『下郎の首』('55)
監督 伊藤大輔

 結城家に仕える下郎の訥平(田崎潤)が主人の仇である磯貝(小沢栄)と見誤ってしまった、用心棒浪人と思しき石谷(丹波哲郎)との約定で手打ちを受けそうになったとき、その身を挺してまで庇い立てをし、「よい主人を持ったな」との石谷からの言葉とともに「首尾を遂げるまでの預かりとしておこう」と咎めの赦免を引き出してくれたほどの結城新太郎(片山明彦)が、いかにして訥平を見捨てる書状をしたためるに至ったのかという、新太郎の落ちぶれと葛藤を充分に描いていれば、不朽の作品となったような気がする。だが、須藤厳雪と名を改め、門弟を構え羽振りをきかせていた磯貝の妾お市(嵯峨三智子)と訥平という下層民の情の通い合いと真心の描出に重きを置くこと以上に、“忠義の空しさ”を主題的に強調していたことが、既に時代的に合わなくなり、作品が古びてしまっている気がして仕方がなかった。

 確かに当時は、“忠義”という美徳の空しさへの気付きを促すことには、社会的な意義さえもあったように思われるが、今や“忠義”などというものが凡そ失われてしまうに至り、かつてのように忠義への囚われが、社会正義や個人の幸福の実現あるいは社会変革の足枷となってしまうような文化的背景をすっかりなくしているように感じられる。だから、僕などのように、製作当時に生は得てなくともその当時の状況を偲べる程度には生年が近いものはまだしも、いま訥平や新太郎と同年代の者が観ると、空しさよりは愚かさが先に立つ形でしか映らなくなっているような気がしたからだ。

 そんなわけで観終えた直後の僕の本作に対する評価は決して芳しいものではなかったのだが、サイレント時代に映画化していた自作を新しく書き直しての'55年の再映画化作品であることを、上映会主催者の配布したチラシで知ったことから、やにわに触発されてくるものがあった。

 もしかすると本作は、敗戦後十年、保守合同で自民党が誕生し、逆コースの作り上げたものが体制として一定の枠組みを構築するに至った時点で、敗戦によって民衆に与えられたはずのデモクラシーが瞬く間に逆コースによって形骸化される状況になったことが、日本人のメンタリティのどこに起因するのかを問う意味で、極めて強い時代性意識のもとに作られた映画だったのかもしれない。

 そうしてみると、製作時と同時代に観て感じる作品の古さとクラシック作品に感じる古さというものには本質的な違いがあるような気がする。確かに本作は今や古びてしまっているのは間違いないのだが、それは時代の変化によって生じているものであって、当時の時代性を色濃く宿していたからに他ならない。映画という表現に顕著に見出される重要な価値の一つに“同時代性の体現”というものがあると僕はかねがね思っているが、それを果たしていればこそ時代が変化することで古びてしまうのは必然なのだろう。そうしたことで帯びてくる古色というのは、言わば骨董品の醸し出す古さであって、むしろその古色にこそ、時代の証言としての貴重な価値があるとも言えるような気がしてきた。

by ヤマ

'10. 4.18. 龍馬の生まれたまち記念館



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