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第2回 高知あだたん映画祭 “美術館ホールを驚かせたアーティストたち”
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美術館ホールを驚かせたアーティストたちとして最初に挙がった寺山修司の企画は、県立文学館2001年春季特別展寺山修司展「テラヤマワールド-きらめく闇の宇宙」関連企画 寺山修司映像パノラマ館で、当時、僕も観賞しているものだ。「死後十八年を経ても寺山修司の人気は大したもので、高知県立美術館ホールは、この種の映画の上映会には似つかわしくないような多くの人出で賑わっていた」と記した二十二年前の威光はさすがに衰えているようで、比較をすると思いのほか少ない集客状況だった気がする。もう時代の気分とはそぐわなくなっているのだろう。 現館長が事業担当者として企画したポスターのメインの絵柄が『トマトケチャップ皇帝』だったことに対して、ルーティーンでポスター・チラシが送付されていたなかから「こんなものは掲示できない。どういうつもりで送って来たのか」との苦情を寄せてきた学校(確か高校だったはず)があって、当時、主管課の担当者だった僕に相談があった覚えがある。そこで、「送付されてきたものを全て校内掲示板に掲示しなければならないルールなどないなか、県立文学館で特別展を開催している寺山修司の創作表現活動の一環として、その企画趣旨を添えて生徒に告知するか、教員間だけにするか、今回は見送るかは、各校の状況、職員生徒の素養によって異なってくることでしょうから、現場判断していただくが宜しいかと思います。」とでも回答するよう助言したのだった。苦情を入れてきた学校にどのように回答したか、その後の顛末は聞いていないが、特にその後、大きな問題にはならなかったと承知している。 このとき『草迷宮』がラインナップから漏れているのが残念で、不満を漏らした記憶があるのだが、今回、二十二年ぶりに叶えられた形になった。脱色も含めた色遣いがなかなかのもので、目を惹いた。“耳なし芳一”を想起させるイメージの提起の後、今度は逆に、明(若松武)のみ全身に文字を書いていないイメージが提起されていたのが印象深い。母(新高恵子)との関係にのたうつ息子の姿が描かれていたような気がする。 この『草迷宮』の後は、備え付けのスクリーンでの上映ではなく、人の背丈ほどの高さのスクリーン装置をステージに運び上げての映写となった。おかげで『トマトケチャップ皇帝』は、なんだか覗き絵を観るような気分を誘われ、確か本来のスクリーン上映だったと思う前回とは一味違うものを感じたが、相変わらず“寺山修司”とは“衒山修辞”だという思いが湧いた。全ての事に×(駄目)出しをしていく紅衛兵もどきの少年たちがやりたい放題の振る舞いを重ねていくわけだが、♪老人と子供のポルカ♪の実に間の抜けた唄が似合っていた。池袋新宿と並ぶ地球座の番組表の横に道頓堀の文字が見えたが、ストリップ小屋の渋谷道頓堀劇場なのだろう。ヌード寄席の文字が目に留まった。道頓堀劇場は今なお残っているようだが、本作のような映画は、今の時代には児童虐待とされ、もう撮れないに違いない。 続けて観た『ローラ』では、スクリーンの中に入っていく男が、今なお半世紀後の森崎偏陸であることがリーフレットに記されていて驚いた。 今回再見して興味深かったのが『審判』で、十字架ではなく巨大な折れ釘を背負って、あてどなく歩く裸の男の目指すのがゴルゴダの丘を思わせることに関連して、釘の持つ意味について触発を得たことが面白かった。キリストは釘で十字架に磔にされたわけだが、キリストならぬ人々は釘によって何に磔にされているのだろうと思ったとき、床に打ちつける釘の一打ち毎にベッドでのたうつ裸女のイメージが提起されていたことを想起した。一概に苦悶とも言えないところがミソなのだが、その連想をしたとき、最後に森崎偏陸たちに促されて観客が次々とスクリーンとして使われていた白い板壁に釘を打ちつけていくさまが、えらく不気味に思えてきたのだった。 寺山修司の次に取り上げられた維新派は、開館1周年記念事業「ヂャンヂャン☆オペラ『少年街』」(1994年11月6日)を観ているからか、『蜃気楼劇場』が最も面白かった。巨大な野外劇場を手作りで行うなか、きちんと初日を開けられるか四苦八苦している様に、県立美術館の開館日が迫ってくるなかでの当時の僕の心境と重なるものを美術監督が言っていた。開館準備は進んでいるか間に合うかと問われて、建物は出来ているし、展示作品はあるのだから、開館は間違いなく出来るけれども、どういう状態で開けるかを少しでも整えるよう努力するだけのことで、間に合う間に合わないではないが、万全の態勢は絶望的に無理だと答えた覚えがある。本作でも二十日間の公演中、舞台装置は進化を続け、最終日は初日と見違えたというようなテロップが映し出されていた。開館当時の難儀を思い出し、感慨深かった。それにしても、二十日の公演でペイしたのだろうか。ざっと見たところ、キャパは五百席くらいしかないような気がした。昼夜公演だと千席だから、二十日で二万人。一人五千円として一億円だ。歩留まり七掛けだと、七千万円。かなりの人役が集っていたが、ほとんどボランティア参加でないと、とても賄えない気がする。 呆気に取られたのが、四十四年前の『足乃裏から冥王まで』だ。いきなりストリップ小屋での特出しオープンショーの大写しから始まったかと思うと、野外に大竹を突き立てたステージに猿を模した動きを見せて登る人間が現われ、「足乃裏から冥王まで」と書いた板を逆さに持った男を映し出してカメラを回転させ、天地が入れ替わってタイトルが読めるようになるといった趣向の後、実に奇抜なパフォーマンスが種々登場するのを眺めながら、半端な鍛錬では果たせない動きや所作に感心しつつも、グロテスクさに辟易とし、過激というのは奇抜の連続をもって言うものでもなかろうと思っていたら、本当に唖然とするような野外公演だった。 伊藤久男の♪イヨマンテの夜♪や北島三郎の♪与作♪の使い方も随分なものだったけれども、冒頭の特出しショーどころか、松本雄吉と思しき赤網タイツの男が寒空の下、逸物を扱き立て、途中からやおら現れた女性ダンサーとアクロバティックな体位で交わった後、白黒ショーさながらの性交を始めた。冒頭のみならず維新派のパフォーマンスの合間にも挿入されていたストリップ小屋のステージ模様は、それゆえだったかと、見世物としての性行為の対照に恐れ入った。場所は天王寺野外音楽堂だったようだから、公共施設だ。当時は、公共施設を使ってこのようなライブ公演が出来ていたのかと驚き、今の時代においては到底、再現は叶わないだろうと思った。半世紀近く前の記録映像を観ることで、つくづく今は不自由な時代になっていることを知らされる気がした。 また、最初のほうで、ドローンのない時代にどうやってこの空撮をしたのだろうと思わせた舞台真上からの俯瞰ショットと、途切れることなく舞い落ち続ける紙吹雪の秘密が最後に露になったときの中空の舞台装置の大仕掛けにも魂消た。ライブで観たら、そこに驚きはないのだろうけれど、威容には圧倒されたに違いない。演目もさることながら、仕掛けや装置を見せる劇団だったのかと思った。パフォーマンスともども何やら凄いものを観てしまったという感覚には間違いなく、なるような気がする。 五年後の『阿呆船 さかしまの巡礼』では、舞台装置の大きさ、女性団員の激増ぶりに驚いた。金粉もしくは銀粉に塗れた役者のパフォーマンスが登場していたが、金粉ショーというのは、当時のストリップ小屋でも行われていたものだったような記憶がある。僕は直に目撃したことはないが、三十年前に観た和栗由紀夫による舞踏『螺旋の夢』で目の当たりにして、これがかの…とその異様な感じに観惚れたことを思い出した。そして、『足乃裏から冥王まで』でしつこく映し出されていた一升瓶のラッパ飲みとそれに続く嘔吐パフォーマンスで締め括られていた本作では、足の裏を頭上に戴く帽子が『足乃裏から冥王まで』との対照で目を惹いた。だが、ラストで冥王に召されて昇天していくイメージのインパクトには及ばなかったような気がする。エンドロールを眺めていたら、原作ものだったことに驚いた。 映画を観ていて思い出したが、そう言えば、むかし一升瓶のラッパ飲みというのは、ある種の記号になっていたような気がする。これも今では御法度に違いない。吐瀉物の混じったゲロではなくて液体だけだったのは、予め吐瀉物が出ないよう胃を空にしていたのだろう。それだけに余計に素早く吐かないと、急性アル中を引き起こす恐れがある。もっとも吐瀉物を見せないよう算段しているくらいなら、酒に見せかけて酒ではなかった気もしなくはないが、水1升飲ませるのはもはや拷問とも言うべきハードパフォーマンスだと思わずにはいられない。 それらを踏まえて、奇抜を通り越した過激なパフォーマンスであったことに異論はない。あのような公演が罷り通った時代は、余りに遠い気がしてならなかった。 すると、折から観賞を再開させた『みうらじゅんのグレイト余生映画ショー in 日活ロマンポルノ』のテーマが「ミステリー」だったからというわけでもないが、観てみたNHKのBSプレミアム録画の英雄たちの選択「帰ってきた探偵 ~江戸川乱歩 ミステリー復活の闘い~」のなかで、表現の自由に対する規制問題を取り上げていた。 大正デモクラシーやら、エロ・グロ・ナンセンスなどへの取り締りと監視によって自由が奪われていく時代の後に、国家統制の厳しい軍時非常態勢の時代が訪れた当時を生きた表現者としての足跡を辿って、実に興味深い番組であった。ちょうど、僕が若き日を過ごした時代において挑発的な表現活動を行っていたクリエイターたちに関する映画作品に接して、今の時代との隔世の感を覚えたばかりだっただけに、より面白く観た。 乱歩について語る高橋源一郎が、乱歩が他の多くの作家と違って時流に流されなかったのは、彼には「じこ」があったからだと言っていたのを、字幕で「自己」ではなく「自個」としていたのは、高橋の注文だったのだろうか。自個という言葉に馴染みがなく少々奇異な感じがした。 1949年に始めたという少年探偵団シリーズは、僕が小学低学年の時分に図書室や移動図書館で借りて熱心に読んだ本だ。見覚えのある装丁の本がずらりと並んだ場面をとても懐かしく観た。 今世紀になって『乱歩地獄』['05]や『キャタピラー』['10]として映画化もされた『芋虫』発禁にまつわる話は、とても大事なことだと思う。 公式サイト:高知県立美術館 | ||||||||||||||||||||
by ヤマ '23.11.25. 美術館ホール | ||||||||||||||||||||
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