現れた剥製人間の館の剥製の一つを三島由紀夫が演じ、黒蜥蜴の丸山明宏と唇を重ねていて驚いた。最後に明智(木村功)が言う本物の宝石は死んでしまったとの台詞の指す宝石は、エジプトの星と呼ばれる秘宝ダイヤではなく黒蜥蜴のことだったわけだが、確かに妖しい美しさを湛えた丸山明宏だったように思う。

 すると、土曜ワイド劇場での美女シリーズの天知茂版を第1作から第19作まで撮った井上梅次監督が、京マチ子で『黒蜥蜴』['62]を映画化している大映作品があると教わった。それならば、深作版に六年先んじる井上版を観て確かめておかないと、美女シリーズ定番の変装解きの場面の元ネタが深作版とは言えない可能性があるかもしれないと思った。


 Bプログラムは、両作ともユニバーサル映画だったから、堂々たるハリウッド作品なのだが、娯楽性のなかにある欧州風味のアーティスティックな画面作りに意表を突かれるとともに、大いに感心した。先に観た『モルグ街の殺人』など、ルノワールの『ピクニック』['36]を想起させるようなショットが、同作に先駆けて現れていて吃驚した。

 また、RKOの『キングコング』['33]に一年先駆けて、美女カミーユ(シドニー・フォックス)をさらって屋上に逃げ出す大猿を画面に現出させていた本作は、もしかすると『キングコング』の元ネタなのかもしれない。ポーの原作ではオランウータンらしいのだが、オランウータンの大きさではなかった。加えて、H.G.ウェルズのモロー博士を思わせるマッドサイエンティストたるミラクル博士(ベラ・ルゴシ)の配置も原作にはない趣向のようで、なかなかのものだ。

 事件を捜査する警察のピンボケぶりを描いた場面での証言聴取において、イタリア語を話せずイタリアに住んだこともないという男が、イタリア語の会話だったと証言し、イタリア語を話せる男が、デンマーク語を話せずデンマークに住んだこともないくせにデンマーク語の会話だったと言い、デンマーク語を話せる男が、ドイツ語を話せずドイツに住んだこともないくせにドイツ語だったと断言する有様に、古今東西に共通する“人々の証言”のあてにならなさと思い込みの激しさを想起させられ、巧いと思った。ひとつの証言の有無によって担保される事実性など、何も無いことを痛感する。証言というものは、その集積と照合こそが重要だとつくづく思う。迫真性とか秘密の暴露の類は、捏造や思い込みによっても容易に果たせることだ。

 続いて観た『黒猫』では、原作にはなかったと思われるショーケースに吊るした死体というか標本人形が現われて吃驚した。まさしく江戸川乱歩の『黒蜥蜴を思わせるもので、映画『黒猫』の日本公開を調べてみると、1934年9月13日とのこと。乱歩の『黒蜥蜴』の初出は、『日の出』(1934年1月号-12月号)とのことだから、どことなく、人形とは違った、恐ろしいようなところがあるでしょう。早苗さんは、剥製の動物標本を見たことなくって? ちょうどあんなふうに人間の美しい姿を、永久に保存する方法が発明されたら、すばらしいとは思わない?という黒蜥蜴の台詞が出てきた頃と時期を同じくするわけで、ポーを自らの筆名にしている江戸川乱歩が映画『黒猫』を観ていないはずもなく、まことに興味深い符合に、元ネタはここにあったのかという気がした。

 高名な建築家ポールジッグ(ボリス・カーロフ)の屋敷の佇まいのモダンさといい、精神科医ワーデガスト(ベラ・ルゴシ)との因縁といい、実に乱歩好みの趣で、エドガー・アラン・ポー原作ではなく、江戸川乱歩の美女シリーズにありそうな仕立てだったことが面白かった。
by ヤマ

'25.11.15~16. 美術館ホール



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