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『ナミビアの砂漠』 | |||||
監督・脚本 山中瑶子 | |||||
タイトルからして、二ヶ月前に観た『あんのこと』で目を惹いた河合優実がアフリカに行く映画なのかと思っていたら、まるで違っていて面食らった。劇中のスマホに流れ、エンドロールで延々と流される「ナミビアの砂漠」と思しき動画の、タイトルまで担うところの意味合いというのは、いったい何だったのだろう。 まるでピンと来なかったのは、そのタイトルのみならず作品全般がそうで、いまどきの若者の生態をリアルにと言ってしまえばそれまでなのだが、二十一歳の脱毛サロン勤めの加奈(河合優実)のみならず、相手の風俗行きを口実に彼女が同棲解消を果たしたホンダ(寛一郎)にしても、転がり込んできた加奈を当てにして脚本家を目指すヒモ生活をしていた高学歴のハヤシ(金子大地)にしても、これが当世の若者気質だったとしても、些か嘆かわしく目を惹きはしても何とも魅力に乏しく、気が知れないように思った。 憂さ晴らし的馴れ合いかDVか見境の付かない格闘を繰り返していたと思しき加奈とハヤシの乱闘動画をスマホで観ながらルームランナーで汗をかいていた地下室の場面は、よもや現実場面ではないのだろうが、加奈の妄想なのか、ネタにしたハヤシの脚本のなかのシーンなのか、敢えて判然とさせない韜晦的で思わせぶりな作風がかなり気に障った。 初診無料と思しきネット面談によるカウンセラーか心療内科医だかに紹介された割安カウンセリングに足を運ぶほどにダメージを受けていたと思しき加奈の、ホンダが出張中に行ったという堕胎経験は、ホンダの子かハヤシの子か判然とせずに密かに決行したことなのだろう。その負い目がハヤシの部屋で、かつて彼が別の女性に堕胎させたことが発覚して彼女の逆上を呼ぶのだろうが、その写真そのものは、元々押入れの戸袋にあったものではなく、引っ越しで彼女が持ち込んだ段ボール箱のなかから取り出していた加奈のエコー写真だったように思う。「忘れていた」というのは、加奈を慮って咄嗟にハヤシが口にした嘘なのだろうが、却って火に油を注いでいたのが如何にもありそうなことだけれども、ハヤシとしては加奈の堕胎は知らされていなかったのだろうから、閉口するのも道理だ。 優しく生真面目に過ぎるがために面白味がなく気の利いたことも言えない、不動産会社勤めの羽振りは悪くなさそうなホンダに飽き足らず、「僕たちならお互いを高め合える」などと調子のいいことを言いながら、財務官僚と学友の高学歴ながら定職にも就かずにホンダほどに家事も出来ないハヤシに乗り換えながらも、些かうんざりしていたと思しき加奈の苦衷を哀れとは思いつつも、コミットできるところは、まるでなかったし、魅力も感じなかった。 それにしても、男を求めつつ男では満たされないこういう若い女性の生態が一般映画になり、各賞を得て持て囃されるようになったのかと思うと、隔世の感がある。かつてロマポでは普通に描かれていたような気のする女性像なのだが、一般映画では覚えがないのも確かだ。だが、これしきの渇きでもって「ナミビアの砂漠」もないものだと思わずにいられなかった。 | |||||
by ヤマ '24.10.14. キネマM | |||||
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