『グレン・ミラー物語』(The Glenn Miller Story)['54]
『愛と哀しみのボレロ』(Les Uns Et Les Autres)['81]
監督 アンソニー・マン
監督・脚本 クロード・ルルーシュ

 先に観た『グレン・ミラー物語』は、遠い昔にテレビ視聴しているような気がしていたが、未見作品だった。オープニングでの♪ムーンライト・セレナーデ♪やエンディングでの♪茶色の小瓶♪に限らず劇中に流れた数々のヒット曲を聴きながら、グレン・ミラー楽団サウンドと言えば、どうも進駐軍音楽というイメージが僕のなかに強くあるものだから、その時点では、既に彼が亡くなっていたことに驚いた。

 先ごろ観たばかりの画家ボナール ピエールとマルト同様に、妻のヘレン・バーガー・ミラー(ジューン・アリソン)あってこその音楽家グレン(ジェームズ・ステュアート)だったとの作品だったように思う。

 映画としての造りが忙しく且つぼんやりしていながらも、それなりに魅力ある作品となっているのは、数々の耳に馴染んだ楽曲と、ヘレンを演じたジューン・アリソンゆえのものだという気がした。

 ♪真珠の首飾り♪♪ペンシルベニア6-5000♪♪タキシード・ジャンクション♪♪セント・ルイス・ブルース・マーチ♪♪イン・ザ・ムード♪♪チャタヌーガ・チュー・チュー♪♪アメリカン・パトロール♪が流れ、ヘレンが褒めてくれたムーンライトセレナーデのメロディのフィーチャー楽器をトランペットからクラリネットに替えることで完成させた楽曲への満足を妻にウィンクで送った夫に対して見せていたヘレンの笑顔が実に素敵だった。グレンから贈られていた茶色の小瓶を頬に寄せ、遺影の前で感慨に耽りながら♪Little Brown Jug♪のラジオ放送を聴くヘレンの場面は、ジューン・アリソン畢生の演技だったのではなかろうか。


 二十七年後の作となる『愛と哀しみのボレロ』を四十三年ぶりに再見したのは翌々日。グレン・ミラーをモデルにしたと思しきジャック・グレン(ジェームズ・カーン)がパリ解放を華々しく謳い上げ、普通に僕と同時代を生きている姿を観て、『グレン・ミラー物語』で終戦前に死んだことに驚いたのは、本作の印象が残っていたからなのかもしれないと思った。'81年度のマイベストテンにも選出している映画だ。

 先月観たばかりのパリのちいさなオーケストラ同様に、ラヴェルのボレロで始まり終わる作品で、図らずもその視座は通底しているように感じた。国籍も世界大戦から受けたものも様々な人々が一堂に会し、ボレロという一つの世界を造り上げる音楽の力と可能性を謳い上げていたような気がする。

 ベースにあるのは、指揮者になる前のカール・クレーマー(ダニエル・オルブリフスキー)が妻マグダ(マーシャ・メリル)に戦地から送った手紙に記していた戦争の実際は憎みあう者同士の対決じゃない。愛しあう者の別離だよ。というものだったように思う。収容所で夫を亡くし、移送列車から降ろした赤ん坊を戦後も探し続け、息子(ロベール・オッセン)が探し当てた時には認知症に見舞われていたと思しきアンヌ(ニコール・ガルシア)の人生と、誰からも理解と許しが得られずに娘エディットを遺して自殺したエヴリーヌ(エブリーヌ・ブイックス)の人生がとりわけ痛切だった。

 カリスマダンサーのセルゲイ(ジョルジュ・ドン)の生まれるモスクワから始まり、1937年のパリ、翌年のベルリン、さらには翌年のニューヨークと、ボレロの如くパートを増やしつつ展開しながら、第二次世界大戦と戦後社会の描出によって“戦争の落とした影と残した爪痕”を描いたスケール感には、公開当時、大いに感銘を受けたが、再見してみると少々長尺に過ぎるかなという気もした。音楽が非常に大きなウェイトを占めている作品だから、劇場観賞と卓上観賞の差が大きく作用したのかもしれない。賛否両論あるようだが、一級の作品であることは言を俟たないように僕は思う。

 すると三十年来の映友女性がひゃ~、懐かしい😃 一級の作品だと私も思います。だって、松竹でしたかねぇ、1回観たきりですが、覚えているシーンがいくつもあるし。それに終戦後坊主にされた女性とか、ユダヤ人によるチケット買い占めとか、すごく勉強になりました。ドンのボレロはもちろんよかったし。と寄せてくれた。ただ戦後、坊主頭にされた女性の話というのは他でも観たし、ありそうな話だが、チケット買い占めによるカラヤンの無観客演奏会というのは、まさにグレンが戦後も生きていたように、実は象徴的な創作エピソードなのではないかと僕は思っている。


 合評会では、ドラマ以上に音楽が重要な位置づけを与えられた仕立てによって作品的冗長さを感じたり、分かりにくさがつきまとったという意見もあったが、肝心の音楽の良さに異論はなく、総合的評価としての支持は、やはり映画としてのスケール感からか、四対零で『愛と哀しみのボレロ』に集まった。時空が飛躍するうえに同じ役者が子どもや孫を演じていて少々混乱したという意見もあったけれども、力作を超えた秀作だったように僕は思う。

 両作を課題作にした主宰者が映画をたくさん観てると、関連性が繋がる時があるよね。まさにこの『愛と哀しみのボレロ』はその集大成みたいな繋がり方😅とコメントしていたので、例えば、エヴリーヌには後の『マレーナ』を想起したりするよね~。と返していたら、すかさず完全版(ディレクターカット版)は観てないろ?と用意してきてくれていた。
by ヤマ

'24.10.12,14. DVD観賞



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