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令和6年度優秀映画鑑賞推進事業「県文懐かし映画劇場」 https://kkb-hall.jp/event/cinema_biyori_detail.cgi?event_id=2175
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前月に大阪で『侍タイムスリッパー』(監督・脚本 安田淳一)を観て「もう文句なく面白かった。映画愛好は専ら外国映画からだった僕においては、時代劇という点からは日本の侍映画ではなく、米国の西部劇なのだが、そんな僕でも、これだけ廃れゆく映画に対する愛情の溢れる映画には心動かされずにいられない。 単に映画愛を謳い上げるだけでなく、一所懸命に生きる人の姿を讃えている点が好い。 監督になる目標をいつの間にか置き去りにしながら、高坂新左衛門(山口馬木也)の謙虚で真摯な姿に目覚めさせられていた助監督の山本優子を演じていた沙倉ゆうのがとても好かった。」と記したばかりのところへ本年度の国立映画アーカイブの優秀映画鑑賞推進事業のNプログラムの東映時代劇四本立てが来たので、これは見過ごすわけにはいくまいと観ることにした。 一日で時代劇四本は流石に少々しんどいので、とりあえず『沓掛時次郎 遊侠一匹』を一日目に観たのだが、実にスクリーン映えのする映画だと改めて感心した。ローポジションからあおって大きく見せる撮り方を多用しているから、大きな画面で観てこその作品なのだが、今や県内最大とも言えるスクリーン会場での上映だったから、なんだか「これぞ映画を観ている感」を催してきて、思っていた以上に満足した。先頃『喜劇 団体列車』['67]を観たばかりだったから、然して驚きはしなかったが、オープニングに渥美清【身延の朝吉】の登場する本作も東映作品だ。 お話としては通俗の極みなのだが、極めれば自ずと洗練もされるといった体で、友達の話だとして、時次郎(中村錦之助)が居酒屋で女将相手に語るおきぬ(池内淳子)との経緯の酔話に「お前さんのことだとは思っちゃいないよ」と添えつつ女将が意見し、「胸にずんとくる話だねぇ」と洩らす名場面や、おきぬの亭主である六ツ田の三蔵(東千代之介)との一騎打ちで命に替えた頼みを預かる場面での男伊達を交わし合う姿、今わの際のおきぬが紅を差す場面など、歌舞伎的に栄えある見せ場をふんだんに構えていて、なかなか心地が良かった。 十代時分に観ていたら、最後に刀を棄てるくらいなら、三蔵の忘れ形見とおきぬを引き受けて心寄せた時点で足を洗っておけば、坊も孤児になることはなかったろうになどと冷ややかに観て、歯牙にも掛けなかった気がするのだけれども、少なからずの映画を観て歳を重ねてくると、味わい方も随分と変わって来るということなのだろう。 翌日の最初に観たのは、『遊侠一匹』に五年先駆ける『反逆児』。沓掛時次郎以上に中村錦之助の独壇場とも言える作品で、舞って唄って立ち回っての大活躍をしていた。やはり錦之助は悲劇のヒーローがよく似合う。「父家康(佐野周二)が父でなければ父を斬り、母築山殿(杉村春子)が母でなければ母を斬る」と叫んでいた心の引き裂かれた長男の三郎信康を演じて圧巻で、腹を引き裂く最期に圧倒された。奇しくも午前中に観た主人公(江口のりこ)がチェーンソーで切断しようとしていた背丈を刻んだ柱が印象深かった『愛に乱暴』と同じく、背丈の印柱が登場した。仲が良かった当時の親子で刻んだ柱の傷を撫でつつ、母の文字を黒く塗りつぶし、子と刻んで朱を入れる場面が印象深い。 父と母ばかりでなく、今川の血筋に固執し織田を憎む母と信長の娘である妻徳姫(岩崎加根子)との確執の間でも引き裂かれ、あたら長篠の戦での信長の作戦を先取りした鉄砲隊の隊列を組んで武勲を挙げ、信長に警戒されたがために築山御前の謀略を口実に葬られていた姿が哀れだった。築山御前の血筋に囚われた妄執にしても、徳姫の高慢浅慮にしても、愚昧を通り越した怖ろしさがなかなか凄まじく、圧巻だった。 そして、オープニングの合戦にしても、続く城内での戦勝の宴にしても、そのスケール感は、ハリウッド作品にも劣らぬ見事なもので、恐れ入った。 その『反逆児』に三年先駆ける僕の生年作『旗本退屈男』は、二十年ぶりの再見。錦之助が早乙女主水之介(市川右太衛門)の手下の町人役を演じている作品だ。当時の日誌に最大の見所として言及した場面には、その前段に「幕閣の不始末で御上の知らぬ事、では上に立つ者として通らない」との忠宗(片岡千恵蔵)の台詞に「御説御尤も」との主水之介の応答を置いたうえでの、伊達公ともあろうものがかような蒙昧に陥るとは思えないとの上意の伝達であったことを付言しておきたくなったのは、当代の政治家の発する「秘書が…秘書が…」をあまりにも聞き過ぎたせいかもしれない。 今回のラインナップで唯一のモノクロスタンダード作『血槍富士』は、『旗本退屈男』に三年先駆ける作品で、伊達公を演じていた片岡千恵蔵が槍持ち下郎の権八を演じていた。少々コミカルな人情噺かと思っていたら、最後に取って付けたような大立ち回りの場面が現われて呆気にとられたが、それまで主役とするにはエピソード的には弱い感じだった千恵蔵の見せ場として遺憾なきものを繰り広げて有無を言わせないパワフルさがあったように思う。 最初に観た『遊侠一匹』のように生きる場を変え、おすみ(喜多川千鶴)母子と浮浪児の四人の新生活を時次郎とは違って始めるのかと思いきや、討たれた主人酒匂小十郎(島田照夫)の御役を果たそうとする忠義者だった。その顛末に同年作品『下郎の首』との対照を思わずにいられなかった。 そして、ガンマンならぬ槍持ちに憧れる少年を残して去る権八のラストシーンに本作の二年前に日本公開された『シェーン』['53]を想起した。 | ||||||||||
by ヤマ '24.11.4,5. 県民文化ホール・グリーン | ||||||||||
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