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『フォクシー・レディ』(Foxes)['80] | |||||
監督 エイドリアン・ライン | |||||
素足の指先のクローズアップから寝姿をカメラが舐めていって始まる本作を観るのは四十三年ぶりだ。いかにも『フラッシュダンス』『ナインハーフ』などのエイドリアン・ラインらしいオープニングショットで笑ってしまう。初監督作のオープニングだけに尚更だ。先ごろ恒例の合評会の課題作に『卒業』が挙がった際に本作との併映で観たという話をしたら、映友が貸してくれた。 仲良し四人組のなかのマッジ(マリリン・ケーガン)とジェイ(ランディ・クエイド)の顛末が、『卒業』での結婚式からの逃走とは逆に、最後での思わぬ歳の差婚となっている映画だ。麻薬中毒のアニー(シェリー・カーリー)が不慮の事故で亡くなったのが十五歳で、ジーニー(ジョディ・フォスター)は十六歳だと言っていたから、高校一年の年頃になる。 ちょうど同じ高校一年の時分に、一軒家で独り暮らしをしていた僕は、本作に描かれたほどの乱痴気パーティではなかったものの、ねぐらを溜まり場にしてしょっちゅう飲み会をやっていた。友達の友達といった形で直には知らない連中までもが出入りする日々を過ごして騒いでいるなか、警察に通報されるに至り、半年足らずで独り暮らしを止めさせられたのだった。だが、その日々のなかで僕が得たものは思いのほか大きくて、その後、十年以上も続けることになった日記を始めたり、中学まではバスケット部の練習に疲れ果てて寝ることが多くて、いわゆる深夜放送ラジオなども聴いたことのなかったものが夜更かしのあまり、朝起きられなくて酒の臭いを残したまま昼から登校してみたり、新聞部や文芸部といった文科系のクラブに入ったりするきっかけになるような議論好きというか、言葉なるものに覚醒する交わりを、酔って心情を吐露し合うなかで得た覚えがある。 本作のジーニーたちは議論に耽ったりしていたわけではないが、なかなかに濃密な交友関係を四人組のなかで繰り広げていたように思う。そのうえで取り立てての成長譚にしていないところが好もしい作品だと改めて感じた。自身を振り返っても、確かに“言葉なるものへの覚醒”は得たように思うけれども、あの半年足らずで特に僕のなかで何かが成長したわけではなかったように思う。それを契機にした文科系クラブへの入部によって体験したことでの成長は、生徒会活動も含めて確かにあったような気がするけれども、酔っ払って呆けていた日々によるものではなかったはずだ。ジーニーが、アニーの死やマッジの早婚を身近に感じることで直ちに成長しているわけではないけれども、間違いなく何かを得ている感じがラストに漂っていて、その感じにある種、神妙な懐かしさを覚えた。 多感な時期にはかなりハードな家庭環境を負っているジーニーを演じる十代のジョディ・フォスターが健気に眩しく、ガールズロックバンド、ザ・ランナウェイズのリード・ボーカルでもあったシェリー・カーリーの体現している危なっかしさが印象深かった。眼鏡っ娘キャラクターが人気を集める契機になったとも言われる『Dr.スランプ アラレちゃん』のテレビ放映に一年先駆けるマリリン・ケーガンの眼鏡っ娘ぶりも目を惹いた。 | |||||
by ヤマ '24. 5. 6. DVD観賞 | |||||
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