『メイキング・オブ・モータウン』(Hitsville:The Making Of Motown)['19]
『奇妙な果実 怒りと悲しみのバトンhttps://www.nhk.jp/p/butterfly/ts/9N81M92LXV/episode/te/7PY51N157R/
監督 ベンジャミン&ゲイブ・ターナー
NHK 映像の世紀バタフライエフェクト

 先に観た『メイキング・オブ・モータウン』については、モータウン・サウンドに特に思い入れがあるわけではないが、僕が二歳のときに誕生したレーベルだから、同時代を過ごして来てもいるわけで、数々の楽曲を懐かしく聴くことができるとともに、自分が既に老境に足を踏み入れていることもあって、卒寿を前にして本作の製作総指揮にも名を連ねていた生みの親ベリー・ゴーディの矍鑠ぶりと相棒とも言うべきスモーキー・ロビンソンとの愉し気な掛け合いが彼らにもたらしていた充足感を好もしく観た。公民権運動の時代に乗った面もあったかもしれないが、ブラック・ミュージックの開拓者として数多くの苦難もあったに違いないなか、いかにも満たされた晩年を迎えている感じが窺えたように思う。

 とにかく二人が終始、笑いながら思い出話に耽っているさまが実に愉しそうで、よき来し方を過ごしている感が満載だったように思う。何という曲のことだったか、誰が最初に歌ったものかの記憶が二人で食い違って、賭けにして昔を知る仲間に電話してみたり、本当に好い感じだった。そして当然のことながら、残っている記録画像や証言に出て来る面々の凄い顔ぶれにも感心しながら観た。僕が同時代では知らなかった彼らの若き日々の姿が眩しい。二人の思い出話と記録画像や証言を、モータウンというレーベルの歩みに沿って構成した編集が非常に巧みで飽きさせない。

 それにしても、モータウンでのゴーディの事業の展開戦略のベースが、デトロイトの自動車工場勤め(フォードだったような)で知った流れ作業や工程管理にあったことに驚く。集団の活力の引き出し方の秘訣についても語っていた。なかなか良いドキュメンタリーだった。


 翌日観た『奇妙な果実 怒りと悲しみのバトンのタイトルになっている奇妙な果実を僕が知ったのは、奇しくも前夜に観たばかりの『メイキング・オブ・モータウン』にも出てきた『ビリー・ホリデイ物語』['72]でのダイアナ・ロスによる歌唱だったから、十代の時分のことだ。木に吊るされた死体を以て奇妙な果実とは凄い歌詞だと驚いた覚えがあるが、この詩がウクライナから亡命してきたユダヤ系アメリカ人教師エイベル・ミーロポルによるものだとは知らなかった。また、後にプロテストソングで名を馳せたボブ・ディランを見出したのと同じ音楽プロデューサーのジョン・ハモンドがビリー・ホリデイことエレノラ・フェイガンを発掘していたことに驚いた。

 そして、ボブ・ディランの歌ったエメット・ティルの死が今世紀になって、ブラックライブズマター運動を受けて制定された反リンチ法に法律名として冠せられていることや、オバマ大統領が就任したときにも引用されていたサム・クックによる変化はいつか起こるが、黒人少年のリンチ殺害を告発したボブ・ディランのその歌に触発されて人気黒人歌手が意を決して作り録音し、歌ったものだったことは知らなかったから、さすがバタフライエフェクトだとその連関に感心した。

 1920年代のジャズエイジにおけるベッシー・スミスやルイ・アームストロングから、ビリー・ホリデイ、サム・クックに繋がるブラック・ミュージックの系譜は、前夜に観た笑いの絶えないモータウン・サウンドの回顧とは実に対照的なものだった。そして、反戦川柳人 鶴彬の獄死』<集英社新書にあった「故郷の農村もひどいが、工場はもっとひどかった」という言葉が本当なのか、「工女さんたちは、貯金も出来たし、町に活動写真も観に行けた」というところを拾うのが正しいのか。それによって工女が本当に「哀史」だったのか否か、見方ががらりと変わりますでしょう。P81)との加藤陽子教授の言葉を想起した。さすが菅政権時代に学術会議の会員任命を拒否された歴史学者だけのことはあると大いに感心させられたものを証してくれる観賞となった。
by ヤマ

'24. 5.14. BS松竹東急よる8銀座シネマ録画
'24. 5.15. NHKプラス



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