『ヘアー』(Hair)['79]
監督 ミロス・フォアマン

 これがAge of Aquariusで始まり、The Flesh Failures/Let The Sun Shine In.で終わるミロス・フォアマンの『ヘアー』か。四十三年ぶりに愛と哀しみのボレロを観た勢いで積年の宿題をようやく片付けたわけだが、好みのミロス作品にしては、思いのほか響いて来なくて驚いた。

 耳に馴染んでいるフィフス・ディメンションの歌唱と違っていることに意表を突かれたが、筋立てとしても、あまりピンと来なくて、当時は過激で破天荒だったにしても、今となれば、然程のことにもない気がした。鍛えることを名目に若者たちをいたぶる戦闘訓練なるものに対する嫌悪感は、僕の歳が若者から遠ざかるほどにいや増してきた感がある。それでも、バーガー(トリート・ウィリアムズ)や、ハッドことラファイエット(ドーシー・ライト)たちの生き方への共感はなく、田舎育ちのクロード・ブカウスキー(ジョン・サヴェージ)の純朴さがニューヨーカーたちには新鮮だったにしても、ヒッピー仲間のリーダーのバーガーや金持お嬢様シーラ(ビバリー・ダンジェロ)が見初め、入れ込むことに釈然としない思いが湧いてきて仕方がなかった。

 黒人ハッドの子なのか白人ウーフ(ドン・ダカス)の子なのか、生まれてみないと判らないとしつつ誰が父親かなんて深刻に考えてないの。二人とも素敵だからと性解放の元に悪びれずにさらりと語り戦争みたいな大問題じゃないわ。ムキにならなくても…とハッドの元婚約者(シェリル・バーンズ)を宥めるジーニーを演じていたアニー・ゴールデンには、あの頃感を湛えた伸びやかな魅力があったように思う。Good Morning Starshineの歌唱場面がなかなか好かったビバリー・ダンジェロよりも目を惹いた。

 すると80年の時点でも「出し遅れの証文」感がありましたからとのコメントをもらったのだが、確かに元になったミュージカル作品からすれば、当時においても十年遅れの映画化ではあったようだ。'79年作品だが、日本公開は'80年。とても'80年代風の楽曲でもドラマでもなかったような気がする。

 だが、翌日、55型有機テレビではなく、卓上のパソコンのディスプレイで小窓再生しながらチラチラ眺めていたら、存外悪くないではないかという気もしてきた。積年の宿題というなかで、前夜はついつい過剰な期待が働いていたのかもしれない。クロード出征前のシーラとの逢瀬を図るべくヘアーを切り落として基地に乗り込んできて束の間の身替りを務めてくれたバーガーとの約束を『走れメロス』のようには果たせなかったクロードのなかに残ったものは、やはり“Sun Shine”ではなく“Failure”だったに違いない。ベトナム戦争自体がアメリカの失敗というか、バーガーに訪れた戦死という思惑違いだったように。
by ヤマ

'24.10.15. DVD観賞



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