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『関心領域』(The Zone of Interest) 『アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家』(Anselm) | |||||
監督・脚本 ジョナサン・グレイザー 監督 ヴィム・ヴェンダース | |||||
愛好する映画のジャンルに限らず、政事、性事、経済、芸術、スポーツ、世界情勢と、活動領域はともかくも関心領域だけは比較的幅広いほうだから、アウシュヴィッツ収容所を描いた映画も幾つか観て来ているけれども、『関心領域』のような特異なスタイルの作品は初めて観た。だが、このスタイルによってこそ得られた何かというものが僕には湧かず、むしろスタイリッシュに映画化するような題材ではなかろうにとの思いのほうが強い。本作に描かれたヘス所長を観ながら、二年前にBSプレミアム放送「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿」の『ナチス 人間焼却炉』で観たクルト・プリューファーのことを思い出したりした。 それにしても、随所に挿入されていたネガポジ反転のモノクロ画面で映し出されていた少女の象徴していたものは何なのだろう。また、最後にヘス所長が嘔吐を繰り返しながら階段を降りていくなかで映し出されていた、世界遺産となった収容所の博物館内と思われる映像は、何を企図してのものだったのだろう。よもやヘス所長が己が凶行の行く末を予見していたとも思えないのだが、妙に思わせぶりであざとい演出が気に障る作品だったような気がする。 すると、旧知の映友女性が少女の象徴していたものについて「ユダヤ人たちに届くはずもないリンゴを、彼らのために置く事で、収容所に一切関心のないヘス一家との対比だと思いました。」と寄せてくれ、現代の博物館についても「ヘスは医師の見立てでは異常なしでしたけど、私は癌か何か、重篤な病気なんだと想起しました。階段を下る→ヘスの死→「凡庸な悪」の終焉=ナチスの終焉→その後の現代を映す、と感じています。」と応えてくれた。 それについては成程なと思いながらも、どういう少女が危険を冒してまでわざわざそんなことをするのか合点がいかないし、なぜモノクロ画面にしたのか訳が分からなかった。対比というのは判らなくはないのだが、それならいかにも取って付けたような図式的対比で、些か安っぽい気がしなくもない。現代の博物館展示の唐突な挿入にしても、階段を降りる図が死に至る道でも地獄への道であっても、人類において「凡庸な悪」の終焉などあろうはずもなく、やはり図式的に過ぎるうえに安っぽさを禁じ得ない出来映えのように感じた。 仄聞したところでは、あのモノクロ画面はネガポジ反転ではなく、サーモグラフィーでの撮影によるものらしい。なんでも、あのくらいの年頃でレジスタンス活動に従事したという証言者と出会ってジョナサン・グレイザーが感銘を受け、映画に盛り込んだとのことで、サーモグラフィーでの撮影にしたのも、少女のその熱意を熱関知による画像で表したかったのだとか。そのようなことは観ただけでは判らない造りだったなと苦笑した。現代のアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館の画像を挿入したのも、きっとそのような調子でのことなのだろう。観る側で好いように解してくれと投げ掛けた提示というわけだ。 それからすれば、偶々直前にNHKプラスで観た「映像の世紀バタフライエフェクト『ワイマール ヒトラーを生んだ自由の国』」のほうに時宜に適った観応えが遥かにあったように思う。 国の指示権の特例を盛り込んだ先頃の地方自治法改正を受けて制作されたと思われる番組で、昨今のLGBTQへの関心の高まり、世に右傾化と言われる現象への問題意識も加味し、とても観応えのある内容になっていた。キャバレー「エル・ドラド」の映像や、かの「民族の祭典」「美の祭典」からなる『オリンピア』['38]を撮ったレニ・リーフェンシュタールが出演している往年の『聖山』や『青の光』の映像があるばかりか、1993年九十歳のレニが「どこに私の罪が? 『意志の勝利』を作ったのが残念です。あの時代に生きた事も残念です。でもどうにもならない。反ユダヤ的だったことはないし、だからナチ党にも入党しなかった。どこに私の罪が? 教えてください。原爆も投下したことはないし、誰も誹謗中傷したこともない。どこに私の罪が?」と繰り返し訴える証言も添えられていて、非常に含蓄のある番組構成になっていた気がする。 ヒトラーを生み出したワイマール体制というのは、よく言われていることだが、ハイパーインフレを克服したシュトレーゼマンが世界恐慌のときも存命であったら、ヒトラーは現れなかったのかもしれないと改めて思った。 その点では、イギリス人の作り手による『関心領域』よりも、同日の陽の高い夕方から観た『アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家』のほうが、ドイツに残したナチスの傷跡と深く向き合っているように感じられた。映画作品としても、圧巻のスケールとイメージの豊潤さに圧倒され、恐れ入った。 昨秋の県立美術館開館30周年記念展 「そして船は行く」の観覧メモに「展覧会名は、映画好きにはフェデリコ・フェリーニ監督の作品名を思わせるもので、開館時の職員として美術館の中核事業の一つに映画を据えた僕にとっては、とりわけ感慨深い。…当時、特に気に入ったアンゼルム・キーファーの『アタノール』…」と記した作家の他の作品を観る機会を得ていなかっただけに、実景を取り込んだ屋外作品やら、巨大な倉庫に収められた作品の大きさにすっかり驚いた。 ドイツ生まれのキーファーもヴェンダースもともに1945年の終戦年生まれだそうだから、僕より十三歳上の七十代末ということになる。戦時体験はないけれども、ナチスの傷跡とその風化を目の当たりにしてきた世代だ。七十年を超えて今世界が陥っている状況に対して思うところも多いに違いない。アンゼルムの青年期を息子のダニエル・キーファーが演じ、少年期をヴェンダースの甥アントン・ヴェンダースが演じているのだそうだ。 チラシに記された「3D×6Kで撮影された壮麗な映像叙事詩」という点からは、本来の映像で観賞したことにはならないかもしれないが、3D眼鏡を掛けた観賞となると、立体感は見事でも色合いがやや燻った感じになってくることからすれば、暗い色調が支配的なキーファーの作品群と対照的な自然の光の明るさが印象深い映画だったので、3D観賞でなくてよかったのかもしれないという気がしている。 *『関心領域』 推薦テクスト:「シューテツさんmixi」より https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1987669867&owner_id=425206 | |||||
by ヤマ '24. 7. 7. キネマM | |||||
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