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『ドマーニ!愛のことづて』(C'e Ancora Domani)['23] | |||||
監督 パオラ・コルテッレージ
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てっきり逃避行かと思いきや、投票行動だった。奇しくも日本の国政選挙もここまで堕ちたかと思うような今回の参院選の投票に出向いてきた直後に観たものだから、余計に意表を突かれた気になった。 ドマーニというのが主人公の名前なのかと思っていたら、イタリア語で明日という意味らしい。主人公の名はデリア(パオラ・コルテッレージ)だった。ドマーニを名前だろうと思ったのは、五日ほど前に再見したばかりの『テルマ&ルイーズ』['91]のせいかもしれない。 テルマが爆破したのはタンクローリーだったが、デリアが爆破したのは、娘マルチェッラ(ロマーナ・マジョーラ・ヴェルガーノ)の婚約者の羽振りのいい実家の店舗だ。表向き優し気な彼が夫イヴァーノ(ヴァレリオ・マスタンドレア)と同じDV夫になることを予見したことから、破談にするためのテロ行動だった。「ママの人生、死んでもイヤ」と言っていた娘の明日を守るための苦肉の策で、テルマの爆破したタンクローリーに感じるような爽快感はなかったように思う。 それにしても、ろくでなし亭主のイヴァーノだった。オープニング場面でかます激烈な“目覚めの一発”から途切れなく一貫していて、呆れ返るほかない彼の姿がなんとも強烈で、それに甘んじるしかなく過ごしていたデリアが、娘に託したへそくりに「これで[学行]にいける」と綴っていた、教育の機会を奪われていることの偲ばれる様子が痛切だった。 舞台は1946年だったから八十年前のことになるが、今こうして映画化されて破格の支持を集めていることが目を惹く。自国ファーストを謳う右派の伸長が、近年グローバルな広がりを見せているのと軌を一にしているように映る、アンチ「#MeToo運動」とも言うべきミソジニーの顕在化が背景にあって、問題意識を促しているような気がしてならない。昨秋に観た『女の一生』(監督 野村芳太郎)は、モーパッサンの原作をナポレオン流刑の時代のフランスから昭和二十年代の日本に翻案したものだったが、原作小説の主人公ジャンヌの夫ジュリアンの“妻を蔑ろにする姿”は、本作でのイヴァーノやマルチェッラの婚約者に重なるものだったように思う。 その意味でも、何だか気の重くなるような作品だった。「イタリアで600万人が喝采!空前の大ヒット!」と記されたチラシの裏面に謳われていた「女性たちに勇気をもたらす傑作の誕生!」との惹句に、そうも思えない気がしてならなかった。 | |||||
by ヤマ '25. 7.20. 喫茶メフィストフェレス2Fシアター | |||||
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